丸山城(丸森町)宮城県の旅 (original) (raw)

丸山城(丸森町)宮城県の旅

(コロナ禍前の話)

地元の看板では、「丸山城」であるが「丸森城」ともいう。

宮城県伊具郡丸森町渕ノ上(陸奥国伊具郡)にある。

ここに行くには、阿武隈急行の「丸森駅」が便利だ。

ただし、駅からは2キロ程度は離れており、不便な場所にある。

伊達稙宗(だて たねむね)は、伊達政宗の曽祖父である。

10代将軍である足利義稙偏諱を受け、名を「稙」宗とする。

その伊達稙宗は、嫡男である「晴宗」と争い、敗れ(天文の乱)、晴宗に家督を譲って隠居するが、隠居領として伊具郡東南部と宇多郡北部が宛われることになる。そして、稙宗は丸森に隠居城を構えたのである。

永禄8年(1565年)、伊達稙宗が死去。

その後、天文の乱で、伊達稙宗方の主力を担った相馬氏が、丸森城を接収。

この相馬氏は、隠居後の稙宗を支援していた。

伊達氏側は、稙宗の孫である「伊達輝宗」(伊達政宗の父)が奪還に乗り出したが、うまくいかず、伊達と相馬の合戦が繰り返される。

天正11年(1583年)5月17日、伊達輝宗はついに丸森城を攻め落とす。

現在は、本丸跡に愛宕神社がある。

三ノ丸跡

伊達稙宗の看板