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にあばらルイス神父は薩摩を訪問した際に、天竺宗と呼ばれる人々のもとに調査に行った。このことをジョアン・ジラン・ロドリゲスは1608年2月25日発信の『日本年報』に記録している1。要約すると以下のような話である。

要約

二人の老人を調べていくと、その宗派が渡来した時点と、彼らの返事と生活様式から見て、ザビエル神父がこの地に来て祖先に福音を述べ伝えたことがわかった。彼らがまだ守っているキリシタンの事柄が、他の異教徒(仏教徒)と異なるから天竺宗と呼ばれている。神父は彼らが見せたのはキリシタンに特有のものであるから、彼らの祖先はキリシタンであると確信した。ザビエル以降、イエズス会士宣教師は二度薩摩を訪れたが、坊主が妨害したので、同地のキリシタンは説教を受けることができなかった。

神父は二人の老人とその妻と、マリアと名付けたかなり高齢であった老婦人に教義を説明し、洗礼を施した。神父はなにか聖物を持っていないか尋ねたところ、老婦人はかなり古いロザリオを二つ持っていた。彼女は誰から貰ったか、いつからそれを持っていたのかをもう覚えてはいなかった。

たまたま地元の人びとが神父に、あの老婦人はたいへんな魔術師であって、異教徒のいろいろな儀式をしながらたくさんの病人を救った、そのために彼女は昔から奇跡の女として尊敬されてきた、と言った。神父は老婦人に、なぜそのようなことをするのかとたしなめたところ、彼女は異教徒の儀式をやったことはなく、ロザリオを病人の上に置きながら、デウスが彼らに健康と無事を与え給うように祈っただけだ、他には何の儀式もせずに、病人はこれだけで治ったと答えた。

老婦人は他にもアニュス・デイやヴェロニカなどの聖遺物を持っていた。こうしてその善良な老婦人はこれを用いていたが、私たちの御主も彼女がまだ異教徒であったにもかかわらず、彼女に協力し、病人に健康を与え、それによって聖遺物の力とともに、これを残しておいた者の聖徳を明らかになし給うたのである。

分析

この話はキリスト教のひとつの受容形態と民間信仰に関する興味深い内容を含んでいると著者は考えている。内容を詳しく検討しよう。

ザビエルの布教の際にはキリスト教は仏教の一派だとみなされた2。この話でも何かよく分からない外来と思われる宗派を指して「天竺宗」という呼称が用いられている。

彼らが守っていた「キリシタンの事柄」が具体的に何かは分からないが、隠れキリシタンとの類推から、十字を切ることやオラショのようになった若干の聖句を唱えることだろうと想像される3。薩摩の一部ではずっと宣教師による布教が行われなかったことによって、宣教師が伝えたキリシタンの信仰が土着の信仰と習合するという段階を超えて、土着の信仰にかすかにキリシタンの習俗の痕跡が残っているという忘れキリシタンとでも言うべき状況が生じていた。

薩摩では反キリシタンの影響が強かったが、天竺宗の人々が他の仏教徒である村人と共存していることを考えると、そもそも天竺宗は迫害されるべきキリシタン(切支丹、伴天連)とは別物とみなされていたと推測される。天竺宗は文字通り「異教」ではなく「異宗」なのである。そもそも老人たちは自分たちがキリシタンの子孫であることすら知らなかった。この点は祖先と自分たちの信仰を強く意識していた潜伏キリシタンとは異なる点である。

ロドリゲスはこの話をキリスト教的な奇跡譚として報告している。しかし、地元の人々の証言からは、老婦人は様々な儀式を行う呪術師として捉えられ、尊敬を受けてきたことが分かる。地元の人々の証言は、実際の老婦人の活動が、デウスの名を唱え聖遺物を病人にかざすだけではなかった可能性を示唆する。老婦人の活動はイエズス会の認めるキリスト教的な奇跡の枠組みの外にあり、迷信だとして否定されるような呪術である可能性がある。

神の名を唱えることで病人が癒やされたというのはキリスト教奇跡譚においてよくある型である4ことを考慮すると、老婦人がデウスの名を唱えただけだと書かれていることの信用度は高くはないだろう。

参考文献

H.チースリク、キリシタン時代の日本人司祭、キリシタン研究第四十一輯、教文館、pp.33-57、2004.

パチェコ・ディエゴ、鹿児島のキリシタン、春苑堂書店、 1975.

岡 美穂子、キリスト教の伝来と日本社会、上島亨・佐藤文子編 日本宗教史 第4巻 宗教の受容と交流、吉川弘文館、pp.297-324、2020.

岡 美穂子、大航海時代キリスト教と東アジア、染谷智幸編『はじめに交流ありき 東アジアの文学と異文化交流』文学通信、pp. 85-94、2021.

瀬川拓郎氏の『アイヌ学入門』を読んだがアイヌの歴史を文化の交流史として描き出しており、過度な理想化がされていない点で、より現実的なアイヌ像の理解に資する内容だった。

その中で第三章 伝説ー古代ローマからアイヌへーでは驚くべき事実が明らかになったとして以下のように書かれている点が気になった。

「小人には北千島アイヌという実在のモデルがいたこと。北千島アイヌの奇妙な習俗にかんする一種のうわさが、日本の中世説話の影響を受け、十五〜十六世紀にアイヌのあいだで小人伝説として語られるようになったこと。その中世説話の小人伝説は、もとをたどればプリニウスの『博物誌』の記事が中国から日本を経てアイヌに伝わったものであり、そのためアイヌの小人伝説には『博物誌』の記事と同じモティーフがみられること」(pp.137-138)。

アイヌの小人伝説がプリニウス起源であるという記述には誤解があると思われる。この記事ではアイヌの小人伝説とギリシア・ローマでの小人伝説の関係について再確認していく。だが、記事著者が新たな事実を付け加えようというのではなく、先行研究の鈴木(2006)の説明をなぞりながら整理していくだけである1

鈴木(2006)は「江戸時代の世界地理知識の情報源は、おおよそ『三才図会』、中国天主教宣教師の漢文著作、蘭学の三つ系統に分かつことができる」(p.150)と分類している。

宣教師の漢文著作で重要なものはマテオ・リッチの『坤輿万国全図』である。プリニウス『博物誌』の記述と『坤輿万国全図』の記述はほとんど同じである(鈴木 2006 p.152)2。江戸時代の小人伝説の情報源が『坤輿万国全図』であるならば、比較的簡単にプリニウス由来が主張できるが、実際はそうではない。鈴木(2006)によると次のような事情である(p.153)3

「このようにギリシア・ローマの古典に遡る「鶴と闘う小人(ピュグマイオイ)」の話は江戸時代のいくつかの文献に散見されるが、それらはほとんどイエズス会士の漢文著作や蘭書などから海外情報を知り得る立場にあった知識人たちの著作に限られる。この情報が海外異聞という文脈から離れて、広く利用されたり、知らされたりした形跡はほとんどない。小人と鶴が登場するという点では共通するけれども、近世人にとって「常識」であったのは、お話としてよくできた『坤輿万国全図』の漢文注記によるものではなく、『三才図会』の「海鶴遇而呑之、故出則群行」といういたってシンプルな記述にもとづくものであった。」

『三才図会』の記述はどの史料に依っているのかを見ていく。

『三才図会』の前半「海鶴遇而呑之」

『三才図会』は元の周致中による地理志『異域志』「小人国」の「山海経日東方有小人国、名日竫、長九寸、海鶴遇而吞之(以下略)」をそのまま襲っている(鈴木 2006 p.153)4。『異域志』の「海鶴遇而呑之」の部分は『山海経』にはなく、『神異経』の「唯畏海鵠、過輒吞之」に材を得たものと鈴木(2006)は推測している(pp.153-154)。『山海経』に『神異経』が接続された背景として鈴木(2006)は『括地志』などに記載された「鶴に食われる小人」の話が念頭にあった可能性を想定している(p.154)5

『三才図会』の後半「故出則群行」

「故出則群行」は先行する文献に見えない『三才図会』独自のものである(鈴木 2006 pp.154-155)。鈴木(2006)はこの記述を、うまく小人を図像化するための仕組みとして付け加えられたと推察している(p.155)。三才図会での小人国の話が広まった背景として異なるメディアである「万国人物図」6との結びつきがあり、三才図会の情報は図を説明するのに適しているために広まったのである(pp.156-157)。

アイヌの小人伝説

瀬川(2015)は『勢州船北海漂流記』の記述を原型に近いと見られる最も重要な史料として挙げる。この記述が日本側史料で最も古く重要である点は妥当である。鈴木(2006)は米井(2003)と同じく1605(慶長10)~1673年(寛文13)の記録をまとめた『談海』の記述を検討している。内容から判断すると『談海』の記述は『勢州船北海漂流記』の記述を大元の情報源としている。『勢州船北海漂流記』の記述も『談海』の記述も細部を除けばほぼ同じであるので同様の分析が成り立つ。それぞれの記述を転記しておく7

勢州船北海漂流記

蝦夷人物語申候は小人島より蝦夷へ度々土を盗みに参り候、おとし候得ば其儘隠れ、船共に見不申候由、蝦夷より小人島迄航路百里も御座候由、右の土を盗みて鍋にいたし候由、尤せいちいさくして小人島には鷲多く御座候て、其人通り候得ば鷲に取られ申候。又大風に吹ちらされ申候故、十人斗手取り合ひ往来仕候由、蝦夷人語り申候以上

談海

蝦夷人物語申候ハ小人島より度々ゑぞへ土を盗に参申候をとらへ候へは其儘隠かくれ舟共ニ見へ不申候由そのぬすみニ参候処の行程ゑそ路より舟百余里御座候由右之土を盗候而鍋ニいたし申候由承り申候尤せいちいさくして小人嶋ニハ鶴多御座候ニ付其嶋人独なと通り候へは鶴ニとられ申候又風ニ吹ちらされ申候故五人或十人も手を取り合往来仕候由ゑぞ人語申候事候

米井(2003)は後半部分「尤せいちいさくして小人嶋ニハ鶴多御座候ニ付其嶋人独なと通り候へは鶴ニとられ申候又風ニ吹ちらされ申候故五人或十人も手を取り合往来仕候由ゑぞ人語申候事候」には『三才図会』などの知識が混入したのだろうと解釈している。

鈴木(2006)は『三才図会』系の情報が意図的に接続されたと考え、「したがって、この箇所に限っていえば、蝦夷人からの伝聞の内容をそのまま書きとめたものとは考えにくい」と解釈している。情報を接続させた人の意図は何かというと、「得体の知れない小人たちが何者であるのか、その存在を「同定」するためだろう」と解釈する (p.164)。「情報の接続による同定の意味するところは、何よりも本質的に任意の対象を既存の知の枠組みに取り込む営為、すなわち合理化なのである。そして、蝦夷人からの伝聞に『三才図会』系の情報を接続して『談海』や『玉滴隠見』8に見えるような話を仕立て上げた人は、おそらくその話が他の人に読まれることを意図していたのであろう」と考察している。

米井(2003)と鈴木(2006)のどちらの立場を取るとしても、次のことが言える。アイヌから聞き取ったとされる小人伝説は、和人の船員が記録したという史料上の制約から、直ちにその内容をすべてアイヌの伝承そのものだと考えるべきではないということである。

そもそもこの史料上の制約があるが故に、アイヌが小人と鶴のモチーフを知っていたかどうかを問題にすることは、証拠不十分により立証し難く、あまり意味がないことになる。

瀬川(2015)の記述にある混乱の原因は三種類の情報源が区別して論じられていないことにある。『三才図会』の影響が想定される「御曹子島渡」9と、アイヌ小人伝説の話の後に、『万国夢物語』と『増補華夷通商考』が紹介されてプリニウスとの結びつきを示唆しているが(p162)、これらは宣教師著作の翻訳であり『三才図会』とは別系統である。

それゆえ『万国夢物語』と『増補華夷通商考』はギリシア・ローマ由来の伝承を含むが、一方で「御曹子島渡」はヨーロッパ由来の伝承を含むとは限らない11

以上により、プリニウスの『博物誌』の記事が中国から日本を経てアイヌに伝わったということはまったく立証できておらず、そもそもギリシア・ローマの伝承のうちでプリニウスのみに限定をつける必然性もない。

『三才図会』関連の中国での小人国の伝承(特に『括地志』での記述)のいずれかがギリシア・ローマ起源であることは十分あり得るが、それを裏付けることは容易なことではないのである12

参考文献

瀬川拓郎、アイヌ学入門、講談社、2015.

鈴木広光、「小人島」考・続貂、叙説 33、奈良女子大学文学部紀要、pp.149-168、2006. 資料検索 - 奈良女子大学学術情報センター

米井力也、小人島ニ至ル時、『国語国文』、第72巻第3号、京都大学文学部国語学国文学研究室、2003. (キリシタンと翻訳、平凡社、pp.324-341、2009に再録)

阿部敏夫、北海道民間説話の研究 (その9) : コロポックル伝説生成資料、北星学園大学文学部北星論集、49巻1号、 pp. 98-74、2012. 北星学園大学学術情報リポジトリ

石井研堂 編、異国漂流奇譚集、福永書店、1927.
異国漂流奇譚集 - 国立国会図書館デジタルコレクション

Pliny the Elder, The Natural History, John Bostock & Henry Thomas Riley trans., Taylor and Francis, 1885.
https://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A1999.02.0137%3Abook%3D7

この記事では長崎の外海等の地域に伝えられてきた潜伏キリシタンの作った物語『天地始之事』での天と地の構成について、リンボ(古聖所、陰府、辺獄)と呼ばれる場所を中心に読み解いていく1

天と地について有名なのが天国(極楽)と地獄である。これらは内実に差異があるにしてもキリスト教にも仏教にも共通してある考えである。だが時代が下りキリスト教の教義が複雑化する中で、地獄の他にも煉獄やリンボ(古聖所、陰府、辺獄)といった仏教にはない死後の場所の概念が現れた。潜伏期に多くのキリスト教の教義に関わる伝承や用語の意味が忘れられていったが、はたして隠れキリシタンの死後の世界に極楽と地獄以外の場所はあるのだろうか。その問いを考えたい。

リンボとは

リンボは永遠の地獄に行くのではないが、天国に行くための至福を得ていないような人間が行く場所である2。主に父祖の陰府(limbus patrum)と幼児の陰府(limbus infantium)と呼ばれる二つの場所からなる。父祖の陰府とは、キリスト以前に死んだ善人が行く場所である。幼児の陰府とは、洗礼を受ける前に原罪を負ったまま死んだ幼児が行く場所である。リンボはカトリックの教義であり、プロテスタント正教会はこの語を用いない。有名なダンテの『神曲』では、リンボは地獄の第一の圏谷に位置している(地獄篇第四歌)。リンボにいるのはホメロスオウィディウスアリストテレスソクラテスプラトンなど古代ギリシア・ローマの錚々たる顔ぶれである。西洋古典が好きな人はダンテの世界なら天国よりもリンボに行きたいと思うだろう。

地獄について

キリスト教にも仏教にも地獄という考えはある。キリスト教の地獄と仏教の地獄はどのようにして区別することができるだろうか3。それは地獄からの救いがあるかどうか、つまり地獄の責め苦が永遠に続くかどうかだろう。キリスト教では地獄の責め苦が永遠であることの拠点になるような表現が新約聖書に複数見出される(マタ25:41, マコ9:48, 黙20:10)。それに対しザビエルは日本の仏教について、宗派の創始者の名前を唱えれば地獄から救われると報告している(書簡第96, 釈迦や阿弥陀のこと)。つまりキリシタン時代の仏教では地獄からも救われることがあると考えられていた。それでは『天地』での地獄の記述を見てみよう。

三-みぎりは、天秤の御役をかふむり、じゆりしやれん堂にて、科の次第を御ただしありて、善人はぱらいそへ通し、悪人はいんへるの(inferno, 地獄)に落とし、又、科の次第ゝにて、恥づかしく、科をいましめたもふ事也。(中略)

又、人を害するか、自滅しけるものは、此所にて、あらため出され、いぬへりのに落され、末世までたすからざるといふ事、つゝしむべし。

『天地』での地獄についてはリンボと絡めて後に詳細に検討する。

『天地始之事』以外の史料での説明

まず宣教師やキリシタンたちが遺した史料でリンボがどのように現れているかを確認する。

日本布教における決定版とも言える教理問答書『どちりいな-きりしたん』4の「けれど」(Credo)では、キリストが「大地の底へ下り給ひ、三日目によみがえり玉ふ」と使徒信条がそのまま翻訳され5、その「大地の底」の説明の中にリンボが現れている6

大地の底に四様の所あり。第一の底はゐんへるのといひ、天狗を始めとしてもるたる科(大罪)にて死したる罪人等のゐる所也。二には少し其上にぷるがたうりよ(煉獄)とて、がらさを離れずして、死(しす)る人のあにま(魂)現世にて果さゞる科送りの償ひをして、其よりぐらうりあ(栄光)に至るべき為に、其間籠めをかるゝ所有り。三にはぷるがとうりよの上に童(わらんべ)のりんぼとて、ばうちいずもを受けずして、いまだもるたる科に落つる分別もなき内に、死る童のゐたる所也。四には此りんぼの上にあぶらん(アブラハム)のせよ(ceo, 天)と云所有。此所に古来の善人達御出世を待ちゐ奉られたる所に、御主ぜず-きりしと(イエス・キリスト)下り給ひ、彼さんとす(聖人)達のあにまを此所より召し上玉ふ也。

『スピリツアル修行』内の『御パッションの観念』ではリンボが善人が留まる場所の意味で用いられている7

尊き(キリストの)御アニマ・ヂビンダアデ(神性)共に直にリンボへ下り給ひ、限りなき望みを以てこの日を待ちかね申されし、古来の善人たちのアニマにゴラウリヤの尊体を現はし給ふを以て喜ばせ給ひ、尊き御死骸は同じヂビンダアデ共に石棺に収められ給ふものなり。

以上より、リンボについての教義は日本に伝えられていたことが確認できる。

『天地始之事』本文の検討

田北(1954)と海老名(1970)はどちらも「善本」と呼ばれる写本を定本としている。田北(1954)は善本にはなく「松尾本」と呼ばれる写本にはある付加異文も乗せている。この記事では【-】内でその異文を記す。

海老名(1970)の冒頭本文は以下の通り。

そもそもでうすと敬[ま]い奉るは、天地の御主、人間万物の御親にて、まします也。弍百相の御位、四十弍相の御装い、もと一体の御光を、分けさせたもふ所、すなはち日天也。

それより十二天をつくらせたもふ。其名べんぼう、此所地獄也。まんぼう・おりべてん・しだい・ごだい・ぱつぱ・おろは・こんすたんち・ほら・ころてる・十まんのぱらいそ、此所則ごくらくせかい也。

それより日月ほしを御つくり、数万のあんじよ思召すまゝに、めしよせたもふ也。

田北(1954)の十二天部分の本文は以下の通り。

それより十二天をつくらせたもふ。其なべんぼう、此所【いぬへると申す】地ごく也。まんぼう【とは此世界なり。】・おりへてん・しだい・ごだい・はつは・おろは・こんすたんちのほら・ころてる・十まんのぱらいそ、此所【十万里四方びた一面にてつゆには夜るなし】則ごくらくせかい也。

冒頭部分は特に著者の仏教に関する素養が色濃く現れており、その素養の中にキリスト教に関する伝承を巧みに混ぜ込んでいる。十二天については「ぱらいそ」以外の語の意味を確実に理解することはできないが、これらが元々何の語に由来しているのかについては、田北(1954)は以下のように対応付けをしている。

海老名(1970)は正しくも「ころてる」が本文内でエデンの園を指す語として用いられていることを指摘している9。『天地』では「ころてる」はエデンの園のことと考えるべきである。海老名(1970)も「べんぼう」をLimboのこととしている。

十二天の記述で気になるのが「其名べんぼう、此所地獄也」と、べんぼうが地獄であると書かれている点である。松尾本の挿入だとべんぼうはインフェルノ(地獄)の別名だと解釈される。二通りの解釈が可能である。「ベンボーは地獄の一種である」という解釈とベンボーはインフェルノの別名だという解釈である。ベンボーは永遠の地獄であるのか、それとも一部には救いがあるような地獄であるのかということが問題になる。

他のべんぼうが現れる箇所を見よう。ノアの方舟と民間伝承が融合したような話の最後で次のように述べられる。

波におぼれて死ゝたる数万の人々、べんぼうといふ所、前界の地獄、此所におちける。

べんぼうは「前界の地獄」と言われているが、この「前界」の解釈が難しい。空間的により天に近い(手前にある)ということだろうか。

舟で家族七人のみが生き残り、そのあと人間が増えるが、「うまれて死するもの、ことごとくみなべんぼうにぞ落ちける」とされる。デウスはこれを哀れんで助けるために自身の身を分けて、イエス・キリストが現れることになる。

キリスト以前の人間がリンボに落ちるのは父祖の陰府の教義と整合している。

幼児の陰府の用法はないだろうか。幼児については次のようにある、「先年、よろうてつ(ヘロデ)に殺されし、数万の幼子、ころてる(エデンの園)に迷いいるを、御身名をさづけたまいて、ぱらいそに引き上げたまいけり」。

また、田北(1954)は1932年6月7日太郎八爺の「ゼスキリストの前、極楽の蓋のあかぬ前は、死んだ人はコロテルやビンボウ(リンボ)に居た」という貴重な証言を載せている(p.85)。

よって幼児の陰府はなく、『天地』でのリンボは父祖の陰府と一致している。長崎の伝承では幼児はリンボではなくエデンの園に行くことになっていた。地獄であるリンボよりも元々アダムたちがいたエデンの園に幼児たちが送られるという伝承は、長崎の人々の素朴な優しさに溢れたキリスト教教義の変奏だろう。

最後の審判にあたるこの世界の終わりには、次のように説明される。

かくて天帝(デウス)は、大きなる御威光・御威勢をもつて、天くだらせたまひて、道を踏みわけ、御判(洗礼の時に額に十字を額に記すこと)をうけしもの、三時の間に御選め、かなしいかなや、左のもの、ばうちすまうさづからざるゆへ、天狗とともにべんぼうという地獄にぞおちければ、御封印ぞなされけり。此所にをちたるものは、末代浮からずといふ事、又、ばうちすもふさづかりし右のものは、でうすの御供して、みなはらいぞへまいりたる。

ここでのリンボは死後の一時的な場所ではなく、インフェルノの意味で用いられている。

『天地』にもCredoの対応箇所はある、「せすたの日、御身大地の底にくだらせたまい、さばと(土曜日)の日まで、御逗留ましまして、御官の上にましますを、あまたの弟子、これをおがむ」。この文言では大地の底で死者を救うことが明言されておらず、大地の底がリンボなのかどうかも明らかではない。

以上で言及箇所を検討した。「べんぼう」は父祖の陰府の意味で使われているが、それだけではなく最後の審判の場面ではインフェルノと同じ地獄を指すものとしても使われている。ベンボーは永遠の地獄なのかそれとも一部の人間には救いのある地獄なのかという問題に戻ろう。そもそもベンボーだけでなくインフェルノは永遠の地獄と理解して良いのだろうか。『天地』では「末代」や「末世」という有限である可能性を残す語を使っているので、永遠であると断定することはできない。よって永遠か有限かの二択には明確には答えられない。ただしインフェルノから救われる記述はない点と輪廻に関する記述がない点は永遠だと考える論拠になる。ベンボーは二重の役割を持っている点からも、単純に二択のどちらであるかという問い自体が適切な問いではなかったと言える。

ベンボーの二重の役割について何が言えるだろうか。記事著者は『天地』でのベンボーの役割は、インフェルノの別名としての地獄としての役割の方が優先されているのではないかと考える。その理由はベンボーに落ちた人間がパライソに引き上げられる記述が存在せず、わざわざ最後の審判の場面でインフェルノではなくベンボーの方が使われているからである。松尾本の付加部分も根拠となる。幼児がベンボーではなくコロテルに行くのは、ベンボーが永遠の地獄であるから幼児だけは地獄行きにしたくなかったという隠れキリシタンによる意図的な変更だという推測も可能である10

ベンボーの二重の役割が生じたのは、本来のリンボの役割が重要視されなかった故に、リンボがインフェルノに吸収される形となったからである。詳しく検討説明はしなかったが、この『天地』の物語全体は隠れキリシタンの習俗の由来を説明してくれるような物語である11隠れキリシタンである自分たちや隠れキリシタンの信仰と習俗を守ってきた先祖たちが救われることを説明することが、この物語が生み出された原動力である。隠れキリシタンの信仰と習俗を持たない人々が救われるかどうかということは、そもそもこの物語の射程外だったのではないだろうか。

補論 十二天の12という数について

個々の語の意味だけでなく、十二天の12という数についても問題がある。田北(1954)は「「こんすたんちのほら」はコンスタンチノープルに通ずるが、「こんすたんち、ほら」と二つに区切って始めて、天の名が十二になる」と説明する。「こんすたんち」と「ほら」に分けている写本もあるようだが、「こんすたんちのほら」を分けずに数えると以下のようになる。

  1. べんぼう、2. まんぼう、3. おりべてん、4. しだい、5. ごだい、6. ぱつぱ、7. おろは、8. こんすたんのちほら、9. ころてる、10. ぱらいそ

明示的に書かれていないが、田北(1954)は「十二天も仏教の言葉で、「日天」はその一つであるが」と書いていることから、十二天に日天を含めて、足りない一つを分割によって数合わせしていると思われる。海老名(1970)はその解釈を受け継いでいる。

仏教での十二天について確認しよう。『仏教語大辞典』では十二天は次のようにある。

一切の天竜・鬼神・星宿・冥官を統すべる十二の仏法守護の護世天。四方・四維の八天に、上下の二天および日・月の二天を加えたもの。東に帝釈天、東南に火天、南に閻魔天、西南に羅刹天、西に水天、西北に風天、北に多聞天毘沙門天)、東北に伊舎那天大自在天)、上に梵天、下に地天、および日天、月天の総称。

他に考えられる解釈を列挙してみよう。十二天に日天を含めるとする。残る一つの候補として、仏教のように月天を含めるという方法がある。難点は日天がでうすならば月天がどの神なのかが不明なのと、『天地』本文中に月については上に引用した「それより日月ほしを御つくり」としかないことである。別の解釈は松尾本に言及される地獄である「いんへるの」を加えることである。「いんへるの」は『天地』本文中に登場する。難点はなぜ十二天の列挙の中に明示的に書き加えられていなかったのかが説明できない点である。

十二天に日天を含めることはそもそも妥当だろうか。仏教では天は神と空間の両義で用いられている。『天地』での用法では、日天はデウスという神であるのに対し、パライソや上記の対応での他の語(意味不明瞭なしだい、ごだい、ぱっぱを除く)は場所(空間)を表す語として用いられており、カテゴリーが違う点が無視されているという点に問題がある。列挙に日天が言及されていない問題もある。上で列挙した10個に上天と下天を加えて12とするという解釈が可能である。この解釈の難点は『天地』本文には上天と下天が登場するが、それだけではなくゑわ(エバ)と天狗が送られる中天もあるので、合計13になってしまう点である。中天だけ除外するのは恣意的であるが、仏教の十二天に合わせて上天と下天のみを加えたと考える。

どの解釈も難点を抱えているが、『天地』での十二天はすべて場所とするのが良いと考えるので、場所である上天と下天を加える解釈を記事作者は取る。

参考文献

昭和時代の潜伏キリシタン、田北耕也、日本学術振興会、1954.

日本思想大系25 キリシタン書 排耶書、海老名有道他校注、岩波書店、1970.

きりしたんのおらしよ キリシタン研究第四十二輯、尾原悟、教文館、2005.

聖フランシスコ・ザビエル全書簡3、河野純徳訳、平凡社、1994.

神曲 地獄篇、平川 祐弘訳、河出書房新社、2008.

中世キリスト教と仏教における地獄の恐怖、多ヶ谷 有子、関東学院大学文学部紀要、128号、pp.21-41, 2013.

キリシタンと翻訳、米井力也、平凡社、2009.

www.nishinippon.co.jp

熊本県天草市河浦町崎津集落近くで発見された翼のあるウマンテラ様と呼ばれる像が、潜伏キリシタンの作った天使ミカエルと鳥天狗の像のどちらかなのか分かっていないという問題がある1。人間とも天狗ともとれる愛嬌のあるお顔をしている珍しい造形をしている。もし聖ミカエル像を金毘羅権現の天狗に擬態させて作ったのならば、後世ではどちらか全く分からなくなってしまったので、見事で完璧な擬態と言わざるを得ない。この問題が困難であるのは、以下の状況があるからである。

  1. 潜伏キリシタンが天使を天狗に擬態させて像を作ったのならば、像が天使だとしても、天狗の特徴を満たしている。
  2. 同時代の天使像だと確定した石像が伝わっていないので、他の像と比較して判定することができない。そして天使像が満たすであろう(満たすべき)特徴が分からない。
  3. 天草の潜伏キリシタンキリスト教に関する伝承内容を知ることができるような史料が長崎と比べて少ない。

この記事ではキリシタンに関するこの問題の判断材料を思いつく限り挙げていく。この像はひとまず潜伏期に作成されたものだと仮定しておく。

問題解決のための一般論について述べておく。

長い潜伏期間の間にそれまで宣教されてきたキリスト教の教義の多くが忘れ去られてしまった。もし潜伏キリシタンがミカエルを知らない可能性が高ければ、像がミカエルだという可能性は低くなる。天草ではなく長崎になってしまうが、伝承されているテキストと絵画から、潜伏キリシタンの伝承を確認する。

テキストから

長崎の外海等の地域に伝えられてきた潜伏キリシタンの作った物語に『天地始之事』というものがある2。これは旧約聖書福音書の一部の物語を含んでいるが、それだけではなく土着の民間伝承や伝説が織り交ぜられている。この物語では天使と天狗についての言及があり、両者がどのように考えられていたかが分かる。また、ミカエルについての言及もある。

宣教師たちはDeus(神)など教義において重要な語を翻訳するにあたって、誤解を避けるために「でうす」のようにポルトガル語ラテン語をそのまま借用した。diablo, diabolus(悪魔)の訳語として、「天狗」を採用した。これは山伏と悪魔を結びつけるという宣教における戦略的な選択の結果である3。ルシファーに唆され、堕天した天使が天狗(悪魔)なのだと説明される (p.383)。

さてじゆすへる(Lucifer, ルシファー)拝みし安所(Anjo, 天使)方、かなしいかなや、みなことごとく天狗となり、中天にぞ下りけり。

もし崎津でも天狗が悪魔だと考えられていたのならば、像を天狗と聖ミカエルの二重の役割として崇拝することはできたのだろうか。

じゆすへるの容姿は「鼻ながく、口ひろく、手足は鱗、角をふりたて、すさまじく有様」と説明されている(p.385)4。この容姿は下で触れる外海地方の絵画に完全に当てはまっている (ibid, p.507参照)。じゆすへるだけではなく、他の天狗もこの容姿と考えられていたかどうかはわからない。

聖ミカエルについては、イエスの死の後で説明されている(p.405-6)。聖ミカエルの名前は訛って三みぎりとして伝わっていた。

役々を極させ給ふ事

三-みぎりは、天秤の御役をかふむり、じゆりしやれん堂(ヨルダン川エルサレムとの結合?)にて、科の次第を御ただしありて、善人はぱらいそへ通し、悪人はいんへるの(inferno, 地獄)に落とし、又、科の次第ゝにて、恥づかしく、科をいましめたもふ事也。たとゑ、善あるものといふとも、天狗これをとらんとする。三-みぎりこれをくれじと、ばんのしう剣(万能の手剣?, 「ばんのしゆけん」とする異本あり)をもつて、天狗をさくる。ふるかとふりやゑ(Purgatorio, 煉獄)へ通したもふという事。此時、達したる後悔するにおいては、いぬへるのをのがしまもふ也。

この箇所で三みぎりの他は、三ぺいとろ(聖ペトロ)と三ぱうろ(聖パウロ)の人間の死後における役割が説明されている。 テキストの記述だけでは天使として理解されていたのかどうかわからない。もし絵や像をもっていなければ、三みぎりは人間(聖人)として考えられていたかもしれない。羽についての記述がないので、この記述のような情報のみから像が作られたと考えることはできない。

絵画から

潜伏キリシタンの受胎告知図では、大天使ガブリエルが描かれているが、見た目は天狗のように見える5。もしガブリエルの部分だけが残っていたら、ウマンテラ様と同じように天使かどうかの論争が起こっていたであろう。

www.asahi.com

外海地方のキリシタンが聖ミカエルの絵を所有していたことは分かっている。この情報は天使の容姿を知っていた可能性があるという点で、ウマンテラ様をミカエルとみなすための最も重要な根拠である。

長崎市│外海の出津集落(長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産)

⑤外海の出津集落(長崎市) 予言の神父 待ち続け 「日繰り」伝承 教え受け継ぐ | 長崎新聞

ミカエルと思われるお掛け絵も見つかっている。

ミカエルのお掛け絵 長崎・平戸 - YouTube

西洋美術でミカエルの武器は剣の場合と槍の場合のどちらもある。また、天秤を持っている場合と持っていない場合のどちらもある。一見するとミカエルであることを否定するような特徴はない。

潜伏期間にキリスト教に関する多くの伝承が失われていたことから考えると、ミカエルに関する知識は文書と絵画の両方で伝わっており、伝承として恵まれている。

天草の潜伏キリシタン

天草の潜伏キリシタンキリスト教伝承内容は史料不足により想像するしかない。1805年からの天草崩れに関する史料を見る限り、一般に天草潜伏キリシタンの信仰はキリスト教に由来する固有名詞の数が乏しく、現世利益の側面が強く民間信仰化が著しいことから、天草の潜伏キリシタンの間に残っていたキリスト教伝承内容は、長崎のものよりも少ないと考えられる6

まとめ

キリシタン側の史料から言えるのは、潜伏期においても長崎にはミカエルについての伝承が保存されており、天草の潜伏キリシタンがミカエルについて知っていたということは完全には否定できない。つまり、ウマンテラ様が天使である可能性は否定できない。ただし、私見では天草崩れに関する史料を見る限り、時代が下ると天草の潜伏キリシタンの間ではミカエルについての伝承が失われていた可能性は高いのではないかと考える。潜伏期に作成されたならば、禁教から年代的に隔たっていない間に作成されたと考えたい。

もし制作が潜伏期以前だとすれば、その時期にこのような像が作られ得たかということと、天狗と間違えられるような造形にしたことは説明を要する点である。

潜伏期以前でのミカエルに関するキリシタン史料を列挙することはこの記事ではできなかった。別稿で検討したい。

この問題に関する確証となるような情報はないのではないかと思う。どちらと考えたほうがより良いかをより精密に判断するためには、一つの手段としては美術様式から判断する方法がある。キリシタンで似たような天使像はないので、判断のためには天狗像の美術様式の情報が必要となる。判断材料になり得るのは以下である。

国内で時代が近い像で似たような天狗像があるかどうか。

地理的に近い天狗像、あるいは天草市内の天狗像の見た目はどのようなものか。

判断のためにこれらの情報や画像データがあればと思う。

一つ気になった点を挙げておく。二つの羽のそれぞれの後ろの部分は何だろうか。聖ミカエルであればマントに見える7。天狗だとしても衣で説明できるが、他の像で似たような例があるかどうかを知りたい。

ただの天狗像だったとしても、それを天使像として見ることができるということは信仰の歴史の賜物だろう。

参考文献

昭和時代の潜伏キリシタン、田北耕也、日本学術振興会、1954.

日本思想大系25 キリシタン書 排耶書、海老名有道他校注、岩波書店、1970.

かくれキリシタンの聖画、中条忠、小学館、1999.

隠れキリシタン古野清人、至文堂、1978.

キリシタンの神話的世界、紙谷威広、東京堂出版、1986.

『天地始之事』にみる潜伏キリシタンの救済観、宮崎賢太郎、宗教研究、308 号、1996. 308号(70巻1輯) – 『宗教研究』デジタルアーカイヴ

キリシタンと翻訳、米井力也、平凡社、2009.

もう一つの天草くずれ:天草キリスト教史序説、鶴島 博和、比較日本学教育研究部門研究年報、第18号、2021.

グノーシス派の原資料を大量に含んでいるナグ・ハマディ文書のCodex VIには、プラトン『国家』の抜粋(588b-589b)が含まれている1

Plato, Republic 588A-589B -- The Nag Hammadi Library

この事実に対して次のような疑問が浮かぶだろう。

この記事では、ナグ・ハマディ文書についてはほとんど触れず、当該箇所588b-589bの内容と『国家全体』での位置付けと内容を簡単に確認することにする。この箇所は第9巻の12章に含まれている。国家は全10巻で、第9巻は全13章なので、終盤である2

588bでまずソクラテスは最初に語られた言説を取り上げようと語り、次のように言説(テーゼ)を要約する。

「完全に不正な人間でありながら、世間の評判では正しい人であると思われている者にとっては、不正をはたらくことが有利である」

ここでの最初に語られた言説とは、グラウコンの挑戦と呼ばれる部分(357a-361d)3にある。この問いに応えるために以後の対話がなされていた。この言説を信じる人に対し、588eでは「正義をなすことは利益にならない」という主張も追加されている。

『国家』の588bまでの議論、特に不正な行為と正しい行為がそれぞれどのような力を持つか(4.18, 444c-e)という同意を踏まえ、このようなテーゼを信じている人を説得するという形で議論が進む。説得はロゴスによって魂の似姿(εἰκών)を怪物として描くことによって行われる。

9.4-11 (576b-588a)で独裁者(最も不正な人)の生は最も不幸であり、哲学者(最も正しい人)の生が幸福であることが、三種類の論証によって示されていた(9.4-6, 9.7-8, 9.9-11)。それに対して、ここでは論証ではなく比喩を用いて、不正な人が有利であるという言論を捨てるように説得することで正しい人と不正な人の判定が締め括られる。

『国家』全体では、第4巻での魂の三区分(理知的部分 λογιστικόν、気概的部分 ἐπιθυμητικόν、欲望的部分 ἐπιθυμητικόν)が、この比喩の解釈で前提とされている。

ロゴスで描く描く怪物は人間の魂に対応する。なので、この怪物は不正な人だけではなく、正しい人も持っていることになる。怪物は三つの動物が一つに結びつけられてできているが、この三つの動物は、プラトンの魂の部分に対応する。具体的には1. 多頭の動物は欲望的部分、2. ライオン(獅子)は気概的部分、3. 人間は理知的部分(ロゴス的部分)に対応する。

多頭の動物の例としてキマイラ、スキュラ、ケルベロスがあげられる。ちょうど挙げられた例の数が三つであるが、これらが魂の三部分に対応するわけではない。

説得する相手に次のことを言って聞かせることになる。不正を働くことが利益となるというテーゼは、比喩においては、次のような状態が利益となることを意味する。

多頭の動物とライオンの二つを強くし、(内なる)人間を弱くする。人間は他の二つの動物に引きずっていかれる。そして、多頭の動物とライオンは互いに闘い合う関係にある(588e-589a)。

(欲望と感情に、理知が追従する。魂のすべての部分が分裂した状態であり、理知的部分はその他の二つの部分から支配される。)

正義が利益になるという言説は次のことを目指すことを意味する。

内なる人間がライオンを味方にし、動物たちを支配し、配慮する。内なる人間は動物たちを互いに友愛の関係に置き、全部を共通に気遣いながら養い育てる(589a-b)。

(つまり、理知的部分が気概的部分を味方にして、他の部分を支配し、欲望的部分についてはコントロールして、魂のそれぞれの部分が調和するようにする。)

正しい人と不正な人では魂の部分間の関係が異なる。

ここまでが588b-589bの内容である。588b-590dまでは人間の魂について論じられていたが、590eから592bまでは、国家と魂のアナロジーを通じて、理想国の法律や国制についても議論に登場する。なので、『国家』の588bまでを知らない人にとっては、591e以降は理解できないことになる。なので、抜粋が機能するのは最大で588b-591dまでである。なぜ589bで終わっているかの納得のいく理由は思い付いていない。590dでは第1巻のトラシュマコス(説)への言及があるので、その前で終わって、588b-590bでも良さそうである。590aでは対話相手のグラウコンの名前が出るので、それより前で終わらせたというのが思いつく理由である。

抜粋としての読解

第10巻のエルの神話はそこだけ取り出して読むこともできるが、他にも独立して読むことができる箇所があったことは驚きである。一応は独立して読むことができる箇所であることから、『国家』の断片がたまたま紛れ込んだと考えるよりも、意図的に保存したと考えるほうがよいと思う。『国家』588bまでを無視して、抜粋部分だけから何が読み取れるかを考察しよう。抜粋部分だけからは、魂の三区分は比喩を通じて理解されることになる。もちろん理知的部分、気概的部分、欲望的区分という区分内容は抜粋部分からは読み取ることができず、そもそも魂(ψυχή)という語自体も現れていない。外なる人間を構成する多頭の動物、ライオン、内なる人間がそれぞれ何の比喩であるかは、読み手が想像することになる。抜粋部分は、人間の内部と、不正を行うことと正しいことを行うことがどのようなことなのかを、比喩のみによって描いている。

内容についての注意

荒井献氏の『トマスによる福音書』ロギオン7注釈には以下のように次のように書かれている(p.132)。『なお、プラトンは人間の魂を「多頭の動物」「獅子」(以上が「欲望的部分」)、「内なる人間」(神的部分)の三部分から成るとみなし、人間に、神的部分をもって欲望的部分を「育てて慣らし」、後者を前者に「服従させるよう」に勧めている(『国家』588b-589e)』

ミスリーディングな内容であるので解説する。まず、多頭の動物と獅子が共に欲望的部分に割り当てられているが、590bより獅子的部分が気概的部分に対応する。そもそも、共に欲望的部分に割り当てると三部分にはならず、二部分になる。もしかして時代により多頭の動物と獅子が共に欲望的部分に割り当てられる解釈があったかもしれないが、プラトンの思想の解説としては妥当ではない。「内なる人間」とは、三体の動物をまとめたもの自体が人間の形を纏うことになるので、これと対比させた魂の部分に対応する方の人間のことである(389d)。神的部分と書いてあるのは、389c-dの箇所で登場する表現である。「よき友よ、一般に認められている美しい事柄と醜い事柄というのも、このような理由によって区別されてきたと言えるのではなかろうか?すなわち、美しい事柄とは、われわれの本性の獣的な部分を内なる人間の下にーおそらくはむしろ神的な(θεῖος)ものの下に、というべきだろうがー服従させるような事柄であり、醜い事柄とは、穏やかな部分を野獣的な部分の配下に服従させるような事柄ではないだろうか?」「理知的部分」という用語は第4巻から(440e)一貫して用いられていたので、神的部分よりも理知的部分とした方がよい。引用した589c-dの発言は、テーゼを信じる人を穏やかに説得するためにかける言葉として語られる。この後の590a-cで気概的部分の話が追加される。引用部分はプラトンの比喩を踏まえた内容として読めるが、「一般に認められている美しい事柄と醜い事柄」(καί τά καλά καί αἰσχρά νόμιμα)とあることから、人々の一般的な思われ(通念)について述べ、対話者から同意を得ようとしているとも考えられる。なので文脈が異なるので、この部分が直ちにプラトンの思想の要約として提示できるかどうかは疑問である。

参考文献

引用はすべて藤沢令夫訳を用いた。

Plato, Republic, book 9, section 588b (Greek).

Plato, Republic, Book 9, section 588b (English).

Plato, Republic 588A-589B -- The Nag Hammadi Library

The Gospel of Thomas Collection - The Gnostic Society Library

プラトン全集11 国家、藤沢令夫訳、岩波書店、1976.

トマスによる福音書、荒井献、講談社、1994.

グラウコンとアデイマントスの問い―『国家』第II巻における"Why be moral?"の問題―、中澤務、関西大学哲学 26、pp.203-222、2008. 関西大学学術リポジトリ

はじめに

キリシタン時代の日本語訳聖書は失われてしまったが、聖書の部分訳は現存する。その一つが『スピリツアル修行』に含まれる「御主ゼズ キリシトの御パツシヨンのこと」である。このテキストは「これ四人のエワンゼリシタ記録のうちより選び集めて翻訳せしものなり」とあるように、四福音書全てを用いてイエス受難の部分が編集されたものである。海老沢有道氏の注釈に四福音書の対応部分の記載がある箇所もあるが、より細かくどの箇所でどの福音書を用いているかを比較照合する1

テキストはスピリツアル修行、キリシタン文学双書 キリシタン研究第三十一輯 、海老沢有道 編著、教文館、1994を使用した。 佐藤研編訳の福音書共観表の区切りごとに、『御パツシヨンのこと』テキストに対する四福音書の対応箇所を記載した。『御パツシヨンのこと』を単に「御」と略記した。現代のテキストとの違いとして、御の翻訳はギリシア語聖書ではなくウルガタを基としているので、ギリシア語聖書と異同がある場合は記載した2

特徴

比較照合

殺害計画 マタイ26.1-5.

塗油 マタイ26.6-13.

ユダの裏切り マタイ26.14-16 「銀銭三十文と約束す」御, vulgata. 「銅銭三十枚を支払った」 NA.

過越の準備 マルコ14.12-14 (〜家の主に). 「ゼズスみ弟子二人に宣く」御:「自分の弟子の中の二人を遣わす。そして彼らに言う。」の縮約。マタイ 26.18-20 (師匠〜).

ある弟子の裏切りを予告 マタイ26.21-25 (〜ゼズス御辺云はるると宣ふなり). 「食べている時、彼は言った」の後に「我パツシヨン〜あるべからず。」ルカ22.14-15が挿入されている。マタイ26.24は御では「スキリツウラに見えける如く」と旧約聖書からの引用としている。

仕える者に ルカ22.24-27. 「異邦人たちの王」は、御では「人間の帝王」となっており、意味が変わっている。

十二の部族へのさばき ルカ22.28-30.

躓き予告(1) ルカ22.31-32. ペトロの死ぬ覚悟への宣言とイエスによる躓きの予告は、イエスの洗足と食事の話が途中に挿入されるので、後で述べられる。

象徴行為としての洗足 ヨハネ13.1-5.

象徴行為の説明 ヨハネ13.6-11 既に体を洗った人(vul. lotus)は御では「潔き人」となっている。

エスの誡め ヨハネ13.12-15. ヨハネ13.12-20のひと続きの誡めは途中までしか用いられず、最後の晩餐の話に移行する。

食事とイエスの死の意味 マタイ26.26-29. 26.26[神を]祝しては御では「文をとなえ」。「新しきテスタメント」御, ウルガタ. διαθήκη(契約) NA.

ケドロンの園へ ヨハネ18.1. この挿入が必要な理由は、ルカ22.31-32の後に挿入があったので、躓き予告を行う場面が必要となったからだろうか。

躓き予告 (2) マタイ26:31-35. ただしマタイ26.33の代わりにルカ22:33が用いられる。ルカではなくマタイが主に用いられている点に注意(ルカ22.31-32はルカのみ)。ケドロンの園が舞台なのでオリーブ山への言及は削除。「[私は]羊飼いを打つだろう」は御では「パストル傷を蒙らん時」。

ゲツセマネ マルコ26-33, マタイ26:37-46. 平行箇所がないルカ22.43-45がマタイ26.33の後で挿入される。ただしマタイ26.37の一部で代わりにマルコ14:33が用いられている。この箇所はマタイとマルコで共通箇所がかなり多い。 「われオラシヨせん間」マタイの「向こうへ」(illuc)がないのでマルコ。マタイの「ペトロとゼベダイの二人の子」の代わりに、おそらく分かりやすさのためにマルコの「ペトロとヤコブヨハネ」が用いられる。「恐れ悲しき御心を受け始めた給ひて」に「悲しみ」の内容があるのでマルコが使われている。「悲しみの余りに両目重くなりて」ルカ22.45。だが、マタイ・マルコでは弟子を一度起こして訓戒するのに対し、ルカではそれがないという文脈の違いはある。弟子たちが再び眠っている場面でルカが用いられている。マタイ26.44は「ゼズス 汝達何とて眠られけるぞ? 立ち上りて番せられ[よ]と宣ひ」に変えられている。ルカ22.43-45はルカ以降の挿入部分と考えられている。もちろんウルガタにはこの箇所がある。

逮捕 マタイ26.47-49. マタイ26.47後にヨハネ18.3-9が挿入されている. ルカ22.48. ヨハネ18.10-11. マタイ26.52-56 マタイ26.54の後でルカ22.51の癒しの挿入 マタイ26.56部分でルカ22.53も使用 マルコ14.51-52。この箇所は四福音書すべてが用いられており複雑である。各福音書の独自内容がかなりの程度マタイに挿入され構成されている。「如何に親しき仲 何の故にか来られけるぞ?」はウルガタのマタイ26.50にある:「イエスは彼[ユダ]に言った。あなたは何のために来たのか。すると彼ら[ユダヤ人たち]は近寄ってきて、イエスに手をかけ、彼を縛った」。「人の子」というメシア的な用語が、御では「ビルゼンの子」4。**ユダヤ当局による裁き** ヨハネ 18.12-16 ヨハネ18.19-24 マタイ17.1 マルコ14.54 マタイ26.60-66 一部はマルコを使用している。 「さればジユデヨら」ヨハネよりマルコ26.57の方が近いか。ヨハネ18.14は用いられていない。「遙かに隔たり」マタイ26.58。「ある二人進み出て申掛けらるる虚説には」マルコ14.17. 「この二人の証拠も正しからねば」マルコ14.59. 「重ねてサセルドウテスの司」マルコ14.61. 「尤も殺さずして叶はぬ人なりと」マルコ14.64.

エスへの暴行 マタイ26.67-68. 「ご両眼を結ひふさぎ」マルコ14.65, ルカ22.64.

ペトロの否み マタイ26.69-75. マタイと異なる箇所を以下に記す。「火にあたって居られけるに」マルコ14.67, ルカ22.56. 「別の下女」これはマタイのみ。「ややあって耳を放されけるポンチヒセの郎等の一族」ヨハネ18.26. 「ゼズス ペドロを見返り給へば」ルカ22.61.

ピラトゥスへの引き渡し マタイ27.1-2. 「彼に対する協議をした」の部分で協議の内容として、御ではマタイ26.62-66の部分が繰り返される。

ユダの死 マタイ27.3-10.

ピラトゥスの尋問 (1) ヨハネ18.28-38a ルカ23.4-5. ピラトゥスの尋問部分はルカがベースでヨハネの対話部分を挿入している。

ヘロデ・アンティパスのもとで ルカ23.6-11. 「白き衣装」御, albus ウルガタ, λαμπρός NA. ヘロデとピラトゥスが友人になったことは省略されている。

ピラトゥスの尋問 (2) ルカ23.4-15 マタイ27.12-14.

エスかバラバか マタイ27.15-23. 「盗みをし、人を殺し、隠れなきバラバス」,「バラバは強盗であった」ヨハネ18.39 「悪名高い」マタイ27.16 「反乱と殺人とのかどで」ルカ23.19. 「過ぎし夜その善人につき様々の難儀を堪えつることあり」夢に当たる語がない。

十字架刑の確定 マタイ27.24-26. 「十字架につけるため」は省略されている。

兵士たちによる嘲弄 マタイ27.27-30 右手に持たせた葦は御では「竹」

再度の無罪宣言 ヨハネ19.4-7

ピラトゥスの権力についての対話 ヨハネ19.8-12.

死刑要求の貫徹 ヨハネ19.13-15. 「そこ退け給へ そこ退け給へ」ヨハネ19.15「殺せ、殺せ」。

ゴルゴタへの道 マタイ27.31a (マルコ15.20a) ルカ23.26-32. 「クルスを担げさせ奉り」ヨハネ19.17「彼[イエス]は自分で十字架を担い」。「彼[シモン]を傭い」マタイ27.32またはマルコ15.21。「大山に向って如何に山 わが上に覆ひかかれ」ルカ23.30 『山々に向かっては、「我々の上に崩れ落ちよ」、丘に向かっては、「われらを覆い隠せ」』の縮約。二人の強盗については省略されている。

十字架刑 十字架上のイエス マタイ27.33-38 マタイ27.37 ヨハネ19.23-24 ルカ23.34 マタイ27.40 マルコ15.31-32a. 「カルワリヨの山」ウルガタ「カルウァリアにある場所であるゴルゴタ」。「されば罪人の如くに〜加えられ給ふ」マルコ15.28, イザヤ53.12 ウルガタにはあるがNAでは削除されている。 「エブライカ、ゲレカ、ラチイナ」ヨハネ19.20. ルカ23.34はウルガタにあるがNAにはない。

二人の強盗 ルカ23.39-43.

エスの母に関する逸話 ヨハネ19.25-27.

エスの最後 ヨハネ19.28-30 ルカ23.46の最後の言葉を挿入 マタイ27.51-54。「その場に在合ひける者共、胸を叩きて帰るなり」ルカ23.48.

十字架刑の証人たち マルコ15.40-41 女性たちのリストはマルコに一致する。

死の確認 ヨハネ19.31-36

埋葬 ヨハネ19.38-42. 「ジヨセフとて善者あり」ルカ23.50. 「頼母しく思ふ人なり」ルカ23.51. 「強き心を以って」マルコ15.43. 「はや死し給ふか〜遣はすなり」マルコ15.44-45.

墓の警備 マタイ27.62-66. 復活予告は受難物語の前にあるので、この箇所は復活予告の代わりを果たしている。

参考文献

スピリツアル修行、キリシタン文学双書 キリシタン研究第三十一輯 、海老沢有道 編著、教文館、1994.

新約聖書新約聖書翻訳委員会訳、岩波書店、2004.

福音書共観表、佐藤研 編訳、岩波書店、2005.

ウルガタ, SECUNDUM MATTHEUM 26 - Biblia Sacra Vulgata (VUL) - Bibelwissenschaft

御主ゼズキリシトの御パッションの事-キリシタン訳聖福音書の一例-、海老沢有道、聖心女子大学論叢2、pp. 51-76、1952. 聖心女子大学学術リポジトリ

ギリシア語彩色共観表、佐藤研 編 http://www.rikkyo.ne.jp/~msato/sub3jp.html

和訳史01|キリシタン時代の初期の聖書 - 日本聖書協会ホームページ

バレト写本所収福音書抄註解(1)、鈴木広光・梅崎光・青木博史、文學研究 94、pp.1-29、1997. バレト写本所収福音書抄註解(1) - 九大コレクション | 九州大学附属図書館

バレト写本所収福音書抄註解(2)、鈴木広光・青木博史、文學研究 95、pp.1-29、1998. バレト写本所収福音書抄注解(2) - 九大コレクション | 九州大学附属図書館

バレト写本所収福音書抄註解(3)、鈴木広光・青木博史、文學研究 96、pp.1-13、1999. バレト写本所収福音書抄註解(3) - 九大コレクション | 九州大学附属図書館

イシドルスに言及している文学作品を以下に挙げる1。訳やページ番号は参考文献のものを用いてる。文献の注釈や解説も参考にさせてもらった。この記事は随時更新します。

スペイン

『エル・シードの歌』

エル・シードの歌(我がシードの歌)はレコンキスタ最高の騎士といわれるロドリーゴ・ディーアス・デ・ビバールを主人公とした史実とフィクションを織り交ぜた英雄叙事詩である。舞台はイベリア半島である。 シードの君主であるアルフォンソ王(アルフォンソ6世)が何度もイシドルスの名を口にする。「聖イシドルスよ助けたまえ!」(p.119), 「創造主に感謝したてまつる またレオーンの聖イシドルスにも」(p.157), 「聖イシドルスにかけて絶対に さような事をしてはならぬ!」(p.247), 「この法廷の秩序を乱すものがあれば その者はわが君寵を失い 国外に追放されることを 聖イシドルスに誓って命ずる」(p.255),「レオーン国の守護者 聖イシドルスに誓って申すが 我が領土広しといえども この勇者の右に出る者はありえぬ。」(p. 285)。レオーンの聖イシドルスと言われるのは、アルフォンソ6世の父フェルナンド1世が1063年にイシドルス聖遺物を奉還したため。第三歌でのイシドルスへの言及(p.255)の舞台は、王が開いたトレドでの宮廷会議である。イシドルスがトレド教会会議を主導したことから、王がイシドルスにかけて誓うのに格好の舞台になっている。

イタリア

ダンテ『神曲

天国編第10歌でトマス・アクィナスが紹介する12人の魂の内の9番目がイシドルスである。「またその先を見てくれ、イシドルス、ベダ、そして思弁にかけては人間の域を超えたリシャールの熱烈な息吹きが炎となって燃えている」(p.133)。ちょっとした登場であり、ここ以外には出番はない。

ヤコブス・デ・ウォラギネ『黄金伝説』

さまざまな著作者の資料が引用されているが、その中にイシドルスの『諸聖人の出自と生涯と死』が含まれている (84. 聖ペテロ)。また、13Cの著作であることもあり、聖人の紹介の初めに名前の(民間)語源の説明がなされる点が、イシドルスの『語源』と同じ形式である。例として第三章、聖ニコラウスの冒頭を引用する。「ニコラウス(Nicolaus)は、<勝利>を意味するnicosと<民衆>を意味するlaosとに由来し、したがって民衆の、すなわち通俗にしてあらゆる悪徳の、克服者を意味する。(中略) あるいは、nicos(勝利)と<称賛>を意味するlausとから来ていて、勝利に輝く称賛を意味する。あるいはまた、<光輝>を意味するnitorとlaos(民衆)とに由来し、したがって、民衆の光輝という意味である。」

イギリス

ジェフリー・オブ・モンマス『マーリンの生涯』

アーサー王物語の登場人物として知られる予言者メルリヌス(マーリン)を主人公とした叙事詩。物語の中盤で(l.732)、ケルトの有名な吟遊詩人であるテルゲシヌス(タリエシン)がメルリヌスに会いに来る。彼の語りの中で披露される内容の一部はイシドルスの『語源』に依拠している。

(1) メルリヌスがテルゲシヌスにこの後に風と雨雲がどうなるのかについて述べさせるという場面で、テルギシヌスの長い語りの中でイシドルス『語源』12.6「魚について」と14.6「島について」が用いられている (l.940まで)。

(2) 新しい泉が湧き出し、それを飲んだメルリヌスの体液が清澄になり、狂気の兆しが消え失せた。そのあとで、テルゲシヌスが泉と鳥についての自然の知識を語る(l.1179-l.1386)。イシドルス『語源』13.13『さまざまな水について』と12.7『鳥について』が用いられている。

モンマスはイシドルスの記述をすべて用いているのではなく、取捨選択を行っている。さらに、内容が参照されているだけで、表現は異なる。例えばmullus(ヒメジ)は次のように異なる。

マーリンの生涯 l.825-826

Nempe ferunt mullum cohibere libidinis aestum. Sed reddit caecos jugiter vescentis ocellos.

比売知は、事実、情欲の奔騰を抑えるといわれている。だがこれを絶えず食する者の目を盲させてしまう。(六反田 訳)

語源 12.6.25

Mullus vocatus, quod mollis sit atque tenerrimus. Cuius cibo tradunt libidinem inhibere, oculorum autem aciem hebetari: homines vero, quibus saepe pastus, piscem olent. Mullus in vino necatus, hi, qui inde biberint, taedium vini habent.

mullus(ヒメジ)は柔らかく(mollis)とても華奢であることから、そのように呼ばれる。これを食べると、性欲が減衰し、視力が低下すると言われている。頻繁に食べる人は魚の匂いがするとも言われている。ヒメジがワインに漬けられる時、そのワインを飲んだ者は、ワインに対する嫌悪感を抱く。 (拙訳)

アルゼンチン

ボルヘス『幻獣辞典』

イシドルスの『語源』が資料として言及されている。以下の項目で言及される。

一角獣、カーバンクル、グリュプス、バジリスク

参考文献

エル・シードの歌、長南実訳、岩波書店、1998.

Oroz Reta J. and Marcos Casquero, M.-A (eds), Etymologias: Edition Bilingüe, Madrid, 1983.

Berney, Lewis, Beach and Berghof, The etymologies of isidore of seville, Camblidge University Press, 2006.

イシドルス『語源』翻訳 IX. 6. 1-6『島について』(イギリス、アイルランド) - Asinus's blog

メルリーヌス伝 (1)、ジェフリー・オヴ・マンマス、六反田収訳、英文学評論 41、pp.41-65、1979. Kyoto University Research Information Repository: ジェフリー・オヴ・マンマス 『メルリーヌス伝』(訳)(1)

メルリーヌス伝 (2)、ジェフリー・オヴ・マンマス、六反田収訳、英文学評論 43、pp.43-72、1980. Kyoto University Research Information Repository: ジェフリー・オヴ・マンマス : 『メルリーヌス伝』(訳)(2)

マーリンの生涯、ジェフリー・オヴ・モンマス、瀬谷幸男訳、南雲堂フェニックス、2009.

神曲 天国編、ダンテ、平川 祐弘訳、河出書房新社、2009.

黄金伝説 1、ヤコブス・デ・ウォラギネ、前田敬作・西井武訳、平凡社、2006.

黄金伝説 2、ヤコブス・デ・ウォラギネ、前田敬作・西井武訳、平凡社、2006.

幻獣辞典、ホルヘ・ルイス ボルヘス柳瀬尚紀訳、河出書房新社、2005.