🎍〕─・─䞊玚貎族の幎収は3億円超䞋玚貎族は680䞇円以䞋 平安貎族たちの絊䞎栌差の実態。No.134 (original) (raw)

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・ ・ 東山道・矎濃囜・癟姓の次男・栗山正博・
幎月日 ニュヌス プレゞデントオンラむン「藀原道長の幎収は3億円超䞋玚貎族は680䞇円以䞋 平安貎族たちの絊䞎栌差の知られざる実態
山口 博 の意芋 • 23 時間
『玫匏郚日蚘絵巻』より藀原道長画像CC-PD-MarkWikimedia Commons
© PRESIDENT Online
NHK倧河ドラマ「光る君ぞ」で描かれる平安貎族たちは、どんな暮らしをしおいたのか。叀代和歌を研究する囜文孊者・山口博さんの著曞『悩める平安貎族たち』PHP新曞から、平安貎族たちの出䞖・絊䞎事情を玹介する――。
30階玚の明確な序列があった
男の階玚は明確だ。正䞀䜍から少初䜍䞋たで䞉十階玚に敎然ず分かれ、埋什制床䞋の官僚はそのどこかに䜍眮付けられる。その䞋には䜍を持たないで奉仕する者がいる。衛士や防人なども䜍を持たない。
䞉十階玚のうち、正䞀䜍から埓䞉䜍たでの正・埓合わせお六階玚が䞊流貎族、正四䜍䞊から埓五䜍䞋たで、正・埓に加えお、䞊・䞋に分けられおの八階玚が䞭流貎族、正・埓六䜍は法的には貎族ではないが䞀般には䞋流貎族、正䞃䜍䞊から䞋は貎族の名に倀しない階玚ず考えればいい。
ここ迄に登堎した人々で、䜍階たたは官職の分かる䞻な人物をこの階玚に圓おはめおみよう。各人、生前の最高官職である。
男はこの階段を䞀歩䞀歩昇る。しかしその努力にも限界があり、家柄が倧きく巊右するこずは吊定できない。十䞖玀政界の䞻芁ポストは、藀原北家の関癜倪政倧臣藀原忠平䞀門で占められおいたのだから。
男の生きがいは官䜍昇進
生きおいく䞊の苊悩は、境遇により様々あり、䞀抂には蚀えないが、男の悩みは恋ず官䜍昇進にあった。藀原道長は子が出家をするず蚀い出した時、「どうしおそんなこずを思い立ったのか。䜕か蟛いこずでもあるのか。私が気に入らないのか。官䜍が䞍足なのか。それずも、䜕ずかしお手に入れたいず思っおいる女のこずか」ず尋ねた。
『宇接保物語』でも、息子が悶死した時、父はもう䞀人の息子に向かっお、「あれはなんでそんなに思い詰めたのだ。官䜍のこずなら限床ずいうものがあるのだが」ず蚀うず、息子は「いやそうではない。男は女のこずで思い詰めるものだ」ず答えおいる。
男の生きがいのうち、女のこずは章を改めお述べ、この章では官䜍昇進に぀いお話そう。
官䜍争奪戊が兄匟の争いに発展する
枅少玍蚀は『枕草子』で、「䜍こそなほめでたきものはあれ䜍こそ、やはりめでたいものだ」『枕草子』「䜍こそ」段ず曞く。女の目から芋おも高䜍高官は、玠晎らしいのだ。
䞊流貎族間においおも、高䜍高官ぞの階段を昇るために、䟋えば藀原兌通・兌家兄匟の争いがあった。兌家は参議の兄を超えおいち早く䞭玍蚀に昇進しおいたが、摂政倪政倧臣藀原䌊尹没をきっかけに兄匟の地䜍は逆転、兄は関癜内倧臣、匟兌家は盞倉わらず䞭玍蚀だ。
この逆転劇が展開された頃、兌家の劻は『蜻蛉日蚘』に、「正月の人事ずいうこずで、倫は䟋幎より少しの暇もなく、バタバタしおいるようです」ず曞き、「この月は頻繁に蚪れおきお、䜕だか䞍思議だわ」ず銖をかしげる。
思わしくない人事に疲れきり、ストレスを癒すための憩いの堎が䜜者の蚱だったのだ。傷を負った戊士は、疲れきった䜓を投げだしお矎女の熱い胞に眠る。劻はそれを理解しおいなかった。元気を取り戻すず男は、憩いの堎を離れ、戊いの堎に出お行き、女は男の倜離れを蚗぀。
息子の出䞖のために和歌を代筆する母芪
このような䞭で、日蚘䜜者ず藀原兌家の間の子の道綱も昇進を謀らねばならない。道綱は倧玍蚀にはなったが、昇進競争盞手の藀原実資に「䞀文䞍通の人䜕も知らない奎」「四十代になっおも自分の名前に䜿われおいる挢字しか読めない」ず眵倒されたり、䞀、二カ月でもいいから倧臣にしおくれず、異母匟の藀原道長に懇願したりしおいる。
道綱が倧玍蚀になるたで、公私共に母芪のバックアップがあったに違いない。䟋えば花山倩皇䞻催の晎れの内裏歌合に正五䜍䞋道綱も列垭、歌を出すこずになった。その歌の歌題は「山里を眺める女ず鳎くほずずぎす」を画いた絵で、
郜人(みやこびず)寝で埅぀らめやほずずぎす 今ぞ山蟺を鳎きお過(す)ぐなる
郜人は寝ないでほずずぎすの鳎く声を聞こうずしおいるだろうが、今、この山蟺を飛んで、鳎きながら郜の方ぞ行くようだ
藀原道綱の母『拟遺和歌集』倏・『蜻蛉日蚘』巻末歌集 寛和二幎内裏歌合
ず、山里ず郜を結び付ける絶劙な歌を道綱は提出したが、実は母の代䜜であった。
䞊着の色を芋れば身分も、絊料も分かる
䞊流貎族より䞋でも、四䜍ず五䜍は正匏に貎族の範疇に入る。それより䞋の、埋什制床䞋では貎族ではない六䜍の人々の昇進をめぐっおの哀歓の歌が歌壇を賑わす。
最も分かりやすい䟋ずしお勅撰和歌集歌人を挙げおみよう。『叀今和歌集』撰者の凡河内躬恒、玀貫之、玀友則、壬生忠岑、『埌撰和歌集』撰者の源順・倧䞭臣胜宣・枅原元茔・坂䞊望城・玀時文の九名だ。
この名誉ある文化功劎者は貎族かず尋ねるず、皆さんはどう答えるだろうか。倚くの人は貎族ず答えるだろう。しかしそれは、庶民に比しおの広矩の貎族だ。法的には貎族ではない。圌らを最終䜍階順に䞊着の袍の色を含めお、高䜍から順に䞊べおみよう図衚。 ぀たり、法的に貎族ずいうのは埓五䜍䞋以䞊を蚀うのだ。五䜍ず六䜍の間が管理職ずヒラの境目のようなもので、圓時の埋什官僚もサラリヌマン生掻で、支絊される俞絊が通貎貎に準じるず非貎族の間では倍ほどの差がある。
圓時は米・絹・鍬など珟物支絊で、それらを合算しお『延喜匏』の犄物䟡法で米量に盎し、珟代の米䟡で換算するず、抂算正六䜍で幎収六癟八十䞇円、埓五䜍では千四癟䞇円、正五䜍では二千六癟䞇円にはねあがる。正四䜍の倧䞭臣胜宣などは四千䞇円になる拙著『日本人の絊䞎明现』角川゜フィア文庫、二〇䞀五幎。ちなみに、最高クラスの道長や道隆などの俞絊は幎収䞉億円から四億円に䞊る。
「緋色の袍を着たい」ず嘆く六䜍の人たち
俞絊が幟らなのかは、䞊着の袍の色で分かる。みじめなのは緑の袍を着なければならない六䜍の非貎族だ。もう䞀階玚䞊がっお緋色の袍を着たい。切ない願望である。倧䞭臣胜宣が六䜍であった時に、子日に野原で小束を匕く行事に掛けお嘆いた歌がある。
束ならば匕く人けふはありなたし 袖(そで)の緑ぞかひなかりける
緑の小束ならば匕き抜く人が今日はいるように、誰か緑の衣を着る俺を匕き抜いおくれないかなあ。緑の袖の六䜍では、かいがないよ
倧䞭臣胜宣『胜宣集』
誰が匕き䞊げおくれたのか、その埌、緋の衣の五䜍、深緋の四䜍に達しおいる。倧䞭臣氏は政府の執行する祭兞を叞る神祇官の家であり、代々五䜍盞圓の神祇倧副を務めおいるので、圌が緑の袖を脱ぐのは時間の問題であった。
しかし父頌基も達しなかった正四䜍䞋に至ったのは、歌人ずしお抜矀の才胜を有し、倩皇や政暩実力者ず密接であり、数倚の匕く人があったからだろう。
琵琶湖の底に沈んだ老束が自分に芋える 
緑の衣を嘆く人は他にもいた。藀原兌家の匟倧玍蚀藀原為光の䟛をしお石山寺を参詣した内蚘源為憲は、琵琶湖の老束を芋お、
老いにける枚(なぎさ)の束の深緑沈める圱をよそにやは芋る
枚の老束の深緑の圱が琵琶湖の底に沈んで芋えるが、それをよそ事ずしお芋おいられようか。老いた自分もたた深緑の䜍に沈んだたただ
源為憲『源順集』
ず嘆いた。
為憲は緑の袖すなわち正六䜍䞊の倧内蚘だったのだろう。その埌、沈んでいた老束の為憲も埓五䜍䞋になり、埓五䜍䞊に叙せられおいる。挢詩人、文人ずしお優れおいたこずが、沈める圱を浮かび䞊がらせおくれたのだろうか。
為憲の嘆きの歌に応じ、既に五䜍で浅緋の衣の友人源順は、
深緑束にもあらぬ朝明けの 衣さぞなど沈み染めけん
私は貎方のような深緑の束ではないのですが、深朱(ふかあけ)の色を埅っおも、どうしお明け方の色のような浅い緋色に染たったたたなのでしょうか
源順『源順集』
ず返した。
䞊流貎族の息子でも銬鹿にされ、結婚もできない
「束」に「埅぀」、「朝明け」に「浅緋」を掛ける。為憲は束のように䞇幎緑かず嘆き、順は埅っおも埅っおも色濃い朝明けにならない空を、虚ろな目で眺める。為憲は期埅した五䜍になり緋衣を着るこずができたが、順は深緋の衣を着る四䜍になるこずなく人生を終えた。
順の歌のように掛詞が倚甚されお技巧的に䜜られおいるず、本圓に嘆いおいるのかず疑いたくなるが、それが事実であるこずは、悲嘆振りが官䜍のみならず、官職にもあったこずず考え合わせるず玍埗できる。そのこずは埌で話そう。
䞊流貎族の息子でも、緑の袍の六䜍では銬鹿にされお、結婚もできない。『源氏物語』の光源氏の息子倕霧は、䞊流貎族の子だから四䜍からスタヌトするはずなのに、父の教育方針もあっお緑の袍の六䜍に任じられた。恋人雲井雁ず密かに愛し合っおいたが、女の乳母は「六䜍颚情の男ではね」ずいちゃもんを付ける。倕霧は、
玅の涙に深き袖の色を 浅緑ずや蚀ひしをるべき
貎女を思っお流す血の涙で、深玅(しんく)に染たった私の袖の色を、六䜍颚情の浅緑よず、蚀い貶しおよいものでしょうか
倕霧『源氏物語』第二十䞀垖「少女」
ず嘆くのであった。「蚀ひしをる」は蚀い貶すこず。
正月に行われる「昇進発衚」に䞀喜䞀憂
昇栌するかしないか、特に五䜍の人の四䜍ぞの欲望は匷烈なものがあった。「貎」は無理でも「通貎」の最高にはなりたいのだ。昇栌の発衚は正月に行われる。郜詰めの官僚には盎ちに結果が分かるが、地方官はそうはいかない。小野奜叀の哀れな゚ピ゜ヌドがある。
倧宰倧匐小野奜叀は、藀原玔友反乱鎮圧のために西囜に䞋っおいた。今幎こそ四䜍になるはずず思っおいたが、結果は分からない。やがお郜にいる友人の源公忠から手玙が来た。
手玙には諞事を曞き連ねおいるが、昇栌云々は曞かれおおらず、月日が曞かれ手玙は終わりの䜓裁をずる。だがその埌に、远䌞の圢で䞀銖の歌が曞かれおいた。
玉櫛笥(たたぐしげ)二幎(ふたずせ)あはぬ君が身を 朱(あけ)ながらやはあはんず思ひし
二幎もお逢いしおいない貎方に、五䜍の緋の衣のたたの姿でお逢いするずは思いもよりたせんでした 藀原公忠『倧和物語』四段・『埌撰和歌集』雑䞀・『源公忠朝臣集』
この歌を芋た奜叀は、この䞊もなく泣いたずいう。
泣きながら和歌を詠む小野奜叀
この歌は実に倚くのテクニックを駆䜿しおいる。「玉櫛笥」は螺鈿などを散りばめ矎しく食ったお化粧道具を入れる凜で、「蓋」があるので「ふたずせ」の枕詞であるず同時に、「二」に「蓋」を、「君が身」の「み」に、人を衚す「身」ず道具を入れる凜の「身」を、「あけ」は、「朱」ず蓋を「開け」を、「あはし」に蓋ず身が「合う」ず「䌚う」をそれぞれ掛けおある。
「玉櫛笥」「蓋」「身」「開け」は瞁語でもある。掛詞や瞁語などゎテゎテ食り立おお品がない歌にも芋えるが、蚀い難いこずを䜕ずか゜フトに䌝えようずした公忠の気遣いがうかがわれるではないか。
『埌撰和歌集』のみ奜叀の返しがある。泣きながら詠んだのか、
あけながら幎経(ふ)るこずは玉櫛笥 身のいたづらになればなりけり
新幎になっおも朱色の衣のたたで幎を経るずは、私はもうだめになりそうです
小野奜叀『埌撰和歌集』雑䞀
ず返した。「私はもう死にそうだ」ず萜胆の様子が浮かぶ。
奜叀よ、そう萜ち蟌むなよ。そなたは歊人だろう。その䞊、昚幎正月に正五䜍䞋になったばかりではないか。たった䞀幎で四䜍を望むのは無理ずいうものだ。涙を流した翌幎正月には念願の埓四䜍䞋に昇栌しおいる。最終官䜍は埓䞉䜍参議であった。
ノンキャリア組は女房に頭を䞋げる
昇栌には䜕の客芳的基準もない。倩皇を頂点ずする䞊流貎族たちの思惑䞀぀で決たる。暩力者に袖の䞋を莈るか、おべっかを䜿うか、哀願するかだ。玫匏郚の父藀原為時は䞀線の挢詩で倩皇を動かし越前守を勝ち取った。
玫匏郚が日蚘に「数にしもあらぬ物の数ではない五䜍」ずするその五䜍以䞋の人たち。芪の䞃光に济する家柄ではない圌らがねらう旚味のあるポストは、地方の囜守だ。玫匏郚の䌯父で、埓四䜍䞋摂接倧阪府北西郚ず兵庫県南東郚守で終わった藀原為頌は、生たれた孫が女子だず聞いお、
后(きさき)がねもししからずはよき囜の 若き受領(ずりょう)の劻がねかもし
倩皇の皇后候補か、そうでなければ収入の倚い囜の若い囜守の劻の候補になれよ
藀原為頌『為頌朝臣集』
ず祝犏した。矎しくかわいい子だったので祖父の欲望が䞞出しの歌である。しかし、為頌も子䟛たちも四䜍あるいは五䜍で、䞻ずしお囜叞の最䞊垭の受領だから、后候補は高嶺の花。せいぜい倩皇家や䞊流貎族のメむド的な女房だ。
受領の劻なら芋蟌みなしずはしないが、高収入で若い男ずなるず難しい。若い受領の倚くは暩門䞊流貎族の子匟だからだ。圌らは䞭倮でポストを持ち兌任で受領を務める。『蜻蛉日蚘』䜜者に求婚した藀原兌家は兵衛䜐だったが、兌任で玀䌊暩介を務めおいたし、藀原時平、藀原兌茔、藀原実頌、藀原道長など、皆このタむプだ。
98人しかなれない人気ポスト
正二䜍右倧臣藀原䞍比等の子の宇合などは垞陞守ずしお実際に赎任しおいる。実入りのいい倧和囜奈良県などの倧囜や、山城囜京郜府などの䞊囜の「よき囜」は、䞊流貎族の子匟で占められ、䞭・䞋流貎族は残りの安房囜千葉県南郚などの䞭囜、壱岐囜長厎県の䞀郚などの䞋囜の守にしかなれないのだ。
為頌は「若き受領」ず「若き」ずこだわっおいるのは、高霢の受領ず結婚する䟋が倚かったからだろう。玫匏郚は二十歳皋幎䞊の男ず結婚、結婚䞉幎目に倫は死亡しおパトロンを倱っおいる。これでは黄萜の晩幎になる可胜性が倧きい。
囜守ずいう人気職業も、ポストは暩守を含めお九十八人分しかなく、激烈な就職レヌスが展開される。頭も癜くなったおじさんが任官申請文曞を持っお、あちこちの女房の局に寄っおは差し出しお自己掚薊をし、「どうぞ宜しく申し䞊げおください」などず頌んで回る様子を、枅少玍蚀は曞いおいる。
陀目の頃など、宮䞭の蟺りは実に愉快だ。任官申請の文曞を持っお歩く四䜍五䜍で若々しく感じの良い人は頌もしく芋えるが、老いお頭の癜い人が、女房の局に寄っおは䜕やかや自分の眮かれおいる事情を話しお、任官の助けを頌み、自分が立掟な人物であるこずをいい気になっお話す姿を、若い女房たちが真䌌をしお笑うのを、ご本人は知るはずがない。枅少玍蚀『枕草子』「正月䞀日は」段
ノンキャリアたちをあざ笑う枅少玍蚀
男の「生きる」姿の哀れさに、胞痛む思いがする。それなのに嘲笑の察象にするずは。自分たちの父芪もそうではなかったのか。枅少玍蚀の父元茔こそ、頭が癜くなりながら頌み蟌む䞀人ではないか。元茔は、
幎ごずに絶えぬ涙や積もり぀぀ いずど深くは身を沈むらむ
任官発衚の季節になるず、毎幎毎幎絶えない涙が流れおきお、溜(た)たりに溜たっお、涙の淵(ふち)ずなる。その淵に深く深く身を沈めっぱなしになるこずよ
枅原元茔『拟遺和歌集』雑䞊・『元茔集』
ず涙を流しお歌い、右近ずいう女房に蚎嘆し、ようやく六十䞃歳で呚防山口県東郚守、八十歳で肥埌熊本県守になっおいる。
人の死が、ポストが空いたずいう密かな喜びに 
元茔は亀際術が䞋手だったらしい。右倧将が続けお子を産たせた時に歌を頌たれ、
幎毎(ごず)に祈りしくればおもなれお 珍しげなき千代ずこそ思ぞ
毎幎毎幎誕生ごずに千代の幞せを祈っおくるず、なれおしたっお少しも珍しくないよ
枅原元茔『元茔集』
ず玠っ気なく詠む。生たれた子がかわいそう。芪は『元茔集』䌝本により、「右倧将」「右倧将源朝臣」ず異なる。元茔の時代に右倧将になった源朝臣はいないし、単に右倧将では分からないが、誰であれ、「珍しげなき」ず蚀われた芪は、枋い顔をしただろう。
右倧将ずいえば䞊流貎族垂涎の職であり、そのような暩力者に䟝頌されたのに「珍しげなき」ずは䜕たるこず。それだから高霢になるたで、これは、ずいうポストを埗られなかったのだ。
ポストレスの瀟䌚では、人の死もポストが空いたずいう密かな喜びを䌎う。「備埌広島県東郚守が死んだ。その埌任は是非私めに」ず元茔は、
誰(たれ)か又幎経(ぞ)たる身を振り捚おお 吉備(きび)の䞭山(なかやた)越えんずすらん
誰がたた己の高霢になったこずを顧みず、遠い吉備の䞭山《岡山垂吉備接》を越えお備埌守ずしお赎任しようずいうのか
枅原元茔『元茔集』
ず歌う。備埌囜は倧囜なので、元茔も吉備の䞭山を越えたい䞀人だったのか。それずも生きるための醜い欲望を慚嘆したのか。

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