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池田彌三郎

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一朴洞日記5日前

巨匠旅発つお二人とも、紳士的な批評家であられた。表面的には。 慶應義塾の池田彌三郎教授が、こんなふうにおっしゃったことがある。自分は生涯折口信夫の鞄持ちだった。そんな自分になにかオリジナルはあるかと問われても、あるはずがない。巨大な師が残した仕事をまとめるだけで、ちっぽけな自分の生涯など了ってしまう。かつて師の門下にあって、やがて一本立ちの仕事を残した人は、師の栄養を吸うだけ吸って、独立していった人たちだ。席にちょいと斜めに腰掛けて、旅発っていったのだ。たとえば山本健吉先輩のように、またたとえば村上一郎君のように、と。 武道か茶道から出た言葉らしいが、「守破離」ということだろう。師の教えを厳格に守る、や…

#山本健吉#中村光夫#池田彌三郎#折口信夫#村上一郎#広津和郎#小林秀雄#河上徹太郎

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神保町系オタオタ日記2年前

民間伝承の会主催日本民俗学講座と折口信夫主催鳥船社の歌会が開催された佐藤新興生活館神田駿河台の佐藤新興生活館については、「昭和17年民族学者杉浦健一が佐藤生活館で南方派遣者(?)向けの講演会ーースメラ学塾の南方指導者講座との関係ーー - 神保町系オタオタ日記」などで紹介したところである。今は山の上ホテルとなっていて、私もいつかは泊まってみたいものである。 この佐藤新興生活館が柳田國男の年譜*1に出てくる。要約すると、 (昭和14年) 2月26日 佐藤新興生活館で行われた民間伝承の会東京会員大会の日本民俗学講演会で、「文化と文化系」を講演 3月26日 佐藤新興生活館で開催された民間伝承の会東京会員大会で「伝承者」を講演し、座談会ももつ。 4月14日 佐藤新興生活館で行われた民…

#佐藤新興生活館#柳田國男#折口信夫#池田彌三郎

神保町系オタオタ日記2年前

中支派遣軍に応召中の池田彌三郎から岡山の郷土史家花田一重宛の絵葉書中支派遣軍三枝部隊片山隊で応召中の池田彌三郎から岡山の六条院町の花田一重宛軍事郵便。これも、「戦時下におけるアチックミューゼアムの宮本常一と岡山の郷土史家花田一重ーー須藤功『宮本常一』(ミネルヴァ書房)に寄せてーー - 神保町系オタオタ日記」で紹介した@pieinthesky氏から入手した花田宛書簡群の一つである。岡山の郷土史家花田の経歴を『岡山県歴史人物事典』(山陽新聞社、平成6年10月)から要約しておこう。 花田一重 はなだかずえ 明治22~昭和46 教育者・郷土史家。浅口郡六条院中村生。明治42年岡山県師範学校卒業。同年鴨方東尋常高等小学校訓導となり、以後岡山県戦捷紀念図書館司書*1、勝…

#池田彌三郎#花田一重

未来そうぞう日記19日前

なんとなく途中下車した魚津は蜃気楼の街だった富山県散歩の続き。 富山市を目指して宇奈月温泉駅から再び富山地方電鉄に乗車。途中、懐かしい「雪ちゃんの日本海みそ」の看板。昔、よく「にほんか~いみっそ」のCMが流れていましたね。どうやら本社は富山県のようです。 途中、ルート違いで同じ富山駅に向かう「あいの風とやま鉄道」にも乗ってみようと思い魚津で下車。ちなみに降りたのは新魚津駅で乗り換え先は魚津駅。昔は富山電鉄側は魚津駅でしたが、東西を結ぶ地下通路ができたのをきっかけに独立して新魚津駅になったとか。わざわざ分けなくても良い気がするが関係者たちの何か熱い思いがあるんでしょうかね。 駅前だけど平日のためかほとんど人がいませんね。 ここは有名観光地…

karumerabunkoのブログ1ヶ月前

講談社文芸文庫刊行書目一覧 最新版2024年9月20日時点での既刊及び刊行予定の講談社文芸文庫全1,317点(日本文学1,245点/海外文学72点、ワイド版を除く)をあげた。文庫の整理番号順に従って表記(一部変更あり)した。編者、訳者は一部を除き割愛した。 阿川弘之『舷燈』 阿川弘之『青葉の翳り 阿川弘之自選短篇集』 阿川弘之『鮎の宿』 阿川弘之『桃の宿』 阿川弘之『論語知らずの論語読み』 阿川弘之『森の宿』 阿川弘之『亡き母や』 阿部昭『単純な生活』 阿部昭『大いなる日/司令の休暇』 阿部昭『無縁の生活/人生の一日』 阿部昭『千年/あの夏』 阿部昭『父たちの肖像』 阿部昭『未成年/桃 阿部昭短篇選』 青柳瑞穂『ささやかな日本…

青い算命学3ヶ月前

スピ算人生論-検証 主星牽牛星の有名人①どうも、主星と霊魂とをつなげる貴幼法の考え方は今一つヒットしません。そこで、「牽牛星が目の前の者に対し、奉仕的に報いるという思考は車騎星とほぼ同じですが、直情的ではなく冷静な判断で、自分流のやり方をします」という本来の主星の意味が子供時代に宿るという形で、とらえていこうと思います。もしかすると、例えば、月支の乙が母系祖母の霊魂なのかもしれませんが、確認できないことを言った者勝ち的に書いていくのも、はばかれるので、できるだけリアリティーのある方向で検証してみたいと思います。 森田家は祖父、父親とも板金工という職人一家。男3人、女1人の兄妹の次男である。<Wikipedia> 父、祖父(丙)という…

一朴洞日記6ヶ月前

知る道すじ原典の正確な意味は知らない。『礼記』に当ってみたが、前後を軽く眺めた程度では、歯が立たなかった。学識不足もさることながら、それ以上に、反復を重ねて理解に至ろうとする情熱が欠けていたのだろう。 古典の文言を理解する第一の要諦は、反復である。頭脳の感性のと云ったところで、反復による体得には遠く及ばない。 数えきれぬ「自説」「曲解」に見舞われながら、なおも生残った果てにわが眼前にある言葉だ。ただならぬ生命力をもっている。私もまた屋上屋を架するがごとくに、わが反復をとおして私感を形成しておけばよろしい。 訓の正邪なんぞは学者による参考書にしたがっておけばよろしいが、含意については、だれしもに思い当るこ…

大和の国のこころ、万葉のこころ7ヶ月前

御食向ふ南淵山の・・・巻第9-1709訓読 >>> 御食(みけ)向(むか)ふ南淵山(みなぶちやま)の巌(いはほ)には降りしはだれか消え残りたる 要旨 >>> 南淵山の山肌の巌には、はらはらと降った淡雪がまだ消えずに残っている。 鑑賞 >>> 『柿本人麻呂歌集』から、「弓削皇子に献上した歌」とある歌。弓削皇子は、天武天皇の第9皇子。「御食向ふ」は「南淵山」の枕詞。「南淵山」は、明日香村稲淵の山。「はだれ」は、薄く降る雪。この歌には何某かの寓意があるのではと指摘されますが、斎藤茂吉は「学者等の一つの迷いである」として、「叙景歌として、しっとりと落ち着いて、重厚にして単純、清厳ともいうべき味わい」と言っており、国文学者の池田彌三郎は、「…

大和の国のこころ、万葉のこころ10ヶ月前

【為ご参考】『万葉集』について『万葉集』が、いつ誰によって編集されたか正確には分かっていません。序文も跋文もなく、同時代のほかの文献にも『万葉集』について書かれたものがないからです。 作歌年月が明記されている歌で最も新しいのは、天平宝字3年(759年)正月一日の大伴家持の作です。したがって、今の形の『万葉集』が759年以降に成立したのは間違いありません。それでは、それ以後のいつであるかとなると、平安時代初期まで下る説もあってはっきりしません。だいたい奈良時代の末と見る説が有力となっています。 編者についても、橘諸兄とする説、大伴家持とする説、橘諸兄と大伴家持であるとする説があります。『万葉集』は全20巻からなっていますが、…