黒夜行 2008年10月 (original) (raw)

「お願いします!弟子にしてください!」
僕は目の前にいる師匠に大きく頭を下げて声を上げて叫ぶ。師匠、とは言っても、僕が勝手にそう思っているだけで、まだ弟子入り出来ているわけではない。でも、絶対に師匠の弟子になると決めているのだから、僕にとってはもう師匠なのである。
師匠はものすごく困った顔をしている。師匠は弟子を取りたがらないことで有名だ。これまでも何人もの人間が断られているそうだ。しかしそんなことでめげてはいけない。僕は何も言ってくれない師匠に向かってまた声を張り上げる。
「お願いします!僕を弟子にしてください!」
「いや、ちょっと待てよ。弟子って何だよ」
師匠の困惑はどんどんと広がっていく。恐らくこれまでも多くの人間にこうして弟子入りを志願されているだろうけども、その度に違和感を感じるのだろう。
「弟子は弟子です。何でもします。掃除・洗濯・食事の用意。お荷物も持ちますし、歌を歌ったりマッサージをしたりもします。何でもします。お願いします」
師匠は、やれやれ、っていう顔をしている。まあそうかもしれない。師匠は弟子を取る気なんて元々ないのだ。それでもこうして押しかけてこられたら、それは迷惑だろう。それは僕だって分かるのだけど、それでも師匠に弟子入りしたいのだから仕方ない。
「ほら、師匠のご自宅もその…年季の入っていることですし、直したり掃除をしたりと、何なら今からやりますよ」
「いい、いい。ってかご自宅って何だよ。ただ汚いだけの棲みかだよ」
「食事も、残ったものをうまく使って料理出来たりしますよ。こういう生活をしていると栄養が偏るでしょうから」
「まあそうなんだろうけどよぉ。でもお前、俺に弟子入りしてどうしたいわけ?」
「それはもちろん、師匠みたいになりたいんです!」
師匠はもう理解できないって顔をしている。そうかもしれない。確かに僕がしていることは馬鹿げたことかもしれない。
「一つ聞きたいんだけどさ、俺みたいなホームレスに弟子入りするのって、最近流行ってるのか?」

一銃「弟子入り」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、伝説的な落語家である古今亭志ん生の息子であり、落語界の第一線を走りながら多くの人に慕われ続けた古今亭志ん朝について、その弟子があれこれと語ったことを本にまとめたものです。
まず志ん生ですね。この人の名前は、落語に関係する本を読めば必ず出てくるというほどの伝説的な人物で、その落語も素晴らしかったみたいですね。ただ生き方自体も破天荒だったようで、本作には志ん生についてはそこまで触れられていないので別のを読んで知ったんですけど、若い頃は貧乏で貧乏で妻は内職で四人の子供を育て上げ、有名になり始めたのは40歳を超えてから。毎日酒が飲めると聞いて突然満州に行ってしまって、それから帰ってきてから60歳の手前で絶頂期を迎えたらしいです。
さてそんな無茶苦茶な、しかし伝説的な落語家を父に持った志ん朝は、当然大きな期待を背負うことになるわけですね。人一倍も努力を重ねて、親の七光りだけだとは言わせないだけの実力をつけていきました。
志ん朝は役者としても活躍したそうで、ブルーリボン賞も受賞しているようです。稽古に厳しく、またしつけに厳しく、ゴルフが大好き。弟子をあまり取りたがらず、しかし一度取ったらきちんと面倒を見る。人柄もよくて、ものすごく慕われていたそうです。
そんな師匠志ん朝を、志ん五・志ん橋・八朝・志ん輔・才賀・志ん馬・朝太という7人の直弟子が語るという内容の本ですね。
僕は最近なんとなく落語に興味が出てきたというようなにわか落語ファンなわけで、落語界や落語家についてほぼ知識がないわけなんですけど、まあそれでもなかなか面白いもんだなと思いました。落語界という、弟子入りという仕組みが未だに成立している奇妙な世界の中で、彼らがどうやって師匠に弟子入りし、どんな失敗をし、どんな稽古をつけてもらい、どんな面白い話があったのか。そういうようなことを、師匠を偲びながら語っています。
面白いなと思ったのが、直弟子7人が皆、もともと志ん朝を知らなかったということですね。
普通弟子入りする時は、その師匠にとことん惚れこんでいるはずなんですね。そうでもないと、弟子入りなんてしない。ただこの7人はどうも、元々志ん朝にほれ込んでいたわけではないみたいなんですね。成り行きで志ん朝を知ったり、あるいは誰かに弟子入りしようと思っていて志ん朝に行き着いたとかそんなんばっかりでした。ちょっと面白いなと思いました。
失敗談とかおかみさんとのバトルとかまあ面白い話はいろいろありますけど、全体的に志ん朝という人は真面目でいい人だったんだろうなということが分かりますね。やっぱり父親が反面教師になったんでしょうか。
落語に興味がある人にはそれなりに面白い本ではないかと思います。落語の本はいろいろ読んでみたいですけど、とりあえず立川談志の本と、古今亭志ん生の本を読みたいですね。とりあえず、立川談志のDVDは頼んでみました。さてどうなりますやら。

志ん朝一門「よってたかって古今亭志ん朝」

「お前が、人生に疲れたとか、もう無理だと思った時には、このボタンを押してくれ」
4年前、そのさらに1年前に脳梗塞で倒れた父が、そういいながら私にリモコンのようなものを差し出した。私は今、そのボタンを押そうかどうしようか迷っている。
5年前に倒れた父は、右半身が動かなくなり、そのまま寝たきりとなっている。一人娘で結婚もしていなかった私は、それから父の看病に明け暮れるようになった。
正直言って、もう介護に疲れてしまったのだった。
まだ私も28歳。やりたいことはないけれど、出来ることはたくさんあると思う。それなのに、父の看病だけで日々が過ぎていってしまうのは、何だか恐ろしいような気がする。だからと言って、じゃあどうしたらいいのかも分からない。そんな時に、父からもらったリモコンのようなものを思い出したのだ。
(押してみようかな)
押したらどうなるのかというのは父には聞いていない。きっと聞いても教えてはくれないだろう。しかし、こんなリモコン一つで一体何になるのだろうか。介護ロボットでも飛んでくるのか?まさかねぇ、なんて思いながら私はリモコンが気になって仕方がなかった。
(まあいいわ。押してみよう)
私は、もしもの時には押すようにと父から言われていたボタンをグイと押し込んだ。

「お前が、人生に疲れたとか、もう無理だと思った時には、このボタンを押してくれ」
そう言って俺は紀子にその装置を渡した。
倒れてから1年。紀子は本当によくやってくれている。かつてはあれほど反抗的で苛立たしかった娘が、まさかここまで懸命に看病してくれるとは思わなかった。その装置を渡したのは、私からのささやかなお礼だと言ってもいいかもしれない。
あれは、私の自殺装置だ。
元々は紀子を殺すために作ったんだったな、と俺は回想する。紀子が大学時代、それは紀子が最も荒れていた時期だったが、本当に手をつけられなかった。様々に問題を起こしてくれて、これはもう親として殺してあげるしかないだろう、と思ったのだった。紀子の食事にカプセルを混ぜ、後はボタンを押すだけ、というところまで言ったが、結局殺すことは出来なかった。そういえば紀子の体内にはまだあのカプセルがあることになるな。
ボタンを押すと、カプセルの中の成分が溶け出して心臓発作を誘発する。そういう仕組みである。解剖さえされなければ医者は病死だと判断するだろう。解剖されてもほとんど見分けられないだろう、とも思っている。自信作だった。
そのカプセルを俺も飲んだ。リモコンでは、設定を俺の方のカプセルに変えてある。後は紀子がボタンを押すだけで俺は死ぬことが出来るだろう。父親の看病から、娘を解放してあげなくてはならない。我慢することはない。すぐ押してくれていいんだよ。

ある日のこと。紀子の高校時代の友人が我が家に遊びに来たことがある。
その日は滅法寒くて、紀子は寒いのは割となんとかなるのだけど、友人はダメだった。友人は手近にあったリモコンを操作してエアコンの設定温度を上げようと思ったのだけど、しかしどうも作動しない。あちこちボタンを押してはみるものの、エアコンの設定は変わらない。イライラしているとちょうど紀子がやってきて、ちゃんとしたエアコンのリモコンを持ってきてくれた。
この時、友人があちこちボタンをいじくったせいで、リモコンの設定が父から紀子へと変わってしまったことは誰も知ることはなかった。

一銃「父からもらった」

そろそろ内容に入ろうと思います。本作は四編の短編が収録された短編集です。

「うん」
僕はるみちゃんのことが大好きだけど、るみちゃんは僕のことが全然好きではない。
るみちゃんは、まだ全然売れていない俳優の智クン(山本智也)が大好きだ。高校時代の同級生らしく、付き合ってるみたいな感じだけど、僕は智クンはたぶんるみちゃんのことは好きじゃないんだろうなと思っている。
るみちゃんは智クンとのデート代を稼ぐためにおっさんと援助交際をしている。それで、彼氏でも何でもない僕ともエッチをする。
るみちゃんが僕のことを好きじゃないことは分かっている。るみちゃんが僕を都合よく利用してることは僕だって分かってる。分かってるんだけど、それでも僕はどうしてもるみちゃんのことが好きで仕方がないんだ…。

「百年の梅干し」
さつきと久々にセックスをしようと思ったら、勃たなかった。まったくどうしようもない。
さつきと知り合って結婚して、それからさつき一筋だ。さつきは何だか変わった女性で、俺がフラれてヤケ酒飲んでる居酒屋で知り合って、そのまま俺がいついてしまったのだ。さつきは月に100本近いAVのレビューを書いているし、エロ漫画の原作とか官能小説のゴーストライターをしたり、本も出したりしている。しかしそんなカタギではない仕事をしているため母との折り合いは悪く、さつきは母に怯えている。
俺の方は、また何だか変なことになっていて、寿退社する職場の女性から誘われたりしている。いかんいかん、と思いながらも、同僚の言葉を思い出したりしてちょっとぐらいいいかなんて思ったりしている。
僕たちには、あずみという名の娘がいた。

「ピーター・ノースの祝福」
オレはヘルパーになろうと思って、老女のオムツを代えている。しかし吐き気がする。やっぱりオレには無理かもしれない。
就職するところまでは順調だった。しかしある日を境に、どうしても職場に行けなくなってしまった。それから、家庭崩壊させるようなことをあれこれやって、結局親に捨てられ、一人引きこもりのような生活を続けてきた。さすがに金がなくなってどうにかしなくちゃって思ってヘルパーの資格を取りにきたのだけど、やっぱりオレには無理だ。
諦めてまたゴミ塗れの家で横になっていると、ヘルパー実習でオレにいろいろ教えてくれた二瓶さんがウチにやってきて、私と結婚してくれない?と言ってきた。
それから僕は二瓶さんと一緒に暮している。
僕は相変わらず部屋に引きこもって何もしない。二瓶さんが一生懸命仕事をして僕を食べさせてくれている。僕がすることといえば、NHKの教育テレビを見続けることと、生意気な猫の世話をすることくらい。
しばらくすると二瓶さんはオレに、お地蔵さんのお参りを頼むようになった。

「虫の子 花の子」
ボクはデブで、昔はそんなこと全然気にならなかったんだけど、最近はダメだ。同じくデブのお母さんを無理矢理引っ張って、学校で一定の体重を超えた子供が行く栄養指導に向かったのだけど、好きなものを好きなだけ食べることが出来るのが人間として幸せなんだと言って譲らない母はさっさとボクを連れて帰ってしまう。
四年生は入学式の際、新入生を案内する係だ。その時、ボクが案内する(はずだった)女の子が、花珠ちゃんだった。
ボクは虫が大好きで、周りの女子からは(男子からも)気持ち悪いって思われてたけど、花珠ちゃんもなんと虫が大好きなんだって知ってボクは嬉しくなった。すっごい高い図鑑に載ってる絵を写してあげたり、いろんな虫の話をしたりしてボクは花珠ちゃんを喜ばせることが出来た。
それからだ。ボクが自分の体型を気にするようになったのは。

この作品、読む前はゲテモノ系かなと思っていたんですけど、予想以上に出来がよくて僕はすごく面白いと思いました。その上で先に書いておきたいことがあるんだけど、この本はいろいろとダメな点があるなと僕は思うわけです。いずれも内容についてではなく、本の外面的なことについてです。
まず表紙がダメです。本作はとんでもない絵が表紙になっているんですけど、別にそのとんでもない絵がダメだと言ってるわけではないんです。その絵も、内容にマッチしていれば僕はいいと思うし、実際僕はこの表紙の絵は結構好きだったりします。
ただ、内容とあまりにもかけ離れているんですね。全体の雰囲気と比べても全然違います。この表紙を見た人は、恐らく僕と同じようにゲテモノ系の作品だと感じることでしょう。そのせいで本作を手に取らない人がたくさん出てきそうな気がします。もっと内容や雰囲気に合う装画には出来なかったのだろうか、と僕は不思議に思います。
次にダメなのが、作品の並べ方ですね。とにかく、「うん」が一番初めに来ているのが僕はダメ過ぎると思います。この作品は、一番初めの「うん」と残りの三つとでは結構印象が違います。正直に言うと、「うん」だけは表紙のイメージとちょっと近い感じがする作品です。
大抵本屋で立ち読みをする人はまず一番初めの作品を読むことでしょう。それで作品全体の傾向を掴もうとするでしょう。でもこの作品は、一番初めの話と残りの三作が結構印象が違う作品なわけです。「うん」を読んで全体の雰囲気を判断されるようなことがあってはいけないと思うんですよね。だから、一番初めには「百年の梅干し」か「ピーター・ノースの祝福」か「虫の子 花の子」のどれかを持ってこなくてはいけなかったと思うんですよね。
最後のダメな点は著者略歴ですね。著者の略歴を全部書くと、

『渡辺やよい 東京都生まれ。早稲田大学在学中に漫画家としてデビュー、「レディコミの女王」の異名をとる。2003年「そしてオレは途方に暮れる」で第2回R-18文学賞読者賞を受賞、作家デビュー』

となるんですけど、その内の『「レディコミの女王」の異名をとる』の部分は絶対にいらないと思うんですよね。だってそんなこと書いたら、この作品もレディコミっぽいんだとイメージをつけてしまうことになりますよね。この作品がレディコミっぽい作品だったらいいんですけど、決してそんなことはないと僕は思うんです。だからこの著者略歴でさらにお客さんを限定しているように僕は思います。
しかしこんなに、内容面ではない部分で目に付く点が多い小説というのは珍しいですね。ちょっとこれはどうかなと僕は思います。この作品は新人の作品だし、もともと売れなくて当然かもしれないけど、それでも本作があんまり売れていないとしたら、上記に挙げたような要因も関係あるんじゃないかなという風に思いました。
作品の話に戻りますけど、本当に思った以上にいい作品でびっくりしました。元漫画家らしいけど、作家としてはデビューしたてのはずなのに、文章が結構上手いんですよね。物語の展開のさせ方は、漫画家時代に培われたのか、やはり上手くて、僕は新人だと知らずにゲラかなんかで読まされたら、中堅の作家の新作ですか?みたいに聞いてしまうだろうなと思います。
著者は恐らく女性でしょうが、すべて主人公が男です。それなのに(というのも変ですが)、その男目線での描写に違和感がないんですね。他の男が好きな女性にいいように使われている男、割と平凡で奥さん一筋の男、引きこもりでどうしようもない男、虫が大好きな少年、と全くタイプの違う男を見事に描き分けているのも見事だと思います。
しかもどの話も恋愛が絡んでくるんですけど(ただし冒頭の「うん」以外は、恋愛要素はメインではないんだけど)、やはり著者が女性だからか、非常に繊細なんですね。細かな描写でうまく登場人物たちの悲哀や喜びなんかを表現するし、何だかうまくいかない恋愛という状況を見事に描き出しているし、上手いなと思いました。女性ならではの視点を持ちつつ、男を主人公にして様々な男を描き分けることが出来るというのは強いなと思いました。
僕が一番好きな話は「百年の梅干し」でしょうか。ちょっと変わった夫婦の、出会いや結婚、妻の変わった仕事、俺の妻には言えない秘密、妻の母親とのこと、子どものこと、犬のこと、梅干しを浸けることなんかを書いているだけなんですけど、いい話なんです。のほほんとしてるんだけど力強いというか、まあ矛盾してますけど、そんな感じなんですね。さつきという女性は結構好きな感じの女性だし、主人公も頼りがいがあるんだか間が抜けてるんだかよく分からない男で面白いです。僕は結婚なんてしたくないですけど、こんな夫婦生活だったら悪くないかなと思いました。まあ妻の母親だけは勘弁ですけど(笑)。
「ピーター・ノースの祝福」も捨てがたいですね。「ピータ・ノース」というのは主人公がネットで見つけたお気に入りの人物なんだけど、このピーター・ノースはストーリーにはほとんど関わってきません。
まず主人公の墜ちていく様が僕とダブるんですよね。僕もある時急に大学に行きたくなくなって、それからしばらく軽く引きこもって大学を辞めて実家に戻ったりした人間なんですけど、これまでも「何で大学を辞めたのか」とか聞かれてもうまいこと答えられなかったんですよね。でも、本作で書かれていたように、「急に行けなくなった」んですよね。いや、ホントわかります。説明なんて出来ないんですよね。ただそうなってしまったわけで、親近感が湧きました。
突然の結婚から始まる身辺の突然の変化に主人公は戸惑いながら、それでも徐々に慣れていきます。お互いの利益のために打算で結婚したわけだけど、しかしその生活は案外悪くなくて、主人公も着実に変わっていくことになります。なかなか面白いです。
「虫の子 花の子」もいい話ですね。特に後半、主人公の母親の話が出てくる辺りなんか素晴らしいですよね。それが冒頭の栄養指導の話に関わってくるわけで、上手い構成だなと思いました。
「うん」はやっぱりこの作品全体からは浮いている気がします。初め「うん」を読んだ時はちょっとなぁと思ったんですけど、でも本作をすべて読んだ後で振り返ってみると、まあ悪くないかもなと思えたりしました。
別の男が好きなんだけど主人公におごらせたりいいように使ったりする女と、愛されているわけでもないのにどうしても好きで仕方ないしエッチも出来るから一緒にいる主人公というのにどうしても共感出来ないんですけど、それでもただお互いダメになっていくというだけの話ではなくて、主人公の家族の話とか主人公の友人の話とかいろいろ出てくるので、全体としてはまあまとまっているかなと思います。「うん」を読み終わった時ほどは悪い印象ではないですね。
まあそんなわけで、主に女性向けだと思いますけど、僕はかなり面白い作品だと思いました。何にせよ筆力のある作家なので、これからもちょっと期待したいなと僕は思います。ちょっと面白い作家が出てきたなと思います。カバーなしで読むのはちょっと勇気がいる作品ではありますけど、是非読んでみてください。

渡辺やよい「ピーター・ノースの祝福」

従業員が毎日入れ替わる食堂がある。
周りを山に囲まれたただ広いだけの土地にポツンと建っている食堂だ。その食堂には名前はないみたいだ。地元の人は、「山の食堂」とか「きのこ食堂」とか呼んでいる。店の前に大きなきのこが生えているのだ。
僕は自然環境に関わるNPO法人に所属していて、特にこの地域の山の手入れに力を入れている。きのこ食堂のある山では、林業が盛んであったり、あるいは地元の猟師が現役で活動していたりと、自然の恩恵を多分に受けているのである。しかしこのところごみの不法投棄やゴルフ場の開発問題などがあり、キレイで恵豊かな山を維持し続けよう、と僕らは活動しているのだ。地元のお年寄りなんかも積極的に活動に協力をしてくれ、NPOの活動としては充分な成果を挙げているのではないかと思う。
その過程で山を訪れることが結構あるので、ついでにきのこ食堂に寄ってみるということが多い。ウチのNPOの人間はかなりお世話になっているはずだ。
しかし不思議なのは、こんな山奥にある食堂なのに、従業員が日々代わっているということである。別に毎日行くわけではないけど、近くを通った時にたまたま中が見えるような時もある。そういうケースも含めて、これまで同じ従業員を見たことが一度もないのである。
料理は滅法うまい。山で獲れるタヌキやイノシシの肉を使っているのだろう。獲れたての新鮮な肉と、同じく山で獲れる山菜やきのこなどを組み合わせた料理は素晴らしいのひと言に尽きる。三日と空けず通いたくなる店なのである。
ちょっと不思議な店ではあるけれども、何故かころころと従業員を代えながら、そこそこ繁盛している。こういう食堂が山の中にあると思うと、さらにこの山を守っていかなくてはいけないな、と僕は今日もNPOの活動に力を入れるのだった。

「今日は前から話していた通り、どうしたら人間さんに恩返しが出来るかという話し合いだ」
獣長であるタヌキのポンさんが、各獣代表を集めて会議を開いている。
「人間さんはこれまでにこの山を守るために様々なことをしてきてくれた。恐らくそれについては皆言わずとも分かっていることと思う。我々としても、猟師に撃たれることで多少の恩返しは出来ているかもしれないが、充分ではないだろう。さてどうしたらいいだろうか」
おのおの知恵を絞ろうとしているようだが、そこは獣のこと、ない知恵を絞るとはこのこと。なかなか名案は浮かばない。子供と遊んであげるとか歌を歌ってあげるなんてのもあれば、夜のお供をしてあげるなんてとんでもない意見もあった。
「食堂を作る、というのはどうでしょうか?」
イノシシが言った。
「山の中に食堂を作るんでさぁ。でそこで、ワシらの肉を使った料理を作って出すってわけだ。どうだ、これなら充分じゃないか」
なるほど、という声があちこちから聞こえる。悪くないかもしれないな。
「店にはつねに、調理係と接客係が一人ずつ。調理係はキツネ、お前がいいだろうな。キツネはどうも料理がうまい。接客係は人間様を席に案内したりおしぼりを出したりした後、その日の料理に使う肉になる。そこまで繁盛されたら回らないかもしれないが、大体こんな感じにすればなんとかなるだろうよ」
「なるほど、それは悪くないかもしれないな。早速皆準備に取り掛かって欲しい」
そうタヌキのポンがまとめた。

こうしてきのこ食堂は生まれた。

一銃「きのこ食堂」

そろそろ内容に入ろうと思います。
フィンランドのヘルシンキの街角にある「かもめ食堂」。最近オープンしたばかりのその店は、周囲の人に注目されている。何せ子供のような日本人が一人いるだけなのだ。フィンランド人はなかなか人見知りで、なかなか中にまで入ってはいけないが、かもめ食堂には徐々にお客さんが集まってくるようになる。
日本で父と二人で暮していたサチエは、家庭の味をそのまま出すお店をやってみたかった。別に日本でやることはないと気づいてフィンランドまでやってきた。運良く、開業資金や開店までの手続きなども順調に進み、無事「かもめ食堂」を開くことが出来た。
初めの内はまったくお客さんは来なかったが、サチエは宣伝などはしなくなかった。日本オタクのトンミがほぼ毎日やってくるぐらい。しかし徐々に口コミだけでお客さんが入ってくるようになってきた。サチエはメニューに手作りのおにぎりを入れ、毎回それを薦めているのだけど、やっぱり食文化の違いか、なかなか食べてくれる人はいない。
少ししてミドリとマサコという日本人女性と知り合い、お店を手伝ってもらうことになる。三人でひっそりと、それでも日々忙しくかもめ食堂を切り盛りしていく…。
というような話です。
この作品は確か映画化もされましたよね。それで僕も名前を知っていて読もうと思ったんだと思います。
評価としては、噛み応えはないけど味は悪くない、みたいな感じでしょうか。
読み応えみたいなものはないですね。ページ数が少ないこともさることながら、全体が非常に淡白で淡々としています。白身魚を塩で味付けしてみました、というようなシンプルさで、まあ悪くはないけどちょっと物足りないかなという気がしないでもないです。かもめ食堂に関わる三人がどう働いていて、どんな会話をして、店でこんなことが起きてというようなことが続いているだけで、かなり薄味ですね。
でもまあ、設定やキャラクターはまあなかなかいいと思います。異国で食堂を開いて宣伝せずに繁盛するというのは、まあ現実にはかなり困難だろうし、本作を読んでもその困難さがまったく伝わらないという問題点はあるかもだけど、そこは主眼じゃないんでいいんでしょう。
キャラクターはなかなか悪くないですね。サチエは店のオーナーでもあるのでしっかり物、ちゃんと自分の考えを持っています。それに比べてミドリとマサコはちょっとワケアリ。なんとなく日本を飛び出してきたみたいなところがあって、そのフラフラっとしているところがいいですね。サチエの喋り方がおかしくなったり、ミドリがヨガで失敗したりと、本筋のストーリーとはまったく関係ないところで彼らのキャラクターが浮き彫りにされていくのも面白いなと思いました。
まあそんなわけで、とにかくすぐ読めます。何か軽く読みたいんだけどなぁという時には最適ですね。何となくロハス的な小説です。まあそれなりに面白いと思います。

群ようこ「かもめ食堂」

殺人事件の帳場が立って二日目。警視庁捜査一課八係館山班所属の箕輪武史と遠藤七草は敷鑑、つまり死体発見現場周辺の聞き込みを続けていた。
「しかしこう寒いとやる気が出ねぇなぁ」
「何言ってんすか、ミノさん。ちょっと前まで、もうちょい寒かったら俺の実力はもっと発揮されんのに、とか言ってたじゃないですか」
「ん?そうだったっけ?覚えてないなぁ」
二人は、死体発見現場から離れた区域を割り当てられていた。重要な情報があまり上がって来ないところである。まあぼちぼちやろう、そんな風に話していた。
既に結構回っている。留守宅も多いが、話はそれなりに聞けている。と言っても、大した収穫などないのだけど。まあ捜査の大半はこうした無駄なことの積み重ねだ。文句を言っている場合ではない。
「よし、じゃあ次はあそこか」
「えっ、ミノさん、あそこは…」
「は?何か問題でもあったか?」
「いえ、特には…」
「何言ってんだ。行くぞ」
『葛城』と表札にある家のチャイムを鳴らす。
「すいません、警察の者ですけども」
返事があって、しばらくして玄関のドアが開いた。主婦と思しき女性が出てきた。
「あそこの殺人事件の件で聞き込みをやってます。ちょっとだけお話を聞かせてください」
「…ええ、でももうお話はしたはずですけど」
「まあそうなんですけど、警察って同じ話でも何度も確認しないといけないとこでして」
「…はぁ、そうですか」
そうして二人は、家族構成から死亡推定時刻付近で何か気づいたことはないかなど、形式的でありきたりな質問をした。主に喋っていたのは箕輪の方で、遠藤は始終黙ったままだった。これまでは遠藤が主に聞き取りをしていたので箕輪は不審に思ったが、ここは頼みます、と言われたら仕方ない。
聞き取り相手の主婦も、何だかおましいなぁという風に首を傾げながら話をしている。何だかおかしいけど、そのおかしさは事件に関わるようなものではないような気がする。だったら何の違和感なのかと聞かれるとさっぱり分からない。遠藤といいこの主婦といい、一体何だと言うのだろうか。
聞き取りを終え、辞去した後、遠藤がおもむろに口を開いた。
「ミノさん、あそこの家何か気になったんですか?」
「いや、何も。何だ、お前何か気に掛かったのか?」
「そうじゃなくてですね、じゃあ何であの家に二回も聞き取りに言ったんですか?」
「は?何言ってんだ。さっきが一度目だろうが」
「…ミノさん、それ本気で言ってるんですか」
そう言われて箕輪はちょっと焦った。確かに聞き取りの際、遠藤も主婦もおかしかった。違和感を感じた。なるほど、それが二度目の聞き取りだったからというのであれば分からないではない。しかし、どうしてもあの主婦に一度聞き取りをしたという記憶がまったくない。
「…いや、聞き取りは一度目だと思うが」
「ミノさん、悪いことは言いません。病院に行きましょう。認知症は30代からだって始まるって言いますし。ちょっとそれは心配です」
俺が認知症か、と箕輪は思った。まだ38だぜ、俺。

一銃「聞き込み」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、今書店員の間では、これは結構きそうだなという予感がプンプンしている作品です。まだそこまで爆発的に話題になっている作品ではないですけど、恐らく近い内に、どこの書店に行ってもたくさん積んである、みたいな本になるのではないかと思います。あくまで予想ですけど。
本作は、警視庁捜査一課の女性刑事である姫川玲子を主人公にした警察小説です。
姫川は、女性でしかも27歳という若さで異例のスピードで警部補に昇進した。今は、今泉という上司に誘われ、警視庁捜査一課十係の姫川班の主任である。今泉率いる十係は曲者揃いで、日下や勝俣など侮れないアクの強い刑事がしのぎを削っている。
その事件は亀有にある水元公園から始まった。ビニールシートに包まれ、身体に異常なほど裂傷を負った遺体が、溜池近くの植え込みから発見されたのだ。喉を切り裂かれ、腹も切り裂かれ厳重にビニールシートに包まれた死体は、しかし何故か人目につきやすいところに放置されていた。何故こんなところに…。
姫川は、その天才的なカンによって、結びつくはずのないいくつかの出来事を繋いで事件の筋を描いてみせる。しかしそれでも事件の全貌は一向に掴めない。一方で、姫川班の部下である刑事の一人が、「ストロベリーナイト」という謎の言葉を仕入れてくる。この言葉は一体何を意味するのだろうか…。
というような話です。
これはホントメチャクチャ面白いです!本作は、単行本の時からなんとなく気になってはいたんです。でも何となく手に取らなかった。この誉田哲也という作家は、「アクセス」という作品でホラーサスペンス大賞を受賞しているんですけど、恐らくそのイメージがあったんでしょうね。ホラーでデビューかぁ。本作は警察小説みたいだけど、どうかなぁ、みたいな。
しかし、こんなに面白いならもっと早く読んでおけばよかったなぁ、と思います。ちょっとこれは大きく展開してバンバン売ってやろうと思っています。
まず警察小説全体についてちょっと書きます。警察小説というのは非常に特殊なジャンルでして、書き手によってものすごく差が出やすいんですね。例えば普通のミステリーなんかにも警察は出てきますけど、これの上手い下手は本当にすぐ分かります。それぐらい、警察という組織は描くのが難しいんですね。
警察小説というのは、そんなそもそも描くのが難しい警察という組織を全面に押し出して描く小説なわけで、なお難しいわけです。下手な作家が手を出すと火傷するだろうなぁ、と思います。僕の中で警察小説っていうのはそういうものなんですね。
で本作ですけど、警察の描き方がいいですね。僕は別に特別警察小説を多く読んでいるというわけではないですけど、基本的なところはそこそこ押さえていると思うし、それなりには読んでます。やっぱり警察小説の上手い下手はすぐ分かるけど、本作は非常に上手いと思いました。
警察小説を描く上でもっとも難しい(と僕が勝手に想像する部分)は、警察という組織の特殊性ですね。基本的に減点方式で、出る杭は打たれるけど何もしないで平凡にいれば出世する可能性も高くなる。勉強だけ出来るエリートがどんどん昇進して、現場で足を棒にして働いている人間はなかなか上にはいけない。縄張り意識が強く、また手柄を自分で挙げてやるという意識が強い。情報を得るためにあくどいこともする。
警察というのは、警察小説を読んだ知識によるとそんな感じのところなんですね。他にもいろいろ特殊な部分はあるんですけど、まず警察という組織以外では類似性のない組織だと思うんです。それを、警察内部にいるわけでもない人間が書こうっていうんだから大変ですね。本作では、その警察という組織の描き方が非常に上手いなと思うわけなんです。よくミステリーなんかでは、警察組織は出さずに刑事だけ描いたりしますけど、それは警察組織を描くのが無茶苦茶大変だからだろうなと思います。
さてそんな特殊な警察組織にあって、しかも主人公は女だったりします。しかも27歳で警部補という異例のスピード出世で、滅法カンが強い。死体マニアと揶揄されるくらい死体の話が大好きで、事件が起きるとウキウキする。
なんて書くとどんな人間だよと思われるかもしれないけど、でもこの姫川というキャラ実にいいです。本作では、姫川が刑事になろうと決意した経緯が描かれていて、それも非常にいいです。また、家族との関係が描かれたり、ちょっとした恋愛みたいなものが描かれたりと、決して捜査一辺倒の作品ではありません。随所にエンターテイメント的な部分を挿入しています。
キャラと言えば、本作はかなりキャラの濃い作品ですね。警察小説だけど、キャラクター小説と言ってもいいくらい、登場人物が濃いです。
その最右翼は、姫川と井岡と勝俣ですね。姫川はさっき書いた通りだけど、井岡と勝俣もなかなか変です。
井岡は警視庁の刑事ではなく所轄の刑事なんだけど、かつてある殺人事件を一緒に捜査したことがある。けったいな関西弁を操る男で、上司だろうと態度を変えずいつもふざけたようなことばかりしている。姫川のことが気に入っているようで、始終ちょっかいを仕掛けてくる。刑事としての資質は本作ではイマイチ判断できないけど(ただ一箇所、おぉこいつはもしかしたらすごい奴なのかもと思わせる描写があります)、一癖も二癖もある人間で読んでて面白いですね。
勝俣は、姫川が苦手とする相手です。ガンテツという渾名で呼ばれるその男は元公安で、勝俣班と一緒に仕事をすると、自分の情報はすべて吸い取られてしまうという、情報戦のプロ集団だ。勝俣自身も、公安の経験をいかして警察の内部情報を常に収集し、それを外部に売っているという食わせ者だ。
常に姫川の邪魔ばかりしてきて、しかも厭味なことを言う。触れられたくないことまで触れてきて、姫川としては天敵に等しい。しかし、仕事はきちっと挙げてくる男で、捜査のやり方に問題はあるかもしれないが、結果を出す男だ。
とにかく全編通じてこの勝俣という男はすごくヤな奴なんだけど、何となく憎め切れないところがあるんですね。それは何でかって考えると、底の底では事件を解決したいという根っこがきちんとあるからだろうな、と思います。勝俣がただ趣味で姫川をいびったり無茶苦茶な捜査をしているなら好きになれないけど、勝俣は事件を解決するというその一点に向かって常に全力疾走している男で、そこに最短で辿り着こうとするがために無茶苦茶になってしまうというわけです。それが読んでいて非常によく分かるので、憎め切れないんだろうなと思います。
あとは國奥とか大塚とか菊田とかも結構いいですね。
國奥は本作の冒頭に一瞬だけしか出てきません。國奥は東京監察医務院の監察医で、死体マニア(?)である姫川に変わった死体の話をしてあげるという話し相手です。僕としてはスピンオフとして、この國奥を主人公にした話を読んでみたいなぁ、なんて思ったりします。
大塚と菊田は共に姫川班の刑事ですね。菊田は本作中ほとんどいいところがなかったけど、今後の展開が非常に気になるので楽しみですね。大塚は実直な刑事で、本ボシに繋がるような捜査はほとんどしたことがないけど、白だろうと思うものを白だと確定する作業を誰かがしなくてはいけないと思っていて、そういう作業をする自分にアイデンティティを感じている人間です。その真面目な仕事っぷりは、本作のようなアクの強い刑事が多い中ではなかなか面白い存在だなと思いました。
ストーリーは、簡単に言ってしまえば猟奇殺人という括りになるでしょう。ちょっと安易かなと思わないでもないけど、ただ刑事たちの捜査によって真相がじわじわと見えてくる展開はなかなか白眉で、設定自体の安易さを完全に打ち消していると僕は感じました。本当に、多方面から様々な形で真相に近づいていくので、ちょっと非現実的だと思える真相もありえるのではないかと錯覚させられてしまうような、そんな作品だなと思います。
伏線の貼り方も上手いし、登場人物のキャラクターも見事だし、時折挿入されるエピソードなんかも面白いし、ストーリーもかなりいい。警察小説についてすごく詳しいわけではないけど、本作は警察小説の中でもかなりトップクラスに面白い作品なんではないかなと僕は思います。
しかし時代は変わったもので、本作の解説はとある書店員さんが書いているんですね。もちろんそういうケースはこれまでも見たことがありますけど、昔だったら考えられなかったでしょうね。僕もいつか…、なんてまあありえないでしょうけど(笑)。
そんなわけで、かなり面白い作品だと思います。警察小説はそこまで得意ではないという人でも、本作はキャラクターがかなり面白いので読めてしまうのではないかなと思います。ちょっと残虐な感じはあるけど、主人公が女性なので女性にも読みやすいと思います。さて、僕も頑張ってこの本売るか。

誉田哲也「ストロベリーナイト」

その悪魔がやってきたのは、番組スタッフから理解できない話を聞かされた日の夜だった。
一ヶ月ほど前、ある番組の企画で初恋の人と対面するというのがあり、その聞き取り調査をスタッフに受けた。僕は、もちろん迷うことなく梓ちゃんを挙げた。
中学時代となりのクラスにいた女の子だった。僕は彼女のことがずっと大好きで、でも積極的な性格じゃなかったから何も言えないでいた。でもある日、クラスメイトの女子に呼び出され体育館の裏に行ってみると、そこにはなんと梓ちゃんがいたのだった。そうして僕らは、別々の高校に行くまでの間ずっと付き合っていた。
梓ちゃんとのことは今でも思い出す。忙しくてなかなか同窓会なんかに顔を出したり出来ないのが残念だが、仕事に疲れた時なんかにふと思い出すようなことがあって、恥ずかしくて一人で苦笑いするようなことだって結構あるのだ。
しかしその日番組スタッフから、中村梓という女性はいない、と告げられたのだった。そんなはずはない、と粘った僕だったけど、スタッフが連絡を取った当時のクラスメイトの一人と電話をして納得せざるおえなかった。
そんなバカな!僕は家に帰るまでに何度胸の内でそれを繰り返したことだろう。梓ちゃんがいなかっただって。じゃあ僕のこの記憶はただの妄想だとでも言うのか!
その夜、僕の住むマンションに、悪魔がやってきたのだった。
「ちょうど20年経ったしね。ほら、約束だったでしょ、20年だけって?オッケーしたよね?」
その悪魔は何だかもの凄くフレンドリーに意味の分からないことを捲し立ててきた。
「約束って何の話だ?俺は今イライラしてるんだよ!さっさといなくなれ!」
僕は叫んだが、悪魔は動じもしない。
「なるほど、分かるよ、梓ちゃんのことだろ。いやだからさ、そのイライラを解消するためにもさ、ほら消しゴムがここにあるからさ」
もう何を言ってるんだかさっぱり分からない。消しゴムって何のことだ?
「ちゃんと消してあげるからさ、梓ちゃんの記憶。この消しゴムを頭にちょちょいってやったら消えるからさ。もう充分でしょ?」
そういうと悪魔はずいっと近寄ってきて、僕の頭を消しゴムで一撫でした。

20年前のこと。
その悪魔がやってきたのは、僕が同じクラスの女の子に振られた日のことだった。
それまで周りの女子にはそこまで興味が持てなかった。何人かの男子は女子と付き合っていたようだったし、その内の何人かはもう最後まで行ったなんて噂もあったけど、僕にはどうしてそんなことをしたがるのか全然分からなかった。
けど、僕のクラスに来た転校生の佳子ちゃんを見た時、僕は電撃を受けたようになってしまった。佳子ちゃんと喋りたい。手を繋ぎたい。ずっと一緒にいたい。そんな思いは日に日に募っていった。
僕は意を決して佳子ちゃんに告白したのだけど、あっさりフラれてしまった。
僕はもうどん底だった。
その夜、その悪魔が一本の鉛筆を持ってやってきたのだった。
「失恋?大変だねぇ。ねぇねぇ、いいのがあるよ。ほらこの鉛筆なんだけどさ、君の頭の中にさ好きな記憶を書き込めるんだよねぇ。どうどう?」
悪魔は異常に馴れ馴れしい態度でやってきて僕を苛立たせたけど、佳子ちゃんの失恋に沈んでいた僕は、藁にもすがる思いでその鉛筆を手に持った。
名前が同じだと辛いかもしれないから、梓ちゃんって名前にしようか。隣のクラスの女の子ってことにして、向こうが僕に告白したってことにして…。
僕は失恋の痛手を消そうとして、ありえない話をどんどん脳に刻み込んでいった。
「そうそう、ちょうど20年後にこの記憶消しにくるからさ。よろしく~」
相変わらず軽いノリで悪魔は話し掛けてくる。
「でもサービスで、鉛筆で記憶を埋め込んだっていう記憶だけは先に消しゴムで消しといてあげるからね。心配しないでね」

一銃「消しゴム」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作はつい最近著者自身による脚本でドラマ化もされた話題作です。もともとは新聞連載された小説だったようです。
物語は、アメリカはマンハッタン、ハドソン川の定期船であるスカイラインが事故で転覆し、戸倉美波が死んだことから始まる。
美波は外務省のエリートだった河野と一緒に死んだ。美波には夫も娘もいたが、高校時代惚れぬいた相手である河野のことが忘れられなかった。
専業主婦の西尾満希子は、日本でそのニュースを知り、すぐ灰谷ネリと原詩文と連絡を取った。
彼女達四人は、高校時代の同級生だった。卒業以来ほとんど連絡を取り合っていなかったが、美波の死をきっかけにして、再び彼女達の因縁が動き出したのだ。
高校時代。美波の弟の家庭教師だった河野に、美波が惚れた。二人は付き合うようになるのだが、同級生だった詩文が河野を奪い、あまつさえ河野との子供まで産んだ…。
高校時代、決して仲がよかったわけではない四人が、この出来事をきっかけにして捻くれた関係になっていく。美波の死をきっかけにしてまた関係性を取り戻した三人にも、過去から続く因縁が蘇ったかのように付きまとっていき…。
というような話です。
あんまり期待しないで読んだので、割と面白い作品だなと思いました。ただどちらかというとやはり、女性向の作品でしょうね。江國香織8割に桐野夏生を2割くらい足したような、そんなイメージの作品でした。恋愛の部分は江國香織で、40代という女性の『ささやかな老い』みたいなものを描くのは桐野夏生かな、というイメージです。
物語は、四人の視点を交互に移動しながら進んでいきます。また、現在と高校時代とも行き来するような作品です。この大石静という作家がもともと脚本家だということもあるんでしょうけど(小説は本作でデビューです)、非常にドラマ的な構成だなと思いました。
本作を読むと、女ってのは大変だよなぁ、と相変わらず思います。
先に四人の女性の大体の性格なんかを書いてみましょうか。
一番強烈なのは詩文です。詩文は、高校時代も現在もさほど大きく変わりません。常に欲望のままに生きている印象で、自分でも自分のことを淫乱だと言うほどです。同級生の彼氏をゲーム感覚で奪ってみたり、あちこち男性を渡り歩くような人生を歩んだりと、かなり地に足のついていない不安定な女性です。生きる気力があまりなく、母である自分にも妻である自分にも関心がなく、いくつになっても女として生きている、そんな女性です。ドラマでは永作博美が演じていたようです(しかし永作博美の可愛さはヤバいですね。40歳を超えているとは思えません)。
アメリカで事故死する美波は、主に高校時代の描写しかありませんが、至って平凡です。特に人目を惹く容姿でもなく、勉強が特別できるわけでも、運動が特別できるわけでもありません。自分の意見がさほどなく、周りに同調する感じで、大過なく日々を過ごせればいいというような女性です。
満希子は、高校時代と現在とで最も変わった女性でしょう。高校時代は、長身で美貌であり、常に注目される存在でした。教室でもリーダー格であり、常に皆を引っ張ったりまとめあげたりしていて、言い寄ってくる男には特に関心が持てなかったけど、そういうリーダーとしての自分にアイデンティティを感じていたような女性です。
しかし今は、元住職と結婚して実家の墓石店を継いだ専業主婦です。高校時代は、アナウンサーでもモデルでも何でもなれると言われていた満希子があっさり専業主婦になったことに、周囲は驚きました。しかも今となっては、相変わらずキレイではあるけど、服装や見た目に気をつかうこともなく、だらしない生き方をしています。平凡な夫と、平凡な生活を続けていることに嫌気がさすこともあるけれど、それも諦めているような、そんな女性です。
ネリは秀才で、エスカレーター式に大学に上がれる付属高校にいながら、唯一受験をすると言って猛勉強を始めました。しかも狙うのは、東大医学部よりも偏差値が高いとされるK大医学部。ネリは、受験がないせいで行事の多い校風にあって、行事の大半をサボっていたけど、それでも許されているようなところがありました。
現在まで、ほとんど男と付き合うことなく、脳外科医として仕事一筋で生きてきたネリですが、彼女も美波の死をきっかけにして、大きな転機を迎えることになります。
このまったくタイプの違う四人の女性が、高校時代と現在とで様々な係わり合いを持ちながら、自分の将来を考えたり、あるいは自分の人生を見つめ直したりするというような展開です。
一人一人のキャラクターが非常に丁寧に描かれるので、女性が読んだら自分はどれに近いだろうかという風にして読めるだろうなと思います。僕は女ではないけど、生き方としては詩文が一番近いような気がします。別に淫乱ということではなくて(笑)、生きていることに関心がなくて、何物にも縛られたくなくて、年を取っても自由に生きているというところがいいですね。でもそんな詩文も、やはり母親だったかというような部分も出てきて、やっぱりそういうところはちょっと違うなと思ったりします。
個人的にはネリが興味深い女性でした。仕事一筋でほとんど男と関わることもなかったというのは、どうなんでしょう、現実の女医とかキャリアウーマンとかにも結構ありえたりするんでしょうかね?男に関心がなくて、レズというほどでもないという女性は一体何を考えて生きているんだろう、というようなところが興味深かったですね。
一番不可解なのは満希子です。だって、高校時代誰もが憧れる美貌を持っていたわけなんです。というか、年を取った今でも飾り立てていないだけで器はいいわけなんです。それでも何もしない。専業主婦に落ち着いている、というのは別にいいんですけど、何も飾り立てず何もする気がないというのが僕には不可解でしたね。
やっぱり何だかんだ言っても、女性というのは容姿にはこだわるものじゃないですか。女性自身がそうしたいというよりは、無意識の内に社会にそう強要されているみたいな部分が強いのかもしれないけど、それでもやっぱり容姿のいい女性は何かと社会の中で得するし、得するしないに関わらず、女性というのは美しければ美しいほど自らの容姿を磨いていくイメージがあります。
それなのに満希子は何もしないんですね。これがどうしても僕は不思議でよく分からない部分でした。女性だったら共感出来たりするんでしょうかね?どうなんだろうなぁ。
美波は、高校時代のことがメインで描かれるだけだけど、ちょっと美波みたいな女性はイヤですね。ちょっと困る。男の身を滅ぼすような詩文みたいな女性はまだいいと思うけど、男に身を滅ぼされるような女性はちょっと見てられないですね。
ストーリー全体の展開はうまいなと思いましたが、やっぱりドラマのような多視点の構成はあまり小説には向かないような気がしますね。視点がどんどん入れ替わっていくので、僕みたいに小説をうんざりするほど読んでいる人間にはさほど困らないけど、そうではない人には読みにくいかもしれません。何でこんなことを書くかと言うと、最近の若い人達の小説を読む力がかなり衰えているなと感じるからです。とにかく、ストーリーが面白いとかキャラクターがいいとかよりも、読みやすいということが優先されるようです。読みやすいというのはどういうことかというと、漢字が多くなくて改行が多くて、登場人物が多すぎないで、時系列が行ったり来たりしないで、一人称で、というようなことですね。ちょっとそういう風じゃない小説があると、最近の人はもう読めなくなっちゃうらしいんですね。
まあ別にそういう世代に合わせる必要はまだないでしょうけど、段々そうなっていくんだろうなと思うと僕はちょっと怖いなというような気がします。
話を戻すと、僕のように小説をガンガン読んでいる人間でも、やっぱり視点がどんどん入れ替わっていくようなのはあんまり得意ではないですね。これは読みにくいとかではなくて、なんとなく一本通った真っ直ぐの道みたいなのがある方が小説として柱が太いように僕が思っているだけですけど。本作は全体としては悪くないですけど、もう少し章毎で視点を変えるみたいな形できちっと構成されていたらもっとよかったかもしれないなと勝手に思いました。
女性にオススメ出来る作品です。特に、一時期流行った「アラフォー世代」にはいいんじゃないでしょうか。登場人物がみなそれぐらいだし。四つのタイプの女性を読んで、自分はどれに近いのか考えて見てください。

大石静「四つの嘘」

3Dテレビがついに発売になった。日本のトップメーカーが世界で初めて製品化に漕ぎ着けたそのテレビを、世界中の人が待ち望んでいたのだった。世界に先駆けて日本での発売が決まり、僕はその一週間前から電気店の前に並んで待っていた。
そうやってやっと手に入れた3Dテレビだった。
このテレビのすごいのは、もちろん画像が3D(立体)に見えるという点であるが、それが通常のテレビ放送すべてにおいて適応されるということだ。
どういうことかと言うと、通常テレビ番組というのはカメラが撮っている空間しか映らない。カメラの裏側は映らない。しかし3Dテレビの場合、360度全方向見える、すなわち自分がテレビの中に入っているような感覚になる。そのためには、通常のテレビ番組の映像では素材が足りないことになる。
しかしこの3Dテレビは、そのないはずの映像を勝手に補完し組み込んでしまうというすごい機能を備えていた。例えばドラマを見ているとする。普通のテレビで見ると部屋の一角しか映っていないのに、3Dテレビでみるとその部屋の全方位きちんと映像として映し出されるのだ。それこそ、本当にその部屋の中にいるかのような体験が出来る。
さっそく僕は配線を終え、スイッチを押した。初めに映ったのはニュース番組だった。

『今日3Dテレビを発売したパナソニー社屋で、社員が何者かによって銃で撃たれて殺されているのが発見されました。発見時、部屋のドアや窓はすべて施錠されていたとの情報もあります。殺された社員は3Dテレビの広報担当部長であり、恐らくその発売を報じるニュースを3Dテレビで見ていたのではないかと言われています。ただDVDレコーダー内に任侠物の映画のDVDがあった模様で、映画の鑑賞をしていた可能性もあります』

すごい。まるでスタジオにいるかのようだ。目の前で美人キャスターが喋ってる。一応お約束でスカートの中を覗こうとしたけど、やっぱり何も見えなかった。
ニュースはとりあえずもういい。次はドラマだ。今日で最終回を迎える、ある人気テレビドラマだ。連続殺人犯を追い詰める刑事の物語であり、どうやら今クライマックスを迎えているようだ。
雨が降っている。刑事と連続殺人犯が道路を挟んで向かい合っている。横断歩道の信号は赤。刑事は後一歩のところで連続殺人犯を追い詰めることが出来ない。
業を煮やした刑事は拳銃を取り出し、連続殺人犯に向ける。まさか撃つはずはないと高を括っている連続殺人犯が逃げる素振りを見せた瞬間、刑事は銃を撃った。
「うっ」
弾は連続殺人犯には当たらなかった。声を上げたのは僕だ。
刑事が撃った弾が、僕に当たった。
そんなバカな!そんなわけがないだろ!頭の中はそう思っているのだけど、胸を押さえた手は血で真っ赤になっている。
意識を失う瞬間頭に浮かんだのは、つい先ほど見たニュースのことだった。

一銃「3Dテレビ」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、日本テレビのとある名物ディレクターが書いた自伝的テレビ業界回顧録みたいな作品です。
この名物ディレクター、なかなかすごい人なんです。これまでに手掛けてきた番組名を挙げれば、とんでもないものばっかりです。
『アメリカ横断ウルトラクイズ』を考えたのもこの人だし、『はじめてのおつかい』もこの人。大家族をドキュメンタリーで撮ったのもこの人が初めてだし、エジプトに2億(今のお金で5億ぐらい)のお金を掛けてミニピラミッドを作ったり、『カルガモさんのお通りだ』っていう、最近でいうアザラシのタマちゃんみたいなののはしりで社会現象にまでなった映像を撮ったりもしてます。また、ビートルズの来日のオープニングを撮ったり(ファン垂涎のお宝VTRを撮ったり)、マイケル・ジャクソンの独占取材をしたり、長嶋監督引退の番組を担当したりと、まあとにかくいろいろやってる人です。
しかもこの人何がすごいって、日本テレビの役員なんですね。いや、それだけじゃ何がすごいのか伝わらないだろうけど、この人一瞬だけ部長をやったけど首になり、局長ももちろん局次長もやってない。50を過ぎても一介のディレクターだった人なんですね。とにかく現場が好きな人で、何か撮ってないと気がすまない人。そんな人が役員になっちゃったもんだから業界中が驚いたんだそうです。今でも役員とディレクターの二足のわらじで頑張っているらしいです。
入社した当時は、まあどこにでもいる(って別にテレビ業界のことを知っているわけじゃないけどADだったわけです。というか寧ろ周囲よりもイケてなかったかもしれません。
というのも著者は、一旦念願のディレクターになったものの、ある日生放送の当日に「出来ません」と言って逃げてしまう。今なら閑職に追い遣られるか首になってもおかしくないような事態だけど、当時はまだテレビも出来たてで大らかなところもあったのだろう。ADからやり直しということになったわけです。
そうやってまたディレクターになってあれこれ映像を撮るようになるんだけど、どうもうまくいかない。空回りばっかりしている。
36歳になって、彼はアフリカにいた。これでダメだったらもうディレクターを辞めよう。そう思ってのアフリカ行きだった。
一応番組の企画である。アフリカを横断しながら旅を続けるという感じだけど、ほとんど放浪に近い。そんな中、運命の出会いがあったり、人生観が変わったりといろいろあって、そうして<娯楽ドキュメンタリー>を中心に様々な映像や番組を作っていったのである。
それにしても、36歳になってもまだ芽が出ず悩んでいたというのだからすごい。ピラミッドを作ったり、『アメリカ横断ウルトラクイズ』をやったりするのはその後のことなのだ。よくもまあテレビの黎明期から走り続けてきたものだなぁ、という感じの人です。
著者は、本書の中でちょくちょく最近のテレビのあり方に苦言を呈しています。その主張をぎゅっと要約すると、『本気でやれ、本物を撮れ』ということになります。
著者は、まさにこれを実行している人です。ヤラセなんてもっての他、事前の準備を完璧にし、対象に惚れこみ、それでいてきちんと距離を保ち、時には相手の懐に飛び込んでいって、そうやって『本物』を撮る。
例えばかつて、『追跡』という番組をやっていた時のこと。『取材拒否の店』というシリーズ企画があった。僕らの感覚で言えば、取材拒否だったけど粘り強い交渉の末最後には取材をオーケーしてもらえる、というような流れだと思うだろう。
しかし、著者は違う。取材拒否の店に万全の最高の準備を整えて交渉に行き、それでも断られるその過程を映像に記録し流すのである。
また、『はじめてのおつかい』でもヤラセは一切ない。だからこそ、ボツになる作品がとんでもない数になる。毎年正月に7人の子どものおつかいを流すらしいのだけど、実際に撮っているのはその10倍、70人の子どものおつかいなんだそうだ。とにかく、神様が気まぐれを起こして素晴らしい脚本を書いてくれるのをひたすらに待つ。そうやって『本物』を撮る。
僕らはもう既に、ヤラセに慣れてしまっているし、悪質なヤラセがあることも一時期のニュースを見て知っている。それに慣れてしまったと言ってもいいかもしれない。作り手側も、これぐらいは演出だと言って、ヤラセを多用するんだろう。
別に僕はヤラセが悪いとは思わないけど、でも著者みたいにものすごい力を注いで『本物』を撮るっていうのもいいよなと思います。ちょちょいのちょいで簡単に作れてしまう番組ではなくて、著者が作る番組みたいにものすごく手間が掛かった番組というのがこれからも残っていって欲しいなと思います。
最近みた中では(ってもう何年もあんまりテレビを見ない生活をしてるけど)、めちゃイケでやってた岡村のテニスなんかはよかったですね。あぁいう、岡村が限界まで真剣になるっていうところがいいですよね。もちろんあの中にだって多少ヤラセみたいなものがあったりするのかもしれないけど、あぁいう全力投球みたいな番組は僕はいいと思います。
さてというわけで後は、本作に書かれたいろいろ面白い話を抜書きして終わろうと思います。
まず著者がAD時代に先輩から教わった、寝起きの悪いカメラマンを起こす方法。

『耳元で<ピーカンで~す>と言うのさ。カメラマンはピーカン(晴天)が大好きだ。聞くぜ』

著者がアフリカを放浪していた時に出合った、日本航空のナイロビ支社の小倉さん。この人に出会って、人生は大きく変わった。この小倉さん、なんと山崎豊子のベストセラー小説「沈まぬ太陽」の主人公恩地元のモデルとなった人なんだそうです。またすごい人に会ったものです。

今著者は、『銀河スペース横断・ウルトラクイズ』という企画を進めているそうなんです。嘘っぽいですけど、本作に書かれている通りに信じればホントのことみたいです。NASAの無重力訓練メニューも入手したようで、米・英・仏・独・オーストラリアと共同で企画が進んでるんだそうです。
ってか壮大すぎでしょ。僕が生きている間に実現するかなぁ。っていうか著者が生きている間にやってくれないと誰もやらないか、こんな無謀な企画。

チャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚式を放送することになった。著者は様々なアンテナを張り巡らせ事前に情報をキャッチし、結婚式の情報をキャッチするや、イギリスとの間で一つしかない回線を押さえてしまった。つまり独占放送ということになる。
しかし外務省が横槍を入れてきて、結局独占は叶わなかった。
しかしそれで諦める著者ではない。同じ映像を使ってどんだけ面白い番組に出来るか考えた。
著者にはかつてアン王女の結婚式を生放送した経験があった。この経験を元に、綿密な計画と完璧な準備、そしてひっそりと他社を出し抜く知恵で、全局まったく同じ映像が提供される中で奮闘した。
その結果がすごい。視聴率は、NHKが12.2、TBSが12.1、フジテレビが11.7.
そして彼ら日テレは24.7。
まったく同じ映像を使ってここまで差別化できるというのはすごいなと思いました。

著者は、タッチの差でもしかしたら御巣鷹山に墜落したJAL123便に乗っていたかもしれなかったらしい。前日に便の変更をし、九死に一生どころか九十九死に一生を得たらしい。なかなかすごい運の持ち主である。その後著者の師匠である青島幸男に、
「九ちゃん(坂本九)じゃなくてあんたが乗ってればよっぽどよかったんだよ」と言われたのだとか。

最近では後輩の指導をすることが多くなったようだけど、著者は原稿を見て喋るアナウンサーや記者が嫌いだ。
「自分の言葉で喋れ!」と口を酸っぱくして言う。
それで記憶力の特訓をさせられることになるのだけど、内容がなかなかすごい。
『その日に乗ったタクシーのナンバーと運転手の名前、こいつを、その日一日は覚えておく』
『電車の窓を通り過ぎる質屋の看板を見て、店の名前と電話番号を会社に行くまで記憶する』
最初はキツいが慣れれば一ヶ月でできる…、らしいけど、僕には無理だ。
著者の盟友でもある福留アナは、とあるドキュメンタリーの企画を受けた時、著者に原稿用紙で400枚以上もある原稿を完璧に、しかもたった二日で覚えさせられた。とんでもない人がいるものである。

まあそんなわけで、ようやくそこそこの歴史を持てるようになってきたテレビ業界の中で、現場の第一線を見続けて来た男の回顧録です。テレビなんか見たことないし見るのも嫌い、という人には勧めませんが、子供の頃普通にテレビを見ていて、今もちょくちょく見ているなんて人は普通に楽しめる作品ではないかなと思います。著者の手掛けてきたテレビをリアルタイムで見ていた人(特に『アメリカ横断ウルトラクイズ』かな)なんかはかなり楽しめるのではないかと思います。
結構分厚い作品ですが、スラスラ読めると思います。面白いと思います。是非読んでみてください。

佐藤幸吉「僕がテレビ屋サトーです」

「田村遅いなぁ」
大塚が、何度目かの呟きを漏らす。
住宅街の中ほどに、ポツンと取り残されたようにしてあるバーでのこと。隠れ家、と言ってもいいくらい目立たないその外観とは裏腹に、内装はいかにもバーという感じで、そのカウンターに男女4人が腰掛けている。
「まあ昔から田村はそういう奴だったけどな」
吉本は中学時代、田村と同じサッカー部だった。朝連にはいつだって遅刻してきてたよ、と吉本はいう。
「懐かしいわね。佐藤君は結局来なくて残念」
美保はサッカー部のマネージャーで、サッカー部のキャプテンだった佐藤のことが好きだったのは有名な話だ。その佐藤は同窓会にはこれまで来たことはない。
「佐藤君ならこの前あったわよ。医薬品の営業とか言ってたかな?接待とかで結構忙しいみたい」
恵はまだ20代と言っても通りそうな若々しさでそう言った。何故か恵だけまったく年を取らないように見える。
「なんか酔ってきたかも。ほら、何だか揺れてる気がしない?」
そう言って美保は床を見る。
「うん、確かに。俺も揺れてるなぁ。もう年かな。酒はまだまだいけると思ってたんだけど」
吉本はおかしいなぁなんて言いながら目をこすっている。
「っていうかさぁ」と大塚が言う。
「田村の話だったはずなんだけどなぁ。まあ佐藤でもいいけどさ」
「そうだな。佐藤はまだか」と吉本。
「佐藤は来ないのよ。田村はまだか」
「そうだ、田村はまだか」
彼らは、田村の到着を待っていた。
そんな折、大塚の携帯電話に着信があった。表示されたのは『田村』。
「おっ、噂をすれば何とやらってか」
そう言いながら大塚は電話に出る。
「お前道に迷ったのか?」
「田村は昔からそうだったからな」と吉本がまた続ける。
「は?俺らはちゃんと『ロンダム』にいるって」
「かみ合ってないわね。まあ田村が場所を間違えたってだけなわけね」
恵は、だったらちょっと抑えようかなと言って、注文しようとしていたエビスを取りやめた。
「そんなわけないだろ。店がないだって?俺らはちゃんと『ロンダム』にいるっつーの」
それでも大塚は何か不安になったようで、田村との電話を続けながら入口まで歩いて言った。
入口のドアを開けた大塚は絶句したが、しかし残りの三人はその気配に気づくことはなかった。
「…おい、どこだよここ」
電話口に小さく呟いたその声も、田村にしか聞こえなかった。
「亀がいるんだけどね」
その時唐突に、バーのマスターが口を開いた。それまでカウンターの向こう側で完全に気配を消すようにして座っていた。男にしては珍しく年齢がさっぱり分からない出で立ちで、30代にも見えたし、60代にも見える、そんな変なマスターだった。
「亀?何の話だよ」
吉本が何だか不機嫌そうに返す。
「ほとんどいつもは眠ってるんですけどねぇ。今日は起きちゃったみたいで。珍しいですよ。5年ぶりぐらいかな」
「だから何の話なんですか、亀って?」
美保は大した興味はないようで、枝豆をひょういひょい食べている。
「田村がさ、『ロンダム』がないっていうんだよ」
大塚がそう言うと、恵がマスターに聞いた。
「それが亀と関係あるんですか?」
「だからね、この店、亀の上に建ってるんですよ。それだもんで、亀が勝手に歩いてどっかに行ってしまうんですよね。まあ必ず元の場所に戻りますからね、特に問題はないんですけどね」
「いやいや、問題大アリでしょ?」
「そうそう、亀って何だよ亀って」
「いや、そうじゃなくて」
「そうそう、田村はまだか」
ってそれももう違うかなぁ。そう美保は呟く。
じゃあ、と言って吉本が後を継ぐ。
「俺たちはまだか」

一銃「俺たちはまだか」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は6編の短編が収録された連作短編集です。

「田村はまだか」
札幌のススキノにある一軒のバー。「チャオ」という名のそのバーは、花輪春彦というマスターが一人でやっている。
今日は、小学校時代の同窓会の3次会だという男女五人組が来ている。客はそれだけだ。その内の一人である永田はこの店の常連だ。
彼らは、「田村」というかつての同級生を待っているようだ。しきりに、「田村はまだか」と口にしている。時々、田村との思い出を語り合いながら。

「パンダ全速力」
「チャオ」で田村を待っている池内暁は、量販店の販売部門で働いている。その上司が、二瓶正克である。
二瓶はどうにも掴み所がない。一番仕事が出来る人間なのに、ガツガツしたところがない。いつもボヤボヤしている感じがするのに、適当ではない。発注ミスをした際は多くの人間に酷く怒られたが、その時も何だか変なやり取りだった。
そんな二瓶が、あの時だけは何だか真剣に怒っていたような気がする。
池内がイベントでパンダの着ぐるみを着たときのことだ。

「グッナイ・ベイビー」
「チャオ」で田村を待っている加持千夏は、男子校の保険の先生だ。ジャージの上下に白衣、健康サンダルをパカパカ言わせて校内を歩く彼女を女として見る者は少ない。千夏も、まあそれでいいと思っている。
キッドのことを思い出す。キッドというのは、彼女が勝手につけたあだ名だ。
キッドが卒業してからもう三年になる。気のいい生徒にいちいち心を奪われていては男子校の教員としてやっていけないが、しかし千夏の心にキッドだけは鮮烈な印象を残していった。

「きみとぼくとかれの」
「チャオ」で田村を待っている坪田隼雄は生命保険会社の営業所長であり、独り身であり、童貞である。
モテないわけではない。というか、むしろモテる。食事をする相手には事欠かないし、誘いを掛けてきた女性もこれまでたくさんいる。
でも、そういうことにはならない。別にホモというわけでもないけど。
坪田は今、「ブルースター」というハンドルネームの女の子のブログを毎日見ている。ランキングで最下位、日常をただ綴っただけの大したことのない内容。それでも毎日読んでしまう。
青い星のような女の子が好きなんだ。

「ミドリ同盟」
「チャオ」で田村を待っている伊吹祥子は、離婚した。理由は、祥子の浮気だった。その相手は、同じく「チャオ」で田村を待っている永田だった。
マスターも離婚したのだった。マスターも、浮気が原因だった。しかしマスターの妻は、「ミドリ同盟を組んでいたのよ」と言った。何が本当の理由なのか、もしかしたら妻にも分かっていなかったかもしれない。
そんな時、田村から連絡があった。

「話は明日にしてくれないか」
この話は読んでのお楽しみということで。

というような内容です。
この作品は、まずタイトルが秀逸ですよね。僕が今年読んだ本の中でベストタイトル選手権をやったらまず上位に食い込むでしょうね。というか、もしかしたら1位かもしれませんけどね。こういうインパクトのあるタイトルをつけられる作家っていうのはいいですよね。
このタイトルのお陰もあってか、本作は世間的にそこそこ話題になっている作品です。ドカンと話題になっているわけではないですけど、たぶん書店の担当者によっては大きく売り出しているお店もあったりするんじゃないかなと思います。
表紙もなかなかいいですよね。恐らくバーのマスターである花輪春彦の絵だと思うんだけど、雰囲気出てますよね。耳触ってるし。結構好きな表紙です。
で内容ですが、そこそこ面白いかなと思います。というか、僕は結構好きな感じなんですけど、こういうあんまり内容のなさそうな作品がダメな人も多いかなという風に想像します。だから「そこそこ」という表現を使ってみました。
本作中のどの短編も、ストーリーらしいストーリーはあんまりないんですよね。冒頭の話は、皆が田村を待って雑談しているだけだし(田村についてのエピソードは多少出てくるけど)、その後の話は、その場にいる人々についての話という感じで、人によっては『だから何なわけ』と言いたくなるかもしれない、そんな特にストーリー性のない話の連続ですね。まさに、友達と飲んでる時の雑談みたいで、とりとめのないという表現がしっくりきます。
でも僕、こういう作品結構好きなんですよね。特に会話にあんまり意味がないところが好きです。小説って、どうしてもストーリーやキャラクターなんかを表現しなくちゃいけないから、会話が意味のあるものとして存在してしまいますよね。ある事実を伝えるために登場人物の一人に喋らせる、その人の性格を伝えるためにそいつに喋らせる、みたいな。
でも本作の場合、ほとんどの会話が何だか無駄っていうか意味がないっていうか、本当に雑談の場で繰り出されるような中身のないもので、そういうところが僕は好きなんですよね。
例えば例を挙げると、突然坪田が、グーグルの翻訳機能を使って洋楽を翻訳すると面白い、という話を振ります。別にこれ、後々何か関わってくるわけではなくて、本当にただの雑談なんですね。他にも、あんまり意味をなさない相槌とか、省略されすぎて意味の伝わり難い会話とか、そういう小説上のお約束の上に乗っかっていない、本当に日常しそうな会話によって小説が成り立っているので、そういうのが面白いなと思うし、僕は結構好きだなと思います。
会話だけじゃなくて、それぞれの登場人物についてのエピソードも何だかぼんやりしていて、なんともいえない雰囲気ですね。大阪人だったら、『オチは?』とか言いそうな話っていうか、普通の人でも『だから何だよ』って言っちゃいそうな話ばっかりで、面白いのかどうかって聞かれるとちょっと困るけど、僕はその全体の雰囲気が結構好きだったりしますね。この何でもない感じ、何にもなさない感じが、本作全体の一つ大きな枠組みみたいなもので、その枠組みがないという枠組みに支えられているというような、結構変な小説だなと思いました。
何で、好き嫌いは結構分かれるだろうなぁ、と思える作品です。人によっては、退屈だと感じる作品かもしれません。人によっては、よくわからないという評価になるかもしれません。ただまあこういう作品が好きな人はいるでしょう。たぶんより女性向けという感じはします。僕の説明で何となく気になった人は、是非読んでみてください。

朝倉かすみ「田村はまだか」

「…前園佐知子さんは、有機リン酸系の農薬の摂取により死亡しました。自宅の冷蔵庫にあったオレンジジュースに混入されたとみられています。」
そのニュースを聞いて私はすっかり怖くなってしまった。冷蔵庫の中のものに毒が入っているかもしれない。可能性はものすごく低いだろうが、でも決してありえないわけではない。そう考えると、冷蔵庫の中にあるものを食べることが出来なくなってしまった。そのせいで、一時拒食症のようになってしまい、ノイローゼ気味になった。
そんな風に考えるようになったのには、夫の浮気がある。夫はまだ隠し通せていると思っているようだが、私はもう確信していた。最近の夫の素振りから、その浮気はかなり本気であり、私の存在を疎ましく感じている様が感じられる。もちろん、気のせいかもしれない。しかしそんなこともあって、もしかしたら夫が毒を仕込むかもしれない、という妄想に発展してしまうのだった。
その広告を見つけたのはそんなタイミングであり、私にとってはすごくタイミングのいい話だった。
友人宅に遊びに行った時のことだ。その友人はケーキを焼くのが趣味で、時々人を集めてお茶会のようなことをする。その集まりに呼ばれたのだ。
友人の旦那は薬品などを開発している会社に勤めていて、その関係もあってか自宅には普通の人が購読しないような雑誌が置かれていた。何気なく開いたその雑誌の広告に、ある程度の毒薬であれば判別可能な試薬が載っていたのだった。その試薬を一滴垂らすだけで、ある程度の種類の毒薬であれば混入しているかどうかは判別可能だという。しかもその試薬自体は口に入れても問題のないもので、食品に入れても問題ないということだった。
そこで私はさっそくそれを取り寄せ、日々食品に垂らすようになった。もちろん、気にしすぎだろう。しばらくして気が済んだら止めればいい。試薬を入れて毒薬の有無を確認すれば食事も普通に摂れるようになってきた。ノイローゼからも回復しつつあるようだし、私はまた前のような穏やかな生活を取り戻すことが出来るようになった。

男は帰宅すると、床の上に倒れている妻の姿を見つけた。
(まああっさりとしたものだな)
男は計画通りにことが進んだことに満足し、警察と救急車を呼んだ。
(これでやっとアイツと一緒になれる。長かったな)
男はテーブルの上にあった小瓶を手に取ると、中身をトイレに捨てた。
(まさか試薬の方に毒が入ってるとはこいつも思わなかっただろうな)

一銃「毒殺」

書いている途中で、『試薬の中に毒を入れたら、試薬がそれに反応して毒が入ってることがバレバレじゃん』とか思ったけど、時間がなかったのでそのままにしました。これぐらいのことは書き始める前に思いつかないとダメですね。

そろそろ内容に入ろうと思います。
専業主婦の恭子はある日一人の女性から電話を受ける。夫の子供を身篭った、夫はあなたとは離婚するつもりだという内容で、夫の不倫相手からのものだった。恭子は頭に血が上り、咄嗟に計画を練って不倫相手を毒殺することに成功する。
しかしその後何日過ぎても、自分が殺した不倫相手が妊娠していたという事実が報道されることはなかった。まさか自分が殺した女性は妊娠していなかったのだろうか。そもそも私が殺した相手は、本当に夫の不倫相手だったのだろうか…。
疑心暗鬼になる恭子だったが、警察からの追及を予想してありとあらゆる手を尽くすと共に、警察から情報を引き出そうと奔走する。
一方で警察は、被害者の不透明な金の流れに着目し捜査を続けていた。しかし刑事の戸田は、現場の不自然さや犯人が取ったかもしれない謎の行動から、捜査本部の方針とは違った形で捜査を続けていた。早い時期に、犯人は恭子ではないかと当たりをつけていた戸田は、恭子を追い詰めるべく執念で捜査を続けるのだが…。
というような話です。
本作はついちょっと前、米倉涼子が主演でドラマ化されたこともあって大きく話題になりましたね。一時期各書店でも大々的に展開されていたはずの本で、かくいう僕ももちろん店頭で大きく並べていましたし、今も平積みで積んでいます。
僕は正直、世間的に売れている本との相性ってあんまりよくないんですよね。これまでも世間的に話題になって売れた作品を結構読んで来ましたけど、そのほとんどが僕には大した作品だとは思えなくて、内容と売上は関係ないのか、あるいは僕の読書傾向が世間と違うのか、まあそんな風に思っていました。
でも本作はかなり面白かったですね。世間的にヒットした作品の中では、珍しく僕にも合う作品でした。
本作は、解説でも書かれているように、全体のプロット的には特に目新しい部分があるわけではないです。犯人視点と刑事視点という二元中継もよくあるし、男女のいざこざが殺人に展開するというのもよくあるし、刑事が足をすり減らすというタイプの警察小説もよくあります。
でも、そういうよくある小説の型を使いながら、非常に読ませる作品を書くんですね。
まず設定が非常に面白いですね。恭子は夫の子供を妊娠したと告げた女性を殺すのだけど、実際彼女は妊娠していなかった。ただ嘘をついただけなのか?あるいは私は騙されたのだろうか?という設定で、これはかなり読者を惹き付けますね。物語のあらゆる状況も、この設定を巧く活かすように整えられていて、この小説の核となる部分がかなり魅力的で面白いなと思いました。
この設定で小説を書く上で非常に巧かったのが、犯人側と警察側両方の視点から物語を描いたことですね。倒叙型という形ですけど、これによって恭子側と警察側でいろんな食い違いが起こるんです。恭子の側からは事件はこういう風に見えているけど、警察の側からはこんな風に見えている。そのズレが、本作の登場人物には初めの内はわからなくて、ただ読者だけがわかるという感じが面白いんですよね。
それにさらに面白い点が、犯人の恭子と刑事の戸田の戦いの構図ですね。恭子というのは非常の頭のいい女性で咄嗟に計画を立てた犯行ではあったけれども、容易には追及できないような形で犯行を遂げます。一見すると、恭子の犯行には穴がないように思えます。完全犯罪に近い、と言っていいでしょう。
しかし、足で捜査するというベテラン刑事である戸田は、そんな完璧に近い恭子の計画を少しずつ打ち砕いていくことになるわけです。この過程は遅々としていて、恭子が犯人であることを知っている読者からすれば多少じれったい感じもしますけど、ただ戸田がそうして執念深く捜査を続けることで、逆に恭子の頭の良さが引き立っていくという構図になっていて、面白いと思いました。
恭子と戸田のバトルは二転三転し、最後までもつれ込んでいきます。結局どっちが勝ったと言えるでしょうか。それは読んだ人それぞれの意見ということで。
後半の展開なんかはなかなかお見事で、まさかこんなことが起こりうるとは、という感じですね。もしかしたら本作全体を通じて、現実にはありえないような描写や展開があるかもしれないけど、まあたとえそういう部分があっても(特にそのまさかの展開の部分は現実感が薄いかもしれませんが)、それでも本作の面白さは衰えないだろうなと思います。
松本清張の作品はほとんど読んだことはありませんが、本作は松本清張のようなミステリだと評されます。恐らく、戸田のような執念深い刑事が出てくるからそんな風に評価されるのだと思いますが、かといって古臭いわけではなく、どんな世代の人でも面白く読める作品だと思います。
ただ一点、僕がどうしても納得できない点があります。
本作では、恭子の犯行の動機について繰り返し語られます。読者からすれば、恭子が受けた電話の内容を知っているわけで、恭子の動機についてはそれなりに理解できますが、恭子以外の人には、浮気相手から電話があったというだけで殺意が芽生えるというのが理解できないわけで、そこが何度も追及されることになります。けど、結局恭子は最後まで適当にはぐらかしてかわしてしまうんですね。
でもこれっておかしくないかな、と僕は思うんです。ちょっとだけネタバレになりますけど(大した内容ではありません)、本作で警察は、恭子の不妊治療に関して一切捜査をしていません。冒頭で恭子は不妊治療をしていたという描写があり、また戸田も捜査の途中で、恭子は不妊だったのではないか、という疑問を抱いています。であれば、恭子が行っていた産婦人科医と特定し何らかの捜査をするのは当然のような気がするんですけど、どうでしょうか?僕は、どうして刑事が誰もその捜査をしないのかが不思議でした。特にあれほど執拗な捜査をしていた戸田が、この点だけ失念したようになっているのは解せないなぁ、と思います。まあでも本作で僕が不満に思う点はそれぐらいで、後は全体的に非常に面白かったと思います。
文章も読みやすいし、テンポもいいです。二転三転する展開は読み応えがあるし、倒叙型のミステリとしての完成度も高いと思います。新人の、しかも60歳を超えてのデビュー作というのがビックリですね。
もう一つビックリといえば、本作は元々自費出版で出されたんですよね。自費出版というのはもちろん、著者自らがお金を出して本を出版することです。僕としては、これぐらいのレベルの作品だったら、どこかの新人賞に出せば受賞できたと思うんですけど、何故かそうはしなかったんですね。
それからその自費出版された本に幻冬舎という出版社が目をつけ単行本として改めて出版し、それからドラマ化に合わせて文庫化したわけです。自費出版から有名になった作家に山田悠介がいますけど、かなり珍しい形でのデビューだと言えるでしょう。
まあそんなわけで、読んでみる価値のある作品だと思います。長いですけど読みやすい作品で、面白いと思います。是非読んでみてください。

天野節子「氷の華」

総資産500兆円。
よくもまあここまで増やしたものだ。しかしようやくあの計画が実行できるというものだ。
これを成し遂げるためにのし上がってきたようなものだからな。自分が生きている内に実行できてよかったものだ。
彼は二件電話を掛けた。

「やって欲しいことがあるんじゃが。土地を買って欲しい。まあとにかくどこでもいいぞ。出来るだけ人が住んでいるところを買い取るように。金はいくら使ってもらってもかまわんが、可能な限り広い面積の土地を確保するように。ワシの希望としては、最低でも日本全土の10%は確保したい。頼んだぞ」

「やって欲しいことがあるんじゃが。公園を作って欲しい。土地はこれから手に入れるんだが、手に入れた端からそこに公園を作ってくれ。日本中に公園を作りたいんだよ。理由?理由なんか特にないがな。まあ老いらくの狂気の沙汰とでも思ってくれ」

一銃「公園」

内容に入ろうと思います。
エリート出身の優秀な捜査官でありながら、ソ連司法組織の中ではアウトロー的存在のアルカージ・レンコは、ゴーリキー公園で見つかった三つの死体の捜査をすることになった。KGBから妨害を受けながらも彼は、事件の裏に隠された複雑な闇を追うことになり…。
という話です。
僕にはとにかくつまらない作品で、ほとんど流し読み状態だったのでストーリー全体がイマイチよく分かっていません。僕は性格的に、つまらない作品でもなんとか最後まで読みとおそうとしてしまう損な性格で困ります。
本作は、世間的にはかなり評価が高いみたいですね。でも僕にはどこが面白いのかよく分かりませんでした。本作に向けられた賛辞を読むと、どうもスパイ小説っぽい扱いのようで、だから僕にはダメだったのかなとか思います。スパイ小説とかハードボイルドとかはあんまり得意ではないんですね。
何でこの本を読もうと思ったかと言うと、つい最近「チャイルド44」という作品を読んだからなんですね。「チャイルド44」も同じくロシアを舞台にした作品で、これがもう無茶苦茶面白かったわけなんです。で、ちょうど僕がそれを読んだ頃に、「ゴーリキー・パーク」がフェアで入ってきて、なるほどじゃあ読んでみようかなと思ったわけです(実際にはバイト先の人がハードカバーで持っていたのでそれを借りたわけですが)。
僕はダメでしたけど、世間的には評価が高いみたいです。読んでみたら面白いと感じる人はいるかもしれません。
それにしてもこの作品は、1982年に日本で発売されているんだけど、そのハードカバー版にはバーコードもISBNもついてないんですね。バーコードやISBNがつくようになったのはごく最近のことなんだなぁ、と改めて思いました。

マーティン・クルーズ・スミス「ゴーリキー・パーク」

剣道の防具を来た男が、寂れた商店街の外れにぽつんと立っている。半年前に大学に入学し、この辺に住み始めたけど、初めてそんな変な男を見かけた。そもそも、この寂れた商店街にやってくるような機会がこれまでにはなかったというだけのことだが。恐らくいつもあそこに立っているのだろう。
というのも、首から「1回100円」と書かれた箱をぶら下げているからだ。何が1回100円なのか正確には分からないが、傍らに防具袋と竹刀が置かれているのを見ると、恐らく試合1回ということなのだろう。
やってみてもいいかもしれないな、と僕は思った。
大学で剣道部に入ったものの名ばかりで、飲み会ばっかりやっている適当な部だった。それでも3ヶ月は我慢したが、さすがに辞めてしまった。町内に剣道教室のようなものがあるわけでもなく、ここのところずっと遠ざかっていたのだ。
こんな往来に立っていて商売になるのか分からなかったが、少なくとも今の俺にはもってこいと言えそうだ。
100円玉を財布から取り出し、箱に入れる。
「できるか」
「ええ、もちろん」男は答える。
俺は防具を着る。こんなところで試合をして怒られないのかと思うが、人通りはまったくない。車さえこなければ、何とでもなるだろう。
審判がいないことが問題ではないか、と思ったが、まあいい、一般人相手にそこまできちんとやっていないのかもしれない。相手の技量にもよるが、勝敗は審判がいなくてもはっきりすることだろう。
蹲踞の構えから、男が低く「開始」と声を上げる。
男は強かった。隙のない構えから繰り出される剣筋は、なんとか防ぐのが精一杯という感じ。こちらの剣はどうにも相手を捕らえきれない。それでも、必至で食らい付いた。こんなにやりがいのある相手と試合が出来るのは本当に久しぶりで嬉しかった。昔の勘を必至で取り戻し、相手が見せた一瞬の隙を見逃さず、すかさず面を打ち込んだ。
その瞬間、相手の男が面の内側からくぐもった声で「やったー」と叫んだ。その瞬間、何かがぞろりと俺の内側に入り込んできたような不快感が襲った。なんだこれは?
ん?今のはどう考えても俺の勝ちだったと思うが。気づかない内に小手でも取られていた…、なんてことはありえない。今のは俺の勝ちだ。どうしてお前が喜ぶんだ。
男は面を取ると、歓喜の表情を浮かべたまままくしたてた。
「いや、あんたの勝ちだ。強いよ、君は。いや、ホントに助かった。君みたいな人が来てくれるのを待ちわびていたんだ。長かったなぁ。2年以上は経ってるかな、きっと。やっとこれで解放された!やった、どこでも行けるぞ!」
俺には、男の喜びようがさっぱり理解できない。こいつは一体何を言っているのだろうか。
「というわけでさ、ここは君に譲るよ。っていうか、分かってるだろ?僕に勝った瞬間、何かが身体の内側に入り込んだような感覚があったんじゃないか?」
何でそれが分かるんだ?それでも俺は、憮然とした表情を崩すことなく男を見据えた。
「それはさ、まあなんていうかな、剣道の神様とも言えるし、ただの地縛霊とも言えるけどね。今まではずっと僕の中にいたんだけどさ、そいつ剣道が強いやつが好きみたいなんだよね。だから君に移ったんだ。だから君は僕の代わりにここに立って誰かと試合を続けることになるってわけだ。いやはや、ホント助かった」
今こいつは何て言った?俺がここでお前の代わりをするだと?そんなことするわけないじゃないか。大学に行って、俺は医者にならなくちゃいけないんだ。こんあところで油を売っている暇なんてない。
バカバカしくなって帰ろうとしたが、ちょっと歩くと何かに後ろから引っ張られているような感覚があった。前に進もうとしても全然ダメ。いろんな方向で試してみたけどダメ。どうやらある点を中心に半径5メートル以上は進めないようだ。
「だから無駄だって。こっからは抜けられないんだって。ちなみに先輩として教えておいてあげるけど、真夜中から早朝に掛けてはそっから抜け出せるよ。たぶん地縛霊…じゃなくて神様が寝てるんだろうね。でも時間になるとどう頑張ってもここに連れ戻されちゃうけどね。
君がここから逃れる方法はただ一つ。君より強い相手と戦って君が負けるしかない」
男は解放される喜びに浸っているようで、何だかその上ずったような声を聞いていると余計にイライラしてくる。しかし、誰かに負ければいいっていうなら簡単だ。適当に試合をして打ち込まれてしまえばいい。
「今君は、わざと負ければいい、なんて思っただろうね。もちろん僕だってそう思ったさ。でもね、それは無理だよ。この神様はさ、全力を出さないやつは嫌いなんだろうね。君が全力でやっていないと判断すると、とてつもない頭痛を引き起こすんだ。とてもじゃないけど、それには耐えられないと思うよ。だから、試合の度に全力を尽くすしかないってわけ。
まあそんなわけだからさ、申し訳ないけど頑張ってよ、ホント」
あの男の言葉通りだとすれば、俺は最悪な状況を手に入れてしまったということなんだろう。嬉しそうにどこかへと去っていく男を見ながら、俺は盛大にため息をついた。

一銃「往来剣道」

久しぶりに長いショートショートが書けました。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、「チーム・バチスタの栄光」などで有名な海堂尊の最新作です。
本作では、「ジェネラル・ルージュの凱旋」の速水晃一と、「ジーン・ワルツ」にちょっと出てきた清川吾郎の二人が、剣道でしのぎを削って戦っていく、という話になります。
舞台は、「ブラックペアン1988」と同じ1988年。バブルまっさかりではあるけれど、厚生労働省が「医療費亡国論」を掲げ、医療費削減のための手段として医師減らしを目論み始めた年でもある。
そんな中、東城大学医学部に通う速水と、帝華大学医学部に通う清川は、共に剣道部に所属し医鷲旗を狙うことになる。
医鷲旗とは、医学部剣道大会の中で最も象徴的な大会である「医鷲旗大会」で優勝校に与えられる旗である。この旗を手にした者は医学の世界で大成するという伝説があり、各医学部剣道部は総力を決してこの医鷲旗を目指して日々研鑚を積んでいる。
速水と清川は対照的な人間だ。速水は、授業はサボるが剣道に対しては真面目で、その生真面目な性格が部をまとめあげているものの、そのためにもう一歩前に進み出ることが出来ないでいる。一方の清川は、生まれもって剣の才を与えられた人間で、稽古はこれでもかとサボる癖に滅法強い。そんなやる気のない清川は、とあるタヌキ親父に乗せられて、医鷲旗奪還に前向きに取り組む羽目になる。
そのタヌキ親父こそが、元帝華大学医学部剣道部の顧問であり、その後東城大学医学部剣道部の顧問になった、現役時代は阿修羅と称された高階顧問である。
真面目に剣の力で医鷲旗を目指す速水と、どんな姑息な手を使ってでも医鷲旗を目指す清川。そこに高階顧問の思惑が加わり、医鷲旗大会は渾沌としていくが…。
というような話です。
本作は、「夢見る黄金地球儀」と同じく、医療の話はほとんど出てきませんが、まあ割と面白い話だったかなと思います。ただやはり、他の医療系の作品と比べるとどうしても落ちますね。悪くはないんですけど、この一冊をオススメするかと言うと微妙かなという感じの作品です。
相変わらず、物語の構成は巧いですね。スポーツをモチーフにして小説を書く場合、試合をどう展開させるのかという部分がすごく難しいと思うんですね。巧く盛り上げるようにしてやらなくてはいけない。かと言ってやりすぎても興を削ぐ。その辺のバランスがいいですね。しかも、スポーツ小説って普通はメインの主人公がいて、で何だかんだ言って結局そのメインの主人公が勝つみたいな展開になるんだけど、本作では速水と清川が同程度に描かれているので、どっちが勝つ展開なのか読めないというのもいいですね。
速水と清川の描き方も面白いと思います。完全に対照的な二人で、特に僕は清川のちゃらんぽらんさが好きですね。もちろんこんな人間が周りにいたらイライラしますけど、小説で読む分には面白いですね。そんなちゃらんぽらんな清川の周りには何だかちゃんとした人間がいて、そうやってバランスを取りつつ、一方で余計に清川のちゃらんぽらんさが際立つというのも面白いです。
一方速水は、「ジェネラル・ルージュの凱旋」で読んだイメージとは結構違う気がしたので結構あれ?って思いました。ただ読んでいく中で、なるほどその後の速水の性格を決したのはこの大学時代の剣道部でのことだったのか、ということが分かるような展開になっていきます。速水に関しては、そのどう変化していくのかという部分が結構面白いかなと思いました。なので、「ジーン・ワルツ」はそこまで読んでいる必要はないかもしれないけど、「ジェネラル・ルージュの凱旋」は読んでおくとより面白いかもしれません。
個人的に好きなのは朝比奈ですね。こういうキャラは、スポーツ小説やマンガなんかを読んでるとたまに出てきますけど、僕は好きですね。まあありえないとは思うけど、僕はそういうありえなさは全然気にならないので、こういうキャラが一人いると楽しくなります。
あと、ほんの少しですが、田口とか島津とかも出てきます。でもやっぱり、田口がメインの作品を読みたいですよね。なんて思っていると、海堂尊は京極夏彦と似てるのか、と思ったりしました。京極夏彦の<京極堂>シリーズも、メインのキャラクターがどんどん変わって行ってしまうので、初期の頃のような話を読みたいなぁ、とやっぱり思ってしまいますね。
全体的には、相変わらず巧い作家だなと思います。文体はいつもの海堂節とでも言うようなスタイルで軽快です。ただやっぱり他の作品の方が面白いなと僕は思いますね。僕としては是非、また医療系の作品を書いて欲しいものだと思います。

海堂尊「ひかりの剣」

フライパンで肉を焼きながら、僕は昔本で読んだある物理の問題を思い出していた。
あれは確か、鳥籠の中に鳥がいるんだった。その鳥籠は量りの上に載っている。
今量りの目盛りは500グラムを指しているとしよう。さてここで鳥籠の中で、その鳥が羽ばたき宙に浮いたとする。その場合、一体量りの目盛りはいくつを指すだろうか。
肉の焼ける匂いとジュウジュウという音にまみれて、僕は考える。考えるべき重要なことは他にもあるが、それを追いやるためにもこの問題を必至で考える。何だか気が遠くなって来たような気がするんだけど、気のせいだろうか…。
確か答えは、500グラムを指す、だったはずだ。より正確に言えば、鳥が羽ばたいた瞬間目盛りは500グラムを大幅に超え、その後500グラムに落ち着く、だったと思う。
確かそうだ、確かそうだ、と頭の中で繰り返す。ちょっと落ち着いてはきたものの、やっぱり体調がおかしい。僕はそんなにまでして肉が食べたいのだろうか。
何で飛んでいるのに量りの目盛りが変わらないのか。たぶん、500グラムの身体を羽ばたきによって持ち上げているので、その分の力が量りに掛かるのだろう。
何故この問題のことを思い出したのか。そんなことはもちろん簡単だ。今、まさにその僕が鳥籠の中にいる鳥だからだ。
まさかこれほどまでに辛いとは思わなかった。辛いとは確かに聞いていた。しかし、こんなに辛くていいのか?他のボクサーも、こんな辛い状況に毎回耐えているというのだろうか?
減量最終日。もう限界だ。今ここで、何か食べないと発狂してしまうかもしれない。でも、計量だけはどうしてもパスしなければならない。
だから、僕が鳥籠の鳥になったのは正解なのだ。
僕は、自分のフライパンに乗っている、わき腹から切り取った肉を皿に盛り付けた。わき腹からは血がとめどなく流れ出ている。これも減量の足しになるだろう。僕は、わき腹肉ステーキに、フォークを刺した。

一銃「鳥籠の中の鳥」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、落語家立川談志一門の落語家が書いた小説です。つい最近、同じく立川談志一門の落語家である立川談春による「赤めだか」を読んだこと、さらに本作「ファイティング寿限無」が、第四回酒飲み書店員大賞を受賞したこともあって、読んでみることにしました。僕の中では今、プチ落語ブームになっています。
本作は、橘家龍太楼という、まさしく立川談志その人をモデルにした師匠を持つ、とある落語家の話です。
橘家小龍という名を師匠からもらったその男は、高校時代に師匠に惚れこみ、高校を中退し師匠に弟子入りしました。橘家龍太楼は、落語を50席覚えれば二ツ目にするという基準を明確に持っていて(これは立川談志とまったく同じ)、小龍もあと少しというところまで来ています。
さて一方で師匠は、「売れるためにはまず有名になれ」と常に言います。どんな手段を使ってもいいから売れろ。話はそれからだ。その師匠の言葉を信じて、小龍はなんとボクシングジムの門を叩くのです。
もちろんボクシングなんてこれまで一度もやったこともない身。しかし秘めた才能というやつなのでしょう。初戦から勝ち続け、また落語も出来るボクサーという触れ込みでどんどん売れていきましたが…。
笑いあり涙あり、成長あり青春あり、落語ありボクシングあり、と様々な要素が盛り込まれたエンターテイメント小説です。
さて正直に言いますと、ちょっと侮ってました。確かに噺家の人というのは話芸でお客さんを楽しませもするし、物語をいかに語るかということを日々考えている人達でしょう。でも、やっぱり小説とは違うはずなんです。そのまあ言ってみれば他流試合なわけで、まあそれなりの作品だろうなと思っていたんです。
しかし!すいませんでした。これ、メチャクチャ面白いです。
こういう小説の感想の中に、突然ボクシングを始めた人がいきなりこんな展開で勝ち続けるわけがない、みたいなことを言う人がいます。そういう感想を持つのはまあ人それぞれで別にいいと思いますし、確かに本作はその点であまりに都合が良すぎるでしょう。
ただ、僕はそれを差っぴいても本作は非常にレベルの高い作品だなと思いました。ボクシングでありえないほど勝ち進むのは確かに現実的ではないかもしれませんが、そこは小説なんだし、緩く見て楽しめばいいのではないかなと思ったりします。
まず何にしても構成がうまいんですね。うまく言えないんですけど、やっぱり間の取り方なんでしょうかね。落語家さんとかそういうのうまそうですし。読んでてなんていうかダレないんです。きちんとポイントポイントで締めているというか、きちんと起伏を作っているというか、うまく説明できないですけど、そういうのがうまいんですね。
描写にしても、解説で北上次郎が書いてましたけど、肝心な部分を書かないことで読者に想像させる描写が巧いです。ん?と思わせる描写を適宜入れることで変化をつけたりしていて、巧いなと思いました。
キャラクターもいいんです。小龍に様々な人間が関わっていくんですけど、ホントいい人ばっかなんですね。普通いい人ばっかりだと小説がつまんなくなっていきますけど、そんなことないんです。基本的にいい人しかいないのに、描き分けみたいなのがやっぱり巧いんでしょうかね、小龍との関係性がどれも面白いんです。強いて言うなら、マスコミを悪役にすることで全体のバランスを取っているという風にも言えるかもしれません。
それに、何よりも小龍がいい味を出しているんです。小龍は、初めは売れたいと思って必至ですが、売れるようになってからは戸惑うようになるんですね。もちろん、師匠の言った通り売れたから成功のはずなんですけど、何だか足元が落ち着かないんですね。それが何だかよく分からない。どんどん落語から離れていくような気がする。師匠から離れていってしまうような気がする。でも、今はボクシングに打ち込むしかない。
みたいな葛藤があるわけなんですよ。その合間に恋愛をしてみたり、橘家一門を揺るがす大事件が起きたりと、とにかく小龍には様々なことが降りかかってくるんですね。その一つ一つに真摯に向き合って、小龍はひたすら前に進むことにするわけです。
その姿勢がいいですね。巧いです、ホント。読者はどうしても小龍を応援したくなってしまうと思います。ガンバレよ、って。作中で小龍の周りにいる人と同じ気分になって、小龍を応援してしまうことになると思います。
ミステリでもないのに、最後まで息をつかせない展開で、やはりこういう部分は落語から培われたんでしょうかね。目の前にいるお客さんを直に笑わすということをし続けることで、そういう感覚的な部分が自然と身に付いたということなんでしょうか。
それに僕の場合、先ほども少し話に出した「赤めだか」という作品を読んでいたのもよかったのかなと思います。この「赤めだか」というのは、立川談春が、立川談志に弟子入りしてからのことを綴った作品なんだけど、落語協会を飛び出した異端児がどうやって立川一門をここまで大きくしたのかみたいなことの一端がなんとなく分かって面白い作品でした。
本作では、その立川一門とまるきりそっくりな橘家一門が出てくるので、より話が面白く感じられたのかもしれません。橘家龍太楼が言っていることがことごとく立川談志と言っていることと同じで、面白いなと思いました。
まあそんなわけで、これは面白い作品ですよ。落語家が書いた小説というキワモノっぽいイメージを持たれるかもしれませんが、小説としての出来はお見事という他ありません。並の作家より遥かに巧いと思います。これで益々落語に興味が湧いてきました(つまり小説でこんなに面白いのだから、落語はもっと面白いだろう、という期待です)。なんとかパソコンを直して(ウチのパソコンは今音が出なくて、音声の再生がまったく出来ないのです)、落語のDVDでも聞こうと思います。

立川談四楼「ファイティング寿限無」

最近山菜採りにはまって、出勤前の短い時間とか休日なんかによく山に入る。住んでいるアパートから歩いてすぐのところに森があって、あまり奥まで分け入らなくても豊富に山菜を採ることができるのだ。
まだ始めたばかりで、図鑑を片手に山の中を歩くことになる。ツクシやノビルなんかはもちろん分かるけど、ワラビやヤブカンゾウなどになるとまだイマイチ自信がない。図鑑に載ってる写真と見比べながら、たぶん大丈夫だろう、と確認していくのだ。
こうやって自分の手で食料を調達するなんてことはまずないので、とても新鮮で面白い。身体に毒でさえなければどんな葉っぱでも食べられるんじゃないか、と思ってはいるんだけど、やっぱりそこはそれ、図鑑に食べられると書かれているものしか手を出せない辺りは臆病者なんだけど。
いつものように目ぼしいところを一回りして、さて帰ろうかという時、左足が沈んだなと思ったら身体が傾き、そのまま倒れた。左足に何かが巻きついた感覚があって、罠に嵌まったんだと分かった。
山には、猟師たちが仕掛けている動物用の罠がある。どうやらその一つに引っかかってしまったようだ。普通罠は人間が引っかからないような場所に設置されているのが普通だが、しかし僕が歩いている場所が悪かったんだろう、運悪く掛かってしまったのだ。
さてどうしたものだろうか。携帯電話は部屋に置いていてしまったから連絡を取ることは出来そうにない。罠を自力で外そうと奮闘してもみたが、これもダメ。どうしても左足に巻きついたワイヤーを外すことが出来ないのだ。大声を上げれば誰か気づいてくれるかもしれないが、まあ仕方ない。とりあえずしばらく待つか、と決めた。ワナ猟をする猟師は、最低でも一日一回は罠の見回りをする。既にその見回りを終えた後だと翌日になってしまうのだが、たぶん大丈夫だろう、という方に賭けたのだった。
しかし、とふと頭に浮かんだ疑問を反芻する。何でこの罠は外せないのだろう。獣には人間のような手はないから外せないのは分かる。しかし人間の手でも外せないとなると、この罠を仕掛けた猟師にだって外すのは難しいということではないのだろうか…。
大したことではないのだろうと決め、やらなければならない仕事を思い浮かべたり、納期のスケジュールを思い出したり、あるいは進んでいないRPGの攻略法について考えたりしながら猟師が来るのをまった。
1時間ほどで猟師はやってきた。
「すいません。罠に引っかかってしまったみたいで」
「あぁ、いやいや、ちょうどいいですわ。いやホント素晴らしい」
何が素晴らしいというのか。何となくバカにされているような気がしてムッとしたが、猟師がナイフを手にしているのをみてホッとした。ワイヤーを切ってくれるのだろう。
猟師が近づくと、ナイフを持った手はしかし僕の心臓目掛けて飛んできた。その瞬間僕は悟った。
なるほど、これは人間用の罠だったのか。

一銃「罠」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、今結構話題になっている本だと思います。今年出版業界で新たに作られたワードとして「エンタメノンフ」という言葉があって、これは「エンタメ系のノンフィクション」というような意味の言葉です。そして本作は、今年度のエンタメノンフの中でかなりの注目株なわけです。
内容はタイトルの通り、ある男がいかに猟師になり、そしてその猟師の生活をいかに営んでいるかということが描かれていきます。
まずは著者の生い立ちから描かれます。生き物全般に興味があり獣医になろうと思ったこと。動物園や環境保全などにはなんとなく胡散臭さを感じていたこと、妖怪などの民俗学的なことに子どもの頃から触れ合っていたこと。獣医になることを諦め、理系から文系へと移って大学へ行ったこと(この人とんでもないことに、京大卒なんです。いやいや、いくら浪人したってですよ、理系から文系に変わって一年で京大なんか入れませんよ。すごいです)。
大学に入ってからとにかくありとあらゆることに関わって世界をどんどん広げたこと。前代未聞の休学。バイト先で出会った師匠。そんなことがあり、著者はどんどんと猟師の道へと進んでいくわけです。
特に大きかったのが、バイト先で出会った師匠でしょうね。著者は今でもその運送会社でアルバイトをしながら猟師として生活しているようですが、その運送会社の先輩に、猟師歴35年以上の大ベテランがいたのです。しかも猟と言えば銃猟が多勢を占める中、その人はなんと著者がやりたいと思っていたワナ猟を専門でやっている人だったわけです。これほどうってつけの人はいません。かくして著者は猟師免許を取得し、晴れて猟師となることが出来たわけです。
猟が出来る期間は法律(か何か)で決まっていて、11月の中ごろから2月の中ごろまでです。本書の中盤では、この期間著者がいかにして猟師としての生活を営んでいるのか、ということが詳しく描かれます。どんなワナを使っているのか、またそのワナを作る際の注意。ワナをどんな場所に仕掛ければいいのか。捕らえた獣をいかにして捌くか。精肉したものをどう料理し、またどう保存するか。肉以外の部分をいかに利用するか。そういった、これから猟師になろうという人にうってつけの情報がたくさん書かれています。もちろん僕みたいに猟師になる気なんかさっぱりないような人が読んでも面白いです。
著者はとりあえず何でもやってみる人のようで、例えば獲った獣の毛皮をなめしてみたり、睾丸を食べてみたり、拾ってきたロッカーで燻製機を作ってみたりなかなかアクティブです。猟師なんかしなくても食べ物はいくらでも手に入る時代にあって、じゃあ自分はどうして猟師をやっているのかと考えた時に、いかにして捕らえた獣を使い切るか、その恵に感謝するか、そういう姿勢を身に付けたのではないかなと思います。
また、著者の専門ではないですが、網猟についてもちょっと書かれています。網猟には宮本さんというプロフェッショナルがいるようで、その人の猟を手伝うという形でやっているみたいです。猟というとなんとなく銃を思い浮かべるので、ワナ猟でさえ猟というイメージから遠いですが、網猟になるとさらに遠いですね。スズメの場合ビール片手に談笑しながらの猟だそうで(カモだとそうはいかない)、なかなか楽しげだなと思います。
そしてラストでは、休猟期は一体何をしているのかという話になります。山菜を採ったり、薪割りをしたり、海や川で魚を獲ったりと、やはり自然と向き合った生活をしているのだそうです。
日本ではそもそも猟期が決まっていて、また獲った獣の肉を販売するルートも充実してはいないので、猟師だけで生活をしていくのはほぼ不可能に近いでしょう(今でもマタギみたいな人はいるのかな?)。なので必然的に著者のように、何か仕事を持ちつつ趣味の範囲で猟師をやるという形になってしまうでしょう。
著者は本作中で、猟師の数が減りつつあること、そしてそれによって深刻な状況になりかねないと言っています。著者の住んでいる京都では、現状で鹿が異常に増えすぎているのだそうです。だから、罠を仕掛ければ鹿ばっかり取れる。ただ猟師としては、鹿よりイノシシの方がいいわけです。鹿肉は用途が限られるため多くとっても消費しきれないし、売るルートもないのだそうです。そして先ほども言ったように、今猟師は減っているわけです。そうなると、さらに鹿が増え続けることになります。北海道では鹿が増えすぎたせいで、生態系にかなり大きな影響が出ているんだそうです。まあだからと言って猟師になろうかなんて人はなかなかいないと思うけど。
本作を読むと、猟師に対するイメージはなんとなく変わるのではないかなと思います。自分で捌いた肉を食べるなんて残酷だ、というのは正しいでしょうか?スーパーに並ぶパックされた肉を食べることは残酷ではないでしょうか?普通の人がなかなか知らない世界だと思うので、読んだら割と面白いのではないかと思います。読んでみてください。

千松信也「ぼくは猟師になった」

浪人生になって1年弱、猛勉強した。日本一の大学である東都大学に入学するために、それこそすべてを犠牲にして頑張ったのだ。高校時代に付き合っていた彼女とも別れたし、隠れて吸っていた煙草もやめた。睡眠時間は一日4時間程度で、起きている間はほとんど参考書を手放すことはなかった。
一番頑張ったと言えるのは数学だろう。去年の試験ではもう壊滅的だった。数学の穴は致命的だった。
それでなくても東都大学の数学の問題は難しいことで有名だ。常に度肝を抜くような問題ばかりだしてくる。文系志望ならさほど比重は高くないが、理系志望の場合「数学で落ちる」とよく言われるのだ。だからこそこの一年間、特に数学については死ぬほど頑張った。今では、かなり自信を持って試験に臨むことが出来るだけの実力があると思っている。
そして今日はその試験当日。つい先ほど英語が終わった。まずまずの結族だと言えるだろう。そしてこれから数学の試験だ。
通常4問から5問出題され、難易度にもよるが3問半解答できればほぼ合格は間違いなしと言われている。過去の試験問題を思い浮かべながら待っていると、試験が開始された。
問題を見て驚いた。
今年はなんと問題がたったの一問になっている。問題用紙が抜け落ちているのかとも思ったが、配点を見るとそうでもないようだ。
つまり、この問題を解けるかどうかで合否が決まるのだ。
そしてその問題がまたとんでもないものだった。

問1
以下の数学記号を一つずつ使い、f(x)=g(x)となるような関数f(x),g(x)を設定せよ

{e,π,i,∫,sin,cos,log,lim,!,∑}

なお、四則演算や階乗などの一般的な記号は自由にしようしてよい。また必要に応じて適当なアルファベットを定義し用いてもよい。もちろん、∞や複素数を含めたすべての数字はいくら使用しても構わない。

問2
問1で設定したf(x),g(x)が、f(x)=g(x)を満たすことを証明せよ

なるほど、東都大学らしい奇抜な問題だ…、なんて余裕なことを考えられたわけがない。僕の頭は一瞬で真っ白になった。

一銃「東都大学数学入試問題」

上記の問題は僕が勝手に考えたので、そもそも解けるかどうかも分からない条件ではありますが、それでもこういう形態の問題はあってもおかしくないかなとか思ったりしました。大学入試の数学に関する本も読んだことがあって、そこに上記のような問題は尊ってなかったから、これまでどこかの大学で出題された、ということはないと思うんだけど。
でもこんな問題が出たらどうしましょうね。たぶん解けないだろうなぁ。すべての記号を一つずつ使う、という条件さえなければ簡単すぎるんだけど(たとえば『log1=0』みたいな式にしちゃえば終わりだし)。まあ誰か本当に解ける形にして問題を作って欲しいものですね。
そんなわけで内容に入ろうと思います。
本作は、史上最も有名な数学者の一人である(著者は、これまでの数学者の中で5本の指に入ると言っています)オイラーが生み出した、数学史上最も美しい式と呼ばれている
『e^iπ+1=0』
という式に関係した様々な数w上の話が書かれている本です(ここで『^』の記号は、累乗(2の2乗、みたいな)を表します)。
この式はもともと、
『e^iθ=cosθ+isinθ』
という恒等式の、θ=πという特殊なケースの式です。
オイラーの式が最も美しいと言われるゆえんは、数学上最も重要なe,i,πが、0と1という数字と関係性を持っているという事実にあるわけで、数学についてあまり知らない人でもこの式には美しさを感じるのではないかと思います。
本作では、『e^iπ+1=0』ではなく、『e^iθ=cosθ+isinθ』がいかに数学上有用であるのか、ということについて、数式をバンバン使いながらあらゆる分・に話を広げていきます。
本作で扱われる話は多岐に渡りますが、ジャンルとしてはベクトル・複素数・微積分・整数論と言った辺りになります。僕は本作を読んで、もう少し学生時代これらの分・が得意だったらよかったのにな、と思いました。正直僕は、ベクトルも複素数を微積分もあまり得意ではなかったですね。微積分は、それでも式変形のテクニックの問題なのでそれなりに出来ていたと思うんですけど、ベクトル・複素数は本当に其手でしたね。とにかくこの二つは図形的な解釈が非常に重要で、数学のどの分・についても図形的な解釈の其手だった僕にはかなりお手上げでした。
本作では、結構高度な内容が扱われています。そもそも前提として、それなりに数学の知識を持っている人を読者として想定しています。なので、文系の人にはちょっと読めたものではないだろうなと思います。学生時代ずっと理系だったという人は、僕みたいにうろ覚えの知識しかなくても、まあなんとか式変形ぐらいはついていけるだろうなという感じです。
内容は高度ですが、でも本作は結構親切だと思います。式変形もあまり間を飛ばすことなく(時々なんでそういう式変形になるのか分からなくて考え込みましたが)、また手順についても・寧に追ってくれるので、難しいながらもなんとかついていけるという感じでした。
恐らくそれは、著者の専攻が電子工学であるという点が大きく関わっていると思います。普通こういう数学に関わる本を書くのは数学者かノンフィクションライターです。ノンフィクションライターの手になる本はわかりやすい代わりにあまり深いところまで掘り下げないのが一般的です。一方数学者の手になる本は、高度で深いところまで掘り下げる代わりに、一般の人のレベルに視点を合わせることができていないものが多いような気がします。
その点、著者は電子工学という物理学者です。電子工学でももちろん数学は使うけど数学の専門家というわけではない。この距離感が、数学を適度に深く掘り下げ、同時に一般の人が分からないと感じる部分がどこなのかをきちんと把握しながら書き進めることが出来たのだろうなと思います。
本作では、大まかに前半と後半に分けることが出来ると思います。
前半は、ベクトルや複素数などについて、オイラーの式を使うとどういったことが出来るのか、ということに触れられます。行列、正17角形の描き方、犬と走る問題など、いろんなことが話題にされます。
後半はフーリエ級数、フーリエ変換に関する事柄になります。僕は本作を読んで、オイラーもすごいけど、フーリエも相当凄いんじゃないかなと思いました。
とにかくこのフーリエ級数やフーリエ変換を使うと、そのままの形では意・が取りにくい関数や、そのままの形では値の計算が出来ないような関数について、何がしかの形を求めることが出来るようになるわけです。しかも式変形自体は(煩雑だけど)初等的な手法で出来るわけで、そんな変形の結族驚くような結族が出てきたりします。後半は、とにかくあらゆる関数をフーリエ変換していってそこからいろいろ展開していくんですけど、フーリエ変換ってすごいんだなって思いました。
また本作の第六章は「電気工学と√-1」なんですけど、ここは残念ながら読み飛ばしました。これはちょっとさすがに理解するのが無理だろうな、と思いました。要するにフーリエ変換の工学的有用性について書かれているんだと思うんですけど、難しかったです。この章はあんまり式変形がなく、ラジオとかなんとかフィルターみたいなそういう工学的なものがどういう仕組みによって作動しているかみたいな話で、恐らく著者の専門分・の入口みたいなものだと思うんですけど、やっぱ僕は式変形を眺めている方が楽しいですね。
最後にオイラーの生涯についてざっとした文章があって終わります。
久々にここまでハードな式変形を追っていきましたけど、やっぱり数学は楽しいですね。本作中の式変形の中には、学生時代だってここまで複雑なものはやらなかったよ、というような積分なんかもあって(テクニック的に難しいというのではなくて、ただただ煩雑だということですけど)、そういうのはさすがに読み飛ばしたりしましたけどね。
でもやっぱりすごいと思うわけなんです。式変形のテクニックみたいなものが随所でバンバン出てォて、よくそんなん思いつくよな、とか思ったりするわけです。途中、どうしてそういう式変形になるのか分からなくて躓いている時、ふと答えに気づけたりするとすごく嬉しいですね。久々に手を動かして何か計算したくなりましたけど、そのために必要な数学的な知識(微分公式や積分公式のようなものなど)が完全に消え去っているのでどうにもならないですね。数学検定でも…、まあやるわけないですけど。
というわけで、なかなか刺激的で僕にとっては楽しい本でした。読むのにかなり時間が掛かりましたけどね。またいろいろ数学の本を読んでみたくなりました。
興・があれば読んでみてください。とは言え、本作はなんと4000円弱もします。僕はいろいろあってamazonのポイントが溜まっていたので、それでこれを買ってみました(1500円くらいで買えました)。さすがに4000円出して買うのはキツイと思うので、図書館なんかで探してみてください。

ポール・j・ナーイン「オイラー博士の素敵な数式」

銃を持つ手が震えることはなくなった。
かつて初めて銃を手にした時は、どう扱ったらいいものか悩んだものだ。構えて撃つ。やることは単純だけど、簡単にはいかない。初めの内は、手が震えっぱなしだった。それがなくなったのは、ここ最近だろうか。今では落ち着いて銃を撃つことが出来るようになったものだ。
それにしてもや、つらは相変わらず山でたくさん見かける。
昔はやつらに襲われる仲間も多かったという。そんな時代のことを俺は知らないが、さぞ悔しかったことだろう。毛皮に包まれたその身体で、俺たちを執拗に追いまわすなんて、今では想像もつかない。
今では俺たちの方が圧倒的に優位に立っている。やつらを確実に仕留められるようになってきたからだ。しかしそのせいもあるのだろう、やつらがどんどん山から減っていってしまっているように思う。別の山に移っているのか、あるいは山を下りてそのまま山には戻ってこない奴も多いのかもしれない。まあわざわざやつらを狙わなくても、獲物は他にたくさんいるのだ。わざわざ銃を使う必要もなくなる。特に困るなんてことはないはずだ。
よし、今日の獲物を見つけたぞ。なかなかデカイ奴だな。まあ、俺が一発で仕留めてやるよ。

「今日午後2時頃、○○県△△山で男性の死体が発見されました。男性は発見された時まだ息はありましたが、搬送された病院で息を引き取ったとのことです。男性は、猟で使われる銃で撃たれているようで、ここ半年ほどの間相次いで猟師が撃たれている事件との関連も調べています。
男性を発見した猟師仲間によりますと、男性は意識を失う直前まで『熊に撃たれた』としきりに繰り返していたそうです」

一銃「猟師」

そろそろ内容に入ろうと思います。
秋田の貧しい小作農の家に生まれた富治は、生まれた村がマタギによって成り立っていたこともあって、幼い頃から自然とマタギになった。マタギとは、森の中で獣を捕らえて生活をする伝統的な集団である。
雪を分け入り、獣の跡を追い、そして撃ち取るというシンプルながら充足感のある生活に富治は大いに満足していた。次男だったからいつかは家を出なくてはいけないが、ずっとこうしてマタギとして生活していければいい、そんな風に思っていた。
しかし富治は、幼くして村を追われることになる。女が原因だった。
富治の住む一体を治める地主であり、名士でもあった一家の一人娘に手をつけてしまったのだ。文枝という名のその女に入れ込んだ富治だったが、抜き差しならない状況になり、結果村を追われ炭鉱の町へと追いやられることになってしまったのだ。
そこでも才覚を発揮し、順調に技術を学びいっぱしの炭鉱夫となっていったが、親分に頼まれ別の炭鉱へと行くことになり、そこで初めて弟分を持つことになったのだ。
そしてそこで富治は、また銃で獣を撃つ喜びを思い出すことになる。予期せぬ災害をきっかけにして腹を決めた富治は、世話をしてやった弟分の住む村でもう一度マタギとして生活をしていくことを決めるのだが…。
というような話です。
本作は、史上初めて直木賞と山本周五郎賞のダブル受賞をした作品なんですけど、なるほど確かに骨太で面白い作品だなと思いました。
とにかく500ページ以上のボリュームということで、かなりいろんな話が盛り込まれているんですね。富治がマタギとして山の中を闊歩する描写は当然のこと、まだ故郷の村にいる頃、山にいない時は何をしていたのか、女関係がどうやってごたごたしていったのか、炭鉱に飛ばされ右も左も分からない内にその世界に慣れていったこと、そこで関わった男が縁でまたマタギの世界に戻ったこと、富山の薬売りとの関わり、そして結婚、さらには自分の『息子』がまた出てきたりと、本当にいろんな場面で様々な状況がやってきます。そもそも富治が子供だった頃から晩年までを描いているわけで、とてつもなく密度の濃い物語ですね。
まず山の描写がやっぱりすごいですね。マタギというのは今でも存在しているかもしれないけど、やはり当時と比べたらいろんなことが変わってしまっていることでしょう。山の神様(醜女だと言われている)を怒らせないように、山に入る前は女断ちしなくてはいけないし、何か粗相をしたら水垢離(真冬の雪山でひたすら水を被り続けること)をして清めなくてはいけないという掟がある。山に入ったら山言葉以外使ってはいけないし、どんなことがあっても女の話をしてはならない。また獲物が獲れた後は、伝統的に受け継がれる呪文のようなものを唱えたりと、非常に古臭い理屈によって成り立っている世界です。しかしそれは、一瞬でも気を抜いたらすぐに命を落としてしまうかもしれない厳しい山で培われた山人たちの知恵の結晶であり、それが脈々と受け継がれているのである。
いかにしてクマやアオアシを見つけるか、獲物をいかにして追い詰めるか、どうやって撃つかなど、マタギの専門的なこともどんどん出てきて、正直よくわからない部分もあったけど、それでもマタギについてまったく知らない読者をここまで物語に引き込んでいくのだから、著者の描写力はなかなかのものがあるのだろうな、と思います。
マタギとして生活していたところから一転炭鉱街へと追いやられ、それからもまたいろいろあるわけなんですけど、僕が一番好きなのは、富治がまたマタギとして生活していくことを決め、ある村に住み着くようになるところからの展開です。
ここで富治は結婚をすることになるんですけど、その展開がまたなんとも言えず奇妙なもので、しかもその後の展開もすごいですね。まさかあの人が出てくるとは思わなかったし、しかもあの人がいなくなっちゃうとも思わなかったし、みたいな。あの辺りの展開は本作中でも一番好きですね。特に、『そんなことがわからないような育て方をした覚えはありませんっ』のところでは、思わずうるっと来てしまいました。
最後の最後はなかなか壮絶で、山の男としての人生を全うしたなという感じがします。山に始まり山で終わった富治の人生は、波乱万丈様々ありましたけど、結果的には幸せだったと言ってしまっていい人生なのではないかなと思ったりします。
マタギの話と聞くと、何だか渋くて古臭いイメージになるかもしれないですけど、それほどでもありません。もちろんちょっと前の時代を描いているわけなんですけど、なるほどこんな生き方をしていた人もいたのか、と感心させられるのではないかなと思います。山での生活だけでなく、富治を中心とした様々な人間関係が濃密に描かれていくのも面白いところです。僕は直接は知りませんが、この作品は女性からも評価が高い、とバイト先の人が言っていました。確かに女性にもオススメ出来る作品です。ちょっと長いので手を出しにくいかもしれませんが、読んでみてください。

熊谷達也「邂逅の森」

「44人目の死体が発見されました。この国は、一体どうなってしまったというのでしょうか」
今世間を騒がせている、なんていう表現では物足りないほどの事件をテレビのニュースが流している。1人目の死体が発見されてからまだ2ヶ月しか経っていない。この、「神奈川全県殺人事件」は、今国民の最大の関心を集めている。
吉本衛ちゃんの死体が見つかったのは約二ヶ月前。裸にされ、足につけられたロープで木に吊るされていた。口にはハンカチが詰められていた。もちろん、報道されていない特徴もあった。右手首にに赤い線で丸が三つ描かれており、また片目を潰されていた。
その翌日、まったく同じ格好の死体が見つかった。それから、ほぼ毎日、神奈川県のどこかで同じような死体が見つかっているのである。
警察は大々的な捜査を敷いているが、しかし今のところ何の情報も上がってこない。被害者に残された痕跡はどれも完璧に一致しているのに、犯行時刻や犯人の予想される行動形態がまったく統一されていないのだ。犯行は夜だったり昼だったり朝だったりし、また現場に残された状況から、慎重な性格だったり大雑把な性格だったり神経質な性格だったりと、まったく別々の特徴が現れるのだ。そのため、警察としても犯人像をまるで絞りきることが出来ず、どこから手をつけていいのかさっぱりわからなかった。
被害者同士にも特に繋がりがあるようには思えなかった。時々、学校の同級生だったり同じ塾に通っていたり、あるいは親同士が同じ職場で働いていたりと言った共通点が個々に見受けられることはあるが、しかし44人全員に共通する特徴は今のところ見つかっていない。
マスコミの報道も過熱し、警察の上層部としても一刻も早く事件解決をと発破を掛けてはいるのだが、しかしどうにもならない。ほぼ毎日子どもの死体が見つかっていく。誰にも止められないのではないか…。多くの人がそう思い始めていた。

竹本雅彦は学校が終わると、すぐにバスに乗った。とりあえず行き先はどこでもいい。ここから割と離れたところだったらどこでもいい。あんまりバスに乗ったことはないけど、なんとかなるだろう。
誰に声を掛けたらいいかな。まさかこんなことに選ばれるなんて思ってもみなかったから、ちょっと意外だった。でも、僕はやりきってみせる。昨日だって、きちんと殺せたんだし。今日だってもちろん大丈夫だ。
雅彦は、昨日のことを思い出す。あれはホントにびっくりした。まさかって思ったけど、でもやるしかなかった。何でそんな風に思ったのか分からないけど、でも自分のところで終わらせるなんてことは出来るわけがない。そんなことをしたら空気が読めないと思われてしまうだろう。それだけは嫌だ。だから僕は彼女を殺してあげたのだ。
大口好美と名乗ったその女の子は、突然僕の前にやってきて、そしてこう言った。
「ねぇ、お願いだから私を殺して」
驚いて声も出せない僕を見て、彼女は説明をしてくれた。
「今ニュースで騒いでる連続殺人あるでしょ?あれって、連続殺人じゃないんだよね。いい、よく聞いて。あなたは私を今から私が言う通りに殺すの。報道されてる特徴もあるから知ってるものもあるかもしれないけど、でもニュースになってないものもあるからちゃんと覚えてね。私を殺したら、今度はすぐにあなたは誰か殺してくれる人を探しに行くの。今の私みたいにね。私も、昨日殺したのよ。ほら、ニュースになってたでしょ、動物公園で見つかった子ども。あれ、わたしがやったの。
どう、分かった?そういうわけでね、わたしをちゃんと殺してね」
雅彦は、特に疑問に思うこともなくそれを受け入れた自分を不思議に思った。けれど、僕は正しいことをしているんだと信じることが出来た。だから彼女を殺すことが出来たし、今から自分のことを殺してくれる人を探しに行くことが出来るのだ。
さて、誰に声を掛けようかな。どうせ殺されるならキレイな女の子の方がいいんだけど…。

一銃「不必要な連続殺人」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、今年の外国人作家のミステリーの中でも特別に注目されている話題作です。恐らく年末のミステリランキングでは、上位に食い込んでくることでしょう(まあ外国人作家の作品はほとんど読まないのでどうなるかわかりませんけど)。
物語は、ソビエト連邦のある寒村から始まります。そこではもう食べるものがほとんどなく、多くの人が餓死していきます。鼠も捕らえて食べ尽くし、もう人間以外に生き物などいない、そんな村でした。
そんな状況の中、ある兄弟は偶然見つけた猫を狩りに出かけます。しかしその狩りの途中で、兄が行方不明になってしまいます。
さてそれから20年後の1953年。スターリン体制下にあるソ連が舞台となります。ある時モスクワである『事故』が起こります。雪合戦をしていた兄弟の内の弟が列車に轢かれて死亡するのです。この件は『事故』として処理されることになりますが、被害者の家族はこれは『殺人』であると主張します。『事故』だとすれば、何故口の中に泥が詰められ、裸にされていたのか。
この件を収めるために、主人公であるレオが狩りだされることになります。レオは国家保安省の捜査官であり、国家に心から忠誠を尽くしている男です。彼は、『貧困と欠乏がなくなれば犯罪はなくなるはずだ』と心の底から信じており、『偉大な革命を成し遂げたソ連という国家には殺人は存在しない』という国のトップの言い分を信じている男です。
レオに命じられたのは、その『事故』の被害者を説得しろというものでした。これは『事故』だとレオはいいます。被害者家族は、被害者が男と歩いているのを見たという目撃者を見つけて呼んでいましたが、彼女は国家保安省の捜査官であるレオに恐れを成し結局レオの前でその証言をすることはありませんでした。
ここで、スターリン体制下における人々の生活を少しだけ説明しておきましょう。完璧な共産主義を実現したと謳う国家ですがもちろん平等など実現されているわけもなく、権力のある者は富、権力のないものは貧しい生活をしています。また、『反対性的な言動』というのが最も悪いとされ、反対性的な言動をすれば逮捕され拷問をされることになります。どんな言動が反体制的であるのかという明確な基準はなく、それは国家保安省などの権力者たちの気まぐれによって決められます。たとえ何らかの理由で無実の人間が逮捕されても、彼らは拷問によって『自白』を引き出し、どんな人間でも有罪にしてしまいます。
そんな世の中にあっては自由な発言など出来るわけもなく、また誰が密告者になるかわからない世の中なわけで、とにかく権力には逆らわないようにしよう、という雰囲気が多勢を占めます。
レオは権力側にいるので様々な権利を享受できますが、しかし安泰というわけではありません。任務に失敗した場合、あるいは誰かに足を引っ張られた場合、容易に権力の座から落ち、反逆者として処刑されてしまう立場にいます。
『事故』の被害者を説得したレオは、しかし最悪の情報を聞くことになります。彼がスパイだと睨んでいた男に逃亡されたのです。この男を捕まえることが出来なければレオの失職は確実。レオは、あらゆる力を振り絞ってスパイを追い続けます。
ギリギリのところで踏みとどまったかに思えたレオは、しかし副官の計略により地方に飛ばされてしまいます。そこで彼は、民警の巡査長として働くことになったのだが、その地でレオは、彼が『事故』だと断言した事件と似通った事件に遭遇することになる。まさか、あれは連続殺人だったのだろうか。
レオが立てた『連続殺人』という仮説は、国家に反逆する考えです。何故なら国家は、『殺人など存在しない』と考えているのだし、『連続殺人などもってのほかだ』と考えているからです。レオはそれでもこの連続殺人犯を追うことを決意します。連続殺人犯を追うレオたちが国家から追われる、という最悪な状況の中、レオは絶望的な状況から何度も立ち上がり、連続殺人犯を追い詰めていく…。
という話です。
これは確かに話題になるだけのことはありますね。メチャクチャ面白いです。今年読んだ本の中でもかなりトップクラスに入る作品ですね。
そもそもこの作品は、ロシアで実際にあった連続殺人事件をモチーフにしているのだそうです。『アンドレイ・チカチーロ事件』呼ばれているもので、1978年から1990年に掛けて(ってもの凄く最近の話ですが)、ソ連で52人もの少年少女をレイプし殺害したのだそうです。何故12年もの間こんな連続殺人犯が捕まらなかったかと言えば、それは本作とまったく同じ理由、つまり『ソ連という国には犯罪は存在しない』という理想国家ソ連の建前があったわけです。社会のシステムそのものが、彼のような連続殺人犯を認めなかったがために、このような犯罪が野放しにされることになったわけです。
これだけでも充分分かるように、本作の舞台となるソ連という国はまあとんでもない国ですね。既にソ連は解体し、今ではロシアになっているのでしょうけど、なんと本作はロシアでは発禁になっているんだそうです。既に20年近くも前に崩壊した体制について書かれた本を未だに発禁にするというのは、どうなんでしょうねぇ。
本作では、『アンドレイ・チカチーロ事件』よりもさらに時代を前にしています。著者は、個人対国家という構図がより浮き出るように、という効果を狙ったそうですが、確かにそれは素晴らしい効果をあげているといえるでしょうね。ホント、こんな国には生きていたくない、と切実に思わせるだけの描写の妙があります。
本作は連続殺人犯を追い詰める、というのがメインの話ではありますが、しかしその話が本格的に進み出すのが下巻に入ってからです。じゃあ上巻では何を描いているのかと言えば、スターリン体制下におけるソ連という国そのものについて、そしてその中で国家に盲従しているレオという男についてそのページのほとんどが使われることになります。
まずこの上巻の描写がすごいですね。レオは、個人的には無実の人間を捕まえることに疑問を持ちつつも、しかしそれが国家の繁栄のためには仕方のない犠牲なのだ、と心の底から信じています。国家のために、ということを信じて仕事をしている男です。
だからというわけではないでしょうが、彼の経歴は割と順調です。もちろんこれまでにも危ない状況はあったでしょうが、うまく乗り越えてきたのだろうと思います。しかし、今度という今度はどうにもならない事態に陥ってしまいます。
そのきっかけが、スパイ容疑の掛かっていた男に逃げられたことで、彼はなんとか失態を取り戻そうと必至で努力します。しかし、副官の巧妙な罠(これがまたなかなか非道で、ストーリー的には絶妙と言わざるおえませんが)を仕掛けられ、ついに失職してしまいます。その中でレオは別の方面からも大きなショックを受ける事実を知ることになり、まさにどん底の状態に陥ります。
しかし、ここからレオは変わるんですね。これまで疑問を抱くことのなかった国家のやり方に反旗を翻し、自らの身を危険にさらしてまで連続殺人犯を追い詰める決意をします。ここからがまあまたすごい展開で、まさに絶体絶命という状況に何度も陥るんですね。レオは連続殺人犯という国家の膿を排除しようと持てる力のすべてを注ぎ込んでいるのに、連続殺人犯の存在を認めない国家は、そんなレオを反逆者として追い詰めようとするわけです。この無茶苦茶な状況。この時期のソ連を舞台にしなければありえないような展開が今まで読んだ事のないようなもので、これは見事だなと思いました。
連続殺人犯を追う一方で国家から逃げ続けるという二重苦を描いた後半はものすごくスリリングで、誤解を恐れずに言えばハリウッド映画的です(ハリウッド映画的というのはあんまりいい表現ではないでしょうが、僕はここではいい意味で使っているつもりです)。もはやこれまでだろう、と思われる状況を何度もひっくり返していき、しかもその動機が、自分達が生き残るためというのではなく連続殺人犯を捕らえるためだというのがすごいんですね。その執念たるや、なかなかのものです。
本作は一応ミステリに分類されるでしょうが、ミステリ的な展開は実はあんまりなかったりします。それよりも、国家から逃げ続けるというアクション的な部分の比重が大きいですね。それと、ソ連という異常な国の背景についての比重が。
とにかく、これまで読んだ事のないタイプの作品でした。傑作だと思います。既に映画化が決定しているようですが、確かに映画向きの作品だと思います。非常に面白い作品でした。是非読んでみてください。これがデビュー作だっていうんだから、なかなかすごいものですよねぇ。

トム・ロブ・スミス「チャイルド44」

「弟子にしてください」
落語の世界で、100年に一度の天才と呼ばれる、馬葉家印蔵の元へ押しかけていって、無理矢理弟子入りさせてもらおうと思った。
僕は中学の頃に印蔵の落語のテープを聞いて衝撃を受けた。それから、お小遣いのほとんどを寄席につぎ込み、印蔵の落語を聞きまくった。両親に懇願され、高校にはとりあえず通っているが、周囲が受験勉強なんかをやり始めるのを横目で見ながら、印蔵への思いを募らせていった。
どうしても印蔵の弟子になりたかった僕は、両親に内緒で印蔵のところへ押しかけ、高校は辞めるつもりで印蔵の元へやってきたのだった。
「1年間、オレの言うことを何でも聞くか?」
「もちろんです!どんなことでも耐えてみせます」
「わかった」
晴れて僕は印蔵の弟子になった。
しかし、印蔵の修行は摩訶不思議なものだった。不思議なことに、印蔵の元には他の弟子はいないようだった。だから、これが印蔵の通常の修行なのかどうか分からない。しかし、どう考えたって普通じゃない。
印蔵は英語やら数学やら歴史やらの教科書を持ってきては、ここに書いてあることを全部暗記しろ、というのだ。何でこんなことをやらなくてはいけないのか、と思ったが、師匠の言うことは絶対だ。修行とは、理不尽に耐えることなのだ。やるしかない。
僕は必至で覚えた。これまできちんと勉強したことのない僕にはそれは大変な苦痛だったが、これも修行だと思えばこそ、何とかやりきることが出来た。
結局僕は半年で、与えられた教科書をすべて覚えてしまった。
すると師匠は、『受験票』と書かれた紙を持ってきて、地図の場所に行けという。そこで試験を受けてこい、と。これも修行の一環なのだ、と理解した僕は試験会場に行き、これまで教科書で覚えた知識をフル活用しながら問題を解いた。
僕は東京大学に受かったようだ。自分が受けたのが東京大学の試験だったということさえ知らなかった僕としてはどうでもいい話だったが。
しかし、東京大学合格の通知が来たその日、師匠はとんでもないことを言い出した。
「私は落語家ではありません。予備校の教師です」
何でも印蔵には、予備校教師である双子の弟がいるらしい。僕が弟子入りを願い出たその日、たまたま印蔵が家を空けていて、そしてそこには同じ顔をした彼がいたというわけだ。勘違いした僕は、予備校教師に弟子入りしてしまったというわけだ。
「1年間、オレの言うことを何でも聞くか?と聞いただけで、弟子にしてあげるなんて言ってないでしょ?」
この一年の苦労は何だったのだろうか…。しかし、いつの間にか東京大学に受かっていたのだ。大学に行ってみるってのも、アリなのかなぁ。

一銃「弟子入り」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、立川談志という、50年に一人出るか出ないかと言われる落語の天才の弟子である談春が、弟子入りから真打ちになるまでの立川一家での修行時代を書いた作品です。
まず立川談志について書きましょう。
落語の世界には落語協会というのがあって、落語家になりたい人はほぼそこに所属することになる。誰か師匠を見つけ弟子入りし、寄席に前座として出ながら修行をする。二ツ目や真打への昇格を決めるのは落語協会、という感じである。
しかし、立川談志はいろいろあってその落語協会を飛び出した。んで、自分で立川落語会(だったかな。正確な名前じゃないかもしれん)を作って、落語協会とは別に落語家を育てているのである。
立川談志というのはなかなかの異端児なのである。
落語協会は今もって、二ツ目や真打への昇格の基準を明確に示さないらしい。そこへもってきて立川一家。二ツ目への昇格の基準は明白だ。
古典落語を50席覚えること。
単純に言えばこれだけだ。あとは弟子入りした順番も年齢も何も関係ない。至ってシンプルである。
そうやって大きくなっていった立川一家の長である立川談志に弟子入りしたのが高校生の頃。高校を辞め、両親には勘当同然で追い出され、新聞配達をしながら生計を立て、修行に励んだ。
さてしかし、立川談志は落語協会を飛び出しちゃったもんだから、寄席を持ってない。通常前座は寄席に出て力をつけ二ツ目になっていくものだが、立川一家にはそれがない。
普通の前座はこれでもかというぐらい時間がないが、立川談志の弟子はありあまるくらい時間がある。もちろんその間、師匠のお世話はする。しかしそれ以外の時間は、自分で何をするか考えて時間を使い、自分で落語を物にしていかなくてはいけない。
しかも、同期のアホな弟子のせいもあって、師匠の世話というのがこれまた大変で、もちろん師匠自体もかなり変わった人間だから大変なんてもんじゃない。師匠に呆れられたり、師匠を怒らせたり、全然関係ないのに築地で修行させられたり…。
そんなこんなを経て一人前の落語家になった立川談春の自伝エッセイです。
さて、徐々に落語に興味が出始めてきたワタクシです。ついちょっと前には「円朝」という、昔名人と謳われた落語家の一代記を読みましたけど、なかなか面白かったです。本作も、期待したほどではなかったけど、結構面白い作品でした。
この作品は今結構話題で、今8万部とか言ってるんだったかな。この本が売れない時代、10万部超えればベストセラーと言われる中で8万部というのはかなり健闘していると思います。
落語家というのはちょっと僕の中で惹かれる存在なんですね。何せ、喋りだけで観客を魅了するわけです。芸人にも、島田紳助や明石家さんまみたいな喋りのプロがいますけど、落語の場合はそれにプラス伝統が付け加わって、その綿々と受け継がれてきた的な部分がより凄さを感じさせるわけです。
だって、古典落語なんて、みんな同じ話をしてるわけですよね?もう何十年も、基本的な型は同じなわけです。なのに、喋る人によってこうも面白さが変わる。これはちょっと驚異的だと僕は思いますね。もちろん一度も落語を聞きに行ったことはないのでイメージですけど。やっぱ聞きに行ってみたいものですね。
落語家というのは、その古臭い伝統が外から見ている分には面白いですね。特に、弟子の生活は面白いです。
とにかく前座の身分では、落語家には『個』の権利はないみたいですね。ありとあらゆる雑用をこなし、そして何よりもありとあらゆる理不尽に耐えながら、ひたすら修行をしていく。文句があるなら二ツ目になれ、ということなんである。
しかもすごいことに、前座の身分ではアルバイトをしてはいけない、という不文律があるみたいなんです。著者の場合は立川談志から特例として新聞配達のバイトを認められたけど(でもしばらくして辞めている)、基本的には無収入です。ならばどうやって生活をしていくのか。落語家の前座というのはまさにそこが死活問題なんであって、大変な世界なわけです。
しかし世の中にはとんでもない人もいるもので。立川談志の一番弟子は志の輔というのだけど(立川談志もそうですけど、この志の輔というのも僕でも名前を聞いたことがあるのでたぶん有名な人ですよね)、脱サラして落語家を目指して立川談志に弟子入り。なんとその時点で奥さんがいたという。もちろん前座の間は無収入だが、志の輔は2年という驚異的なスピードで立川談志の課題をクリアし、二ツ目になった。このスピード出世は、落語協会にいたのではまず望めないことで、そういう意味でも立川談志というのはなかなか革命的な人なのである。
以下いくつか、立川談志の言葉を本作から引用しようと思う。やっぱなかなか良いことを言ってるんですね。

まずこれは、立川談志が弟子に仕事を言いつける時の例として出てきたもの。
『二階のベランダ側の窓の桟が汚れている、きれいにしろ。葉書出しとけ。スーパーで牛乳買って来い。庭のつつじの花がしぼんで汚ぇ、むしっちまえ。留守の間に隣の家に宅配便が届いてる、もらってこい。枕カバー替えとけ。事務所に電話して、この間の仕事のギャラ確認しとけ。シャワーの出が良くない上にお湯がぬるい。原因を調べて直せ。どうしてもお前達で直せないなら職人を呼ぶことを許すが、金は使うな。物置に写真が大量にある。外枠の白い部分が俺は嫌いだ、キレイにカットしろ。豚のコマ切れ百グラム買ってこい。スリッパの裏が汚ぇ、きれいにふいとけ。家の塀を偉そうな顔して猫が歩きやがる。不愉快だ、空気銃で撃て。ただし殺すな。重傷でいい。庭の八重桜に毛虫がたかると嫌だから、薬まいとけ。何か探せばそれらしきものがあるだろう。なきゃ作れ。オリジナリティとっはそうやって発揮してゆくもんだ』
これを一息でいう。しかも全部覚えていて、後で全部チェックするというからとんでもないことである。弟子が翻弄されたのは言うまでもない。

談春に稽古をつけた時の話。
『ま、こんなもんだ。今演ったものは覚えんでもいい。テープも録ってないしな。今度は、きちんと一席教えてやる。プロとはこういうものだということがわかればそれでいい。よく芸は盗むものだと云うがあれは嘘だ。盗む方にもキャリアが必要なんだ。最初は俺が教えたとおり覚えればいい。盗めるようになりゃ一人前だ。時間がかかるんだ。教える方に論理がないからそういういいかげんなことを云うんだ。いいか、落語を語るのに必要なのはリズムとメロディだ。それが基本だ。ま、それをクリアする自信があるなら今でも盗んでかまわんが、自信あるか?』
天才は普通誰かに教えることは得意ではないのだけど、立川談志は違ったようである。

嫉妬とは何か、という話。
『己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬と云うんです。一緒になって同意してくれる仲間がいればさらに自分は安定する。本来なら相手に並び、抜くための講堂、生活を送ればそれで解決するんだ。しかし人間はなかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。芸人なんぞそういう輩のかたまりみたいなもんだ。だがそんなことで状況は何も変わらない。よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ。そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。その講堂を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と云う』
「現実は正解なんだ」という言葉が印象的でした。

まあそんなわけで、かなり変わった師匠である立川談志を初め、同じ時期に弟子入りした面々と過ごした日々、落語家としての談春の心情、そして現在の心境など、様々なことが描かれています。本作は、落語協会を飛び出した立川一家の話なので、通常の落語とはまた別の世界なのでしょう。普通の落語を知っている人も知らない人も楽しめるのではないかと思います。
今僕は、デアゴスティーニ(だったかな、たぶん)から出てる、「週間落語百選」みたいな雑誌の創刊号を買おうかどうしようか迷っているんですよねぇ…。

立川談春「赤めだか」

赤めだかハード

赤めだかハード

今期の僕の通算打率は7割を超えた。公式な試合だけのカウントでそれなのだから、練習試合なんかを含めたらもっと高くなるだろう。いくら高校野球だからと言って、ちょっと尋常ではない数字だ。
僕は、バッターの素質としては大したことがないと自覚している。フォームも安定しないし、打撃力があるわけでもないし、テクニックがあるというわけでも決してない。素質だけ見れば僕よりうまい選手は山ほどいるのだけど、でも僕はヒットを量産することが出来るのだ。
その理由はメガネにある。
と言っても、メガネ自体はどこにでもある普通のメガネだ。でも、このメガネを掛けてから、僕の打率はうなぎ登りにアップした。
このメガネを書けると、どんなボールでも球筋が分かるのだ。ピッチャーが構えて投げようとしている時から、球種やスピードだけじゃなく、ホームベース上のどこにボールが飛んでくるのかも分かってしまうのだ。どこにボールが飛んでくるのか分かれば、打つのは簡単だ。
初めは、無意識の内に相手ピッチャーの癖を見抜いてるんだと思った。しかし、誰に聞いてもそんな癖はないというし、癖だけでどこにボールが来るかまで分かるなんてことはないだろう。確かめたことはないけど、きっとこのメガネのお陰なんだろうと僕は思っている。
その魔法のメガネが壊れてしまった。
修理すればなんとか使えそうな感じだったので、親に無理を言って修理してもらうことにした。何せ球筋が読めるメガネである。新しく買った方が安いといわれたけど、修理にこだわった。
修理の間、昔おじいちゃんが使っていたというメガネを代わりに掛けてみることにした。微妙に度があってないけど、なんとかなるだろう。
しかしそのメガネはとんでもないメガネだった。
なんと、女性の姿だけ裸に見えるのだ。そういえばおじいちゃんって、外に出るときいつもニヤニヤしてたっけ。あれって、そういうことだったのか。
というわけで僕はそのメガネがすごく気に入った。前のメガネの修理が終わったけど、結局そのメガネをまた掛けることはなかった。
球筋が見えないじゃないかって?それがどうした。

一銃「魔法のメガネ」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、今ちょっとジワジワ話題になりつつある作品だと思います。
本作は、二つの時系列が交互に描かれていきます。
一つは『今』。青野雅人は彼女である佐知子に転勤の話を伝えなくちゃいけなくって憂鬱だったのだけど、佐知子の方からもびっくりするような話を聞かされる。それは、私達は実は高校時代に出会っていた、というものだった。いつの話だ、それは。くそっ、まったく思い出せない。
一方で、よくいくバーの『マスター』というあだ名の男から、かつての野球部の面々で集まらないのか、と話をされる。実はマスターはこの店を辞めることになって、最後にかつての野球部のメンバーと会いたいというのだ。
しかし…。佐知子のことも合わせて、雅人の思考は過去の思い出へと飛んでいく。
そしてもう一つは、『雅人が高校生の頃』です。
横浜にある、高校野球の超名門校に一般入学で入った雅人は、各校から推薦で集められた実力のある選手たちに混じりながら、時にはその実力主義にウンザリしながら、次第に周囲の仲間と打ち解けていき、また自分の居場所を見つけ出していく。
自分達が最上級になり、自分達の時代がやってきたと感じる彼らは、もちろん野球には真剣に取り組みながらも、合コンをしたりタバコを吸ったり酒を飲んだりとバカなこともやっている。とにかく仲間で一緒にいるのが楽しかったし、もちろん何よりも野球が出来るのが楽しかった。
みんなで一丸となって甲子園を目指した彼らだったが…。
というような話です。なんかうまく内容紹介が出来なかったですけど。
さっきも書いたけど、じわじわと注目され始めている作品のようです。まだ爆発的に注目されているというほどではないけど、もしかしたらテレビやなんかで紹介される可能性もあるかな、と思ったりします。
僕も面白いと思いましたけど、けど思ってたほどでもなかったかな、と思います。ただこういう風に思ってしまうのは、話題作の宿命でもあるんですね。話題作というのは、読む前からなんとなく期待してしまって、自分の中でハードルがちょっと上がってしまっている部分があるんですね。だから、話題作だという事前の情報さえなければ十分な評価が出来たのに、話題作だと知ってしまっているからこそそこまででもないという評価になってしまうというような部分はあります。本作に対しても、多少期待しすぎていた部分はあるような気がします。
なんて微妙なことを書きましたが、面白い作品であることは確かです。
まず構成がなかなかうまいなと思いました。『今』の話では、なんとなく微妙なわだかまりを抱えたカップルが出てきます。このカップルの話がちょくちょく間にはさみ込まれるのだけど、そのタイミングがなかなかうまいですね。冒頭で、雅人は昔の野球仲間にあまり会いたくないというような雰囲気を醸し出します。しかし一方で過去の野球の話を読むと、どこにもわだかまりなどありそうには見えません。さてどういうことなんだろう。そういう興味で最後まで引っ張りますね。
また野球の描写がなかなか面白いです。試合をしているシーンはそれほど長くなくて、どちらかと言えば練習をしていたり、あるいは仲間同士でふざけていたりする場面の方が多いんですけど、なかなかいいですね。そもそも野球をモチーフにした小説で主人公がベンチ入りできるかどうかギリギリの選手、なんて設定はなかなかないですよね?これは横山秀夫が、刑事ではない警察関係者を主人公にしてミステリーを書いたみたいな、そんなチャレンジを感じます。
そしてラスト、どうして昔の仲間に会いたくないのか、という展開になっていきます。これまでの流れをふまえて、うまく話を持っていったかなという感じがします。
『ひゃくはち』というタイトルは、除夜の鐘が108回なのは、人間の煩悩の数が108だからだ、というような話から来ています。ずっとレギュラーになれず補欠だった雅人と、同じ立場で野球を続けてきたノブが、どうしてもベンチ入りしたい、という思いを語り合っている時に出てきた話です。レギュラーにはなれないけど、それでも甲子園の土を踏みたい。補欠の自分だからこそ、出来ることがあるんだってところを見せたい。そんななかなか複雑な思いを抱えながら日々過ごしている二人だからこそです。
でも世の中にはこういう人はたくさんいるんでしょうね。特に野球の名門校なんかだと、それまでチームでエースと呼ばれていたような人だってレギュラーになれるかどうか分からないような世界なわけで、そんな中推薦で入ったわけでもない、特別野球がうまいわけでもない彼らが居場所を見つけるのはなかなか難しかっただろうな、という感じがします。
まあそんなわけで、それなりに面白い作品です。映画にもなったようで、そっちの方の評価がどうかは分かりませんが、機会があれば読んでみてください。

早見和真「ひゃくはち」

ある日のこと。既に日本ではよく知られた場所である、東京渋谷にあるスクランブル交差点が、世界中で有名になる事件が起こった。
そこで死体が見つかったのだ。
しかしただの死体ではない。なんとその死体は、死後5万年以上は経っているというのだ。当初は何らかの測定のミスだろうと思われていたが、世界中のどの機関が追試を行っても結論は変わらなかった。昨日までなかったはずの場所に、突如として死後5万年経過した死体が見つかったのである。
世界中で論争が繰り広げられた。
「以後5万年以上経過した異星人の死体が何らかの形で地球にやってきたのだ」
「しかしあの死体はどう考えても地球で進化した人類そのものだぞ」
「発見当時来ていた服は、2006年から2007年にかけてユニクロで販売されていたものと判明しています」
「測定に問題があるのだ」
「その可能性はないと議論は尽くされているはずだ」
「あるいはタイムマシンではないか」
「その考えを導入したらどういうことになるのかね」
もちろん誰も結論を出すことは出来なかった。
真相を知るには、死体に喋ってもらう他なかろう。もちろん彼はもう死んでいるのだけど、まあこれは小説だ。真相解明のために少しだけ死んだまま働いてもらうことにしよう。
(まあそりゃあ分からんだろうよ)
彼は当然そう思った。
(あんたらの知識でこの謎が解明できたら、そらすごいわ)
彼は自分が死んだ瞬間のことを思い出していた。
(2008年10月6日。僕は車に撥ねられた。その瞬間、こりゃダメだな、と僕は思ったよ。咄嗟に僕はアレを発動してしまった。発動してどうなると思っていたわけでもないけどさ)
彼にはある特殊な能力があるのだ。
(時間を止められるんだよね。好きなだけさ。その時は、僕の時計だけが動いているんだ。僕以外の世界の時計はすべて止まっている。死ぬ寸前に時間静止を発動しちゃったから慌てたんだろうね。普段だったらどんなに長くても数年単位でしか時間を止めないのにさ、その時は5万年以上止めちゃったんだよね)
彼が死んでから5万年間、彼以外の時間は止まっていたのである。
まあこんな真相なんですけどね。

一銃「死後5万年」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、SFの古典として、またSFの傑作として、長い間読み継がれてきた作品です。
2020年代の終わり頃。既に月に基地を設営する準備が整い、また火星や木星へも探査船を送り込めるだけの技術を持つことが出来ている、そんな世界が舞台になります。
アメリカのある機関が月の調査をしている際、一体の死体を発見することになった。後にチャーリーと名づけられたその死体は数々の不可解な謎を彼らに突きつけることになった。
チャーリーはそこからどう見ても人間で、それは後の調査でもはっきりと証明されることになった。しかしチャーリーが発見された時点で月にいた人間の中には行方不明者は一人もいなかった。それもそのはずである。その死体は何と、死後5万年以上が経過していることが判明したのである。
地球の歴史で5万年前と言えば、まだ原始的な生活をしている頃だ。そんな時に、月に辿り着くだけの技術を持った人類が存在していたはずがない。もしそんな文明が存在していれば、何らかの痕跡が発掘されるはずである。
ではチャーリーは別の惑星で進化した異星人なのだろうか?しかしそれもありえない。何故なら進化の過程というものは偶発的なものであり、別々の惑星で別々に進化した生物が、最終的にまったく同じ形態を獲得するなどということはまずありえないからだ。
元々イギリスのある企業で働いていた原子物理学者であるヴィクター・ハントは、何だかんだでこのチャーリー・プロジェクトの統括責任者の立場に立つことになった。言語学や数学者、生物学者や物理学者など、当代髄逸の頭脳を集結させてチャーリーの謎を解き明かそうとするも、どういう仮説を立ててもしっくりこず、矛盾がすべて解消されることがない。
そうこうしている内に、またとんでもない発見が待っていた。なんと、木星の衛星であるガニメデから、地球の物ではありえない宇宙船が発見されたというのだ。チャーリーとは何か関わりがあるのだろうか…。
というような話です。
いやはや、これは無茶苦茶面白い話でしたね。これまで何で読まなかったんだろう、と思うくらいです。
本作の存在は昔から知っていました。SFの世界でもの凄く評価が高い作品だということも知っていました。月で5面年前に死んだ人類が発見された、という大枠のあらすじも知っていて面白そうだなと思っていました。
それでもどうして読まなかったのかというと、僕はあんまりSF作品が得意ではないからです。これまでも、SFの古典にして傑作と言われる作品を何作か読んだことはありますが、悪くはないんだろうけど僕的にはあんまり面白く感じられなかったり、あるいははっきり言って何がいいのかさっぱり理解できないという作品もありました。しかもこの作品は、「ハードSF」という表現がされることが多いです。「ハードSF」というのがどういう作品に使われるのかきちんとした知識はありませんでしたが、なんか難しそうじゃないですか。「SF」よりもさらに難しいみたいなイメージが「ハードSF」という言葉にはあって、それで敬遠していた部分もあります。
しかし!そういう点はまったくの杞憂でした。本作は、結構昔の作品であるにも関わらず文章が非常に読みやすいし(まあ訳はさすがにちょっと古いなと感じましたけど)、また内容がグイグイ引っ張っていく感じのものなので、飽きさせずにページを捲らせるんですね。
本作が「ハードSF」と呼ばれる所以は恐らく、物理的な描写が結構あるからだと思います。結構学術的な部分に踏み込んでいて、しかもそれが割とストーリーの中で重要な部位を占めていたりするわけです。それは、チャーリーの死体やその所持品を調べる過程で必要になってくる知識なのだけど、でも物理的な描写を読み飛ばしても特に問題はない作品だと思いました。物理的な描写の後、つまりそういうことから考えるとこれこれはこうのはずだ、というまとめが必ず書かれるので、そこさえきちんと押さえておけば、物理的な描写が分からなくても特に問題はないでしょう。僕も、比較的物理は得意だったんですけど、昔から天文学系は非常に苦手で、本作でも月の軌道がどうとやらなんて話が結構出てくるんですけど、なかなか難しかったです。でも、ストーリーを理解する上ではさほど支障はないですね。
しかしJ・P・ホーガンというのはかなり物理系の知識をきちんと持っている人なんだろうなと思いました。もちろんいろんな専門家に話を聞いたりしているのだろうけど、それでも元々物理をちゃんと理解していないとなかなかこんな作品は書けないと思います。しかも、その物理的な知識による解明が物語を押し進めていくわけで、なかなかこういう作品はないなと思います。
本作はSF作品ではありますが、同時にミステリと言ってしまっていいでしょう。非常にスケールの大きなミステリです。よく本格ミステリなんかでは、「物理トリック」なんて言葉が出てきます。これは要するに、機械仕掛けなどによってあるトリックを弄する作品なんかに使われる言葉ですが、本作は紛れもなく正真正銘の「物理トリック」、つまり物理学に根ざしたトリックだと言えるでしょう。
しかも、謎の解明が至ってシンプルなんですね。つまり、ある状況さえ考慮に入れれば、すべての謎が一瞬にしか氷解するように作られているわけです。この構成も見事で、まさに本格ミステリの秀作と言ってもいいだろうと思います。
しかもさらに、最後の最後でまたどんでん返しがあるわけで、この結論はかなり面白いですね。もちろん現実にはありえないでしょうが、それでも何となくロマンを駆り立てられる作品だなと思いました。
「SFはちょっと…」と思っている方。騙されたと思って読んでみてください。本格ミステリが好きな方だったらまず嵌まると思います。僕は最近本格ミステリを読んでないですけど、また読みたいなという気分になりました。また、本作には続編がたくさんあるようで、そっちも読んでみたいものですね。とりあえず「ガニメデの巨人」ですか。機会があったら読んでみることにします。
非常に面白い作品です。是非読んでみてください。

J・P・ホーガン「星を継ぐもの」

ついこの間僕は、交通事故を起こしてしまった。最悪だ。非はほぼ僕の側にある。居眠り運転だったのだ。その日あまりにも疲れていたので、ついうとうとしてしまったのだった。
僕はこれまでにも何度もこうして失敗を繰り返してきたけど、これまではその度毎に落ち込んできた。しかし、ある本を読んで、「バタフライ効果」という現象を知った時、僕は自分の失敗をあまり悩まなくなりました。
「バタフライ効果」というのは、ほんの些細な出来事がものすごく大きな結果をもたらす、という現象です。名前の由来は、蝶々がアメリカ大陸の上空でその羽をほんの少し動かしたことがきっかけで、中国に台風が発生することもある、というような比喩からです。
僕が起こした交通事故だって、誰かがどこかでくしゃみをいた結果かもしれない。そう考えると、何だか失敗をしてもまったく落ち込まなくなって、自分にとって都合のいい人生を送れるようになりました。

一銃「風が吹けば桶屋が儲かる」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、物理学の中でも比較的歴史が浅い、非線形科学という分野に関するあれこれをまとめた本です。
非線形科学というのがどういう分野なのかというのを説明するのはどうにも難しいですね。これまでの物理学というのは、ある現象を解明するために、その現象に関わる要素を分解することで検証していきました。物質を原子やクオークなどの最小単位に分解することでその性質を調べたり、あるいは光や電磁波などでは、正弦波と呼ばれる波に分解することによってその成り立ちを調べたりします。
しかし世の中には、要素に分解することでは理解しがたい現象がたくさんあります。例えば、本作中に例としては出てきませんでしたが、砂漠の表面に出来る模様は非線形的な現象だと思います。砂漠の表面には、風によって様々な模様が描かれることになりますが、しかしどのような条件の元でどういう模様になるかということは、砂一粒についていくら調べたところで分かるものではありません。そういう、要素に分解することでは解明しがたいマクロな現象を扱うのが非線形科学である、というのが僕が本作を読んで理解した解釈です。間違っているかもしれませんが。
マクロな世界において、同じ条件を持ったもの(砂漠の砂のように)がたくさん集まることによって、予想もつかなかった現象が起こる。それを科学で解明しようというのは非線形科学です。よく、フラクタルやカオスなんて言葉を耳にすることはあると思いますが、それらもこの非線形科学の研究から生まれてきたものです。
なんて分かったような文章を書いていますが、僕にはこの非線形科学というのはちょっと難しいなと感じました。僕は、量子論やら相対性理論やらの本もそこそこ読んでいますけど、それらの分野よりも遥かに難しいのではないかと感じられました。
どうしても、具体的なことがイメージし難いんですよね。絵やグラフなどが結構載っているにも関わらず、何がどうなっていくのかということがなかなかイメージできません。僕がそもそも図形的なこと、空間的なことに対する理解力が乏しいというのもありますが(子どもの頃は、理科の授業の天体であるとか、数学の幾何なんかには相当苦労しました)、非線形科学は比較的空間的なイメージ力を必要とするように僕には感じられました。量子論や相対性理論なんかは、その現象自体に納得がいくかどうかは別として、それぞれの場面で説明される状況や実験そのものは比較的理解しやすいんです。ただ非線形科学の場合、僕の中ではどうも曖昧な部分が多すぎて(これは科学者の側からすれば、数式を使っていないからだ、ということになるかもしれませんが)、なかなかうまく理解することが出来ませんでした。
ただそれでも、なるほどこんな現象が起こるんだ、とビックリしたものはいくつかあります。熱対流やBZ反応などがそれで、確かにこれらの現象は、それまでの物理学では説明できないだろうな、そしてそれを非線形科学であるならうまく説明できるのだな、というようなことは漠然と分かった気になれました。
というわけで、そもそも非線形科学という分野が難しい(あるいは僕にとっては難しい)が故に、本作は非常に読みにくい本になってしまいました。文章のせいなのか、あるいはジャンルの難しさのせいなのかはわかりませんが、一般向けに書かれている本であるはずですが、結構難しいと思いました。
文章についてちょっと気になったのが、「~ですが。」という形で終わる文章がちょっと多すぎたということでしょうか。別に内容を伝える上では支障はないと思いますけど、読んでいるとどうもひっかかるんですね。非常に頻発するので気になりました。うまく文章を変えれば、こういう表現は減らせただろうと思うので、そこだけが少し気になりました。
僕には結構難しく感じられた本でした。本作を読めば非線形科学について一通り分かるだろう、という風に読むのではなく、非線形科学というのはなかなか難しい分野なのだな、と確認するために読むという読み方ぐらいの方がいいかもしれません(もちろん人によってはスムーズに理解出来るかもしれませんが)。こういう本を読むと、あぁもう少しだけでいいから頭のいい人間に生まれて来たかったな、と思わずにはいられません。

追記)amazonの評価でも、初心者には難しいという感想だったので安心しました。

蔵本由紀「非線形科学」

「山平先生、ホントいつも原稿早くて助かります!」
喫茶店でいつものように打ちあわせを始める前のこと。担当編集者は、相変わらずいつものようにそう言って僕を喜ばせようとする。
僕も、喜んであげているフリをしてあげるのだ。
別に嬉しくなんかない。そう言ってあげてもいいのだが、まあこれも仕事だと思えばいい。
「まあ大したことじゃないですよ」
「いつも聞いてるような気がするんですけど、どうやってそんなに物語を思いつけるんですか?」
そんな聞かれても、答えようがない。だからまあ、いつものように適当に受け流す。
「いやいや、こんなの普通ですよ。全然大したことじゃないんですって」
こういう会話をいつもするのはめんどくさいけど、まあいいさ。これも仕事。こんなに楽な仕事をしてお金をもらっているんだから、少しぐらい我慢しないとバチが当たるってもんだよな。
「しかし先生、未だに不思議なんですけど、先生の著作って未だに出ないですよね。いや別に不満があるわけじゃないんですけど、こう雑誌に短編を発表するだけで、単行本になりませんね。おかしいんですよね。こんなに書いていただいているのに…」
嫌な方向に話が進んだので、無理矢理打ち合わせの方に話を持っていくことにする。
僕は、これまでに小説を一作しか書いたことがない。それは、まさに奇跡の一作と言っていい出来だった。あれ以上の小説なんて、僕にはもう生み出せるわけがない。
しかし、僕は未だに作家として生活を続けている。もう3年にもなる。たった一作の短編しか書いていないのにである。
なぜそんなことが可能だったのか。
僕には、ある特殊な能力がある。人の記憶を部分的に失わせる能力だ。
自分のこの能力に気づいたきっかけは、今となっては覚えていない。いつの間にか、自分にそういう能力があることに気づいた。そういう感じだった。
初めは、なんて意味のない能力だろうか、と思っていた。ちょっと恥ずかしいことをしてしまった時にその記憶を失わせたり、とそんな風な使い方しか思いつけなかった。
僕はある日、気まぐれに小説を書き、そしてそれが新人賞の選考委員に大絶賛を受けた。僕の元に編集者がやってきて、次の作品を書くように催促してきた。
僕は書けなかった。あの一作だけが僕に書けた唯一の小説だった。
そこで僕は考えた。あの小説を使いまわそう。みんなの記憶から、僕の小説のことを消してしまえばいい。そうすれば、同じ小説を提出すればいいじゃないか。
初めは一度だけにするつもりだった。同じ手を何度使ったところで、自分が虚しいだけだ。一度だけ、もう一度だけ絶賛されたい。ただそう思っていただけだった。
それが3年続いてしまった。
後悔している。こんなことをするべきではなかった。特に、他の作家が苦しみながら物語を紡いでいる姿を目にしてからは、後悔がどんどんと募った。
しかし一方で、どうしても止められないところまで来てしまった。僕は世間では流行作家と呼ばれるようになっていた。3年間、一度も単行本を出していない短編作家なのに、驚くほどのファンがいるのだ。出版社も、僕に次々に原稿を依頼してくる。原稿を出さないわけにはいかない。しかし、書けるわけがない。となれば、同じことをするしかない。
僕はきっと、これからも同じことをし続けることだろう。

一銃「作家の苦悩」

そろそろ内容に入ろうと思います。

本作は11の短編が収録された短編集です。それぞれの内容を紹介しようと思います。

「拝啓ノストラダムス様」
ノストラダムスの予言を完全に信じてたオレ。だから、1999年8月以降のことなんてなーんも考えていなかった。
もちろん世界は滅びはせず、オレは三流の高校に通っている。
アホだ。ノストラダムスよ、オレの青春を返せ!
幼なじみだったカスミが救急車で運ばれた。急性胃炎だというが、嫌な予感がする。
オレの予感は当たった。カスミは、ネットで手に入れた薬であるゲームをしていたのだ…。

「正義感モバイル」
大学生の私は、就活のの一環として、テレビ局の下請け会社で「雨傘チーム」と呼ばれている取材班に潜りこんだ。ディレクターの高見さん、カメラマンの長谷川さん、そして元アイドルだったレポーターの由美子さん。
彼らは、大きなニュースのない日に時間を稼ぐための街頭インタビューなんかをしているが、大きな事件があれば切られてしまう、そんな仕事だ。
彼らにはまた街頭インタビューが与えられた。由美子が前にいたグループのメンバーで、今でも活躍しているアイドルが自殺を図ったのだ…。

「砲丸ママ」
息子のゲンの夏休みの宿題。『家族の得意技』という作文。ママの得意技は簡単に書けたのだ。ママは昔、砲丸投げの選手だったのだ。
問題はパパ。
平々凡々、どこにでもいる普通のサラリーマンであるパパは、一体何が得意技なんだろう…。
夫婦でパパの得意技について考え、そして過去へと思いを馳せる。

「電光セッカチ」
最近、ちょっとずつ我慢できなくなってきた。夫に対してた。
せっかちなのだ。
待つことが嫌いで、ちょっと段取りが悪いとイライラする。おっとりしている息子までいそいそと急きたてるので、最近ではチック症状が出てくる始末。
ちょっと嫌になってプチ家出をしてみた。何だか大変な事態になっちゃったけど…。

「遅霜おりた朝」
胃潰瘍を患って教師を辞め、タクシー運転手になった。半年経ったが、どうにもなれない。特にお客との会話がいけない。気晴らしに、公園でサッカーをしていた時のことだった。
若い男女が、タクシーに乗せろと言ってきた。タクシー強盗を警戒して乗せたくなかったが、仕方なかった。成り行きで乗せることになってしまった。
長野まで。

「石の女」
毎年正月は憂鬱になる。どうして人々はこうも、年賀状に子どもの写真を載せたがるのだろう。
僕達夫婦には子供がいない。子供はもう諦めた。それはいい。
問題は、ずっと前に中学時代の同級生に送った年賀状だった。
「龍之介は二歳になりました」
そう書いてしまった。龍之介は、僕らが飼っている犬の名前だ。それをその同級生は、僕らの息子だと勘違いした。
そのかつての同級生が、年明け我が家にやってくる。
さて、どうしたらいいだろうか…。

「メグちゃん危機一髪」
目黒川に住みついたアザラシ、メグちゃん。テレビで大きく話題になっている。電車に乗っていてもメグちゃん情報を車掌が流すほどだ。
電車の中で、同期に会う。お互い課長だが、恐らくどちらか一方がリストラされることになる。どっちが残れるか。毎朝メグちゃんを見れるかどうか。日々ちょっとした運試しをしている…。

「へなちょこ立志篇」
オレの名前は勝利。で、皆からはマケトシって呼ばれてる。まあ確かに負けてるかもしれないけどさ。そんな呼び方って酷くないか。
オレは家出することにした。ちょっと勇気が要ったけど、ホームレスのおっちゃんの隣に座って仲間に入れてもらうことにした。
…、っていきなりの急展開。なんかそのホームレスのおっちゃん、ちょっとワケアリみたいだぞ…。

「望郷波止場」
私はテレビ局の新米ディレクターで、そして大学時代の後輩で今はレコード会社で働いている林くんと一緒に仕事をすることになった。
昔ヒットした歌手で、今は引退してしまっている人達を集めて番組を作ることになった。
その目玉として、今は港町の小さな飲み屋でママをやっている女性を引っ張り出すことになった。その出演交渉が私の仕事だ。

「ひとしずく」
子どものいない夫婦生活。長く続けていると会話もなくなっていってどうにもいけない。
妻の誕生日に、ちょっと大きなことをやろうと思った。
きっかけは、妻のひと言だった。中年なりのファッションってものがあるでしょ、というところから、ちゃんとしたシャツを買ってあげるよ、という話になった。
となれば、こっちもそれなりのものを用意しなくてはいけない。
そこで考えたのがワインだった。妻の生まれた年のワインをサプライズで開ける…。いいアイデアだと思った。
うまくいくはずだったのだが…。

「みぞれ」
父が声を出せなくなってもう二年になる。昔はその声が怖かった。
僕は久々に、両親が二人で住む家に顔を出した。喋らない父と、献身的な母。二人っきりの生活は危ないから止めて欲しいと、何度も言ってきた。
かつては、妹夫婦のところで同居していたのだ。しかし、半年で戻ってしまった。
わがままを言っている場合ではないだろうと思う。二人きりで生活をされるのなんか、正直迷惑なんだ…。

というような感じです。ホント、短編集だと内容紹介の文章に時間が掛かって大変です。
重松清の小説を読むのは久しぶりですが、相変わらずいい話を書きます。
どの作品でも割とそうなんですけど、重松清が選ぶ題材って、本当に大したことはないんです。僕らの日常の地続きにあるような、あるいは過去のどこかの場所とうまく重なるような、そういう極々平凡な状況や設定で小説を書くんですね。本作でも、息子の課題の作文とか、妻の誕生日とか、ちょっとせっかちな夫とか、そういう本当になんでもないような状況での物語があります。もちろん、幼なじみの自殺とか不妊とかリストラとか、そういうちょっと思い話も出てくるけど、でもそれだって日常的と言ってしまえるほどありふれている状況なわけで、重松清はそういうごくありきたりなステージで小説を書いているわけです。
なのに、そこらの小説なんて目じゃないぐらい良い。なんでしょうね、この良さは。うまく説明できないけど、話が身近だからというだけでもないし、文章がどうのキャラクターがどうのという話でもなくて、何だか重松清にしか出せない『何か』のせいだと思うんですよね。そういうものを重松清は持っていて、それを小説を書く度に注入しているみたいな、そんなイメージです。
また時事ネタを取り入れるのもうまいですね。この作品は、1999年から2006年に掛けて様々な雑誌媒体に発表された短編をまとめたものだけど、ノストラダムスの予言やメグちゃん(本家はタマちゃんだけど)とか、あるいは薬のよるネット自殺、なんかがそうですかね。
重松清は若者をモチーフにした作品もよく書いていて、本作でも若者がメインの話はいくつかあるんだけど、そういうのを読む度に僕は重松清のスタンスっていいなと思うわけです。
重松清は、分かったフリをしないんですね。でも分かっていないわけでもないんです。そのバランスがすごくいいと思うんです。
例えば同じような話を今の若者が書けば、もっと自分達のことを分かって欲しくてあれこれ言葉で説明しようとするでしょう。自分達の正しさを認めてもらおうとするでしょう。
でももちろん重松清はそんなことは書かない。小説だからと言って、分かったようなことも書かない。
でも、息子がいるからというのもあるだろうし、自身のかつての経験もあるのだろうけど、全然分からないっていうわけでももちろんない。というか、重松清のスタンスは、なんとなく若い世代のそれに近づけているような気がする。若者だって自分達のことは何も分かっていないんだっていうことをちゃんと理解している大人なんだと思う。
特に本作では、「拝啓ノストラダムス様」を読んでそんな風に思った。きっと重松清には、そんなことをする若者の気持ちなんか理解できないことだろう。僕だって理解は出来ない。ただ、『アリ』か『ナシ』かで聞かれたら『アリ』かなと思うぐらいの近さには僕はいる。重松清は、『ナシ』だと分かった上で、でも『アリ』っていう考えが成立するとしたらどんなだろう、というような発想なんじゃないかなと思ったりしました。自分でも書いててよくわかんなくなって来ましたけど、とにかくそんなわけで、重松清のスタンスは好きです。
話としては、「拝啓ノストラダムス様」「砲丸ママ」「電光セッカチ」「望郷波止場」「ひとしずく」辺りが好きですね。
「拝啓ノストラダムス様」は、やっぱり理解できなさみたいなところが魅力ですね。僕は、正直分からなくはないんです。昔は結構近いところにいたかもしれないな、と思ったりもします。でも、同じことをやれって言われたら、ちょっと出来ないかもしれないですね。
「砲丸ママ」はまず、その設定のちまちましさに感動しました。息子の課題の作文、っていうだけの設定でよくこんな面白い話が書けるな、というところに感動したわけです。話自体も、息子の課題を何とかするために、二人の過去の思い出に遡るという展開で、なかなか読ませますね。本作の中で一番好きな話かもしれません。
「電光セッカチ」は、結婚って難しいんだなぁ、って思わせられる話でした。僕は、旦那さんのせっかちな部分、わからくはないんです。どっちかっていえば、僕も待つのは嫌いだし、段取りが悪いのは好きじゃないし、何事もスムーズに進んで欲しいなと思うタイプです。さすがにこの話の旦那さんほどじゃないけど。
ただ、せっかちなのって、性格的にはホント些細なことだと思うんです。もっと結婚生活を破綻させるような性格的な問題って一杯あると思うんです。でも、こんなせっかちだっていう、特に問題とも思われないような些細なことでもこんなことが起こりうるんだなぁ、と思いました。
「望郷波止場」は哀しい話でしたねぇ。なんか、すごく哀しくなりますね。たぶん本作の中で二番目に好きな話だと思います。
引退した元歌手をテレビに出して笑いものにするっていう企画の番組なのに、まずレコード会社の担当者が結構マジ。そしてさらに、主人公が交渉して引っ張り出してくる元アイドルっていうのがいい。っていうか、その取り巻きがいい。最後、何だかすごく哀しくなる。読むと、正しいって何だろうっていう気分にさせられます。
「ひとしずく」は「電光セッカチ」とは逆に、こんな夫婦はいいねっていう話。でも、この話も哀しくなるんですよね。なんか、大人になってちゃんと生きていくのって大変だなって思うわけなんです。僕が結婚をしたくない理由っていうのは、多分にこういう部分にあるんです。要するに、結婚する相手のことだけ考えていられるならいいんだけど、結婚ってホントそれだけじゃないからねぇ、と思わされますね。
他の話も粒揃いで、非常に読み応えがあります。単行本ではなくいきなり文庫で発売というのもいいですね(まあさすがにこれだけ長い期間あちこちで書き散らした短編を単行本で出すというのは気が引けたのかな、と想像したりしますが)。重松清の基本を押さえたラインナップになっていると思います。かなりいいと思います。是非読んでみてください。

重松清「みぞれ」

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