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明石の御方

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いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸1ヶ月前

【10分で聴く源氏物語 第13帖 明石2】亡き父帝が現れ「住吉の神が導いてくださるのについて、この浦を去るがよい」。明石入道は「雨風が止んだら、源氏の君の所に行け」という夢のお告げがあった‥by🐱🪻【源氏物語345 第13帖 明石7】風雨もおさまってきた。屋敷は焼けてしまい 皆、後始末に奔走する。漁村の住人達が気にかけて集まってくれた。 〜そのうち風が穏やかになり、 雨が小降りになって星の光も見えてきた。 そうなるとこの人々は源氏の居場所が あまりにもったいなく思われて、 寝殿のほうへ席を移そうとしたが、 そこも焼け残った建物がすさまじく見え、 座敷は多数の人間が逃げまわった時に踏みしだかれてあるし、 御簾《みす》なども皆風に吹き落とされていた。 今夜夜通しに後始末をしてからのことに決めて、 皆がそんなことに奔走している時、 源氏は心経《しんぎょう》を唱えながら、 静かに考えてみるとあ…

#海にます神のたすけにかからずば潮のやほあひにさすらへなまし#明石入道#明石#明石市#明石の御方

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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸5ヶ月前

【源氏物語659 第21帖 乙女14】大臣は、母の大宮に、嵯峨の山荘の明石の上が、琵琶が非常に上手だあるという話をした。大臣は大宮に琴を引くことをお勧めする。「琵琶《びわ》は女が弾くとちょっと反感も起こりますが、 しかし貴族的なよいものですね。 今日はごまかしでなく ほんとうに琵琶の弾けるという人はあまりなくなりました。 何親王、何の源氏」 などと大臣は数えたあとで、 「女では太政大臣が嵯峨の山荘に置いておく人というのが 非常に巧《うま》いそうですね。 さかのぼって申せば音楽の天才の出た家筋ですが、 京官から落伍《らくご》して地方にまで行った男の娘に、 どうしてそんな上手《じょうず》が出て来たのでしょう。 源氏の大臣はよほど感心していられると見えて、 何かのおりにはよくその人の話をせられます。 ほかの芸と音楽は少し性質が変わっていて、 多く聞き、多…

#嵯峨#山荘#明石入道#明石の尼君#明石の御方

源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸9ヶ月前

🍁【源氏物語567 第18帖 松風31】日暮れ前に参内しようとして出かけぎわに、大井の明石の上に 源氏は隠すように手紙を書く。こまごまと書かれている様子がうかがわれるのであった。二条の院に着いた源氏はしばらく休息をしながら 夫人に嵯峨《さが》の話をした。 「あなたと約束した日が過ぎたから私は苦しみましたよ。 風流男どもがあとを追って来てね、 あまり留めるものだからそれに引かれていたのですよ。疲れてしまった」 と言って源氏は寝室へはいった。 夫人が気むずかしいふうになっているのも気づかないように源氏は扱っていた。 「比較にならない人を競争者ででもあるように考えたりなどすることも よくないことですよ。 あなたは自分は自分であると思い上がっていればいいのですよ」 と源氏は教えていた。 日暮れ前に参内しようとして出かけぎわに、 源氏は隠すように紙を持って手紙を書いているのは大…

#明石の御方#大堰#日暮前#帰京#参内

🪻源氏物語&古典blog 和歌&漢文🪻9ヶ月前

久方の 光に近き 名のみして 朝夕霧も 晴れぬ山ざと〜源氏の君 勅答の歌【18帖 松風🌿】帝の 月のすむ 川のをちなる 里なれば かつらのかげは のどけかるらむ 〜月が住む…澄んでいる川の向こうにあるという桂の里だから、 月の光をゆっくり眺めることができることであろう。 これに対しての返歌になります。 久方の 光に近き 名のみして 朝夕霧も 晴れぬ山ざと【源氏の君 勅答の歌】 〜桂の里といえば月に近いように思われますが それは名ばかりで朝夕霧も晴れない山里です 〈18帖 松風より〉 大井の野に残った殿上役人が、 しるしだけの小鳥を萩《はぎ》の枝などへつけて あとを追って来た。 杯がたびたび巡ったあとで 川べの逍遥《しょうよう》を危《あや》ぶまれながら 源氏は桂の院で遊び暮らした。 …

#久方の光に近き名のみして朝夕霧も晴れぬ山ざと#光る君へ#紫式部#明石の御方#松風

源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸1年前

【源氏物語585 第18帖 松風9】出立の日の夜明け、秋風が吹き 虫の声をする門出の日、父も娘も忍ぶことができず泣いていた。夜光の珠のような孫娘の姫君との別れを思い 悲しみに暮れる入道。出立の日の夜明けに、 涼しい秋風が吹いていて、 虫の声もする時、 明石の君は海のほうをながめていた。 入道は後夜《ごや》に起きたままでいて、 鼻をすすりながら仏前の勤めをしていた。 門出の日は縁起を祝って、 不吉なことはだれもいっさい避けようとしているが、 父も娘も忍ぶことができずに泣いていた。 小さい姫君は非常に美しくて、 夜光の珠《たま》と思われる麗質の備わっているのを、 これまでどれほど入道が愛したかしれない。 祖父の愛によく馴染んでいる姫君を入道は見て、 「僧形《そうぎょう》の私が 君のそばにいることは遠慮すべきだと これまでも思いながら、 片時だってお顔を見ねばいられなかった私は、 …

#松風#門出#源氏物語#明石の御方#光る君へ

源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸1年前

【源氏物語581 第18帖 松風 5】明石入道から 修繕された大堰の山荘を明石の君の家とすると知らせが来た。聡明なやり方だと源氏は思った。「私のほうでは田地などいらない。 これまでどおりに君は思っておればいい。 別荘その他の証券は私のほうにあるが、 もう世捨て人になってしまってからは、 財産の権利も義務も忘れてしまって、 留守居《るすい》料も払ってあげなかったが、 そのうち精算してあげるよ」 こんな話も相手は、 入道が源氏に関係のあることを におわしたことで気味悪く思って、 私慾《しよく》をそれ以上たくましくはしかねていた。 それからのち、 入道家から金を多く受け取って大井の山荘は修繕されていった。 そんなことは源氏の想像しないことであったから、 上京をしたがらない理由は何にあるかと怪しんでは、 姫君がそのまま田舎に育てられてい…

#山荘#明石の御方#大堰#嵯峨野#大井川

源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸1年前

【源氏物語578 第18帖 松風2】源氏から上京を促されるものの、明石の君は、身分の低さを不安に思う。姫君を田舎に置くこともできない。明石の君も両親も煩悶する。明石へは始終手紙が送られた。 このごろは上京を促すことばかりを言う源氏であった。 女はまだ躊躇《ちゅうちょ》をしているのである。 わが身の上のかいなさをよく知っていて、 自分などとは比べられぬ都の貴女《きじょ》たちでさえ 捨てられるのでもなく、 また冷淡でなくもないような扱いを受けて、 源氏のために 物思いを多く作るという噂《うわさ》を聞くのであるから、 どれだけ愛されているという自信があって その中へ出て行かれよう、 姫君の生母の貧弱さを人目にさらすだけで、 たまさかの訪問を待つにすぎない京の暮らしを考えるほど 不安なことはないと煩悶《はんもん》をしながらも明石は、 そうかといって姫君をこの…

#松風#源氏物語#明石市#紫式部#明石の御方

源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸1年前

【源氏物語453 第14帖 澪標27】源氏は紫の上に言い訳をしながら、上包みに書かれた字だけを見せた。貴女も恥ずかしいほどの 品の良い手跡である。「そんなにあなたに悪く思われるようにまで 私はこの女を愛しているのではない。 それはただそれだけの恋ですよ。 そこの風景が目に浮かんできたりする時々に、 私は当時の気持ちになってね、 つい歎息《たんそく》が口から出るのですよ。 なんでも気にするのですね」 などと、 恨みを言いながら上包みに書かれた字だけを夫人に見せた。 品のよい手跡で貴女《きじょ》も恥ずかしいほどなのを見て、 夫人はこうだからであると思った。 ❄️🎼去りゆく冬を謳う written by 小林 樹 ❄️ 少納言のホームページ 源氏物語&古典 syounagon-web ぜひご覧ください🪷 https://syounagon-w…

#藤原家隆#寂蓮法師#明石の御方#十二単#指貫

源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸1年前

【源氏物語408 第13帖 明石70】明石の上は可憐なふうに泣く。源氏は今日から持ってきた琴をとりに行かせて優れた難しい曲を弾いた。このたびは 立ち別るとも 藻塩《もしほ》焼く 煙は同じ 方《かた》になびかん と源氏が言うと、 かきつめて 海人《あま》の焼く藻《も》の 思ひにも 今はかひなき 恨みだにせじ とだけ言って、 可憐《かれん》なふうに泣いていて 多くは言わないのであるが、 源氏に時々答える言葉には情のこまやかさが見えた。 源氏が始終聞きたく思っていた琴を 今日まで女の弾こうとしなかったことを言って源氏は恨んだ。 「ではあとであなたに思い出してもらうために 私も弾くことにしよう」 と源氏は、京から持って来た琴を浜の家へ取りにやって、 すぐれたむずかしい曲の一節を弾いた。 🪷🎼正月用のシンプルな琴 written b…

#柿本人麻呂#三十六歌仙#明石の御方#中宮#立后

源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸1年前

【源氏物語365 第13帖 明石27】明石入道が娘の琴の音をお聞き入れたいとの事に対して、源氏は、お嬢さんのを聞かせていただきたいと言う。「不思議に昔から十三絃の琴には女の名手が多いようです。 嵯峨《さが》帝のお伝えで女五《にょご》の宮《みや》が 名人でおありになったそうですが、 その芸の系統は取り立てて続いていると思われる人が見受けられない。 現在の上手というのは、 ただちょっとその場きりな巧みさだけしかないようですが、 ほんとうの上手がこんな所に隠されているとは おもしろいことですね。 ぜひお嬢さんのを聞かせていただきたいものです」 【源氏物語 13帖 明石(あかし)】 連日のように続く、豪風雨。 源氏一行は眠れぬ日々を過ごしていた。 ある晩、二条院から紫の上の使いが訪れ、 紫の上からの文を読んだ源氏は 都でもこの豪風雨が発…

#嵯峨天皇#琴#琵琶#明石の御方#清少納言

その日暮らし1日前

「源氏物語の世界展」中編会場の中心には、源氏物語のワンシーンを再現した模型がありました。メインは青海波を踊る光君と頭中将なんだけど、裏側には源氏物語の他のシーンや、女房たちの一般的な生活模様などもあり。こちら、建物の奥の横側からのぞき見できるところ。人に絶対顔を見せたくない女性たちがいますね。悪いことしてる気持ち。 こちらは源氏物語のワンシーン、年の暮れに光君が、紫の上と一緒に、六条院の女君たちへ送る衣装をあれこれ考えているところ。女君たちの個性が表れているようで興味深かったけど、文章だけでは、色や雰囲気がどうにも想像できない。それが再現されていました。なるほどなるほど・・・。 ちなみに他の女君に会ったことのない紫の…

源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸16日前

【源氏物語 第23帖 初音〈はつね〉】光源氏 36歳の新春🌸明石の上は姫君に「年月を松にひかれて経る人に今日鴬の初音聞かせよ」の歌を贈る。新春を迎えた六条院は、この世の極楽浄土の如く麗らかで素晴らしかった。 源氏は春の町で紫の上と歌を詠み交わし、新年を寿いだ。 紫の上の下で養育されている明石の姫君に生母明石の御方から贈り物と和歌が届き、 源氏は娘との対面も叶わぬ御方を哀れに思う。 夕暮れ時、源氏は贈った晴れ着を纏う女君たちの様子を見に花散里と玉鬘、 さらに明石の御方を尋ねる。 その夜はそのまま明石の御方の元に泊まり、紫の上の不興を買う。 二日は臨時客の儀に大勢の公達が訪れ、特に若者たちは噂の玉鬘に皆気も漫ろだった。 その後源氏は二条東院の末摘花や空蝉を訪問、女君たちの身の回りに気を配った。 また今年は男踏歌があり、 六条院に回り…

りぼんの読書ノート1ヶ月前

ミライの源氏物語(山崎ナオコーラ)直前に読んだ『十二単衣を着た悪魔(内館牧子)』は、光源氏の敵役であった弘徽殿女御の視点から、光源氏に対する違和感を浮き彫りにさせてくれる小説でした。本書は、現代の社会規範から見た時に感じざるを得ない違和感を、具体的に列挙してくれた「解説書」です。 もちろん著者の意図は「批判」ではありません。「平安時代の素晴らしい物語作家」であった紫式部を、「進歩的」などと無理に誤読することなく、書かれてあることを素直に読み解いて未来に生かしていくことが、「読者の道」であるとの前書きには、素直にうなずけます。『源氏物語』のストーリーとヒロインたちを熟知している人なら、各章のタイトルを並べるだけで納得できるはずな…

bitterharvest’s diary4ヶ月前

松本の博物館・美術館を訪ねる旅行5日目で最終日、市街の東と西にある博物館・美術館を見学の予定である。その間は5km近く離れていて、往復すると10kmになる。この距離だと公共の交通機関をうまく利用したくなる。嬉しいことに、松本市は観光客のために松本周遊バス「タウンスニーカー」を東西南北それぞれに用意している。今回は東と西のコースを利用した。 松本市の東にあがたの森公園がある。そして、そこに旧制松本高校の校舎がある。また、近くに松本市美術館もある。 西には、日本浮世絵博物館と松本市歴史の里がある。 この日、最初に訪れたのは旧制高校の一つである松本高校である。戦後80年も経っているので、旧制高校のことを知っている人は少なくなっ…

鈴麻呂日記6ヶ月前

いやぁ、そういう見方、確かにな〜:読書録「ミライの源氏物語」・ミライの源氏物語著者:山崎ナオコーラ出版:淡交社 大河ドラマ(光る君へ)の便乗本…じゃないかな?出版は23年3月だし。その頃には決まってたから、「狙った」って可能性もなきにしも…?どっちでもいいんですが、僕が大河の「副読本」として読んだのは確かですw。 「千年も前の作品なんだし、そのころ書いた人/読んだ人の考え方や常識は今と違う。それを今の視点から批判するのは無意味」…ってのは当然だし、著者もそんなことは重々承知。「その当時の人はどんな風に考えたり、とらえたりしていたか」をベースにするのは研究者なら当然だし(ナオコーラさんは源氏物語を研究されてたことがあります)、そういう視点で読書するってい…

源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸6ヶ月前

【源氏物語 第21帖 乙女 〈おとめ〉】光源氏33歳の夏から35歳冬。 源氏の息子夕霧が、12歳で元服。 しかし源氏は夕霧を敢えて六位にとどめて大学に入れた。 源氏の養女斎宮女御が冷泉帝の中宮に立后。 内大臣は、雲居の雁を東宮妃にと期待をかけるが、彼女は夕霧と密かに恋仲になっていた。光源氏33歳の夏から35歳冬の話。 源氏の息子夕霧が、12歳で元服を迎えた。 しかし源氏は夕霧を敢えて優遇せず、六位にとどめて大学に入れた。 同じ年、源氏の養女斎宮女御が冷泉帝の中宮に立后する。 源氏は太政大臣に、右大将(頭中将)は内大臣になった。 立后争いで源氏に敗れた内大臣は、 大宮に預けている次女雲居の雁を東宮妃にと期待をかけるが、 彼女は共に育った幼馴染の従兄弟・夕霧と密かに恋仲になっていた。 これを知った内大臣は激怒し、雲居の雁を自らの邸に引き取ると宣言。 大宮を嘆かせる。 邸への引越し当日。 諦め切れない夕霧は密かに、雲居の雁へ逢いに行く。 涙ながらに別れを惜しむ二人。 そこへ女房…

源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸8ヶ月前

【源氏物語 第19帖 薄雲 Usugumo】🪷光源氏31歳冬から32歳秋の話〜明石の御方は源氏に姫君を委ねる。藤壺の宮の崩御🪷光源氏31歳冬から32歳秋の話。 明石の御方は悩みぬいた末、 母尼君の説得もあって姫君を源氏に委ねることを決断する。 雪の日に源氏が姫君を迎えに訪れ、明石の御方は涙ながらにそれを見送った。 二条院では早速盛大な袴着が行われ、 紫の上も今は姫君の可愛らしさに魅了されて、 明石の御方のことも少しは許す気になるのだった。 翌年、太政大臣(頭中将と葵の上の父)が亡くなり、 その後も天変が相次いだ。 不安定な政情の中、3月に病に臥していた藤壺が37歳で崩御。 源氏は悲嘆のあまり、念誦堂に篭って泣き暮らした。 法要が一段落した頃、 藤壺の時代から仕えていた夜居の僧が、冷泉帝に出生の秘密を密かに告げた。 …

超革新ひふみ神示8ヶ月前

光源氏物語モデルと紫式部藤原道長は、藤原氏の全盛期の「平安貴族」 であるかのように認識されがちですが 違うという方もいます。 菅原道真公を左遷し餓死のような状態に 追いやった藤原時平は39才で死んだけど、 弟の藤原忠平は左遷に反対していて、 その忠平の系統だけが出世するようになったそうで。 検索してみると『十訓抄』にそのような記述があるそうで。 道長は忠平の曾孫だとか。 Wikipeddiaによると忠平の長男の実頼は時平の娘の婿に入っていた。 次男の師輔は道真公を御祀りする北野天満宮を 支援していて、「道真の怨霊によって 実頼の系統の絶滅を願ったのではないか」 という方もいらっしゃるとか。 この師輔が九条家の開祖とさ…

風の旅人 〜放浪のすすめ〜9ヶ月前

第1410回 今こそ知るべき源氏物語に秘められた真相(3)二日間にわたった源氏物語と紫式部の背後に秘められたことについて長文を書いてきたが、これがまとめ。 ここに添付した地図に、その全てが凝縮しており、これを見ると、紫式部や藤原道長と同時代の陰陽師である安倍晴明すら、ここに関わっているかもしれないと思われる。 二日前の投稿で、京都の堀川通に紫式部と小野篁の墓が並んで築かれている謎について書いた。安倍晴明の館(現在は晴明神社)は、同じ堀川通を1kmほど南に下ったところである。 このすぐ西が、平安京の中心の内裏だった。 そして、二日前にも説明したように、平安京の4つの角、東北の鬼門、東南の風門、西北の天門が小野郷であり、西南の人門だけが春日で、ここには紫…

風の旅人 〜放浪のすすめ〜9ヶ月前

第1409回 今こそ知るべき源氏物語に秘められた真相(2)昨日、紫式部を主人公にしたNHK「大河ドラマの」への違和感から、源氏物語が書かれた背景について長文を投稿したが、本題はここからである。 さらに、2日前の投稿において、「”もののあはれ”という日本のコスモロジーは、古代ギリシャでは無知の知、古代インドでは無我の境地、古代中国では無の思想という、いずれも今から2500年前に生まれたコスモロジーと同質のもので、文明が、あるピークに到達すると、古今東西、こういうコスモロジーに至るという法則のようなものなのであり、日本の特徴的なところは、中世文化である茶道や日本庭園や俳句などのワビとサビ、能の幽玄なども”もののあはれ”の流れの中にあるため、日本は、欧米や…

風の旅人 〜放浪のすすめ〜9ヶ月前

第1408回 今こそ知るべき源氏物語に秘められた真相(1)源氏物語の後半の舞台、宇治にある宇治平等院。もとは、藤原道長や宇多天皇の別荘。末法思想の影響で、道長の息子の頼通が寺に改めた。 ネットニュースで、NHKの大河ドラマで紫式部のストーリーが始まったと伝えられていた。 それに付随する形で、源氏物語の専門家が様々な解説をしているのを読んで、ゲンナリした。 彼らの解釈は、1000年前の人間模様を現代文明の中で生きている自分たちの価値観に引き寄せすぎで、自分の尺度で対象を分析するという、20世紀にレヴィー・ストロースが批判した現代の文化人類学スタンスから脱し切れていない。 今回の大河ドラマの脚本家は恋愛ものが専門みたいで、紫式部が生きた時代のことに疎いの…

源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸9ヶ月前

源氏物語 第19帖 薄雲(うすぐも)🪷光源氏31歳冬から32歳秋の話。明石姫君は紫の上に養育される。病に臥していた藤壺が崩御する。🪷光源氏31歳冬から32歳秋の話。 明石の御方は悩みぬいた末、 母尼君の説得もあって姫君を源氏に委ねることを決断する。 雪の日に源氏が姫君を迎えに訪れ、 明石の御方は涙ながらにそれを見送った。 二条院では早速盛大な袴着が行われ、 紫の上も今は姫君の可愛らしさに魅了されて、 明石の御方のことも少しは許す気になるのだった。 翌年、太政大臣(頭中将と葵の上の父)が亡くなり、 その後も天変が相次いだ。 不安定な政情の中、 3月に病に臥していた藤壺が37歳で崩御。 源氏は悲嘆のあまり、念誦堂に篭って泣き暮らした。 法要が一段落した頃、 藤壺の時代から仕えていた夜居の僧が、 冷泉帝に出生の秘密を密かに告げ…

inner-castle’s blog10ヶ月前

六条院でのリベンジ(源氏物語妄想)竹橋の丸紅ギャラリーで、源氏物語若菜の段の女楽のくだり「明石の御方」の衣装を復元展示していると聞き、さっそく行ってきた。文字通り、復元された平安時代女房装束と生地、それと対照させた現代皇室の衣装の写真パネルだけの小規模展示で、少し物足りない気がしたが、生糸問屋だった丸紅ならではの衣装についてのこだわりだったのだろう。 当時の紫は、現代の染料とは違う草木染めなので野菊のような「薄紫」である。その上に柳の織物の細長、萌黄の小袿を重ね、身分の高い方と同席なので羅の裳を軽くかけて卑下した衣装が展示されていた。今回改めて気がついたが、下着と袴の上に最初に着る重袿(かさねうちぎ)は複数枚(展示されたものは…

よじょうブログ1年前

源氏物語感想(若菜下)柏木クソすぎるだろ!前回の源氏物語感想からだいぶ時が経ってしまいました…。すみません。 最近、大河効果で源氏物語関連書籍がいっぱい発売されていてついつい色々買ってしまっています。読みきれないのに…。「推しジャンルの供給がすごい!」みたいな心境です。 感想をコンスタントに上げられていたときから最後まで読み終わってはいたので、今や記憶がだいぶ薄まってしまっております…。 読んでいた時のメモに基づいて「若菜下」の感想&好きなシーン(好きなシーンを小見出しにしています)をメモしておきたいなと思います。 <注意>光源氏と柏木への暴言がすごいです。お気をつけください!!!!!! 前回の感想はこちら 蛍兵部卿の宮 源氏の弟宮で…

源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸1年前

【源氏物語 第18帖 松風(まつかぜ)】〜光源氏31歳秋の話。二条東院に花散里をうつらせた。明石の御方を迎えるつもりであったが、明石入道は大堰の山荘を修理して 明石 尼君 明石姫君を住まわせる。光源氏31歳秋の話。 二条東院が完成し、源氏は西の対に花散里を移らせた。 東の対には明石の御方を迎えるつもりだったが、 明石入道は源氏に文で 「娘・明石の御方も住みなれたここを離れて、 上洛することには不安を抱えています。」 と伝えた。 大堰川近くの山荘(母方の祖父・中務宮の別荘)を修理して 娘をそこへ住まわせることに決めたという。 ちょうど源氏が建てた嵯峨野の御堂も近くにあり、 明石の御方は父入道を一人明石に残して姫君や母尼君と共に上京する。 しかし源氏はなかなか大堰を訪れず、 明石の御方は琴を爪弾き無聊を紛らわせていた。 源氏は紫の上に気を遣いながらも、 御堂の様子を見に行くとの口実でよう…