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天保

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てんぽう

元号のひとつ。1830年(天保元年)から、1844年(天保15年)。

水野忠邦の行った「天保の改革」は、この天保年間。

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ペンギンによる日々の雑記8ヶ月前

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#展望#1831年から1845年までの元号は#天保#政治#経済

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30ブックマーク竺仙|浴衣(ゆかた)天保13年創業の呉服屋2024.08.21仙台三越第56回 大江戸・浅草まつり#竺仙今年も出店 2024.08.21文藝春秋9月号 資生堂 「Your Song」にて竺仙ゆかたをお召しいただいています 2024.08.15沖縄リウボウ百貨店8月15日~24日江戸の職人展出店 2024.08.158月16日金曜日臨時休業のお知らせ台風7号関東直撃の恐れ 2024.08.08竺仙夏季休業のお知ら...www.chikusen.co.jp

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負け犬的映画偏愛録3年前

劇画!木枯し紋次郎「大井川の土左衛門」このマンガでは大井川ですが、紋次郎が旅をした天保の時代、水の都とも言われた江戸の町では、あちこちにあった水路や掘割に水死体が流れ着くことが実に良くあったそうです。 驚くのが、その時の対処法。江戸の庶民は水死体を見つけてもお目付け役に届けることなどせずに、そのまま突き出して流れに押し出していたのが普通だったそう。それでもお咎めなど受けることはなかったそうです。 江戸の時代はまた死体というものが一つのビジネスにもなっていたらしい。何故なら、刀の試し切りを罪人の死体で行うのが普通だったから。普段、時代劇では決して描かれることのないこうした死体をめぐる事情、ホトケというフィルターを通して見れば、江戸の…

#江戸#水死体#ドラえもん#藤子不二雄#天保#水路#掘割#刀#水の都

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◇悠々たる時空を超えて~(185年前からの書き伝え)part 3「ご本尊様」と「天保通宝」のつながりについて 以前「悠々たる時空を超えて~part1」で、ご本尊様の台座裏に書かれている文字の読解を長野歴史館へ依頼したことを書きましたが、半年待っても返事が来ませんでした。そのため、専門業者へ読解を依頼し返答がきましたので、ここで纏めておきたいと思います。 shiroumadake.hatenablog.com 【翻刻】 人心惟危道心惟微 惟精惟一允執二厥中一 天保七丙申龍集 庚則祈十日 湯原正彬敬白 【現代訳】 人としての心はあやうく不安定で、道にかなった心はかすかでわかりにくいものであるから、純粋精一につとめて、心から中庸(ちゅうよう)の道をとり守るように…

#湯原家#先祖#天保

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11の時代を生き抜いた渋沢栄一大河ドラマ「晴天を衝く」が始まったので、渋沢栄一さんを調べることが増えました。 今日2月21日(日)は第二話です。楽しみですね。 でも、渋沢栄一さんの時代の近代史は、学校の授業ではあまり習わないですよね。 渋沢栄一さんは長生きをされたことで、知られていますが、その生涯を知って驚くべきことが分かりました! 渋沢さんは、 1840年(天保11年)2月13日 ~1931年(昭和6年)11月11日の91歳でその生涯を終えられました。 それを調べた時に天保!?ってあの天保?という疑問が湧きました。 水野忠邦の天保の改革ですね。 江戸の三大改革(享保の改革、寛政の改革、天保の改革)の一つです。 ↓ 「天保…

#渋沢栄一#令和#天保#大河#歴史

私は一介の営業マンである4年前

◇悠々たる時空を超えて~(185年前からの書き伝え)part 1((昨年度はお世話になりました。今年もよろしくお願いいたします)) 長かった年末年始の休みもあと1日となってしまいました。 この連休中に「自分のルーツを調べる」という新年の目標を立てたので、とりあえず気になったことを書いていこうかと思っています。 この連休中、大掃除は大晦日にすませました。今年は天気もよかったので要領よくことが進みました。年に1度ですから、日頃出来ないところも綺麗にします。ご先祖様の位牌とご本尊様もそうです。 ご本尊様です。 うちには仏壇がなく机の上に置いているので埃がつきやすいため、布で丁寧に拭き取ります。ご本尊様を手に取って作業をするので、その底に文字が書いてあることに気が…

#先祖からの便り#天保#大飢饉#悠々たる時空を超えて#湯原家#湯原

「鈴木藤助日記」を読もう20時間前

2024年10月の鈴木藤助日記を読む会10月7日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。 神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生のお話。 神奈川県立歴史博物館では、三浦郡城ケ島村の資料の寄託を受けました。城ケ島は昭和期に大火災があり、江戸時代の文書をほぼ失ったのですが、これらは奇跡的に残ったものです。城ケ島の歴史をもう一度確かめるための希少な資料群となります。 当館の「2024年10月の逸品」では、城ケ島の資料を紹介しています。 今月の逸品 | 神奈川県立歴史博物館 (kanagawa-museum.jp) 「鈴木藤助日記」は、嘉永6年(1853年)9月13日から9月14日までの記事を読みました。 9月13日、藤助は四日市からの情報…

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井原文学のパワーワードは?コンバンワ、経塚丸雄こと井原忠政です。 御用繁多につき―― 暫くの間、 水曜・土曜(19時)の 週二回upと させて頂いております。 や、あるでしょ! アレとか、コレとか? 本当に「珍宝」しかないのか? なら、仕方ないなァ。 ちなみに、 「うつけ屋敷の旗本大家3」 の発売は11月8日です。 シーズン1の完結巻です。 小太郎と佳乃、 官兵衛と於金…男女二組の 恋の顛末を描きます。 そして、来年からは シーズン2が始まる! 大矢一家も幕末に向け フルスロットルであります! 乞うご期待! それではまた、次回19時に! 与一郎ものの第四巻です。 天王寺砦救出作戦と 第一次木津川口海戦 でチーム与一郎が…

明石吟平の漱石ブログ2日前

漱石「最後の挨拶」道草篇 37411.『虞美人草』(7)――漱石の見た陰と陽 これまた前項の続きになるが、『虞美人草』の登場人物の陰陽を調べたからには、他の作品についても知りたくなる。 漱石は主人公の年齢をはっきり宣言することが多い。物語の今が特定できるような出来事も、わりと書き込む方である。つまり人物の生れ年を特定しやすい。そうでない場合もあるが、本ブログでこれまで調べてきたものも含め列挙してみる。 太字で示した人物は、小説の記述から確定していると見てよいもの。それ以外は概ね論者の推測によるものであるが、本ブログですでに考察済ということで、ある程度断定的な書き方になっている。・明治39年怒りの3部作『坊っちゃん』坊っちゃ…

手妻師 藤山新太郎のブログ2日前

田中久重(絡繰り儀右衛門) 1田中久重(絡繰り儀右衛門)1 8日に前田知洋さんが訪ねて来て、一緒に昼飯を食べに行きました。前田さんは、私のところに、絡繰り(からくり)儀右衛門が作った「弓曳童子(ゆみひきどうじ)」を届けに来てくれたのです。実はこの絡繰りは、以前に学研から出たレプリカの物であるらしく、本物のからくりを二分の一ほどの寸法に作り直し、内部にはプラスチックなども使って、現代に再現したものだそうです。 前田さんは何年か前から日本や海外の絡繰り細工に興味を持ち、幾つかを手に入れ、いろいろ研究をしていたそうです。つい先日、大阪の文楽劇場で見せてもらった、鳥が鳴いて、当て物をする絡繰りもその一つで、ヨーロッパの絡繰り細工の…

社交ダンス・競技ダンス上達請負人!姿勢•歩行•動作改善☆Avid Dance & Body Design♪3日前

昔の子供は凄かった!? &【大阪 社交ダンス団体レッスン】『日本代表経験もある10ダンサーによるエンジョイラテン』初回の振付(チャチャチャ)♪皆様おはようございます、森田幸典です♪ 10月の月間予定について☆ aviddance.hateblo.jp 本来の身体を取り戻す!? 姿勢矯正、歩行指導、動作改善、ボディケアもおこないます♪ 波、螺旋の運動もお伝えします☆ 社交ダンスやバレエなどの練習、トレーニングなどに使用していただける貸しフロア(レンタルスペース、スタジオ)あります♪ ※1時間500円~ 『社交ダンス人気ブログランキング』は皆様の応援が頼りです! 励みになりますので、一日一回こちらのバナーをクリックして応援お願いいたしますm(_ _)m こちら、明治時代の尋常小学校の教科書だそうです。 移住する時に見つけた明治時代の小学…

郷土歴史覚書之扣3日前

No.2 善宝寺旧赤門の由来平成25年頃の開運殿 旧赤門の由来 「赤門」と言うのは、現在龍王殿へ通づる門の事で、所謂通用門である。現在の開運殿がそれである。 しかし、この赤門という名称は今の人は余り知らないと思う。 通用門の名称は、昭和三十五の善宝寺本堂再建以前の名称で、本堂再建と同時に赤門も伸和建設によって再建されている。 再建以降は「中門」と呼ばれていた。 この赤門については、全然善宝寺関係の本には載せられておらず、本堂信徒会館建設時の記念本に少し詳しく載せられている。 赤門の歴史は古い。少なくとも今から二百数十年前の江戸中期の善宝寺絵図に描かれている。天保の山崩れの再建以降のものと考えられる。 次に明治期の絵図でも…

郷土歴史覚書之扣3日前

No.1善宝寺旧本堂の由来現在の善宝寺本堂(感應殿)は昭和三十四年己亥(1958)に起工して、翌三十五年庚子(1960)一月元旦に竣工、開堂落慶式を厳修している。 又、今の庫裏・信徒会館も此時に落慶している。 ここで今回は、現在の本堂再建に至る経緯と旧本堂(法堂)についてスポットを当てていこうと思います。 No.1は、旧本堂の概要と天保の山崩れによる再建について話そうと思います。 「旧本堂の概要」 旧本堂は二十世中興霊感應傳大和尚在職十五年間(享保八年から元文三年)の建築です。 旧本堂は茅葺で屋根の反りなど見事で、美しい物だったと云われていた。 棟梁は、江戸後期から明治期までは名工である大岩川の剱持嘉右衛門藤吉が有名で…

5〗人口爆発時代。軍国日本の深刻な食糧危機。宇宙と人類の誕生。日本の自然災害。地球温暖化。4日前

🍠6〗─1─江戸時代、白米が原因の江戸患い(脚気)が民族病の一つであった。〜No.18No.19No.20 ・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 白米神話が生んだ悲劇。 日清戦争の戦死戦傷死は1万6,000人以上、病死(脚気)は4,000人以上。 日露戦争の戦死戦傷死は5万5,000人以上、病死(脚気)は2万7,000人以上。 ・ ・ ・ 2024年10月6日 MicrosoftStartニュース COURRIER JAPON「江戸時代に庶民にも行き渡った「白米」はある災いをもたらした | 五代将軍綱吉も患った 江戸時代には、成人は米を1日当たり五合も食べていたという。純白米は庶民にも少しずつ行き渡るが、それはとある病の原因…

YOBIUMA Satsuki(呼馬皐月)のブログ4日前

(佐倉市)明治22年佐倉町の地域探訪 宮小路から城内へ(令和6年9月26日その4) 佐倉組十善護国講(内郷組)の札所捜索を兼ねた、佐倉市の明治22年旧佐倉町地域探訪、鏑木町の重願寺&麻賀多神社などの次は、麻賀多神社南の宮小路を西に進んで、佐倉城城内に入ります。 まず、麻賀多神社を出ますが、鏑木町麻賀多神社南から神社の南向いに何かあります。鏑木町麻賀多神社の南向い側 佐倉養生所跡の碑 何かとは、佐倉養生所跡の碑でした。佐倉市宮小路町佐倉養生所跡の碑これに拠れば、慶応3年(1867年)、佐倉藩医の佐藤尚中( 佐藤尚中 - Wikipedia )が、長崎に次ぐ西洋式病院「佐倉養生所」をここに設立した。 この碑と神社の間の道、宮小路を西へ進みます。宮小路…

sogensyookuのブログ5日前

片山家墓所京丹波町本庄にある阿上三所神社の参拝を終え、北西に向かう。 京丹波町坂原にある阿上三所神社を訪れた。 坂原阿上三所神社 鳥居 この神社は、安栖里(あせり)地区の地頭であった片山氏が、観応元年(1350年)に本庄の阿上三所神社から祭神を勧請したものと伝えられている。 片山氏は、元々は武蔵国新座郡片山郷に所領を持っていた鎌倉幕府の御家人であった。 承久四年(1222年)に、片山氏は丹波国和知荘の新補(しんぽ)地頭となった。 参道のイチイガシ 鎌倉幕府が成立した時、源頼朝は、国衙領、荘園の治安維持を行うという名目で、配下の御家人を各国衙領、荘園の地頭に任命した。 地頭は、国衙領、荘園の治安維持を行う…

みすゞかる 信州の釣り人5日前

夏休みの思い出 信州小布施北斎館もう1カ月以上前の事ですが、夏休みに小布施に行ってまいりました。小布施は同じ信州なのですが、更科の自宅からは車で1時間程離れております。栗と葛飾北斎で有名な場所となります。 名古屋に勤務している下の娘も帰省しており一緒でした。目的は葛飾北斎の作品を展示している『北斎館』です。今回下の娘に日本が誇る葛飾北斎を知って欲しいと言う願いも有りました。 まずは花より団子の娘に小布施の栗の味を知って貰う為に老舗和菓子店の小布施堂の朱雀モンブランを食べさせました。巨大なモンブランを前に娘は大喜びです。 母は豪華な栗餡蜜です。私も栗最中と渋茶を頂きました。 さて本命の北斎館ですが、ご案内する前に少し葛飾北斎の…

クマケア治療院日記5日前

東京都豊島区高田「目白不動堂」大師作の秘仏「不動明王像」今回は、東京都豊島区高田の金乗院内にある「目白不動堂」です。前回の御府内八十八ヶ所、三十八番札所の「金乗院」の続きです。 目白不動尊の縁起 目白不動堂は、東豊山浄滝院新長谷寺と号し、金乗院より東の文京区関口駒井町にあったが、昭和20年の戦災にて焼失したため、金乗院に合併し、本尊目白不動明王を金乗院に移した。 本尊不動明王は弘法大師作と伝えられ、高さ8寸の断臂(だんぴ)不動明王といい秘仏である。 大師作の不動明王像を祀ったのが始まりで、元和4年(1618)大和長谷寺第四世小池坊秀算僧正が中興し、二代将軍秀忠公の命により堂塔伽藍を建立し、また大和長谷寺の本尊と同木同作の十一面観世音の像を移し、新長…

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吉田類の酒場放浪記コンバンワ、経塚丸雄こと井原忠政です。 御用繁多につき―― 暫くの間、 水曜・土曜(19時)の 週二回upと させて頂いております。 BS・TBSで放送中の「吉田類の酒場放浪記」。 このゆる~い酒飲み番組、 なんとなく視てしまいます。 類さんに敬意をひょうして、 今日はユル漫画で 決めて見ました。 (今日「も」か…) 10月7日からは テーマ音楽が替わるみたい。 ♪バッドバッドウイスキー♪ が替わるのかな? 楽しみです。 それではまた、次回19時に! 与一郎ものの第四巻です。 天王寺砦救出作戦と 第一次木津川口海戦 でチーム与一郎が大活躍。 今回も笑えて、泣けます! 天王寺忠義 北近江合戦心得…

YOBIUMA Satsuki(呼馬皐月)のブログ5日前

(佐倉市)明治22年佐倉町の地域探訪 鏑木町の重願寺&麻賀多神社など(令和6年9月26日その3) 佐倉組十善護国講(内郷組)の札所捜索を兼ねた、佐倉市の明治22年旧佐倉町地域探訪、続・田町の愛宕神社などの次は、鏑木町の重願寺、続けて、鏑木町の麻賀多神社に参ります。 既に、佐倉第二児童公園北東の重願寺前まで来ています。 鏑木町の重願寺 真宗大谷派、重願寺、佐倉市鏑木町964番地。(千葉県の宗教法人名簿より) ローマ字表記は、Juganji。鏑木町重願寺 説明板 門前右に説明板です。鏑木町重願寺説明板これに拠れば、山号は勝誓山、もとは佐倉城内にあり、元和元年(1615年)建立、本尊は阿弥陀如来。 山門 鏑木町重願寺山門 保存樹説明板 山門左というより境内の西端に、…

石仏石神を求めて6日前

埼玉県の庚申塔(吉川市上内川・内川神社)埼玉県吉川市上内川の内川神社(訪問日:2024年6月8日)大字上内川の鎮守社です。北は北葛飾郡松伏町に接しています。社殿の左側、松高集会所前の空きスペースに石造物が並んでいます。その多くは石祠で、弁財天や天神などの主銘が認められます。今回は左端の庚申塔2基のみ掲載します。文字庚申塔①刻銘「萬延元庚申年霜月建立(1860) / 上内川上山金杦講中 / 庚申塔」 自然石型 文字庚申塔②刻銘「昭和六十年五月吉日(1985) / 岡田浅次郎建之 / 庚申塔」 角柱型 真反対の側にも庚申塔が2基あります。どちらも青面金剛を主尊とする像塔です。青面金剛像庚申塔① 刻銘「天保二年辛卯五月庚申日(1831) …