5〗人口爆発時代。軍国日本の深刻な食糧危機。宇宙と人類の誕生。日本の自然災害。地球温暖化。 (original) (raw)
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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本の自然と自然災害には、BEVよりハイブリッドカーか水素自動車が向いている。
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2024年11月13日 YAHOO!JAPANニュース ベストカーWeb「なぜ日本人はBEVを買わないのか? 世界で乗用車新車販売比率18%だけど日本だと1.8%な理由
国内メーカーからも多くのモデルが登場し、街中でもよく見かけるようになってきたBEV。しかしながら、日本では、新車販売台数に対するBEVの割合はわずか1.8%。欧米や中国と比較して、10分の1から4分の1程度しかありません。なぜ日本人はBEVを買わないのでしょうか。
【画像ギャラリー】2024年現在、日本で買うことができる国産メーカーのバッテリーEVたち(14枚)
文:吉川賢一/アイキャッチ画像:Adobe Stock_Tupungato/写真:NISSAN、TOYOTA、MITSUBISHI、SUBARU、MAZDA、HONDA
BEV販売割合は、欧州では15%、中国22%、米国8%にも
冒頭の国内の新車販売台数に対するBEVの割合1.8%というのは、2022年6月発売の軽BEV「日産サクラ」も含まれた数字。サクラが登場する以前のBEV販売比率は1%未満と、日本では本当にBEVが売れていません。
一方、海外でのBEVの販売比率は、EUが約14.6%、米国では約8%、中国では約22%(いずれも2023年1~12月の統計結果)もあります。欧州では、かつて主力だったディーゼル車の販売割合(13%ほど)をすでに抜いてしまいました。
日本は、世界でいち早く量産BEV「日産リーフ(2010年12月~)」が登場した市場であり、日産、トヨタ、マツダ、三菱、スバルなど、国産各メーカーからBEVが登場していることに加えて、テスラをはじめとしてメルセデス、BMW、アウディ、ヒョンデ、BYDなどのグローバルで評価されているBEVも多く販売されています。どれも完成度が高く、快適な乗り心地で、自宅充電ができれば移動コストも抑えられます。
もちろん、BEVの特有の使い勝手が、自身のクルマの使い方にそぐわない人も少なくないでしょうが、それは海外も事情は同じ。それなのに、日本では販売比率が伸び悩む要因は、海外でのBEVの使われ方に、特有の傾向があることが関係していると思われます。
海外はカンパニーカー制度によってBEVが普及した
日本では、BEV購入に対する優遇策として、購入時の諸税金の減免税と、購入資金に対する補助金が導入されています。なかでも補助金は、日産アリアならば最大85万円、日産サクラも最大55万円もの補助が国から交付される(いずれも2024年度)ほか、自治体によってはさらなる補助金、もしくはなんらかのメリットが受けられる場合もあります。最大85万円もの補助金は決して少なくない金額ですが、実は欧米では、「カンパニーカー制度」によって、これ以上のメリットがあります。
「カンパニーカー制度」とは、大企業の課長職以上など、一定の地位がある社員に、会社がクルマを支給する制度のこと。社用車と違い、業務時間外に乗ることも許されています。クルマは会社が購入(もしくはリース)してくれ、自動車保険、メンテナンス代、燃料までもが必要経費として会社が負担してくれ、経費であることから法人税上で損金として処理できる(純利益を減らすことができる)など企業側にもメリットが大きい仕組み。また、一定の期間で車両入れ替えが行われるため、新車が定期的に売れ、これによって経済がうまく回る、というメリットもあります。
企業が、カンパニーカーにBEVを選べば、企業としてのCO2排出量カウントの抑制にもつながりますし、国からの高い評価も期待でき、補助金も受けることもできます。こうしたメリットによって、企業がカンパニーカーにBEVを選ぶようになり、前述のようなBEVの販売比率となったのです。
性能のいいハイブリッド車が比較的安価で購入できるもの要因
また、日本のハイブリッドカーが優秀すぎるのも、日本でBEVが普及しない理由でしょう。20km/Lを超えるハイブリッド車が税込300万円~購入することができますし、BEVよりもバリエーションが豊富で、好みのクルマを選ぶことができます。また、リッター300円を超えている欧州の燃料価格と比べて、日本の燃料価格は、レギュラーガソリン170円、ハイオク180円、軽油150円と、高くなったとはいえ、安いのも、BEVを選ぶ必然性に欠ける理由でしょう。
燃料代がさほど高くないことに加えて、BEVよりも低価格で購入できるハイブリッドカーがあり、このハイブリッドカーと、まともに勝負ができるBEVがない、となれば、BEVが選ばれないのは、もはや必然だと思われます。
力技でBEVを売ることはできるだろうが、どれほど意味があるのかは疑問
中国では、BEVに対して多額の購入補助金を交付したり、大都市を中心にナンバープレートの発給制限を、BEVは無制限に許可するなどによって、BEVを半ば強引に普及させましたし、米国の中でも環境意識の高いカリフォルニア州では、渋滞時に2~3人が乗車しているクルマが優先的に走ることができる有料レーンを、BEV利用者はドライバーだけでも無料で使うことができる制度なども導入されています。
日本でも、日常的に渋滞が発生する高速道路に、BEV優遇レーンを設けるなどすれば、BEV購入を考える人は増えるでしょうが、こうした力技でBEVを売ることにどれほど意味があるのかは疑問。もちろんカーボンニュートラル問題は、もはや待ったなしの状況ではありますが、日本では日本の条件にあった方法でカーボンニュートラルを実現していかなければ、持続可能ではなく、効果的ではないのではないか、と考えます。
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エセ保守とリベラル左派は、科学的イデオロギーを優先して歴史・宗教・伝統・文化を学ばない為に同じ失敗を繰り返し、無益な犠牲者を出している。
その証拠が、自社さ連立内閣の平成7(1995)年に起きた阪神淡路大震災と民主党内閣の平成23(2011)年に起きた東日本大震災である。
令和の自民党内にエセ保守が蔓延っており、野党の惨状は推して知るべしである。
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2024年11月13日18:56 YAHOO!JAPANニュース 沖縄テレビOTV「県の経験不足露呈… 北部大雨被害の災害救助法適用が難しく
大雨被害が出た本島北部の支援を巡り今回、県の判断の遅れによって災害救助法の適用が困難となっていることについて、有識者は「県や市町村は適用の要件を見直すなどして今後の教訓として活かすべき」と提言しています。
玉城知事「国への窓口の一本化などこういう状況が再びあってはならないという事で、私からは直ちに窓口を一本化するよう指示をしました。」
今回の大雨災害を巡って県の対応について「再びあってはならない」と述べた玉城知事。大雨による浸水で損壊した住宅の応急処置や食料の支給。避難所の運営などに国の支援を充てる災害救助法について今回、県の判断が遅れたことで適用が困難になりました。
玉城知事「災害救助の方の適用についても十分内閣府とまた意見を交換していきたいと考えています。」
災害救助法は条文で「多数の者が生命又は身体に危害を受け又は受けるおそれが生じた場合」とされていて、災害の発生中に知事が判断して国と協議することで適用されます。
今回県は2日間にわたる大雨がおさまった11日に災害対策本部を設置し、この時点で国に協議を申し入れたため適用基準に合致せず、支援を受けられなくなったものです。
一方で、時同じくして甚大な被害を受けた鹿児島県与論町は、8日の被災中に協議し災害救助法が適用されています。
災害の頻発を受けて国は去年、災害救助法について発生中に適用させる運用を積極的に行うよう呼び掛ける文書を都道府県に出していました。
今回の大雨では内閣府の災害救助法の担当者が今月9日未明と早朝の2度にわたって、県の担当課に電話をかけましたが職員不在のためつながらず、協議できなかったことも明らかになっています。
災害救助法に詳しい小口幸人弁護士は「今回県は、法律の適切な運用が出来ていなかった」と指摘します。
小口幸人弁護士「災害救助法適用の機会が無いという今の建付けは制度としてそれ自体問題はあるだろうと思っています。ただそれでも市民県民の命を守らなければいけないですから、(法律の)建付け前提で万全の体制を整えていかなきゃいけないので沖縄県でも残念だけど、長年に渡って出来ていなかった。」
これまで県内でも台風の発生時に災害救助法が適用されたことはありました。小口弁護士は台風の接近に慣れた沖縄県だからこそ、今回の予期せぬ災害への対応が後手に回ったのではと考えています。
小口弁護士「私よく健康優良児という例えをするんですけどなかなか風邪ひかないんです、台風が来ても。被害が出ないです。」
「ただいざ被害が生じた時にどうしたらいいのかどういう支援があるのかという経験が少ないので、そういった知識や備えそして意識については全国で一番低いと思います。」
北部3村からは適切な対応を県に求めるとともに村としても一連の対応を検証したいといった声が上がりました。
知花靖国頭村長「(災害救助法の適用について)マスコミ報道で知ったんですよね。もしそれがその通りだと非常に残念だなと思います。(被災した)3村の村長でしっかりと内容を詰めて県に要請をしていきたい。」
當山全伸東村長「救助法で被災者に対する助成とか中身が問題なので、今後もそれ(適用条件)もまた検証しないといけないんじゃないかなと思っています。」
災害救助法の適用は発生中以外に人口当たりの住宅の全壊件数をもとに適用されるケースもありますが、今回の北部の被害状況での適用は難しいとみられています。
小口弁護士はいま県には被災した住民や自治体の目線に立った支援が必要だと指摘します。
小口幸人弁護士「県がぜひやらなきゃいけないのは災害救助法が適用されている時と同じ支援を行うこと。市町村に負担させないという枠組みにしてこそ市町村はお金のことを気にせずに全力の支援が出来るという事もありますので。」
週末以降、台風が接近する恐れもある中、県には同じ轍を踏まないよう迅速な検証と対応が求められます。
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11月14日11:45 FNNプライムオンライン 沖縄テレビ「本島北部大雨被害 災害救助法適用難しい状況に玉城知事「同等の支援講じられるよう指示」
本島北部の大雨被害で災害救助法の適用が難しい状況になっていることについて、玉城知事は適用が無い場合でも同等の支援が講じられるよう関係部局に指示したことを明らかにしました。
13日本島北部の大雨被害を視察した玉城知事は、国頭村と大宜味村、それに東村から被災者への生活物資の費用と見舞金などの助成、県道の早期復旧などについて要請書を受け取りました。
一方、県の対応の遅れで災害救助法の適用が難しくなっていることについて玉城知事は次のように述べました。
玉城知事「沖縄県では災害救助法の適用に向けて被災の調査を実施するともに、災害救助法の適用がない場合であっても同等の支援が講じられるよう担当部局にその旨私の方から指示した。」
その上で、国の財政規模のような支援ができるか答えづらいが県でできることはしっかり努力したいと述べました。
沖縄の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。
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11月14日18:25 YAHOO!JAPANニュース SmartFLASH「「知事の実力差が歴然」沖縄県「連係ミス」で記録的大雨に災害救助法使えず…なぜか他県の知事のお株が上がる“謎現象”
「連係ミス」が露呈した玉木デニー知事(写真・共同通信)
11月9日未明から10日にかけて鹿児島県与論島や沖縄県本島を襲った記録的な大雨。沖縄県の東村では48時間降水量が637.5ミリに上り、過去最多となった。沖縄県では北部を中心に床上・床下浸水が100件以上確認され、道路の寸断、断水なども発生している。
【画像あり】娘と選挙に臨む馳浩
一刻も早い対応が求められるなか、沖縄県では応急救助費用などの一部を国や県が負担する「災害救助法」の適用が難しくなっているというのだ。一体、何が起きているのか。
「『災害救助法』は、都道府県知事が『多くの住民が被害を受けることが予想される』と判断した段階で適用可能です。しかし国との調整が不可欠で、今回はこの『国と県の調整』ができなかったようです。
玉城知事は記者団に『大雨が降り続いていた9日の午前4時40分頃と8時45分頃の2回、内閣府から県の担当課である生活安全安心課に災害救助法の適用について助言するための電話があった』と明らかにしました。
しかし担当課の職員が不在で、職員が詰めていた防災危機管理課などには内閣府からの電話がなかったそうです」(社会部記者)
県は雨が止み始めた11日、国に「災害救助法を適用できないか」と相談したものの、「すでに人命への危険はなく、災害後の全壊家屋数でも今のところ条件を満たさない」として、同法の適用が難しいと返答があったというのだ。
一方、鹿児島県は災害が発生する前に国に問い合わせたため、8日には同法が適用されている。沖縄県内の被災者にすれば、国からの費用支援が受けられないこの事態は県のミスにほかならないだろう。
「玉城知事は『連携ミス』を認めています。今後は市町村に財政支援をおこなうとしていますが、規模的には国に比べて小さくなることが予想されます」(同前)
一連の玉城知事のトラブルには怒りの声が上がるが、このトラブルで無関係のはずの石川県の馳浩知事の評価があがるという現象が起きている。
「1月1日の能登半島地震、9月21日の豪雨など災害に見舞われた石川県は、復興が遅々として進まないことで馳知事への批判が強まっていました。しかし、今回の沖縄県の対応と比較して『馳知事の方がよくやっているんじゃないか』という見方が広がったのだと思います」(石川県民)
Xにも《石川県の馳知事は災害救助法の申請も怠らず、素早い対応をしたのに叩かれた》《石川、沖縄の知事の実力差が歴然》《百年に一度の豪雨に、まだ1期目途中の石川県知事はきちんと災害救助法適用申請を行っていました》《沖縄県知事の災害対応能力の塩っぱさで逆に石川県知事のお株が上がってる》など好意的なポストが寄せられていた。
知事には「県民の命を預かっている」という自覚を忘れないでもらいたい。
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11月15日4:00 YAHOO!JAPANニュース 八重山日報「県の初動対応「失態」 災害救助法適用困難に 本島北部豪雨
玉城知事に被災者支援の緊急要請書を渡す与党県議団=14日午後、県庁
沖縄本島北部を9~11日に記録的豪雨が襲い、比地川(国頭村)の氾濫や民家の床下浸水など大きな被害が出ており、県の初動対応の遅れを問題視する声が出ている。14日、県議会の与党県議団が県庁を訪れ、玉城デニー知事に被災者支援などを緊急要請。「(初動対応の遅れは)県の失態。このようなことが二度とないよう、危機管理を見直してほしい」(山内末子県議)などと批判した。
本島北部の豪雨被害に対し、県が災害対策本部を立ち上げたのは11日になってからで、この時点で大雨は収束に向かっていた。
このため、災害の被害が発生する恐れがある時点で申請する必要がある災害救助法の申請が遅れ、同法の適用が困難になった。国予算による十分な被災者支援が受けられない可能性がある。
与党県議団からは「初動で判断が遅れ、適切な対応につながらなかった」「対応の遅れをしっかり反省し、今後の災害の際にはすぐに災害救助法適用で動いてほしい」などと厳しい声が相次いだ。
氾濫した比地川について県議の一人は「地元が複数回、県に浚渫(しゅんせつ)を要請したにもかかわらず対策が取られなかったと聞いている」と、県の事前の対応にも問題があったとの見方を示した。
池田竹州副知事は11日に現地を視察したが、玉城知事が現地に向かったのは13日になってからだった。知事は自身の視察がずれ込んだ理由について「公務があった」と説明した。
今後は国との窓口を防災危機管理課に一本化することや、被災情報を収集するリエゾンの派遣、災害見舞金の拡充などの対策を進める。被災者対策の予算は既決予算の流用や予備費などで確保する。
玉城知事は「一日も早い復旧と被災者の暮らし再建に向けて全力で取り組む」と強調した。
与党県議団は被災者支援のための財源確保、災害救助法適用申請に向けたマニュアル策定、氾濫の恐れのある河川の浚渫などを要望した。
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11月15日6:17 YAHOO!JAPANニュース RBC琉球放送「災害救助法の適用遅れに与党県議らも「大失態」と玉城知事を非難
県の対応が遅れたため国費で被災者を支援できる「災害救助法」の適用が困難になっていることについて、与党の県議団が14日、玉城知事に対して「大きな失態」などと指摘し、早急に対策を講じるよう求めました。
【写真を見る】災害救助法の適用遅れに与党県議らも「大失態」と玉城知事を非難
与党の県議団は14日県庁に玉城知事を訪ね、被災者支援に「災害救助法」の適用が困難になっていることに「大きな県の失態だと私たちから強く指摘したい」などとして、救助法と同様の支援策を講じるよう求めました。
▽山内未子 県議
「今後このようなことが二度とないよう、危機管理をしっかり見直し、検証し、新しい形での危機管理体制をとっていただきたい」
▽玉城知事
「大雨の警報で対策本部を立ち上げた過去の実績がなく、雨なので様子を見るべきだろうと思っているところに今回、このように対応が遅くなってしまった。我々猛省して二度とこういうことがないように、警報や注意報が出た場合の明確なマニュアルを作りたいと思います」
県によりますと、現時点で被災地へのリエゾン(連絡調整員)チームの派遣が決定しているほか、国との円滑な連絡体制の構築に向けて調整を行っているということです。
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11月15日 MicrosoftStartニュース 産経新聞「沖縄・玉城知事「猛省する」 本島北部の大雨被害で県の対応遅れ、災害救助法適用困難に
記者会見で「猛省する」と語る沖縄県の玉城デニー知事=15日、那覇市(大竹直樹撮影)
© 産経新聞
沖縄県の玉城デニー知事は15日の定例記者会見で、沖縄本島北部を襲った記録的な大雨被害で、県の対応の遅れたため災害救助法の適用が困難になった問題について「重く受け止め、猛省する」と陳謝した。
災害救助法には被災した住宅の戸数などの要件があるが、早期に内閣府に打診し、災害の被害が発生する恐れがあると判断されれば適用できた。内閣府は9日に2回、県の担当課に電話したが職員は不在で、24時間態勢の防災危機管理課とも情報を共有できていなかった。県は11日に災害対策本部を設置。同法の適用を内閣府に相談したが大雨は収まっており、適用が困難になっていた。
県内では災害対策本部の設置や県の対応の遅れに批判が高まっており、玉城知事は「一義的に私が(早期の対応を)判断しなかった」と述べ、「防災危機管理課に窓口を一本化し、関係機関との連絡や情報の共有体制の見直しを指示した」と明らかにした。
関連するビデオ: 沖縄北部の一部に「緊急安全確保」 1時間に100mm超の猛烈な雨 (テレ朝news)
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11月15日16:06 YAHOO!JAPANニュース 産経新聞「「オール沖縄」結集10年 退潮傾向続くも沖縄・玉城知事「県民から期待持たれている」
記者会見に臨む沖縄県の玉城デニー知事=15日、那覇市(大竹直樹撮影)
玉城デニー知事は15日、共産や立憲民主、社民などが支援する自身の支持母体「オール沖縄」について、「県民の皆さまからは引き続き、期待を持たれている」との認識を示した。平成26年11月の知事選で県内移設反対を掲げた翁長雄志氏がオール沖縄を結集し、初当選してから16日で10年の節目を迎えるのを前に、記者会見で語った。
玉城知事は翁長氏の急逝に伴う30年の知事選で自公政権が推す候補に圧勝し、令和4年の前回知事選で再選を果たした。
オール沖縄は、翁長氏が辺野古問題以外は「腹八分、腹六分」(で折り合う)と提唱し結集した政治勢力だったが、近年は共産主導の革新色が強まり、有力メンバーだった保守系議員や財界人が離脱するなど求心力が低下。今年6月の県議選で大敗し、県議会での過半数を初めて失った。9月の宜野湾市長選でも、米軍普天間飛行場(同市)の辺野古移設に反対するオール沖縄勢力の候補が敗れている。
10月27日に投開票が行われた衆院選では、全国的に自民、公明が大敗するなか、沖縄県の4小選挙区では前回選と同様、自民候補と2議席ずつを分け合う形になった。
近年はオール沖縄の退潮傾向が続いているが、玉城知事は会見で「全国でも社民、共産が小選挙区の議席を持っているのはここ(沖縄)だけだ」と述べ、「オール沖縄を支援する県民の考え方は変わっていないことが証明された」と強調した。(大竹直樹)
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2024年11月8日 現代ビジネス「戦後で「最大の善人宰相」…村山富市の「立派だったところ」と「いただけないところ」
阪神・淡路大震災でミスを重ねたが…
だが、村山は総理大臣として大きなミスを何度も重ねた。
なかでも最大の失策は、平成7(1995)年1月17日午前5時46分に起きた阪神・淡路大震災への対応だった。
そもそも発生の一報が首相に届けられた時間が今もはっきりしない。当時、災害対策を所管していた国土庁(現・国土交通省)には大震災などに対応する危機管理のための当直システムがなく、当時は、一報をNHKで知った秘書官が、午前6時過ぎに村山に伝えたと広報された。
だが、悪いことは重なるもので、1月17日は、「自社さ」連立政権といいながら自民党主導の政権運営ぶりに反発を強めていた社会党右派の山花貞夫らが離党し、新党を結成しようとしていたのだ。
社会党の分裂騒動に心を痛めた村山は、不眠の日々が続き、前夜は睡眠導入剤を飲んでいたとされ、一説には発生から約2時間後にようやく事態を把握したという。
1月17日の早朝、官邸は機能不全だった。影の首相と呼ばれた事務方の官房副長官、石原信雄が、早朝の散歩中にラジオで一報を聞き、神奈川県・あざみ野からタクシーを飛ばして官邸入りしてからようやく非常災害対策本部を立ち上げた。
震災対応のための臨時閣議が開かれたのは、午前10時になってから。当然の如く、自衛隊の出動は遅れ(兵庫県から自衛隊への出動要請も遅れた)、村山は大きな批判を浴びた。
初動の遅さを国会で追及された村山は、「何分(なにぶん)初めてのことで……」とつい、本音を漏らし、追求の火に油を注いだ。
ただ、村山のために一言、弁護すれば、初動にあたる発災後72時間の対応はゼロ点だったが、復旧復興対応は、子細を担当大臣に起用した自民党の小里貞利(おざとさだとし)が即断即決できるよう大きな権限を与えたのをはじめ、おのおのの大臣が復興対策をやりやすいよう環境を整えた上で結果責任はすべて自分が負う姿勢を貫いた。東日本大震災後、福島原発事故の対応で「俺が、俺が」としゃしゃり出て、現場を大混乱させた菅直人に比べて、かなり立派だった。
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革新勢力は、民族的な伝統力・文化力・歴史力・宗教力を無意味・無価値と切り捨てている為に、阪神淡路大震災や東日本大震災などの自然災害を教訓として学ぶ事がない。
オール沖縄の中の媚中派・反米派・過激派・反自衛隊派らは、日本ではなく中国との関係を深め依存を強めようとしている。
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マルクス主義者・共産主義者の歴史元年とは、マルクスとエンゲルスがプロレタリア革命を広める為に共産主義者同盟の綱領を起草して共産党宣言を行った1847(弘化4)年であり、反宗教無神論・反天皇反民族反日イデオロギーから祖先が生きてきた数万年前の民族の歴史をゴミのように捨てている。
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日本が頼れるのは、同盟国アメリカであって、仮想敵国中国共産党ではない。
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エセ保守やリベラル左派は、日本で発生する自然災害に対する想像力がなく、対応策も甘く不徹底である。
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関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・{東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
明治政府は、祖国防衛の為に軍隊・兵器・軍需物資を迅速に戦場に来る為に軍用鉄道を敷設した、その主要鉄道が北海道線と東海道線であった。
明治における積極的自衛戦争に勝利した要因は、輸送網と情報網の充実にあった。
特に、北海道の鉄道は日本の生命線であった。
その重要性は、江戸時代後期から変わってはいない。
鉄道が開設される前は、屯田兵と囚人街道がその役目を担っていた。
エセ保守とリベラル左派は、民族的な伝統力・文化力・歴史力・宗教力がなく地政学や戦争学における戦略・戦術が理解できない。
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現代における鉄道の重要な使命とは、戦時と災害時における輸送の確保である。
主要鉄道の存続は、国益である。
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2024年11月14日22:09 YAHOO!JAPANニュース「函館本線廃止強行!?北海道庁の政策姿勢は「日本の安全保障」に悪影響 防衛省は自衛隊の鉄道輸送を推進
鉄道輸送される装甲車(写真:陸上自衛隊)
2024年11月8日、陸上自衛隊は、「令和6年度陸上自衛隊演習」において、北海道のJR石北本線を含む札幌―北見間で鉄道による補給品の輸送を実施し、その有用性を確認したと発表した。陸上自衛隊公式X(旧ツイッター)では、補給品を鉄道コンテナに積み下ろしする様子や、石北本線の遠軽駅付近を走行する貨物列車の画像が公開されたことは、筆者の記事(自衛隊補給品、北海道「札幌―北見」で鉄道輸送 その一方「攻めすぎた廃線」でネットワーク分断の大問題)でも詳しく触れている。防衛省は、「自衛隊の輸送力向上のため鉄道貨物のさらなる活用」を行う方針を掲げており、10月14日には仙台から東京に向けて96式装輪装甲車の鉄道輸送を行うなど、自衛隊装備品の鉄道輸送の実績を積み重ねている。
しかし、ロシアとの国境を接する北海道では、鉄道路線の「攻めすぎた廃線」により、鉄道ネットワークが各所で分断され、災害時などに列車の迂回運行ができる路線がほぼ消滅してしまったことから、すでに北海道の鉄道はネットワークとしての機能を失っている。例えば、8月のJR石勝線の豪雨災害時には、列車の迂回運行ができなかっただけではなく、昨今のドライバー不足から特急列車のバス代行も貨物列車のトラック代行もほぼできなかった状況が明らかとなり、北海道の交通網は脆弱性を増している。そして、今後の安定的な鉄道輸送を考える上で、さらなる問題となりそうなのが、北海道庁が主導で鉄道路線の廃止を強行しようとしている函館本線の長万部―小樽間だ。
有珠山の火山災害時に迂回ルートとなり得る「長万部―小樽間」
函館本線(山線)を走るH100形(写真AC)
函館本線の山線と呼ばれる長万部―小樽間は、北海道新幹線の札幌延伸にともなってJR北海道から経営分離されることが確定している区間であるが、北海道庁が主導する協議会では廃止の方針を強引に決めてしまった。この協議会には地域のバス会社も呼ばれることがなく、地域住民の声も聞かれることはなかったことは、記事(北海道新幹線、泥沼化の並行在来線問題 防災計画にも明記「原子力災害時の避難路」としての住民指摘も黙殺)でも詳しく触れている。
この路線は、2000年の有珠山噴火で室蘭本線が不通となった際には、貨物列車や特急列車の迂回ルートとしても活用されたが、北海道庁はそうした実績を考慮することもなかった。有珠山は、20~30年周期で噴火を繰り返してきた火山であり、「すでにいつ噴火してもおかしくない時期に差しかかっている」と指摘する有識者も存在する。室蘭本線には北海道と本州方面を結ぶ貨物列車が1日20往復以上運行されている。これは、8月に豪雨被害を受け4日間にわたって不通となったJR石勝線の1日6往復の3倍以上にも及ぶ本数だ。
JR石勝線は主に十勝地方で生産されたジャガイモなどの農産物が貨物列車で輸送されているが、4日間の鉄路寸断でトラックによる代行輸送がほとんど行えなかったことから、3月31日限りで廃止された根室本線の富良野―新得間を廃止せずに迂回路線として整備しておくべきではなかったのかという指摘も根強い。北海道で生産される農作物の輸送が滞れば、日本国家の食料安全保障を揺るがしかねない事態となる。こうした状況の中で、室蘭本線が災害で寸断された際の物流への影響は計り知れず、迂回できる鉄道路線がないという状況になれば、北海道の物流は完全に麻痺し、今後、拡大が見込まれる自衛隊の装備品の安定的な輸送にも影響が出かねないだろう。
北海道庁の「バスのほうが鉄道よりコストが安い」という理由一辺倒で、鉄道ネットワークをどんどん分断していく政策姿勢は、目先のコストカットにしか意識がない極めて近視眼的なもので、地域だけではなく国家への影響に対する想像力を欠いている。こうした狭い視野の中で、函館本線の長万部―小樽間の廃止を強行しようとする北海道庁の政策姿勢は、防衛省が自衛隊の装備品輸送について鉄道輸送を広げていこうとする国家の方針に反していると言っても過言ではなく、日本の安全保障に悪影響を与えかねない大きな問題ではないだろうか。
北海道と本州方面を結ぶ貨物列車(写真:MaedaAkihiko CC BY-SA 4.0)
(了)
鉄道乗蔵
鉄道ライター
鉄道に乗りすぎて頭の中が時刻表になりました。日本の鉄道全路線の乗りつぶしに挑戦中です。学生時代はお金がなかったので青春18きっぷで日本列島縦断修行をしてましたが、社会人になってからは新幹線で日本列島縦断修行ができるようになりました。ステッカーやTシャツなど鉄道乗蔵グッズを作りました。
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11月12日 YAHOO!JAPANニュース「自衛隊補給品、北海道「札幌―北見」で鉄道輸送 その一方「攻めすぎた廃線」でネットワーク分断の大問題
2021年度の演習で鉄道輸送された装甲車(写真:陸上自衛隊)
2024年11月8日、陸上自衛隊は、「令和6年度陸上自衛隊演習」において、北海道のJR石北本線を含む札幌―北見間で鉄道による補給品の輸送を実施し、その有用性を確認したと発表した。陸上自衛隊公式X(旧ツイッター)では、補給品を鉄道コンテナに積み下ろしする様子や、石北本線の遠軽駅付近を走行する貨物列車の画像が公開されている。鉄道コンテナに積み込む補給品の段ボール箱には「戦闘糧食Ⅱ形、タンドリーチキン」「戦闘糧食Ⅱ形、さけちゃんちゃん焼き」などと書かれていることも確認できる。
防衛省は鉄道貨物活用の方針
防衛省では2022年5月19日に国土交通省で開かれた「今後の鉄道物流のあり方に関する検討会」において、「自衛隊の輸送力の向上のため、鉄道輸送のさらなる活用」を求めている。これに対してJR貨物側も2024年5月13日に「今後の鉄道物流のあり方に関する検討会」中間とりまとめに対する達成状況を発表。自衛隊輸送については、「新たな社会的要請への対応」が課題とし、「2024年度に実施予定の大規模演習における貨物鉄道利用に向けた」打ち合わせを行うとされていた。
2024年度はこのほか鉄道の日である10月14日に96式装輪装甲車が低床貨車コキ73形で仙台貨物ターミナル駅から東京貨物ターミナル駅まで輸送された様子が各地で目撃され、Xでは一時トレンド入りを果たすなど大きな話題となったことは記事(鉄道の日に自衛隊「装甲車」輸送の貨物列車が走る! 低床貨車「コキ73形」の活躍でXではトレンド入り)でも詳しく触れた。防衛省の鉄道輸送活用の方針に加え、石破茂氏が内閣総理大臣に就任したことも重なり、今後は自衛隊装備品などの鉄道輸送はさらに拡大するものと思われる。石破氏は首相就任前には各紙インタビューで自衛隊戦車の鉄道輸送の可能性について語るなど、自衛隊の鉄道利用については積極的な姿勢を見せていた。
自衛隊の補給品を積んだ鉄道コンテナ(写真:陸上自衛隊)
北海道では「攻めすぎた廃線」で鉄道貨物の脆弱性が露呈
しかし、北海道では相次ぐ鉄道路線の廃止により、災害時の貨物輸送について脆弱性を露呈している。2024年8月31日に発生した豪雨災害では、札幌と十勝・釧路方面を結ぶJR石勝線が4日間にわたって不通となったが、この間、同区間を結ぶ特急列車の代行バス輸送が実施できなかったばかりか、十勝・釧路方面から発送される農産物を運ぶ貨物列車のトラック代行輸送がほとんどできなかった。背景には今年度より開始されたドライバーの残業規制に加え、根本的なドライバー不足が背景にある。
特急列車や貨物列車の迂回運行ができる可能性のあった根室本線の富良野―新得間を2024年3月31日限りで事実上北海道庁主導により廃止してしまったことで、北海道の鉄路がどこか1か所でも寸断されれば、物流そのものが麻痺しかねない状況に陥っているのが現状だ。
必要な路線については再整備も必要
今回、自衛隊の補給品を輸送した札幌―北見間についても、2023年8月に発生した豪雨被害で3週間近くにわたって不通となりこの時は北見産のタマネギ輸送の貨物列車が運休を余儀なくされたが、この時はトラック代行輸送でどうにか乗り切ることができた。しかし、2024年度を迎え、鉄道貨物のトラック代行輸送は事実上困難な事態となっている。札幌―北見間については、2004年まで国鉄池北線を第三セクター鉄道に転換した北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線が池田―北見間を結んでおり、この路線は石北本線の災害不通時に迂回ルートとなり得る路線であったが、こちらも北海道庁の主導により廃止されている。
現北海道知事の鈴木直道氏が、夕張市長時代に石勝線夕張支線の「攻めの廃線」を行って以降、北海道内の鉄道路線の廃止が加速し、鉄道ネットワークの分断が進んでいる。こうした「攻めすぎた廃線」により北海道の物流は、災害に対して脆弱になった鉄道貨物と深刻化するドライバー不足により危機的な状況となっているといっても過言ではない。ロシアと国境を接する北海道の国防を考える上では、災害時の迂回輸送の可能性も考慮して必要な路線については北海道の鉄道ネットワークの再整備を積極的に行っていく必要があるのではないだろうか。
遠軽駅付近を走行する貨物列車(写真:陸上自衛隊)
(了)
鉄道乗蔵
鉄道ライター
鉄道に乗りすぎて頭の中が時刻表になりました。日本の鉄道全路線の乗りつぶしに挑戦中です。学生時代はお金がなかったので青春18きっぷで日本列島縦断修行をしてましたが、社会人になってからは新幹線で日本列島縦断修行ができるようになりました。ステッカーやTシャツなど鉄道乗蔵グッズを作りました。
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11月11日 YAHOO!JAPANニュース 乗りものニュース「自衛隊が北海道のJR線で“貨物列車”運行「ジャガイモ列車」が走る路線で運んだものとは「有用性を確認しました」
北の大地を横断する峠越え路線を活用
JR貨物のコンテナ輸送列車(画像:陸上自衛隊)。
陸上自衛隊は2024年11月8日、「令和6年度陸上自衛隊演習」において鉄道による補給品の輸送を実施し、その有用性を確認したと発表。その際の画像も公開しました。
【写真】96式装輪装甲車を運ぶJR貨物のフラットラックコンテナです
北海道でジャガイモや玉ねぎを運ぶ貨物列車が走ることでも知られる、JR石北本線などを使い、札幌駅と北見駅のあいだで補給品を運んだとのこと。公開された画像にはJR貨物の鉄道用コンテナから「戦闘糧食II型、タンドリーチキン」「戦闘糧食II型、さけちゃんちゃん焼き」などと書かれたダンボール箱を荷下ろしする隊員の姿が写っていました。
なお、これに先立ち10月には、陸上自衛隊の96式装輪装甲車をフラットラックコンテナで運ぶJRの貨物列車が各地で目撃されているほか、例年、防衛省・陸上自衛隊では装甲車や施設車両、場合によっては155mm榴弾砲FH70の輸送なども行っています。
戦車こそ輸送するのは難しくなったものの、10年ほど前には78式戦車回収車の鉄道輸送が行われたこともあります。
陸上自衛隊は、引き続き各種訓練を通じて、鉄道を活用した機動展開の実効性を向上させていくと明言していました。
乗りものニュース編集部
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2024年11月2日 YAHOO!JAPANニュース THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン)「貧しい日本、豊かな中国に買い負ければ「食糧安全保障問題」に!?…貿易自由化について経済評論家がわかりやすく解説
グローバル化が進展するいま、世界の流れは緩やかに「貿易自由化」へと動いているように見受けられます。しかし、この現象を政治家目線で見た場合と経済学者目線で見た場合、状況判断はかなり異なってくるようです。経済評論家の塚崎公義氏が解説します。
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政治家と経済学者…それぞれの視点で「貿易」を見ると?
日本はコメの輸入に高い関税を課しています。これは、日本のコメ農家を守るためです。外国のほうがコメの値段が安いので、関税を撤廃したらコメの輸入が激増し、皆が外国産のコメを食べるようになり、日本のコメ農家が非常に困難な状況に陥るでしょう。だから関税が課されているのです。
上記は政治家の発想です。多くのコメ農家が困るような政策(関税撤廃)は採るべきではない、という発想なのか、自分が農家の票がほしいだけなのかはともかくとして、多くの政治家は「コメ農家を守る」方向で考えているのです。
一方で、経済学者は別の発想をします。ひとつは消費者の発想、もうひとつは国際分業の発想です。
コメの関税が撤廃されれば、消費者はコメを安く買えるようになります。1人1人の消費者のメリットは小さいですが、コメ農家の数よりも消費者のほうがはるかに数が多いので、消費者全体のメリットは生産者のデメリットを上回る、と考えるのです。経済学の教科書によれば、たしかにそうなのですが、少数の人が大いに困る(とくに失業する)というのは政治的にはマズイわけで、政治家と経済学者の発想の違いということなのでしょう。
経済学者にとっては、国際分業という考え方も重要です。日本と海外がお互いに得意なものを大量に作って交換する(実際には輸出入する)ことによって、日本人も外国人も幸せになれる、というわけですね。「日本は自動車作りが得意だけれども土地が狭いので農業は不得意だ。それなら農業をやめて全員で自動車を作り、農産物は輸入すればいい」という発想です。
日本が一方的に農産物の輸入を自由化するだけでも消費者の受けるメリットは大きいし、「日本は農産物輸入を自由化するから、貴国は自動車の輸入を自由化してくれ」という交渉ができればさらによい、ということなのでしょう。
理屈は確かにそうなのですが、「農家は廃業して、明日から自動車工場で働くか米国で農業をやればよい」というのは政治的には非常識に感じられますね。
どこの国でも、理論を重視する経済学者と現実を重視する政治家の意見は異なることが多いのですが、世界の大きな流れとしては、とても緩やかではありますが、貿易は自由化される方向に少しずつ動いているようです。
日本についていえば、農業従事者が高齢化しているという現実を見つめることで、政治的にも農産物の輸入自由化が可能かもしれません。「農業をやめる人には高額の補助金を支払う」「農業を続ける人には、農業をやめた人の土地も耕してもらう」「コメの関税を引き下げて、消費者に安いコメを食べてもらう」という政策については、真剣に検討する余地があると思います。
食糧安全保障より心配なのは、むしろ…
食糧安全保障を心配する人がいますが、筆者はあまり気にしていません。食料輸出国は比較的日本と仲のいい国が多く、輸送ルートもとくに問題はないので、食料が輸入できなくなることは考えにくいからです。
「中国人消費者が豊かになり、中国が食料を高値で輸入するので日本が買い負ける事例が増えている」ということを懸念する人がいますが、それは単に中国の経済成長率が日本より高いから日本が相対的に貧しくなっている、ということであって、食料安全保障の問題とは切り離して考えるべきでしょう。
筆者が懸念しているのは、食料の輸入ではなく、石油の輸入が止まることです。トラクターが動かなければ農業生産は激減しますし、農村から都会へ食料を運ぶこともむずかしくなります。そうならないことを祈るしかできませんが。
【初心者向け】分業のメリットをわかりやすく解説
以下では、隣人と家事を分担するという事例で、分業のメリットを経済初心者向けに説明しておきましょう。
筆者は料理が得意で、1時間に2皿の料理を作り、2時間かけて2皿を洗っています。隣人は皿洗いが得意で1時間に2枚の皿を洗いますが、料理は2時間かけて2皿作れるだけです。2人とも、3時間働いて2皿の料理を食べているわけです。
2人が分業すると、筆者は3時間かけて6皿の料理を作り、隣人は3時間かけて6枚の皿を洗うようになりますから、2人とも「働く時間は3時間のままだが、食べる料理は3皿に増える」ことになります。これが分業のメリットです。
筆者の隣人が筆者より有能であったとしても、隣人も分業でメリットを得られます。筆者は5時間で3皿の料理を作り、3時間で3枚の皿を洗っています。隣人は2時間で4皿の料理をつくり、2時間で4枚の皿を洗っています。分業すると、筆者は8時間で8枚の皿を洗い、隣人は4時間で8皿の料理を作ります。筆者も隣人も働く時間は変わらないのに、両者合計の料理は7皿から8皿に増えます。あとは、増えた1皿をどう分けるかの交渉が待っているだけです。
国際分業の場合には、交換ではなく輸出入が行われるわけですから、交換比率を交渉する必要はなく、為替レートで調整されることになる、という違いはありますね。
今回は、以上です。なお、本稿はわかりやすさを重視しているため、細部が厳密ではない場合があります。ご了承いただければ幸いです。
筆者への取材、講演、原稿等のご相談は「ゴールドオンライン事務局」までお願いします。「THE GOLD ONLINE」トップページの下にある「お問い合わせ」からご連絡ください。
塚崎 公義
経済評論家
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・ ・{東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
太古の昔から、日本列島は甚大な自然災害が複合的に多発する危険地帯であり、縄文時代の大噴火では西日本の縄文人の大半が火砕流や飢餓で死亡した。
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軍国日本は、打ち続く巨大地震による甚大なる被害で戦争継続は不可能になり、原爆を投下しなくても、ソ連が不法犯罪行為として参戦しなくても、無条件降伏するほか選択肢はなかった。
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昭和に発生した全ての巨大地震では、関東大震災に発生した日本人・朝鮮人・中国人惨殺事件は起きていなかった。
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日本国内には、反天皇反日本の朝鮮人が200万人と十数万人の中国人、そして数万人の連合国軍兵士捕虜がいた。
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日本国内には、昭和天皇と皇族を惨殺すべく付け狙っていた日本人の共産主義者・無政府主義者テロリストとキリスト教系朝鮮人テロリストが潜み、アメリカやソ連に情報を流していた利敵日本人が少なからずいた。
日本人全てが一丸となって戦争をしていたわけではない。
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2024年10月29日7:04 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「じつは「太平洋戦争」のさなかにも起きていた「南海トラフ巨大地震」…ほとんど報じられなかったその「被害の全容」
戦時下の南海トラフ巨大地震
太平洋戦争終戦の1945年前後で、1,000人以上の犠牲者を出した地震は、1943年鳥取地震、1944年昭和東南海地震、1945年三河地震、1946年昭和南海地震の4つで、戦中戦後の4大地震とも呼ばれている。鳥取地震と三河地震は内陸の都市直下地震である。
【画像】「南海トラフ巨大地震」で日本が衝撃的な有り様に…そのヤバすぎる被害規模
安政の東海・南海地震から90年後に昭和東南海地震が発生、その2年後には昭和南海地震発生という二つの地震が、最直近の南海トラフ巨大地震である。
1941年12月8日朝、「帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」というラジオの臨時ニュースが流れ、帝国海軍がハワイ真珠湾を奇襲し、米国艦船に大打撃を与えたことを知る。太平洋戦争の開戦である。
翌1942年、1月・フィリピンマニラ占領、2月・シンガポール占領、3月・インドネシアジャワ島上陸など初戦は破竹の勢いで華々しい戦果を上げた。しかし、4月18日には航空母艦ホーネットから発進したB-29爆撃機16機が開戦後初めて日本本土に飛来。東京市、川崎市、横須賀市、名古屋市、津市、四日市市、神戸市を爆撃。爆撃機隊の指揮官ジミー・ドーリットル中佐から「ドーリットル空襲」と呼ばれる。この時、日本本土爆撃を終えたB-25のうち15機は、中国大陸に不時着し機体は放棄された。その際搭乗員8名が日本軍の捕虜となっている。そして6月、ミッドウェー海戦で敗北(ハワイ諸島北西にあるミッドウェー島付近の海戦、日本海軍と米国海軍の機動部隊間の戦闘で、日本海軍は参加空母4隻全てが撃沈された。これが日本敗戦の契機といわれる)。にもかかわらず、大本営(戦時の天皇直属最高統帥機関)は、「わが軍の損害は少なし」と発表。新聞も「ミッドウェーの戦火拡大、わが戦果を世界に厳示」などと、あたかも日本軍が勝ったかのように報じた。その後、日本は各戦線で苦戦を強いられていく。翌年の1943年、4月・山本五十六(やまもといそろく)連合艦隊司令長官戦死、5月・アッツ島玉砕、9月・鳥取地震発生(M7.2・死者1,083名)。そして、翌1944年、6月・サイパンで日本軍玉砕、7月・東条内閣総辞職、11月・米軍機B29による東京空襲。こうした敗戦気配の戦況不安と先の見えない重苦しい世情の中、12月に昭和東南海地震が発生する。
1944年12月7日午後1時35分ごろ、熊野灘沖を震源とするM7.9の地震が発生。震源の深さは約40キロメートル。震源域は紀伊半島東部の熊野灘・三重県尾鷲市沖約20キロメートルから静岡県浜名湖沖とみられている。震度7は愛知県西尾市、静岡県菊川市、袋井市などと推定されている。津波は8~10メートル。南海トラフの東南海領域で発生した海溝型地震で、南海トラフ巨大地震の一つである。
地震の翌日12月8日は、日米開戦3周年にあたる「開戦記念日」であり、翌日の新聞各紙一面は昭和天皇の軍服姿の立像が飾った。唯一被災地の新聞「中部日本新聞(現在の中日新聞)」には三面の隅に、「天災に怯まず復旧、震災源は遠州灘」の見出しがあり、続けて「(中央気象台15時50分発表)本日午後1時36分ごろ遠州灘に震源を有する地震が起こって強震を感じて被害が生じたところもある」と書かれていた。しかし、被害の全容や詳細な報道はなく、救助・復旧作業が急速・万全に進んでいるようにのみ報じられている。全国紙の扱いはもっと小さく、中には全く報道していない新聞もあった。つまり、ほとんどの国民には昭和東南海地震によって大きな被害が出ていることは知らされていない。こうした報道管制や災害隠ぺいで、全国からの救援物資や義援金は得られず、被災地の復旧復興を大幅に遅らせることになった。
「敵に弱みを見せるな」と、日本政府が国を挙げてこの大地震をひた隠ししている最中、米紙「ニューヨークタイムズ」は翌日の1面で、「真珠湾攻撃から3周年の昨日、日本で大地震が発生。地球全体が6時間近く震動。観測者が『壊滅的』と表現した猛烈な地震」などと報じ、続報では「大軍需産業が被災地に含まれるが、日本は損害を軽微に見せようとしている」と全て見透かしていた。
地震発生当初は一時「遠州灘地震」と呼ばれていたが、東海地域の軍需工場が壊滅的被害を受けたことを隠蔽するために「東南海地震」と名称変更したという説もある。そして、その後も災害と被害全容は国家機密として公表されることはなく、終戦間際に多くの資料が焼却され「隠された大地震」とも呼ばれている。
この地震による被害は死者・行方不明1,183人、負傷者2,964人、全壊家屋18,008戸、半壊家屋36,554戸、流失家屋3,129戸、浸水家屋3,129戸、焼失家屋3,129戸、火災発生26カ所とされている。この数値は、戦後に見つけ出された限られた資料から推計されたものだ。
震源地から約160キロメートル以上離れた愛知県半田市は震度6以上と推定される強い揺れに見舞われた。半田市内のあちこちで地割れが生じ、阿久比川(あぐいがわ)と半田港に囲まれた低湿地帯では大量の水と砂が噴き出す液状化現象がみられた。そこは主に大正時代に堤防を造って干拓した地域で、山方新田・亀洲新田・康衛新田などと呼ばれ、被害の多くはこうした脆弱地盤地域に集中している。
紡績工場を改築して造られた中島飛行機半田製作所山方工場には、各種部品工場、主翼塗装・鍍金工場、燃料槽防弾加工等の特殊加工工場、艦上攻撃機「天山」の胴体組立工場、艦上偵察機「彩雲」の胴体組立工場、油庫、講堂兼食堂、寄宿舎、郵便局、病院などがあった。その山方工場や葭野工場が昭和東南海地震の激しい揺れに見舞われ、建物の多くが倒壊し多数の犠牲者を出す。
半田市全体の死者数は188人だったが、その81%にあたる153人が中島飛行機で働いていた人たちだった。その中の96人は動員学徒(労働力不足を補うため動員された中学生以上の生徒・学生)、37人が従業員、17人が徴用工(国民徴用令によって強制的に動員された人)、3人が挺身隊(自ら進んで軍需工場などに勤務する人)だったという。
これほど被害が多かったのは、「軍事機密を守るため、工場の出入り口を一カ所にしていたこと」と「紡績工場から軍用機工場へと改築する際、耐震性を考慮せずに工場内の柱を切り取ったこと」が要因とされる。地震に驚き、一カ所の出入り口にみんなが殺到し「団子状態」になっている所へ建物が倒壊、そこで多くの人たちが生き埋めになったといわれる。犠牲者の約三分の二は戦争さえなければ死ななくて済んだ中学生や高校生たちだった。痛ましい限りである。
津波研究家の山下文男氏が書いた『戦時報道管制下 隠された大地震・津波』には、俳優だった田村高廣氏(1928~2006年・田村正和氏の兄)の話が書かれている。田村氏は当時京都三中在学で、学徒動員により中島飛行機で働いていて、九死に一生を得た当時のことを次のように語っている。「ぼくは偶然にも、その時『天山』という組み立て中の飛行機の胴体の中に入って仕事をしていました。そのため助かったのですが、もうあっという間のことでした。あの戦争と地震による惨禍は切り離して考えられない。戦争がなければ『学徒動員』もなかったし、半田まで行って学友13人も死ぬことはなかった」と。
地震で火葬場が損壊したため、ほとんどの遺体は近くの北谷墓地(現柊町市営墓地)で野焼きに付された。丘の麓に溝を掘り藁や木材を並べた上に遺体を置いて点火。しかし、空襲警報が鳴るたびに作業が中断され、火葬終了までに丸2日間かかったという。ちなみに昭和東南海地震で名古屋市内も大きな被害が出したが、死者数は半田市より少なく、121人だった。
昭和東南海地震から6日目(12月13日)から、米軍は名古屋地域に対しB-29の大編隊で大規模空襲を執拗に繰り返す。標的は日本の航空用発動機の40%以上を生産していた三菱重工業・名古屋発動機製作所大幸工場だった。以来、翌年7月26日までにB-29・2,579機が来襲し大量の爆弾を投下した。名古屋空襲による死者は7,858人、負傷者10,378人、被災家屋135,416戸に及んで、名古屋市は壊滅状態になる。
半田空襲と名古屋空襲の1か月後、1945年1月13日午前3時38分に三河地震(M6.6)が追い打ちをかけ、半田市でまた12人が犠牲になる。震源地は三河湾内で、37日前の昭和東南海地震の誘発地震として、当初は「第2地震」と呼ばれた。被害全貌は報道管制で隠蔽され、新聞などではほとんど報道されなかったが、昭和東南海地震の時と同じように、地元の「中部日本新聞」が報じている。「再度の震災も何ぞ、試練に固む特攻魂、敵機頭上、逞しき復旧」「決戦に手を抜くな、比島思えば増産一途(吉野愛知県知事の声明)」といった見出しだった。このころ本土空襲は全国に及んでおり、災害調査などに取り組める状況ではなくなっていた。その30年後、被害調査をまとめた飯田汲事名古屋大学教授によると、三河地震による死者は2,306人、負傷者3,866人、家屋全壊7,221戸とされている。
2度の地震で疲弊した半田市をさらに米軍の凄まじい空襲が襲う。とくに終戦1か月前の7月15日、硫黄島から飛来した小型機P-51十数機が半田市を空襲。同月24日にはB-29大型爆撃機が大規模空襲を仕掛けてきた。78機のB-29が数波に分かれ約2000発の250キロ爆弾を雨のように投下。その直後から無数の小型機が消防隊・救助隊や逃げ惑う市民に機銃掃射を浴びせた。空襲の攻撃主目標となった中島飛行機半田製作所は、本工場へ81発、山方工場へ35発の爆弾を被弾、地震で壊れなかった施設も大半が損壊焼失し、壊滅的打撃を受ける。2度の空襲で半田市民は少なくとも264人が死亡し、多数の重傷者を出すことになる。
当時は戦時下であったため報道管制は厳しく、地震災害だけでなく空襲被害も隠蔽され、全容・詳細はほとんど発表されなかった。終戦(半田空襲)から50年目の1995年7月、戦争の歴史を後世に伝え、犠牲者の慰霊と平和祈念のため、戦災(地震・空襲)犠牲者の名を刻んだ石碑が半田市の雁宿公園(かりやどこうえん)内に建てられた。
さらに続きとなる記事<「太平洋戦争敗戦直後の日本」に追い打ちをかけた「南海トラフ巨大地震」…そのあまりに「甚大すぎる被害」>では、過去の南海トラフ巨大地震について引き続き解説します。
山村 武彦(防災システム研究所 所長・防災・危機管理アドバイザー)
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2023年8月28日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「太平洋戦争敗戦」直後の「日本」に追い打ちをかけた「南海トラフ巨大地震」…そのあまりに「甚大すぎる被害」
山村 武彦防災システム研究所 所長
防災・危機管理アドバイザープロフィール
戦争末期、大空襲(焼け野原)後の大地震
現時点における直近の南海トラフ巨大地震は太平洋戦争終戦翌年の昭和南海地震である。その昭和南海地震の前年、1945年7月3日午後4時23分、マリアナ諸島のグアム・サイパン・テニアンの基地から出撃したB-29爆撃機501機が、硫黄島を経由して翌未明、姫路・高松・徳島・高知に向かった。4日午前1時52分ごろ、高知市上空に飛来したB-29大型爆撃機125機は、約1時間にわたって1,060.8トンの焼夷弾を投下。この凄まじい空爆で、高知市では死者・行方不明者423人、重軽傷者289人、全焼壊1万1,840戸、半焼壊108戸という被害を出し、ビルも民家も跡形もなく高知市街地の約70%が焦土と化した。
【第1回から読む】「次は西日本大震災」…まさに次の国難「南海トラフ巨大地震」は本当に起きるのか
米軍データによると、爆撃部隊はアメリカ陸軍航空軍・第21爆撃集団所属・第73爆撃団だ。爆撃に加わった将兵1,527人。爆撃目標は高知市市街地とされ、軍需産業や軍隊ではなく、都市の住宅や民間人が攻撃目標だったという。もうそれは戦争ではない。すでに制空権も防空戦闘能力も失った丸腰の寝静まった町と人々を焼き払う暴挙、それは正気を失った無差別殺人に他ならない。どれほど恐ろしかったことか、どれほど口惜しく無念だったことか。こうした無差別空襲は高知だけでなく全国で行われていた。
太平洋戦争終戦の翌年、昭和南海地震が発生した1946年は、1月1日・昭和天皇のいわゆる「人間宣言」から始まった。同月・秋葉原電気街が露店として開業、2月23日・山下奉文元陸軍大将の絞首刑執行、3月21日・宮城県女川港で巡航船金華丸転覆(22tの小さな船に、食糧買い出しの約230人が乗船・103人死亡)、4月19日・GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が東京湾海底から旧日本軍の金塊など(数十億ドル?)引揚げ、5月3日・極東国際軍事裁判(東京裁判)開廷、5月22日・第一次吉田茂内閣成立、5月31日・昭和天皇がマッカーサー元帥を訪問、7月1日・米国信託統治領ビキニ環礁で原爆実験、8月1日・闇市の全国一斉取り締まり、10月1日・上野駅前に引揚げ者マーケット「アメ横」誕生、11月3日・日本国憲法公布、11月23日・青森県五所川原大火(841戸焼失)、12月7日・シベリア引揚げ船第1船が舞鶴入港など。
終戦から一年、時の大蔵大臣渋沢敬三が「米が1千万人分不足で、1千万人が餓死するかもしれぬ」と外国人記者クラブで不用意発言をするほどの厳しい食糧難の中、人々は生きることに必死の時代だった。大空襲で焼け野原になった高知市街地に、ようやくバラック建ての家が立ち並び、食料不足・物資不足にあえぎつつ廃墟から懸命に立ち上がろうとしていた人たちを、震度6の大地震が追い打ちをかける。
地盤沈下と堤防決壊
1946年12月21日午前4時19分過ぎ、潮岬南方沖78キロメートル、深さ24キロメートルを震源とするM8.0の昭和南海地震発生。2年前の昭和東南海地震と同様に陸のプレート(ユーラシアプレート)の下に、海のプレート(フィリピン海プレート)が沈み込む南海トラフ沿いの西側領域が動いた地震。当初は「南海道地震」とも呼ばれた地震で、この領域が動いたのは1854年安政南海地震から92年目。破壊開始点でもある震源は、2年前の昭和東南期地震(潮岬沖)に隣接していて、東南海地震は東側へ「半割れ」が起き、南海地震は西側へ向かって断層破壊が進行していったと推定されている。高知測候所で記録された震動時間は約9分間だったが、とくに激しく揺れていた時間は1~2分といわれる。
震度6は西大寺(さいだいじ・岡山県岡山市東区)、五郷(いさと・三重県熊野町)、郡塚(ぐんげ・兵庫県淡路市)、津田(つだ・香川県大川郡)、下高瀬(しもたかせ・香川県三豊町)、野根(のね・高知県安芸郡)、沖ノ島(おきのしま・高知県南西部)など。震度5は、福井(福井県)、岐阜(岐阜県)、津(三重県)、尾鷲(三重県)、彦根(滋賀県)、洲本(兵庫県)、橿原(かしはら・奈良県)、和歌山、潮岬(和歌山県)、境(鳥取県)、徳島(徳島県)、高松(香川県)、多度津(たどつ・香川県仲多度郡)、宿毛(すくも・高知県)、大分(大分県)など、九州・四国・紀伊半島・中国地方・信州・北陸など広い地域で強い揺れが観測されている。
この地震による死者・行方不明者は1,443人、家屋全壊11,506戸、半壊21,972戸、流失2,109戸、浸水33,093戸、焼失2,602戸の深刻な被害を出した。また、震源から遠く離れた長野県でも家屋全壊2戸、半壊4戸。滋賀県で家屋全壊8戸、半壊2戸。岐阜県で家屋全壊547戸、半壊751戸。鳥取県で家屋全壊22戸、半壊13戸。島根県で家屋全壊139戸、半壊308戸。岡山県で家屋全壊1,092戸、半壊3,757戸など、震害による被害は太平洋沿岸だけでなく、内陸部、瀬戸内海、中国地方、日本海側にまで及んでいる。
中でも四国高知県の被害は甚大だった。高知県の主な被害は、死者・行方不明679人、家屋全壊4,865戸、半壊9,073戸、流失566戸、浸水5,608戸、焼失196戸に上る。とくに高知市へ津波第1波が地震発生約20分後に襲来し、一番大きかったのは第4波で、それでも浦戸湾奥で約60センチメートルとさほど高い津波ではなかった。しかし、もともと海抜ゼロメートル地帯だった上、地震によって約1.2メートルも地盤が沈降。また、地震の揺れで河川堤防が約11カ所で決壊し、長期にわたり下知地区や潮江地区を中心に約1,000ヘクタール(10㎢)が浸水。当時の高知市の人口約14万人のうち約2万人が被災したといわれている。戦時中市外へ転出していた約4万3千人のうち、3万2千人ほどが終戦後高知市に戻ってきていて、食料品や日用品の不足だけでなく、深刻な住宅難にも陥っていた。そこへ巨大地震が襲い、多数の住宅損壊と長期床上浸水が発生してしまったのだ。市は昭和国民学校や神社、劇場など21カ所を避難所にしたという。
空襲被害を免れた高知県東部でも家屋の倒壊が多かった。須崎市では家屋全壊198戸、入野(黒潮町)では家屋倒壊率70%、中村市(四万十市)では地震動やその後の火災などで家屋損壊率80%以上と推定されている。また、四万十川に架かっていた四万十鉄橋も両端を残して落橋。
震源に近い和歌山県では死者・行方不明269人、家屋全壊969戸、焼失2,399戸。とくに新宮市では地震直後に出火した火災が16時間燃え続け、家屋焼失2,398戸、全壊600戸、半壊1,408戸に及んだ。
持ち出すものは「いのち」だけ
昭和南海地震における津波は、房総半島から九州に至る沿岸に襲来した。最も津波高が高かったのは紀伊半島南端に位置し和歌山県東牟婁郡串本町(ひがしむろぐん くしもとちょう)の北にある袋港(ふくろこう)で、6.57メートルの津波と記録されている。この津波の特徴は、「第1波到達の早さ」である。前述した和歌山県串本町には、地震発生後約10分で第1波が襲来。また、和歌山県田辺市と高知県安芸郡東洋町には地震後約15分で第一波が到達している。
安政南海地震で得た教訓として高知県須崎には津波に関する伝承があったという。それは「大地震後、必ず津波が来るが、その津波は地震後直ぐ来るのではない。ゆっくり飯を炊くだけの余裕があるから、あわてず落ち着いて充分の用意をして避難せよ」(南海大震災誌)というものだった。しかし、昭和南海地震の津波にその言い伝えは当てはまらず、それを信じた人は、地震後15分ほどで押し寄せた津波で逃げ遅れた可能性もある。
災害はどれも同じではない。その都度顔(様相)が違う。ひとつの災害の教訓が次の災害に当てはまらない場合もある。地域によっては、「津波はいったん引いてからやってくる」という言い伝えもあるが、それは必ずしも正しくない。引いてから押し寄せてくる津波もあれば、いきなり大津波がやってくる場合もあるからだ。そうした俗説にとらわれず、最悪を想定して(地震後津波はすぐ押し寄せると思って)行動する必要がある。
現在想定されている南海トラフ巨大地震の想定津波最短到達時間で、1mの津波高第1波が一番早く到達するのは、静岡県静岡市清水区と焼津市で、最短で地震発生2分後とされている。そのほか和歌山県東牟婁郡太地町と串本町で、最短で地震発生3分後、高知県室戸市と安芸郡東洋町で最短5分。その時34メートルの津波が押し寄せると想定されている高知県幡多郡(はたぐん)黒潮町に、1メートルの津波高第1波の最短到達時間は地震後10分と想定されている。これは内閣府の「南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ」が公表している数値だ。
全体として静岡県、和歌山県、三重県、高知県、徳島県の外洋に面した多くの地域が、最悪の場合、1メートルの津波高第1波の最短到達時間が10分以内と想定されている。これはあくまで1メートル津波高第1波の最短到達時間であって、一定時間後の津波高はさらに高くなる。例えば静岡県下田市の場合、1メートルの津波は地震発生最短13分後と想定されているが、それから4分経過した17分後には20メートルの津波高と予測されている。これはあくまでも津波到達予測時間であるが、南海トラフ巨大地震の震源域が陸域に近い分、津波が早く到達する可能性が高いとみられている。
ともかく、海岸近くにいて地震の揺れが収まったら、「持ち出すものはいのちだけ」「遠くの避難所より近くの高いビル」と思って、一目散に高台に避難することが大切である
さらに連載記事<「次は西日本大震災」…まさに次の国難「南海トラフ巨大地震」は本当に起きるのか>では、南海トラフ巨大地震について引き続き解説します。
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2024年10月25日 MicrosoftStartニュース 朝日新聞デジタル「今世紀末気温3度上昇か 国連報告書、温室ガス排出は増加傾向が悪化
ドイツのイエンシュバルデ石炭火力発電所=2022年、ドイツ東部コトブス近郊
© 朝日新聞社
国連環境計画(UNEP)は24日、各国が現在の温暖化対策のままでは、世界の平均気温は今世紀末に、産業革命前から最大で3度以上上昇するとの報告書を公表した。アフリカ連合を除くG20(主要20カ国・地域)が世界の温室効果ガスの8割を排出しているとし、こうした国が大規模な削減を主導しなければならないと指摘した。
【画像】気候変動問題を訴える気象予報士・キャスターの井田寛子さん
UNEPは、産業革命前からの気温上昇を2度や1.5度に抑える目標と、現在の排出状況との差を毎年評価している。報告書は、11月11日から始まる今年の国連気候変動会議(COP29)での議論でも活用する。
報告書では、各国が現在の政策を継続▽提出済みの温室効果ガスの削減目標を達成▽資金支援を条件とした途上国などの削減目標を達成――などの条件で、複数のシナリオを分析。シナリオによって今世紀末の気温上昇は2.6~3.1度となった。
■「気候変動の正念場に」
2023年の温室効果ガスの排出量は約570億トンで、前年よりも1.3%増。新型コロナの世界的流行前の10~19年は年平均0.8%増で、悪化している。全排出量のうち、アフリカ連合を除くG20は77%を占め、まだ排出のピークに至っていない国も多い。
一方、1.5度目標の達成に必要な温室効果ガスの削減量は、30年までに190億~240億トン、35年までに260億~320億トン。2度目標なら30年までに110億~160億トン、35年までに150億~210億トンだった。
UNEPのアンダーセン事務局長は「気候変動の正念場にきている。私たちはいまだかつてない規模とペースで(資金や対策を)世界的に結集させる必要がある」と話している。(市野塊)
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10月25日 YAHOO!JAPANニュース BBC News「世界の平均気温、今世紀中に3.1度上昇と国連が警告 驚くべきか
世界の平均気温、今世紀中に3.1度上昇と国連が警告 驚くべきか
マット・マグラス環境問題担当編集委員
温暖化に関するかなり厳しい見通しが、ニュースの見出しを飾っている。国連が24日に発表した報告書によると、対策を講じなければ世界の平均気温が今世紀中に摂氏3.1度も上昇する可能性があるという。
しかし、実際にそうなる可能性はどれくらい高いのだろうか。
気候変動や科学的背景がそうであるように、その答えは複雑だ。
国連環境計画(UNEP)の最新の排出ギャップ報告書は、「現行の政策」のままなら世界の平均気温は今世紀中に最大3.1度上昇する可能性があると示唆している。
国連によると、これは世界にとって「破壊的」なもので、熱波や洪水などの異常気象が劇的に増加することになる。
この規模の温暖化が起きると、屋外での仕事は不可能ではないにせよ極めて難しくなるだろう。
ただ、今回示された数字は厳密には新しいものではなく、前後関係を踏まえて考える必要がある。
国連の気温上昇予測は、2021年に英グラスゴーで、気候変動対策を協議する国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)が開かれてから3年間、基本的に変わっていない。
最新の報告書は、「現行の政策を継続した場合、今世紀中の地球温暖化は最大3.1度(振れ幅1.9~3.8度)に抑えられると推定される」としている。
この数字は、2021年に出された、国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の最新の報告書の予測に沿ったもの。IPCC報告書では、温室効果ガス排出量がより高水準だった場合、世界の平均気温が今世紀中に最大3.6度上昇すると示されていた。
24日付のUNEP報告書は、炭素削減計画においてすでに合意している対策を各国が実行に移した場合、気温は2.6~2.8度上昇するとしている。
また、すべての国がこれらの計画を実行に移し、炭素排出量を差し引きゼロにする既存の「ネットゼロ」誓約を継続すれば、気温上昇を1.9 度に抑えられるとある。
気温上昇をより小さくできるというこれらのシナリオは、確約には程遠いものであることは明らかだ。そしてはっきりさせておきたいのは、1.9度の上昇でさえ破壊的なものであるということだ。私たちはこれまでに地球を1.1度熱くさせており、異常気象の増加や海面上昇など多くのレベルでその影響を感じている。
■約束と不満
こうした気温上昇予測に一向に変化がみられないことは、国連をいらだたせている要因の一つだ。COP27(2022年)やCOP28(2023年)で各国は温暖化を食い止めるための取り組みを約束した。しかし、現場レベルでの行動は非常に遅れている。
国連報告書は、世界の気温上昇を2度未満に抑えつつ、1.5度未満を維持できるよう努力するとするパリ協定の目標は、いまや深刻な危機に直面していると指摘している。
しかし一方で、数週間後に各国の政治指導者たちがアゼルバイジャンでのCOP29に臨むというタイミングで今回の報告書が出されたことを、念頭に置くことは重要だ。
各国は来春までに新たな炭素削減計画を議論のテーブルに上げることで合意している。これらは2035年までの10年間に関する計画だ。
それまでに排出量を抑えられなければ、3度前後あるいはそれ以上の極めて厳しい気温上昇が起こりうると、科学者たちは考えている。
国連の気候変動担当責任者は、「国が決定する貢献」と呼ばれる次なる一連の計画を、今世紀に作成された文書の中で最も重要なものの一つと評している。
つまり今回の報告書は、世界の指導者たちにより高い野心を持たせるための後押しの一環だと見なされる必要がある。
■報告書の内容、ほかに新しいものは?
報告書にはほかに新しい内容はあるのか?
国連によると、排出量を押し上げる新たな要因は多数あるという。
例えば2023年には航空機の利用が急増し、航空機の二酸化炭素排出量は前年比19.5%増加した。
陸上輸送による排出量も増加したが、気候変動の影響など主要因はほかにもある。気温上昇により、人々はエアコンにこれまで以上に頼らざるを得なくなっている。
UNEPのアン・オルホフ博士は、「気候変動のより深刻な影響を我々は目の当たりにしている、あるいは目の当たりにしつつある。熱波は家庭やオフィスの冷房のためのエネルギー需要を増加させている」と述べた。
「水力発電にも影響を及ぼし、発電量は減少している。発電量が減少したらどうするか? 石炭火力発電に切り替えることになる」
もう一つの要因には、自動車と暖房の電動化があげられる。電気自動車やヒートポンプが増えることで電力需要が高まっている。この需要を満たすには多くの場合、化石燃料が使用される。
(英語記事 Is the UN warning of 3.1C global warming a surprise? )
(c) BBC News
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10月25日 YAHOO!JAPANニュース CNN.co.jp「世界最大の湖、カスピ海が急速に縮小 浅瀬は完全に消滅との予測も
2005年以降カスピ海は消失速度が加速している
(CNN) カスピ海は地球最大の内海であり、最大の湖で、その大きさはおおよそ米モンタナ州の面積に相当する。湾曲した海岸線は約6400キロにおよび、カザフスタン、イラン、アゼルバイジャン、ロシア、トルクメニスタンの5カ国にまたがっている。
【写真】カスピ海沿岸に位置するカザフスタンの港湾都市アクタウ
これらの国々は、漁業、農業、観光、飲料水、そして石油とガスの埋蔵量をカスピ海に依存している。またカスピ海はこの乾燥地域の気候を調整し、中央アジアに降雨と湿気をもたらす役割も担っている。
しかし、カスピ海は問題を抱えている。
ダム建設、過剰採水、汚染、さらには人為的な気候危機がカスピ海の衰退に拍車をかけ、一部の専門家はカスピ海が取り返しのつかないところまで追い込まれているとの懸念を示す。
気候変動は世界の海面を上昇させるが、カスピ海のような内海や湖の場合は話が変わる。カスピ海は、川や降雨によって流れ込む水と蒸発によって流れ出る水の微妙なバランスに依存している。このバランスは地球の温暖化に伴って変化しており、多くの湖が縮小している。
未来がどうなるかは近くを見ればすぐに分かる。カザフスタンとウズベキスタンにまたがるアラル海はかつて世界最大規模の湖だったが、人間の活動と深刻化する気候危機によって壊滅し、ほぼ消滅した。
何千年もの間、気温の変動や氷床の前進と後退により、カスピ海の水位は変動してきた。しかし、ここ数十年で水量の減少が加速している。
各国が進める貯水池やダムの建設といった人間の活動は重要な影響を及ぼしている。カスピ海には130の川が流れ込んでいるが、水の約80%は、ロシア中部と南部を蛇行しながら流れるヨーロッパ最長の川、ボルガ川がもたらしている。
テヘラン大学の中央アジア・コーカサス研究の専門家、バリ・カレジ氏によると、ロシアは40基のダムを建設し、さらに18基の建設を進めている。これにより、カスピ海に流入する水量が減少している。
一方で気候変動はさらに重大な影響を及ぼしている。蒸発率が上昇し、降雨量がより不規則になっているのだ。
ドイツ・ブレーメン大学の地球システムモデル研究者、マティアス・プランゲ氏によると、カスピ海の水位は1990年代半ばから低下しているが、2005年以降はその速度が増し、約1.5メートル低下している。
プランゲ氏は、今世紀末までに8~18メートルの低下が予測されると指摘する。
2100年までに最大30メートル低下する可能性があると示唆する研究もある。この研究の共著者は、地球温暖化のより楽観的なシナリオでも、カスピ海の北部、主にカザフスタン周辺の浅瀬は完全に消滅するとの見方を示す。
カスピ海固有の野生生物にとって状況はすでに悲惨だ。ここには数百種の生物が生息しており、世界のキャビアの90%を供給している絶滅危惧種の野生チョウザメも含まれる。
専門家によると、少なくとも200万年陸地に囲まれてきたこの海は、その極度の孤立により非常に変わったザルガイなどの生物が出現した。
しかし、水位が下がったことで深部の酸素レベルが下がり、何百万年もの進化の過程で生き残った生物を絶滅させる可能性があるという。これはほとんど誰も知らない大規模な危機だ。
カスピ海にのみ生息している絶滅危惧種カスピカイアザラシも危機にひんしている。繁殖場所としているカスピ海北東部の浅瀬は変化し、消滅しつつある。汚染や乱獲にも苦しめられている。
カザフスタンの水生生物生態学研究機関の研究員アセル・バイムカノバ氏は、航空調査でアザラシの大幅な減少が明らかになったと述べた。
カスピ海北東部にある一つの休息場では09年に2万5000頭が確認されたが、20年の春には1頭も観察されなかったという。
この危機に対する簡単な解決策はほとんどない。カスピ海は政情不安を数多く経験してきた地域にある上、5カ国にまたがっている。各国はさまざまな形でカスピ海の衰退に直面することになるだろう。
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2024年10月22日 YAHOO!JAPANニュース プレジデントオンライン「「令和のコメ騒動」は自民党政治のツケである…「ゾンビ政治家」が支配する日本が今後直面する"悲劇"
気づいた時には日本の農業はなくなっている(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/west
「コメ不足」は来年も繰り返されるのだろうか。京都大学大学院の藤井聡教授とジャーナリストの堤未果さんの共著『ヤバい“食” 潰される“農” 日本人の心と体を毒す犯人の正体』(ビジネス社)より、「コメの流通・供給の仕組みが壊された理由」をお届けする――。
【この記事の画像を見る】
■気づいた時には日本の農業はなくなっている
【堤未果(以下、堤)】ナチスドイツ政権下で、ニーメラー牧師という人が書いた有名な詩があります。
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〈ナチスが共産主義者を攻撃し始めたとき、私は声をあげなかった。
なぜなら私は、共産主義者ではなかったからだ。
彼らが社会民主主義者を投獄したとき、私は声をあげなかった。
なぜなら私は、社会民主主義者ではなかったから。
彼らが労働組合員を連れさったとき、私は声をあげなかった。
なぜなら私は、労働組合員ではなかったから。
次に彼らは私を攻撃し始めた。
だがもう、私のために声を上げる者は、一人も残っていなかった〉
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こんな風に、見えないところからじわじわと足元が崩されてゆくパターンは、時代が変わった今も機能しているんです。
【藤井聡(以下、藤井)】このまま私たちが何も声を上げなければ、「彼らが米を取り上げた時に私たちが安心して食べられるものは何一つ残っていなかった」なんてことになってしまいます。
■かつては「米価審議会」があった
【藤井】昔の日本人は「米」と「農家」を守るために努力を積み重ねていたのですが。
かつて「米価審議会」というものがありました。1949年に設置された農林水産省の諮問機関で、米の価格を話し合い、暴落したり高騰したりしないよう、調整していたのです。
これは農家を守ると同時に、米を主食とする日本人の食生活を守るという機能を果たしていました。
僕も学校で「米価審議会で米価を決め、農家の所得を守り、日本の米を守りましょう」と、当たり前のように習っていたものです。
米は日本人の食生活の根幹にかかわる大事なものだから、「米の価格をマーケット(市場原理)で決めるなんて、アホちゃうか」という雰囲気があったわけです。
その米価審議会は、2001年に廃止されました。
要するに日本政府は米農家を守ることも、米食文化を守ることも放棄したわけです。
■「農家の補助金を打ち切れ」は誤り
【堤】今や“有識者やインフルエンサー”が口を開けば、やれ家族経営の農家を解体しろとか、補助金を打ち切れとか、そんなフレーズばかり。
YouTuberが「棚田なんて無駄、観光客用の飾りでしかないじゃん」なんて平気で言いだす始末です。生産性の面でしか見てなくて、棚田の持つ多くの価値を全くわかってない。
今は多くの人が「スマホ脳」で、すぐ答えが出ないとイラっとしてしまう。インフルエンサーが断言すると、深く考えずにすぐ「そうか、棚田って無駄だな」と思い込んでしまうので厄介なんです。
【藤井】東京大学大学院特任教授の鈴木宣弘先生はこんな話をしていました。
コロナで外食需要が減った時、米が余るようになった。すると日本の政府は「米が余って値段が暴落するので、米を作るな、流通させるな」という方向に動く。
そうではなく、余った米は国が買い上げて、人道支援や生活困窮支援に回すべきなのです。
実はアメリカもそういう発想でやっている、というのが鈴木先生のお話でした。
■アメリカは農家の所得を補填している
【藤井】米の一俵当たりの値段が1万2000円から9000円に下がった場合、アメリカはその差額分を補填しています。それこそ多額の税金を使って補填しているとも聞きます。アメリカでは「米が余ったら減産しろ」とはならないのです。
これは経済学でいう、財政政策によるプライスコントロール(価格調整)政策です。アメリカはこれを徹底しているのです。
日本も同様に、国が買い上げたり、補助金を出すべきだと鈴木先生はおっしゃっている。そうすることで、農家も助かるし、人道支援、生活困窮者支援にもなる。そのために財政出動が必要なんだと力説されていて、全く同感でした。
■「米粉の活用」農水省が頑張っている
【堤】同感ですし、本当に今、それしかないですよね。
有事で輸入小麦が高騰しパン屋さんやレストランがたくさん潰れました。私はグルテンが苦手ですが、それもあって、日本はもっと国産米粉に力を入れたらいいのにと思っています。
米粉パンは時間が経ってもパサパサしません。小麦アレルギーの子供が増えている今、お母さんたちにも大人気なんです。味も美味しいですよ。
円安や輸送費用の高騰で輸入小麦の値段が高止まりしている今は、米粉推進の格好のチャンス。
実はこの点では農水省が地道に頑張っています。
■食料自給率が低いと「デフレ圧力」
【藤井】いま日本は農産品を輸入するために、実に8兆円ものお金を海外に支払っています。つまり、食料自給率が低いことが、イコール「デフレ圧力」になっている。
しかし、食料自給率が高まれば、この8兆円のうちのかなりの割合が、国内にとどまるわけです。
食料自給率を高める政策とは、要は「8兆円の景気対策」に等しい。日本人1億人の「胃袋」とは、いわば「強力な内需製造装置」なのです。
ところが政府にはそうした意識がない。だから、アホみたいに食料自給率を下げ、日本円を海外に流出させて、デフレ圧力を強めているわけです。
関西弁で言うところの、「アホ丸出し」な話そのものです(笑)。
■物価高騰への危機感が感じられない
【堤】2023年に小麦や燃料などいろんなものの価格が一気に高騰し、全国各地で悲鳴が上がっていたのに、政治の反応は鈍いというか、焦りを感じなかったんですよね。
いわゆる農水族議員の先生方からも、今一つ「声」が聞こえてこなくて……。
【藤井】永田町にはそういう危機感はまったくありません。脳死してるんでしょうね。
【堤】脳死!
【藤井】永田町の人たちはゾンビみたいなものです。生きているように見えますが、実際には死んでいるに等しい。
僕は内閣参与として6年間永田町にいましたが、「うわ、こいつ脳死してはるわ」と思うことがしばしばありました。
挨拶したり、お酒飲んだり、笑ったりしていますけど、感情が伴っていない。キョロキョロとリスみたいに上の様子をうかがっているだけ。「日本のためにこういうことをしたい」という意志や、「今こういうことをしなければならない」という使命感を持っているようにまるで見えない。「ロボットちゃうか」と思っていたくらいです(笑)。
【堤】絶対背中に銀のボタンがついてますよ(笑)。
■売国奴かと思うような輩がたくさんいる
【藤井】官僚にせよ政治家にせよ、売国奴かと思うような輩がたくさんいます。TPPやEPAなどの外交交渉を見ても、日本の農業が衰退すると分かっていながら、あらゆる農作物の関税を引き下げ、輸入規制を撤廃して自由化し続けたのです。
その見返りに自動車の関税を数パーセント、下げさせてくれと願い出ている。これは文字通りの売国行為です。
【堤】実際、政府が当てにならないので、地方の中には、生き延びるために創意工夫をこらした取組みが始まっています。
日本の農業と食料安全保障を守るために「タネの自給率」は不可欠ですから、私の夫(川田龍平議員)が超党派の議員立法で成立を目指しているのが、「ローカルフード法案」です。
食料安全保障の基礎となる地域の在来種の種を「公共資産」と位置付け、公費を投入し守っていく。これをベースに、47都道府県で地域のタネから作る「循環型食システム」を張り巡らせるというものです。
今永田町ではかつての田中角栄氏のような議員がめっきり減ってしまったので、日本のために必要な議員立法だと訴えても皆さん反応が悪いと。
(注:本書刊行の翌月に参議院で提出され時間切れに。臨時国会で再提出予定
■自らは粗末な服を着た仁徳天皇
【藤井】第16代天皇である仁徳天皇の「民のかまど」の逸話を思い出します。
仁徳天皇が高い山に登って、すそ野に広がる村々を見下ろしたところ、炊事の煙が上がっていないことに気づきました。仁徳天皇は「民は食べるものにも困っているのではないか」と考え、租税を免除して、民の負担を軽減し、生活が豊かになるまでお金を徴収しないことを約束したといいます。
仁徳天皇自身は、服も粗末なものを着て、宮殿の屋根さえ葺き替えなかったと伝えられています。
民への愛情、治世者の役割、さらには租税と経済の関係性まで、今の政治家よりずっと理解されていたことがわかります。
■山田孝之・松山ケンイチが田植えをする理由
【藤井】先日あるサイトで、俳優の山田孝之さんと松山ケンイチさんが田植えをしている様子を見ました。山田さんが主宰する「原点回帰」という団体が水田を持っていて、二人で泥だらけになって田植えをしながら、農業や自然の恵みへの感謝について語っていました。
「田植えをすることで、土と繋がっている、一体になった感じがする」「農作物を輸入に頼っているだけだと絶対無理だし、農は絶対になくならない、なくしちゃいけないものだと思う」「昔からの固定種だったり、農薬肥料に頼らなくても作物ができるっていうことがちょっとずつ浸透していけば、食料難だとか、何か災害があったときの焦りとかが減ってくることに繋がっていくと思う」とお二人とも語っていて、農についての問題意識を共有していただいていると感じました。
世代で言うと、彼らは30代後半から40代前半くらい。この世代は、それより前の世代とは違って、農業に対してダサいとか、古い、カッコ悪いといった間違った先入観を持っていないのでしょう。
■若い世代はより自然に近い農業に入ってくる
【堤】山田孝之さんが実践しているのは、「菌ちゃん先生」こと、長崎の吉田俊道さんが指導している「菌ちゃん農法」。実はこの「菌ちゃん先生」は私の著書『ルポ 食が壊れる 私たちは何を食べさせられるのか?』(文春新書)で取材し、その考え方にとても感動した方の一人なんです。
山田孝之さんが農法を伝承してもらっているもう一人の師匠が、在来種のタネを守っている「野口のタネ」の野口さんです。
若い世代は、変に新自由主義や効率主義に脳が染まっていない分、お金が全てという世界の息苦しさ、生きづらさをストレートに感じて、その外に出ようとしていると思います。
放牧した牛のミルクでお菓子を作る北海道の企業の社長さんを取材した時も、今高齢者が次々に畜産をやめる一方で、より自然に近い「放牧」に若い新規農業者が入ってくるとおっしゃっていました。
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藤井 聡(ふじい・さとし)
京都大学大学院工学研究科教授
元内閣官房参与。京都大学レジリエンス実践ユニット長。1968年、奈良県生まれ。京都大学卒業、同大学院修了後、同大学助教授、東京工業大学教授等を経て現職。2012年より2018年まで安倍内閣・内閣官房参与にて防災減災ニューディール政策を担当。専門は経済財政政策・インフラ政策等の公共政策論。文部科学大臣表彰・若手科学者賞、日本学術振興会賞等受賞多数。著書に『MMTによる令和「新」経済論』(晶文社)、『令和日本・再生計画』(小学館新書)など。「正義のミカタ」(朝日放送)、「東京ホンマもん教室」(東京MXテレビ)等のレギュラー解説者。2018年より「表現者クライテリオン」編集長。
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堤 未果(つつみ・みか)
国際ジャーナリスト
東京生まれ。NY市立大学大学院国際関係論学科修士号取得。国連、アムネスティ・インターナショナルNY支局員、米国野村証券を経て現職。日米を行き来し、各種メディアで発言、執筆・講演活動を続ける。『報道が教えてくれないアメリカ弱者革命』で日本ジャーナリスト会議黒田清新人賞、『貧困大国アメリカ』(3部作、岩波新書)で日本エッセイストクラブ賞、新書大賞受賞。多数の著書は海外でも翻訳されている。近著に『デジタル・ファシズム』(NHK出版新書)がある。
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