戸惑いながら進む (original) (raw)
前回の続き、祖父の遺願を叶おうと、合計9日間の旅をしましたが、前回は4日目まで、今回分は残りの8/24からの5日間です。
そして、前半は山西省大同市、後半は内モンゴル自治区です。元々山西省のみの帰省ですが、祖父のふるさとは山西省ですから。祖父だけと言ったら、不公平なので、祖母のふるさとも行こうかと思いました。祖母の祖籍は山西省ですが、飢饉を逃れるために内モンゴルに行ってました。計画上、内モンゴルの祖母の実家へ日帰りじゃないと間に合わないので、調べたらフフホト市からもウランチャブ市からも車で片道3.5時間かかるし、私が免許を取ったばかりの実習期間で親に乗せるのが不安だし、行くのがやめて、単純な内モンゴル旅行になりました。というわけで、8/24からのスケジュールは以下の通りです。
8/24 祖父の実家(大同市天鎮県○○村)→慈雲寺
8/25 大同古城内遊覧(九龍壁→四牌楼→清真大寺(大同)→純陽宮→華厳寺→関帝廟)
夕方から列車で内モンゴル自治区フフホト市へ移動
8/26 響沙湾
8/27 観音寺→大召無量寺→塞上老街→清真大寺(フフホト市)→敕勒川高山草原
8/28 内モンゴル自治区博物院→将軍衙署→公主府→青城公園
22:00-0:10フフホト白塔国際空港発、成都天府空港着
天鎮駅
大同駅から高速鉄道で30分ほど、天鎮駅に到着。
事前に買ったサジークリームパンを車内でパクパク、おいしかった
タクシーで村へ、電話をしたら遠い親戚が村の入り口に来てくれました。祖父の旧宅がすでに祖父の長男の嫁(私の叔母)の弟(60代、一応叔父と呼ぶ)に譲れていて、ご一家が暮らしています。
旧宅前
庭に自宅用の畑があり、野菜やリンゴが植えている
古い建物はまだ一つが残っていますが、ほとんど物置になっている
天鎮県はようやく三年前「脱貧困」を完了し、生活が豊かになっています。この村の男性は大半トラックドライバーになって、良い月なら月収二万元以上のときもあるそうです。
ランチ(自家栽培の野菜を使った料理を含め、スイカなど魚から肉、果物など10品以上も用意してくれて、ありがとう)の後、お墓参りに行こうと思ったところ、急に雨。この地域があんまり雨が降らないので、少しびっくりしました。最悪なのは、雨が降ったので、お墓が探せなくなったことです。なぜならば、お墓はトウモロコシの畑にあるからです。私も初めて知ったことですが、中国北側の農民の墓は基本自家の畑にあるんです。
雨が止み、叔父が畑に連れてもらったら、啞然でした。そもそもなぜ叔父がこの畑にお墓にあるのが感心です。私から見たらどこでも同じトウモロコシの畑です。この季節、トウモロコシの木は人より高く、しかも雨の後だから畑の中に入ると、足首までなくなるぐらい泥に突っ込むことになります。仕方なく、紙銭を畑のそばで焚いて、お墓参りが完了し、村を後にしました。
どこを見ても区別できない畑
墓地があると言われたトウモロコシの畑
父が畑の横で紙銭お墓参りの後ろ姿
事前予約した高速鉄道の時間はまだですので、県中心地を回ることにしました。そもそも観光地ではありませんので、観光スポットと言えるのは、車でしか行けない明代の万里の長城(未修繕)、と慈雲寺です。慈雲寺は唐代より修築され、国重要文化財にも指定されています。ネットにも書いてありますが、国が定めた休日しか開かないというのですが、行く場所がないので行ったら、やはり扉が閉まっていますが、よく見たら、管理室に人が出入りしていますので、声を掛けたら、入っていいって言われました。聞いてみるもんだ!ラッキー!
慈雲寺前
慈雲寺敷地内、右側の扁額は西太后が贈られたもの
1900年、八国連合軍隊が北京を侵入したとき、西太后と光緒帝が逃げて、このお寺で宿泊したことがあって、北京に戻ったあと、このお寺に扁額を送りました。
正殿は明代で再築されたもの
明代の建築とはいえ、なぜか元代の特徴様式になっている
慈雲寺をあとにして、特に行く場所がなくても、道でぶらぶらしてようやく帰りの高速鉄道の時間になりました。ランチはあんまりにも食べたので、夕食の時間になってもお腹がいっぱいで、ホテルに戻って出前を取りました。
粉豆腐
マトンもつ煮の麺(羊杂粉)
いよいよ大同市にいる最終日です。
友人がオススメの刀削麵の店で朝食、やっぱりおいしかった
朝食後、大同古城内の観光スポットを巡りました。最初に着いたのは、法華寺ですが、まだ営業時間外なので、中に入れず次のスポット「九龍壁」に向かいました。
法華寺前
移動途中にあった太平楼、「天下大同」と書いてる
後ろには天主教会がある
「九龍壁」は9匹の龍のレリーフが描かれた壁です。明・清代の中国で盛んに製作され、王宮や庭園の門の前に目隠し用の塀として建てられました。北京にも見たことがありますが、こちらの「九龍壁」は明代の14世紀で作られ、中国に現存する最大かつ最古の九龍壁です。明の初代皇帝朱元璋の十三男の代王朱桂の邸宅前に建てたものです。
九龍壁前
九龍壁
代王府(九龍壁に最初に建てた代王朱桂の邸宅)、再建築のもの、パフォーマンスは売りですが、ゆっくり見る時間がなかったし、チケット代も高いので、中に入っていません。
代王府
四牌楼は大同古城の中心
清真大寺
古城内は本当に観光スポットが結構近い距離であっちこっちあります。
純陽宮
純陽宮、元々行く計画がなかったのですが、時間がたっぷりがあったんので、ついでに巡りました。道教のもので、古い建物のはずですが、最近修繕したばかりなので、ペンキの匂いが強いです。
古城内景色
華厳寺は中国に現存する遼・金代の寺院建築の中で比較的古く、かつ建造物がほぼ完全に保存されている有名な寺院です。先の純陽宮で人影がまばらと対照的にここは入り口でも列が長かったです。1062年に建て始め、焼失があって、主殿二つ以外は清代に再建されました。主殿の大雄宝殿に清代の壁画も薄伽教藏殿に31点の遼代の像も国宝です。
華厳寺、古城内一人気
華厳寺境内、でかい、歴史が感じられる
色々見学して、ランチの前に華厳寺というルートをしたのは、華厳寺の隣に有名なシュウマイ店があるからです。そこのシュウマイは西太后も絶賛するうまさです。早めに華厳寺遊覧を切り上げ、たばこを吸いたいと思っている父に、店で並んで欲しいと願いしたら、なんと11時ちょっとなのに、すでにお昼の整理券の配布が終了だと。よく聞いたら朝10時に整理券配布開始だそうです。人気ってわかっていますが、そこまでと思いませんでした。残念ながらそのシュウマイと縁がなかったことですね。代わりに、別のシュウマイ名店で食べました。おいしかったです。
龍聚祥の三色シュウマイ
ノゲシ料理、初めて食べたかも、意外といける
食事後の散歩で、ぶらぶらしてたら関帝廟に着きました。
鼓楼東街を巡った
サジーアイスを食べてみた
サジーのジャムが酸っぱい、下はふつうのバニラアイス
三国時代の関羽が祀られていいるこの関帝廟は大同古城内で珍しく元代の建築物があります。敷地内で見物したら、雨が降り始めて、元々は朝が見逃した法華寺に行く予定でしたが、やめました。雨が小粒になったら、タクシーでホテルに戻って、荷物を拾って、駅へ向かいました。これで山西省の旅が終了ですが、次は内モンゴル自治区へ向かいました。
列車窓からの風景、草原に来てるって感じ
フフホト(呼和浩特)市は内モンゴル自治区の省都で、都市の名は、モンゴル語で「青い城」の意味です。内モンゴルとはいえ、市内はほぼ漢民族です。
夜のフフホト駅、市内は基本モンゴル語と漢字のダブル表記
フフホト市の隣にあるオルドス市ダラト旗のクブチ砂漠東端の響沙湾は砂漠の砂が鳴くことで、奇観とされています。フフホト市内から車で2.5時間で到着できます。この日は移動距離があるので、現地の1日ツアーにしました。
響沙湾に向かう途中の景色、白い塔(山の上)
響沙湾に向かう途中、黄河を渡ると、黄色の花畑、何の花だろ
見渡す限りどこまでも砂丘が広がる美しく雄大な風景だと思っていましたが、砂丘は砂丘で、実際に行ったら、響沙湾は砂漠の中のリゾート地のようなものでした。砂漠アドベンチャーをメインにする仙沙島、砂漠の中のプールの悦沙島などがあって、ガイドさんがけっこう押していましたが、私たちは全く動じず。そういう別料金で○○島に行かなくても、ロープウェイに乗って、砂漠体験も十分できます。実は私と母はあんまりノリノリじゃないのは、すでに砂漠体験済なので、父が初でしたので、スケジュールに入れました。
ロープウェイに乗って、砂漠の中へ
珍しく前日砂漠でも大雨がありました。午前中の砂はそこまでサラサラではなかったが、午後になると、やはりポケットの中も、靴の中も、鼻の孔も、スマホの充電穴にも砂が入っていました。ここの沙はとりわけ軽くて、隙間があればすぐに入ります。大変!
響沙湾のオブジェ
砂漠の定番、ラクダの乗り場
ザー砂漠
船みたいな乗り物もあった
ちなみに、砂漠って熱いイメージでしょう。でもなぜか、ここは日陰に入れば、むしろ少し寒いぐらいです。父は初砂漠でラクダに乗る、砂滑りもすると言いながら、結局なんのアトラクションもやっていませんでした。並ぶのが嫌だって。なので大半の時間は日陰があるビーチチェアー(?)に座って、砂漠の風景をただ見るだけでした。まあ、ゆっくりした日になりました。
夕食はフフホト市内に戻ったあとの串焼き。牛や羊が多い内モンゴルだから、牛肉とマトンの串焼きはマスト。
串焼き食べた、右の黒い串は羊の血
最後の2日間、やはりフフホト市内がメインです。主なルートは観音寺→大召無量寺→塞上老街→清真大寺(フフホト市)→敕勒川高山草原です。
最初に来たのはフフホト市の新しいシンボルです。宝爾汗佛塔は2008年完成した仏教塔で、観音寺の一部になっている。高さ80M以上があって、世界一だと称するが、何か世界一なのか、よくわかりません。塔の建設はすべて個人の寄付によって賄われ、活仏が塔の建設に多大な援助を与え、貴重な釈迦牟尼仏の舎利や経典、仏像をその塔に寄贈した。こんなに新しいものが参拝者がこんなに集まったことが不思議でした。
宝爾汗佛塔
観音寺は200年の歴史があり、地域で一番大きい、一番よく保存されている中国本土経由伝来した仏教のお寺です。
観音寺前
観音寺の殿、結構立派
観音寺から出て、大召無量寺への道
大召無量寺はフフホト市の名刺のようなもの、1580年に落成されたチベット仏教の寺院です。四川省にはチベット仏教の寺院がたくさんありますので、有料ですし、中には入っていません。お寺の前に、白い塔が並んで、写真を撮る人がいっぱい。
大召無量寺の前の広場にある石像。
チンギス・カンだと思ったら、違った。
チンギス・カンの子孫にあたるアルタン・ハーン、フフホト市の創立者
大召無量寺前
映える白い塔
塞上老街は大召無量寺のすぐ隣にある、どの都市でもある古風な商店街ですが、乳製品のお土産が安かったです(成都に帰ってからまたWechatで追加して買ったぐらい、私にとっては珍しいこと、お土産を買うとき、店主のWechatのQRコード写真を撮っておいておかった)。そもそも内モンゴルは草原のイメージで、乳製品が有名で、中国一番と二番の牛乳ブランドは全部ここにあります。
塞上老街
馬乳のお酒を飲んでみた
塞上老街のローカルマンホール
この清真大寺は清代から建築されたもので、市内一番古いモスクです。中で少し見物したら、お寺の人が関係者?がなくなって、これから大事な法事があって、一時閉館するということで、追い出されました。まあ、大体回りました。
清真大寺前
清真大寺の中
ランチはモンゴル色の強い氷で煮るマトン鍋です。一回氷で締めた新鮮なマトンが鍋で急速に温度が上がって、肉がよりおいしくなるらしいです。まあ、そもそもこちらの羊の味が四川のと全然違くて、たぶん氷じゃなくても普通の肉でもおいしいと思います。
氷で煮るマトン鍋
沸騰したら普通の鍋
午後はいよいよ待ちに待った草原です。市外に有名な草原が何個もありますが、マイカーじゃないと、また一日ツアーになって逆に時間の無駄になりそうなので、郊外の「敕勒川高山草原」にしました。ここに決めたもう一つの理由は、小学校の国語教科書にあった「勅勒歌」という民謡です。
勅勒川 陰山下 天似穹廬 籠蓋四野 天蒼蒼 野茫茫 風吹草低見牛羊
勅勒の草原は陰山山脈のふもとに横たわり、大空はパオのように四方の平野におおいかぶさっている。空はどこまでも青く、野原は果てしなく広がり、風が吹いて草が低くなびくと、平原のあちこちには放牧された牛や羊の姿が現れる。という意味の歌で、ずっと憧れでした。
ランチ後、SNSを参考して、公共交通で行こうと、最後の乗り換え地点に来ました。何と手書きの「道路工事につき通行不可になったため、バスが運休」というお知らせがバス停に貼ってあります!なにこれ!!!バスタミナールはすぐそこですので、スタッフに聞くと、なんと本当ですって!急な道路工事!あり得ない!バス停の隣に止まってる白タクの運転手が声をかけてくれて、行く方法があるって。仕方なく、もうここまで来たんだから、多少高くても行くしかないと。白タクの運転手が私たちを後ろに乗せ、工事止めになってるところに行って、地元の方言でそっちの道の住宅団地の名前を言って帰宅するとアピールして、少し待ってたらバリケードをどいてくれました!なんだよ!工事は全く動いていないのに、通行止めになっているし、簡単に通行できるんじゃん!
いろいろ大変なことで「敕勒川高山草原」の麓に着きました。通行止めのおかげで、観光客の姿がまだらでした(もう1本道があって、50kmぐらい遠くなるというらしい)。
敕勒川高山草原のシャトル電動車チケット
シャトル電動車に乗って、草原の奥へ。おー草原だーと思いつつ、ちょっと違うと思いました。もっと広くて、平らのところで牛や羊もたくさんだと思っていましたが、ここは高原で丘の連続になってるし、草木保護の関係で基本放牧が禁止されているという。また8月下旬なので、草が少し黄色っぽいになって、全然緑じゃないじゃん!ちょっとガッカリしましたが、内モンゴルで草原を見ないわけにはいかないし、人が少なかったし、まあよしとしましょう。
草原風景
放牧禁止とはいえ、やっぱり遠いところなら、牛や羊が見えてきた
晩御飯はモンゴル料理です。
モンゴル料理にはミルクティーが不可欠
マトンモツ煮
豪快な肉の鉄板焼き
モンゴルの歌で歓迎する儀式はゲストに青いハタ
(祝賀や尊敬のしるしとして人に贈る帯状の絹布)
いよいよ最終日。朝は定番の内モンゴル自治区博物院です。やはり少数民族の特有の柄がたくさん。
内モンゴル自治区博物院の看板
内モンゴル自治区博物院のホール
展示物
ランチはシュウマイ、しかもシュウマイ専門店のシュウマイ。このお店は毎日6時から14時まで営業、シュウマイ以外何も売っていません。
シュウマイの相棒、現地の人みたいに「黒磚茶」を飲む(無料)
マトンシュウマイ、やっぱり絶品、持ち帰りたいぐらい(成都はまだ暑いだからやめた)
綏遠城將軍衙署は清代の綏遠城(旧フフホト市)の満、モンゴル、漢の八旗軍隊駐在と西北軍事、政治などの強固する最高権力機構です。無料で見学できる施設です。
綏遠城將軍衙署前
綏遠城將軍衙署入り口の壁
綏遠城將軍衙署の中、清代の軍事会議の雰囲気
和硕恪靖公主府は清康熙帝の娘がモンゴルのリーダーに嫁いだ時の屋敷で、今は無料な博物館です。
和硕恪靖公主府前
公主府の看板
公主府の正殿
大分疲れましたので、親を青城公園において、私がシェア自転車で市内の風景印のある郵便局へ。2箇所で4つもゲットしました!
將軍衙署の風景印
風景印3つ!
青城公園はフフホト市の代表的な公園です。ボーとするにはうってつけです。
蓮の花
蓮の花を見ながら、現地ヨーグルトを飲んだ
(濃いので、食べたのほうが正しいかも)
晩御飯は地元のB級グルメ的な焖麺です。鉄鍋に麺を炒めてから、蓋をして出来上がりです。近くの焖麺店が少なくて、適当に選んだらはずれでした。そういう日もありますね。
はずれのパイコー焖麺
フフホト市内のショッピングモール地下街
やっぱり中国どこでもこういうスタイルが流行っている
ホテルに戻って荷物をピックアップして、地下鉄に乗って空港へ向かいました。
夜のフフホト白塔国際空港
今回は長い、そして久々の家族3人の旅行です。これで山西省と内モンゴル自治区をクリアしました。中国全国制覇はあと5つの省/直轄市/自治区です。来年まで全部行けるのかな~
仕事の都合で9月から異動になったので、8月にお休みが取りやすいので、踏ん張って7日間の休暇(無給)を取って、親を連れて山西省へ行くことにしました。山西省大同市天鎮県は亡き祖父のふるさとで、祖父の生前の望みは私が祖先?のお墓参りに行くことでした。その遺願を叶おうと、合計9日間の旅を決行しました。
大同市の位置
大同市は、中国山西省北部に位置し、 省都の太原市に次ぐ山西省第二の都市です。古くから重要なロケーションであり、北魏首都、遼金元の陪都です。地図上でもっとわかりやすいですが、北京から高速鉄道でわずか2時間で行ける距離なので、今はまさに旬な観光都市です。
大同市は今回のメインターゲットですが、成都から大同空港の航空便は1日往復1便のみで、割高なので、山西省省都の太原へ飛ぶことにしました。スケジュールは以下です。
8/20 9:10-11:10 成都天府空港発、太原武宿空港着
午後から山西博物院→晋祠→鼓楼街
8/21 宝源老酢坊→喬家大院→世界遺産平遥古城(平遥から高速鉄道で大同へ)
8/23 応県木塔→净土寺→恒山懸空寺
普段と比べてやや長い旅なので、2回分けて書くことにしたので、8/24からは次回の楽しみになります~
山西省は歴史が長いので、当然のことで宝物もたくさん。そのため、山西博物院(無料)の予約は大変(たぶん北京、南京の次に大変)で、平日とはいえ、夏休みの間ですし、チケットはわずか何分でなくなりますが、親は60歳以上で予約は不要でしたので、自分の一枚は予定通りに取ることができました。
山西博物院
庙底沟彩陶罐(博物館の十宝物の1つ)なんと5千年以上前のもの
龍形觥、商代、青銅、3000年以上前
次向かうのは晋祠。太原市中心部から少し離れて、今は晋祠公園になっていますが、目当ては晋祠公園の中にある晋祠博物館です。西周(紀元前1100年頃 - 紀元前771年)時代から建築されていると言われています。「千年一園」と称するほど。
晋祠公園の入り口(側門)、公園は無料
看板は日本語あり
公園の景色
ちょうど蓮の花が見ごろ
晋祠博物館の入り口、入場料80元/人
水鏡台(舞台)の裏側、明清時代の建物
アニメとドラマ版の西遊記でも使用されたロケ地
窓が目みたいで、かわいい
金人台、周りは鉄人(一番古いのは北宋)
聖母殿、中国現存一番古い北宋時代木製建物(国宝)
木彫の龍も現存最古、もうすぐ千年
木製の屋根裏にある組物が建築美を語ってる
室内の龍ならもっと色がついている
この木(周柏)もう3千年、倒れているが生きてる
山西代表料理:過油肉(太原バージョン)
山西糖醋魚
夕食後は太原市中心地の鼓楼街で散策
城に歌詞が映ってる。
たぶんコンサートを見るために、太原市に集まるファンたちのためです。
観光局がそういうところで結構頑張ってる。
8/21は日帰りツアーを利用しました。移動が面倒ですし、解説が欲しいと思ってましたから。
宝源老酢坊はお酢の有名ブランド「水塔」の工場にある
昔ながらの手作りを貫いてるそうです
たくさんのお酢のツボ
中華一の酢工場だそうです
山西省は中国一の酢生産地で、「老陳醋」が有名で、10年以上のお酢と5年、1年のものと飲み比べて、確かに味が全然違います。10年以上のものだと保養効果があるいうことですが、旅の荷物になるので、買い物は御免でした。
次向かうのは喬家大院。1756年(清朝の乾隆帝の時代)から建築され、晋商(山西省商人グループ)の家屋です。ドラマ『喬家大院』や映画『紅夢』などのロケ地として有名です。親はドラマを全部観ていたので、私よりこの歴史より詳しいかもしれません。
遠くから見る喬家大院、結構な面積
一番上の扁額は西太后が書いたもの
清末に西太后が訪ねて20万両を「借りた」(もちろん返さない)
屋敷内の彫刻がすごい
屋敷内一番有名なところ、ロケ地として有名なシーン
西太后の像、右側は西太后がプレゼントした九龍宮灯(明るさが調節できるそうです)
ランチ、ツアーとしてはまあまあいいほうだと思います
午後からは世界遺産の平遥古城です。平遥は明代から清代末期まで山西商人グループの拠点で、特に清代末期は為替業務で栄えた中国の金融中心地でしたが、その以降は貧困に落ち、再開発ができていないため、丸ごとの古い街並みが残っていました。そもそも山西省全体はそうです。古代が盛んでおり、近代が戦乱などで貧しくなり、最近の何十年になってようやくお金があるようになりましたが、古いものの取壊しは法律によって禁止になって、現在に残ってたわけです。山西省は盛んで貧しくなってたからこそ、こんなに歴史的建築物が残っています。哀れなものか、幸せのか、私にはわかりませんが、これらを見れて、古人の知恵に感服して、よかったと思っています。(なんか急に感想ばかりになってましたね)
平遥は西周時代から城を建築され、今の城の壁は外は明代、中身は西周時代のままです。まず、城を登りました。
瓮城作りが明白
城内へ眺めると、このメインストレートは当時一番盛んでた金融街
壁は明のレンガではなく、西周の土が見られる
城壁の上に立つ角楼
メインストレートを歩く
昔は全国半分以上の金融施設がこの道に集まっていたという
清代の鏢局(運送×警護の商売をする場所)
鏢局の中
メインストレートを歩き続けると、立派な城が見える
「協同慶」は票号(近代以前の金融機関) 、現在は銭荘博物館になっている
案内員は清代の格好で解説してくれる
そこの地下金庫(もちろん、今は偽物)
記念に銀票を購入
次は平遥県衙、清代の役所
昔裁判しているところ、ドラマでよく見る
広い役所
役所の様子の演出もあったりしますが、あいにくパフォーマンスはお休み
平遥古城内のありふれた民宿
そこでツアーを途中脱退、駅へ向かって、今回のメイン目的地へ。
平遥古城駅
3日目の朝、向かうのは世界遺産雲岡石窟。前日急に11時から入園不可になったというお知らせがありました。あとで知ったことですが、午後から外賓グループが訪れたということでした。
雲岡石窟の正門
近年修築された入り口
そこの彫刻は全部石窟中で発見されたものをコピーしている
雲岡石窟は北魏時代(386-534年)から掘り始めた現存主要な石窟45個があります。北魏時代は最初に大同市を都にし、郊外に石窟を作りました。のちほど洛陽に遷都して、郊外にまた石窟を作り、それは「龍門石窟」です。雲岡石窟は初の皇帝の支持によって開削された石窟です。
石窟の外、何年間をかけて一つの石窟を修繕する
石窟を保護するために作った木制建築
二千年前以上の道
石窟の中身、仏像が様々、あと壁画
ランチは市内に戻って、食べた刀削麵です。大同削麵はとても有名です。
面と別に、トッピングはお好みで追加
上左は青唐辛子の漬物(辛くない)
下のトッピングのチャーシューは1枚10元(やや高い)
大同市博物館
博物館玄関
展示品
マトン沙葱の蒸し餃子
マトンもつ鍋
渾源涼粉、ジャガイモで作ったゼリーのようなもの
今回の旅で一番好きな料理
サジージュース
食事後散歩に兼ねて、大同古城の城壁に登りました。
大同古城(城外から)
城壁に上がるのは基本無料
壁の上からの景色
帰り壁から降りたときの景色
この日は私が今回の旅で一番楽しみにしているスポットです。まずは朝ごはんを食べてから列車に乗りました。
豆麺は各種豆で作られた麺です。
圧豆麺
抿豆麺、麺が短くて柔らかい
大同駅
大同駅から応県駅で降り、バスで応県木塔へ。
応県木塔入り口
応県木塔、ずっと見たかった
応県木塔は1067年に建築され、高さは67メートル、古代で現存する最高の木造建築です。何度の地震も、何百発の砲も耐えられ、依然として立っています。
中身の1階の仏像、残念ながら二階以上が登れません
左下のデジタルパネルでは、木塔はすでにここで
あなたを968年〇月〇日〇時〇分〇秒待っているというメッセージが書いている
写真を見たら、木塔はやや斜めになっていることをお気づきませんか?90年前の修繕で2回以上の泥壁を木製窓に変えたことで、安定性が大幅に減って、傾き始めました。果して、あと32年で千年になりますが、ご無事をお祈りします。
次は木塔の近くにある净土寺です。木塔から歩いてすぐです。
浄土寺正門
応県三宝の一つだと言われた遼代の「石獅子」
1184年に再建された主殿
応県三宝の一つだと言われた藻井(天井の装飾)
浄土寺正殿の屋根
現地の涼粉(二女凉粉)、食べるより飲むほう、めっちゃおいしい
麺皮の和え物
公共交通での乗り換えが大変で、踏ん張ってタクシーで1時間40分で恒山風景区に行きました。中国の五岳の一つ、北岳に当たります。目指すのは頂上ではなく、ふもとに近い絶壁に築かれた木造寺院「懸空寺」です。
491年に建造が始まって、唐代の開元23年(735年)、この地に遊覧した李白は岩壁に「壮観」の二字を書き記したと言われています。懸空寺は総長が約32メートルで、楼閣や殿堂が40室あります。最も高い場所は地面から約50メートルがあります。ぱっと見ると、直径が茶碗の口ほどの太さの木の柱が十数本しか支えていないようですが、力学の原理は、半分挿入された横梁を基礎として、岩石の支持を利用し、回廊の欄杆と上下の梁柱が左右でしっかりとつながり、全体として木のフレーム構造を形成し、耐震性を高めています。三教殿には仏教、道教と儒教の三開祖の釈迦・老子・孔子の塑像が一堂に並んで、とても珍しいです。
風景区に入ると、歩いて懸空寺に向かう景色
こちらの山はほぼ石、四川の山と全然違います
お花畑と懸空寺、李白が書いた壮観も見えます
角度を変えてみる、やはり高いところにある
懸空寺の入場は二段階があって、下で眺めるチケットと登るチケットは別で、登るほうのチケットはめっちゃ取りにくい(今回の旅行で一番大変)。狭い崖っぷちの道なので、人数はびっしりと制限されています。
懸空寺に登る
細い道、一番狭いところは一人しか通れない
懸空寺から見る周りの景色
懸空寺を制覇しました!
夕食は新鮮な黄花の和え物(大同産)
黄米凉糕
太原でも食べた過油肉、大同のが全然違う、味も甘酸い
肉を挟んで食べる(北魏スタイル)
今回の旅が長いので、また次回で更新します!
青島市は中国東部の山東省にあり、青島ビールで有名な港都市です。ドイツに占領されたことがあって、ドイツ様式の建物がたくさん残っています。南の海南省より、海景色はイマイチですが、海鮮は美味しいし、常に人気な旅行都市ランキングの上位です。前々から旅行プランに入れていますが、今回はたまたま航空会社のライブコマースでセールがあったので、往復のチケットを迷いなく購入しました。
スケジュールは以下のとりです。
6/21 9:30成都天府発、12:15青島膠東到着
青島駅→ホテルチェックイン→聖ミカエル大聖堂→郵電博物館→団島市場
6/22 青島桟橋→信号山公園→青島徳国総督楼旧址博物館→金沙滩→银沙滩→魚鳴嘴村→台東小吃街
6/23 海泊河朝市→13:35青島膠東発、16:40成都天府到着
青島の位置、韓国も日本も近いので、日韓在住者も多いです。
初めて利用する航空会社、中国聯合航空の塗装機。格安で、やはり遅れました
1時間遅れて、青島に到着しました。これは2021年にできた新しい空港で、市内からかなり遠いです。地下鉄で青島駅付近のホテルに到着したのは、すでに15時10分です。めっちゃお腹が空いたので、事前に出前を頼んでいました。
有名店の四色水餃子出前(黒:イカスミ、緑:エビ、黄:キグチ、白:サワラ)
キグチは少し生臭い、ほかのがおいしい
青島駅、駅舎はドイツ風の古典様式の建物
歩いて聖ミカエル大聖堂へ行く途中、すでに旧ドイツ式の建物をたくさん発見!
このような建物がたくさん!
青島歴史建築物群の一角
青島聖ミカエル大聖堂、入場20元
青島郵便テレ博物館ではがきを出しました!
団島市場の入口
市場の一エリアは全部海鮮です。ちょうどウニの季節で、買いました!
海鮮市場で買ったものを隣の店で料理してくれました!3人分で豪華!
青島代表料理:海腸撈飯(ユムシ丼)、めっちゃおいしい
香辣蟹(カニの辛炒め)
避風塘炒蟹(パンガスなで埋めたカニ炒め)
実は今回の航空券セール情報をおばにも教えたので、おばとその友達が2日前からすでに青島まで来ています。人数が多い方が、いろんな種類の料理を食べられます!
次の日は早起きして、弾丸旅行を始めました。
ホテルから出て歩いて5分は海、ようやくいい天気
青島シンボル:青島桟橋
まだ7時半なのに、賑わっています
桟橋の終点はこの「回瀾閣」
バスで信号山公園への途中で見た建築物
信号山公園案内、山より丘ですが、
いい眺めがあるので、登りました、20分ぐらいで頂上
信号山公園に登る途中
信号山公園頂上より景色、ちょっと海外風?
バスで青島徳国総督楼旧址博物館に到着、きれいな建物
中にも見物
青島徳国総督楼旧址博物館外観、この角度は先のよりいいと思います
まだ10時半なのに、すでに疲れた私にいいニュースがありました。おばがようやく起きて、レンタルした車を出してくれるそうです!これで遠いところまで行けます!目標は黄島区!
金沙灘、青島一の海水浴場、まだ6月下旬で、7月から営業です。海水はまだ冷たい
ランチは現地有名な「戳子肉」、鉄の箱に料理を入れて揚げる/焼くという料理方法
海涼粉(海藻で作ったゼリ状なものを和えた冷菜)
車で次の海水浴場「銀沙灘」、海に入れないので、見た目は一緒(笑)
通り道で魚鳴嘴村を一枚
夜の市内一番賑やかな「台東小吃街」
まだ本番夏休み前なのに、こんなに人がたくさん!大学や高校入試が終わって、家族旅行の人が多いです。次の日は朝市へ行きましたが、人が多すぎて、写真撮っていません。ただ市場の前に、大行列の肉まんの店でエビマンを購入しました。山東省でそもそも肉まんが有名です。
20分も並んで食べたエビまん!
最後に青島ドリンクを紹介します!
崂山可乐(嶗山コーラ)薬草がたくさん使ってる現地のコーラ、おいしい
嶗山白花蛇草水、原材料は体にいいし、こソーダ水ですし、味は「まずい」って有名
試しました。やっぱりまずいです(笑)
「飲み慣れたら、格別な風味もある」らしいです
青島に来てるのに、青島ビールの写真は?実はメッチャクチャ青島ビールを飲んでいました!が、当たり前すぎで、写真を取るのを忘れました!生はもちろん、ブルベリーやグレープフルーツなどの果実ビールも飲みました!街中どこでもビール、安くておいしいものもたくさん!合計4リットル以上飲んだと思いますが、写真がない!
今回もハードスケジュールの旅でしたが、また全然回っていません。行きたいところ(八大関、嶗山、小麦島など)もまだまだあります!それは次回の楽しみにします。
6月10日のシャンシャン
ずっとシャンシャンに会おうと思っていましたが、なかなか動き出しませんでした。四川でパンダを見ることは極普通で、珍しくありません。パンダを見るだけなら、チケット代が安い(20元)成都動物園へ行くのもできませんが、たくさん見るにはパンダ基地へ行きます。四川のパンダ基地は全部4つがあります。
- 成都パンダ基地
地下鉄3番線で行ける市内にあります。アクセスもいいし、飼育しているパンダ数も一番多いです。観光客のマストスポットです。今この基地で一番人気のパンダは「花花」(全称:和花)で、列に並んで3分だけ見るほどです。しかも平日でも30分以上並び、土日祝日なら4時間も並ぶこともあります。
- 都江堰パンダ基地
世界遺産都江堰(成都市中心部から車で約1.5時間)にあります。野飼い状態のパンダを見れます。パンダキーパープログラムを参加できるし、半日パンダ半日都江堰を見るという選択肢があります。
- 雅安碧峰峡パンダ基地
成都市中心部から車で約2時間の雅安市郊外の風景区にあります。シャンシャンがいるところです。パンダ園以外、野生動物園、峡谷風景区を楽しめます。雅安は成都から、四川の西側にあるチベット族高原地域への道の途中にあって、雅安経由の成都→康定(ダルツェド)...さらにラサというルートが人気です。
- 臥龍パンダ基地
成都市内から2時間弱の車で行ける汶川県(2018年四川大地震にあったところ)にあります。人気パンダは最近韓国から帰国した「福宝」です。ここは4つの基地の中、一番自然が豊かな場所で、夏にも涼しいです。パンダ見学として、歩く距離も少ない基地です。
4つもありますが、成都出身の私は、パンダは珍しいものではないので、わざわざ会いに行くもんかと思っていました。実は日本から帰国した後、友人が上海から旅行にきたというきっかけで、2020年に初めてパンダ基地(もちろん、一番近い成都のほう)に行きました。今回はシャンシャン目当てなので、目的地はもちろん雅安の碧峰峡です。雅安には私の母側の親戚がいるので、子供のときよく行っていましたが、碧峰峡に行ったかというと、はっきり覚えていません。まあ、新鮮な気持ちで日帰り旅行へ!
パンダ見学が目的なので、朝早くから動かなければなりません。9時からごはんを食べているシャンシャンを見るために、シャンシャンの誕生日前の6月10日に、こんなスケジュールで行きました。
タクシーで雅安駅から碧峰峡風景区へ移動
9:00の開園を待つ
9時~11時パンダ見学
11時過ぎ~12時過ぎ峡谷風景区の右側コースを巡る
遅めのランチ
午後は市内でのんびり
初めて成都西駅で鉄道に乗りました。昔は貨物専用駅でしたが、近年は少し省内ルートの高速鉄道で使われています。2022年10月から成都駅(通称:成都駅、火車北站)が改造工事(2026年までの予定)に入り、成都西は成都駅から普通列車の運行が託されました。そのため、成都西駅の待合室も小さめです。
成都西駅の列車を待つホール
Cで始まる城際列車(大体省内の都市間で走る)
雅安駅に到着、こんなにパンダをアピールするのって不思議
9時からなら風景区までの小型バスがありますが、早く行きたいので、仕方なくタクシーに乗りました。駅から風景区入口まで20km以上があって、48元かかりましたが、一番嫌なのは現地が黙認された20元の別料金です。取られる理由は風景区から空車で市内に戻るということですが、どうかなと思っています。大都市ではその理由は通じませんが、こういう小さいな都市では普通のようで、評判通りです。
風景区の観光センター
9時のパンダ基地開園まであと30分。
こんな山奥にいるんだ!入口付近の眺望台からの景色
8時40分ごろ、パンダ基地の入り口で待機。外国人の列は別で、ざっと見で日本人が20-30人います。磁気ありの身分証明書も持つ人(いわば中国人)が一列。
入り口の列、右側は外国人(多分全員日本人)
9時少し前、日本人たちがすでに入園。列に並んで入園して、電動シャトル観光車でシャンシャンに一番近いストップまで移動。
電動シャトル 20元/人(園内乗り降り自由)
降りると、すぐシャンシャンにいる「豹子山」へ移動
豹子山は別荘区ですよ
パンダ別荘地に入ると、すぐシャンシャンの所在地がわかる。
ほら、さっきの日本人が全員ここに!
ほーシャンシャンだ!朝ごはんを食べてるシャンシャン!
カメラを意識しているか、急に動きを止めたりしています。
日本人が多いですが、基本的に譲りあって写真を撮ったり、シャンシャンの美貌に惚れまくりしています。何人かの日本人と話をすると、全員ツアーで来ています。日本語ができる中国人のガイドさんが後ろに立てて、微笑んで見てるだけって感じ。
シャンシャンの案内板
この別荘区では、ガラス一枚越えで至近距離でパンダ見学するというスタイルですが、ほかのエリアでは、スタイルはそれぞれ。
シャンシャンのほか、たくさんのパンダを見ました!
一番元気なのは冉冉とその二人の子供。その2匹はずっと遊んだり、喧嘩したりしていました。
パンダ知識を紹介する看板、日本語あり
帰国子女を紹介する看板、シャンシャンはその看板娘
パンダグッズもたくさん
パンダ基地マップ
今回は全部で10頭ぐらいのパンダを見ました。園内はおよそ20頭がいますが、6月の天気はすでに少し蒸し暑いので、ごはんを食べて宿舎に帰った子や、寝坊している子、外へ出たくない子もいます。まあ、それでも満喫しました!
パンダ見学を終え、峡谷ハイキングをしようと思います。すでにチケット代に含まれているし、行かないと損します。峡谷コースは2つ。左峡谷は7.5㎞、約3時間かかりますが、右峡谷は2.5km、約1時間を要します。少し迷いましたが、ランチのとこも考えて、簡単なほうにしました。
緑豊かな峡谷
峡谷は整備された遊歩道です
日本語の案内板もあります
青龍淵滝
峡谷景色、あんまり人がいませんでした
峡谷の出口はその青い長いエレベーター
最後のこの吊橋はすごかったです。落ちるかと思いました。
これで碧峰峡の観覧が終了。出口の小型バス(8元/人)に乗って、雅安市内へ。
ランチは市内有名な麺「挞挞面」
麺は前日夜から発酵するので、遅くなると売り切れ!
雅安のご当地ミルクメーカーはパンダをブランドしています。
味はお勧めできませんが...
午後は暑くて、疲れたので、ショッピングモールでのんびりしていました(笑)
雅安の親戚は私がいると知って、雅安の魚料理をごちそうすると言いましたが、微妙な帰り時間でしたので、断りました。でも雅安ならでは魚、「雅魚」という品種ですが、魚の頭から宝剣の形の骨があって、めっちゃおいしいです。それは今度また行くときにします。
日本のGW時期に当たる中国の労働節ですが、今年も5/1はお休みで、そして5/2と5/3は強制的に前後の土日から1日ずつ奪い、念願な5連休になっていました。旅行者があんまりにも多いと予想できますので、個人的にはあんまり出たけたくありません。しかし、たまたま航空券を検索して、江西省贛州市というあんまり聞いたことがない場所を見つけて、航空券の値段もホテルの値段も手頃なので、ここにしました。親や友達に贛州へ行くと伝えたら、みんな揃ってどこって戸惑っていました。中国の中でも、知名度が低い場所です。
贛州(カン州)市の位置
カン州市は江西省の西に位置し、東は福建省、南は広東省、西は湖南省に隣接しています。成都から飛行機で2時間ちょっとかかります。カン州の贛という感じはやや複雑ですが、市内では「章水」と「貢水」という2つの川が流れて、やがてここで「贛江」として合流しています。贛という字も、異体字として「贑」が存在しており、左側は「章」、右下は「貢」です。「贛」は江西省の略称で、贛州は歴史的には江西省の省都の南昌より有名で、歴史文化のある都市です。
前振りが長くなっていますが、もう1点を強調しないと、今回は全体的に天気が悪く、思い通り動けませんでしたし、写真もイマイチでした。スケジュールは以下の通りです。
5/1 19:10成都天府空港~21:25贛州黄金空港 市内ホテル宿泊
5/2 贛州市博物館→贛州文廟→福寿溝博物館→魏家大院
5/3 江南宋城歴史文化地区→郁孤台→古城壁→蔣経国旧居→八境台→灶兒巷→馬祖岩
5/4 通天岩(予定、雨のため、中止)→標準鐘→贛州公園→
22:10贛州黄金空港~5/5 0:35成都天府空港
贛州黄金空港に到着。新しいターミナルビル、思った通り小さめ
ホテルに到着したら、すぐ出前を頼みました。
皮蛋肉餅スープ(見た目はあれだが、味はうまい)
初めてみた丸ごとのピータンが入ってる肉スープ。驚きの旨さ。しかも安い!出前のスープで8元。
江西省の米粉が有名。米粉の炒めがおいしい。辛さを控えめにしていますが、どうやら私は江西省の辛さに大丈夫です。
新しい贛州市博物館(ぱっとしない天気)
展示物はまあまあかな、博物館自体がきれいです。館内に植物園があり、まるでシンガポール空港を思い出してくれます。
館内の植物園の一角
博物館を出て、贛州市中央公園を抜け、目当てのレストランへ。
新しい贛州市中央公園
有名店の「辣椒炒肉」(青唐辛子の肉炒め)、四川人の私の口にめっちゃ合う
江西料理は辛さで有名です(たぶん中国一番辛い省?)。四川料理は香ばしい辛さで、ブラス山椒による痺れですが、江西料理は醬油ベースで、いろんな種類の唐辛子が入ってるものが多いです。そして、広東省に近いところにあるということで、一人前の壷蒸しスープも多いです。
郵便局カフェに行ったが、平日のみ営業で残念
贛州文廟は約千年前に建て始め、現存建築は1778年のものです。文廟は孔子を祭るところで、中国では珍しくないですが、文廟の隣にある慈云寺塔は1023年に建て始め、今は現役小学校の敷地にあり、観光客は立ち入りできません。
贛州文廟の状元橋
小学校内の慈云寺塔
文廟から少し歩くと、福寿溝博物館に到着。新築の無料な博物館で、北宋時期贛州古城の地下にある排水システム「福寿溝」の仕組みを説明してくれます。千年にわたり使う都市排水システムの凄さに感心しました。
福寿溝博物館
すぐ近くは魏家大院。古い客家(土着の人から、外来の客人として区別される漢民族の分支)建築の豪邸で、清から民国時期で使われていました。
魏家大院
晩御飯は江西省名物、米粉魚。米粉の上に味を染み込んだ魚のスライスを乗せて蒸したものです。米粉魚を入れた簡単なコース料理、「四星望月」は毛沢東が名づけたもの。月は米粉魚、四星はほかの4つの料理(当時は拌鱼丝、清炒雪豆、腊肉炒春笋、梅菜扣肉でしたが、今は何でもOK)。その時、士農工商という4つの階層はすべて共産党とう月に向かってるという政治的な意味が含まれているそうです。
米粉魚
適当版「四星望月」
夜食に出前の炭焼きにイナゴがあった。味はおいしいが
翌日はホテル近くの市場で朝食狩り。
にぎやかな町市場
艾米果と呼ばれるよもぎ入れのお菓子
新鮮なネバを使用した三鲜粉
カン州古城は北宋時期から一番よく保存されてる古城です。ちょうど労働節時期で有名ゲームとコラボしていました。初めて訪れる私にとっては違和感がありますが、現地人には新鮮でしょう。
カン州古城(コラボ版)
古城一角
郁孤台
郁(鬱)孤台はカン州名勝地で、古くから詩人たちがたくさんの詩を残しました。一番有名なのは宋の詞人辛棄疾です。
古い城壁の上を歩く
古い城の上に歩くと、次は蔣経国旧居(混んでたので、写真を取っていませんでした)です。蔣経国は蒋介石の息子で、中華民国の大統領になった人です。こちらで約3年間暮らしをしていました。
こんあ城壁の上にずっと歩く、八境台が見えてくる
また、古い城のお散歩を続くと、次の名勝は「八境台」です。これを上ると、カン州八景全部見えるということで名づけられました。
八境台
藏兵洞(古代の軍隊を隠すためなもの)は結構なスケールです。
藏兵洞
ランチは江西名料理「醋果子炒大肠」。もつの白い部分を全部取って、4種類の唐辛子と一緒に炒めるものです。かなり辛いですが、私はまだ大丈夫みたいです。
右は醋果子炒大肠。左上は魚団子のスープ。右下は空芯菜の辛い和え
カン州の浮橋はかなり有名で、小さな船をたくさん繋いてできた橋ですが、あいにく連日の雨で浮橋をみえませんでした。
浮橋のあるはずところ
灶兒巷は古い町並みで、民家や民宿今でも使われています。写真映えスポットです。
風情あふれる灶兒巷
古城門
馬祖岩は少し郊外になります。唐代の名僧馬祖道から由来していますが、お寺もあり、カン州を一望できるので、宋の時代にはすでに登高地として有名です。
馬祖岩宝興禅寺
最近できた馬祖岩の桟道、もう少し歩きたかったですが、雨が降り始めました。
馬祖岩の桟道の風景
夕食はホテルで出前を頼みました。
左下はスッポンの辛い煮込み、右は豆腐皮で野菜と唐辛子を巻いて食べる
最終日は通天岩(通天岩は唐から掘り出された石刻仏像群)へ行く予定でしたが、ひどい雨で、やめました。午前中はホテルでゆっくりしました。午後は適当に廻りました。
三色の魚蒸し
カン州でも日本のサブ化を発見
カン州標準鐘(まあ、札幌の時計台のようなもの)
カン州の風景印
郵便局に行って、カン州の風景印全部をゲットしました。平日以外で風景印もらえるのがありがたい。
大根餃子(皮は芋入り)
もう1回このよもぎのお菓子を食べた。中はしょっぱいもの。お気に入り認定!
芋餃子
夜のカン州黄金空港
3日間のカン州はやや多いです。まあ、今回は天気に恵まれていなかったので、ゆっくりと巡りました。物価が低く、歴史も長い、料理も四川人の味に合っています。しかも今回行くところすべて無料です(通天岩のみ有料)。観光にかなり力を入れているようですが、労働節のような休暇があると、トイレ掃除とかは間に合わないこともあります。次、江西省へ行くとしたら、景徳鎮へ行きたいかもしれません(笑)。
四川省は山が多いので、ホタル鑑賞ができるところが多いようです。日本では6月に見ることが多いですが、四川省は標高や場所によって、4月から見えるところもあります。今回は軽い散歩とともに、ホタル鑑賞もできる眉山市青神県中岩という地域に行くことにしました。
眉山市青神県中岩は成都都心から南西方向へ車で2時間ぐらいで、そこに有名なのは「中岩寺」というお寺がありますが、東晋(317-404)時代まで遡ります。唐から「峨眉」と並ぶ有名な仏教聖地になっていました。宋代の蘇軾(有名な政治家、文豪、書家、画家)は眉山出身で、中岩で青神出身の王氏と出会い、結婚したという。
4月13日土曜日、お昼過ぎてから、成都から出発して中岩風景区の前に着くのは午後3時半ごろでした。山道に入ると、渋滞がありました。行く日の二三日前にちょうど有名な雑誌で掲載され、いろんなマスコミが転載して、大騒ぎになっています。
地元で頑張っている感がすごい、ホタルをイメージしたゆるキャラもいた
入口の山門がカッコイイ
山門に入る前は湖で、蘇軾の像が立てている
山門に入るとすぐお寺。結構立派な御香が立てられている
ホタル鑑賞の時間はまだまだなので、まずは山上りです。
緑豊かなところで散歩
「唤魚池」、蘇軾の初恋の地
「唤魚池」の刻字、池の周りの経幢(経文を刻んだ多角形の石柱)は唐代のもの
その字は蘇軾青年時代の字だと言われている、この池もそのように名付けられたという
魚も多いきれいな池で、その魚たちは人の拍手を聞くと池から飛び出していた。1051年、蘇軾は中岩書院の王方の元で勉強していた。この池で宴会をしたとき、池の名付けでみなさんに意見を書いてもらうと、蘇軾と王方の娘である王弗とともに「唤魚池」という名を書いたというところから、二人が縁を結び、1055年に蘇軾18歳、王弗16歳で結婚した。
山を登ると、たくさんの(唐代の)仏像が見えますが、ほとんどが文化大革命や自然で壊されていた。ほんとに残念です。
頭がない仏像
日本語の説明もある
千仏長廊、基本仏頭がない
昔からの仏像(完整なもの)は高い岩にあるこの3つのみ
またいろいろ新しい仏像できている
上から泉が出てる
ポイントは緑を楽しむこと
奇石が多い
巨石が2つに割れている。中岩の「石筍」は古くから文章でも紹介される名所
体調の関係で頂上まで行っていませんでした。やや咳をしていたし、人が多いので、そろそろ本番のホタル鑑賞の場所取りに行かないと。
唤魚池の近くの渓流のところに戻ると、もう人がいっぱい。仕方なく、そこで1.5時間待つことにした。
17時半にすでに場所取りの人でいっぱい(夕暮れは19時ごろ)
楽しみにしていたホタルですが、結論から言うと、見ました。数は想像より少なかったですが、100以上を見たと思います。
ですが、その過程はほんとに嫌で、もう二度と行きたくありません。人が多すぎて、マナーが悪い人も大勢に。ホタルは静かで暗い環境が好きって知っているのに、子供はともかく、大人までうるさく叫んだり、ホタルを掴んだり、ライトでホタルを当てたりする人がたくさんいて、渓流の周りがごみ置き場みたいになっていました。
飛んでいるホタルを見てどれぐらい感動するのが、それぐらいがっかりです。
風景区の最大計画人数に超えたかもしれません。多分地元の人も管理人も想定していませんでした。マナーはね...
多分見てから5分もたたないうちに、私も帰り道に。もう嫌。
帰るときの正門
できれば次回は静かな山でホタルをみたいです。四川では山が多いので、基本山に行けば、夜になるとホタルがいますが、そこまでたくさんあるかどうかは情報次第です。
ホタル(4月頭ごろ)
ホタルの写真は自分で取れませんでしたので、1週間前にガイドさんが取った写真です。もちろんプロのカメラで。その時は雨で人も少なかったし、ホタルもたくさんいた。
三亜市は中国の海南島の南端にある都市で、海とビーチに誇る「中国のハワイ」のようなリゾート地です。中国で最も人気な旅先に数えられ、毎年の夏休みと冬休み、三亜市のホテルの値段はとんでもないほど高いこと、いつもニュースになっています。
三亜の景色(天涯海角景観区)
三亜市の位置
ずっと行きたかったですが、あんまりにも人気なので、航空券代も割高で、オフシーズンの乗り放題チケットもなかなか思い通りに取れませんでした。今回は去年の11月の頭から計画して、ダブルイレブンセールで安いホテルを確保し、乗り放題チケットで1ヶ月先の航空券を引き換え、保有する未使用の航空券の数が限りがありますので、この1ヶ月間は使えない状態です。そこまでやって、ようやく三亜市の旅を遂行しました。
スケジュールは以下のとおりです。
1/13 西島、市内散策
1/14 天涯海角、天涯小鎮(天涯タウン)
遅い航空便ですが、空港からホテルまでタクシーわずか10分ほどなので、便利です。ビーチから歩いて1分の五つ星ホテルで、少々古いですし、空港から近いのもあって、飛行機の音がややうるさいですが、2泊朝食付きでわずか398元なので、文句は言えません。
朝7時ベランダからの景色(海側の客室ではない)
朝バイキング、さすが五つ星ホテル
ホテルから出たすぐ海
ビーチからの朝日
早速、大勢な人が動く前に、タクシーで西島への港へ行きました。朝イチの便なら、またそこまで混んでいません。西島は三亜湾に浮かぶより海の綺麗な小島で、港から船でわずか10分で行けます。ダイビングやマリンスポーツが人気ですが、私は特にそういうものを目当てにしていません。
8時すぎ、肖旗港に到着しました。すでに始発の船が登船開始していました。事前に船のチケットをネットで買ったので、すぐに改札を通って、船に乗りました。
こんな船に乗りました(20分要らず)
西島に到着
さすが離島、海水がこんなに澄んでいます
海沿いの風景
西島の古い町並みの中で散歩
漁船で作った海上書房
ここまでは歩いて行ける距離でした。西島の一番人気観光スポットは、南西隅にある牛王岭(牛王島)です。実は散歩の途中でよく島民から「電動バイクをレンタルしないか」「(電動観覧車に)乗らないか」と声をかけられてきました。牛王岭までは遠いので、往復30元で値段を決めて、個人の電動観覧車に乗りました。
近年ヘリで島の観光が流行っています
小さな丘を登って、頂上にはゴールドの牛の像があります
頂上に吊り橋があります
頂上からの西島の景色
帰りに観光センターにある島の郵便局で風景印をもらいました
お昼12時の観光センターがとても混んでいます。やはり早起きが正解でした。
西島のマリンスポーツの値段、ご参考まで
午前中の観光が終了です。ホテルの近くに戻って、遅めの一人贅沢ランチをしました。
2人コースですが、1人で食べました(ネットセールで178元))
椰子飯
椰子飯は三亜市の名物、おいしいですが、もち米で作ってすぐお腹がいっぱいになるので、持ち帰りにしました。
さすが昨夜遅かったし、午後気温が高いので、ホテルに戻ってお昼寝をしました。
夕方に起きて、夕日を見ました。
夕日(朝日と同じビーチ)
日が暮れて、バスで市内へ行きました。特に目標もなく、お土産でも買おうかと思って、ぶらぶらしましたが、海南省は二度目なので、三亜市ならではのお土産が特に見つけられませんでした。
たまたま見つかった夜市の広場で焼き牡蠣を食べました(2元/個)
運動も兼ねて自転車でホテルまで帰って、夕食がまだなので、出前を頼みました。
糟粕醋海鮮ビーフン
揚げエビ餅
一人で観光都市でのご飯は難しいです。三亜市のレストランで食べたらすごい値段になったというニュースがよくあるので、道端のレストラン、特に海鮮レストランを控えるようにしています。一人でそんなに食べられませんし。
最終日もゆっくりホテルの朝食を楽しんだあと、タクシーで三亜市のランドマーク的な観光スポット「天涯海角」へ行きました。近い奇岩の点在する海岸で、昔からすごく有名ですが、若者にとってはちょっと石しかないし、チケット代が高いし、人が多いし、人気が下がったのですが、去年から無料になったし、その観光スポットに特別な風景印があると聞いたので、行くことにしました。
泊まったホテルは「君瀾・三亞湾迎賓館」、セールならコスパ抜群
のんびりでコーヒーを
到着が早すぎて、風景印に置いてある「天涯書局」の営業開始(9時)を15分ほど待っていました。
天涯書局
ゲットした風景印
観覧車に乗って、その奇岩のエリアへ。「天涯海角」風景区の入場が無料になりましたが、観覧車代とかいろいろところでお金がかかります。
石の多い海域を風景区として開発
「天涯海角」は世界の果てという意味で、恋人の聖地でもあります。
「天涯」石、高さ10.8m、億万年の歴史があるという
「南天一柱」石、高さ7m、昔の2元のお札の裏に使われている
このエリアに行ったら、なぜ若者がここを好まないのがわかります
人が多いし、本当に石しかありません(笑)
観光エリアを出て、歩いて20分のところに、民宿やカフェで盛んでいる天涯小鎮(天涯タウン)へ行きました。
おしゃれな外観の建物があったりします
建物の間から見える海、映える!
最後のランチはホテルの近くに戻って、一人前の海南鶏飯とデザートを注文しました。
白切鶏の海南鶏飯
ココナッツミルクのデザート
今回は三亜市に行く前に実は元旦からの風邪(インフル?)がずっと続いて、医者さんからの検査が大丈夫でしたが、咳が止まらなくて、大変でした。三亜市に行ったら、空気がきれいのか、咳がだいぶん収まりました。よかったです!
今回はまた週末旅で、今までと比べてスケジュールはそんなにキツくないですが、三亜湾で移動範囲を圧縮しています。それにしても、デカい観音菩薩がある南山風景区、鹿回頭、大小洞天が行く時間がありません。ほかには、もっときれいな亜龍湾ともっと静かな海棠湾があって、また行きたいです。