北畠親房とは 一般の人気・最新記事を集めました - はてな (original) (raw)

北畠親房

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一般

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きたばたけちかふさ

村上源氏北畠家の出自。
子に北畠顕家がいる。
南朝の正当性を訴えるために『神皇正統記』を書いたことで有名。

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#足利家時#万里小路宣房#北畠親房#吉田定房#花山院師賢

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元予備校講師の受験対策ブログ4年前

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#忍性#北畠親房#石造物

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Megurecaのブログ24日前

『武士道の誤解 捏造と歪曲の歴史を斬る』 by 清水多吉『武士道の誤解 捏造と歪曲の歴史を斬る』清水多吉日本経済新聞出版社2016年7月8日 一版一刷 新渡戸稲造をテーマにした懇話会の参加者から、こんな本もあるよ、と紹介された本。これを読むと、武士道への夢も希望もなくなる、、、と。 まぁ、世の中の評論本というのは、あっちの意見、こっちの意見、色々あるから面白いわけで、『武士道』が誤解されたり、捏造されたものだという意見の人がいたって、おかしくない。 ということで、、、図書館で借りて読んでみた。 日本経済新聞出版社が出版元というところが、ちょっと、興味深い。とんでも本ではなく、それなりに、由緒あるのか? 著者の清水さんは、 1933年会津若松 生まれ…

石巻市の古本屋 ゆずりは書房1ヶ月前

宮城県石巻市の南朝伝説について宮城県石巻市の湊という地区に「一皇子社」という神社がある。 この神社には、後醍醐天皇の皇子である大塔宮護良親王(昔は「だいとうのみやもりながしんのう」と読むと習ったが、現在では「おおとうのみやもりよししんのう」と読むのが定説らしい)が鎌倉から石巻に下り、この地で一生を終えたという伝説と、親王の御霊を弔うために建てたと言う謂れが伝えられている。石巻に今に残る南朝伝説である。 護良親王は鎌倉で幽閉された後に、足利直義の命で相模原の武士淵辺義博に殺害されたというのが史実であり、鎌倉から密かに石巻まで逃れたという事実は確認することができない。ではなぜこのような伝説が石巻にあるのかというと、石巻地方の有…

女神の福音~心流紀行1ヶ月前

【大阪】三社巡り 始動神頼み…そう思ったのかは いまとしては…どうだったかも ただ そういうモノも含めて 誰かを心配するときには その人への願いを込めて… 今回はお仕事の開店ということで 《宣伝》こちらをやっておられます 健康オタクの人の…そんな熱い思いで サービス付き高齢者住宅を準備 と 何事もですが 新しいことをするのは疲れるものです ただ休息の時期なので 心身の疲れもとれていき 復活されている可能性も多大にありますが その時は 我が家に と 阿倍野神社 鎮座地は顕家公が足利軍と戦った古戦場 南朝方に付いて各地を転戦した北畠顕家と その父の北畠親房を祀る神社です 奥宮(御魂振之宮)に少名彦さんがいます 心流紀行…

風の旅人 〜放浪のすすめ〜1ヶ月前

第1495回 古事記の冒頭の神々が意味するのは、宇宙の根本原理(続き)。クラゲの話から広がって、さらなる続きを。 地域ごとに異なる神々を信仰していた古代日本において、一つの国としてまとまる時代的必然性が生じた時、普遍的宗教の仏教の理念が取り入れられた。 古事記の冒頭、アメツチはじめの時に登場するアメノミナカヌシは、仏教における「空の思想」を象徴し、その後に続くタカミムスビとカミムスビは、同じく仏教の「因と縁」を象徴する。この3柱の神が造化三神、すなわち、宇宙における万物生成の原理を示している。 そしてこの3神の後に、葦の若芽が成長するような勢いで、ウマシ・アシカビ・ヒコヂの神、次にアメノ・トコタチの神が成ったと記述されている。 ウマシ・アシカビ・ヒコヂとアメノ・ト…

マンガ喫茶でまとめて読みたいようなマンガを紹介するブログ1ヶ月前

名取さなさんが激推してたから「逃げ上手の若君」読む 15巻 :鬼ごっこ11人目 斯波家長 ⇒二度目の鎌倉帰還逃げ上手の若君 15 (ジャンプコミックスDIGITAL)作者:松井優征集英社Amazon バンデットのおかげで室町節と言えば無茶苦茶ぶりばかりが目立つけれど、逆に言えば江戸時代よりさらに命を使うやつらでもあるのよな。 引き続き杉本城攻防戦 ja.wikipedia.org 1338年正月23日の青野原の戦いにも加わり、南都(奈良)で高師直軍配下として土岐頼遠と共に顕家軍を破り、河内に敗走させた。さらに同年2月28日の奈良般若坂の戦いでは弟の直信と共に顕家軍を迎撃し、京への進入を阻止した。 足利直義によって山名時氏と共に追討軍の主将に選ばれ、数日のうちに高貞を自害に追い込み、討伐を成功させた …

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名取さなさんが激推してたから「逃げ上手の若君」読む 13巻-2 : 北畠顕家がとんでもないキャラになってる!逃げ上手の若君 13 (ジャンプコミックスDIGITAL)作者:松井優征集英社Amazon かつては後醍醐天皇が理想論を追求した急進的に過ぎる人物だという誤解があったが、史料によって前後の時代との人材・政策を比較した結果、21世紀現在は、むしろ多くの面で後醍醐天皇は実務・安定志向だったという説が主流になっている えー。私もそういうイメージだったんだけど! 今の研究だと保守的ってことになってるのか。 尊氏が朝敵になっちゃった… このあたりからは教科書通り。 歴史の教科書だと、そもそもこれが後醍醐天皇が北条家にけんかを売った理由なので、まじで北条家は足利尊氏より後醍醐天皇のほうが許せないやつよね。…

ある社会科講師の旅の回想録1ヶ月前

社会科講師的東京散歩~皇居をぐるり④~旧枢密院(現皇宮警察本部庁舎) 大手門から出て,堀に南へ。再び東御苑の方向へ目を向けると旧枢密院の庁舎が見える。枢密院は戦前,天皇の諮問機関として,大日本帝国憲法草案を審議するために設置された。枢密院議長は内閣総理大臣に次ぐ地位で,初代議長には初代内閣総理大臣を務めた伊藤博文が就いた。 旧枢密院 元皇居警察本部 坂下門・楠木正成像(皇居前広場) 皇居前広場に出る。途中坂下門,楠木正成像を通って旧江戸城(皇居)を出る。坂下門は1860年1862年(文久二年)に老中安藤信正が攘夷派の水戸藩浪士による襲撃を受けた場所である。坂下門外の変と呼ばれている。 開国後,失墜した幕府の威信を取り戻すため,安藤…

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おっさん、夏の京都の古本市に足を運ぶ春のみやこメッセの古本市に足を運べず、秋の知恩寺の古本市も行けるかどうかわからないので、施設にて新型コロナウイルス感染症が発生している時期ですが、夏の糺の森の古本市に足を運びました。 結局のところ、施設外で新型コロナウイルスに感染する確率より、施設で集団感染したときに施設内で感染する確率の方が高いので、外出を控える必要性は(自分が感染していない限り)薄いと考えるようになりました。 いまの新型コロナウイルスは感染力が強いのか、職員もバタバタと感染して倒れております。全然弱毒化しているように見えないのですが、新型コロナウイルスの弱毒化って科学的なエビデンスはあるのでしょうか? それはさておき。 古…

Mottyの旅日記 Archive2ヶ月前

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