関谷ゼミブログ (original) (raw)
これも久々に軽~い話題を。
先日の大学同期の食事会に集まった7名の中に、あのちゃんを知っている仲間が1人いて嬉しかったネ。あのちゃんが出演しているドラマまで教えてくれたけど、ウワサは聞いていたもののボクはあのちゃんの赤子っぽいキャラが好きなので、彼女が別の役を演じているものには興味ないのだネ(歌にも関心ないし)。一番気に入っているのは今夜(深夜2時から)の「電電電波」かな、(猫の声を演じている)漫才の粗品とのやり取りだネ。その次が「あのちゃんねる」(今夜0時45分から)かな、ゲストの歌を聞かされるのはツライけど。
最近気に入ったあのちゃんとは真逆になるけど、バナナマン日村が正視できなくなっている。デビュー当時は人間の顔という概念をぶっ壊すパワーを持ったツラには笑いが止まらなかったものだけど、数年前からかな気付くと日村が出てもツラを見ていない自分に気付いている。ミッツ・マングローブのツラはデビュー当時から正視できないながらも、話がオモシロいからダイジョブだけどネ。今は日村を見かけると嫌悪感ばかりだネ。
日村も出るからというわけじゃないけど、TBSの朝番組「ラヴィット!」は番組が始まった当初から絶対に見ない。朝からハシャグんじゃねエ!!! という気持からだけど、日村のツラ(柄本佑の弟の柄本時生と同じく)はハシャギ過ぎだよネ。NHKのお笑い番組のMCの頃から応援していた神田愛花も、日村の妻と思うと見たくなくなるネ。
久しぶりに「観る」話題にするネ。
東京新聞にしたメリットの1ツに「カジュアル美術館」(土曜)という連載があって喜んでいる。開催中の美術展に取り上げられている画家の作品の写真を載せながら、詳しい解説を付している。11月16日は浅井忠を紹介しているけど、代表作の1ツ「収穫」は教科書で知っている人も多いことだろう。新聞には別の「漁婦」という作品が掲げられているものの、「収穫」に近いタッチなので浅井の(リアリスティックな)画風は想起できるだろう。解説によれば「工部美術学校」で指導を受けたフォンタネージが、農村や漁村の自然を描いたバルビゾン派の流れをくむ画家だったので、浅井の姿勢につながるといわれて納得だネ。
解説の後半は「工芸分野でも活躍」という表題であり、1900年に留学の命を受けてパリに訪れたらパリ万博の最中でアール・ヌーヴォー(新しい装飾性に富んだ表現)の時代だったという。最先端の芸術に衝撃を受けてこれを消化・吸収し、帰国後は京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案化の初代教授になったという。しかし掲げられた作品の写真は「東宮御所壁装草稿」で、パリで受けた衝撃による試みが模索されていると付されているのは残念至極!(上げられた例が小賢しいだけで効果ゼロ)
というのもボクは10年以上前だろうか、民放の美術番組で浅井忠のデザイン作品を知って斬新さにビックリしたことがあるからだ。この草稿ではそれがまったく伝わらないので、担当記者の頭の悪さが「残念」なのだ。これでは「収穫」とは真逆な方向のアートを日本で始めた浅井の功績が、まったく伝わってこないヨ。デザイン作品が1枚でも載せられていれば、浅井の伏せられてきた才能の一面が【衝撃をもって】知られる機会になったはずだネ。記者の猛省を促す、あるいはレベルアップを期待するネ。
昭和43年(1968年)入学の同級生のうちの全共闘仲間(自称けじらみ集団)と年に1度くらいに呑むのだけど、昨日(16日)新宿の「響」(小田急サザンタワー)で昼食中心の会合をしたヨ。足許(あしもと)が自由でない仲間のために1年おきに昼食会にしているのだけど、夜に呑み中心で集まる時は第二力酒蔵でやったりネ。メンバーが持参してくれた昔の集まりの写真には10名超写っていたものの、4名は亡くなっているし遠くに住んでいる仲間も3名いるので今回は7名の集まり。全員が後期高齢者だからネ。ちなみに遠くの仲間の中には鹿児島のイズミちゃん(原口泉)は入っていない、幕末ものの番組には必ずといっていいほど出てくるヤツだけど、けじらみ会には参加したことがない(最近ではNHKの「歴史探偵」に出演していたネ。)
運悪く中央線がまた人身事故で30分以上遅延したのみならず、小田急サザンタワーの場所が分からぬまま20分くらい遅れたのでサンザンだったヨ(サザンを受けてサンザンと記したのが通じたかな?)。でも5000円超のコース料理はネタが新鮮で美味かったネ、昼時だったのでボクとしては空腹感が無かったけど(昼時はふだん朝食を摂る時間なので、10時前に軽食を食べていたからネ)。
「響」は名前のとおりサントリーのウィスキー「響」を呑ませる店だからで、生ビール2杯の後にロックで呑んでみたけどサントリーのウィスキーとしてはまァ美味かな。ボク等の世代はサントリー・レッドでツライ思いをくり返したものなので、レッドと言わずに「キチガイ水」と呼んでいたからネ。値段は「響」の10分の1くらいのシロモノだったけど。7名中でたくさん呑んだのはボクはじめ4名(3名は控えめかゼロ)だったので十分と思っていたものの、昔から1番強いヤツが二次会を提案したものの応える者はいなかったので解散。お互いふだんは胸中に納めている自分の秘話を互いに暴き合って笑いつつ昔を懐かしんだネ。
帰りは中央線沿線の仲間(昔から1滴も呑めない)と一緒だったお蔭で、新宿から特快の優先席に座ることができた。彼が中野で降りてから気付いたのは、斜め向かいに若い女子が座っていてミニスカートの奥のパンティ(白というよりベージュ?)が見えていたので目が閉じられなかったけど、男の乗客が目の前に立ってからは見えなくなってしまい気付いたら眠っていたようで、目が覚めたら寝過ごして立川だったヨ。
深酔いしてないので立川で降り、本を出すたびに贈ってくれる学界仲間に日本酒「久保田・碧寿」を送ってきたヨ(一昨年だったか義父からの慰謝料が入った際には贈ってない人なので)。記録を調べてもらったら5名以上に白ワイン「ルイ・ジャド」を送っているのだけど、半年前同様に今はこのワインを置いてない(マツタケ先生にも送ろうと思ったものの住所が分からなかった)。ついでにジュンク堂へ行ってハン・ガンその他の意中の本を探したら、半月前くらいに翻訳された「別れを告げない」(済州島事件が素材)が1冊だけ残っていたのでゲットしたけど、帯には既にノーベル賞作家であることを訴えていたネ(翻訳当時は受賞前)。
国立に着いたらそれまで意識していなかった疲れが出て歩くのがツラかったのは、1週間前の旅行会の帰りと同じ。帰宅後は酔いもあってすぐに布団に入って爆睡、目覚めたら台湾相手の野球をやっていたので寝たまま最後まで見たヨ。阪神の才木投手と森下(4番打者)が活躍していたしネ(今はキューバ戦を見ながらブログを記している)。
資料の整理が不得意で読もうと思ってコピーした資料が未整理のまま、自宅のあちこちに放置されていることが少なくない。この数日間に本棚(4ケ所)の本を入れ替えていたら、本の間などに差し込まれたコピーを2ケ発見したヨ。読みたくなるのが分かる興味深いものだったので、すぐに読んだヨ。
1ツは国岡彬一「漱石文学から志賀文学へーー「門」と「好人物の夫婦」の冒頭をめぐって-ー」(掲載紙不明)で、表題だけで内容が分かる論文ながらもテクストを読み切った上で両文学者の異同がキチンと論じ分けられている。並みのレベルの研究者ではない(ご本人については何も知らないし、存命中なのかどうかも知らない)。
2ツ目は『日本文学』(2020年4月)に掲載された柴市郎「近代文学研究における『プライオリティー』ーー石原千秋氏の文章をめぐって-ー」で、当時読んで感銘を受けながらも仕舞い忘れていたもの。同誌(19年11月)に掲載された柴氏の「価値・信用・恐慌—-表象としての藤尾ーー」について石原氏が同誌(20年2月)に「甚だしい曲解」を載せたことに対する批判を重ねている。柴氏の批判点を順次箇条書きに引用する(カッコ内は専門外の仲間向けのボクの説明)。
① そもそも、(柴氏の論が石原氏の論文を「踏まえたもの」たものだと指摘しながらも、その「注記」が無いと非難する石原氏は)その言い分を支えるだけの論理的・具体的根拠を有していない。
② (柴氏の先行研究の踏まえ方を批判しながらも、石原氏が言及した先行研究が)竹盛天雄氏と平岡敏夫氏の論の「二点のみ」という事実には苦笑せざるを得ない。(若手には厳しいもの言いをしながらも、大家には気を配る石原氏に対する揶揄だろナ。)
③ 『日本文学』(19年11月)に掲載された柴氏の「道草」論の認識の基礎には、
《交換価値はその根拠を保証する何者も持たないと同時に、使用価値も交換価値から独立した実体性を帯びたものではなく、交換価値から独立しては生成しない、という価値生成一般のメカニズムに孕まれる無根拠性という観点が存し》ているものである。
石原論に用いられたこれらの語は通俗的理解(使用価値を実体的に捉える等=原文)を出ていない。(略)概念を規定する論理的背景を顧みず、自らのプライオリティを主張する氏の言い分は不当であり、(略)
④ 石原論における吉見論(『博覧会の政治学』)への注記はこの、ただ一箇所のみである。だが、注記された箇所以外でも博覧会という主題をめぐる指摘で両者は重なり合っている。(略)また、『虞美人草』の博覧会場面の引用箇所でも両者は一致を見せている。吉見論と石原論との間には、博覧会という主題への問題設定における否定しがたい近接性と併せ、同一文献の同一箇所からの引用の重複という事実も存在する。(略)この事例は、石原氏自身のプライオリティ認識のあり方と研究者としてのモラルを問い質すものである。
⑤ 他者に対する見当違いなプライオリティの主張は、そのまま他者のプライオリティに対する侵犯となる。同時に、それが被害者の立場を装って行われた場合、一層悪質な行為になりかねない可能性を帯びている。
以上が柴氏の反論からの引用だけど、「甚だしい曲解」を完膚なきまでに批判し尽くしているように見える。この柴氏の批判に対して石原氏が再批判しているのかどうかは、『日本文学』を機関誌とする日本文学協会から遥か以前に脱会している身なので確認できない。柴氏が言うように《申し開きをする余地はもはや一切許されていない》かった気もする。「許されていない」という言い方はずいぶんと高飛車な言い方だけど、何やらその昔に石原氏の論(注釈だったかな)にケチを付けていた藤井淑偵氏の姿勢を思わせる。その頃の石原・藤井論争を見守っていたボクには(今回の柴氏の立場と同じく)石原氏の側に論理があったと感じて『青銅』(ブログ?)にその旨を記したら、藤井さんがご機嫌斜めとなり数十年続いていた年賀状が来なくなってしまった(笑)。
石原氏からすれば、その昔の自身が「ミイラ取り」になってしまったということになるのかな? それにしてもこれも昔から感じていて公言もしてきたけど、漱石研究者は総じて「ケツの穴が小さい」ので足の引っ張り合いをくり返していると思う。ボクが論文を書いてきた小林秀雄・太宰治・井伏鱒二等々の研究では、漱石研究の世界ほどの傷つけ合いはすぐに思い付かないネ。
石原氏が柴氏にパクられたと「曲解」した「虞美人草」論は『漱石研究』の創刊号に掲載されたとのことだけど、石原千秋・小森陽一両氏を中心としたこの研究誌は「一世を風靡した」印象だったので、学大修士の丸尾実子の論を掲載してもらった時は喜んだものだ。しかし「大家」とは言わず「権威」となったと自認した石原氏が、柴氏の論にケチを付けたのと同様に他の漱石論者に対して正当な(冷静な)評価ができなくなっていなかったか気がかりでもある。というのも最近実に面白い「三四郎」論を読んで教えられたものが、石原氏の「曲解」の頃に(別誌に)発表されたものだということが分かったからだ。偶然ではあろうけれど、長くなり過ぎているので詳述はまたの機会に。
予告どおり10・11日に三好師のご家族(奥さまと息子)と総勢7名で馬籠に行ってきたヨ。
同じ中央線なのでご家族とご一緒に行こうと考えていたら、ご家族は朝からお出かけとのことで一人旅。10日の昼過ぎに家を出て立川からあずさ号で塩尻へ。無事別の特急に乗り換えられたものの、期待していた三好家がいなかったので目的駅の中津川駅で寝過ごすところだったヨ。むかし父親の危篤の報せを受けたものの高崎駅で新幹線を乗り過ごす寸前だった経験があり、一人で特急に乗るのがコワいというトラウマができたわけだネ。
中津川という所は何もないので驚いたネ、ホテルは新規の高価なものでほぼ欧米の外国人ばかり。夕食は出さないので外でと決まっていたものの、奥さまをご案内するほどの店がないのも困ったものだ。しかたなく「和民」に行ったらボーイさんが新規のアルバイトで困らされ、前回の吉祥寺の中華屋のウェイトレス(兼店長)との衝突の二の舞いになるところだったヨ。何せバイト経験のあるワカ(息子さん)が、ビールのジョッキの持ち方(呑み口に触れない)から教える始末。風呂上りだったからビールも美味かったけど、久しぶりに呑んだ好みの日本酒「八海山」が印象に残ったネ。各自それなりに満足してホテルに戻り、また大浴場(露天はないもののまずまず)でひと風呂浴びてからボクの部屋(全部が個室)に集まって恒例の二次会。
ワカは部屋で酔いつぶれていた模様だったけど、酒の強いマツタケ先生(釣り部での呼称)までが始まってすぐに自室に寝に帰ったのは驚き。残ったのはノンアル・ビールの3名とフツーに呑んだエロシ(幹事長)とボクだったので、持参の「黒霧島」は呑まずじまい。でもカッちゃんはじめ皆さんボクが用意した本場の枝豆など、ツマミはけっこう減ったかな。奥さまは昔は遅くまで我々に付き合ってくれたけど、今回はノンアルの2名と共に早めにご就寝。エロシとボクもいつもほど呑まずに寝たヨ。
翌朝チェック・アウトの時間に隣りのエロシが声を荒げていたのが聞こえたので何ごとかと思ったら、シーツに血がついていたのに対してクレームをつけていたのでまた吉祥寺の二の舞いかと心配したヨ。せっかく「幹事長」と呼称を変更したのに、昔ながらの「組長」に戻った感じでメンドクサイよ。幹事としては実にきめ細かく活躍してくれるのだけどネ。その案内で無事馬籠に到着したのだけど、降りる時にエロシがバスで運転手と話しこんで手間取っていた。聞けば乗った時に払った料金証明券を失くしたので降してもらえないため、「身ぐるみ脱ごうか!」と凄(すご)んだら降ろしてくれたとか。ホントにメンドクサイ奴だヨ。
馬籠はとんでもない急坂続きだったので、奥さまにはムリをさせないため休憩所で待機してもらったけど、昼寝で横になったボクの横で今昔の話を楽しんだヨ。昼寝は中学生以来のボクの日課だから釣り部でも欠かさないのを、旅行会でも独り単独行動で昼寝をすることがある。休養十分のせいか帰り路の奥さまのお元気ぶりはハンパなかったネ。急坂を降りる勢いが速いので傍でボk等はヒヤヒヤして従っていたヨ。(先走って言うと)その勢いは帰りの乗換駅である立川のホームでも続き、ラッシュアワーの混雑する電車待ちで並んでいる人々の間を割って走るので、「奥さま!」と呼びかけながら後を追うボク等はタイヘンな目に思いをしたヨ。
馬籠の見学は中途半端だったものの、奥さまは何度も山の景色に感嘆してらっしゃったので(確かに山も空も見事だった!)何よりだったヨ。帰りは中央線経由の4名は中津川駅で乗り遅れそうになって冷や汗だったものの、お元気な奥さまはじめ皆無事に乗れて一件落着。それにしても初日は予報に反してメチャ暑くて上着がジャマだったけど、帰りは塩尻辺りから寒さを感じつつ駅ホームから馬籠では見られなかった紅葉を見つつ鼻水をたらしていたネ。
「次は新年会で!」を交わしつつお別れしたヨ。
以前にも記したこともあるけど、ボクが史上で一番好きな指揮者であるカルロス・クライバーの指揮によるベートーベンの交響曲の放送が2時間後にあるヨ、ぜひ聴いて欲しい。出しゃばりカラヤンのように何でも振ってしまうの演出過多な演奏は好きじゃないから、クライバー(父親のエーリッヒも指揮者だからカルロスをつけて差異化する)のように自信があって好きな作曲家しか振らない姿勢に共感できるネ。主な作曲家はベートーベン、ワーグナー、リヒャルト・シュトラウス(ヨハンも振っているけどボクが好きじゃない)などかな。大好きなブルックナーの演奏を残しているかどうかは知らないけど、ウェーバー「魔弾の射手」は楽譜の定稿以前にもさかのぼって研究して大きな話題になったこともある。
今日の演奏はアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(現在は少し呼称が変っている)を振ったベートーベンの2曲を「高精細4K映像」で復元したものなので貴重。ボクは両曲ともこの演奏で録画してあるけど、フツーのCDなのでブルーレイで再録するつもり映像がボヤけているからネ。音はあまり変化ないと思うけど、この演奏ではオケのフルートが弱い(下手?)なのが目立つ印象だ。東大オケでフルートを弾いていた故・杉本優にそれを伝えたかどうかは記憶にないけど、ともあれ全体としては「歴史的名演」だから皆さんも聴くか録画してもらいたいネ。感動するヨ!
情報を早く伝えたいから、この辺で。
藺草(いぐさ)さんを知っている人は少ないかな。中学校の教員を勤めながらも以前学大の博士課程に在学していたのだけど、途中で退学してしまったし山田研究室に所属しながら学大にいたのは短期間だったからネ。学大に来るまえから俳人としても認められていた人だったので、研究よりも実作に戻ったということかな。最新の『雪日』は第5句集だそうだけど、第4句集に続いて今度もいただいて恐縮しているのはボクには俳句など分からないからだ。藺草さんの指導教員だった山田有策先生は若い頃から(?)句作も含めて関心があったようだけどネ(自称代表作を聞かされたことがあったけど駄句だったヨ)。ともあれ藺草さんは第4句集まで俳人協会新人賞や星野立子賞などを受賞している、けっこう知られた俳人らしい。
本の帯には次の句が提示されている。
水渡り 来し一蝶や 冬隣
近代文学をやっているとデジャビュ感があるよネ、有名な安西冬衛の短詩「春」が重なって想起されるのは致し方ない。
《てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った》(仮名遣いは正確を欠いているかも)
「てふてふ」の「て」が蝶を横から見たシルエットを、「ふ」が正面からの映像を思わせてスバラシイ。季節は逆ながらも蝶や水(海)を渡るという語や想の類似は否定しがたい。俳句の世界では類想に神経質にならないのかどうかは知らないけど、「春」を知っている身には気になってしまうよネ。俳句に無知なせいか、『雪日』を開くと
みな一人かうかうと月さしわたる
開け放つ根本中堂野分晴
などは何となく類想が湧いてくる。
でも冒頭の《狐火の映りし鏡持ち歩く》や第3句《花粉なほこぼるる菊を焚きにけり》は新鮮な印象を受けたネ。
新鮮といえば、というより斬新さに驚いたことがある(ヒグラシゼミの常連だった)大堀剛さんの句の衝撃を忘れない。斬新過ぎて記憶できてないけれど、2度カン違いを指摘したことがある夏井いつきさんが高く評価してくれた時は嬉しかったネ。藺草さんと大堀さんとがお互いどう評価しているのか聞いてみたい気がするネ。パン君がメールで「我が宗匠」と呼んでいた大堀さんは、仲間うちでは「宗匠」として俳句を指導しているらしい。入門を志願している人がいれば、大掘宗匠に紹介するヨ。
@ ついでながら10・11日は亡き師匠のご家族(奥さまとご長男)との旅行会で、馬籠に行ってくるヨ(初めて)。師匠は藤村の専門家でもあるのに奥さまを連れて行ったことがないと聞いたので、今年の旅行会の行先はすぐに馬籠と決まったヨ。