梶村秀樹先生の執筆物の引用と検討メモ(この記事の日付はよくかわります) (original) (raw)
「竹内好」という単語がふくまれる論文
「竹内好氏の「アジア主義の展望」の一解釈」「排外主義克服のための朝鮮史(第一章)」「朝鮮からみた現代東アジア」「第1巻解説 梶村秀樹著作集」「朝鮮近代史の若干の問題」「現在の「日本ナショナリズム」論について」「「日本人の朝鮮観」の成立根拠について――「アジア主義」再評価論批判」「亜州和親会をめぐってーー明治における在日アジア人の周辺」「朝鮮からみた明治維新」
・梶村秀樹先生と竹内好氏との関係はどうしても徹底的に調べておかない「内在的発展」の描き方の核心部分がわからなくなると判断した。今考えても、わたしの判断は大英断だったといえる。
以下、参考
梶村先生の執筆物の検討
〇金嬉老への判決を支えた日本社会 [1972年]
単に威勢よく拳をふりあげれば良いというほど、この「社会的世論」なるものが一筋縄でいかない錯雑・屈折した構造を持っていることは、いやというほど痛感させられてきた。また、一般的・抽象的に日本人の差別意識の変革を呼びかけることだけでは足りないことも、良く分かった。そういう一般論は、無理解のもとで金嬉老個人に向けられる毒舌の一言で、しばしば簡単に吹き消されてしまう。われわれが当初からそう考えてきたように、金嬉老の運命のかけられている法廷闘争の場と全くかけ離れた形で、空論にふけることはもちろんできない。
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この「社会的世論」なるものが一筋縄でいかない錯雑・屈折した構造を持っていることは、いやというほど痛感させられてきた。
〇植民地と日本人 [1974年]
しかも、それほど普遍的な植民地体験が、「邪悪なる国家権力と善良なる庶民」という体裁のよい図式だけでわりきることを許さない屈折・錯雑した深層意識を形づくらせたことが、いっそう重要である。なにかに傷ついた心がそれだけ強烈に希求する権威への帰属意識、そこから出てくる利己的・独善的な国家意識とアジア認識。このパターンが、確かに今でも生き続け、受け継がれていることを感じる。
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屈折・錯雑した深層意識
〇論文「朝鮮統一は在日朝鮮人問題を解決するか」に対する私の意見 [1978年]
事実としての定住という言葉で私が何をいおうとしたかは一七六号五五~五六頁にかなり具体的な議論をしているので、重複はさけたい。最近、韓国への母国留学体験を契機として、在日朝鮮人大衆とともに生きることを決意して戻る人が少数だが出ている。それは意識的定住といえるケースであろう。総連の活動家の中にも、別の意味で、やはり少数、意識的定住といえるケースがある。しかし、日々の生活に追われている多くの下づみの人々ほど、意識的な選択の契機さえ持てぬまま、最も日本社会にまきこまれた生活を余儀なくされ、生活のために帰化をさえ望まざるをえない所に追いこまれ、しかもそれすら拒否されるという状況におかれている。サルトル哲学流にいえば、そういう人々も実は、本人も気づいてはいないかもしれないが日々自由に選択しており、その結果として意識的に定住しているのだといえなくもなかろう。しかし、そういう人々に「あなた方は実は意識的に定住しているのだ」ときめつけることから何かが生れるとは思わない。
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「サルトル」が登場するのは、著作集全6巻で1カ所だけ。アルベール・メンミのほうが何度も登場する。
まず、最も重要なこととして、在日朝鮮人の実存を徹底的に理解しぬこうとする姿勢。現実が多様で動いている以上、これはどこまでいってもきりがない課題であって、何でも分ってしまったように思い上った瞬間、一旦成立した自立した関係も、たちまちくずれ去ってしまう。この点は、理解の深さが、関係の深さを規定するというほど重要であると思う。これなしには、見当ちがいのことを「いわねばならない」と思いこんでしまう。
次に、おのれを凝視し続ける執拗さ。関係を持続させていくなかで、たえず自分が何者であるかをみつめつづける態度。
次に、自然さ。まず、「頭が上らない」と一面的に自己規定し、次にそれではいけないと思うと相手のだめなことばかりをいいつのればいいと思い定めるような、どこまでいっても、あらわれ方はちがうが棒を呑んだようにぎこちない、観念的で一方的な関係設定の姿勢を克服しなければならない。よく人のいう「複眼でみる」とか「柔軟な思考」とかいうのも同じことかもしれない。
次に、往々にして一世の朝鮮人が造作なく到達しているような、ある本質的な意味でのやさしさ、暖かさ。うまく表現できないが、本誌一六八号で和田春樹氏がいおうとしたことも、同じことかもしれない。
まだまだいろいろあると思うが、とてもまだ考えきれることではないので、今後の課題としなければならない。もちろん、われわれの内にも外にも、以上のことに反する数多くのありようがあり、それらと一々闘うこともわれわれの課題である。
付言すれば、五氏が私に具体的に詳論せよとせまったことのうち、私が全然言及していないことも幾つかある。それは、考えていないからでも、いう勇気がないからでもなく、あえていうまいと決意しているからである。もちろん、そんな決意はばかげていると思うのは、とる人の自由にまかせざるをえない。近ごろよく無限定、感傷的、そして時に自己欺瞞的に使われる「実感」とか「ホンネ」とかの言葉の使い方を、私は好きではない。「ホンネで生きる」ということは、それ自体立派なことでもない最低限の要求であり、ホンネを自ら凝視し、深化していく努力をぬきにして、何でも「ホンネ」でありさえすればいいというものではあるまい。
状況が困難であればあるほど、豊かな可能性を夢みることができるような人間でありたい。
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ここは、あえて省略せずに引用した。
実は、国立国会図書館でこの論文を閲覧できる。
朝鮮研究 (185) - 国立国会図書館デジタルコレクション
〇義烈団と金元鳳 [1980年](1982年)
「朝鮮革命宣言」
だが、急激なイデオロギー分化のなかでは、そうした姿勢をうらづけるためにも最低限の理論構築が要求された。その要求に応えるべく書かれたのが、金元鳳の要請をうけて北京で申采浩が執筆したといわれる有名な「朝鮮革命宣言」(一九二三)なのである。(略)
民衆はわが革命の大本営である
暴力はわが革命の唯一の武器である
我々は民衆のなかに行き民衆と手を携え
絶えざる暴力――暗殺、破壊、暴動を以て強盗日本の統治を打倒し
わが生活の不合理な一切の制度を改造し
人類が人類を圧迫することを許さず
社会が社会を搾取することを許さぬ
理想的朝鮮を建設するのだ。
以上のような内容をもつ「朝鮮革命宣言」には特徴的な点が二つある。その第一は、いわば「民衆の発見」ということである。(略)
第二に、考え方としては、マルクス主義・アナキズムとかさなる部分を大いに持ちながらも、それぞれに独特なキーワードのいずれをも、みごとなほど使っていないことである。(略)
以上二点ともが、義烈団・金元鳳が、やがて二〇年代後半に、厳密な意味での民族協同戦線派に展開していく道筋を暗示しているともいえるのである。
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「第二に、考え方としては、マルクス主義・アナキズムとかさなる部分を大いに持ちながらも、それぞれに独特なキーワードのいずれをも、みごとなほど使っていないことである。」
〇論説 旧韓末北関地域経済と内外交易 [1989年]
論文内には、「内在」という単語は1回も使われていない
https://s3731127306973.hatenablog.com/entry/2049/12/31/000000
梶村秀樹先生の仕事を引用している人一覧(敬称略)
・姜徳相
「一国史を超えて : 関東大震災における朝鮮人虐殺研究の50年」「」
晩年のインタビューに梶村先生が登場
姜徳相 | CiNii Research all 検索
・宮田節子
「私が朝鮮に向かいはじめたころ(東洋文化講座・シリーズ「アジアの未知への挑戦 : 人・モノ・イメージをめぐって」講演録)」
・山田昭次
たぶんどこかで引用していたはず
・徐京植
『分断を生きる―「在日」を超えて』『半難民の位置から―戦後責任論争と在日朝鮮人』のどちらか
・山本興正
「戦後朝鮮史研究における「60年代の問題意識」の一断面 : 「民族」と「日本人の責任」をめぐる梶村秀樹と旗田巍の思想的交錯」『戦後思想の再審判―丸山眞男から柄谷行人まで』
『排外主義克服のための朝鮮史』(解説)
・中野敏男
朝鮮史研究者以外で、中野氏は一番よく読んでいる。梶村秀樹先生の死後の弟子といっていいぐらいよく読んでいる
『〈戦後〉の誕生―戦後日本と「朝鮮」の境界』『詩歌と戦争 白秋と民衆、総力戦への「道」』「「日本の戦後思想」を読み直す(7)「方法としてのアジア」という陥穽--アジア主義をめぐる竹内好と梶村秀樹の交錯」「「日本の戦後思想」を読み直す(第8回)植民地主義批判と朝鮮というトポス--アジア主義をめぐる竹内好と梶村秀樹の交錯(その2)」
・板垣竜太
『日本植民地研究の回顧と展望:朝鮮史を中心に 板垣竜太,戸邉秀明,水谷智 校正前』
・加藤圭木
「1920~30年代朝鮮における地域社会の変容と有力者・社会運動 ─咸鏡北道雄基を対象として─」
・車承棋
・洪宗郁
・姜元鳳
・林雄介
・戸邉秀明
・水谷智
・吉野誠
「梶村秀樹の朝鮮史研究 -内在的発展論をめぐって-」
・金泰相
・中村平八
・姜萬吉
・吉見義明
『草の根のファシズム : 日本民衆の戦争体験』のどこか
・石田米子
「月報」に寄稿、『黄土の村の性暴力』という記念碑的労作が生まれた背景には、梶村秀樹先生の存在があったのではと真剣に考えている。
調査中
並木真人
中塚明
山辺健太郎
遠山茂樹
井上清
芝原拓自
竹内好、武田泰淳、丸山眞男、加藤周一、中野重治、大西巨人、
林達夫、花田清輝、、、吉本隆明
和田春樹
村松武治、小林勝、上野英信、森崎和江
大門正克、吉沢南
旗田巍
澤地久枝
幼方直吉、
林えいだい
岡まさはる
米津篤八
宋連玉
金富子
引用していないと思われる人
・鹿野政直
山田昭次氏の著作は引用していた。
・鈴木裕子
いちはやく「慰安婦」問題に接近した
・安丸良夫
・色川大吉
・
司馬遼太郎、黛
中井久夫、安克昌(あん・かつまさ)
津田左右吉、家永三郎
浅田彰、
アミン
「韓国の社会科学はいま」「六〇~七〇年代NICs現象再検討のために ――主に韓国の事例から――」「“やぶにらみ”の周辺文明論」「「日帝」との対峙は過去のものであるか?」「旧植民地社会構成体論」「歴史の発展は幻想だろうか(聞き手 菅孝行)」フランク
「韓国の社会科学はいま」「旧植民地社会構成体論」サルトル
「論文「朝鮮統一は在日朝鮮人問題を解決するか」に対する私の意見」「歴史の発展は幻想だろうか(聞き手 菅孝行)」「」内在的発展
「朝鮮近代史研究における内在的発展の視角」「「一筋の赤い糸」としての内在的発展」「『常緑樹』(解説)」「『朝鮮史の枠組と思想』あとがき」「排外主義克服のための朝鮮史」「六〇~七〇年代NICs現象再検討のために ――主に韓国の事例から――」「第5巻解説 梶村秀樹著作集」「申采浩の朝鮮古代史像」「第4巻解題 梶村秀樹著作集」「『東学史』によせて」「第2巻解説 梶村秀樹著作集」「第2巻解題 梶村秀樹著作集」「東アジア地域における帝国主義体制への移行」「朝鮮からみた日露戦争」「朝鮮からみた現代東アジア」「朝鮮思想史における「中国」との葛藤」「朝鮮社会における移行法則」「朝鮮史研究の方法をめぐって」「日本における朝鮮研究」「朝鮮近代思想史の課題」「“やぶにらみ”の周辺文明論」「朝鮮近代史研究の当面の状況」「朝鮮近代史の若干の問題」「朝鮮近代史と金玉均の評価」「私にとっての朝鮮史 『朝鮮史 その発展』序章」「一九一〇年代朝鮮の経済循環と小農経営」「旧植民地社会構成体論」「日本帝国主義支配下の朝鮮ブルジョアジーの対応」「「民族資本」と「隷属資本」 ――植民地体制下の朝鮮ブルジョアジーの政治経済的性格解明のためのカテゴリーの再検討」「書評 『日本帝国主義と旧植民地地主制 ――台湾・朝鮮・満州における日本人大土地所有の史的分析』」「書評 『朝鮮社会経済史研究』書評」「書評 『韓国経済史』書評」「朝鮮史をみる視点」
梶村秀樹先生を知るための30章、または50章
石田米子、竹内好、(花田清輝なし)、姜徳相、内在的発展論、経済史、民衆思想史(色川、安丸、鹿野)、言語論翻訳論、植民者論、家族関係(とくに父)、華青闘、日韓条約、昆虫採集、実証主義、史料とはなにか論、最後の論文、申采浩、夏目漱石と魯迅、民族責任論、国境をまたぐ生活圏、金嬉老、サルトル、メンミ、咸錫憲、朴正煕、西岡の転向と2つの論文、文学観(国民文学論争にふれないといけないかもしれない)、日本帝国主義論、
網野善彦メモ
「時国」での検索結果(メモ CiNiiで「時国」で検索したら、「戦時国家」というキーワードが入った論文がたくさん出た)
〇『蒙古襲来』
項目「幕府とその周辺」「四方発遣人」「時宗の死」
〇『日本の歴史をよみなおす(全)』
項目「日本人の識字率」「太良荘の女性たち」、「百姓は農民か」「奥能登の時国家」「廻船を営む百姓と頭振(水呑)」「村とされた都市」「襖下張り文書の世界」、「飢饉はなぜおきたのか」「海上交通への領主の関心」
(「水田に賦課された租税」には「時国」なし)
〇『歴史の中で語られてこなかったこと』(宮田登との対談)
項目「隠然たる力を発揮する隠居たち」「誤解されている二男、三男のあり方」「稲作地帯は近世の現象」「百姓と農民は違う」「日本像の書き替え」「崩れつつある日本史の常識」
〇『米・百姓・天皇』(石田進との対談)
項目「3 主食は米か」「6 東と西のちがい」「7 女性の力の再評価」
〇『対談 中世の再発見』(阿部謹也との対談)
「時国」なし
〇『増補 無縁・公界・楽』
「時国」なし
〇『日本中世の民衆像 平民と職人』
「時国」なし
〇『海民と日本社会』
「百姓は農民、「村《むら》」は農民という誤解」「誤解の根深さ」「日本列島の社会と海民の諸活動」「注記」、「非農業分野への視点」、「はじめに――時国家の調査について」「能登の豊かさ――「頭振」の実像」「能登の「百姓」の生業」「中世能登の都市」「むすび――残された課題」、「はじめに」「能登半島の特質」「奥能登・時国家の調査から」
〇『中世再考 列島の地域と社会』
「中世民衆生活の様相」の「結び」「注」、「地名と名字」「民具学と農業史 宮本常一氏と日本常民文化研究所」
〇『日本列島再考――海からみた列島文化』
川崎という歴史家
第1章 朝鮮史の意味
013 排外主義克服のための朝鮮史(はじめに/なぜ朝鮮史を学ぶのか/朝鮮侵略の理論と思想/戦後民主主義のもとでの朝鮮観/朝鮮史の内在的発展/若干の補足と論争の深化のために)
078 朝鮮語で語られる世界
089 私にとっての朝鮮史――『朝鮮史――その発展』序(朝鮮民衆の内在的発展/朝鮮史の意味/本書の限定条件)
第2章 日本のナショナリズム
097 竹内好氏の「アジア主義の展望」の一解釈
104 「日本人の朝鮮観」の成立根拠について――「アジア主義」再評価論批判
123 自由民権運動と朝鮮ナショナリズム(朝鮮への接近/士族民権派/豪農民権派/貧農民権派)
136 朝鮮からみた明治維新(私のジレンマ/侵略の歴史と連帯の歴史?/「民衆」の未発の契機/からめとられた中で)
151 朝鮮を通してみた天皇制の思想――さめた思想(はじめに/皇民科教育の詐術/天皇はえらい、えらいは人間、人間はわたし/民族差別の根源と天皇制思想)
165 亜洲和親会をめぐって――明治における在日アジア人の周辺(だれが主導したのか?/清国留学生の状況/亜洲和親会の約章と活動/亜洲和親会に参加した各国人/朝鮮人民族主義者の不参加問題/亜洲和親会その後)
第3章 在朝日本人
193 植民地と日本人(在朝日本人史の欠落/一旗組の生きざま/国家権力との癒着/植民地化の時代)
217 植民地朝鮮での日本人(三・一運動下の日本人/在朝日本人の存在形態/在朝日本人の意識と行動)
244 植民地支配者の朝鮮観(自己合理化の感情/煙に巻く「教化」の論理/戦後の継承と変形)
256 「旧朝鮮統治」はなんだったのか(何の差別もなく?/事実の誤り/近代化に心血を注いだ?/植民地支配肯定論の継承/植民地支配をごまかすな!)
第4章 日本人と朝鮮
271 在日朝鮮人・韓国人差別の淵源――皇民化の問題を中心に
297 差別の思想を生み出すことば
308 サハリン朝鮮人の特集にあたって
315 竹島=独島問題と日本国家(はじめに/日本国民の「竹島」認識/韓国・朝鮮側の基本姿勢/日韓両政府間の論争文献/竹島=独島の自然条件/竹島=独島の地理的位置/竹島=独島の歴史的名称/竹島=独島の認知/一七世紀の実効的経営?/竹島=独島の帰属についての意識/帝国主義的な一九〇五年の日本編入/戦後の竹島=独島/日韓条約と竹島=独島/国際法とは何か?/最近の事態/おわりに)
358 「日帝」との対峙は過去のものであるか
371 歴史的視点からみた日韓関係――日本側発題(日本人の歴史認識/教育の軍国主義化/教科書検定の内実/侵略の合理化/私たちの課題/歴史家の責任/日韓の相互交流)
381 歴史をねじまげてはいけない――「日韓合邦」の真相(応急まで制圧下/抵抗試みた高宗/侵略を直視せよ)
385 近代史における朝鮮と日本397 「朝鮮史と日本人」解説 新納豊
409 解題 初出誌その他 新納豊