「ヒメさま」のお社(Ⅱ)【アラハバキの信仰】倭文(しとり)の姫神【下照姫】 (original) (raw)
当ブログでは書ききれなかったまとまりを #アラハバキ解 で書いたのが三年前。その後、少しずつですが進展もあります。今回はその整理と、先日紹介した「ヒメさま」#下照姫 について #蟹守(かにもり、助産) #倭文(しとり・しずり、機織り)
目次
本文
菊水紋に描かれたアラハバキ
当ブログでは書ききれなかったまとまりを #アラハバキ解 で書いたのが三年前。
荒脛巾神社(宮城県)と葛木倭文座天羽雷命神社(奈良県)の祭式の類似性
遠く離れた大和二上山の麓の葛木倭文座天羽雷命神社(かつらぎしとりにいます・あめのはいかづち、奈良県葛城市。加守+倭文+二上神社で構成)と、宮城県の多賀城近くの荒脛巾神社の祭式の類似性が、着想のヒントになりました。
「アラ」は誕生を意味し「日の出」のイメージ、
「ハバキ」は出産を意味し「流れ出る水」のイメージ。
わかりやすく言うと、楠木氏の菊水紋のイメージでしょうか。
「日の出」と「流れ下る水」を描いた菊水紋
大神神社の看板には流れる水は描かれていませんが、三輪山の頂から狭井川(さいかわ)が流れ下ります。
三輪山の姫巫女・ヒメタタライスズヒメ(初代神武天皇皇后)が奉じた「太陽と水の祭祀」の根元が描かれています。
助産の蟹守(かにもり)と機織りの倭文(しとり)
アラハバキの信仰は縄文時代の「誕生と出産(助産)」に端を発し、
稲作弥生時代を経て、クニウミと子孫繁栄(五穀豊穣)の祈りと結びつき、
天孫降臨神話で誕生したばかりの皇御孫(すめみま)を包むおくるみのことを 眞床追衾(まとこおうふすま、古事記は眞床覆衾)と描写します。
誕生(助産)においては、後産つまり胎盤(蟹)をハバキ(手箒)で祓う「蟹守」、幼子を優しく包む「倭文(機織り)」のおくるみが セット になります。
蟹守の荒神箒(こうじんほうき)のカタチは、祇園祭が生まれた平安時代に祓いの「ちまき」になったりします。
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岩木山神社(青森県弘前市)の中門前の狛犬の基壇に「蟹守」の蟹と「倭文」のおくるみに包まれた乳児が刻まれていたのには本当に驚きました。
岩木山神社(青森県弘前市)楼門前、狛犬の基壇に刻まれた「蟹守」と「倭文」
狛犬の基壇の牡丹模様は全国どこの神社でも見ることができます。
葛木倭文座天羽雷命神社 拝殿 蟹守の紋
倭文の下照姫命
前回、大阪の上町台地に、ヒメコソ(ひめさま、下照姫命)の名の付く神社史跡が東西ラインに並んでいることを紹介しました。
下照姫命を祀る神社は意外に多く、なぜ、下照姫を祀るのかが、今ひとつ理解できていなかったのですが、
あらためて葛木倭文座天羽雷命神社(倭文)の由緒を読んでみて、御祭神の天羽雷命(あめのはいかづちのみこと)は下照姫ではないかと考えると、色々とつじつまが合って来るのです。
出雲伝承系図ではオオクニヌシ(出雲)とヤガミヒメ(因幡)の娘神が下照姫(木俣姫)で、夫は天稚彦(あめのわかひこ、建葉槌命たけはづち)とされています。
カッタンカッタンという機織りの音が「雷」で、倭文神(しとりのかみ)の天羽雷命は下照姫か、あるいは、下照姫と建葉槌の夫婦神。
御由緒にも書かれている通り「倭文(下照姫)」の鎮座するところ「蟹守、祓いの掃守」も鎮座していると考えるならば…
かつて掃部屋敷(蟹守)と云われた産湯稲荷神社(大阪市天王寺区)と、境内の比賣許曽神社(下照姫の倭文)跡碑の関係もうなづけます。
(続きます)