歳為政トランプ=特朗晋=川晋=川建・・・骨牌? (original) (raw)

文字霊日記・3564日目

「カンジ」の解体「晋書・晋諸・晋著」
↓↑
・・・再選トランプ・・・片目の「ジャック」ではなく「キング」
トランプ=特朗晋=川晋=川建・・・骨牌?
晋=亚+日
一+业+日
晉=一+厸+日
㬜=臸+日
至+至+日
一+厶+土+一+厶+土+日
シン
すすむ・勢いよくすすむ
「カンジ」の解体「晋書・晋諸・晋著」

↓↑
『晋書』(シンジョ=晉書)
中国晋朝(西晋東晋)の歴史書
二十四史の一
貞観二十年(646年)
645年=大化の改新
↓↑
600年・・・・ 初の遣隋使派遣
干支 庚申年
日本
推古天皇 八年
皇紀 1260年

隋王朝 開皇 二十年

三階教が

邪教とされ弾圧

三階教(サンガイギョウ)

北斉

信行(540年~594年)が開いた新仏教
三階=正法・像法・末法
仏教の三時観を
第一階・第二階・第三階
という独自の用語で呼んだ
第三階の人
末法の濁世に生きる凡夫で
三階教が
『大方広十輪経・大集経』を所依の経典とし
普仏・普法・普敬によらなければ
救われないと説き
あらゆる仏、あらゆる経典、あらゆる僧侶に
帰依することを求めた
実践は
「乞食行」で
如来蔵・仏性思想」に基づくき
大乗仏教」の延長線上にある
托鉢(タクハツ・サンスクリット:pindapata)
古代インド宗教の出家者の修行形態の1つ
信者の家々を巡り
生活に必要な最低限の食糧などを
乞う(門付け)
街を歩きながら(連行)
街の辻に立つ(辻立ち)により
信者に功徳を積ませる修行

托鉢(タクハツ)・・・鉢=金+本
乞食行(コツジキギョウ)・・・コジキ
頭陀行(ズダギョウ) 古事記
行乞(ギョウコツ) 業匫
匫=古代の器=鉢
↓↑
600年
高句麗 嬰陽王 十一年

百済 法王 二年
武王 元年

新羅 真平王 二十二年
元号 建福 十七年・・・建の福
↓↑
太宗の命により
「房玄齢」・・・房(ふさ)が
玄(くろ)くて
齢(よわい=嬬・尩・孱・愞・弱)
齢=歯+令=年齢・・・「尚歯会」
歯=止める米国の凵(カン・コン)
黒船
尚歯会(ショウシカイ)
江戸時代後期
蘭学者儒学者などの
学者・技術者・官僚
などが集まって発足した会
主宰 遠藤泰通(遠藤勝助)
構成員 高野長英、小関三英、渡辺崋山
江川英龍川路聖謨など
シーボルト鳴滝塾の卒業生
江戸で吉田長淑に学んだ者など
天保の大飢饉
などの相次ぐ飢饉対策のために結成
「歯を大切にする=尚歯=敬老」
「尚歯会」と名乗った
老中・水野忠邦も西洋対策に期待・・・
天保十年(1839年
モリソン号事件と江戸幕府鎖国政策を批判し
蛮社の獄」で
鳥居耀蔵」によって
高野長英は投獄、渡辺崋山は禁固(蟄居)
尾関三英は自殺
↓↑
「李延寿」・・・李=木之子
延=延長
寿=壽・・・寿命=壽命・・・尋ねる?
らによって
編纂が開始
貞観二十二年(648年)完成
帝紀十巻
載記(五胡の単于・天王・皇帝の記述)
三十巻
列伝七十巻
志二十巻
による紀伝体
↓↑
貞観の治(ジョウガンのチ)
唐(618年~907年)
第2代皇帝
太宗の治世
貞観(元年~23年)時代
(627年~649年)
の政治
治世が安定
資治通鑑
「-海内升平,路不拾遺
外戸不閉,商旅野宿焉」
(天下太平
道に置き忘れたものは盗まれることなく
家の戸は閉ざされること無く
旅の商人は安心して野宿が出来た)
↓↑
政治は
貞観政要
(太宗と大臣の対話集)
として文書にまとめられ
政治のテキストとして使用された
↓↑
2代目
太宗(李世民)の治世
国内の平定
対外進出を行い
各制度の整備
隋の制度を踏襲し
戸籍に基づき
一体的に運用
↓↑
「玄武門の変」
・・・626年7月2日
・・・645年は大化の改新
・・・663年は白村江の海戦
(武徳九年六月四日)
唐代に発生
唐の高祖
李淵」の後継者争いでの
暗殺事件
李淵
の次男の
「秦王・李世民
が、皇太子
で長男の
「李建成」
および四男の
「斉王・李元吉」・・・斉王=巫女⇔斉明天皇

長安
「玄武門周辺」・・・玄武=亀甲の上に蜷局を巻く蛇
で暗殺
李世民
が第2代皇帝として即位
↓↑
兄の皇太子
「李建成」
・・・李=木之子=茸(きのこ)
建=聿の廴(ひく・イン)=延長
廴=ㄋ+乀 朝廷・法廷・艦艇
庭園・遅延・延長
「ㄋㄟ」=「~だね」みたいなカンジ
「ㄋㄟ」=「ネエィ」
「乃」の古字「𠄎」
成=勹+戈(ほこ・カ)
・・・ヤマトタケルの成立・・・?

「李建成」の
幕臣
「魏徴」
弟の
「李元吉」

李世民」暗殺を建議・・・
「李建成」は少数の供者を引き連れて
宮殿に入ると
李世民
側に寝返っていた
「常何」・・・常にナニ?
らが一斉に切りかかり
「李建成」の幕臣である
「馮立」
・・・馮=冫+馬=溤=氵+馬
ヒョウ・フウ
いか(怒)る
かちわた(徒渉)る
たの(む)
つ(く)
よ(る)
馬が駆ける・馬が速く走る
しのぐ・はげしくせり合う
よる・よりかかる・もたれる
よる・たのむ・たよる・たよりにする
かちわたる・川を歩いて渡る
いかる・おこる・いきどおる
馮異大樹(フウイタイジュ)
暴虎馮河(ボウコヒョウガ)=無謀な行為
暴虎馮河の勇
憑=馮+心=冫+馬+心=憑依
「李元吉」・・・木之子の元は既知
幕臣
「謝叔方」・・・謝る叔父の方
が奮戦し
李世民
の部下
「敬君弘」・・・敬う君の弘
・・・弘文天皇大友皇子=伊賀皇子)
「呂世衡」・・・呂の世の均衡(balance)
の首代を上げてどの抵抗したが
「李建成」
「李元吉」
は殺害された・・・
↓↑
を排除し
帝位を簒奪した
太宗
李世民

「房玄齢」
を総監として
未編纂の史書を作ることを命じ
北斉書・梁書・陳書・隋書・周書』

『晋書』が編纂され
太宗「李世民
は代表作である
王羲之」・・・王の羲は之(これだ)
に傾倒し
「蘭亭序」・・・阿蘭陀(オランダ)
亭主=吾妻や・東屋
序=「ついで」に序文
を陪葬することを命じ
『晋書・王羲之伝』
を自ら執筆
既存の正史
史記漢書三国志
などは個人が編纂したものを
後に正史と定めたものであったが
太宗の欽定史書として
『晋書』が編纂されて以降は
史書編纂は国家事業となり
滅亡した王朝の史書を編纂することが
正統王朝としての義務となった・・・
↓↑
『晋書』成立以前
数多くの史家によって
「晋の歴史書」が作られ
代表的な18種類の書物が
「十八家晋史」
『晋書』は
「十八家晋史」の内の一つで
「臧栄緒」
の『晋書』
や晋の約数十種類の歴史書
「崔鴻」

『十六国春秋』などの
五胡十六国の歴史について
述べられた書物などを参考にして編纂
↓↑
本紀
晋の実質上の始祖
司馬懿
から
東晋」最後の
恭帝
「司馬徳文」
までであるが
東晋滅亡の年より後に死去した
「赫連勃勃」
なども入っている
↓↑
西晋では
武帝・恵帝の時代に
将来の『晋書』編纂に当たって
どの時代から扱うかが議論され
「荀勗」

司馬懿
が魏の実権を握った
正始年間を
「王瓚」

司馬師

「曹芳」
を廃立し
嘉平年間を
始期にすべきと主張したが、結論は出なかった
「賈謐」
が、武帝が皇帝に即位した
「泰始年間」を始期にするよう主張
正始期を支持する
「荀畯・荀藩・華混」
嘉平期を支持する
「荀熙・刁協」
は自説を主張したが
王戎・張華・王衍・楽広」
らの支持を得た
「賈謐」の主張「泰始年間始期」が通った
↓↑
正史『晋書』
王朝の事実上の始祖として
本紀を立てた
司馬懿司馬師司馬昭

竹林の七賢
など一部例外はあるが
基本的に「西晋」での方針に従い
武帝の即位(265年)以前に死去した人物の伝記は無い
実質的に「晋臣」として活動した人物であっても
武帝即位以前」
に死去した人物は原則立伝されなかった
↓↑ ↓↑
普=普通・普請
普=並+日
䒑+业+日
丷+一+业+日
暜=竝+日
立+立+日

あまねく・あまねし・広く行きわたる
普通=尋常=常時=常態・常体
common sense=常識
人生の経験から身についた
日常の実用的な思慮分別
人情・一般常識
あたりまえの判断力、認識主税
常識的判断・良識・分別
共通認識・共通感覚・通常認識
commonsensible
形容詞
純真で的確な判断を示す
exhibiting native good judgment
commonsensically
commonsensical
↓↑
普=並+日
䒑+业+日
丷+一+业+日
丷+亚+日
↓↑
晋=亚+日
↓↑
日並皇子
↓↑
草壁皇子
皇太子
在位
天武天皇十年二月二十五日(681年3月19日)

持統天皇三年四月 十三日(689年5月7日)
飛鳥時代
生誕
天智天皇元年(662年)
薨御
持統天皇三年四月 十三日(689年5月7日)
27歳
↓↑
別名
日並皇子
尊号
岡宮御宇天皇岡宮天皇・長岡天皇
墓所
眞弓丘陵
↓↑

天武天皇・・・天武天皇の殯の終了
持統天皇二年(688年)十一月
草壁皇子は第二皇子
↓↑

持統天皇=鸕野讚良・・・「字問う・字当」転向
↓↑
兄弟
高市皇子草壁皇子大津皇子忍壁皇子
穂積皇子・長皇子・弓削皇子磯城皇子
舎人親王新田部親王・他
↓↑

阿閇皇女(元明天皇)(661~721)
↓↑

第一皇女
氷高内親王元正天皇)(680~748)
↓↑
第一皇子
軽皇子(珂瑠皇子=文武天皇)(683~707)
↓↑
第二皇女
吉備内親王(686?~729)・長屋王の妃
ーー↓↑ーー
2016-05-11
古事記字源
王余魚
↓↑
中国では、
ヒラメ(鮃)の・・・平 目・日等目
比等馬・秘等愛
二つの眼が・・・・・二つ目
・附他通米(国)
並んでいることから・并・倣部
「比目魚」というが
↓↑
カレイは
「王余(餘)魚」と呼ばれ
・・・餘=あまる・あます
あまり
われ
この名は、
春秋時代
(日本の縄文晩期)
の話に由来
越の王
「勾踐(コウセン・クセン)」は
船料理で
魚を片身だけ・・・真名(漢字)の扁・旁
食べて
海に捨てていたが、
捨てる片身は
骨付きの方とみえて
コツフキ
乞付記・胡通符紀?
故椄附
その半身が・・・中身・中味・中見
水中で
元気良く泳ぎ出し
魚になった
これ以来、この魚を
王が
余って
捨てた魚として
「王余(餘)魚」
と呼ぶようになった。
青森空港の南西約4kmあたりに、
「王余魚沢(かれいざわ)」
王の贏(あまり)の圄宅(魚拓)
衍(衍字・衍文)の他句
敷衍・衍義
という地名があり
縄文時代の遺跡である青森市内の
三内円山遺跡
と結びつきがあるのかは謎・・・
↓↑
命名
大和本草』に
「此魚
背黒く
腹白くして
魚の半斤の如し
カタワレウオ・・・掛多和例眞名(漢字)
と云う意にて略して
カレイと名づく
魪・鰔・鰈・・・掛例?
目は一処に
二つあり近し」・・・寄り目
↓↑
『広辞林』に
「韓鰾
(カンヒョウ・からかれい)
の約(譯)・・・揶揄の例の訳
朝鮮近海に多く産するより、いう」
↓↑
漢和辞典』に
「鰈域の約
鰈域は朝鮮の別名
朝鮮の近海で
鰈が多く獲れるのでいう」
↓↑
「韓鰾」の意は
「エイ」より旨い「エイ型の魚」
or
朝鮮近海に多い
「エイ型の魚」
という二つの意味にとれ
このどちらかが
「カレイ」の語源・・・
漢字は
「蝶」のように
薄すっぺらい魚から
「鰈」の字が当てられた・・・諜報?
↓↑
地方名
アマテ(瀬戸内・鹿児島)
「アマテ」・・・天照大神
とは
手が脹れて病むこと
また
手のことを方言で言う
カレイにしては身が厚く
脹れた手の形に似た魚形から
↓↑
ウソ(富山)
藁製の
足半草藁・・・ソクハンソウコウ
(あしなか草鞋=わらじ)
・・・芯緒を利用して
鼻緒・・・端緒(タンショ・タンチョ)
緒=糸+者
幺+ハ+亅+土+ノ+日(曰)
を前で結んだ
小さな形の「わら草履(ぞうり)」
大きさが足裏の
なかばほどしかないので
アシナカと呼ばれ
長草履と区別している
足裏に密着し
鼻緒・・・・鼻緒の形象は
「八・人・𠆢」
が丈夫なため
滑り止めとし武士階級が利用
走り易いようにの
踵(かかと)の部分のない
短い草履(ぞうり)
足半草履・・・・促判草稿(下書)?
半物草
(はんものぐさ)・・・判物草(判じ物)?
のことを方言で
「ウソ」という
それに似た
形や感触からの呼名
↓↑
チクラ(仙台)
「チクラ」とは、
九州の筑紫と
朝鮮の新羅のことを言い、
転じて
この間にあるものを意味する。・・・百済対馬壱岐
つまり、
「どちらともつかず」の意・・・文禄・慶長の役
壬辰・丁酉の倭乱
の「対馬」の立場?
ーーーーー
↓↑ ↓↑
「プラトン古事記をカタル(古事記字源) + (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
↓↑
ボクの「古事記字源」の発端・・・
↓↑
干支歴
命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
↓↑
メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

↓↑
モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?