叡山坂本つれづれ (original) (raw)

久々の旅行。京都7時06分発ののぞみ、名古屋8時ちょうどのしなので松本へ。そこから大糸線穂高へ。駅前のレンタサイクルで自転車を借りて大王わさび農場へ。けっこう賑わっている。

ここに来た私の第一の目的はこの水車のある風景。黒澤明監督のオムニバス映画『夢』の最後に出て来る印象的な場面(文明から切り離された集落で行われるにぎやかで華やかな葬式の行列がとても美しい)のロケ場所。

売店ではわさび入りのソフトクリームが大人気。年を召した方々が1個全部を食べているのにはびっくり。私なんかには無理。それで家内のを少しお相伴しただけだが、なかなかおいしい。わさびとクリームがちゃんと調和している。

松本に戻り、諏訪湖へ向かう。下諏訪の諏訪大社下社秋宮。

旅館の部屋からの諏訪湖眺望。

上諏訪駅構内にある足湯。

2日目は小海線小淵沢清里間を往復。4年前の11月に小淵沢から小諸、上田へと向ったおり、沿線の紅葉が素晴らしかった(紅葉のトンネルを行く電車という感じ)のでもう一度見たいと思ったのだけれど、今回は時期が少し早すぎたのか、それとも今年は紅葉のはずれの年(夏の酷暑のせい?)なのか物足りなかった。清里駅前の店は多くがシャッターが下りていて、賑わいはなし。清里ピクニックバス(期間及び曜日限定)で清泉寮に行き、しばらく山並みを眺める。小淵沢からの電車では富士山の頭だけが見えたが、ここからはそれも見えなかった。帰りは徒歩で清里駅まで(約30分)。やはり紅葉は今ひとつの状態。

引退したジャージー種の乳牛。

小淵沢から石和温泉駅へ。駅前にはやはり足湯。

石和温泉から河口湖までバスで1時間。ホテルに着く頃から雨が降り出した。翌3日目は河口湖駅からバスで御殿場まで、そこから三島へ出て新幹線で帰路。富士急行河口湖駅は富士山観光の拠点らしい。バスがひっきりなしに出入りする。外国人観光客であふれていた。しかしこの日の観光客は雨にたたられアンラッキー。せっかくだから御殿場までのバスを山中湖で下り、遊覧船に。見えるのは湖畔の景色だけ。富士山はどこにあるのかな。

三島駅に着いてみると、山陽新幹線が大雨で大きく遅れ、その影響で東海道新幹線も遅れ、という状況。予定より1時間20分遅れで京都に帰り着いた。

尾崎紅葉金色夜叉』は超のつくほど有名な小説であり、たいていの日本人がタイトルと作者だけでなく、主人公のお宮と貫一という名前、さらにはダイヤモンドに目がくらみ金持に嫁いだ宮を寛一が恨みぬいて復讐のために自ら悪徳の高利貸しになるという話であるということも知っているだろう。何度も映画や芝居にもなっているし、また歌謡曲にもうたわれた。熱海の海辺には貫一が宮を足蹴にする場面が像になって観光スポットとなっている。でも、紅葉の原作は会話部分は分かりやすいが、語りの美文調文語部分が私たちにはとっつきにくく読みづらい。現代ではあまり読まれないのではないだろうか。それでも読んでみる価値はおおいにあると私は思う。しかも慣れてみると美文調がなかなか魅力的である。貫一が宮を蹴とばすだけの話ではないのである。以下、重要な登場人物とエピソードをピックアップしながら物語のツボをさぐってみた。
*間貫一
幼児期に母親を、尋常中学卒業前に父親を亡くし孤児となった。彼の父親に恩をこうむっている(どのような恩かは不明)鴫沢隆三が15歳の貫一を引き取って実子同様に育ててくれ10年が経っている。鴫沢夫妻は貫一が学士になった暁には一人娘の宮を添わせようと考えており、本人たちもその心づもりであった。ところがここに資産家(銀行経営者で市会議員)の息子富山唯継が宮の美貌に惹かれて求婚。宮が迷いつつもそれを受け入れたから大変。熱海の海岸の修羅場が繰り広げられる。「宮、おのれ、おのれ姦婦、やい!貴様のな、心変〔こころがわり〕をしたばかりに間貫一の男一匹はな、失望の極〔きょく〕発狂して、大事の一生を誤ってしまうのだ。学問も何ももう廃〔やめ〕だ。この恨みのために貫一は生きながら悪魔になって、貴様のような畜生の肉を啖〔くら〕って遣る覚悟だ」と罵って姿を消してしまう。ずいぶんブチ切れたものである。
*鴫沢宮
宮は貫一が彼女を思うほどには貫一のことを一途に思っているわけではない。貫一にとって宮は文字どおりすべてであり、彼の思いはたんなる男女の恋にとどまらない。「彼が鴫沢の家に在りける日宮を恋いて、その優しき声と、柔き手と、温き心とを得たりし彼の満足は、何らの楽〔たのしみ〕をも以外に求むる事を忘れしめき。彼はこの恋人をもて妻とし、生命として慊〔あきた〕らず、母の一部分となし、妹の一部分となし、あるいは父の、兄の一部分ともなして宮の一身は彼に於ける愉快なる家族の団欒〔まとい〕に値せしなり。故に彼の恋は青年を楽む一場の風流の麗しき夢に似たる類ならで、質はその文に勝てるものなりけり」。それに対して自分の美貌の価値を知っている宮は貫一を愛してはいるのだが、彼との結婚を絶対視してはいない。「彼(宮)の美しさを以てして纔〔わずか〕にかほどの資産を嗣ぎ、類多き学士風情を夫に有〔も〕たんは、決して彼が所望〔のぞみ〕の絶頂にはあらざりき。・・・彼は色を以て富貴を得たる人たちの若干〔そくばく〕を見たりしに、その容〔かたち〕の己に如かざるものの多きを見出せり」。私ほど美人でないのに金持の男を夫にしている女ってたくさんいるじゃないの、貫一さんと夫婦になるのもいいのだけれどもっと高きを望むのもありよね、というわけである。かといってダイヤモンドに目がくらみ富山の結婚申し込みに飛びついたわけではない。さんざん悩む。貫一を裏切るのだという自責の念に苦しむ。食欲も失せ、安らかな睡眠も得られない。湯治と称して貫一を避け母親と一緒に熱海へと逃げる。そのあいだに父親が富山との結婚のことを貫一に告げ、説得するが、貫一は納得せず、熱海にやって来て宮を罵り、姿を消す。
ところで、誰が宮の結婚を決めたのだろうか。母親が宮に「お前の心一つじゃないか。初発〔はじめ〕にお前が適〔い〕きたいというから、こういう話にしたのじゃないかね」と言っていることから判じると宮本人の意思によると考えるのが妥当であろう。しかし父親が貫一に「宮か、宮は別にどうという事はないのだ。御父様〔おとつさん〕や御母樣〔おつかさん〕の宜しいようにというので、宮の方に異存はないのだ。彼〔あれ〕にも悉皆〔すっかり〕訳を説いて聞かした所が、そういう次第ならばと、漸く得心がいったのだ」と言っているところから判じると親の考えが先行し、それに宮が従ったともとれる。どちらかよく分からない。このあたりは会話の綾や含意などもあるので事細かに詮索しても無益だろう。いずれにしても宮の心は決まっており、「どうあっても可厭〔いや〕だとお前さんさえ言通〔いいとお〕せば、この縁談はそれで破れてしまうのだ」という貫一の期待は裏切られたというわけである。
*宮の結婚
本人の責任とはいえ宮の結婚は最初から不幸であった。「宮は実に貫一に別れてより、始めて己の如何ばかり彼に恋せしかを知りけるなり」。だからといって恋に走るつもりもない。「過を改め、操を守り、覚悟してその恋を全うせんとは計らざりけるよ」。婚礼の日を迎える。「この日よ、この夕〔ゆうべ〕よ、更けて床盃〔とこさかずき〕のその期に迨〔およ〕びても、怪むべし、宮は決して富山唯継を夫〔つま〕と定めたる心は起らざるにぞありける。ただこの人を夫と定めざるべからざる我身なるを忘れざりしかど。彼は自ら謂〔おも〕えり、この心は始より貫一に許したるを、縁ありて身は唯継に委〔まか〕すなり。故に身は唯継に委すとも、心は長く貫一を忘れずと、かく謂える宮はこの心事の不徳なるを知れり。されどこの不徳のその身に免る能わざる約束なるべきを信じて、むしろ深く怪むにもあらざりき。かくのごとくにして宮は唯継の妻となりぬ」。それでいいのかお宮さん。憐れなりしは富山唯継、と茶々を入れたくなる。
*鰐淵直行、田鶴見子爵家当主良春と家令畔柳
熱海から4年後。貫一は高利貸し鰐淵直行の手代としてその家に住み込んで働いている。酒にも女にもその他の遊びにも浪費にも一切関心を示すことなくひたすら勤めに励む貫一は鰐淵の信用厚く、鰐淵もやがては暖簾分けを考えている。この鰐淵はかつて田鶴見〔たずみ〕藩の足軽頭であったのが、今では高利貸しを営むにあたって子爵となった田鶴見家から資本を得ている。といっても子爵本人は何も知らず、すべては家令畔柳の才覚によっている。畔柳は鰐淵を利用することで表に出ないで、子爵家の名誉を汚すことなく高利貸しをやっているといってよい。おかげで子爵家の財政は安泰で、子爵は道楽の写真にのめり込んでいる。
*貫一と宮の再会
宮の夫、富山唯継も写真を趣味とし、その関係である日子爵家に招かれる。そして、同行してきた宮が、その日偶然畔柳を訪ねていた貫一と出くわす。ふたりは口をきくことはなかったが、宮は畔柳の娘から貫一が子爵家に出入りする(裏口からだが)鰐淵という男の使用人であることを知り、住所を聞き出す。
*赤樫満枝
貫一と宮に匹敵するほど重要な登場人物が赤樫満枝。貧乏士族の娘であったのだが、父親が女好きの高利貸し赤樫権三郎の策略に乗せられて借金が返せなくなり、代わりに満枝が仲働きとして赤樫の家に住み込まされ、口説かれ、そして赤樫の妾になった。ところが高利貸しがよほど性にあっているらしく、自分から赤樫の所にいついて、ついには自分の父親より年上の赤樫の本妻となり、今では中風で動けなくなった権三郎にとって代わってやり手の高利貸し。「美人クリイム」というあだ名を頂戴している。(クリイム→アイスクリーム→氷菓子→高利貸し。高利貸しをアイスといったのは明治時代の学生用語らしい)。この満枝さんなぜか分からないが貫一に御執心。貫一が鰐淵から独立するつもりなら資本金を融通しよう、自分と手を組まないかなどと口説き半分に迫るが、貫一はにべもなくはねつける。こういう人物が登場すると小説はがぜんおもしろくなる。
*憎まれる高利貸し
いかに高利貸しが憎まれているかを示す事件が2件起こる。まずは、貫一が夜の路上で二人組の暴漢に襲われ、重傷を負い、3カ月の入院。犯人は捕まらず、したがって動機も不明ではあるが、新聞は高利貸しの受難と報道する。もうひとつは、鰐淵の家が放火され、鰐淵と妻とが焼死するという事件。貫一はちょうど入院中で難を免れる。これは犯人がはっきりしており、鰐淵のあくどいやり方の犠牲となって私文書偽造の罪を犯し、1年間服役となった男の母親。狂気におちいったこの老女が鰐淵を毎夕訪れ、「お前の首を」などと迫り、ついには火を放つまでの描写はなかなかの読み所である。
*鰐淵直道
鰐淵直行の息子直道は学者(専門は不明)。父の生業は彼に言わせれば「汚れた家業」「賤〔いやし〕い家業」「浅〔あさま〕しい家業」である。高利貸しを辞めるように父を説得するが、相手にされない。直行にとって息子の言っていることは実世界を知らない学者のたわ言でしかない。「お前は学者じゃから自ら心持も違うて、財〔かね〕などをそう貴〔たツと〕いものに思うておらん。学者はそうなけりゃならんけど、世間は皆学者ではないぞ。ええか、実業家の精神はただ財じゃ。・・・お前は自身に供給するに足るほどの財があったら、その上に望む必要はないと言うのじゃな、それが学者の考量〔かんがえ〕じゃと謂うんじゃが。自身に足るほどの物があったら、それでええと満足してしもうてからに手を退〔ひ〕くような了簡であったら、国は忽ち亡〔ほろぶ〕るじゃ――社会の事業は発達せんじゃ。・・・俺にそんなに財を拵えてどうするか、とお前は不審するじゃね、俺はどうもせん、財は余計にあるだけ愉快なんじゃ。・・・お前の学問するのが面白い如く、俺は財の出来るが面白いんじゃ。お前に本を読むのを好え加減にせい、一人前の学問があったら、その上望む必要はあるまいと言うたら、お前何と答える」。一介の高利貸しの弁を超えている。巨大金融資本の跋扈する21世紀に生きている私たちとしては心ならずも納得してしまいそうになる。鰐淵直行は欲望の資本主義の代弁者か。彼はさらに高利貸しが犯罪ではなく世の必要に応じているだけであると論じる。「高利貸しを不正と謂うなら、その不正の高利貸しを作った社会が不正なんじゃ」。人の弱みに付け込んで高利を貸すのはまちがっているという息子の正論だけではとうてい父に勝てそうにない。
直道は寛一をも父親と同じ穴のムジナと見て忌み嫌っていたのだが、父親焼死事件の直後、焼け跡で貫一と初めてゆっくり話す機会があり、貫一が父とは違って高利貸しをまともな人間のする商いとは見ていないことを知る。15歳で孤児となり、結局はそれがもとで真人間になりそこなったと語る貫一の言葉に人間らしさを感じとる。それなら真人間になるようにと貫一を諫める。しかし「今更真人間に復〔かえ〕る必要もないのです」が貫一の返事。直道は改めて、父親を改心させることはできなかったがその代わりに貫一に改心してほしい、と説く。「金を貸すのは罷〔や〕めて下さい。父に関した財産は一切貴方へお譲り申しますから、それを資本に何ぞ人をも益するような商売をして下されば、この上の喜はありません。父は非常に貴方を愛しておった、貴方も父を愛して下さるでしょう、愛して下さるなら、父に代わって非を悛〔あらた〕めて下さい」。貫一は無言。
*荒尾譲介
貫一のかつての高等中学校時代の級友で、唯一無二の親友であった。貫一と宮のこともよく知っている。大学を終え、内務省に職を得、参事官になったが、彼に学費を出してくれた恩人であり政治家である男が選挙に失敗し、連帯人であった荒尾は3000円の借金をしょい込んでしまい、諭旨免官になったという。この話を貫一は荒尾の債権者である満枝から聞く。
ここでお金の話を少々。小説冒頭で富山がこれ見よがしに嵌めているダイヤの指輪の値段が300円。この時代の300円が現代ではどのくらいなのか気になるところである。NHK「偉人の年収 How much?」の夏目漱石編では漱石が26歳で英語教師になった時の月収37円50銭、年収にして450円で現在なら900万円と説明されていた。1円が2万円という勘定。別の計算もある。関川夏央はコミックス『坊ちゃんの時代第三部 かの蒼空に』で当時の1円の購買力を1990年の5千円くらいと概算している。30年以上たった現在では6千円から7千円程度になろうか。それでも2万円とは相当な開きがある。中を取って1万円とすると(ずいぶんいい加減だが!)富山のダイヤの指輪は300万円ということになる。300万円のダイヤモンドってどんなものか私には分らないが、あまりたいしたものでもなさそう。
荒尾の負債3000円を仮に3000万円と計算すれば大金であることに違いはない。多額の借財と諭旨免官の論理的関係は分からないが(借金したらなぜクビになるのか)、とにかく荒尾は今や浪人の身。その彼が宮の乗っている人力車にはねられるという偶然によって宮と再会。宮は自分の後悔と詫びの気持ちを貫一に伝えてほしいと懇願するが荒尾は友を裏切った宮を自分も許すわけにはいかないと拒否する。ではせめて貫一の所に連れて行ってほしいと頼まれた荒尾はこれも拒否。貫一に逢えさえすれば殺されても本望などという過激なことを言う宮をたしなめる。「間に殺されても辞せんというその悔悟はよいが、それじゃ貴方は間あるを知って夫あるのを知らんのじゃ。夫をどうなさるなあ、夫に道が立たん事になりはせまいか、・・・始には富山のために間を欺き、今また間のために貴方は富山を欺くんじゃ。一人ならず二人欺くんじゃ! 一方には悔悟して、それがためにまた一方に罪を犯したら、折角の悔悟の効は没〔なくな〕ってしまう」。しごくもっともな理屈であるが、それでも宮のたかぶった気持を鎮めることはむずかしい。
*荒尾の貫一宅訪問
宮に約束はしなかったけれど荒尾は後日貫一を訪ねる。貫一は今では鰐淵の家督を継ぎ、焼け跡に家を新築してそこに暮らしている。「先代の志を翻さずして、ますます盛んに例の貪〔むさぼり〕を営むなりき」「かくして今は鰐淵の手代ならぬ三番町の間は、その向〔むき〕に有数の名をなして、外には善く貸し、善く斂〔おさ〕むれども・・・なおも奢らず、楽まず、心は昔日〔きのう〕の手代にして、趣は失意の書生の如く、依然たる変物〔へんぶつ〕の名を失わでいたり」。いったい何を思っているのか貫一。
6年ぶりに再会した荒尾は寛一に高利貸しを辞めるように諭す。たとえ宮に裏切られた恨みから金の亡者になったとしても、金儲けは正当な手段によるべきで、人の難儀につけ入ってその血を搾るような不義不正は許されないことである、高利貸しは我が友にあらずと説く。さらに先日の邂逅のさいに宮の流した悔恨の涙についても話して聞かせる。貫一は6年来にしてこの時初めて宮の真情について知ることができたわけである。少しは心を動かされてもよさそうなものだが、あくまでも冷静冷酷な拒絶反応しか示さない。「今日〔こんにち〕になって彼が悔悟した、それでも好〔よ〕く悔悟したと謂いたいけれど、これはもとよりそうあるべき事なのだ。始にあんな不心得をしなかったら、悔悟する事はなかったろうに――不心得であった、非常な不心得であった!」。高利貸しを辞めろと言われたことに対しても、自分は発狂しており、迷いからまだ覚めていないと居直るのみ。どうにも取りつく島がない。
*富山唯継
富の山をただ継ぐだけというひどい名前を与えられた富山唯継。ダイヤの指輪を見せびらかしたり、金の力で宮を手に入れたりという側面だけを見ると軽佻浮薄の悪役というイメージを免れない。でもこれは物語の都合によって割り当てられた役割であって、ほんとうはちょっと違う。彼は悪徳の人間ではない。資産家の息子に生れたのは彼の責任ではないし、宮の美貌が気に入って妻にと望んだのも自然の理である。貫一と宮の関係を知る由もなければ、財力を背景になんらかの策略を弄して宮を得たわけでもない。要するに彼はなにひとつ悪事を働いていないのである。
結婚後も彼は宮を大事にする。宮は同居する舅も姑もなく気を煩わせる必要もない。仲働き1人と下女2人がいて、家事はそちら任せ。暖かな部屋と外出時の車。食べるに事欠くことなどはもちろんない。欲しい物は夫に言えば買ってくれるであろう。まさにセレブの奥様。しかし宮の心は満たされない。浪費もせず、夫に何かをねだったりもしない。身は富山に委ねても心は寛一のものと決めているのだから夫婦の心が通じ合うことはない。結婚1年後に男の子を出産するが、その子はすぐに肺炎で亡くなる。唯継の子を望まない宮は以後、子供を産まないと決心する。具体的にどんな手段によったのかは不明だが、「四年の後まで異〔あや〕しくも宮はこの誓いを全うせり」とある。まさか唯継との同衾を拒んだわけではないだろうが。
田鶴見子爵家で貫一のうだつの上がらない書生じみた姿を見て以来、宮はますます貫一のことが気になってしかたがない。どんな暮らしをしているのやら。同時に唯継に対する気持ちにも変化が兆す。「もとより宮は唯継を愛せざりしかど、決してこれを憎むとにはあらざりき。されど今はしも正にその念は起れるなり。自ら謂〔おも〕えらく、吾〔わが〕夫こそ当時恋と富との値〔あたい〕を知らざりし己を欺き、空〔むなし〕く輝ける富を示して、售〔う〕るべくもあらざりし恋を奪いけるよ、と悔〔くい〕の余〔あまり〕はかかる恨をも他〔ひと〕に被〔き〕せて、彼は己を過りしをば、全く夫の罪となせり」。おいおい宮さん、それは責任転嫁ではないですか。
宮の美貌にメロメロの富山唯継といえどもさすがにおもしろくない。家から足が遠のき、外で遊ぶことが多くなる。宮はそれを咎めたり責めたりはしない。唯継がなじみの芸者の名(愛子、のちほど登場)を口にしてそれとなく宮の反応をうかがっても宮は素知らぬ顔をしている。少しは嫉妬してくれないと話も始まらない。唯継がふざけてみても宮は乗ってこない。唯継のほうももはや宮の愛を期待するのは不可能。双方覚めてしまっている。仮面夫婦の誕生。
*宮の貫一宅訪問
宮は寛一に手紙で「その苦しき胸を剖〔さ〕き、その切なる誠を吐きて、世をも身をも忘れし自白」をする。貫一は読むが返事は出さない。宮は引き続き第2の手紙を出す。貫一はこれは封も開けずに燃やしてしまう。さらに第3の手紙が続く。読まない。そして第4の手紙。これも読まない。というわけで宮は計10通の手紙を送るのだがすべて梨のつぶてである。そこで彼女はどうするか。最後の手段、貫一の家へ出かける。
荒尾と名を偽って客間に上がり込んだ宮を貫一は一目見るなり追い出そうとする。しかし宮もここが頑張りどころ。「私は今日は死んでもいい意〔つもり〕でお目に掛りに来たのですから」。子亭〔はなれ〕へと引っ込んだ貫一のところまで来てその袂にすがりつき、話を聞いてくれと涙ながらに訴える。ついには、殺してください、死んでしまったほうがいいのだと叫び出す。「宮は男の手をばますます弛〔ゆる〕めず、ますます激する心の中には、夫もあらず、世間もあらずなりて、ただこの命に易〔か〕うる者を失わじと一向〔ひたぶる〕に思入るなり」。と、そこへ女中が来客の知らせを持ってくる。赤樫満枝。おもしろくなりそう。
満枝は寛一にいくらすげなくされても彼への思いを持ち続けている。そして行動する。貫一が暴漢に襲われて入院したときも貫一が迷惑顔するのなどどこ吹く風とばかりに毎日のように見舞いに訪れ、病院中の耳目を集めたほどであった。宮の意を受けて鴫沢隆三が病院を訪ねたことがあるが、隆三は、かいがいしく怪我人につき添っているこの女の素性をはかりかねるばかりであった。
貫一が鰐淵の跡を継いでからも満枝は彼のもとを訪れることしばしばである。女中の豊〔とよ〕などは手土産を欠かさない満枝に好意的である。満枝は押しかけ女房とまではいかずとも本人としては押しかけ恋人くらいのつもりなのかもしれない。もちろん貫一は依然として彼女をはねつけている。
満枝が来たと聞いた貫一は家を出て姿をくらます。ひとりとり残された宮のところへやって来たのが満枝で、ふたりの心理的決闘が始まる。初対面の彼らは相手が何者かを知るべく互いに皮肉交じりの探りを入れる。宮は満枝を貫一と内縁関係にある女ではないかと疑い、満枝は宮を貫一の愛人と決め込んで嫉妬の炎を燃やす。この勝負はしかし決着を見ずに、ふたりは別れる。夕方貫一が帰宅すると満枝だけが残って彼を待っている。
今まで貫一が満枝を相手にしなかったのは寛一が変わり者で女に興味がないからばかりだと思っていた満枝にとって状況は一変した。「ああいった美婦人を御娯〔おたのしみ〕にお持ち遊ばしていながら、世間へは偏人だ事の、一国者だ事のと、その方へ掛けては実に奇麗なお顔を遊ばして、今日の今朝まで何年が間というもの秘隠〔ひしかくし〕に隠し通していらしったお手際には、私実に驚入って一言も御座いません」。こうなったからには遠慮は無用。満枝の感情は爆発する。宮のことで貫一を責めつつ返す刀で貫一の自分に対するつれなさをなじり、詰め寄る。言葉でも十分に貫一を追い詰め、やり込めている満枝であるが、ついに感極まって煙管で貫一に打ちかかる。「こは何事と駭〔おどろ〕ける貫一は、身を避〔さく〕る暇もあらず三つ四つ撃れしが、遂に取って抑えて両手を働かせじとすれば、内俯せに引据えられたる満枝は、物をも言わで彼の股〔もも〕の辺〔あたり〕に咬付〔かみつ〕いたり。怪〔け〕しからぬ女哉〔かな〕、と怒〔いかり〕のあまりに手荒く捩放〔ねじはな〕せば、なお辛くも縋〔すが〕れるままに面〔おもて〕を擦付〔すりつ〕けて咽泣〔むせびなき〕に泣くなりき」。
窮した貫一が赤樫権三郎にすべて話しますよと言っても満枝は動じない。彼女にとって夫は「金力で無理に私を奪って、終〔つい〕にこんな体にしてしまった、謂わば私の讐〔かたき〕も同然なので。なるほど人は夫婦とも申しましょうが、私の気では何とも思っておりは致しません。そうですから、自分の好いた方に惚れて騒ぐ分は、一向差支のない独身〔ひとりみ〕も同し」なのである。「赤樫は私を恐れておりましょうとも、私ちょッともあの人を恐れてはおりませんです」。逆に今朝の婦人のことを吹聴してやると逆襲する。したたかなるは赤樫満枝。
貫一は防戦一方。満枝は一歩退いて二歩前進するといった戦法も心得ている。自分は粗忽者ではあるが、人を愛するにおいて真剣である。貫一は人間としてそれに応えるべきである。せめて自分を満足させる一言ぐらいいってくれてもいいではないか。こう迫られて貫一は最初はとぼけているが、結局は妥協の産物みたいなことを言わされてしまう。「貴方の思召は実にありがたいと思っています。私は永く記憶してこれは忘れません」。じゃ証拠を見せてくれと満枝は追い打ちをかける。追い詰める満枝と逃げる貫一。この場面は文語文の底力を感じさせるみごとな文章で締めくくられる。「驚破〔すわや〕、障子を推開きて、貫一は露けき庭に躍〔おど〕り下〔お〕りぬ。衝〔つ〕とその迹に顕れたる満枝の面〔おもて〕は、斜〔ななめ〕に葉越の月の冷き影を帯びながらなお火の如く燃えに燃えたり」。
*貫一の夢
貫一の心はよほどかきまわされたのだろう。夢を見る。満枝が宮を身動きできないように押さえつけ、こんな薄情な女は殺してしまえと短刀を取り出す。貫一がやらないのなら私がやると宮に切りかかる。二人の女がもみ合ううちに短刀が落ち、それをすばやく拾った宮に満枝が躍りかかったところを宮は一突き。「推隔〔おしへだ〕つる腋の下より後突〔うしろづき〕に、欛〔つか〕も透〔とお〕れと刺したる急所、一声号〔さけ〕びて仰反〔のけぞ〕る満枝。鮮血! 兇器! 殺傷! 死体! 乱心! 重罪!」。宮は短刀を貫一の手に握らせて私を許してくれ、そして殺してくれと懇願する。「せめて一遍の回向をして下さると思って、今わの際〔きわ〕でただ一言赦して遣るとおッしゃって下さい。・・・私はこうして前非を後悔して、貴方の前で潔く命を捨てるのも、その御詫がしたいばかりなのですから」。そして短刀の上に自分で上体を投げかける。「無残やな、振仰ぐ宮が喉〔のんど〕は血に塗〔まみ〕れて、刃の半〔なかば〕を貫けるなり」。さすがに貫一も許すと言わないわけにはいかない。「赦したぞ! もう赦した、もう堪……堪……堪忍……した!」。「抱き緊〔し〕めたる宮が顔をば紛〔はふ〕り下〔お〕つる熱湯の涙に浸して、その冷たき唇を貪り吮〔す〕いぬ」。しかし宮はここで事切れるのではなく、川に身を投げるべく走り去る。貫一は絶壁や急流といった混沌たる自然と格闘しながらあとを追うが、追いついたとき、すでに宮は溺死体となっている。宮の潔さに心揺さぶられ、己の浅はかさに絶望した貫一は自分も同じ淵に身を沈めて死のうとする。しかし宮の亡骸を背中に背負ったとたんそれは大きな白百合となる。「不思議に愕〔おどろ〕くとすれば目覚めぬ。覚むれば暁の夢なり」。
*中断された小説
夢のなかで己の生を恥じた貫一は現実世界においても己の生を恥じるようになるのだろうか。そして宮を許すのだろうか。しかし小説はもう少し進捗したところで紅葉の死により中断されてしまった。その後の展開を紅葉がどう構想していたかについて岩波書店『紅葉全集』第7巻の解題は、勝本清一郎編『金色夜叉腹案覚書』(中央公論社尾崎紅葉全集』第6巻)を借りつつ次のように推測されるとしている。
〈「情死を拯〔すく〕ひし二人」が「恩を感じて善く尽すより」「自ら心の寛なるを覚」えた貫一は、一方で、宮の悔悟に「心安んずると与〔とも〕に、漸く本善の性は出でんと」し、「憂悶して終に狂」し「全く唯継の為に棄てら」れた宮を引き取り、金貸業を閉じる。そして「宮を車に載せ帰る途に、満枝の赤樫の骨を抱きて、焼場より帰るに逢ふ」。〉
塩原温泉
上の構想のうち紅葉が実現できたのは情死を拯うところまでであった。那須塩原の温泉宿で貫一は、勤め先の金を使い込んだ男狭山がなじみの芸者愛子とともに毒を飲もうとするところを助けてやる。具体的には使い込んだ3000円と愛子の身請けに必要な800円、計3800円をポンと与えるのである。太っ腹というべきか物好きというべきか。狭山と愛子の一途な愛に貫一が感じ入ったという理由付けであるが、ちょっと無理筋ではないかと私は思う。さらに、愛子にはかねてより言いよる金持がいて、そのいやな男を愛子は嫌いきっており寄せつけないのだが、その男がなんと富山唯継。狭山が愛子を身請けするのを助けてやることはすなわち富山への復讐になるわけで、偶然も小説の方策とはいえ、うまく行きすぎの感は否めない。
貫一と宮との出会い、宮と満枝の鉢合わせ、貫一と満枝の攻防、貫一の夢。これらの連続によって盛りあがり、佳境に入った物語であるけれど、そのあとの塩原の段で急に退屈になってしまう。新聞連載がマイナスに働いたのかどうか分からないが、狭山と愛子のやり取りに多くの行を割く必要があるのか。この二人と貫一のやり取りも今ひとつ盛り上がらない。この部分は流し読みしてもさしつかえなかろう。
*宮の手紙
そして貫一を訪れて以後初めての宮の手紙。今度は寛一も読む。貫一宅訪問から帰宅した宮は心身ともにすぐれず、寝込んでしまう。日ごとに衰弱は激しく、死もまじかかと感じている彼女は改めて貫一への愛、裏切り、後悔の念を伝え、許しを切望する。文面からは彼女の苦しい息遣いが聞こえてくるようで、私たちも思わず彼女に共感する。しかし貫一にはまだ十分でないらしい。懊悩しつつではあるが彼は手紙を幾重にも引きちぎる。再び宮の手紙。生きているうちにぜひとももう一度会いたいという望みだけは叶えてほしい。死は恐ろしくはなく、このまま息を引き取ればなによりの幸せ。とはいえ、残してゆく親たちの嘆きを思い、自分がはかなく消え去った世界で自分以外の事物がなにごともなかったかのように存在し続けることを思うと、この世への未練はあるのだけれど。
この宮の手紙で小説が中断された。残念というしかない。宮が狂気へと陥り、唯継が宮を捨て、貫一のかたくなな心が解けて宮に手を差し伸べ、といった物語を紅葉の筆がどう紡ぎ出すのかをぜひ読んでみたかったところである。赤樫の遺骨を持って焼場から戻る満枝と宮につきそう貫一が出くわす場面はこの物語を締めくくるにピッタリではないだろうか。紅葉享年34。ちょっと早すぎた。

宮本 常一 愛用 に対する画像結果

この6月、NHKテレビ「100分で名著」が宮本常一『忘れられた日本人』をとりあげていた。10年以上昔に読んだ私の記憶では、かなりきわどい性的な話が出て来る本だという印象が強かった。田植えをしながら女たちがするエロ話、夜這いのときに敷居におしっこをかけて音をたてないようにする話、まだ性的に未熟な男の子と女の子が性器で遊ぶ話、馬喰が庄屋の奥さんだったかと性的関係を持つ話などがあったなと思いながら今回、テレビ番組を見ると同時に、本も読みなおしてみた。私の記憶はまちがってはいなかったけれどもかたよってはいた。
この本は必ずしも性的なトピックだけを扱っているのではない。村の意思決定機構としての寄りあい、年齢階層別に区切られた地縁共同体、隠居制度、女たちの講、相互扶助、といったことどもが記述されている。また、「日本の村々をあるいて見ると、意外なほどその若い時代に、奔放な旅をした経験をもった者が多い。村人たちはあれは世間師〔せけんし〕だといっている」として、生まれた土地を離れて大工として各地を転々とした世間師や、木挽きになって山で暮らし、その後占い師と共に日本各地を歩いた世間師などの人生を紹介している。彼らは長州征伐や西南戦争の体験者としても貴重な語り手である。故郷の周防大島宮本常一の故郷でもある)と対馬を漁船で数年にわたって行き来するうちについに対馬に定着した老人からの聞き書きなども載っていてそれぞれに興味深い。しかし、やはりおもしろいのは性に関する話であった。以下に、いくつかの箇所を抜き出し、私の感想を付け加えてみた。〈 〉は私の説明的補足。*は私の感想。

□「名倉談義」〈愛知県北設楽郡旧名倉村の古老たちによる談話、昭和31(1956)年〉
小笠原 ・・・たとえ馬鹿でも、おんなのものがよければ男は女とはなれるものではありません。それにしても女は損なものでありました。月のさわりがありますので……。あれでどれ位損をしたことか。このあたりはごへいかつぎが多うして月のさわりをやかましく言うところで、もとは一軒ごとにヒマゴヤがありました。そうしてさわりがはじまるとそこへはいって寝起きもし、かまども別にして煮炊きしたものであります。いっしょにたべたのでは家の火がけがれるといって。しかしわたしの十五歳の頃には大分すたれました。・・・このあたりでは、ヒマヤはなくなりましても、月のさわりのときは、仏様へお茶湯〔ちゃとう〕をあげることもならず、地神の藪へは十二日間もはいってはいけぬことになっていました。・・・女はヒマのときは男の下駄をはいてもいけぬことになっておりました。
・・・
後藤 ・・・夜ばいもこの頃はうわさもきかん。はァ、わしら若い時はええ娘があるときいたらどこまでもいきましたのう。美濃の恵那郡の方まで行きましたで……。さァ、三、四里はありましょう。夕はんをすまして山坂をこえて行きますのじゃ、ほんとに御苦労なことで……。・・・女の家へしのびこうで、まごまごしていると途中で夜があけたもんです。すきな娘があったかって? そりゃすきな娘がなきゃ通わないが、なァに近所の娘とあそぶだけではつまらんので……。無鉄砲なことがしてみたいので。
金田茂 今の言葉でいうとスリルというものがないと、昔でもおもしろうなかった。はァ、女と仲ようなるのは何でもない事で、通りあわせて娘に声かけて、冗談の二つ三つも言うて、相手がうけ答えをすれば気のある証拠で、夜になれば押しかけていけばよい。親は大てい納戸にねています。若い者は台所かデイ〈出居。母屋の南廂の間に設けられた部屋で客間や座敷として使われたらしい〉へねている。仕事はしやすいわけであります。音のせんように戸をあけるにはしきいへ小便すればよろしい。そうすればきしむことはありません。・・・布団の中へはいりさえすれば、今とちごうて、ずろおすなどというものをしておるわけではなし……。みなそうして遊うだもんであります。ほかにたのしみというものがないんだから。そりゃ時に悲劇というようなものもおこりますのよ、しかしそれは昔も今も変わりのない事で……。
小笠原 しうとめの嫁いじめでありますか? 昔は多かったといいますが、そういわれて見ると、この村にはなかったようで……。
・・・
金田茂 ・・・口ではよく姑の嫁いじめと言いますが、さてとなってさがしてみると案外ないもんですのう。それより嫁の姑いじめの方が多いのではないかな。
小笠原 それはある。どこの家にも大なり小なりあります。
金田金 婆さんはまた名おうてのキッチリ屋、嫁が困るという話じゃが……。
小笠原 そんなことはありません。嫁は嫁でわたしはわたしです。嫁の気に入らん事をすすめはせん。はァ、わたしは・・・今でも腰巻は日かげに乾す。・・・しかし嫁にはそうせえとは言いません。死ぬる時にはいやでも嫁の世話にならにゃァならんのに、なんで嫁の気に入らんようなことが言われましょうかいの。
*以上に引用した部分は、女性の汚れ(!)、夜ばい、嫁と姑の関係に触れていて「名倉談義」でもっとも興味深い箇所。
先日山鉾巡行のあった祇園祭長刀鉾などは女性の鉾内立ち入りは禁止のはずだし、この鉾に乗るお稚児さんの世話も男たちだけでやることになっているはずである。また、大相撲にしてもいまだに女性は土俵に上れなかったはずで、他にも女人禁制は日本全国どこにでもありそう。女性差別ではない、宗教的伝統であるなどというのは詭弁だと私は思うが。つまるところ、女は不浄だという考えを肯定しているのだから。
昔の若者は夜道を何キロも歩いて夜ばいに行かなければならないって、それなりに苦労があったのだな。ナンパそのものは手軽だったみたいだが。まあ、その先はスリルを求めて頑張ったんでしょうね。敷居に小便はやっぱりおもしろい。
姑の嫁いじめがあまりないというのはにわかには信じがたい。というのも私の母親の妹は京都中京区という京都のど真ん中の舅も姑もいる家にとついだのだが、わが家に来るとよく泣きながら姑のことを私の母に訴えていた。これを見た幼い私は姑は嫁をいじめるものだという固定観念を得てしまい、いまだにそれが頭のどこかに残っているらしい。それにしても小笠原のお婆さんが、嫁の姑いじめはどこの家にも大なり小なりあると言い、自分も死ぬときには嫁の世話になるのだから嫁の気に入らないことは言わんようにしているとむきになっているのが彼女の立場を反映しているらしくておもしろい。
どうも夜ばいというやつが気になってしかたがない。「名倉談義」のなかで別の人がしている次の話はかなり実態を伝えているのではなかろうか。夜ばいの果たしていた社会的役割がなんとなく分かる。
□「名倉談義」〈昭和32(1957)年、松沢喜一による話〉
・・・よばいは盛んでありました。気に入る娘のあるところまではさがしにいって通うたものであります。しかしなァ、みながそうしたものではありません。・・・精のつよい者もあれば弱いものもある。精のつよいものはどうしても一人ではがまんできんという者もあります。あっちの娘のところへ通うた、こっちの娘のところへ通うたというのがあります。しかし、みな十六、七になると嫁に行きますから、娘がそうたくさんの男を知るわけではありません。夜ばいを知らずに嫁にいく娘も半分はおりましたろう。若い者がよけいにかようのは、行きおくれたものか、出戻りの娘の家が多かったのであります。はいはい、よばいで夫婦になるものは女が年上であることが多うありました。それはそれでまた円満にいったものであります。はい、男がしのんでいっても親はしらん顔をしておりました。あんまり仲ようしていると、親はせきばらい位はしました。昼間は相手の親とも知りあうた仲でありますから、そうそう無茶なこともしません。

*女たちが田植えなどのときなどにするエロ話は「100分で名著」ではとりあげられなかったけれど、なぜだろう。扱いにくかったのか。思わず笑ってしまう話が多い。
□「女の世間」
「わしゃ足が大けえてのう、十三文三分をはくんじゃが……」「足の大けえもんは穴も大けえちうが……」「ありゃ、あがいなことを、わしらあまり大けえないで」「なあに、足あとの穴が大けえって言うとるのよ」「穴が大けえと、埋めるのに骨がおれるけに」「よっぽど元気のええ男でないとよう埋めまいて」「またあがいなことを……」
・・・田を植えながらの早乙女たちの話である。・・・たえずしゃべっている。その話のほとんどがこんな話である。
「この頃は田の神様も面白うなかろうの」「なしてや……」「みんなモンペをはいて田植するようになったで」「へえ?」・・・「・・・モンペをはかずにへこ(腰巻)だけじゃと下から丸見えじゃろうが田の神さまがニンマリニンマリして……」「手がつくまいにのう(仕事にならないだろう)」「誰のがええ彼のがええって見ていなさるうちに・・・やっぱり、きりょうのよしあしがあって、顔のきりょうのよしあしとはちがうげな」「そりゃそうじゃろうのう、ぶきりょうでも男にかわいがられるもんがあるけえ……」「顔のよしあしはすぐわかるが、観音様のよしあしはちょいとわからんで……」「それじゃからいうじゃないの、馬にはのって見いって」
こうした話が際限もなくつづく。
「見んされ、つい一まち(一枚)植えてしもうたろうが」「はやかったの」「そらあんた神さまがお喜びじゃで……」「わしもいんで(帰って)亭主を喜ばそうっと」
・・・
「昔、嫁にいった娘がなくなく戻ったんといの」「へえ?」「親が・・・きいたら、婿が夜になると大きな錐を下腹へもみ込うでいとうてたまらんけえ戻ったって言ったげな」「へえ」「お前は馬鹿じゃのう、痛かったらなして唾をつけんか、怪我をしたら『親の唾、親の唾』って疵口へつばをつけるとつい痛みが止まるじゃないか。それぐらいの事ァ知っちょろがって言うたんといのう」「あんたはどうじゃったの」「わしらよばいど(夜這奴)に鉢を割られてしもうて……」

*『忘れられた日本人』のなかでもっとも有名なのは「土佐源氏」であるらしいが、これもきわどい話が出て来る。橋の下の莚掛けの小屋に住む盲目の老人が子供時代から80歳を超えた現在までの一生を振り返る。まずびっくりさせられるのは、性的に未成熟な子供たちが性的な遊び(?)をするくだり。
□昔は貧乏人の子はみんな子守り奉公したもんじゃ。・・・わしら子守りのない男の子は、そういう仲間へなんとなくはいって遊うだもんじゃ。・・・雨の日にはあそぶところがない。子守りらはどこかの納屋に三、四人ずつ集まってあそびよった。そうして子供がねむりよると、おろしてむしろの上にねかして守りは守りであそぶのよ。・・・積んである藁の中へもぐったり、時にはまえをはだけて、股の大きさをくらべあわせたり、×××をくらべあわせたり、そこへ指をいれおうてキャアキャアさわぐ。おまえのも出せちうて、わしのも出させておもしろがっていろいよる。そのうちにな、年上の子守りが、「××するちうのはここへ男のをいれるのよ、おらこないだ・・・姉〔ねえ〕と若い衆がねているのを見たんじゃ。おまえもおらのにいれて見い」いうてな、わしのをいれさせた。それがわしのおなごをしったはじめじゃった。別にええものとも思わなかったし、子守りも「なんともないもんじゃの」いうて……。姉はえらいうれしがりよったがと、不審がっておった。それでもそれからあそびが一つふえたわけで、子守りたちがおらにもいれて、おらにもいれていうて、男の子はわし一人じゃで、みんなにいれてやって遊ぶようになった。
・・・そのうち年上の一人が、わしとねているとき、えらい血を出してのう。たまげたのなんの、女はないていによった(かえった)。わしはまたその子が死ぬるのじゃないかと思うて、おそろしうて、その晩は飯ものどを通らだった。あくる日・・・その子がケロッとしている。・・・「おらもう大人〔おせ〕になったんじゃ。あれは月のさわりちうもんで、大人になったしるしじゃ、じゃから、もうちかいうちに子守りはやめるんじゃ」いうて急にえらそうにいいよる。そしてのう、「もうおまえとは遊ばん」いいよる。
*こんな話を宮本が聞き取ったのは高知県の山の奥、檮原〔ゆすはら〕村。宮本の自伝『民俗学の旅』(講談社学術文庫)によれば彼が檮原を訪れたのは昭和16(1941)年1月末か2月(114頁)。「私は檮原町四万川の橋の下で、八十すぎの盲目の老人からそのライフヒストリーを聞いたのである」とある(同194頁)。しかし、「土佐源氏」は宮本の創作であるというのが現在では定説化しつつあるようで、少なくとも純粋な聞き書きでないのは確からしい。例えば橋の下の乞食というのは完全なフィクションであることが明らかになっている。そのあたりのことは井出幸男宮本常一土佐源氏の真実』(2016年3月、梟社)に詳しい。
同書はさらに「土佐源氏」の原型として『土佐乞食のいろざんげ』という小説の存在を指摘しており、その全文を資料として掲載している。これは作者不詳として青木信光編『好いおんな 6』(1982年10月、図書出版美学会)に掲載されたものである(書かれたのはそれ以前)ということだが、「土佐源氏」と文章が完全に一致する箇所が多く、私が読んだかぎりでは両者は同じ作者によるものであるとしか考えられない。「土佐源氏」を宮本常一が書いたものとするなら『土佐乞食のいろざんげ』も宮本常一が書いたものとしないと辻褄が合わない。
土佐源氏」は3回活字になっている。①雑誌『民話』11号(昭和34年8月)、②『日本残酷物語1 貧しき人々のむれ』(昭和34年11月)に「土佐檮原の乞食」というタイトルで、そして③『忘れられた日本人』(昭和35年7月)。宮本は『忘れられた日本人』のあとがきで3者の関係について、「土佐檮原の乞食」は『民話』に載せたものにもう少しつぎたしたと述べ、「ここへはそのつぎ足したものをのせる。このはなしはもうすこし長いのだが、それは男女のいとなみのはなしになるので省略した」と書いている。つぎたしたものは何か、すなわち①にはなくて②③にあるのは何かといえば、それは庄屋の奥方と仲よくなった話である。(『宮本常一土佐源氏の真実』にはすべての版の異同が示されているので参照可能)。しかもそれは、男女のいとなみの話を省略した形でつぎたしたというのである。では、省略されていない元の版はどこにあるのか。『土佐乞食のいろざんげ』以外には考えられない。次に「土佐源氏」から該当箇所の一部を引用する。
□「土佐源氏」〈庄屋の奥方の牝牛に種付けをする場面〉
・・・おかたさまは・・・牛をぴかぴかするほどみがいていた。・・・「おかたさまおかたさま、あんたのように牛を大事にする人は見たことがありません。どだい尻をなめてもええほどきれいにしておられる」「あんなこといいなさる。どんなにきれいにしても尻がなめられようか」「なめますで、なめますで、牛どうしでもなめますで。すきな女のお尻ならわたしでもなめますで」いうたら、おかたさまはまっかになってあんた向こうをむきなさった。・・・牡牛はすましたあと牝牛の尻をなめるので「それ見なされ……」というと「牛のほうが愛情が深いのか知ら」といいなさった。わしはなァその時はっと気がついた。「この方はあんまりしあわせではないのだなァ」とのう。「おかたさま、おかたさま、人間もかわりありませんで。わしなら、いくらでもおかたさまの……」。おかたさまは何もいわだった。わしの手をしっかりにぎりなさって、目へいっぱい涙をためてのう。
わしは牛の駄屋の隣の納屋の藁の中でおかたさまと寝た。
それからまァどんなことがあっても、わしはおかたさまを守ってあげねばならんと思うた。
*「おかたさまと寝た」とはえらく愛想のない書き方である。あまりにも簡単すぎる。ここに至る叙述からは、この男はおかたさまの尻をなめたのだろうと私たちが想像するに難くないのであり、あとは読み手の想像力にゆだねるこういう書き方も一つの手法であるかもしれない。他方『土佐乞食のいろざんげ』では「わしなら」以下は「わしなら、いくらでもおかたさまをかもうて、おかたさまのお尻でも、サネでもなめて、ほんまの情をうつすのじゃが」と男にはっきり言わせている。そして百数十行にわたって男と女の愛し合う様子を描写している。男がおかたさまのお尻や性器をなめたり、その他いろいろすることの過激な(?!)描写は迫力満点。真っ向勝負のポルノ小説である。それを「土佐源氏」は「わしは・・・おかたさまと寝た」の1行で片づけてしまっているのである。「男女のいとなみのはなしになるので省略した」などとすましている場合ではないだろう。これでは、どんなことがあってもおかたさまを守るという男の思いつめた心のうちは伝わってこない。取って付けたような感じは免れない。その点『土佐乞食のいろざんげ』は違う。男の気持ちがよく分かる。「土佐源氏」を読んで興味を持った人はこちらも読むべし。
なお、主人公の馬喰は庄屋の奥方以前にもう一人、山の林を管理する役人の奥さんと親しくなり心を通わせ、肉体関係を持つのだが、この女性との交わりの様子も「土佐源氏」はほのめかすだけであるのに対し、『土佐乞食のいろざんげ』は過激に描写している。また、先に引用紹介した子守りの女の子とのやりとりもずっとリアルに描かれている。まあ、『忘れられた日本人』は民俗学的な報告であるのだからポルノ小説的な要素を排除したのは当然の措置かもしれないが。それでもなお小説的要素を多分に残しているのが「土佐源氏」である。

*最後に性とは無関係な話をひとつ。「世間師(二)」でとりあげられている河内滝畑の左近熊太老人から宮本は「十三回にわたって、三百ページにして二冊になるほどの話を聞いた」。この人は12歳で鳥羽伏見の戦いを間近に経験しており、下はそれに関する記述の一部。
□〈大阪城の〉煙硝蔵がやけて二、三日たつと、〈幕府方の〉浪人者がたくさん落ちてきた。そうして百姓家へにげこむと、百姓家で着物をもらって百姓に仕度をかえて、侍の着物や刀や鉄砲をかたにおいて、蔵王峠をこえて国の方へかえっていった。百姓家では飯をたいて食わせたり、握り飯を持たせてやったりした。侍どもは東国の方の者が多かった。
和泉の野の方でも、徳川方の負けぶりは目もあてられなかった。将軍の慶喜という人がまっさきに大阪城を逃げた。安治川べりへついていた小船へ身なりのよい侍が三、四人どやどやときて、天保山の沖まで船を出してくれという。その態度が横柄なので、船頭が啖呵をきると「危急の場合じゃ、たってたのむ」というのでしぶしぶ船にのせて川を下り、天保山沖まで出ると、とまっている軍艦までいってくれという。船頭は殺されるのではないかと思って尻ごみすると、決していためつけるような事はせぬという。やっとのことで軍艦までつれていくと、船へ上った侍が、「船頭御苦労であった、わしは徳川慶喜じゃ」と言ったので、船頭はおどろいて「これはこれは公方様」と言って船板の上へ這いつくばったという。
・・・
徳川方は戦争にまけたけれどものんきであった。長州方も勝ったが、乱暴も働かなかった。それで滝畑のようなところにも、こうした噂話がつぎつぎにもたらされ、山の中にかくれていた者も出てきて、またもとの生活に戻った。
*引用箇所の最初の部分は左近老人の実際の見聞にもとづく話であろう。しかし後半部分、将軍慶喜が落ち延びるくだりは老人の経験でなく噂話である。ではこの噂話はどのような経路で『忘れられた日本人』に収録されることになったのだろうか。老人が聞いたことがあり、記憶していて、それを宮本に伝えたのだろうか。それが可能性①。しかし、宮本が他の資料を参考にして独自に補ったということも考えられる。これが可能性②。①か②かの判断はつきがたい。
「名倉談義」のように発言者の名前まで明示しての直接引用、あるいは「女の世間」の田植えの場のように発言者の名前はあげなくてもカッコつきでの会話引用の場合、調査聞き取りした人間(ここでは宮本常一)の主観が入り込む余地は小さい(取捨選択の問題があるので皆無ではない)。しかし直接引用ではなく、報告者が自分の主旨にしたがって資料を整理し、書きなおし、あるいは広がりをもたせようとした場合、主観の入り込む余地はかなりあるのではないか。「100分で名著」で解説していた民俗学者の畑中章宏さんは、民俗学聞き書きにおいては脚色して虚構化する語りが認められていると話していた。なるほどそういうことなのか。虚構性が事実性をそこなわなければいいということなのだろうか。そういえば柳田国男などは創作の要素が強く、それが魅力の一端でもあるのかな。などと思いつつ『忘れられた日本人』再読は終了。なお今日8月1日は宮本常一の誕生日(明治40年、1907年)。

□今年はフランツ・カフカ没後100年。今や世界文学のなかでもメジャーな存在となったカフカ文学である。彼の3つの長編『審判』『城』『失踪者』(あるいは『アメリカ』とも呼ばれる)まではちょっと手が出ないという人も『変身』ぐらいなら読んだことがあるのではないか。読んだことのない人でも人間が虫に変身する物語であるらしいということぐらいは知っているだろう。日本語訳もいっぱいあって、ひとつの小説作品でこれほどたくさんの日本語訳がある小説は他にないのではなかろうか。
その『変身』を読み返してみたら、おもしろかった。誰にでも楽しめると思う。ともすれば不条理とか実存とかの概念と結びつけられることの多いカフカであるが、そんなことにとらわれずに気軽に読めばよいのではないかとあらためて思った。非現実的な出来事とは裏腹にとても身近に感じられる小説である。虫の姿形は異状でグロテスクであり動作も人間のそれではないが、思考と感情はまったく人間的である。この虫はまた人間の言葉を理解する、しかし人間は彼の言葉を理解しない。こうして周囲の人間から理解されない彼は孤立するしかない。周囲の人間も彼の孤立を望んでいるわけではないのに。主人公グレーゴアの悲劇は人間でありながら人間として認められない人間の悲劇である。なお主人公の名はグレゴールとされることが多いが、ドイツ語音に近いグレーゴアと表記する。

□まず冒頭で変身という異常な事態の起こったことが明らかにされる。「グレーゴア・ザムザがある朝不穏な夢から目覚めると、ベッドの中で巨大な虫に変身していた」。ドイツ語原文ではこの1文のなかにunで始まる単語が3つも使われていて目を引く。unruhig(不穏な)、ungeheuer(巨大な)、Ungeziefer(虫)。Ungzieferは小学館独和大辞典では「⦅集合的に⦆有害小動物(ネズミ・ゴキブリ・ノミ・シラミ・ナンキンムシなど、(特に:)害虫」となっている。翻訳では「毒虫」とか「害虫」と訳されることが多い。多和田葉子訳では「ウンゲツィーファー」とドイツ語をそのままカタカナ表記し、直後に括弧して「(生け贄にできないほど汚れた動物あるいは虫)」と説明している。この説明はドイツ語の辞書、例えばDudenなどにはちゃんと載っている。また形容詞ungeheuerは古い用法で「気味の悪い」という意味もあり、さらに名詞Ungeheuerもあって、これは「怪物」という意味である。「巨大な虫」ですまさず「ばけもののようなウンゲツィーファー(生け贄にできないほど汚れた動物あるいは虫)」とあえて説明文になるのを辞さない多和田訳は原文の意味を忠実にすくい取ろうとしたものだろう。
さてグレーゴアが変身した虫はどんな虫だったのか。まずは形態。ベッドから出ようともがいたり、用箪笥につかまって立ち上がろうとしたり、椅子にしがみついて立っていたりするところから判断すれば大きさは人間くらいと考えられる。背中は鎧のように固く、腹は褐色でアーチ状に丸くふくらんでおり、その上を幾筋もの弓状の支えのような筋が左右に走っている。腹のてっぺんが痒いので仰向けのグレーゴアが頭を上げて見てみると白い粒々に覆われている。一本の脚で触ってみたがゾッと寒気がし、その脚をあわてて引っ込めた。グレーゴアはこの粒々が何なのかよく分からないが、その点は私たち読者も同じである。虫の体の一部なのか、虫に寄生している何かなのか。ちょっと不気味である。脚はたくさんの細かな脚がモゾモゾうごめいているだけで、太くて体をまっすぐ支えるような脚はついていない。後で分かるのだが、この脚の裏からは粘着性の液が分泌する。
そんな虫に変身した人間はどう反応するのか。グレーゴアは驚かない。「おれの身に何があったのか」といぶかしがりはするが、それから彼が考えるのは人間としての自己の身の上に関することである。布地の外勤セールスマンとして働くことのつらさ、しんどさ。社長に対する不平不満。もとはといえば親の借金を返済するために苦労しているという事情など。この鬱屈した思いはごく普通の人間のそれであって、虫の悩み、あるいは虫になった人間の悩みではない。
グレーゴアの人間的思考はどんどん続く。目覚まし時計を見ると6時半である。4時にセットしたはずなのに鳴らなかったのか。予定していた5時の汽車に乗り遅れた。急げば次の7時の汽車には乗れるだろうか。商品見本もまだ箱詰めしていないが。7時の汽車に乗ったとしても5時の汽車をのがしたことで社長の雷が落ちるのは避けられないだろう。病気だということにしてはどうか。いやだめだ。社長は健康保険医を連れてきておれを診察させるだろう。そもそも健康保険医にとってこの世には元気なくせに仕事嫌いの人間しか存在しないのだ。
このようにグレーゴアが寝坊したサラリーマンの悩みを思い悩んでいると母親が扉をノックする。6時45分。出かけなくていいのかしらというわけである。返事しようとしたグレーゴアは自分の声が変なのに気がつく。押し殺すようで苦し気なピーピーいう音が混じっているのである。さすがにまずいと思ったグレーゴアは「はい、はい、ありがとうお母さん、もう起きます」とだけ答える。母親は変に思わなかったらしい。続いて扉をノックした父親と妹に対しても「もうオーケーですよ」とだけ手短にすませるのだが、父親はごまかせても、妹は何か異常を感じたようである。「グレーゴア、開けてちょうだい、お願いだから」と小声で言う。でも彼は開けない。なお旅の習慣から彼は自宅で寝るときも自室の扉すべてに鍵をかけているのでる。
さしあたって彼は静かに誰にも邪魔されず起きて、服を身につけ、なによりも朝ご飯を食べるつもりでいる。これまでも寝相がよくなくて体が痛んだが、起きると思い過ごしでしかなかったと分かることがあったし、今度もその類であろう。今の空想も消えて失せるだろう。声が変なのも旅の多い外勤セールスマンにありがちな風邪のせいだろう。「そのことを彼はいささかも疑っていない」。このあたり、グレーゴアは自分が虫の姿をしていることの非日常性にまだ気づいていないようである。
まずはベッドから出なければならないが、これが簡単ではない。あれこれもがいているうちに下半身をベッドの下側の支柱にぶつけ、その灼けるような痛みで下半身が最も敏感な部分であることを知る。そこは固い甲羅におおわれていなくてブヨブヨなのだろう。虫の気味悪さが増す。
グレーゴアがベッドからの意図せざる脱出に成功するのは、7時10分になって会社の支配人がやって来てからである。たった2,3時間仕事に遅れている社員の様子を知るためなら見習いの小僧を尋ねによこせばすむだけではないか。いやそもそも様子を問い合わせることさえよけいなことではないか。必要だとしてもわざわざ支配人が出向いてきて、家族まで巻き込んで大騒ぎをすることはなかろう。このように腹を立てた彼は興奮のあまりベッドから転がり落ちるのである。さらに、ここぞとばかりに扉ごしに彼の営業成績不振などを攻撃する支配人に対して、自分の声がおかしいかもしれないことを忘れて夢中で反論する。それを聞いた支配人は「一言でも理解できましたか」と両親に尋ねる。母親はうろたえて、たぶん重い病気なのだと息子を弁護する。彼女もグレーゴアの言葉を理解できなかったのである。「動物の声ですよ」と支配人ははっきり言う。
次にグレーゴアがやるべきは扉を鍵で開けることである。しかし彼は体を垂直に支えてくれる脚もなく、鍵を握る手もない。口には歯もないが顎が丈夫なのでそれで鍵をくわえ、扉にもたれながら鍵穴に差し込んだ鍵をまわすしかない。鍵は作業の対象であると同時に彼の体を支える足場でもある。鍵をまわしながら鍵にぶら下がってダンスをする様子は悲惨かつ滑稽としか形容のしようがない。「鍵の回転が進むにつれて彼は鍵穴のまわりを踊った」。こういう描写をするカフカはサディストでありユーモリストである。傷ついた口から褐色の液が流れ出し、鍵の上をつたわり床にしたたり落ちる。虫の気味悪さがまたまたよみがえる。虫の血は褐色なのか。
最初は声でグレーゴアの異常を感じていた人たちも扉が開けられて虫が姿を現すともちろんびっくりする。といっても悲鳴をあげて逃げまどうというのではなくて、むしろ腰を抜かしたというべきか。支配人はゆっくりとあとずさりし、母親はその場でへたり込み、父親は手で目をおおって泣き出す。なお妹は先刻母の言いつけで医者を呼びに行っていてこの場には不在。グレーゴアはただひとり冷静なのは自分だけだと考え、「すぐに服を着て、商品見本を荷造りして、出かけます」などと言っている(これってほんとうに冷静なのか?)。そしてクビになることを恐れ、自分の立場(職業上のであり、虫としてのではない)を理解してくれるように、社長にもとりなしてくれるように支配人をかき口説く。もちろん彼の言ってることは誰にも理解できない。
やがて脚が下に向いた普通の姿勢になったグレーゴアがみんなのほうへ近づいてゆくと、支配人は今度こそとばかり一目散に逃げだし、母親は恐怖のあまり絶叫し、父親はステッキと新聞紙をふりまわしてグレーゴアを彼の部屋へ追い返そうとする。グレーゴアは部屋に戻ろうとするのだが、狭い扉口で斜めにひっかかった虫の片方の脇腹はすりむけ、白い扉には汚い斑点が付着する。最後に父親が後ろから強く押し(手で押したのかステッキで一撃加えたのかは書かれてはいないが、手で押したとは考えにくい)、虫はひどく出血しながら部屋のなかにすっ飛んで入った。というところで第1章が終わる(全3章)。以上はグレーゴアが目ざめてから1時間そこそこの出来事である。

□変身した日の夕刻、グレーゴアが失神によく似た眠り(よほど疲労困憊していたのか)から目覚めると、ちぎった白パンを浮かべたミルクが部屋のなかにある。兄の好みを知っている妹が置いておいてくれたものらしい。しかし彼の味覚はこのミルクに拒絶反応を起こす。翌日、妹が試しに持ち込んだいろんな食べ物のなかからグレーゴアが選び取ったのは、2日前には食べられるもんかとはねつけたチーズ、半分腐った野菜、晩御飯の残りの骨にくっついて固まったホワイトソースであった。新鮮な食べ物は匂いさえ我慢できない。いよいよ本物の虫になったのか。さらに前日の傷が完全に治っているとあっては下等生物の生命力さえ感じさせるではないか。ここまでくると、ついにグレーゴアも自分が虫になったことを受け入れざるをえない。起きて服を着てなどとはもう考えたりはしない。家族にいやな思いをさせないことが今や彼の関心事である。ソファの下がもっとも快適な居場所兼隠れ場所となる。妹が食べ物の世話で部屋を出入りするさいにはグレーゴアはソファの下にもぐり込んで姿を見せないようにする 。
しかしあるとき(変身から1ヶ月後)、妹が部屋に入って来るのがいつもより早すぎ、グレーゴアが椅子で体を支えつつ窓にしがみついて外を眺めているところに出くわしてしまう。彼女は驚いて部屋を飛び出す。妹が虫になった兄の姿全体を見るのはこれが初めてである。今まではソファの下から覗く顔か体の一部が視界に入ってもひるまずに食事の世話や掃除をやってくれていた。しかしそれもほんとうは耐えがたいことに違いなかったのだとグレーゴアは思い至り、以後、完全に身を隠すためにリンネルでソファを完全におおってしまう。
さらにその1ヶ月後。グレーゴアはその間に壁や天井を這いまわることをおぼえ、気晴らしとしていた。壁や天井のあちこちに付着した粘液の跡から兄の散歩に気がついた妹は、家具類を部屋から運び出して、這いまわる空間を広げてやろうと考える。家具を移動させるのに母親の助けを借りることにする。母親が家具は置いたままにしておいてグレーゴアが元に戻るのを待つべきではないかという願望を捨てきれないでいるのに対し、妹はソファ以外のすべての家具をどけてしまおうと主張する。彼女は兄が人間に戻るという期待はもっていないのである。彼女の意見がとおる。なんといってもずっとグレーゴアの世話をしているのは彼女なのであり、グレーゴアのことを理解しているのも彼女なのであり、裁量権は彼女にある。グレーゴアは母親に共感し、家具は元のままにしておいてほしいと思う。しかし用箪笥はすでに運び出されてしまった。今度は小学校から商業専門学校に至るまで慣れ親しんだ机がガタガタと揺さぶられている。パタパタという女たちの足音。彼は自制心を失い、ソファの下からいきおいよく飛び出す。女たちは隣室で机にもたれて一息ついている。
まず何を救うべきかとグレーゴアが思案していると目にとまったのが壁に掛っている肖像画。これは小説の冒頭、グレーゴアの部屋の描写ですでに登場していておなじみのもの。毛皮の帽子と毛皮の襟巻をまとい、肘から先を毛皮のマフに突っ込んで見る人のほうへ差し上げている婦人の肖像画で、グレーゴアがグラフ雑誌から切り抜き、自作の金色に塗った額縁にはめ込んだものである。彼が今、壁を這い上がってその絵のガラスに体を押しつけるとガラスはぴったりと張り付き、熱い腹に気持ちよかった。この絵だけは誰ももって行かないだろう。というのだが、2回も登場するこの絵はいったい何なのか。グレーゴア(そして作者)の執着は尋常ではない。性的に誘惑する女? よく分からない。
とにかく、この行動によってグレーゴアは母親と妹に自分の姿をモロにさらすことになる。ただでさえ気味悪い虫が花模様の壁紙にピッタリ張り付いた巨大な褐色の斑点と化しているのである。母親は気絶する。無理もない。気つけ薬を取りに隣室へ駆け込んだ妹を追ってグレーゴアも隣室へ向かうが、彼に何かができるわけではない。彼が後ろに立っているのにびっくりした妹が落とした薬瓶の破片で顔を怪我し、母親の所へ戻って行った妹が足で閉めた扉の前でひとり取り残され、自責の念と不安にさいなまれ、家具、壁、天井などすべてのものの上を這いまわるという有様(グレーゴアの気持ちはよく分かる。足で扉を閉める妹の気持ちも分かる)。部屋中がぐるぐる回転し始め、彼は絶望的になって天井から机の上に落下する。
はっきり書かれてはいないが、もしかしたら少しのあいだ気を失っていたのかもしれない。すくなくとも茫然自失ではあったろう。彼がぐったりしているところへ父親が帰って来る。妹のグレーテから報告を聞いて部屋に入ってくるなり叫んだ彼の声は怒っていると同時に喜んでいるかのような調子である。喜ぶ理由が父親にあるとすれば、自分の予想どおりに事態が展開したことへの満足なのだろうか(「わしの思ったとおりだ」「いつも言っていたのにお前たち女は聞こうとしないのだから」)。しかしそれよりも驚くべきは彼の変身ぶりである。かつてのヨボヨボで、もの言うのも大儀そうでノロノロとしか歩けない覇気を欠いた老人とはうって変わって溌剌とした現役勤め人の様子。銀行の用務員が着るような金ボタンのついた紺色の制服に身を包み、体をまっすぐ起こし、カラーの上には二重顎が突き出て、髪の毛はきっちりと分けられ、眼差しは生気にあふれているといった具合。
そんな父親は何をするか。グレーゴアに向ってリンゴを投げる。ポケットに詰め込んだリンゴで彼を爆撃(bombardieren)する。「小さな赤いリンゴたちは帯電したかのように床のうえを転げまわり、互いにぶつかり合った」というのだからそうとう多くのリンゴが投げられたらしい。そのうちのひとつがグレーゴアに命中し、背中にめり込む。この虫の背中は鎧のように固いはずなのでこのリンゴはよほど強い力で発射されたと考えねばならない。リンゴといえばアダムが食べて天国を追放された禁断の木の実がすぐ頭に浮かび、ここでもリンゴは罪とか追放と関係があるのではと勘ぐりたくなるが、私はむしろリンゴは砲弾であると、イメージに素直な理解をしたい。
グレーゴアはすべての感覚がすっかりおかしくなり、その場に釘づけにされたような感覚のなかで長く伸びてしまう。目も見えなくなりつつある状態で彼が最後に見たのは失神からさめて彼の部屋から飛び出してくる母親である。呼吸をらくにすべくグレーテが服を脱がしていたために下着姿のままの彼女は、父親に息子の命ごいをするのだが、その様子の描写が奇妙で気になる。「彼女は父親に襲いかかり彼を腕で抱きしめ、彼とすっかり一体になって ―ただしこのときグレーゴアの視力は利かなくなっていたのだが― 両手を父親の後頭部にあててグレーゴアの命を助けてと言った」。とりわけ「彼とすっかり一体になって」の部分。レクラム文庫『変身、注釈とドキュメント』ではここをエディプス・コンプレックス的に解釈し、母親をめぐる父親との争いにおける敗北がグレーゴアの視点からは両親の性的結びつきとして経験されるとしている。当らずといえども遠からずか。ともあれここで第2章が終わる。

□リンゴを被弾してから1カ月以上たってもリンゴはグレーゴアの背中に食い込んだままである。これを見ては「父親でさえ、グレーゴアがその痛ましくもおぞましい姿にもかかわらず家族の一員であり、敵のように扱ってはならず、嫌悪の情を押し殺して、ひたすら忍耐づよく接するのが家族としての義務の命ずるところであるということを思い出したようにみえる」。
グレーゴアは以前から視力も衰え、食べ物にも手をつけないことが多くなっていたのだが、今では体を動かすことさえままならぬ状態であり、部屋を横ぎるのにも老いた傷病兵(!)のように何分も何分もかかるという弱りよう。壁や天井を這いまわる楽しみなどは問題外である。そんな彼にとって慰みは、彼の部屋と家族のいる居間とを隔てる扉が晩になると開いたままにしておかれることである。ほとんど動けないグレーゴアは家族にとってもはや恐怖の対象ではなく、憐憫の、穏当な言い方をすれば思いやりの対象となったのだろう。暗い部屋に身をひそめ(もうソファの下にもぐり込んで姿を隠す必要はないらしい)、灯りに照らされたテーブルのわきの両親と妹の姿を見ながら過ごせるのが衰弱と交換に得た彼の喜び。
とはいえ、彼の目にするのは一家団らんというのとは少し違う。父親は夕食後すぐ肘掛け椅子のうえで眠ってしまう。用務員の仕事で疲れているということか。母親はブティックのランジェリーを縫っている。内職か。店員の職についている妹はキャリアアップのために速記とフランス語を勉強している。彼らはあまりしゃべらない。父親は家でも用務員の制服を着たままである。いつ何時でも仕事にとりかかれるようにスタンバイして、上役の命令を待っているかのように。常時出動態勢というのは軍隊だが、父親はこのあたり兵隊じみた自負でもあるのか。10時を過ぎると母親とグレーテは父親を寝に行かそうとするが、頑固な父親に手を焼く。ふたりは両脇から彼を支えて寝室へつれてゆかねばならない。彼の決まり文句は「これが人生さ。これがわしのやすらかな老後というわけさ」。ちょっぴりすねている。ここでの父親の様子はグレーゴアにリンゴを投げつけたときとはうって変わって、再び弱々しい老人のそれである。
家族の姿をかいま見るということはグレーゴアにとって慰みであったはずなのだが、彼等の現状を知るにつれてむしろ彼は精神的に苦しむことになる。「世間が貧しい人々から要求することを彼らはとことん果たしていた。父親は下っ端の銀行員のために朝食の使い走りをし、母親は赤の他人のランジェリーを身を粉にして縫い、妹は客の命じるままに陳列台の後ろをあちこち駆けずりまわった」。父親を寝かしつけたあと、閉ざされた扉の向こうの居間で母親と妹は涙にくれたり、テーブルを見つめたりして過ごす。暗闇に独りうずくまるグレーゴアの背中の傷は今受けたかのように疼き始める。かつてハレの日などに母親やグレーテの身を飾って彼らをウキウキさせた装飾品の類が売られたということも、いくらで売れたなどという会話から知らずにはすまない。日本ならさしずめ母と妹が帯と着物を質に入れたのを聞いて自分のふがいなさに切歯扼腕する兄というようなことになるのか。
また、今となっては身分不相応であるこの家も引っ越して家賃を切り詰めたいところであるが、グレーゴアをどう運搬するかがネックとなって家族には踏ん切りがつかない(というようなことを家族は話しているのだろう)。しかしグレーゴアは引っ越しできないほんとうの理由が自分でないことを見抜いている。いくつか空気穴をあけた適当な箱に自分を詰めて運んでくれればいいだけなのだから。「家族を主として転居から遠ざけているのはむしろ完全な絶望感と、自分たちがすべての親せきや知人の誰もが経験したことのないような不幸に襲われたという考えであった」。大きな不幸や災害に出会うと、それらとは無関係な事でやるべき事があっても、不可能と決めつけ、それを不幸や災害のせい(だから自分の責任ではない)にして現状放置するという心理は人間にありがちかもしれない。グレーゴアにしてみれば、何でもかんでもおれのせいにしないでくれよと言いたいところだろう。
グレーゴアの思いと家族のそれとのあいだのすれ違いはだんだん大きくなってくる。それぞれ自分の生活に追われている家族としては虫の世話をする余裕など心理的にも時間的にもあるはずがないといえないことはないのだが。虫になったグレーゴアに対してもともと「嫌悪の情を押し殺して、ひたすら忍耐づよく接するのが家族としての義務」としか考えていなかった父親はともかくとして、決定的なのは妹グレーテの変身(!)である。当初はけなげに兄の世話をしていた妹はここに至って介護放棄とまではいえないにしてもそれに近いやり方で虫の世話をする(あるいは、しない)のである。最初みられた思いやりなどどこへやら打ちやって、今では何がグレーゴアの気にいるだろうかと考えることもなく、ありあわせの食べ物を仕事に行く前にグレーゴアの部屋に足で押し込み、帰宅後、ちゃんと食べたかどうかなどとは気にかけずに残りを箒で掃き出すというぞんざいさ。グレーゴアはほとんど手をつけずに残すことが多いのだが、妹はそれも気にする様子はない。掃除も同じくきわめていい加減で、これ以上早くはできないほどにてっとりばやくすませててしまう。部屋中ゴミや汚物だらけになっている。
ここで興味深いのはグレーテの心理。あるとき母親が見かねたのだろうか、グレーテの知らないうちににグレーゴアの部屋の大掃除をやってのけた。夜これを知ったグレーテは母親に食ってかかる。「ひどく感情を害して居間にかけ込み、母親が頼むようにと両手を高くかざしているにもかかわらず、わっとばかりに泣きじゃくり始めた。・・・父親は右側の母親にむかって、グレーゴアの部屋の掃除を妹に任せておかなかったといって責め、左側の妹にむかって、お前は今後二度とグレーゴアの部屋を掃除する必要なんかないと怒鳴りつけた。そんななかで母親は興奮のあまり我を忘れた父親を寝室へ引っ張っていこうとし、妹はすすり泣きに身を震わせながら小さな両手のこぶしで机をたたいていた。グレーゴアは、誰も扉を閉めようと思いついて、こんな光景と大騒ぎを見なくてすむようにしてくれなかったことにひどく腹を立て、シュッシュッと大きな音をたてた」。こんな修羅場を見せられたグレーゴアはたまったものではない。腹を立てるだけではすまないだろう。おれさえいなければ、という気持ちにもなるのではないか。それにしても兄の部屋を誰にも掃除させないぞというグレーテの心理は屈折している。心理学ではこの種のヒステリーに対してしゃれた呼び名があるのかもしれないが。

□物語も終わり近くになって奇妙な人物が登場する。1人は家政婦で、もう1組は3人の間借り人。家計費を抑えるべく住み込みの女中は解雇し、今では家政婦が日勤でやって来てしんどい仕事を片づけている。彼女は年寄りの大柄な寡婦で「がっしりした骨格のおかげでどんなひどい事でも乗り越えてきたらしい」という説明がある。ひどい事の内容は不明だが、社会の底辺で辛い仕事をやって生き延びてきたと推測して間違いはなかろう。悲惨なこともたっぷり経験してきたのだろう。彼女の生きてきた世界では人間が虫になるような不幸など珍しいことではないのかもしれないし、怖くもなんともない。この虫に彼女はMistkäfer(草食動物の糞を食べる甲虫類のことで、日本語版では「かぶと虫」「馬糞虫」「糞虫」「フンコロガシ」などと訳されている)と呼びかけ、からかったりする。Ungezieferではないのである。
3人の間借り人のほうはどうか。彼らはまじめで、3人とも顏一面に髭を生やし、いつも3人いっしょに行動する。最初にしゃべったり行動するのは真ん中の男で、あとの2人はそれに機械的に従うだけ。整理整頓に口うるさく、それも自分たちの借りている部屋だけでなく、家全体、とくに台所の整理整頓を気にかけている。杓子定規の形式主義者と考えればよいか。彼らは自分の調度類も持ちこんできたのでこの家には不要な家具や道具があふれ、それらはグレーゴアの部屋にどんどん運び込まれて、そこは物置然となる。かつてグレーゴアの散歩のためにこの部屋から家具が運び出されたのとちょうど反対になってしまったのである。整理好きの下宿人のためにグレーゴアの部屋は無秩序の支配下におかれる。そしてグレーゴア自身も不用品と化す。
ある夜、間借り人たちが居間で夕食を終えて休憩していたとき、台所からグレーテの弾くバイオリンの音が聞こえてくる。真ん中の間借り人が勧めるままにグレーテは父親母親ともども居間にやって来て3人の前で演奏する。しかし間借り人たちはすぐに演奏への興味をなくし、窓際に退いて葉巻をモクモクとやる。おとなしくしているのは礼儀上やむを得ないからでしかない。逆に家族は演奏にすっかり引き込まれる。なかでもグレーゴアは夢中になって自室の暗闇から這い出し、埃まみれの体を引きずって居間へと入っていく。いつもなら閉ざされている両方の部屋を仕切る扉をこの夜は家政婦が少し開いたままにしておいたのである。顔を斜めにかしげて楽譜を追っている妹の視線をとらえるべくグレーゴアは顏を床すれすれに近づける。「音楽が彼をこんなにも魅了するのだから彼は動物なのだろうか」。この文章は結論部が「彼は動物なのだろうか」と疑問形になっているために2つの解釈を許す。「そうだ動物だ」「いや動物ではない(やはり人間だ)」。動物こそ音楽を理解するのだという皮肉な見方に立てば前者を採用したくなるが、私は後者の反語的解釈を取る。確証はない。物語全体の流れからしてグレーゴアが人間であることを常に視野に入れておきたいからである。
グレーゴアは妹のところまで突進し、スカートを引っ張って、バイオリンを持って自分の部屋に来てほしいと告げようとする。だって居間にいる誰も彼のようには彼女のバイオリン演奏を理解し賞賛していないではないか。「おれは妹をもう部屋から出さない。少なくともおれが生きているあいだは。恐ろしい姿が初めて役に立つわけだ。おれは部屋のすべての戸口に同時にいて、攻撃してくるやつに息を吹きかけてやろう」。ここを読んで私は思わずワーグナーの『二ーベルングの指環』を思い出した。ファーフナーが怪物に変身して洞窟に隠した財宝と指環を守ろうとし、宝を奪おうとする者には毒を吹きかけるというのにそっくりではないか。さらにグレーゴアの近親相姦的な妄想は続く。妹はソファのうえ、おれの横にすわらせよう。耳をおれのほうに傾けて。そしたらおれは妹を音楽学校に進学させるつもりでいたことを話そう。今度の不幸が起こらなければクリスマスにそうして驚かせるつもりだったのだが。妹は感動のあまりわっと泣き出すだろう。おれは彼女の肩まで体を持ちあげて首筋にキスをしよう。
しかし妄想もここまで。まず間借り人たちが虫に気づく。あとは大騒ぎで、間借り人たちはこれまでの家賃の支払い拒否および契約解除を告げ、さらには賠償請求さえちらつかせる。そんな彼らが居間を出ていったあと、ついに決定的な瞬間がやって来る。グレーテの残酷で現実的な宣告。「〈親愛なるご両親〉と妹は言って、開始の合図に手で机をたたいた。〈ひょっとしてあなたたちがよく見えないというなら私がしっかり見ます。私はこの怪物を前にして兄の名前を口にするつもりはありません。そして次のように言うだけです。我々はこれと手を切るようにしなければならない。我々は人間としてできることはやってきました。これを世話し、我慢してきたのです。なんびとも我々をいささかなりとも非難することはできないと私は信じます〉」。
冒頭の「親愛なるご両親(Liebe Eltern)」は普通の会話で使う呼びかけなのだろうか。私はドイツ語の語感に関して自信はないが、どうも違う気がしてならない。手紙の受信者とか演説の聴衆への呼び掛けのようにしか聞こえない。続いて机をたたくのを演説のポーズととってもあながち牽強付会とはいえまい。グレーテは演説し宣言しているのである。彼女が当初兄として世話してきた虫は今では怪物(Untier)でしかない。それに応じて彼女は「これ(es)」という代名詞を使う。父親はまだ「彼(er)」を使い、彼が私たちの言うことを理解できたらなどと言っているのに対して妹のほうは決然としている。「〈これはいなくなるべきなのです〉と妹は叫んだ。〈それしかないの、お父さん。あなたはとにかくこれがグレーゴアだという考えを捨てなくてはならないの。長いあいだこれがグレーゴアだと信じてきたことが私たちの元々の不幸なのよ。だけどどんなにしてこれがグレーゴアなんてことがありえるの。これがもしグレーゴアだったらとっくの昔に、人間がこんな動物と一緒に暮らすことが不可能だって分かってくれたはずだし、自分からどっかへ行ってしまったでしょう。そしたら私たちに兄さんはいなくなるけれど、これからずっと生き続けるかぎり兄さんのことを尊敬の念をもって思い出したでしょう。なのにこの動物は私たちを迫害したり下宿人を追い出したりで、きっとこの家全体を乗っ取り、私たちをホームレスにするつもりなのよ」。取りつく島もない。もっとも献身的にグレーゴアの世話をしてきた妹であるからこそこれほどきついことも言えるのだろう。ついさっきグレーゴアが夢想していたグレーテとは大違い。首筋にキスなんかさせてくれそうにない。
グレーゴアは自分の部屋へ戻ろうとする。最近ではほとんど眠らず、ほとんど食べずにいる彼の体は衰弱しきっており、方向転換して自分の部屋まで這っていくだけでも大変な苦労である。戸口で彼は振り返るが、首が硬直したように感じて頭を完全に後ろに向けることはできない。このあたり、死を予感させる。彼が最後に見たのは眠り込んでしまっている母親であった。体力ほぼ消耗状態の彼が部屋に入るやいなや妹が後ろから飛んできて扉を閉め、かんぬきをかけ、彼を閉じこめてしまう。
暗い部屋のなかでグレーゴアはもう動くことができない。体中が痛むが、それもだんだんらくになってきていてまもなく消え去るだろう。背中の腐ったリンゴも、その周辺の埃におおわれた炎症もほとんど感じない。彼は感動と愛をもって家族のことを思い返す。自分が姿を消すべきだとの思いはもしかしたら妹よりも強烈かもしれない。彼が何を考えるでもなく穏やかな物思いにとらわれていると塔の時計が3時を打ち、屋外は少し明るくなってくる。彼の頭がガックリと落ち込み、鼻の穴から最後の息がかすかに流れ出た。と、このようにグレーゴアは死ぬのだが、ここは心に残る場面である。ここを読むと私はホッとする。これからはグレーゴアは人間社会の桎梏に苦しめられることもない。彼が死によってようやく救われたと認めないわけにはいかない。感動と愛をもって家族を思い返すなどは少々感動的でさえある。彼にリンゴの砲弾を投げつけた父親、いつもおろおろしていた母親、思いやりと憎しみで彼を愛してくれた妹。彼らは特別変わった人々ではない。家族の誰かがある日虫に変身したら、たいていの人間は彼らと同じような態度をとるのではなかろうか。などといえば、虫に変身するなんて現実にはあり得ないのだからそんなあほな話は無意味だといわれそうだが、私はグレーゴアの物語はありふれた話だと思っている。誰でも虫になるかもしれない。私でもあなたでも家族の誰かでも。虫になったグレーゴアが死に際して家族のことを恨むのでなく、感動と愛とをもって追想するのは、死が彼にとって救いであったのとはまた違った意味で私たち(生き続けなければならない私たち)にとって救いなのではないだろうか。
夜が明けて家政婦がやって来てグレーゴアが死んでいるのを見つけ、大声でふれまわる。「すっかりくたばってますよ」。すぐに皆はグレーゴアの部屋へとやって来る。寝ているのを起こされた父親は掛け毛布を背中にかけ、母親は寝間着姿であるが、グレーテは服を着ている。どうもゆうべは寝ていないらしい。その証拠に彼女の顏は青ざめている。昨夜あんなにもきっぱりとグレーゴアを拒否した自分の言葉に苦しんだらしいということがうかがわれる。かといって「我々はこれと手を切るようにしなければならない」という彼女の叫びが嘘であったともいえない。それも本心である。一方で兄をいとおしむ気持ち、他方で虫になった兄を捨てなければならないという現実的判断、このどちらもが彼女の心の真実であろう。同じことは両親にもある程度あてはまる。父親の「これで我々は神に感謝できる」という言葉はこれだけを素直に解釈すれば、グレーゴアを死なせてくれてありがとう神さま、といっているようで冷酷に聞こえる。でも、いったん寝室へ引っ込み、しばらくして出てきた親子3人は全員少し目を泣きはらしていた、とある。近親者の死を神に感謝するというのは一義的ではないのだろうと、神とつきあいのない私などは思うのみ。この世の地獄を去り、天国へと迎えられる死者こそ幸いなるかな、かな?
虫の死体の処分については家政婦が自発的に買って出てくれた。食べ物をほとんど取っていなかった虫は「くたばった」今となっては干からびて薄っぺらい物(家政婦はZeug「もの、がらくた、あれ」と呼ぶ)に変身(!)してしまっている。片づけるのも造作ないのだろう。3人の間借り人も追い出し、身も心も軽くなった親子は今日は仕事を休み、郊外へ出かけることにする。何ヶ月もやっていなかった親子そろっての外出。彼らはそれぞれの仕事について語りあう。それもかつてなかったことである。3人のそれぞれの職場における展望も悪くなさそうで、彼らの未来は明るい。ということなのだが、キャリアアップを模索しているグレーテはともかくとして、父親と母親の職業的未来が明るいとはどうしても思えない。彼らの夢想にすぎないのではないか。でも生きていくうえで夢想もまた大事ではある。
「そのように話しあっている途中、ザムザ夫妻はますます生きいきとしてくる娘を見ていると、彼女が最近、あれこれ世話に追われ、おかげで頬も青ざめていたのだが、それでも花咲くように美しい肉づきのいい乙女になっていたことにふたり同時に気づくのであった。口数少なくなりながら、ほとんど無意識に目と目を見かわして彼らは、今や娘にもいい人を探してやるべき時だと考えた。目的地に着いて真っ先に娘が立ち上がり、若々しい肢体を伸ばしたとき、彼らにはそれが自分たちの新たな夢と良き計画を保証してくれるもののようであった」。こうしてグレーゴアの見た不穏な夢で始まった物語は家族の見た新たな夢で終わる。新たな夢は実現するかもしれないし、実現しないかもしれない。もしかして不穏な夢になるかもしれないし、ならないかもしれない。それはカフカにも分からないし、私たちにも分からない。

4月29日。京都市の蹴上浄水場ツツジの季節に合わせて行う一般公開の最終日。見るのはこれが初めて。蹴上という地名は、源義経金売吉次とともに奥州に向ったおりに美濃の武士のひとりが湧水を蹴り上げたことが原因で争いになったことに由来するという、なんだかあまりよく分からない説明が辞典に載っている。ま、由来はさておき、ここは京都と大津を行き来するさいによく通過する場所であるが、片側に浄水場を見ながら通り過ぎるだけで、止まることのない場所である。市営地下鉄の蹴上駅も降りたりすることのない駅である。この駅の改札を通り抜けたのも今回が初めて。
さて、その地下鉄の駅から出ると目の前が浄水場。たくさんの人。でも敷地が広いので雑踏ではない。けっこうな高低差があり、急な階段もあり、ちょっとしんどい。☟

☟最高地点の広場からの眺め。北東の方角には南禅寺が見える。☟少し左には黒谷、金戒光明寺

浄水場を出ると東側にはインクライン。かつて、台車に船を載せて水位の高低差をカバーした。私はここを歩くのも初めて。

インクラインを下まで来ると琵琶湖疎水記念館。入場無料。☟かつて蹴上には発電所もあり、そこで活躍した発電機。☟記念館のテラスからの疎水の眺め。水面近くの低いアングルで、いつも上から見ているのとは少し趣が違う。右手は動物園。

☟昼食後、東山三条の一本橋(行者橋)まで歩き、これを渡って、今日の京都散策は終り。

☟わが家のツツジも満開。☟そしてイチハツも。これは京都の上御霊神社のを株分けでいただいたもの。

日吉大社山王祭は神輿が活躍する祭としてとてもおもしろい。

☟2024年三王祭のポスター

☟午の神事は明るいうちから準備が始まる(4月12日)

☟八王子山にある奥宮。ここには3月に2基の神輿が上げられており、それがこの夜、麓の東本宮までかつぎおろされる。標高差約185メートルを下ることになる。☟夕暮れとともに松明を持ったかつぎ手たちが集まってくる。

☟8時半に奥宮を出た神輿は30~40分ほどで麓に到着する。

☟4月13日の昼には花渡り式。甲冑を着た4~5歳の子供が出産を迎えた神さまに花を奉げる式であるとか。まっすぐ歩くのではない。子供が右足を斜め右へ、そして左足を斜め左へと運びつつゆっくり歩くのはけっこうしんどそう。

☟祭といえば露店も大事。

☟ケバプの店もある!

☟13日の夜になるといよいよ神輿振り。会場の宵宮場では4基の神輿が担ぎ手を待つ。7時半ごろに最初の神輿の担ぎ手が到着。神輿をバッタンバッタンと前傾後傾させる。ちょうどシーソーのよう。これが神さまの陣痛であるとか。それぞれの神輿の前には5人の男たちが腕を組んで立ちはだかる。この5人は神輿振りには参加せず、ずっとこの姿勢を続ける。

1時間ほどかかって4基の神輿の担ぎ手が勢ぞろい。最後に山王祭実行委員長による祝詞奏上。そのあいだ神輿はこのように並べられて静かにしている。

☟4月14日には比叡山延暦寺天台座主が西本宮に参拝し、般若心経を読経する。神仏習合の名残であるとか。(以下の写真は2023年撮影)

☟14日午後は神輿の琵琶湖渡御。

☟夕方にはすべての仕事を終えた神輿が車に乗せられて帰って来る。ご苦労さん!

今回は前回「ChatGPT事始め」の続きとして、学生がChatGPTなどの生成AIにレポート(リポート)を書かせるという問題を考えてみたい。
文科省に言われるまでもなくこの問題には各大学とも頭を悩ましているようで、それなりの対策も模索されている。京都大の湊総長は昨年(2023年)の入学式式辞で、わざわざChatGPTなどのAIに言及し、次のように述べている。「AIによる文章作成にはいくつもの問題点も指摘されています。まず、明らかな誤情報が含まれるリスクです。これは無作為のデータベースに基づくサーチである限り、避けられないことでしょう。また、特定の論旨について、その根拠となる資料を正確に引用できないことも指摘されています。これは、サーチのみでリサーチという検証を欠いているためですが、学術レポートとしては、致命的な問題点であり、主要な国際学術誌は、ChatGPTを論文の共著主体として認めることはあり得ないと言っています。少なくとも現況では、AIによる自動文章作成には・・・『文章を書く』ということに伴う重要な検証プロセスが欠けていると思います」。
レポート試験に関する学生向けの注意喚起と警告の一例を挙げれば、同志社大学の「【重要なお知らせ】 論文・レポート試験における生成AIの使用について」は次のようになっている。「本来、論文・レポート作成に主体的に取り組むことには、自ら調べ、情報を取捨選択し、思考し、文章化する力が身につくという学習効果が期待されています。生成AIによって生成された文章を自身で作成した論文・レポートとして提出することは、学習成果を正しく評価・測定することを困難にし、公正な成績評価を妨げるだけでなく、意図せず第三者著作権を侵害する等の法的問題を招来する恐れもあります。そこで本学は・・・論文・レポート試験において、生成AIによって生成されたものを自身が作成したものとして提出することを認めないこととし、これに反する行為が判明した場合には不正行為として取り扱い、厳正に対処します」。
「生成AIによって生成されたものを自身が作成したものとして提出することを認めないこと」も「これに反する行為が判明した場合には不正行為として取り扱い、厳正に対処」することも当然であり、どこの大学もこの点では共通した姿勢を示している。ただし一般的にはそれでいいとしても、具体的にどうすべきなのかとなると事はそれほど簡単ではない。「生成AIによって生成された文章」の定義は曖昧である。
前回「ChatGPT事始め」で取りあげた読売新聞の記事にある「平気でAIの回答を丸写ししたリポートを提出する学生があとを絶たない」という大学教授の話は多分に誇張されているのではないか。学生もそこまで馬鹿ではないから丸写しして一丁上りとやることはあまりないのではないか。文体を変えたり、文章の順序を入れ替えたりは誰でもするだろう。それだけではなく、AIにはテーマに関係する複数の問題に答えさせ、そこから取捨選択し、合成して自分のレポートを仕上げるくらいの手間ならそれほどの負担ではないし、普通の学生ならやるのではないか。と考えた私は、論より証拠というわけで、学生の身になってAIによるレポート作成を試みてみた。レポートのテーマは「北海道開拓の歴史について述べよ。字数は2000字から3000字とする」と設定した。このテーマに特別の理由はない。大きすぎず小さすぎず、私には予備知識がまったくないテーマというだけである。なお、この学生は授業に一度も出席せず、授業内容は一切知らず、頼るのはChatGPTのみと仮定する。
いきなり直球勝負で行く。「北海道開拓の歴史について2000字から3000字でレポートを書いてください」と丸投げでお願いしてみたら次のように出てきた。
―――
【北海道開拓の歴史】
はじめに
北海道開拓の歴史は、日本の近代化と国家の発展において重要な役割を果たしてきました。この地域の豊かな自然資源や広大な土地は、多くの人々が新たな生活を求めて移住し、開拓を進めることとなりました。本レポートでは、北海道開拓の歴史について詳しく探求し、その過程での重要な出来事や影響に焦点を当てます。
1. 古代から中世:アイヌの時代
北海道には古くからアイヌ民族が住んでおり、彼らは狩猟、漁業、採集などを通じて生活していました。アイヌ文化は独自の特徴を持ち、この地域の歴史や文化形成に大きな影響を与えました。
2. 江戸時代:幕府統治下の北海道
江戸時代に入ると、北海道は蝦夷地と呼ばれ、幕府の統治下に置かれました。幕府は北海道の国境警備や交易を管理し、この地域との関わりを強化しました。しかし、本州との接点は限られており、開拓はほとんど進んでいませんでした。
3. 幕末から明治時代:開拓への動き
幕末になると、北海道への関心が高まりました。特に、外国船の侵入から北海道を守る必要性が認識され、幕府は海防政策を強化しました。また、この時期には北海道への開拓の動きも見られましたが、まだ本格的なものではありませんでした。
4. 明治時代:開拓の本格化
明治時代に入ると、北海道開拓が本格化しました。1872年には開拓使が設置され、北海道の調査や開発が進められました。政府は土地の分配や移民の促進などを行い、北海道の開発を推進しました。
5. 移民と新たな産業の興隆
北海道開拓には多くの移民が参加しました。本州や他国からの移民が北海道に入植し、農業や漁業、林業などの産業を発展させました。また、新たな技術や文化ももたらされ、北海道の発展に貢献しました。
6. 開拓の進展とインフラの整備
明治時代後半から大正時代にかけて、北海道の開拓は急速に進展しました。鉄道や道路の整備が行われ、新たな町や村が建設されました。これにより、北海道の内陸部や山間部へのアクセスが改善され、開拓が加速しました。
7. 現代の発展と課題
現代に至るまで、北海道はその豊かな自然と多彩な産業で発展を続けています。観光業や農業、漁業、林業などが主要産業として挙げられ、地域経済に大きな影響を与えています。しかし、人口減少や環境問題などの課題もあり、これらに対処するための取り組みが求められています。
まとめ
北海道開拓の歴史は、日本の近代化と国家の発展において重要な段階を占めています。多くの人々がこの地域に移住し、豊かな自然を活かした産業が発展しました。現代においても北海道は日本経済の重要な拠点のひとつであり、その歴史と文化は今なお多くの人々に影響を与え続けています。
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このあまりにも一般的、表面的な説明でしかない文章をそのままか、あるいは「です、ます」を「である」文体に変えただけで提出しても及第点は取れないだろう。北海道への入植者を「移民」と呼ぶなど語彙の不正確さも気になる。そしてなによりも字数が足りない。そこで以下のような質問をChatGPTに出してみた。
アイヌ民族とその文化
*江戸時代における外国船の北海道来航
*江戸時代における北海道開拓
*明治時代の北海道開拓
*昭和から平成にかけての北海道の発展
*札幌の歴史
その回答のなかから使えそうな情報・文章を選択し、最初の文章と合成して作り上げたのが以下のレポートである。(なお、内容が正確かどうかについて私は一切責任を負いません)。
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〈はじめに〉
北海道開拓の歴史は日本の近代化と国家の発展において重要な役割を果たしてきた。広大な土地と自然資源に恵まれた北海道には近代になると新たな生活を求めて多くの人々が移住し、開拓に取り組んだ。本レポートでは、北海道開拓の歴史について探求し、その過程での重要な出来事や影響について述べてみたい。
(1)近世以前
古代から中世にかけて北海道にはアイヌ民族が住んでおり、彼らは独自の言語と文化をもち、自然界や動物、祖先などの霊的存在に対するアニミズム的な信仰をもっていた。自然との共生を大切にし、自然の力を尊重しつつ、クマやエゾシカ、鮭などの動物や魚を狩猟・漁労し、山や森、海からの恵みを受けながら暮らしを立てていた。
(2)江戸時代
江戸時代に入ると北海道は蝦夷地と呼ばれ、幕府の統治下に置かれた。江戸時代初期には、北前船と呼ばれる船が主に北海道の松前や函館などの地域との交易を行い、そこでの交易港の整備や交易品の増加によって、北海道の開発が進んだ。幕府は北海道の国境警備や交易を管理し、この地域との関わりを強化しようとしたが、当初は本州との接点は限られており、開拓という側面での発展はあまりみられなかった。
ようやく江戸末期になって北海道への関心が高まってきた。その関心の一つの中心は日本の領土を守るという観点であった。当時の日本は鎖国政策の下で外国との交流が制限されていたが、北海道はその隔絶された地理的位置や北方海域の荒天などから、日本の他の地方よりも外国船の接近が比較的容易であったため、ロシア船が北海道に来航することがあった。このような外国船の侵入から北海道を守る必要性が認識され、江戸幕府は海防政策を強化することをせまられた。
しかしいつまでも外国に対して門戸を閉ざすことは不可能であった。1854年に「蝦夷条約」がアイヌの指導者とロシアの間で結ばれた。アイヌがロシアと交易する権利を認める内容であり、これにより、ロシア船はアイヌとの交易を通じて北海道に接近し、貿易を行うようになった。1855年には日露和親条約が締結され、これにより北方の日本海および北海道地域での日本とロシアの貿易が解禁された。また、1857年には、アメリカのペリー提督の率いる黒船が北海道の沿岸に接近し、北海道の函館に対しても接触を試みたとされている。
開拓に直結した問題に関しては開拓使の設置が重要である。開拓使は1821年に設けられ、蝦夷地の開発や統治を担当し、農業や漁業の振興、道路や港の整備などの任にあたった。また、蝦夷地の探索や地図の作成、土地の調査も行われた。北海道の南部に位置する函館には、箱館奉行所が設置され、北海道の統治と外交を担当し、蝦夷地とアイヌ民族との交流や貿易を管理した。また幕府は農民や商人などを北海道に移住させ、開拓地の開墾や経済活動を促した。特に東北地方からの入植者が多く、彼らが新たな農地開拓の担い手となった。
(3)明治時代から大正時代にかけて
明治時代に入ると北海道開拓は日本政府による大規模なプロジェクトとして行われ、開拓が本格化することとなる。1872年には開拓使が設置され、北海道の調査や開発が進められた。政府は土地の分配や移住の促進などを行い、北海道の開発を推進した。入植が奨励され、本州や他の地域からの多くの人々が北海道に移り住み、平野部を中心として農地の開墾などにたずさわった。また、新たな技術や文化ももたらされることになった。これらの入植者なしに北海道の農業や漁業、林業などの産業発展は考えられない。
鉄道や道路の整備も明治時代後半から大正時代にかけて急速に進展し、新たな町や村が建設された。これにより、北海道の内陸部や山間部へのアクセスが改善され、開拓が加速した。また札幌をはじめとする都市の建設も取り組まれた。1876年には札幌農学校(後の北海道大学)が設立され、北海道の教育に貢献するのはもちろんのこと、農業や工業の発展にも大きな役割を果たすこととなる。
(4)昭和以降
昭和から平成にかけての北海道の発展は、農業、漁業、工業、観光など多岐にわたる分野で進展をみた。以下に、その主な点を挙げる。
*農業の近代化
昭和から平成初期にかけて、北海道の農業は近代化が進んだ。新たな農業技術や機械化が導入され、生産性が向上した。また、穀物や野菜などの生産量が増加し、北海道は日本有数の農業地帯となった。
*漁業の発展
北海道は豊富な漁場を有しており、昭和から平成にかけても漁業は重要な産業であった。特に昭和40年代から50年代にかけて、新たな漁業技術や船舶の発展により北海道の漁業は発展した。
*工業の成長
北海道には豊富な天然資源があり、昭和以降、鉱業や製造業などの工業も発展した。特に石炭や鉄鉱石の採掘が盛んであり、それに伴って製鉄業や化学工業なども発展した。
*開発事業
平成時代に入ると、北海道の開発事業が進展した。特に道路や鉄道の整備、港湾施設の拡充などが行われ、交通インフラの整備も進んだ。また、冬季の交通アクセス向上のために新千歳空港函館空港の整備も行われた。
*観光業の振興
北海道は美しい自然や温泉などの観光資源が豊富であり、現代では観光業は北海道の重要な産業である。特に冬のスキーリゾートや夏の自然観光が人気を集め、北海道は国内外から多くの観光客を受け入れる地域となっている。例えば1950年に初めて開催された札幌雪祭は世界的な観光イベントとして知られ、札幌の観光業を支える重要な催しとなっている。
〈まとめ〉
以上見てきたように、現代に至るまで北海道はその豊かな自然と多彩な産業で発展を続けてきた。農業、漁業、工業、観光などに関して北海道は現代の日本経済の重要な拠点のひとつであり、その歴史と文化は今なお多くの人々に影響を与え続けている。しかしその一方で札幌など都市部への人口集中、地域間格差などの問題が生じており、これらの問題への対応が重要な課題となっている。
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どうだろうか。くだらないレポートではある。表面的な羅列に終始し、検証も掘り下げもされていない。書き手が何かを理解して書いているという感じがしない。一言でいえば無責任な文章である。私が採点者であるなら「優」や「良」は与えない。では「不可」なのか。これは悩む。自分で作った文章ではないとしても、丸写しでもなさそうである。それなりの「努力」をしている。「可」くらいはやってもいいのかな? あとは何を基準にして「可」か「不可」を決めたらいいのか。内容上の不正確さや大きな間違いがないかどうか、講義内容にどれだけ触れているかどうか、この2点を実質的に判断することになるのだろう。つまり、ねつ造レポートであってもこの2点を偶然にもクリアーしていれば「可」は取れることになる。私がこのレポートを作るのに要した時間は4~5時間。サボリ学生にとってダメモトで作ってみる価値はあるのではないか。