聚秀 蓮・慈光美術 (original) (raw)

梅雨明け前というのにで暑さにこたえる日々が続く中、

半年の穢れを落とし、残り半年の無病息災を願う行事、夏越の祓の茶会を開いた。

狭い店内のギャラリーで 寄り付きには

渡辺 公観「江上雨中」の短冊を。

日本画家。森川曾文に師事。日本自由画壇同人。

昭和十七年歿六十五歳滋賀県大津生

大祓人形(おおはらえひとがた)を店で育てている芒で作って飾る。

花は 沙羅双樹 清らかな白さが目に心地良い。

寄り付き

茶籠あれこれ 組み合わせて選んで楽しみながらお茶を頂く。

茶籠のお点前

主菓子は「水無月」今木屋製

店主誕生日前日とあって、「千歳鮓」森八 製を用意してくれたありがたさ。

茅の輪くぐり唱詩

水無月の夏越の祓する人は 千歳の命延ぶというなり」

干菓子は 銘「あじさい」京都井津美屋 製

祝い菓子

九月までお稽古はお休みです。

皆様ご自愛下さいませ。

寄り付きには 野崎 幻庵(のざき げんあん)

「軒の雨やどは あふよりもほととぎす
かわける幹の 袖のぬれける」

別号/廣太/安閑山房主/汲古庵/自治荘老人
数寄者、益田鈍翁の進めにより三井物産に入社のち三越百貨店社長等勤める、財界の
数寄者として、益田鈍翁、高橋掃庵、原三渓
根津青山、馬越化生らと交友を結び、
茶に親しむ。「茶会漫録」を出版。
昭和十六年歿八十五歳岡山生

店主は縁あって玄庵の作品をたくさんあつかって
きた。季節毎何度寄り付きに掛けてきただろうか。

寄り付き

寄り付き和歌

本床

本床には 「墨竹」無学 宗衍
むがく そうえん
別号/把不住/至聖大妙禅師
大徳寺三百七十八世。玉林院十世住職。
又、東海寺の輪番を務める。明和四年勅を受け
大徳寺に入寺開堂、光格天皇より禅師号を賜る。
寛政三年歿七十一歳

「手無宗全 えびす 籠」二代 池田 瓢阿
大好きな籠の季節到来。
花は スタッフが丹精した金糸梅、山法師、紫陽花

繊細な花々が籠で良く映える。

竹籠

竹芸家、竹楽会主宰、日本工芸会会員、
茶道系花籠の第一人者、鈍翁や数寄者より薫陶を
受けた。伝来の時代花籠の写しを得意とす。
執筆や茶陶も長じ「茶会の顛末ー小林白甫茶湯
日記」「骨董巷談」など著書多数。三代目に譲り
瓢翁となる。
大正三年大阪生
平成十五年歿大阪生東京住

香合

「堆朱 屈輪(ぐり)香合」

渦状の反復文様のことで、「ぐりぐり」としている
ところから中世以来この名で呼ばれている。
堆朱や寺院建築などに用いられる 蕨形の連続文様。
古代中国の漆工の一つ。

「銘 初心」吉田 宗林(造)辻常閑(筒書花押)

風炉では初心にかえって 丁寧に向き合うべく選ばれた
次第。

茶杓

「車軸 釜」大西 五郎左衛門(造)
十三代 大西 清右衛門(箱書)

真塗眉風炉

【大西 五郎左衛門】おおにし ごろうざえもん
名/延貞
江戸中期の釜師。江戸大西家の祖。
京都大西家の二代目五郎左衛門村長、浄清の子。
寛永年中に古田織部に従い父と共に江戸に下向し、定林は江戸に留まり江戸大西家を興した。
宝永から宝暦は幕府御用釜師享保十二年歿

【十三代 大西 清右衛門】おおにし せいえもん
別号/清三郎/孝信/浄長
千家十職釜師大西家。十二代長男。
十一代祖父のち玉村徳兵衛に師事、晩年は釜の鑑定や
極めをした。昭和十八年歿七十八歳

水指 薄器 茶碗

水指「萬古焼 南蛮縄簾」中森 楽助

薄器「桐竹蒔絵 中棗」堀井 胡春

茶碗「斗々屋」駕洛窯(清水日呂志)
とても手に収まりの良い茶碗。

茶碗その一

茶碗その二

「仁清 八ツ橋」森里 陶楽

茶碗その三

建水

建水「丹波」信水窯(市野 信水)
曲げの留めもあるのがお分かりだろうか。

蓋置「板橋」

蓋置

菓子器「高取 手付」鬼丸 雪山

初夏の楓
秋の紅葉にもどちらにも使える
程よい大きさのすぐれもの。

菓子器

主菓子 御銘 あゆ(青楓)御製 今木屋

主菓子

干菓子 御銘 初夏御製 亀屋清永
「溜塗丸盆」
流水紋 八つ橋 蝴蝶 青楓 鮎 に見立てて

干菓子

六月の茶会は涼やかな道具達の出番となりそうです。

今年の春も天候は今一つ安定せぬ中、旧暦でのお釈迦様誕生会(たんじょうえ)である、灌仏会(かんぶつえ)の茶会を開きました。

寄付

平山 郁夫 【薬師寺散華色紙】

色紙掛 「古代裂」

寄り付き

足元には 真葛 二代 宮川 香斎のインドの「白い象」を。

本床には 灌仏会には欠かせない

東皐心越「誕生仏」を。

【東皐心越】(とうこうしんえつ)

俗姓/蔣、名/兆隠のちに興儔、字/心越、号/東皐、別号/樵雲/越道人

江戸初期の渡来僧。長崎興福寺に入り、水戸光圀に迎られ水戸天徳寺に住す。

水戸祇園寺、高崎少林山達磨寺開山。

詩文、書画、篆刻など中国の文人文化を日本に伝え、古琴は日本の琴楽の中興の祖、

篆刻は独立とともに日本篆刻の祖とされる。元禄七年歿五十八歳

本床

「散華盆」「散華」(寺院で仏や菩薩が来迎した際、華を降らせたという故事に由来)

「釈迦像」「甘茶」(お釈迦様が誕生の際、甘露の雨が降ったという経典に由来)

花入は 葛明祥 「海鼠釉楕円形水盤」

【葛明祥】(かつめいしょう)

清朝乾隆・嘉慶年間(1736年-1821年)頃に活躍していた、

宜興窯(ぎこうよう)の陶工で親子三代で銘を使用していた。
宜興窯では当初、鈞窯釉を中心に制作をしていたが葛明祥と

弟の葛源祥が海鼠釉を発展させたのが始まりとされており
作品の多くは日本へ輸出され中国ではあまりないとされている。

お釈迦様がネパール南部ルンビニの花園で誕生された為、同じように

沢山の花でお祝いいたします。

本床

花祭り

散華

香炉 永楽善五郎「黄交趾香炉」

香 甘茶線香(花まつり用)

釜は 佐藤 清光「肩七宝 透木釜」

炉縁 「輪島塗 花筏蒔絵」

平沼 浄「升乾漆 四方茶器」

水指 玉堂窯(手塚玉堂)「青磁 平水指」

宗竹(造)佐藤朴堂(花押筒書)

「銘 朝露」儚いもの(命)のたとえ

茶道具

平沼 浄「升乾漆 四方茶器」

藤田 宗勝「唐銅製 蓋置」

前田家鋳物師七人衆の家柄。高岡住

蓋置

「春慶塗 曲建水」

「雲錦之筏」山沢 松篁

「雲錦之筏」

備前 茶碗

南鐐茶碗

(花鳥文)」と箱書

そしてお楽しみはインドの菓子

ラスグラ・RASUGULLA

乳蛋白をレモンや酢、乳清を使って凝固させたチェナー(インドのフレッシュチーズ)に重しをして水切り、セモリナ粉をくわえ団子状にてゆでる。

これをラスゴーラという。同類にチャムチャムがある。

庵主はインドラジギ-ルでの日々、これをボールに、抱えて食べていた由。

もう一つは

ソーンパプディ・SOAN PAPDI

干菓子というより主菓子のような大きめの、これも牛乳と砂糖、スパイスも加えて

作られている。

本日の抹茶は 銘「五重の白」詰「清風園」東寺御用達

インド菓子 ラスグーラ

ソーンパプディ

早くも初夏の陽気。

薫風の時期が年々少なくなっている感がいたします。

まさに春の嵐といっていい天候の中、利休を偲んでの茶会を開いた。

千利休の忌日 利休忌としてこの時期、各流派で茶会がひらかれている。

天正十九年二月二十八日、豊臣秀吉の命を受け自死した。

新暦では表千家不審庵は二十七日、裏千家今日庵と藪内燕庵は二十八日に

挙行する。

毎月二十八日には聚光院で三千家が交代で供茶釜をかけ、

各流派でも行っている。

利休の肖像又は居士号を掛け、その前に三具足を飾る。

三具足とは仏事に用いる「香炉」「華瓶」「燭台」を指す。

釜は釣釜又は阿弥陀堂釜、国師釜をかける。

花は菜の花を手向ける。

その後七事式を催すのが恒例となっている。

「辞世の句」

人生七十 (じんせいしちじゅう)

力囲希咄 (りきいきとつ)

吾這寶剣 (わがこのほうけん)

祖佛共殺 (そぶつともにころす)

堤る我得具足の一太刀 (ひっさぐる わがえぐそくのひとたち)

今此時ぞ天に抛 (いまこのときぞ てんになげうつ)

(訳)

人生七十年

えい!やぁ!とう! (力囲希咄=気合の掛け声)

我がこの手に持つ宝剣を使い

祖仏も我も共に殺してしまえ

上手に使いこなせるこの太刀を引っ下げ

今、この命を天に投げ打つ

抛てる茶筌に花の匂ひかな 川上不白

(訳)投げ捨てる茶筅に花の匂いが感じられることだ。

千利休の号である「抛筌斎」をもとにした句。

魚を獲る道具である「筌」をなげうつという意味に由来するが、

茶の湯の必需品である茶筅に転じている。

利休忌や いつか地雨の 七事はて 佐々木三味

参考文献:佐々木三味「茶道歳時記」淡交社刊行

寄り付きには 「力囲希咄」小野 雲峰

大徳寺派龍興山南宗寺塔頭、本源院住職

(語句説明は前述ご参照を)

寄り付き

本床には「利休居士肖像」高安 戒仙

大徳寺五百八世、大徳寺聚光院。昭和四十七年歿九十一歳

本床 飾り

「松地紋 撫肩 筒釜」佐藤清光

「古材 炉縁」平安 栄斎

釣釜 炉縁

釣釜とは天井から釣る形の釜を指す。

春になり暖かい陽気になってきたので釜を小さくするが、

春とはいってもまだ寒い。

釣釜にして釜を持ち上げ炭の火がお客様に見えるようにしている。

春の風情、ゆれる軽やかさを茶室で表現しているともされ、

風炉の前の三月に用いられる。

広間では釣釜を鎖で吊るし、小間では竹の自在で吊るす。

「桐 旅箪笥」

旅箪笥を組み合わせて使うことが多いのは、千利休豊臣秀吉

小田原攻めに同行したことから始まる。

戦場には茶室がなく、箱形の旅箪笥に茶道具一式を

いれて持ち運び、茶を点てることになった。

しかし、炉で湯を沸かすことができなかったため、穴を掘り火を

おこし、そこに木から吊るした釜を下げて湯をわかした、とされている。

「黒 中棗」高村 表恵

中△(詳細不詳)茶杓

「銘みせばや 花をのみ待つらん

人に山里の雪間の草の春を見せばや」

壬二集・六百番歌合・藤原家隆

「まだ花が咲かない、春が来ない」と待っているだろう人に、

山里に積った雪のあいだ、わずかに芽吹いた若草に

訪れた春を見せてあげたい」

水指 「光琳 水指」尾形 乾女

日本画家、陶芸家。六世乾山の娘。女性は窯場に入る事は許されず

還暦を過ぎてから陶芸を始める。幼少より日本画を学び、

後に堅山南風に師事。

晩年鎌倉で陶芸活動をはじめ、自らを乾女と名乗る。

七世を襲名せず六世の完結を宣する。平成九年歿九十八歳浅草生鎌倉住

水指

「色絵桜花画茶碗」三代 杉田 祥平

清閑寺焼、色絵、交趾、染付、京都伝統陶芸家協会役員、大正三年京都生

華やかで品の良い作品には愛好家が多い。

色絵桜花画 茶碗

「長次郎 鉢開写 黒 茶碗」三代 佐々木 昭楽

父松楽に師事、茶道具専門に製作、祖父の代より楽焼に従事。

京都清水阪に築窯のち亀岡矢田神社の畔に移住、出口王仁三郎

小田雪窓の知遇を得、再び開窯。昭和十九年京都生

長次郎 鉢開写 黒 茶碗

「志野 茶碗」松本 鉄山

瀬戸安右衛門窯窯元。山口錠鉄の次男、母方の窯を継ぎ瀬戸で作陶。

志野 茶碗

「桜 茶碗」山岡 善昇

山善次郎にて十年間修業、昭和四十四年 山岡陶画苑として独立。

師匠より 善昇(昇)の号を受る。

淡交ビエンナーレ茶道美術公募展入選受賞。昭和十七年三重生

桜 茶碗

唐津 絵粉引 鉢」十三代 太郎右衛門窯

唐津藩の御用窯として伝統を受け継ぎ、古唐津を復興させ、

人間国宝として認められた十三代太郎右衛門の窯。

唐津 絵粉引 鉢」十三代 太郎右衛門窯

主菓子

「利久饅頭」

我々には 利休の文字を頂くには恐れ多いので、利久と。

今木屋 特製

干菓子は「松崎煎餅」蝶 を「欅 高坏」に。

蝶は 仏教ではあの世とこの世をいきかう、輪廻転生の

シンボルとして仏具にも用いられてきた。

復活、長寿などの縁起ものとしても、この日にふさわしく感じた。

干菓子

ここ数日の陽気で一気に桜が開花した。

来月はすでに初夏になろうか。

日本固有の繊細な季節の移り変わりが 感じられにくくなってきたのは

残念である。

せめて茶の世界では大切に受け継いでもらいたいと願ってやまない。

三寒四温というには気温差が激しいこの頃、

梅も桜にその座を明け渡さんとする、名残り惜しさをこめて。

寄付

大田垣 蓮月「春雪」

ふる雪も あはにむすべる いとやなぎ かずみるままに とけわたるなり

総丈146×26.5

八十五歳最晩年の歌・神光院主徳田光圓箱書(京都西賀茂の真言宗放光山神光院

住職、神光院は幕末の歌人で、南画家富岡鉄斎を育成したことで知られる蓮月尼が

晩年を過ごした所。)

寄付から本床へ

本床へ

本床

十三代武者小路千家 有隣斎

別号/宗守/徳翁/宗安

「和氣萬家春」

総丈177×32

「わきばんかのはる」 春の一日、のどかな陽気や和やかな風がどの家にも

溢れている。

財団法人官休庵設立、千茶道文化学院創立。平成十一年歿八十七歳

本床

「高取焼 福雀 香合」

十三代 亀井 味楽(造)機叟(箱書)

高取焼窯元。十一代高取久助寿泉長男。藩の保護がなくなった高取焼を味楽窯の

当主として守る。茶陶の造詣も深い。昭和十九年技術保存者。昭和三十一年歿七十三歳

鳩居堂「梅が香」

「福良雀」「福来雀」ともいわれる。

冬の寒さをしのぐために羽をふくらませた丸々とした姿は、豊かさを象徴する縁起物

とされてをついばむ」きた。雀自体も、「厄をついばむ」の意味があり、一族繁栄や

家内安全の象徴でもある。

地元でも農地が減って、最近目にすることが少なくなってきたのがさみしい。

香合

花;白梅、侘助

花入;「備前 一輪入」中村 六郎

味のある作品が多く、もっと評価されてもよいと感じている。

六郎窯。昭和二十年金重陶陽に師事、大正三年伊部生平成十六年歿

園城寺 釜」菊地 政光

姥口、土筆鐶付、撫肩、尻張を特徴とする丈の低い釜を指す。

肩に「園城寺」の三文字を鋳出し、胴は霰文をあしらう。

かつて松平不昧公が所持した芦屋釜の名品が有名で、現在東京国立博物館所蔵と

なっている。

もともと北九州博多でつくられていたが、守護する人がいなくなり、関西へ渡った

とされている。

つるっとした柔らかい肌が特徴。

「海松浪蒔絵 炉縁」岡本 陽斎

漆芸家。茶道具を中心に製作。京都在住で工房は石川県中山町。昭和七年京都生

和食はもとより、茶道具に漆器は欠かせない。

この度の震災で多くの担い手が被災されてしまわれた。

手に取って、その得難い魅力、存在を知って頂きたいと強く思う。

海松とは ミル科に属する海藻の一種で、ミル貝とは別種のもの。

文様として 装束に用いられたほか、食用、保存食や薬としても活用された。

名は「見る」にかけられ、古く万葉集の時代から歌に詠まれてきた。

釜、炉縁、水指

「雪輪 棗」福久 清一

輪島塗 作家

冬に積もった雪は春、雪解け水となり、野山の草花をはぐくみ

さらに秋の実りをもたらすことから、五穀の精といわれており、

その年が豊作となる吉祥の象徴とされてきた。

雪輪文が登場するのは近世以降とされている。

ルーペなどない時代、雪の結晶をよく形であらわしたものだと感心してしまう。

情景を絵画的に表現した「雪景文」

そこから雪の積もった植物のみを描き出した「雪持ち文」

さらに雪だけが独立して「雪輪文」となった。

冬の情景を表すのみならず、江戸時代、庶民の小袖に涼しさを演出するために

描かれたり、「雪輪どり」という柄の構図の境界線にも用いられたりしている。

文様の世界は奥深く楽しい。

「乾山意 蓋置」中村 東洸

別号/加藤庵

粟生屋六世。

備前 茶入」小泉 又楽庵

茶入

信楽 破レ袋 水指」四代 高橋 楽斎

楽斎窯、滋賀県無形文化財信楽名工

水指

水指 後側

「乾山意 蓋置」中村 東洸

蓋置

茶杓 「銘 こぼれ梅」

エフゴ建水

濃茶碗 「銘 草萌 黒 茶碗」大野 桂山(造)小林 太玄

臨済宗紫野大徳寺塔頭黄梅院 花押箱書)

草萌 黒茶盌

「長次郎写 風折 筒 茶碗」佐々木 昭楽

父松楽に師事、茶道具専門に製作、祖父の代より楽焼に従事。京都清水阪に築窯

のち亀岡矢田神社の畔に移住、出口王仁三郎、小田雪窓の知遇を得、再び開窯。

昭和十九年京都生

筒茶碗

薄茶茶碗;「志野 茶碗」佐藤 重造

主菓子;「あわ雪 純白/桃花」

「牡丹唐草紋 古染付皿」へ

一枚一枚文様と色の濃さが異なる、天然の虫喰の味わいと、

あわい白と桃色とのコントラストに趣があった。

主菓子

干菓子;「万葉の花」諸江屋 真塗 四方盆に

落雁ははじめて頂いた。まるで主菓子のよう。

干菓子

三月は 月末の予定、

どうのような趣向となりましょう。

季節の変わり目 皆様ご自愛下さい。

初釜の茶会を予定しておりましたが中止となりました。

準備していた道具類をご紹介いたします。

お軸はどれかぎりぎりまで悩んでおりましたので割愛いたしました。

水指などは皆具を考えておりました。

香合 「黄瀬戸 福禄寿 香合」

江戸末頃の作品です。

香合

もうひとつの候補

「景泰藍 鳳凰図 香合」

鳳凰図 香合

釜「刷毛目 姥口釜」三代 畠 春斎

高台寺蒔絵 炉縁」

炉縁

「中興名物 模 富士山 唐物肩衝 茶入」笹田 有祥

【仕覆】鎌倉間道

茶入

「老松 日の出 棗」田中 宗凌

加賀蒔絵師、中村宗尹に師事、棗の蒔絵に長ず。山中生

日の出 棗

「竹蒔絵 竹切 棗」井口 幸甫

蒔絵師。師吉田華正。日本工芸会石川支部。昭和二十九年石川生

竹切 棗

「長次郎写 風折 筒 茶碗」佐々木 昭楽

こちらは二月にようやく使えたのでそちらをご覧下さい。

「陶漆 朱ぼかし塗 花扇(松 竹 梅)蒔絵 茶碗」三代 前端 春斎

花扇 茶碗

「色絵瓔珞文 茶碗」藤谷 芳山

京焼 茶碗

「松の絵 蓋置」福森 阿也

蓋置

狂言袴 喰籠」祥雲窯 原 清和

ここに花びら餅のうっすら桃色が良く映えたはずでした。

喰籠

茶杓は 「銘 瑞雲 油竹 茶杓」戸上 明道(筒書花押)奥田 宗春(下削)

「銘 阿けぼの 白竹 茶杓

小田 雪窓 宗甫(箱書花押)小堀 定泰(筒書花押)

口切の茶会

穏やかな陽気のもと、口切の茶会を開きました。

開炉とあって、いつもより緊張感が感じられます。

寄り付きには

「口切りや足阿これもふくべなり 冨久邉 画賛」

十代 裏千家 柏叟宗室 認得斎

江戸末の茶人、九代 裏千家 千宗室の長男にあたります。

瓢炭斗を添えて

寄り付き

本床には

石州流 十五代宗家 片桐 貞泰の「壷中日月長」

こちゅうじつげつながし

後漢書に収録された逸話によるもの。

壷の中は転じて時空を超越した心の別天地を指すとされ、

日常の中でも心の持ち方ひとつで、そのまま壺中であり、

仙境であり、悟りの妙処となることを示している、

とされています。

備前 一輪入」中村 六郎

六郎窯 金重陶陽に師事。

裏千家スタッフが丹精した 嵯峨菊と 南天の紅葉を。

嵯峨菊は古典菊のひとつで、ちょうど今頃に見頃を迎えるとされており、

名の由来は、嵯峨天皇の時代、京都嵯峨野大覚寺周辺に自生していた菊に

あたることから、とされています。

開炉に欠かせない、茶壺

織部 香合」加藤 光右衛門

本床

「繰口 丸釜」十二代 和田 美之助

高台寺蒔絵 炉縁」が華やぎを与えてくれます。

釜 炉縁

「時代 紅葉蒔絵 黒柿 中棗」

内側の黒柿の色合いが美しいです。

黒柿 中棗

「銘 紅葉狩 茶杓

藤井 誡堂(筒箱書花押)高野 宗陵(造)

織部 水指」

十三代 竹中 紹智(箱書)

藪内流 十三代家元 青々斎竹中紹智を襲名、

還暦後 竹仲とあらためられました。

山口 茂(造)初代 山口錠鉄子息、兄は二代錠鉄、

子息も陶芸家の重信氏。織部写しを得意とします。

水指

「黒織部 茶碗」佐治 光太郎

織部 茶碗

「彩色竜田川 茶碗」澤村陶哉

「紅葉 茶碗」

備前 茶碗」陶朋

この時期になると やはり厚手の茶碗が手に心地よいです。

「青竹蓋置」

「エフゴ 建水」

「吹寄四方足付 菓子器」梅山

九谷焼の まさに錦秋の菓子器といえましょう。

正客の向いで撮らせてもらいました。

主菓子はもちろん亥の子餅。

今木屋さんがつくりたてを届けて下さいました。

柔らかく美味しいこと!

吹寄四方足付 菓子器

亥の子餅

さらに 裏千家スタッフ自家製 特性「善哉餅」

「菊蒔絵 吸物椀」によそって、柴漬胡瓜漬を添えて

「利休形 折敷 四方 盆」にて皆様に。

善哉

小豆はおめでたい時に頂き、魔よけにもよい、といわれています。

「箕」に「巨峰寒天」津山屋と「柚子皮」を

秋の恵みを届けます。

干菓子

来月はおやすみとなります。

年明け また皆さんと集えるのを心待ちにしております。

さて、どうのようなお道具がそろいましょうか。

今回は各流派のお道具や書画が