✩.*˚真宗高田派 龍教様より✩.*˚お念仏申す方は美しい 信心 信心と熱病のように語る人に信心は無い (original) (raw)

信は、仏辺に仰げ

『成就文』いはく
諸有衆生聞其名号
信心歓喜乃至一念
至心回向願生彼国
即得往生住不退転
唯除五逆誹謗正法(云々)

[諸有衆生] [聞] [其名号]
⇒「小慈小悲なき有情」「おもふべし(聞思すべし)」「利益」
⇒小慈小悲なき(身にて)有情利益 おもふべし (『和讃』)

→「利益」とは「摂取不捨利益」すなはち「念仏往生の大益」である

[信心] [歓喜] [乃至一念]
⇒「阿弥陀仏の御名をきき(聞其名号)」「歓喜讃仰せしむれば」「功徳の実(南無阿弥陀仏の功徳利益)を具足(ぐそく:顕わすこと)して 一念大利無上なり」(『和讃』)

→「一念大利」とはすなはち「南無阿弥陀仏の功徳利益」である

[至心] [回向] [願生彼国]
⇒「至心」「信楽」「欲生」と 十方諸有をすすめてぞ(諸有衆生) 不思議の誓願あらはして 真実報土の因となす(聞其名号、「(一心は)すなはち清浄報土の真因なり。」(『第三』))

→「不思議の誓願」とは「如来の勅命」のいわれ、「南無阿弥陀仏」である。また「誓願・名号同一」として『お手紙』にも記されている。

[即得往生] [住不退転]
⇒真実信心得るひとは すなはち定聚之数に入る(入定聚之数(曇鸞和尚『浄土論註』より)) 「不退のくらゐにいりぬれば(住不退転)」 「かならず滅度にいたらしむ(即得往生)」

(別讃)
⇒真実報土の正因を 二尊のみこと(観音・勢至 もしくは 釈迦・弥陀)に玉はりて 「正定聚に住すれば かならず滅度を証るなり(即得往生住不退転)」

※「かならず滅度にいたらしむ」は「即得往生」のほかに「必得往生」「必至滅度」ともされる
→「往生」「滅度(涅槃)」とは「念仏往生」、「南無阿弥陀仏の報仏土(報土)」である(「必至滅度の願」は「11願」の別名である)

唯除五逆誹謗正法
⇒「念仏誹謗の有情は 阿鼻地獄に堕在して 八万獄中大苦悩 暇なくうくとぞ説き玉ふ」

→「乃至一念 には 念仏がない」などと説くことは「不浄説法」であり、この和讃での「念仏誹謗の有情」、命題中の「誹謗正法」にほかならない

浄土和讃
南無不可思議光仏 饒王仏のみもとにて 十方浄土のなかよりぞ 本願選択摂取する

南無不可思議光仏(阿弥陀さま)は 饒王仏(世自在王仏とも)の前で 様々な浄土の中から 「南無阿弥陀仏(安養の古刹、如来の報土)」を択び摂め取られました

→「念仏以外」を「諸善」とされ、「諸善往生(19願往生)」を「不了仏智」とされるのが源空親鸞両聖人の伝える「西方浄土思想」である。

なもあみだ、なもあみだ
龍教