後期形とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)
後期形(100番台)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 08:02 UTC 版)
「国鉄キハ20系気動車」の記事における「後期形(100番台)」の解説
1962年から1966年に製造された。キハ58形とキハ80形の好評を受け、騒音と振動の低減、量産効果の向上(コスト低減)の見地からも2基エンジン車はすべて横形エンジンに統一されることになった。水平シリンダー形のDMH17Hを搭載し、床面点検蓋・車体中央壁面の排気管が廃止された。それにともない、排気管が車体の中央部から車端寄りに移ったため、0番台では排気管によって3個-3個に分かれていた客用扉間の窓が、6個等間隔に並ぶようになった。さらに、勾配線区での使用実績に基づきエンジンブレーキ機能が追加されている。末期にはキハ22形同様、外ハメ式の尾灯や、ハニカム構造の客扉が採用された。室内照明は蛍光灯で、キハ20系の中ではキハ22形と並んで例外的な温水暖房車。スタイルと旅客設備を除いたメカニズム面では、急行形気動車のキハ58形との共通点が多い。
※この「後期形(100番台)」の解説は、「国鉄キハ20系気動車」の解説の一部です。
「後期形(100番台)」を含む「国鉄キハ20系気動車」の記事については、「国鉄キハ20系気動車」の概要を参照ください。
後期形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 07:03 UTC 版)
「国鉄ワキ5000形貨車」の記事における「後期形」の解説
量産車 1966年(昭和41年) - 1968年(昭和43年)に817両(ワキ5415 - ワキ6231)が川崎車輛、富士車輌、ナニワ工機、日本車輌製造、輸送機工業、汽車製造にて製作された。 屋根をプレス加工鋼板に変更し、天井板を廃して断熱材を直接吹付する工法が採用された。軽量化と製作工数低減のための設計変更で、屋根形状は前期形の丸屋根から中央部が高い角屋根に変更された。床面積は前期形と同一であるが、内容積は 89.6 m3 (パレット使用時 59.5 m3)に拡大した。これは同時期に製作されたワキ10000形と同一の変更である。 台車・ブレーキ装置の仕様は前期形量産車と同一である。 TR220 形台車装備車 1969年(昭和44年)に3両(ワキ6232 - ワキ6234)が汽車製造にて製作された。 TR63 系台車の基礎ブレーキ装置で顕在化した種々の問題解決を企図し、試作台車の TR220 形を装備して落成した区分である。これはホキ2200形ホッパ車で量産化された 85 km/h 系台車 TR211 形の基礎ブレーキ装置を「両抱き式・鋳鉄制輪子」仕様に変更したもので、鋼板溶接組立による弓形状の台車側梁・密封形コロ軸受・「軸箱守」を廃して摺動部をなくした「鞍案内式」の軸箱支持方式などは TR211 形と共通の仕様であるが、制輪子を装架する張出部が台車側枠に追加されている。 台車以外の仕様は後期形量産車と同一である。台車は後年に一般の TR211 系に交換されている。 TR216A 形台車装備車 1969年(昭和44年)に330両(ワキ6235 - ワキ6514)が汽車製造、日本車輌製造、輸送機工業、川崎重工業、富士車輌、ナニワ工機、三菱重工業にて製作された。 ブレーキ装置の比較試験結果に準拠し、台車とブレーキ装置に大規模な変更がなされた区分である。 台車は TR216A 形に変更された。これは TR211 形の枕梁を耐摩レジンを用いた全側受支持方式に変更し、オイルダンパは台車側枠の取付座を突出させた「斜め取付」として、上下方向のみならず左右方向の車体振動や蛇行動の抑制を企図したもので、基礎ブレーキ装置は比較試験で性能が実証されたレジン制輪子対応の片押し式である。 ブレーキ装置は積空切替機構の設計変更がなされ、ARSD 方式(中継弁付積空切替式自動空気ブレーキ)が採用された。これは従来用いられた差動シリンダを廃し、荷重検知器と中継弁を用いてブレーキシリンダへの圧縮空気流量を直接制御する方式で、ブレーキシリンダは差動機能をもたない単圧式のゴム製ダイヤフラムに変更された。 車体は後期形量産車と同一の仕様であるが、最終製作分の280両(ワキ6285 - ワキ6514)では側扉が改良され、戸車をテフロン樹脂製に変更し、摩耗した戸車の在姿交換を可能とする点検口が追加されたほか、引戸錠を強度向上形に変更している。
※この「後期形」の解説は、「国鉄ワキ5000形貨車」の解説の一部です。
「後期形」を含む「国鉄ワキ5000形貨車」の記事については、「国鉄ワキ5000形貨車」の概要を参照ください。
後期形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 07:02 UTC 版)
「国鉄ワキ10000形貨車」の記事における「後期形」の解説
1967年(昭和42年)から1968年(昭和43年)にかけて川崎車輛(加古川工場)にて50両(ワキ10041 - ワキ10090)、 日立製作所 にて100両(ワキ10091 - ワキ10190)の合計150両が製作された。 屋根をプレス加工鋼板に変更し、天井板を廃して断熱材を直接吹付する工法が採用された。軽量化と製作工数低減のための設計変更で、屋根形状は前期形の丸屋根から中央部が高い角屋根とされ、側面同様のリブを有す。床面積は前期形と同一の 35.9 m2 であるが、内容積は 89.6 m3 (パレット使用時 59.5 m3 )に拡大している。 台枠中梁の形状を変更し、ボギー中心間距離を前期形より 500 mm 短縮した 10,850 mm として台車を車体中心に寄せている。これは車端部空気配管の艤装空間を確保するための措置で、車端部の締切コック開閉装置も小型化された。
※この「後期形」の解説は、「国鉄ワキ10000形貨車」の解説の一部です。
「後期形」を含む「国鉄ワキ10000形貨車」の記事については、「国鉄ワキ10000形貨車」の概要を参照ください。
後期形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/12 08:57 UTC 版)
1969年(昭和44年)に製造されたグループで、日本最後の事故救援用操重車である。基本は中期形と同一であるが、ブームの形状や仰俯装置が大幅に変更され、機械室の窓もHゴム支持とされた。特にブームは従来の「く」の字型から直線形状となり、印象を大幅に変える要素となっている。下回りでは、操重車としては初めて車軸がコロ軸受とされているのが特徴的である。 21両目の番号は、すでにソ100形が存在したことから、180に飛んでいる。
※この「後期形」の解説は、「国鉄ソ80形貨車」の解説の一部です。
「後期形」を含む「国鉄ソ80形貨車」の記事については、「国鉄ソ80形貨車」の概要を参照ください。
後期形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 00:26 UTC 版)
「三菱ふそう・エアロエース」の記事における「後期形」の解説
2019年4月発売開始。変更点は、衝突被害軽減ブレーキの性能強化、フロントデザインの変更及びフロントヘッドライトへのLED灯採用、ドライバー異常時対応システムの装備など。 エアロエース(ハイデッカー) エンブレム装着宮城交通 エンブレム非装着東京空港交通 エアロクィーン(スーパーハイデッカー) エンブレム装着信南交通 日本のサッカークラブチームジュビロ磐田選手送迎車
※この「後期形」の解説は、「三菱ふそう・エアロエース」の解説の一部です。
「後期形」を含む「三菱ふそう・エアロエース」の記事については、「三菱ふそう・エアロエース」の概要を参照ください。
後期形(2 - 6次車)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 16:54 UTC 版)
「京阪6000系電車」の記事における「後期形(2 - 6次車)」の解説
第12編成から、マイナーチェンジを受けた後期形となった。大きな相違点としては、ブレーキがHRD-1Rから省エネ効果の高いHRDA-1に変更、電動車の台車が軸梁式のKW66に変更、クーラーの容量がアップしキセの形状が変更され、側面ガラスが熱線吸収ガラスに変更された。5 - 6次車では側面方向幕の窓支持方式の変更も行われた。 ← 京都 大阪 → 形式6000610066006500670061506050竣工Mc M T T T M Mc 車両番号 6012 6612 6512 6062 1986年10月30日 6751 1987年4月22日 6752 1987年4月23日 6753 1987年4月28日 6013 6113 6613 6513 6763 6163 6063 1988年3月17日 6112 6762 6162 1989年3月13日 形式6000660061006500670061506050竣工Mc T M T T M Mc 車両番号 6014 6614 6114 6514 6764 6164 6064 1989年2月1日 2次車:4両(第12編成の6012・6612・6512・6062) 1986年10月30日に竣工して、同年11月28日より運用開始した。京都地下線の試運転用に2600系4両を地下に封じ込めたことによる車両不足分の補填である。当時の交野線の変電所容量の関係で、中間2両が付随車のために両方の先頭車からの制御回路やモーターへの引き通し線が付随車の床下に通っていた。 3次車:3両(第1 - 3編成8両化用の6751 - 6753) 1987年4月22 - 28日に竣工して、同年6月1日より運用開始した。 4次車:7両(第13編成) 1988年3月17日に竣工して、同月19日に運用開始した。1800系(2代目)7両を置き換えた。 5次車:3両(第12編成の6112・6762・6162) 1989年3月13日に竣工して、同月15日に運用開始した。 6次車:7両(初代第14編成) 1989年2月1日に竣工して、同年3月1日に運用開始した。1800系(2代目)7両の廃車(全廃)にあわせて投入された。京都方の4両はVVVF試作車ユニットであり、VVVF電動車の台車はKW77であった。
※この「後期形(2 - 6次車)」の解説は、「京阪6000系電車」の解説の一部です。
「後期形(2 - 6次車)」を含む「京阪6000系電車」の記事については、「京阪6000系電車」の概要を参照ください。
後期形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/18 08:15 UTC 版)
「国鉄トラ70000形貨車」の記事における「後期形」の解説
1969年(昭和44年)に450両(トラ74650 - トラ75099)が 東急車輛製造(協三工業とのグループ製作)、日立製作所で製作された。車体の外観は前期形と変わらないが、床の埋木の配置が長手方向2列に変更されている。この変更により台枠との干渉が無くなったため、中梁のサイズが前期形より大きいものに変更されている。
※この「後期形」の解説は、「国鉄トラ70000形貨車」の解説の一部です。
「後期形」を含む「国鉄トラ70000形貨車」の記事については、「国鉄トラ70000形貨車」の概要を参照ください。
後期形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 11:34 UTC 版)
FS096台車(クハ84114) FS396台車 台車枠が鋼板プレス材溶接組み立て構造に変更され、さらに軸箱支持機構がミンデンドイツ式を基本としつつ住友金属工業が独自に改良したS形ミンデン式に変更されたFS396・096(東武での社内呼称はTRS-75)となった。 このS形ミンデン式はオリジナルのミンデンドイツ式の短所である「台車枠の全長が長くなり床下スペースを大きくとる」点を解消した構造で、枕ばねの両脇から突き出した上下2枚の板ばねで軸箱の位置決めをするカンチレバー(片持ち)式の軸ばね支持機構を備える。コイルばねを2本並列配置で軸ばねとして用いるミンデンドイツ式とは異なり、軸ばねはシングルとなり、非常に簡潔な構成となった。阪急3300系で採用されたFS369・069を皮切りに、主に私鉄の通勤電車用として1970年代以降盛んに用いられた形式である。 また、枕ばねも揺れ枕吊り構造をやめ、背の高いベローズ式空気ばねに代えて横方向にも剛性(復元力)のあるダイアフラム形空気ばねで荷重を直接負担する「ダイレクトマウント構造」を採用しており、台車枠の側枠中央部を引き下げ、その上に枕ばり(ボルスタ)を配置して、枕ばりの直上に大径かつ薄型の空気ばねを置くように変更された。 軸距は後述する揺れ枕部の改良もあって2,200 mmに100 mm短縮され、軸箱支持機構の変更に伴う側枠寸法の大幅縮小や各部の簡素化も相まって、大幅な省スペースと軽量化を実現した。
※この「後期形」の解説は、「東武8000系電車」の解説の一部です。
「後期形」を含む「東武8000系電車」の記事については、「東武8000系電車」の概要を参照ください。
ウィキペディア小見出し辞書の「後期形」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。お問い合わせ。