たむ読書日記 (original) (raw)
『愛じゃないならこれは何』斜線堂有紀(集英社)
若手実力派ミステリ作家による、恋愛(?)小説集。そのあまりにもいびつな純愛感情は、無理にミステリにこじつけるならばクライム・ノヴェルに通ずると言えないこともありません。
「ミニカーだって一生推してろ」(2021.3)★★★★★
――人気アイドルが一般人へのストーカーで逮捕されたら、どんな結末が待っているだろう。赤羽瑠璃は夢想する。部屋の中にいる人物が、ふとしたきっかけでベランダの瑠璃に気づいてもおかしくない。瑠璃は意を決して二階のベランダから跳んだ。どんな落下にも、それに至るまでの軌跡がある。長くて大きすぎる放物線の始まりは、今から四年前、瑠璃が二十四歳の頃まで遡る。二十四歳の赤羽瑠璃はアイドルを辞めようとしていた。「めるすけ『赤羽瑠璃は赤じゃなくて黒の方が似合うな』」。そんな時、エゴサで引っかかったその呟きが全ての始まりだった。瑠璃はめるすけのツイートを追い、めるすけが好きだという小説を読んで、音楽を聴き、依存するようになっていた。
ファンをストーカーするアイドルという逆転した構図が目を惹きます。やっていることは紛れもないストーカーなのですが、アイドルとして上を目指すなかで不安解消のよすがとしてすがっている分には前向きと捉えられなくもありません。けれどとっくに一線を越えている瑠璃が、そんな建前すら捨ててしまうのがめるすけの恋人へのプレゼントの存在です。そしてそんな瑠璃に応えためるすけも、一線を越えてしまったのでした。落下を放物線に喩えて、堕ちる前の瑠璃のことを「投擲の多くがそうであるように、瑠璃はここから上昇する」と書く表現を面白いと感じました。
「きみの長靴でいいです」(2020.12)★★★★★
――二十八歳の誕生日に贈られたプレゼントはガラスの靴だった。「どうしたの? これ」灰羽妃楽姫は努めて冷静に尋ねる。何しろ、彼女は何も知らないお姫様ではなく、気位の高い女王だ。「世界で一番妃楽姫に似合う靴だと思ってる」と言った妻川の婚約報告を聞いたのは、その直後のことだった。三日後、妃楽姫は高校からの親友である花恵をマンションに呼んだ。「妻川が結婚します」「その……おめでとう? でいい?」「おめでとうならこんな声で言ってない」「妃楽姫ではない?」「妃楽姫ではないです」「噓でしょ? こんなもの貰っておいて振られたの?」「振られたも何も。告白されたことも告白したこともないので……」
瑠璃が貰ったテディベアのデザイナーが主人公です。これは男女の友情――というよりは、意識高い系を互いに演じる関係になるのでしょう。花恵の言葉によれば「舞踏会中毒」です。この話の場合は意識高い系だからわりと滑稽になっていますが、ある立場と恋愛のバランスや距離の取り誤りというのは現実でもありがちなところです。妃楽姫が舞踏会中毒を自覚したうえで取捨選択できたのは、そうできる強さと実力があるからではありますが、だからこそ人から憧れられもするのでしょう。「本当に共に暮らすべき相手に渡すのは、花束とかガラスの靴ではなく家の合鍵なんだよ」。
「愛について語るときに我々の騙ること」(2020.8)★★★☆☆
――「僕さ、ずっと前から新太のこと好きだったんだ。だから、付き合ってくれない?」。私が頷くと、園生は痛ましさと安堵の混ざった顔で笑った。これでハッピーエンドにはならない。何故なら、私は泰堂新太じゃなく、鹿衣鳴花だからだ。
瑠璃や妃楽姫がまがりなりにも真っ直ぐで或る意味では気持ちのいい人たちだったのに対し、この話に登場する人たちは、とてもずるい。新太のことを好きな園生は、新太と鳴花が付き合うのを牽制するために鳴花と付き合おうとし、男女三人の友情を続けたい鳴花は、事情をわかったうえで園生の提案を受け入れます。「恋愛感情が成熟の証だというのなら、二十六歳になった今も私は雛だ」。
「健康で文化的な最低限度の恋愛」(2021.6)★★★★☆
――運命の朝、美空木絆菜は親友の茜が逮捕されていたことを知ったばかりだった。しかも、その罪がストーカーだと聞いて更に落ち込んだ。自分が知っている茜と、捕まった茜が別人すぎて恐ろしい。恋によって人間がそこまでおかしくなるなんて思わなかった。そんなことを考えているうち、絆菜は働いているSNS運営会社に辿り着いた。中途採用された新人が手を差し出した。「津籠実郷です。よろしくお願いします!」。顔が好みだったわけでもないし、企画を褒められて嬉しかったけれど、あの記事はほかにも色んな人間に褒めてもらった。それなのに、絆菜は津籠のことが好きになってしまった。津籠がサッカー好きだと知ると、動画で勉強して自分もサッカー好きであるふりをした。
好きな人の色に染まる――。恐らくは多かれ少なかれ誰にでもあることでしょう。しかし絆菜は度を越しています。「そうするだけの覚悟がある」と宣言し、自分の好きなものやそれまでの生き方を捨ててまで、それどころか健康や命を危険にさらしてまで、津籠に合わせようとします。瑠璃や妃楽姫と同様、間違った方向に全力で真っ直ぐに突っ走るのは、なぜかどこか潔い。「この恋は、きっと地獄に続いてる」と帯にあるように、本書中でどうにか幸せになれそうな可能性のあるのは妃楽姫くらいで、ほかの三組に待っているのは地獄しかないだろうに、たとえ間違った信念であったとしても信念であるには違いありません。
「ささやかだけど、役に立つけど」(2021.12)★★★☆☆
――初めて放送部の部室で鹿衣鳴花と出会った時、自分はいつか彼女と付き合うんじゃないかと思った。「ここ、放送部だけど」新太の声は冷たかった。きっと二人きりの空間を破る時が来たのだし、それを破るのなら目の前にいる鳴花がいい、と思った。それを後悔する日が来るなんて、あの時は思わなかった。鳴花が三人でいることを選択し、俺を脅迫することで関係の寿命を引き延ばしてから三か月が経った。
単行本書き下ろし。園生と新太と鳴花のその後。「愛について語るときに我々の騙ること」には新太の視点が欠けていたので、それを補完するなら新太の一人称だろうと思うのですが、なぜか園生の一人称です。特に新しい展開も視点もなく、本当にただのその後でした。
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『ミレニアム・ピープル』J・G・バラード/増田まもる訳(創元SF文庫)
『Millennium People』J. G. Ballard,2003年。
20世紀の作家というイメージがあったので、9・11に影響を受けて2003年に書かれた作品だということに驚きました。
そうは言っても何を書いてもバラードと言うべきか、現実の9・11から中産階級によるテロという要素だけを取り出して、終末感と倦怠感の漂う世界に放り込んだような印象です。
テロに巻き込まれて前妻が殺されたエピソードがいつまでも尾を引いていて、通底音のように作品を覆っています。
図らずもテロに巻き込まれるのはともかく、その後ずぶずぶと絡め取られてしまうのがよくわかりません。
一般人は何となく流されて、首謀者らには観念的な動機があるというのは、現実の集団犯罪やテロリズムでもそんなものでしょうか。
_首謀者不明のうえ犯行声明もなかったヒースロー空港の爆破テロに巻き込まれ、精神科医デーヴィッドの前妻ローラは無意味な死を遂げた。デーヴィッドはテロの首謀者を突き止めようと試みる中で、医師グールドが主導する、高級住宅街チェルシー・マリーナの住民による目的なき革命計画の存在を知る。20世紀SF最後の巨人バラードによる黙示録的傑作。『千年紀の民』改題文庫化。_(カバーあらすじ)
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『刑事コロンボ 完全版』vol.1 DISC2(ユニバーサル)
「構想の死角」(Murder By The Book,1971)★★★☆☆
――フランクリンとフェリスは人気ミステリ作家コンビだ。フランクリンはコンビ解散を言い出したフェリスを別荘に誘い、オフィスで残業するから帰れないという電話をフェリスにかけさせる。そうしてフェリスが妻のジョアナに電話しているところを射殺する。ジョアナは警察に電話するが、もちろんオフィスには死体はない。フランクリンはフェリスがマフィアの取材をしていたことをコロンボに知らせ、殺し屋の仕業ではないかと仄めかす。後日、デート中のフランクリンは、別荘近くの売店の女将に声をかけられる。「見ちゃったの……」
パイロット版を経ての記念すべき連続シリーズの第一作。スティーブン・スピルバーグが監督をしています。コロンボではなく犯人の方からコロンボにからんでゆくのが、今となっては新鮮です。それだけにミスらしいミスが何なのかがなかなかわからなかったのですが、やはり第三者がいると思い通りにはいきません。そしてそっちの対応をしている間に、コロンボに不在を気取られてしまうという痛恨のミス。そして小さなミスがどんどん積み重なって、気づけばいつの間にか容疑が固まっているというのは、やはり盛り上げ方がうまいなと思います。実作者の方ではなく渉外担当の方が殺人を犯すという構図にもちゃんと意味があるようで、その実コロンボの誤解だったというラストが印象的です。
「指輪の爪あと」(Death Lends A Hand,1971)★★★★★
――新聞界の大物アーサー・ケニカットから浮気調査を依頼された探偵事務所所長ブリマーは、依頼人に噓の報告をしてそのことをタネに妻を脅迫し、夫の情報をスパイしろと取引を持ちかける。だが断られたうえに逆にすべてを夫に打ち明けると脅され、ブリマーは発作的にケニカット夫人を殴り殺してしまう。死体が移動されていたことから、物盗りではなく知り合いの犯行だとコロンボはにらみ、ケニカットに妻の男性関係や悩みをたずねる。捜査が進まないことに業を煮やしたケニカットは、知り合いの探偵ブリマーを捜査に協力させる。コロンボは妻の左頬についていた傷に疑問を感じていた。
ロバート・カルプ、レイ・ミランド出演。リチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンク脚本。発作的に殺してしまい呆然として固まるブリマーの眼鏡に偽装工作の過程を映す演出が面白い。呆然としつつも身体は勝手に動いているというのを表現しているとしたら、案外リアルなのかもと思ってしまいます。被害者の夫の新聞王に捜査の遅れを責められて口ごもるコロンボは意外です。ブリマーと初対面で手相を見て「頭が切れすぎる」と見立てたコロンボは、この時点で疑っていたらしいのですが、「頭が切れすぎる」というコメントが説得力を持つ風貌なのが名キャスティングでした。出入口の扉と同じデザインのクローゼットをコロンボが間違えて開けるというギャグが手がかりに繫がるところは、あればっかりはコロンボのいやらしさではなくさすがに偶然なのでしょう。ゴルフコーチを追い詰めるところはさすが手際がいい。そこからは、顔についた切り傷から犯人像を推理するところといい、至極スマートな探偵ぶりでした。ケニカット邸にあった夫婦の写真が終盤になって効いてくるとろこのセンスもいい。地味に名作でした。
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『幻想と怪奇』16【ホラー×ミステリ ホームズのライヴァルたち・怪奇篇】
「現代世界幻想文学選・シリア」
「ムスタファー・タージュッディーン・ムーサー超短編選」森晋太郎 選・訳
(مصطفى تاج الدين موسى(Muṣṭafā Tāji al-Dīn al-Mūsā))★★★☆☆
『虐殺の花束』より(«من مجمو عة «(2014)مزهرية من مجزرة)
「シンデレラ」(سندريلا)
――夜のとばりの中、スカーフで顔を覆い隠し、目だけを出して、シンデレラは古びた路地の壁に反体制のビラを貼りつけていた。国王の兵士たちがそれを見つけて追いかけたが、後には片方の靴しか見つからなかった。国王は怒り狂い、足と靴のサイズがぴったり合った者は全員殺すように命令した。人々の足は誰もが靴のサイズにぴったりだったから、兵士たちは数多くの人々を虐殺した。ところがシンデレラはその後も夜になると何処かの路地に現れて、壁に反体制のビラを貼りつけた。そしてそのたびに、靴の片方を残して逃げ去るのだった。
この号から始まった企画の第一回はシリアの作家。シリアの現在を色濃く反映した幻想掌篇集。残酷な童話とでもいうべき作風ですが、メッセージ性はかなり露骨です。童話テイストのもっとも少ない最後の「三匹の遺跡の怪物」からして単なる「うしろを見るな」ではなく、安全圏にいる我々を刺すかのような厳しさがありました。とまれ欧米・中韓以外の作品が紹介されるのは単純にありがたいです。
「虐殺の花束」(مزهرية من مجزرة)
――砲弾が激しい雨のように村の広場に降りそそいだ。婚礼の宴が開かれているところだった。父親は母親を探すため、慌てて広場へと駆けつけた。幼い子供は父親の後について行った。子供は嬉しげに、そこらじゅうに散らばった人間の体のあいだから、切断された腕を拾って遊んでいた。人形だと思って、何本も拾い集めていた。家に帰ると、彼は今のテーブルに置いてあった花瓶を取り、入っていた花を捨てて、焼け焦げた腕の束を花瓶の中に入れた。
「霧の中の蒼ざめた微笑み」(ابتسامات شاحة أثناء الضباب)
――化学兵器の濃い霧が、夜の闇の中を忍び寄り、家のすみずみに広がっていった。眠りについていた家族は恐怖に駆られて駆け出した。女の子ひとりだけが出て行かず、大切な人形を探し回っていた。ようやく見つけたとき、彼女はもう力が尽きかけ、人形を胸に抱きしめてベッドに横たわった。医者が白いマスクをつけて駆け込んで来た。女の子に駆け寄り、生命を救おうと注射の準備を始めた。女の子はその手から注射器を奪い取り、人形の腕に針をそっと刺し込んだ。
「隠れ帽子」(قبعة الاختفاء)
――多感な少年だった頃、僕らは「隠れ帽子」のことを考えて空想した。どんなに夢見たことだろう。頭にかぶり、目に見えない存在となって、夜中に女の子の部屋に忍び込むという素敵な悪戯。今や大人になった僕らは、やっぱり「隠れ帽子」を夢見ている。ただ安全に、あの卑劣な軍の検問所を通り抜けたいがために。
『広い畑の真ん中の恐怖』より(«من مجمو عة «(2015)الخوف في منتصف حقل واسع)
「私は清潔な人間ではない」(أنا لستُ إنساناً نظيفاً)
――あいつに自分のことをそんなふうに言われて、私はとても不愉快だった。「ムスタファーは、私たちの街区で最も清潔な人間でありました。そして……」「おい、この野郎。おれたちの街区じゃ、ひと月前から断水なんだよ。おれはそのときからずっと風呂に入ってないんだ。なのにどうしておれのことを清潔だなんてことにするんだ⁈」あいつは驚きのあまり言葉を失い、皆が驚愕に包まれた。私は棺桶に戻って静かに横たわった。
『詩人とおさらばさせてくれ』より(«من مجمو عة «(2019)ساعدونا على التخلص من الشعراء)
「けちな遺体と気前のよい遺体」(جثث بخيلة وجثث كريمة)
――私は二か月前、母さんと一緒に町を出て行こうとしていた。そこに看護師時代の同僚が連絡してきた。「用があるんだ。一生に一度のチャンスだよ」彼と待ち合わせて古いビルの地下に降りると、私は息を呑んだ。手術台と手術道具が揃っていた。「ここに運ばれて来る死体から、売り物になる臓器を摘出して、あいつらに渡してやって、莫大な金額を手に入れるってわけだ」。私はここで働き始めた。そのうち私はけちな遺体と気前のよい遺体とに分類するようになった。何も摘出できないような遺体と、臓器をいくつも摘出できる遺体のことだ。
「三匹の遺跡の怪物」(ثلاثة وحوش أثرية)
――親愛なる読者さま。この物語を読むことはお勧めしません。私は国境の町で偶然、知人と再会しました。近況を伝え合っているとき、彼がふと口を滑らしました。「お、俺は薬の密売をやっているんだ。俺には家族がいるんだよ……」私にはどうでもいいことでした。彼は携帯電話をいじって写真を見せました。遺跡から出土した彫刻の写真がいくつかあり、真ん中には恐ろしげな怪物の石像が三体ありました。「届いてくるカバンの中には、横流しする薬の下にこの遺跡の出土品が入っているんだ」私も仕事に誘われましたが、私には家族がいませんでしたから、そこまでする必要はありませんでした。別れたあと、彼から電話がかかってきました。「あの三匹の怪物を覚えているか? 一匹が巨大化して、俺の隣に座っているんだ――」
「牢獄の中で〝太陽の絵〟を描く――シリアの現実が凝縮されたムーサーの空想の世界」森晋太郎
「罌粟の幽香」ダイアン・フォーチュン/渦巻栗訳(The Scented Poppies,Dion Fortune,1922)★★☆☆☆
――タヴァナーは名刺に目を通した。「グレゴリー・ポルソンか。たぶん事務弁護士だろう。面会してみよう」。来訪客は話し始めた。「私は先の大戦で巨万の富を築いたベンジャミン・バーミスターの事務弁護士を務め、一家とは公私ともにつきあいがあります。妹は分家の息子ティムと婚約しているんです。婚約から六か月後、財産をティムに遺すという新しい遺言書を作成しました。ところが遺産の受取人になった人間は、これまでに三人続けて投身自殺しているのです。昨日はティムまでが、窓から身を乗り出して、『道路にたたきつけられたら、どんな感じなんだろう』と言い出す始末です」「誰かを疑っているのでは?」「ただの勘ですが、いとこのアーヴィングを疑っています。ある種の香を特定の友達に渡していますが、においで人を操ることなどできるのでしょうか?」
精神科医タヴァナー博士が主役のオカルト探偵ものですが、オカルトにはオカルトの論理があるのが面白い。探偵ものとしては犯人が香りで自殺教唆しているとわかればそれでおしまいだと思うのですが、思念を込めたり増幅したりといった(屁)理屈でどうやらオカルトなりの理屈を通そうとしているようです。犯人に対しても、呪いをやめさせるのでも警察に突き出すのでもなく、犯人に対抗するかのようにオカルト返しで罰を与えています。ただ、近年の特殊設定ミステリのようなものではないので、作中の理屈に何の必然性もなく言ったもの勝ちなのが、オカルト探偵もののつまらないところです。
「兵士」A・M・バレイジ/高澤真弓訳(The Soldier,A. M. Barrage,1927)★★☆☆☆
――ライオネル・ダンソン氏は引退してハンプシャーコートの地所を購入した。庭師としてラザム夫妻を雇い、快適な毎日を送っていた。三ヶ月ほど経ったある晩、汽笛の音が聞こえ、窓の外に外洋航路船が見えた。ダンソン氏は望遠鏡に手を伸ばしたが、扱いに慣れずにもたもたしているうちに、レンズが庭師の家の前を捉えた。「兵士が、右手でドアを叩いていました。左手がなかったんです。中身のない袖はぼろぼろで、血がしたたっていました。ドアを叩きつづけていましたが、突然いなくなったんです。先の大戦で亡くなった兵士の幽霊にちがいないのですが、地元に伝わる幽霊話のようなものは見つかりませんでした」
探偵役のフランシス・チャードとワトスン役の語り手コンビニよる典型的なホームズ・スタイルの探偵譚ですが、幽霊の正体が【庭師の妻の最初の夫】という由来もホームズ譚を思わせるところがあり、かなり意識的なホームズ・パロディだと言えそうです。
「霊媒師のカナリア」F・テニスン・ジェシー/岩田佳代子訳(The Canary,F. Tennyson Jesse,1929)★★★★☆
――ソランジュはアールズ・コートで過ごした子ども時代を思い出し、不意にミセス・フェルプスを訪ねてみることにした。ミセス・フェルプスはソランジュの顔を見ると一瞬にして表情を崩した。「よく来てくださいましたね……けさ、とんでもないことが起こって……」現在の間借人セプティマス・ブラウンリー氏が亡くなり、姉のミス・ブラウンリーから、妻のマージョリー・ブラウンリーが毒を盛ったとなじられて大変だったという。ミス・レマンは今もミセス・フェルプスの貸間で暮らしていたし、連れて来られた医者のドクター・サベイリーにも子どものころお世話になったことがある。「可愛らしい義妹のことが嫌いで嫉妬しているんでしょうね。それで好き勝手なことを言って」とソランジュは言ったが、ミス・レマンは返事をしなかった。「そうですよね?」「そうね、単なる偶然なんでしょう。一週間前、ミセス・ブラウンリーから相談されて、水晶で占ったんです。それで、浅黒い肌の若い男が見えたと伝えたんです」
ソランジュ・フォンテーヌはオカルト探偵ではなく、悪を直感できる能力の持ち主という設定のようです。フランスからの出張中(?)に、幼少期を過ごしたロンドン郊外を訪れる際の風景描写や心理描写など、意識的にホームズをなぞっているバレイジとは違い、明らかにホームズとは異なるアプローチで書かれています。幽霊を信じているわけでもないので、捜査方法も一癖も二癖もある遺族たちの心に分け入っていくスタイルです。解決編の降霊会にしても、飽くまで犯人を罠に掛けるために霊媒師に芝居を持ちかけたものであり、クライマックスは怪異の怖さとも人間の悪意の怖さとも言えるものでした【※疑わしい被害者の姉にボロを出させるために霊媒に被害者の霊のふりをしてもらうが、本物の霊にも思える声が殺人に見せかけた自殺で不貞の妻に復讐しようとしたことを告白し、証拠は姉に託したことを告げて懺悔する。】。超常現象が存在するか否かのラインを炭坑のカナリアに象徴させる、やるせない結びも印象的です。
「怪奇探偵名鑑Ⅰ」
「シャーロック・ホームズの怪奇幻想事件簿」北原尚彦
「群衆の人」エドガー・アラン・ポー/植草昌実訳(The Man of the Crowd,Edgar Allan Poe,1940)
――額を窓に当てんばかりにして群衆を観察するうち、突然ある顔が目にとまった。年老いた男の顔だ。あまりに特異な表情だったため目が離せなくなってしまった。警戒、吝嗇、貪欲、冷酷、悪意、残忍、慢心、歓楽、恐怖、絶望の入り混じった強い気魄が、私の心に伝わってきた。「あの顔の下には、どれほどの荒々しい過去が秘められているのか!」何者なのか知りたいという思いが湧き起こり、慌てて外套をはおり、群衆をかきわけて彼が行ったと思われる方に向かった。男の姿を捉えると、気取られないように用心しながらあとを追った。
町なかで見かけた老人が気になり尾行するところに探偵趣味が感じられるという理由で選ばれた由。
「祭儀」アーサー・マッケン/南條竹則訳(Ritual,Arthur Machen,1937)
――聖霊降臨節の月曜日、私はグリーン・パークで数人の子供たちが遊びらしいものをしているのを見た。初めに何か込み入った前置きがあり、芝居めいた所作と言葉のやり取りのあと、立っている一人の子供を五、六人が取り囲んだ。彼らは一人の子供を殴るふりをして、殴られ役の子供は地面に倒れて動かなくなった。他の子供たちは上着を彼に掛けて走り去った。それから、儀式のうえで埋葬された子供は立ち上がり、この遊戯はまた最初からやり直されるのだった。私はこの遊びのことを記事にしたが没をくらった。このことを覚えているのは、別の場所でさらに奇妙な体験をしたからだった。
「小さい人々」アーサー・マッケン/南條竹則訳(The Little People,Arthur Machen)
随筆「小さい人々」に紹介されているアシキ族とはまったく違う怪異ですが、怪奇小説のパターンとしては一度目は大丈夫だが二度目三度目はお仕舞いの型ではあるので、アシキ族はもっともらしい理由づけに使われただけのような気もします。
「十三人のゴースト・ハンター 本朝心霊探偵ガイド」朝宮運河
「無謀な散歩者」H・ラッセル・ウェイクフィールド/渦巻栗訳(Jay Walkers,H. R. Wakefield,1940)★★☆☆☆
――日刊紙に掲載された記事によると、ヘレフォードシャーにある道路でまたしても死亡事故が起きた。この十年で六回目であり、いずれも同じ日付のほぼ同じ時刻に発生しているという。地元の歴史に詳しいマナーという紳士に話を聞くと、十九世紀末の弁護士の回想録に、この道路のことが出てくるという。H・Bなる紳士が婚約者のミス・Lと散歩に出かけている途中、娘さんの具合が急に悪くなり、翌日には亡くなってしまった。H・Bはすべての容疑を晴らしたあとで大富豪のアメリカ婦人と結婚して渡米し、その後は不明だ。検死解剖の結果、ミス・Lの死因は植物性アルカロイドによる中毒と判明したが、H・Bには動機もなく毒物を購入した形跡もないことから、自然死ということになった。
探偵役はアンストラザー・リーブリッジ准男爵。自動車事故の原因は何か?ではなく、その原因となった幽霊の死因は何か?が意外な真相のように明かされるのは、勘所がずれている気がします。
「生けるものの如く」ジョゼフ・ペイン・ブレナン/植草昌実訳(In Death as in Life,Joseph Payne Brenan,1963)★★★☆☆
――フィンチウェア夫妻は二年前、チェシャーの町はずれに家を買い、改修に一年かけて引っ越したが、六か月もすると良くないことが続発するようになった。甥は怖ろしい夢を見て、邪悪なものがそばに潜んでいるのを感じ、夫人はこの家に何かがいてしじゅうつきまとっていると思うようになり正気を失いかけた。フィンチウェア氏は寝室の窓から裏庭を見下ろしたとき、芝生の向こうから灰色の影のようなものがゆっくりと屋敷に近づいてくるのを見た。恐怖のあまり身動きできなかったが、命取りになる前に窓辺から動くことができた。『そいつの顔を見てしまったらおしまいだった』と言っていた。一家には出かけてもらい、私とレフィングは寝室で夜を過ごした。寝室の隅が揺らぎ、壁全体に靄がかかった。それが晴れたかと思うや、恐怖が姿を現した。
心霊探偵ルーシャス・レフィングと、ワトソン役のブレナンもの。スタイルこそホームズ・タイプの古くさい作品ですが、幽霊の挙げる声や水に濡れた靴の立てる音など、生々しい音に生理的な嫌悪と恐怖を呼び起こされました。怪異が現れる際の空間が歪む感じにも眩暈がしました。また、心霊探偵が手に負えず、除霊は神父にお願いするというのも変わっています。
「怪奇探偵名鑑Ⅱ」
「祭壇の亡霊事件」マージェリー・ローレンス/田村美佐子訳(The Case of the Haunted Cathedral,Margery Lawrence,1945)★☆☆☆☆
――建築家のグレッグ・ハートは、聖堂の完成から半年後に、祭壇へ続く階段で服毒自殺した。ハートの死の前から奇怪なできごとに関するいい伝えや噂話はあったが、彼の死が引き金となって噂は拡大した。主教が聖なる杯を聖体拝領を受ける者の唇に近づけたとたんに悲鳴をあげて失神した。聖体拝領者の女性の顔に、もう一つ別の顔――男の顔――が割りこんだというのだ。悪霊払いの儀式も功を奏さず、困り果てた主任司祭はペノイヤーに相談した。それは驚くべき話だった。聖堂に亡霊はふたり出るというのだ。ひとりは亡きハートが死ぬ以前から姿を見たり物音を聞いたりした人がいた。そしてふたりめがハートの亡霊――と思われるものだ。
マイルズ・ペノイヤーもの。長いわりに内容がありません。建築家が自殺した理由、建築家と幽霊の少女の関係、ポイントはこの二つだとはっきりしているのに、だらだらと話が進みません。工事に邪魔が入るのは悪魔の仕業だと思い込んだというのが、単なる狂気の描写ではなく【工事を成功させるために少女を生贄の人柱にしたという】伏線になっていましたが、殺されたのはわかりきっているし、動機だけではインパクトに欠けます。
「第二回『幻想と怪奇』ショートショート・コンテスト 佳作入選作」蜂本みき・水城瑞貴・Yohクモハ
「怪奇幻想映画レビュー 『GUMMO ガンモ』」斜線堂有紀
「怪奇幻想短編の愉しみ 迷路の先に 阿刀田高「迷路」ほか」木犀あこ
阿刀田高「迷路」、レイ・ヴクサヴィッチ「ささやき」、ケリー・リンク「スペシャリストの帽子」、それぞれの迷路と結末について。
「幻想と怪奇 Reader's Review」
幽霊屋敷からのラジオの実況中継というアイデアが、ウェイクフィールド「ゴースト・ハント」(1948)より早く、ロバート・アーサー「幽霊を信じますか?」(1941)が最初だということに驚きました。
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『S-Fマガジン』2024年12月号No.766【ラテンアメリカSF特集】
『百年の孤独』文庫化がきっかけの特集だそうです。
「ペラルゴニア――〈空想人類学ジャーナル〉への手紙」シオドラ・ゴス/鈴木潤訳(Pellargonia: A Letter to the Journal of Imaginary Anthropology,Theodore Goss,2022)★★☆☆☆
_――利発で想像力豊かな高校生たちが集まって架空の国「ペラゴニア」を創造し、Wikipedia の記事を作ったり、Instagram に写真を投稿したりしているうちに、現実にペラゴニアが存在することになってしまう。行方不明になった高校生の父親(人類学者)の身に、はたして何が起こったのか……。_(特集解説より)
著者はハンガリー生まれのアメリカ人作家。それなのにラテンアメリカSF特集に採用されたのは、この作品がボルヘス「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」に影響を受けていることによります。『メアリ・ジキル』シリーズもそうでしたが、訳がガーリッシュすぎると感じます。
「うつし世を逃れ」ガブリエラ・ダミアン・ミラベーテ/井上知訳(Retreat from the World Outside(Huir del siglo),Gabriela Damián Miravete,2020)★★★☆☆
――異端審問審査官へ、裁判所の命により、罪科の審査と相当する刑罰を明らかにされるべく、以下の事物をお送りします。修道女ソル・アガタ による自筆の書き付け。同修道女により作られたとおぼしき、機能および用途不明の、異端かもしれぬ装置一台。装置とともに見つかった円盤のようなもの一枚。告発者ソル・マリアによると、ソル・アガタは異端の者であり、アルフォンソ・デ・アルバ神父と姦淫の罪も犯しているといいます。部屋から怪しげな物音が聞こえ、禁書を読んでいたのを目撃しました。
メキシコの作家。英訳からの重訳。狂信者から見れば邪な行為であり、未来人との交信のようにも見え、最終的にはアナクロな録音再生装置という落としどころに落とされます。過去が舞台だからこそ、【失われそうな少数言語の保存】という目的が活きています。
「ラテンアメリカ文学ブックガイド」鯨井久志他
「ラテンアメリカ文学研究者・翻訳家 寺尾隆吉インタビュー」鯨井久志
〈ラプラタ幻想文学〉と〈魔術的リアリズム〉の違いや、「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」の執筆が海外小説の海賊版が出回っていた当時の出版事情によるという説や、ボルヘスが編んだ幻想小説選集に採録された芥川の〝もう一つの〟「仙人」がボルヘスの創作ではないかと勘違いした話など、興味深い話題がいくつもありました。
「児玉まりあ文学集成 出張版」三島芳治
「多様性と若手作家の台頭 最新スペイン語圏SF動向」井上知
「輪廻の車輪」韓松/鯨井久志訳(噶赞寺的转经筒(The Wheel of Samsara),韩松(Han Song),2002)★★★☆☆
――チベットを旅していた女名、ある日噶賛寺に辿り着いた。壁に吊るされた数珠つなぎの青銅の摩尼車が目を惹いた。それは〈輪廻の車輪〉と呼ばれていた。その夜、寺に泊まった女は、叫び声を耳にした。翌朝、ラマ僧たちは説明した。「それは死霊ではなく〈輪廻の車輪〉のいななきです」と。過去五百年のあいだ噶賛寺は何度も打ち壊されたが、時計回りに三十六番目の摩尼車だけはかつての姿を留めていて、雨風が近づくとその車輪は不可思議な音を響かせるのだという。火星に戻った女は、父親にその話をした。科学者である父親は、静電気に過ぎないと説明した。
著者本人の英訳からの重訳。仏の教えには宇宙のすべてが詰まっているという喩えを言葉どおりに解釈したかのようなスケールの大きさがあります。
「第12回ハヤカワSFコンテスト 最終選考結果発表」受賞者コメント(カスガ、犬怪寅日子、カリベユウキ)、最終選考委員選評(東浩紀、小川一水、神林長平、菅浩江、塩澤快浩)
「歌よみSF放浪記 宇宙《そら》にうたえば(4) 記録と記憶」松村由利子
「SF BOOK SCOPE」
◆『長安ラッパー李白』大恵和美編は、中央公論社による中国SFアンソロジーの第三弾。ただし今回は「日中競作唐代SFアンソロジー」とある通り、日本作家も寄稿しているため、中国SFの収録量は半分だけ。大濱普美子『三行怪々』は、タイトル通りの三行小説集。
◆リリア・アセンヌ『透明都市』は、極限までに透明性が求められるようになった社会が舞台のディストピアSFにして、「行方をくらました一家の謎を追う、kの設定だからこその『特殊設定ミステリ』としても楽しませてくれる一冊」。ステファン・テメルソン『缶詰サーディンの謎』は、〈ドーキー・アーカイヴ〉の新刊。〈スパニッシュ・ホラー〉サマンタ・シュウェブリン『救出の距離』は、シャーリイ・ジャクスン賞受賞作。ただしホラー時評の方では「端的にまとめればB級ホラー」という評価も。
◆上條一輝『深淵のテレパス』は、第一回創元ホラー長編賞受賞作。「正統派モダンホラー」と聞くと面白くなさそうですが、「謎解きプロセスの面白さとその先に待つ意外性、そしてはったりの利いたクライマックスと、作者の賞自体の今後の発展に期待したくなるデビュー作」とのこと。
◆**静月遠火『何かの家』**は、著者七年ぶりの新刊。特殊設定ミステリとしても評価されていました。
「SFのある文学誌(97)夢野久作③――大正期童話運動と夢野の創作童話」長山靖生
「戦後初期日本SF・女性小説家たちの足跡(16)新井素子――日本SF史に残るベストセラー作家①」伴名練
奇想天外SF新人賞の星新一×筒井康隆×小松左京の選考会の様子が面白い。
「乱視読者の小説千一夜
ブライアン・オールディスについて。
『コミケへの聖歌(冒頭先行掲載)』カスガ
『羊式型人間模擬機(冒頭先行掲載)』犬怪寅日子(いぬかい・とらひこ)
いずれも第12回ハヤカワSFコンテストの大賞受賞作の冒頭先行掲載。
「時間移民」劉慈欣《リウ・ツーシン》/大森望、光吉さくら、ワン・チャイ訳(时间移民,刘慈欣,2010)
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『時間移民 劉慈欣短篇集Ⅱ』より表題作を先行掲載。
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