小説を 勝手にくくって 20選! (original) (raw)
【あらすじ】
平将門を討ち取った俵藤太の裔にあたる佐藤義清。父は白河院に仕え、検非違使に任じられてこれから、と言うときに亡くなってしまう。美濃国の青墓という宿に引っ込むと、遊女が唄う今様を聞き、藤六という家人から武芸を習って育った。元服すると、吉次という黄金を運ぶ修験者に連れられて任官運動をするも望みは叶わず、藤原実能の家人となった。実能は摂関家の嫡流ではないが、妹の璋子が絶世の美女で、亡き白河院の寵愛を受け、実能も摂関家に劣らぬ権勢をかこっていた。
義清は京で暮すと、武芸や蹴鞠が名人として認められ、また戯れに詠んだ詩歌も宮廷内で評判になる。その噂を聞いた鳥羽院は、公家にはない雰囲気を持つ義清を気に入り、中宮璋子の従者に命じる。璋子は鳥羽院が愛する妻だが、祖父白河院の愛人という関係もあり、心を閉ざしている.
璋子36歳。祖父白河院と孫の鳥羽院に愛された美貌は健在で、義清もその容貌に心を奪われる。対して璋子も、鍛え抜かれた身体を持つ義清に心を惹かれた。義清20歳。璋子は熊野詣に義清を連れて行く。険しい山道を義清が璋子に手を差し伸べ、腰を支えて、そして抱きしめて抱えていく。
接することで、まるで手の届かない月に恋するような想いを抑えきれなくなり、悩んだ挙げ句に出家を決意する。しかし僧侶から、出家は現世からの逃げ道ではなく現世と向かい合い、そして操ることと諭されて、璋子に直接会い、出家して**西行**と名乗ることを報告する。
璋子は、本当は愛する子の崇徳院と四の宮にも心を閉ざしていた。崇徳院は白河院の落胤と言われ、父鳥羽院は我が子を「_叔父子_」と呼んで憎み、自分を愛する得子から生まれた近衛帝を即位させるため、崇徳帝を騙す形で譲位させた。鳥羽院の寵愛を失った璋子は、今更ながら我が子崇徳院と四の宮が諍いになることを心配し、後を義清に託して亡くなる。
西行は亡き璋子のために_一品経勧進_を作ろうと思い立つ。これは璋子と縁の深い友人も憎むべき人物も合わせて経を紡ぎ、仏の力で結び付ける勧進。そして今様と酒に溺れる四の宮には、死の床でも四の宮を心配した母璋子の想いを伝え、改心して今様と酒を断たせた。
近衛帝が早世し、璋子の子四の宮と、璋子の孫で崇徳院の子が残された。本来は嫡流にあたる崇徳院の子を即位させるべきだが、鳥羽院は崇徳院の血統が皇位を継承することを断じて許さず、近衛帝の兄にあたる四の宮を、異例の形で後白河帝として即位させる。鳥羽院のやり口に不満が溜まる崇徳院の周囲を、摂関家の藤原頼通や源平の武士たちが集う。対して後白河帝にも平清盛、源義家ら源平の頭領が集まる。
璋子の想いを知る西行は、お互いの陣営を周旋するも、戦いは避けられない。戦いは西行の予想通り兵士に勝る後白河側が勝利した。西行は平清盛から頂戴した駿馬を使い崇徳院を連れ出す。そこには今生の別れとなる前に一目会いたいと、弟として兄を慕っていた後白河帝が待っていた。
【感想】
文武に秀でて、蹴鞠や流鏑馬も得意だったという**西行**。本作品で和歌は女官からはやし立てられて戯れに詠んだのが始まりされ、幼い時から和歌を学んだと思っていた私は意外に思った。そこを「_今様_」で結び付けて、子供の頃から歌に親しんで育った形で補っている。
西行が残した詩歌は、心の内を素直に吐露しつつ、当時の新古今にあたる「_幽玄_」も携えて、後の松尾芭蕉にまで影響を与えたという。文武両道でもある西行が、古代貴族社会から中世の武家社会の架け橋を跨いで生き、また漂泊の詩人として貴族にはない経験と心から、詩歌に新たな息吹を与えることができたのかもしれない。
*璋子の生涯を描いた作品です。
ところがそんな西行も、その生涯は謎が多い。その最も大きな謎が出家した理由。私は恥ずかしながら平家物語で17歳と若い平敦盛(織田信長が好んだ幸若舞「敦盛」のモデル)相手に一騎打ちの上殺害して出家に至った熊谷直実と「混線」していたが、それを本作品では「天上紅蓮」で描いた時の権力者、白河法皇が老境となって愛した璋子への恋慕を理由の1つとしている。
いくら絶世の美女と言われても、亡くなった白河院や時の権力者で孫の鳥羽院という2人に寵愛された璋子に対して、身分もまだ卑しい20歳の西行が、38歳の璋子への想いを理由とするのは本来不自然。しかし三田誠広はその「難問」を、その筆致と詩歌を結び付けて、えも言われぬ無情な「絵巻」を描き出している。
その「_もののあわれ_」の物語は、先に取り上げた渡辺淳一著「天上紅蓮」の後日談であり、璋子が愛した2人の子、崇徳院と後白河帝が対立して保元の乱が勃発し、最後に西行を介して結び付けるところで終らせている。
作者も一旦本作品で物語は幕と閉じたが、続篇も考えて平清盛や「金売り吉次」を登場させた。そして作られた続篇「**阿修羅の西行」は、旅を巡る西行が源頼朝に出会った史実を元に、頼朝に馬を教え、そして義経相手に天狗になって鍛える姿も演じている。この伏線は自身の作品「夢将軍頼朝**」に繋がっていく。
貴族に囲まれる中で武士の一面を強く出した本作品の続篇は、武士たちとの交流の中で詩歌の才能が磨かれていく、西行の「_中世:鎌倉編_」ともいうべき作品となっている。こちらもこの古代から中世への過渡期に相応しい、文武両道の人物を生かした物語となっている。
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【あらすじ】
世は藤原氏が全盛を極め、平安王朝絵巻が繰り広げられていたころ。藤原為時は下級貴族であったが、詩歌や漢文に長じていた。その次女として生まれた小市(のちの紫式部)は漢文を読み下し、古今和歌集を全て諳んじるなど周囲の大人も驚くような才能を見せる。父は小市が男だったら、と悔やむほど。
一方姉の大市は秀麗な貴公子から美しい恋文を受け取り、女の幸せに浸っていた。そんな姉に対して、小市は自身を人並みの容姿と自覚し、文学で身を立てる気持ちを持ちながらも、素敵な貴公子との出会いを夢見ながら年を重ねていく。20歳になりようやく受けた恋歌の主は、またいとこの**藤原宣孝**という年齢が親ほど離れた、女性関係も盛んな貧相な男で、小市は母代わりの叔母にわが身を歎く。
貴族社会において、女性もその権力の中で生きている。日常の夫婦生活の中にも、貴族たちの権力闘争も挿入されて描かれた、遠縁の女性が書いた_蜻蛉日記_に感嘆する。知人の**和泉式部は、小市も叶わない研ぎ澄まされた詩歌の才能を持つ反面、禁断の愛も何のその、感情赴くままに生きていく。有名歌人であった清原元輔の娘は、中納言相手にやり返す厳しい性格を見せて評判になる。その女性は天皇の中宮となった定子の女官となり、清少納言**と名乗る。
藤原宣孝からしか文はなくがっかりするも、その文が切れると気もそぞろになる小市。やがて不遇を囲っていた父が、高齢ながら越前の受領に任命される。身体を心配してついていくも、赴任した先は都とは比べものにならない寒冷の地。京への里心がついたときに、宣孝から心配する文が届く。不満はあるが長年文を届け続けたその思いに応えて小市は、宣孝に嫁ぐことを決意する。
しかし結婚して娘も宿すが、夫はやはり物足りない。そんな折に夫は病にかかり、あっけなく亡くなってしまう。3年しか続かなかった夫婦生活だが、後から聞くと夫の小市を思う様子が様々な方面から耳にすることになり、今更ながら自分の至らなさを痛感する。
そのころ清少納言は「_枕草子」という随筆を書いて評判だと聞く。手に入れて読むと、何気ない光景を取り上げる感性の鋭さに感嘆すると共に、自分も書き物をしたいという欲求が湧き上がる。自分が書くのは_物語_しかない。藤原氏に排斥されて、皇族から臣籍降下した源氏を思い、親兄弟も巻き込み、宮廷と女官たちの恋愛模様も巧みに取り入れた、源氏物語_を書き始める。その物語は評判が徐々に広がり、時の権力者藤原道長の娘で、一条天皇の中宮彰子から女官のお声かかかる。
30歳を過ぎて初めての御所勤め。皆はあの源氏物語を書いた人と好奇の目で見られ、「**紫式部**」と呼ばれて中宮彰子からも大切にされる。源氏物語と続篇の_宇治十帖_を完成させるが、一条天皇は薨去し、彰子が残される。道長は役目が終った天皇と娘には目をくれず、新たな中宮によって権勢を続けようと画策する。後に彰子も亡くなり、世の無常を感じながら、小市もその生涯を終える。
*大河ドラマ「光る君へ」は早々に脱落しましたが、ファーストサマーウイカさんの存在感は見事でした(NHK)
【感想】
「_源氏物語_」自体はまともに読んだことはなかったが、充分に楽しめた。前半は盟友(?)永井路子の作品「**この世をば**」の裏地を縫うかのように、藤原道長が権力を握るまでの朝廷模様を描く。
「頭でっかち」の小市(紫式部)は、自分は文章で身を立てていきたいと願うも、心の底では素敵な男性に愛される姉を羨ましく思うおんなこころ。恋文が来たら来たでツンツンとしながらも、来なくなるとそれはそれで面白くないツンデレな気持ち。そんなことを心の中で繰り返して、当時の適齢期を過ぎる30歳手前になってようやく結婚するが、わずか3年余りで夫と死に別れ、改めて「もののあわれ」を感じていく。一歩外れるとイヤミに取られる印象もあるが、杉本苑子の筆は女性視線でどんどんと「踏み込んで」いくも、そこに同性の優しさも含まれている。そんな小市の人生が「源氏物語」に繋がっていく。
源氏物語が評判となっていっても、物語の創作を続けて行く小市の「作家」としての心の中は、**杉本苑子そのもの**と感じるように、作家の「創作の秘密」が語られている。30歳を過ぎて子供もできた後は、自分の才を誇っていた子供の時代から、周囲を気にする性格に変わっていく。物語を生む才能は、周囲が自分をどう思うかを想像し、その思いによって自縛する。この辺の感覚も「杉本苑子」を透けて見る。
小市を借りて「_和泉式部は情、清少納言は感性、そして自分(紫式部=杉本苑子)は理_」と評した。これは当時文壇で活躍していた女流作家たち、すなわち奔放な和泉式部は**瀬戸内晴美(寂聴)、強気で感性に秀でる清少納言は佐藤愛子と重なる。源氏物語を借りた「ある女の一生」の物語。それは盟友(??)永井路子の作品「姫の戦国**」を彷彿とさせ、おもしろく、やがて悲しくなっていく。
最初はやや違和感を思えたタイトル「散華」。戦時中は命を散らした若き兵士に使われたが、本来は仏を供養するため花を撒き散らすことを意味する。中宮定子が宮廷内の権力闘争に呑み込まれて没落し、それと共に落魄していく清少納言。そして「安和の変」で失脚した源高明や他の「臣籍降下」した源氏たちの姿。
そんな中で藤原道長は権力を、そして氏の長者を目指すために、親兄弟はもとより、時に天皇や宮廷に入った女性たちも犠牲にしていく。その現実と「源氏物語」は次第に重なっていき、その主題が「散華」に通じていく。
*紫式部を巡る関係図(本書より)
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【あらすじ】
和歌を始め言葉に対する感覚に秀でた**紀貫之(きのつらゆき)だが、下級貴族で日の目があたらず、時に隠遁した坊主、喜撰法師**と名乗って、都の東南(たつみ)の宇治に住む自分をこう詠んでいた。
「_わが庵は みやこの辰巳 しかぞすむ よをうぢ山と 人はいふなり_」
そんな折、真名と呼ばれる漢文で作られた今までの勅撰集に代わり、仮名で作られた「やまとうた」の勅撰和歌集が編纂されることになり、貫之は39歳にして選者に抜擢された。貫之はその任命に喜ぶと共に、和歌集への様々な想いが広がっていく。脳裏には12歳のころ、「_あにくそ_(可愛い我が子)」と呼ばれた貫之が、京と近江の国境にある逢坂山で過ごす母のもとで、平安初期を彩った歌人たちと出会った思い出が、脳裏によぎってくる。
桓武天皇の嫡流でありながら、薬子の変で朝廷に反乱を起こした平城天皇の孫にあたるため日の目をみない**在原業平**。秀麗で和歌の才もあるが、世にすねた態度で出世できない業平は、年はかなり離れている「あにくそ」を可愛がる。昔、権勢者であり入台が決まっていた藤原頼房の養女高子とのロマンスを語り、藤原摂関政治の現実を教える。
その業平から、年老いたがお茶目な尼、**小野小町**に繋がる。若い頃は「百夜(ももよ)通い」される程美貌だったが、恋に対しては軽やかに渡り歩き、そんな歌を詠む。
「_花の色はうつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに_」
そこに**大友黒主**が現われる。壬申の乱で天武天皇に敗れた大友皇子の流れを汲み、当時は鄙(田舎)の逢坂の地に建立された、大友皇子を弔う三井寺で守をする。奈良の都が栄える反面、寺はひなびて行ったが、天武朝の血統が途絶え、天智の流れを汲む桓武天皇が平安京に遷都したことから寺は復興する。そんな歴史の浮き沈みを「あにくそ」に教示する。
小野小町の庵に御用聞きのように訪ねてくるのは、山城国で長官の下に仕える**文屋康秀**。康秀は朝廷について事情通で、応天門の変の真相を「あにくそ」に話し、藤原氏が支配する政権について説明する。
*五島美術館所蔵の「佐竹本三十六歌仙絵巻」による紀貫之。戦前に売買に出ましたが、余りに高額なため1人1人切断され、これが文化財保護法のきっかけとなりました。
文屋康秀から紹介されたという**僧正遍照**。薬師如来に仕え、調薬が得意な怪僧だが、こちらも元は桓武帝の流れを汲む貴人。その霊力から「あにくそ」を現世から離れた世界へと導き、在原業平と藤原高子との悲愛の真相を映し出す。
夢から覚めた貫之は、京から離れた逢坂で出会った六人の歌人たちが忘れられない。ついに選者の特権を生かして、勅撰和歌集「古今和歌集」の序文で、6人をエスプリの効いた辛辣でありながらも愛情を込めた表現で、「六歌仙」として取り上げる。
【感想】
**紀貫之**と六歌仙は年齢的にかなり離れ(もしくは生年不詳)、接触はないと思われるが、子供の貫之が美しい義母と暮した逢坂を背景に、六歌仙がそれぞれ独自な感性を表わして「あにくそ」に語りかける、ファンタジーの溢れる物語となっている。
現実の紀貫之は、古今和歌集の選者だけでなく_土佐日記の作者でもあり、かつ**在原業平**を主人公とした伊勢物語_の作者と見られ、「やまとことば」を駆使する文人としてその才能は傑出していた。
そしてもう1つ。本作品では触れていないが、日本最古の物語とされる「_竹取物語_」の作者とも目されている。その中で5人の公達から求婚を受けるかぐや姫に対して、無理難題の条件を突き付けて全てが失敗に終るエピソードは秀逸だが、その公達たちは全て実在で、中でも「蓬萊の玉の枝」を求められた「車持皇子」のモデルは、藤原不比等とされている。
*竹取物語に関して、過去にこんな記事も掲載しました。
六歌仙も貫之の紀一族と同じく、藤原家との権力闘争で敗れた側にいた人物たち。本作品における六歌仙の素性、そして藤原摂関家の「非道」に心を痛める「あにくそ」の心情と一致している。
それにしても「いたずら小僧」の片鱗も見せる紀貫之に対して、イケメンで世を斜に見る印象もあるが、子供にもきちんと正対する在原業平。美人で近寄りがたい印象だが、笑い上戸で柔らかい対応をする、尼になった小野小町。そして他の「3人」も作者の想像力を生かして、さもありなんという人物像に造形されて、読み進めながら思わず微笑んでしまう。
古今集の仮名序では、六歌仙の短歌について1人1人「もの足りなさ」を記している。その上で批評に耐える歌として、外の歌人とは一線を画すと評価はしているが、そんな複雑な論理構成はある意味謎。そんな謎を、作者は紀貫之と六歌仙との邂逅を通して、1つの回答を提示した。
「やまとうた」創生の物語は、やまとことばのように柔らかで、しなやかな人々が作りあげている。
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