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藤原家隆

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読書

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ふじわらのいえたか

日本の鎌倉時代初期の公卿。歌人。藤原兼輔の末裔。
「新古今和歌集」の撰者の1人である。

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#短歌#和歌#古典#新古今和歌集#藤原家隆

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#藤原家隆#寂蓮法師#明石の御方#十二単#指貫

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#藤原俊成#藤原家隆#琴#秋の足音#のる

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【源氏物語246 第十帖 賢木58】宮と源氏の座は近い。取次の女房への宮のお声もほのかに聞こえる。源氏の涙がほろほろとこぼれた。🌸🎼 雨音落ちる日(A day,hear the sound of rain)🌸 written by 蒲鉾さちこ 解けてきた池の薄氷にも、 芽をだしそめた柳にも自然の春だけが見えて、 いろいろに源氏の心をいたましくした。 「音に聞く 松が浦島《うらしま》 今日ぞ見る うべ心ある海人《あま》は住みけり」 という古歌を口ずさんでいる源氏の様子が美しかった。 ながめかる 海人の住処《すみか》と 見るからに まづしほたるる 松が浦島 と源氏は言った。 今はお座敷の大部分を仏に譲っておいでになって、 お居間は 端のほうへ変えられたお住居《すまい》であったから、 宮の御座と源氏自身の座の近さが覚えられて…

#藤原家隆#音に聞く松が浦島 今日ぞ見るうべ心ある海人は住みけり#ありし世の名残りだになき浦島に立ちよる波のめづらしきかな#ながめかる海人のすみかと見るからにまづしほたるる松が浦島#雨音落ちる日

源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸1年前

【源氏物語183 第九帖 葵56】惟光は結婚のための餅を 少納言の娘の弁に御寝室の枕元に差し上げるよう頼んだ。少納言は源氏の好意に涙した。源氏物語183です💐(間違っててすみません🙇) 人間はあさましいものである、 もう自分は一夜だって この人と別れていられようとも思えないと 源氏は思うのであった。 命ぜられた餠を惟光は わざわざ夜ふけになるのを待って持って来た。 少納言のような年配な人に頼んでは きまり悪くお思いになるだろうと、 そんな思いやりもして、 惟光は少納言の娘の弁という女房を呼び出した。 「これはまちがいなく御寝室のお枕もとへ 差し上げなければならない物なのですよ。 お頼みします。たしかに」 弁はちょっと不思議な気はしたが、 「私はまだ、 いいかげんなごまかしの必要なような交渉を だれともしたことがありませんわ」 と…

#藤原家隆#少納言#藤原隆家#大納言帥#三日夜餅#華足

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#藤原家隆#藤原俊成#寂蓮法師#競技かるた#百人一首

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【家隆塚】西海に沈む夕陽に端座合掌。桜の春に生涯を終えた歌人はじめに 鎌倉時代の歌人 #藤原家隆 が晩年 #夕陽庵 を結んだと伝わる #家隆塚。桜の春、目前に広がる西海に沈む夕陽に端座合掌しその生涯を終えました #摂津名所図会 #直木三十五 目次 満開の桜 家隆塚(かりゅうづか) 摂津名所図会の家隆塚 直木三十五と家隆塚 本文 満開の桜 家隆塚(かりゅうづか) (34.6581600, 135.5126610)/大阪市天王寺区夕陽丘町5−19/大阪メトロ・谷町線、四天王寺前夕陽ケ丘駅から徒歩3分、駐車場はありません 家隆塚(大阪市天王寺区) 鎌倉時代の歌人として、藤原定家と並び称された藤原家隆が、晩年(嘉禎二年、1236)、病を得て出家し、この地に夕陽…

#大阪夕陽丘#藤原家隆#家隆塚#直木三十五

源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸2年前

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#藤原家隆#禊#御手洗川#夕暮れ#風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける

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我が家の食卓ものがたり 寒い春の関東煮(おでん) 令和38皿目 お題「ささやかな幸せ」 数日前から、少し寒さが戻りました。 三寒四温と言いながら、彼岸が過ぎると、気温の変化を楽しみながら、春を待ちたいものです。 春は来ています。 花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春を見せばや by藤原 家隆 私の好きな春の和歌です。 花、つまり桜だけが春じゃない。 山里の雪にも、春は来ているし、見つけることも出来ます。 人の幸せも同じです。 飛び切りの幸せは、そうないんですよ。 日々の暮らしの生活の中にこそ、幸せが潜んでいます。 それを見つけられる方が、幸せな方だと思っています。 それに気づかずに、幸せを追い求め続ける人は、そうではない方かもしれません。 遠くにあるので…

#おでん#関東煮#藤原家隆

''かんとうしょうえ''の痛風日記8年前

手作り 紅ほっぺを使った苺ジャムを練り込んだケーキ より。朝から強い日差しです。今日の大阪は、天気予想によれば、3月上旬のような気温のようです。暦の上でも、今日は、二十四節気の立春でしたね。このまま、春に近づいて貰いたいところです。 花をのみ 待つらん人に 山里の 雪間の草の 春を見せばや 家隆卿の和歌が思い出されます。春はそこまでやって来ています。我が家に昨日、愛娘ゆうゆうの保育園の入園の知らせがやって来ました。 我が家にも春が近づいています。新しい生活が始まろうとしていますからね。春から住いを移す事になりそうです。 歌の「見せばや」で、「見せたい」という意味のようです。雰囲気的には、どや顔している感じが強いと感じるのは、私だけでしょうかね。 少し…

#ナルミの象さんの中皿#紅ほっぺを使ったいちごジャム#藤原家隆#花をのみ 待つらん人に 山里の 雪間の草の 春を見せばや

FX.GOLD.Crypt.CFD. アウトプット報告4日前

BTCUSD L. (2024/10/06)BTCUSD L. +5.33pips. (6.93+7.29+3.55+3.55)/4 守覺法親王家に五十首歌よませ侍りけるに、旅の歌 野辺の露うらわの 浪をかこちても ゆくへも知らぬ 袖の月影 藤原家隆朝臣 (新古今和歌集 巻第十 羈旅歌 935) tagiri.hatenablog.com Track all markets on TradingView { "colorTheme": "dark", "isTransparent": false, "width": "540", "height": "450", "locale": "en", "importanceFilter": "…

yachikusakusaki's blog9日前

秋の雲を詠んだ短歌 真夏日の今日,夕方見た雲は,すじ雲に少しだけ近づいているようにも思います. 白雲に羽うちかはし飛ぶ雁の数さへ見ゆる秋の夜の月 よみ人しらず ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲 佐佐木信綱 水に沈む秋ひとひらの黄色雲音なき寺の庭の真昼日 太田水穂 鱗雲鉄塔の上にひろがれり滑車一つが音立つるのみ 近藤芳美 すぐ軋む木のわがベッドあおむけに記憶を生かす鰯雲あり 寺山修司 目瞑ればまなうら寒くこがしつつ鯖雲ながるるふるさとなりき 河野裕子 よく晴れた,暑い1日.真夏日だったとのこと. 昼すぎの西の空.秋の浮雲と呼ぶのかもしれませんが,真夏の雲といえなくもないような気がします. 全国的に真夏日が続出の1日だったようです. 10月の真夏日は東京は三年ぶりで,仙台では統計開始後はじめてとのこと. https://tenki.jp/forecaster/domoto_yukiyo/2024/10/02/30808.html 来週の半ば以降,ようやく夏を脱出できそうですね. https://tenki.jp/forecaster/domoto_yukiyo/2024/10/02/30808.html そんな1日でしたが,それでも,夕方近く…

北条高時.com1ヶ月前

承久の乱、後鳥羽上皇のその後〜隠岐での暮らしと死後の怨霊騒動の真相後鳥羽上皇 承久の乱で隠岐に流された後鳥羽院。じつはわし、過日、隠岐に行ってきたので、今回はその時の雑感を交えながら、承久の乱のあとの後鳥羽院の隠岐での生活、その後に起きた怨霊騒動について解説するぞ。

yurikohasmell’s blog1ヶ月前

周防柳「身もこがれつつ」周防柳氏の作品はもちろん初めてで、鎌倉時代初期の京の都を舞台とした時代小説「身もこがれつつ」読了。420Pの長編で、かつ和歌が大きな主題となっていることから、私には読解力が足らず、時間がかかりました。作中にはたくさんの和歌がちりばめられていますが、ほとんどそこは飛ばさざるを得ない状況で、“読了”とはいいがたい読書となりました。 時代背景は、初めての武家政権である鎌倉幕府が東にでき、今まで栄華を誇った天皇を頂点とした貴族政権が弱体化。そんな時に天皇になったのが後鳥羽院。後鳥羽院は鎌倉幕府による武家政権を打倒すべく兵をあげて歴史をふり戻そうとした「承久の乱」を起こす。しかし、時代が戻ることはなく、…

charisの美学日誌2ヶ月前

[今日のうた] 8月 [今日のうた] 8月 何事も人に従ひ老い涼し (高濱虚子1942、虚子はこのとき68歳だが、当時の感覚では「老い」なのか) 8.1 炎天や僧形遠くより来たる (山口誓子1944、炎天で地面の空気がゆらゆらと揺れている、そのためか、道を歩いてこちらにやってくる僧が、とても遠くを歩いているように見える) 2 稲妻に頬向きかへて女ねむる (加藤楸邨『穂高』1940、家族で旅行したときの句、「女」は妻だろう、鋭い稲光を浴びたのが眠ったままで分るのか、目も覚まさずに反対側に顔を向けた) 3 汗の背にはるかな夕日わかちなし (飯田龍太1949『百戸の谿』、夕方になっても、山中の棚田では人々が一心に田草を取…

還暦おやじの趣味三昧2ヶ月前

白河の関~候補地が二つある?白河の関 福島はもちろん初めてではありませんが、前々から再度訪れたいと思っていました。なので、いよいよ福島行が決まってからは、司馬遼太郎さんの「街道をゆく 白河・会津のみち、赤坂散歩」で事前勉強に取り掛かりました。 この本の最初の章は「二つの関のあと」というのですが、なにやら内容がが頭にスッと入って来ませんでした。「白河の関」は有名な関所ですが、候補地が2つあるというのです。私が「白河の関」を知ったのは、学生時代に「奥の細道」を学んだ際だと思いますが、それ以来「いつか行きたい」とは考えていても、「行く場所が実は確定していない」とは思いもよりませんでした。 そもそも「白河の関」とは、パンフレット…

短歌を作ってみました。3ヶ月前

大阪の夕陽丘家隆が愛でた入り日の夕陽丘波見えずとも七坂のこる 大阪市天王寺区に、夕陽丘(ゆうひがおか)という地名があります。名前の由来は、鎌倉時代初期の公卿で歌人でもあった藤原家隆(ふじわらのいえたか)が、出家してこの地に「夕陽庵(せきようあん)」を設けて移り住んだためといわれます。今は内陸になっていますが、かつては大阪湾に沈む夕日を眺める絶好の地だったといいます。「七坂(ななさか)」というのは、当地にある、上町台地に登る七つの坂のことで、「天王寺七坂」と呼ばれます。 ランキング参加中はてな文芸部 ランキング参加中言葉を紡ぐ人たち

雲心月性...3ヶ月前

新古今和歌集 巻第一 春歌上 38春の夜の夢の 浮橋とだえして 峰にわかるる 横雲の空 藤原定家(新古今和歌集 巻第一 春歌上 38) (はるのよの ゆめのうきはし とだえして みねにわかるる よこぐものそら) 作者と出典 この歌の作者は「藤原定家(ふじわら の さだいえ/ていか)」です。平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した歌人です。 この歌の出典は、『新古今和歌集』(巻第一 春歌上 38)です。 『新古今和歌集』は、日本で8番目の勅撰和歌集です。建仁元年(1201年)、後鳥羽院の命により編纂されました。 勅撰和歌集とは、天皇や上皇(院)の命令で編集される和歌集です。藤原定家は、『新古今和歌集』の撰者のひとりです。この時代の…

k-sako’s diary4ヶ月前

新古今の景色(149)院政期(124)乱世の歌人・藤原定家(3)藤原俊成と美福門院加賀が紡ぐ「燦めきの天才相関図」再婚者同士の幾多の障害を乗り越えて俊成が美福門院加賀と結婚をし、願ってもない天才歌人の定家が生まれたのは俊成が49歳の時であったが、このことは、既に御子左家の後継者として俊成の養子となった当時24歳だった定長の将来を大きく変え、彼は、出家して寂蓮と称し、後に若き藤原家隆を歌道上の婿に迎えて、共に御子左家を支える事になる。 その事はさておき、俊成は美福門院加賀との結婚により、彼女が前夫の為経(寂超)との間に産んだ隆信を手元で育てるのだが、この隆信こそ、今も世界屈指の肖像画と評される『国宝・伝頼朝像』の作者である。 当時、似絵(肖像画)の第一人者と謳われていた藤原隆信は、生母が美福門院加賀であった…

剣持雅舟のブログ4ヶ月前

早苗とる情緒などなくなった現代吾妹子が赤裳ひづちて植ゑし田を刈りて収めむ倉無の浜 柿本人麻呂 さなへとは誰がいひけむ山里をみせばや田子の早苗とる頃 藤原家隆 まだとらぬ早苗の葉末靡くなりすだく蛙の声の響きに 慈円 早苗とる手もとや昔しのぶ摺 芭蕉 山おろし早苗を撫でて行方哉 蕪村

yachikusakusaki's blog5ヶ月前

富士を詠んだ歌2 一昨日出かけた江の島稚児ヶ淵から見た富士:気持ちを和ませる美しさ. 富士の嶺の煙もなほぞ立ちのぼるうへなきものはおもひなりけり 藤原家隆 風になびく富士のけぶりの空に消えてゆくへも知らぬわが思ひかな 西行 ひさかたの三日月の湖ゆふ暮れて富士の裾原雲しづまれり 伊藤左千夫 富士のねの石の室屋の岩枕ゆめ白くもの上にただよふ 佐佐木信綱 遠つあふみ大河ながるる国なかば菜の花さきぬ富士をあなたに 与謝野晶子GW後半,4日目の今日.空には雲がどんより立ちこめて,もちろん富士も見えず. 5月3日,4日,5日,ほとんど雲はなく晴れ渡った3日間でした. 夕焼けの富士は,真冬ほどクリアではないものの,とても美しく,気持ちを和らげてくれました. 江の島弁天橋(3日),稚児ヶ淵(4日),鎌倉稲村ヶ崎(5日)から見る富士. 特に5月4日は,雲ひとつない晴天. 稚児ヶ淵まで,徒歩で出かけました.その行程,稚児ヶ淵,最後に起点に戻って弁天橋の写真を以下にアップします. 瑞心門. 途中に見かけたマルバウツギ. 道中,片瀬漁港を望む. 奥津宮 稚児ヶ淵. 帰路. 瑞心門前から仲見世通りを見おろして. 再び戻ってきた弁天…

あぁ長良川、長良川。5ヶ月前

お城探訪【小峰城】白河の関、棚倉城、赤館城そうだお城へ行こう。 今回は再びの福島県 小峰城へとお伺い致しました。 東京から行けば新幹線で丁度良い1時間で新白河へ到着。 こんにちは新白河。 こんにちは白河の関。 こんにちは芭蕉さん。 着いたらまず昼飯を食う。 白河と言えば、白河ラーメンだということで駅前にあるラーメン屋へ向かう。 (手打中華せきた)の醤油ワンタン麺 ¥950 名前はうろ覚えだがワンタン麺である。 店内は昭和感があり、競馬中継のテレビ、地元の方々が多く、ちょっとドキッとしたがどっしり構えてカウンター席へ。 優しいお味でちぢれ麺が美味しかった。チャーシューもしっかり2枚あり。 お腹も膨れたので、目的地へと向かう。 今回の旅の…

聚秀 蓮・慈光美術 6ヶ月前

利休忌 茶会まさに春の嵐といっていい天候の中、利休を偲んでの茶会を開いた。 千利休の忌日 利休忌としてこの時期、各流派で茶会がひらかれている。 天正十九年二月二十八日、豊臣秀吉の命を受け自死した。 新暦では表千家不審庵は二十七日、裏千家今日庵と藪内燕庵は二十八日に 挙行する。 毎月二十八日には聚光院で三千家が交代で供茶釜をかけ、 各流派でも行っている。 利休の肖像又は居士号を掛け、その前に三具足を飾る。 三具足とは仏事に用いる「香炉」「華瓶」「燭台」を指す。 釜は釣釜又は阿弥陀堂釜、国師釜をかける。 花は菜の花を手向ける。 その後七事式を催すのが恒例となっている。 「辞世の句」 人生七十 (じんせいしちじ…

ヨムヨムの素敵本紹介ブログ7ヶ月前

【幻坂】心温まる大坂ホラー今回の紹介本は、「幻坂」です。 【本書のあらすじ】 幼い頃、清水坂でよく遊んだ幼いヒナちゃん。不慮の事故で亡くなったヒナちゃんを偲んで、清水坂を通る人に語りかける。坂の傍らにはあのころと同じ、山茶花が咲いています。ーー「清水坂」作家志望の美咲と愛染坂で会い、恋仲になるが、新作に苦悩する新進作家の私。いつしか二人の関係に亀裂が入り・・・。亡くなった美咲の四十九日に愛染坂で再び二人は会えるのか…切ない悲恋を描いた「愛染坂」。七坂を舞台に歴史的因縁や文化的背景を織り交ぜながら、大阪の人々をリアルに叙情的に描いた傑作9編。傑作と話題沸騰の、大阪で頓死したといわれる芭蕉の最期を怪談に昇華した「枯野」。怪…