歌手としての江文也 (original) (raw)

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私が監訳者として関わった劉美蓮『音楽と戦争のロンド―台湾・日本・中国のはざまで奮闘した音楽家・江文也の生涯』がこのたび集広舎より刊行されることとなった。同書では、台湾出身の作曲家・江文也が厦門、日本、中国と越境し、優れた作品を残していく有様が概ね時代順に描かれていく。ここでは同書の出版に合わせて、江文也のもう一つの魅力、すなわち歌手としての側面に焦点を当てたい。レイアウトの都合上、江文也ディスコグラフィは本記事の末尾に掲載した。適宜参照されたい。

1932~3年の歌手としての録音

文末に付したディスコグラフィからもわかるように、江文也はまず歌手として楽壇に登場した。一般的には、彼の最初の録音は「肉弾三勇士の歌」であると思われているが、調査によりそれよりも早く、「満洲の歌」(マトリックス番号36230)「満洲興国の歌」(同36231)が録音されていることがわかった。山田耕筰古賀政男によって作曲された2つの「肉弾三勇士の歌」は、それぞれマトリックス番号36255と36256であり、先の二曲から少し時間をおいて録音されたことが伺える。これらの曲を収めた三枚のレコード番号は連続しており、発売は同時であったかもしれない。この前年に起きた第一次上海事変満洲国建国という2つの大事件を歌う台湾人歌手として、江文也はデビューしたのであった。

なお、「満洲の歌」「満洲興国の歌」のレコードは珍しいが、国立台湾歴史博物館のサイト「台湾音声100年」でその一部を聞くことができる。

audio.nmth.gov.tw

audio.nmth.gov.tw

www.youtube.com

www.youtube.com

なお、山田耕筰版の「肉弾三勇士の歌」は、以下のCDでも聞ける。

軍歌・戦時歌謡大全集3/戦時歌謡1

昭和7年生まれの歌』というCDでも聞けるようだが、Amazonにはカセット版しか登録されていないようなので、ここでは省略する。

一方、古賀政男版は、『古賀政男名曲大全集』というCDで聞けるようだが、通信販売限定でAmazonでは取扱なし。

shop.columbia.jp

この時期の録音でCD化されているのは、山田耕筰作曲の「空は青雲」(時折「空は青空」と誤記されるが、こちらが正しい)。CD『山田耕筰の遺産(9)映画音楽、その他編』に収録されている。

山田耕筰の遺産(9)映画音楽、その他編/山田耕筰

www.youtube.com

この曲は、先述の「台湾音声100年」にもあるが、音声は誤って裏面の米倉俊英「青年の歌」がアップロードされているので要注意である。

audio.nmth.gov.tw

さて、このように比較的聞きやすい「肉弾三勇士の歌」二種と「空は青雲」であるが、いずれも日本コロムビア合唱団がクレジットされており、合唱団の歌声も江文也の歌声とユニゾンで歌われ、肝心の江文也の歌声がその中に埋没しているように聞こえる。先に紹介したCD『山田耕筰の遺産(9)映画音楽、その他編』の解説書に収められた森一也「山田耕筰の国民歌」は以下のように記している。

[…]独唱者として江文也の名が印刷されていますが、全部男声合唱になっています。録音の時に独唱パートをやめたのでしょうか。江は合唱をリードする形で歌っています。彼は台湾出身の歌手で、御茶の水東京音楽学校の分校で阿部英雄に師事していました。筆者も通学していたその分教場で、彼の発声練習が教室から響いて来るのをよく廊下で耳にしました。山田耕筰古賀政男がそれぞれ作曲した二つの「肉弾三勇士の歌」を歌った歌手としてご存知の方も多いでしょう。戦後、彼は台湾へ帰り、作曲家として故国の民謡を使った「日月潭の挽歌」[ママ]などを発表しています。

江文也が台湾に帰ったことにされているのはお粗末と言わざるを得ないが、若き日の彼の姿を伝える貴重な資料として価値があるのではないだろうか。それはともかく、なぜこれらの曲に独唱パートがないのかは謎である。山田耕筰の意向なのか、それとも…。なお、「満洲興国の歌」にも日本コロムビア合唱団がクレジットされているが、この曲には江の独唱パートがある。

作曲家時代の歌唱

作曲家の道を歩むこととなった江文也は、この後は歌手としての録音は激減する。ポピュラー音楽の範疇に入れることができる録音は、後述する別名義の録音を除けば皆無に等しいが、唯一の例外は1936年頃の、自ら作曲した「森永社歌」であろう(社歌をポピュラー音楽か呼べるかどうかはさておき)。

また自身がシリアス・ミュージックとして作曲した「生蕃の歌」と「牧歌」(1937)も自ら歌っている。このうち「牧歌」はニコニコ動画にアップロードされている。

www.nicovideo.jp

それ以外に江文也自身の歌唱が聴けるのが「芭蕉紀行集(上下)」である。これは作曲家・箕作秋吉が秋吉元作の筆名で、芭蕉の句をモチーフにして作曲した連作歌曲。箕作は江より15歳年上で、ベルリンに学び「日本的和声」を提唱、『芭蕉紀行集』は彼の代表作の一つに数えられる。箕作の作品は江文也とともにチェレプニン・コレクションに収められ、また江とともにベルリン・オリンピックの芸術部門に日本代表として作品が送られている。

さて、江文也の歌唱による「芭蕉紀行集(上下)」は『箕作秋吉の遺産』というCDにも収められている他、以下でも聴くことができる。

知られざる歌手・上田幸文の正体

ところで、このブログ記事の文末に掲げた江文也ディスコグラフィには、「上田幸文」名義の録音を含んでいる。この無名歌手・上田幸文の正体が江文也であるのは、下の写真からも明らかだ。

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「棕梠の葉かげ」歌詞カード

江がこの「上田幸文」名義で録音したのは、「北支の空」と「棕梠の葉かげ」の2曲。いずれも、江文也らしい柔らかいバリトンで歌われる。前者は樋口晴雄の作詞、飯田信夫の作曲による軍歌である。飯田は主に映画音楽の世界で活躍した作曲家。1924年松本高等学校理科甲類卒業とされているので、江文也とは信州在住期間が僅かに重なっている。また飯田は亀井文夫ドキュメンタリー映画『上海』(1938)の音楽を担当する一方、同じ亀井の『北京』(1938)は江が音楽を担当しているという符合も興味深い。

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「北支の空」レーベル写真

一方、「棕梠の葉かげ」は童謡「海」などでも知られる林柳波の作詞、江自身の作曲である(裏面の中村淑子「知るや君」も江の作曲)。

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「棕梠の葉かげ」レーベル写真

さて、江文也の伝記として最も早い時期に出版された井田敏『まぼろしの五線譜』では、以下のように記されている。

[…]つけ加えれば、文也はさらにもうひとつの名前があった。松島詩子の歌うレコード「知るや君」は、A面が島崎藤村作詞「知るや君」、B面が「シュロの葉陰に」となっているが、A面の作曲、B面の作詞作曲は上田耕文となっている。この上田耕文はなにを隠そう、江文也のペンネームなのである。

その由来は、信州上田と恩師山田耕筰の耕、自分の名前の文をつなげたもので、茶目っ気たっぷりの江文也の一面がうかがわれる。(195ページ)

まぼろしの五線譜―江文也という「日本人」

この記述には事実に反する内容が多く含まれていることは、明らかである。まず、江文也の別名は「上田耕文」ではなく「上田幸文」。従って山田耕筰とはおそらく関係はなく、信州上田と「江文也(あるいは本名の江文彬)」の「こうぶん」から取ったものだろう。また、レコードも松島詩子とは関係はなく、「知るや君」は中村淑子が歌い、「棕梠の葉かげ」は江文也自身が上田幸文として歌っている。作詞は先述の通り林柳波。作曲のクレジットは上田幸文ではなく、両面とも江文也とされている。

さて、この1937年になぜこのような上田幸文名義の録音が行われたのかは不明である。もしかすると江は作曲活動の傍ら、流行歌手・上田幸文としての活動も目指していたのだろうか。そうだとしても、日中戦争の勃発後、江は活動場所を移していくこととなり、このような活動は長く続くことはなかった。

まとめ

以上、江文也が歌手として吹き込んだレコード録音について概観してきた。実はここで言及した日本のレーベル以外に、中国レーベルのレコードにも江文也は関わっているのだが、珍しいレコードも少なくなく、全体像は摑みづらい。その中には、江が作曲を手掛けただけでなく、歌唱も自ら行っているものもあると思われる。詳細な調査が待たれる。

さて、平凡社東洋文庫から復刊された江文也『上代支那正楽考―孔子の音楽論』に付された片山杜秀による解説「江文也とその新たな文脈―一九四五年までを中心に」では江文也の歌唱について以下のように記されている。

SPレコードに遺された文也の歌声は、とても明るくて柔らかい。バリトンといっても、野太く重々しいタイプではなく、リリックな部類に属している。しかも日本語歌唱に於いては、師の山田耕筰の指導に忠実にしたがったせいと思われるが、山田がさかんに推奨していた「音の高さに比例して口を大きくあけてゆく歌い方、すなわち下顎をゆるやかに力ませずに使うことによってのどを全く自由に解放した歌い方」を行っているように聞こえる。もう少し具体的に言い直せば、下顎からのどにかけての部分をすっかり脱力して、下顎がたるみ気味になるくらいにし、のども口もこわばらせずに楽にしながら、音程が上がるほど口を大きく開き、下がるほど狭めて、はっきりとはしているが決して硬くならず輪郭のソフトな母音を行っている常に保つといった歌い方である。文也が日本で歌手を続けていれば、山田が求めた、無理なく優しく真に美しい日本語歌唱の模範的体現者として、この国の声楽界を長く指導したのかもしれない。(325-326ページ)

上代支那正楽考―孔子の音楽論 (東洋文庫)

山田耕筰の歌唱論の詳細については私は不案内であるし、江文也が果たしてここに記されているような歌い方をしているかも私には判断は困難だ。だが、彼の歌声の柔らかさについては同意する。もしかすると、戦争のため北京に活動の場を移すことがなければ、彼は作曲家・江文也と歌手・上田幸文という二足の草鞋を履きつづけたのかもしれない、などと考えるのは夢想にすぎるだろうか。

付録:江文也ディスコグラフィ

以下は江文也が歌唱または作曲で関わったレコード(日本のレーベルに限る)のディスコグラフィである。私が把握できた全34面のうち、彼が歌唱で関わったレコードは合計17面(上田幸文名義を含む)、作曲で関わったレコードは20面ある。

題名 ジャンル 歌手・演奏者1 歌手・演奏者2 歌手・演奏者3 歌手・演奏者4 作詞者 作曲者 編曲者 レコード会社 レコード番号 マトリクス番号 SPレコード60000曲総目録 れきおん 台湾音声100年 昭和館
満洲の歌 唱歌 江文也 日本コロムビアブラスバンド(山田耕筰指揮) 荒川義治 山田耕筰 山田耕筰 コロムビア 26829 36230
肉弾三勇士の歌 愛国歌 江文也 日本コロムビア合唱団 日本コロムビアブラスバンド(山田耕筰指揮) 中野力 山田耕筰 山田耕筰 コロムビア 26830 36255
肉弾三勇士の歌 愛国歌 江文也 日本コロムビア合唱団 日本コロムビアオーケストラ(古賀政男指揮) 渡部栄伍 古賀政男 古賀政男 コロムビア 26830 36256
満洲興国の歌 独唱 江文也 日本コロムビア合唱団 日本コロムビアブラスバンド(山田耕筰指揮) 中野力 山田耕筰 山田耕筰 コロムビア 26831 36231
吾等の松本聯隊 軍歌 江文也 日本コロムビア吹奏楽隊(山田耕筰指揮) 西澤圭 山田耕筰 山田耕筰 コロムビア 26891 36317
日本産業の歌 独唱 江文也 日本コロムビア・オーケストラ 北原白秋 山田耕筰 奥山貞吉 コロムビア 26977 36510
日本産業 独唱 江文也 日本コロムビア・オーケストラ 山口白陽 弘田龍太郎 奥山貞吉 コロムビア 26977 36511
空は青雲 合唱 江文也 日本コロムビア男声合唱 日本コロムビア交響楽団(山田耕筰指揮) 北原白秋 山田耕筰 山田耕筰 コロムビア 26983 36552
沖の鷗に 独唱 江文也 日本コロムビア・オーケストラ 日本古謡 山田耕筰 山田耕筰 コロムビア 27321 37176
春風のロンド 独唱 江文也 日本コロムビア・オーケストラ 三木露風 井上武士 杉田良造 コロムビア 27321 37177
森永社歌 江文也 交響楽団 堀内敬三 江文也 コロムビア A-320 1201618
森永社歌 森永合唱団 交響楽団 堀内敬三 江文也 コロムビア A-320
スケッチ/前奏曲 ピアノ独奏 アレキサンダー・チェレプニン 江文也/松平頼則 ビクター 53844
子守唄 太田綾子 日本ビクター管弦楽団 佐伯孝夫 江文也 ビクター 13503
生蕃の歌 独唱 江文也 江文也 江文也 ビクター 53919
牧歌 独唱 江文也 佐伯孝夫 江文也 ビクター 53919
芭蕉紀行集(上) 独唱 江文也 日本ビクター室内管弦楽団 秋吉元作 ビクター 53995 8680
芭蕉紀行集(下) 独唱 江文也 日本ビクター室内管弦楽団 秋吉元作 ビクター 53995 8681
台湾舞曲(上) ピアノ独奏 井上園子 江文也 コロムビア 29452 1203140
台湾舞曲(下) ピアノ独奏 井上園子 江文也 コロムビア 29452 2203141
北支の空 軍歌 上田幸文 日本ビクター男声合唱 日本ビクター管弦楽団 樋口晴雄 飯田信夫 飯田信夫 ビクター J-54129 9229
知るや君 家庭歌謡 中村淑子 日本ビクター管弦楽団 島崎藤村 江文也 ビクター J-54226 9263
棕櫚の葉かげ 家庭歌謡 上田幸文 日本ビクター管弦楽団 林柳波 江文也 ビクター J-54226 9262
四海大同 映画主題歌 波岡惣一郎 白光 仲秋芳 日本ビクター合唱団、日本ビクター管弦楽団 佐伯孝夫 江文也 ビクター J-54296
蘭英の歌 映画主題歌 四家文子 白光 日本ビクター管弦楽団 佐伯孝夫 江文也 ビクター J-54296
孤児恨 孟宜君 コロムビア管弦楽団 杉山部隊本部宣撫班 江文也 江文也 コロムビア A-538 1P-32
反英歌 尚質 コロムビア管弦楽団 杉山部隊本部宣撫班 江文也 江文也 コロムビア A-538 2P-33
台湾の舞曲(上) 管弦楽 中央交響楽団 マンフレット・グルリット指揮 ※「れきおん」では早川弥左衛門[指揮]とする 江文也 ビクター A-4201 J-1505
台湾の舞曲(下) 管弦楽 中央交響楽団 マンフレット・グルリット指揮 ※「れきおん」では早川弥左衛門[指揮]とする 江文也 ビクター A-4201 J-1506
東亜民族進行曲 黄世平 白光 日本哥倫比亜管弦楽 楊寿聃 江文也 江文也 コロムビア 100250 2207300
孔子廟の音楽 東京管弦楽団 マンフレット・グルリット指揮 江文也 ビクター A-4271~3 J-1507~J-1512
東亜民族進行曲 管弦楽 コロムビア管弦楽団 江文也 仁木他喜雄 コロムビア S-388 2207664
撃ちてしやまむ 国民歌 日本ビクター男声合唱 齋藤冽 江文也 ビクター A-4397

表のうち『SPレコード60000曲総目録』とは、以下の目録に収録されていることを示す。

SPレコード60,000曲総目録

なお、「日本産業歌」は1936年7月にレコード番号28887として再発売されている。また「スケッチ(/前奏曲)」「牧歌」「台湾舞曲(上下)」の4面はCD『日本SP名盤復刻選集 I』にも収められ、「孔子廟の音楽」全6面はCD『日本SP名盤復刻選集Ⅳ』に収められていることを付言しておく。

ロームミュージックファンデーション SPレコード復刻CD集 第1集 日本語版

ロームミュージックファンデーション SPレコード復刻CD集 第4集 日本語版