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高欄

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歩・探・見・感6ヶ月前

新宿歴史博物館に展示されている四谷見附橋の高欄とコヒガンザクラ新宿歴史博物館を訪れると、サンクンガーデン(地下式庭園)にあるコヒガンザクラが満開だった。訪問日 2024年3月28、30日 訪問場所 新宿歴史博物館(東京新宿区四谷三栄町20-16)博物館のエントランスに四谷見附橋の高欄が展示されている。 大正2年(1913)10月に開通した四谷見附橋の欄干の一部です。四谷見附橋は、現在の国道20号線(甲州街道)にかかる橋で、JR中央線四ッ谷駅を跨ぎ、新宿区と千代田区を結んでいます。 この橋がかかるまで四谷見附は、江戸城防備のため甲州街道の要衝として築かれたコの字状の枡形の名残をとどめ、麹町方面には直進することができませんでした。そこで東京市は、甲州街道を直…

#新宿歴史博物館#四谷見附橋#高欄#桜#コヒガンザクラ#新宿区

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🪻源氏物語&古典blog 和歌&漢文🪻1年前

咲く花に 移るてふ名は つつめども 折らで過ぎうき 今朝の朝顔🌼 六条御息所の女房 中将の君へ by 光る君咲く花に 移るてふ名は つつめども 折らで過ぎうき 今朝の朝顔🌼 六条御息所の女房 中将の君へ by 光る君💐 〜咲く花のように美しい貴女に心を移したという風評は はばかられますが、 やはり手折らずには 素通りしがたい 朝顔の花(中将の君)です。 💐第4帖 夕顔 💐 いろいろに咲いた植え込みの花に心が引かれるようで、 立ち止まりがちに源氏は歩いて行く。 非常に美しい。 廊のほうへ行くのに中将が供をして行った。 この時節にふさわしい淡紫《うすむらさき》の薄物の裳《も》を きれいに結びつけた中将の腰つきが艶《えん》であった。 源氏は振り返って 曲がり角の高欄の所へしばらく中将を引き据《す》えた。 …

#咲く花に移るてふ名はつつめども折らで過ぎうき今朝の朝顔#中将の君#指貫#高欄#夕顔の花

源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸2年前

若紫を二条院に迎える【源氏90 第六帖 末摘花10】若い公達は行幸の日を楽しみに舞曲の勉強をしている。源氏も含め皆 稽古に忙しい。若紫を二条院に迎えた。夜になってから退出する左大臣に伴われて源氏はその家へ行った。 行幸の日を楽しみにして、 若い公達《きんだち》が集まるとその話が出る。 舞曲の勉強をするのが仕事のようになっていたころであったから、 どこの家でも楽器の音をさせているのである。 左大臣の子息たちも、 平生の楽器のほかの大篳篥《おおひちりき》、 尺八などの、大きいものから太い声をたてる物も混ぜて、 大がかりの合奏の稽古《けいこ》をしていた。 太鼓までも高欄の所へころがしてきて、 そうした役はせぬことになっている公達が 自身でたたいたりもしていた。 こんなことで源氏も毎日|閑暇《ひま》がない。 心から恋しい人の所へ行く時間を盗むことはで…

#篳篥#太鼓#高欄#行幸#公達

浜西慎一の日本文化を探る旅7日前

浜西慎一が訪れた神々の島!嚴島神社の神秘と歴史を解き明かす皆様、こんにちは。日本各地の神社仏閣を巡り歩く旅人、浜西慎一です。 潮の香りが漂う早朝、朝もやの中からおもむろに姿を現す朱塗りの大鳥居。水面に映る姿は、まるで天と地の境界線を結ぶかのようです。私、浜西慎一が数十年にわたって日本全国の神社を巡る中で、これほどまでに心を揺さぶられた場所はありません。 世界遺産にも登録された嚴島神社は、年間で約450万人もの参拝者が訪れる日本を代表する神社のひとつです。海上に建てられた独特の社殿は、潮の満ち引きとともにその表情を変え、訪れる人々を魅了し続けています。 今回は、私が幾度となく足を運んだ嚴島神社の魅力を、その歴史や建築、言い伝えとともにご紹介します。 嚴…

交通遺産をめぐる10日前

伊勢市 大口橋 (2022. 5. 2.)三重県伊勢市・旧神社町域.大工場の陰にひっそりと残る大正期のRC桁橋.

10月うさぎの部屋13日前

東海道(佐屋街道)を歩く 38.近鉄長島駅~桑名駅前回、神守口バス停から近鉄長島駅まで歩いた。今回は近鉄長島駅から桑名駅まで歩こうと思う。「近鉄四日市駅まで歩くんじゃないの?」と思った人もいるかもしれないが、桑名観光しているうちにまたしてもゲリラ豪雨が降り始めたことと、桑名駅と近鉄四日市駅までが遠く、やむなく桑名駅でリタイアとなったのだった。そのため「東海道を歩かない 桑名編」に近いテイストになっていることをご了承いただきたい。 1.六華苑 2.七里の渡し 3.春日神社 4.桑名城壁 5.石取会館 初回記事はこちら↓ octoberabbit.hatenablog.com 前回記事はこちら↓ octoberabbit.hatenablog.c…

こじか日記 私家版B18日前

松山城 日本100名城スタンプラリー第六十五回2023.02.23(木) 今回は愛媛県(旧伊予国)松山市の「松山城」です。 現存12天守の中で最も新しい天守を残す松山城。失火や戦災で失われた建物を木造で復元して往時の姿を再現しています。 松山城本壇を本丸から 今の天守は落雷で焼失した本壇を1854年(安政元年)に再建した時の物 日本100名城スタンプは本壇手前の切符売り場でGETしました。 松山城へ! ロープウェイ山頂駅の「長者ヶ平」から上って最初に見えてくる石垣 見えているのは「巽櫓」(復元) 進んで「揚木戸門跡」から振り返る、本丸で一番高い石垣(17m) 石垣天端石上に見えるのは「隠門続櫓」(重要文化財) 二の丸から登ってくるルートに…

古都の名残を求めて18日前

法隆寺西院伽藍中門の構造を考える法隆寺西院伽藍中門にて撮影 法隆寺中門は構造的には珍しく、門のど真ん中に巨大な柱が立っている。かつては法隆寺を参拝するときには、中門から入っていたようである。現在は回廊の最も西側に拝観料を支払う場所があり、そこから境内に入っていく。現在の拝観料は西院伽藍・大宝蔵院・東院伽藍の三カ所がセットで1500円である(一般1,500円 / 小学生750円)。これが令和7年3月1日よりの拝観料金改定が行われる予定で、個人料金(1名に付き)大人・大学生・高校生 2,000円となる。また中学生 1,700円 / 小学生 1,000円となる。法隆寺は飛鳥時代の貴重な建造物や仏像が多いので、貴重な寺院というのは分…

交通遺産をめぐる19日前

知多市 記念橋 (2024. 1. 28.)愛知県知多市,旧八幡町域.凝った装飾を有する戦前生まれのRC桁橋.

甲信寺社宝鑑20日前

【春日井市】内々神社今回は愛知県春日井市の内々神社(うつつ-)について。 内々神社は市北部の内津町地区の山際に鎮座しています。 創建は不明。『延喜式』に記載された式内社であり、平安時代には確立されていたようです。平安から鎌倉にかけての沿革は不明ですが、創建以来、当地の総鎮守として近隣の住人や武家の崇敬を集めました。室町前期には、同市の密蔵院を開いた慈妙によって当社境内に神宮寺(内津妙見寺)が開かれ、幕末まで妙見宮と呼ばれました。 現在の境内は江戸後期に整備されたものと思われます。内々神社の東側には内津妙見寺が並立し、神仏習合の時代のおもかげが色濃く残ります。境内北側には禅宗寺院風の庭園があり、伝承によると夢窓疎石…

owari-oyajiの放浪記20日前

西国三十三所第14番「園城寺(三井寺)」琵琶湖西岸の大津市南部の長等山中腹に鎮座する天台寺門宗の総本山。山号を長等山と号し、正式名は園城寺で三井寺として知られ、三井寺は西国三十三所第14番札所でもあります。先に掲載した三尾神社から、北へ3分程の園城寺前交差点を左折すれば三井寺になります。 三井寺総門。駅から訪れるとこの総門にたどり着きますが、私達はこのまま直進し園城寺前交差点から仁王門に向かいました。 石垣沿いの歩道を歩いて行くと、左手に三井寺の鎮守社のひとつで鬼子母神を祀る護法善神堂へ続く小さな門が現れます。更に直進し園城寺前交差点を目指します。 交差点を左折すると仁王門が現れます。左が駐車場で、更に進むと護法善神堂に至ります。こ…

交通遺産をめぐる23日前

福島市 土合前橋 (2023. 12. 28.)福島市松川町.田園地帯に架かっていた貴重な木桁橋.老朽化による撤去の直前のレポート.

sogensyookuのブログ23日前

九手神社8月25日に丹波の史跡巡りを行った。京都府船井郡京丹波町の史跡を巡る旅であった。 最初に訪れたのは、京丹波町豊田九手(くて)にある九手神社である。 九手神社 九手神社の創建の詳細は分からない。最古の記録として、長元二年(1029年)九月二十一日に社殿が造営された際の栗材の棟札が残っている。 祭神は大山咋(おおやまくい)神である。山城国の松尾大社から勧請された神様である。 鳥居 境内 境内は鬱蒼とした木々に覆われている。私が訪れた時は雨が降っていた。 境内の神木 現在の本殿は、明応七年(1498年)三月三日に再建されたものである。室町時代中期の神社建築の様式を残しているそうだ。 天正十年(158…

owari-oyajiの放浪記1ヶ月前

西国三十三所第13番 「石光山 石山寺」​​滋賀県大津市石山寺。琵琶湖を源にする瀬田川の右岸に鎮座する真言宗の大本山、本尊は如意輪観世音菩薩。枕草子、源氏物語、浮世絵、近代文学を育む舞台ともなり、養老2(718)に開かれた西国三十三所観音霊場の第13番として古くから崇敬される古刹。広大な境内には東大門や舞台造りの本堂、多宝塔など多くの伽藍が建てられ、内陣や豊浄殿を拝観し伽藍を見て回るだけでも相当の時間を要します。 「朗澄大徳ゆかりの庭園」石山寺東大門の右手にあり、石山寺の玄関口と言ってもいいかもしれない。ピンクの花を付けたサルスベリの先に、小さな泉と鬼の姿が彫られた石碑が立てられています。この鬼は石山寺中興の祖 朗澄律師(1131-…

ovanの社会科見学1ヶ月前

2024/09/08 阿蘇神社御祭神 健磐龍命、阿蘇都媛命、速瓶玉命、配祀九柱 由緒 旧称は阿蘇大明神ズ、長渕郷総社龍水山 阿蘇官と称した。創建は推古天皇九年(601) と伝える.領主、武家の崇敬が厚く承平三年 (933)平将門が社殿を造営した。 以後藤原 の秀郷,三田柿部助定重もまた社殿を造営、 小田原の北条氏は二十貫文の神領を、徳川家康 は二丁四方の馬場を寄進、神馬を放牧した。 徳川家光は十三石の朱印領を寄進し、代々家 例とした.慶応四年朱印状を奉還,神領を上知した。 明治政府より通録金五十円を下賜 明治二年阿蘇神社と改称当社は,和漢三才 図絵」「国花萬葉記」「武蔵国全図」の名所 案内記に「阿蘇明神在羽村社領二十四石」…

NipponRevisit’s blog1ヶ月前

国道235号を行きつ戻りつ9月5日(木) 162日目 昨夜はクルマを閉め切ったうえに寝袋でした。いやぁここまで夜が涼しいとは。朝は8時にお目覚めです。昨夜入港後に苫小牧から東に向かったので、今日はそのまま東に国道235号を走りましょう。さて北海道では、1.ガソリンメーターが半分を切ったら補給、2.できるだけ制限速度を遵守、3.熊との遭遇を回避、を3箇条目標にして動くことにします。 道の駅にウマ娘セイウンスカイが居た。これまたあちこちにウマ娘が居る予感。 そして顔ハメはししゃもねこ むかわ竜も居たよ 朝食は北海道のパンです 国道235号沿いは牧場だらけです。馬を見かけるたびに嫁さんが馬に手を振りますが、先方は一瞥だにしま…

甲信寺社宝鑑1ヶ月前

【豊川市】若宮八幡社(伊奈町)と東漸寺今回は愛知県豊川市伊奈町(いなちょう)の若宮八幡社と東漸寺について。 若宮八幡社(伊奈町) 所在地:〒441-0105愛知県豊川市伊奈町宮坪1(地図) 若宮八幡社は市西部の農地に鎮座しています。 創建は不明。社伝によると1275年(建治元年)には確立されていたらしいです。室町中期には伊奈城の鎮守として本多氏の崇敬を受けました。延命寺(同市平井町)の古記録によると、15世紀末期に本多正時によって当社境内に伊奈天神社が祀られました。 境内 若宮八幡社の境内は南東向き。入口は農道に面しています。 一の鳥居は石造明神鳥居で、扁額は「若宮八幡社」。 二の鳥居は木造両部鳥居。扁額はありません。 参道右手に…

花ワン diary1ヶ月前

『産業遺産と環境のまち足尾』銅親水公園と砂防ダムまでのドライブ栃木県日光市足尾町の銅(あかがね)親水公園と砂防ダムまでドライブしてきました。 何かこの場所のひっそりとした雰囲気が好きなんです。 今では人の姿もあまり見かけず、どこかさびれた印象さえあります。 でも、それが逆に心地良いんです。 足尾のまちを歩くと、かつて銅山として栄えた頃の面影がいたるところに見られます。 精錬所や大煙突の跡が今も残り、特に煙突は高さ60メートル、直径6メートルと、製錬所のシンボルでした。 まち全体が日本の近代産業発祥の頃を物語る博物館のようです。 ある町の高い煙突 (文春文庫) [ 新田 次郎 ]価格:825円(税込、送料無料) (2024/9/4時点) 楽天で購入 銅親水…