黒夜行 2022年05月 (original) (raw)

予告でこの映画の存在を知って、「絶対に観る」と決めていた。予告で流れる情報でも既に、そのあまりの衝撃的な事実に驚愕させられるほどの内容だ。

決して他人事じゃない。何故なら、映画のラストに、こんな表記が出るからだ。

【今も、世界中の大手食品会社やスーパーマーケットで、奴隷労働によって漁獲された魚が流通している。】

そう、私たちが当たり前のように食べている「海産物」は、「タイで拉致され、数年から十数年単位で遠洋船に隔離され続けた『奴隷』が獲ったもの」かもしれないのだ。公式HPに書かれていたが、日本で流通するキャットフードの約半分はタイ産だという。猫を飼っている人にも無関係ではないということになる。

まず、そのような異常な状況に陥ったタイのシーフード産業の背景に触れておこう。

タイのシーフード産業は年間およそ90億ドル規模で、世界最大級と言われているそうだ。しかしその内実は、違法操業や無規律乱獲が頻発する世界だった。そしてそれは、彼ら自身の首を締めることになった。タイ近海では、魚が撮れなくなってしまったのだ。

そこで漁業会社は、遠洋への進出を余儀なくされた。しかし当然だが、地元の漁師は長期間遠洋に出て漁をすることを嫌がった。人手がなければ魚は獲れない。そこで、違法なやり方で船員を確保し、無理やり働かせているのだ。

そして、そんな「奴隷」を故郷に連れて変える活動をしているのが、この映画の主人公であり、「労働権利推進ネットワーク(LPN)」を夫と共に立ち上げたパティマ・タンプチャヤクルだ。彼女は、2017年のノーベル平和賞にノミネートされたこともあるという。

彼女の活動によって救出された「奴隷」が語る経験は、聞くに耐えないものだ。運良く数年で救出される者もいるが、映画で紹介された中では最長20年も船上での労働を強いられたという人もいた。その間、一切賃金が支払われないそうだ。朝から晩まで、陸が見えない遠洋で働かされる。3ヶ月に1度母船がやってきて、獲った魚と食料を積み替える。母船に魚を積み替えるのは、船員を逃さないためだ。エイの尾や鉄の棒で殴られ、熱湯を掛けられることもあるという。

しかしそれでも、「生きて帰れた」だけでもまだマシと言わざるを得ないかもしれない。船上で命を落とす者も多いからだ。ある人物は、友人から聞いた話だとした上で、「まだ息がある船員を箱に入れて海に捨てた」と証言していた。

映画の中で語られる世界がちょっと信じがたいものばかりで驚愕させられる。

凄いなと感じたのは、船長の感覚だ。この映画には、違法漁船の船長や漁業会社の人間は登場しないので、あくまでパティマたちの推測に過ぎないが、違法漁船の船長は、「自分たちこそが被害者だ」と感じているのだろうと話していた。要するに、「人手不足だから仕方ない」という理屈のようだ。しかし、人手不足だろうがなんだろうが、鉄の棒で叩いたり熱湯を浴びせていいはずがなく、というか無賃で働かせてもいけないし、そもそも遠洋上の漁船に閉じ込めるような扱いをしてはならない。

映画を観ながらずっと、「どうしてこんなイカれた状況がまかり通っているのだろうか」という疑問がつきまとっていた。「奴隷」歴20年の者がいるということは、少なくとも20年以上もこの状況が続いているということだ。その間、警察や国は一体何をしていたのだろうか?

その背景は、映画の途中で少し明かされる。発展途上国ではよくあることと言えばそうなのかもしれないが、違法漁業会社はなんと「警察やマフィアを雇っている」という。マフィアはともかく、「警察を雇う」のはダメだろうと思うが、警察組織が腐敗しているのだろう。警察もこの現状に噛んでいるとすれば、事態の改善はなかなか容易ではない。

映画のラストで、「タイ政府は規制を強化した」と表記されたが、しかしその一方で、「そうなってからも、起訴される漁業会社はほとんどない」という状況でもあるそうだ。賃金が支払われず、指を無くすほどの怪我をしても補償しない、そんな会社が流通させている海産物だから「安い」のかもしれない。しかし、そんな理由で「安い」海産物を食べて、美味しいと思えるだろうか?

LPNでは元々、児童の労働にコミットしていたそうだが、ある時「奴隷」だった船員が助けを求めてきたことから、「海の奴隷」の解放に人生のすべてをつぎ込むことに決めたそうだ。彼女は、息子と長い期間離れ離れになってしまっても、バンコクから6400km離れたインドネシアまで飛び、そこで「奴隷」の救出に奮闘する。素晴らしいと思ったのが、パティマが息子に、きちんと自分の仕事を伝えているという点だ。「ママがインドネシアに行くにはどうして?」と聞くと、息子は「人を助けるため」と答えていた。敢えてそういう場面を映画に組み込まなかっただけかもしれないが、息子が寂しさで泣いているような場面もなかった。傍目にはとても良い関係に見えた。

これまで救助してきた「奴隷」たちの証言から、彼らがいるかもしれない場所を探索するのだが、これが簡単な話ではない。そもそもパティマたちは、「遠洋船に直接乗り込んで『奴隷』を救助する」わけではない。さすがにそれはリスクが大きすぎるだろう。映画の中で映し出されていたのは、「遠洋船から海に飛び込み、どうにか離島へとたどり着いた『元奴隷』を探す」という場面だ。

しかし、「『奴隷』だった人はいますか」と聞いて廻るわけにはいかない。インドネシアでも警察と漁業会社が癒着しているらしく、そんな探索をすれば彼女たちにも危険が及ぶからだ。だから、「この辺りにタイ人やミャンマー人はいますか」と遠回りな聞き方をしながら、「元奴隷」に行き当たるのを根気強く待つしかないということになる。

しかも難しいのはそれだけではない。ようやく「元奴隷」に辿り着いても、そこでさらに厳しい現実に直面することになるからだ。

「故郷に帰りたい?」と聞くパティマに対して、多くの者が「帰りたいけど帰れない」と口にする。この地に、妻も子どももいるからだ。ある人物は、「奴隷」として連れて来られた時が21歳、今はもう45歳になってしまったと語っていた。あまりにも、時間が経ちすぎているのだ。

客観的に観ていると、なかなか徒労に終わってしまうことが多い活動だ。しかしパティマは、歩みを止めるつもりはないようだ。既に5000人以上の「奴隷」を救出しているが、数万人単位で「奴隷」がいると考えられているし、またこの「海の奴隷」の問題は決してタイだけの問題でもないらしい。映画のラストで、アメリカやイギリスにも同様の問題があると表記された。また当然、タイの水産物輸入で世界第2位の日本も無関係ではない。公式HPによると、日本が世界中から輸入した天然水産物の24~36%(1800~2700億円)は、「違法または無報告漁業」によるものと推定されているという。

様々なモノの値段が上がり、家計は苦しくなる一方だが、だからと言って「『奴隷』が獲ったものでも、安ければいい」という判断には抵抗があるだろう。あってほしい。そしてそんな現実を理解するために、この映画を観てほしいと思う。

パティマは、救出した「奴隷」に対してこんな風に言うことにしているという。

【あなたが味わった苦痛は、誰にも分からない。
だから共に伝えていこう。】

人間として、メチャクチャかっこいいなと感じた。

最後に。意外という言い方はおかしいかもしれないが、ドキュメンタリー映画にしては「映像がキレイ」だと思う。僕自身は、映像の良し悪しにはさほど興味がないのだが、ドキュメンタリー映画を観る際によく、「せめてもう少しちゃんとしたカメラで撮れば、もう少し裾野が広がるかもしれないのに」と感じることがある。そういう意味でこの映画は、少なくとも「映像の綺麗さ」という点でも高いレベルで作られていると感じた。

「ゴースト・フリート 知られざるシーフード産業の闇」を観に行ってきました

なるほど、ホントに、まだまだ全然知らない世界があるものだ。観て良かった。

【私たちは聴者でもろう者でもない。コーダという種族だ。私たちにしか経験できないことがある】

登場人物の1人がこんなことを言う。この言葉は、映画のかなり冒頭で出てくることもあり、僕にはその意味が分からなかった。

「知っている」と「理解している」に雲泥の差があることを理解した上で、「ろう者」のことは「知っている」と思っていた。理解には及ばないが、知識としては知っていると。ただそんな「ろう者」の世界に、「コーダ」と呼ばれる「中間の世界」が存在するとは思いもしなかった。

そもそも僕は、「コーダ」という言葉も知らなかった。初めてその言葉を目にしたのは、アカデミー賞受賞作の『Coda コーダ あいのうた』だったと思う。それまで「コーダ」という単語に触れたことはなかったはずだ。

ただこの時点ではまだ、僕は「コーダ」の意味を知らなかった。単純に「映画のタイトルだ」と思っていたのだ。『Coda コーダ あいのうた』もまだ観ていないし、「コーダ」という言葉の意味を知るには至らなかった。

その意味を初めて知ったのが、まさにこの『私だけ聴こえる』という映画の存在を知ったことだ。映画館のチラシか何かでその存在を知り、そのチラシの表記か何かで「コーダ」の意味を初めて知ったのだ。

「耳の聴こえない親を持つ、耳の聴こえる子ども」という意味である。

ただ、「コーダ」の意味を知ったからと言って、その大変さに想像が及んだわけではもちろんない。というか、「わざわざ『コーダ』と別の名前をつけるほどの何かがあるのだろうか?」とも感じていた。そんな風に思っていたこともあり、『私だけ聴こえる』を観るかどうかもちょっとだけ迷いがあった。

でも、本当に観て良かったと思う。

映画は、数人のコーダに密着する形で進んでいくのだが、それとは別に、顔も名前も出ないような形で「コーダの本音」が字幕で表示される場面が何度かある。その中の1つに、

【聴こえている人の世界にずっといたら、気が狂いそう】

というものがあった。

凄い感覚ではないだろうか。繰り返すが、コーダ自身は耳が聴こえるのだ。それなのに、「聴こえる人の世界にずっといたら、気が狂いそう」と感じているのだ。

また、映画で主人公の1人として映し出されるナイラは、

【小学校に入るまで、周りには私も「ろう」だと言っていた。喋るのが嫌だったから。
今も喋るのは嫌い。話すことに抵抗を感じていた。
ろう者になりたいってずっと思ってた。】

と冒頭で語っていた。

映画では早い段階で、アメリカで行われている「コーダキャンプ」の様子が映し出される。上映後のトークショーによると、このコーダキャンプの場で、密着するコーダを探したそうだ。

ここには、コーダだけが集まっている。イメージできると思うが、「耳の聴こえない親を持つ、耳の聴こえる子ども」の絶対数はとても少ないはずだ。普通に考えて、「ろう者」の数より圧倒的に少ないはずなのだ。だからコーダにとって、「周りにコーダしかいない」なんていう環境は、そこ以外では実現できないと感じられるのだ。

そして口々に、「帰りたくない」という主旨の発言を繰り出す。

【ここで暮らしたい。両親に会うのは年1回でいい】

【みんなコーダだから、心から分かり合える】

【聴こえる世界に戻ったら、うんざりしそう】

【自分の家よりも家みたい】

このコーダキャンプの場で、自身もコーダであるカウンセラーのバートが、「周囲と馴染めないと感じるのはどういう時?」と語りかける。その答えを聞いて僕は初めて「コーダの大変さ」の一端を知ることができた。

【手話しながら話をすると変だと思われる】

【手話しながら話すと、何故か落ち着くんだ。字幕みたいで。】

【声が大きいねって言われる。聴こえる人がいないから、声の加減が分からないの】

【学校で「父親が迎えに来る」っていうと、「どうやって?」って聞かれる。「車の運転ぐらいできるよ」と言うと、「嘘ばっかり!」って】

【「家は静かなんでしょ?」って言われるから、友だちを家に呼べない。母は台所でシャウトしてるから】

このような、聴者にも分かりやすい「コーダあるある」を聞くと、なるほどと感じさせられる。聴者ではあるが、ろう者とのコミュニケーションが日常であるが故に、「聴者として聴者と関わる」という点に難しさを感じるのだ。そしてそれは、「耳が聴こえない」という障害以上に可視化されない問題だからこそ、余計に難しさが募る。

彼らが抱える問題は、結局のところこんなセリフに集約されていると言っていいだろう。

【学校でありのままの自分でいると、受け入れてもらえない】

映画では、MJという女の子が、この問題に対して特に難しさを感じていることが映し出される。彼女は、ろう者と接する時はのんびり屋だが、学校では「独りが好きな大人」を演じているという。フルート(だと思う)を演奏している時間だけが唯一心が安らぐが、

【音楽が止まった時、不安が忍び寄る。ただ幸せになりたいだけなのに】

と言っていた。

【もう自分ではいられない】

【「自分らしく」とみんな言う。
でも、学校でえ私らしく振る舞おうとすると、「なにそれ?」って言われる。
本当に「自分らしく」したら叩かれるんだ。】

そう言って、彼女は泣くのだ。

「親の通訳をしなければならない」という点に困難を感じるコーダも多いようだ。親戚の集まりで、自分が話したいと思っても、母への通訳で精一杯でとても会話に入ることができない、と。

親のための通訳を「うんざり」と嫌がるコーダは多いようだが、ナイラは違うという。親から頼まれたことはなかったが、3~4歳の頃から自発的に親の通訳を買って出ていたそうだ。

【私は、2つの世界を結ぶ役割を担えて、とても嬉しい】

ナイラはそう言っていた。

しかし、ナイラはコーダの中でもちょっと特異な立ち位置にいるように感じた。

確かMJだったと思うが、

【本気でろうになりたいと思っているコーダはいない。どこか1つの場所に居場所がほしいだけ】

と言っていた。コーダの中には「ろうになりたい」と口にする者もいるが、決して本気なわけではない、という意味だ。

しかしナイラは、どうもそうではないらしい。映画を観る限り、本気でろう者になりたがっていると感じられる。自身に聴力が衰えているのではないかと感じた彼女は、病院で検査してもらう。結果は、何の問題もないはないと出た。その後彼女は、こんな風に語るのだ。

【がっかりした。ろうになれると思ってたから。
ようやく両親や兄のことを理解できるんだ、って。】

彼女の兄はアメフトをやっていて、ろう学校で行われたアメフトの試合をナイラは観に行った。ナイラは、彼女以外の家族5世代が全員ろう者という家に育ち、子どもの頃からずっとろう者の世界に接してきた。そんな彼女でも、「ろう者との間には壁を感じる」と言っていたのだ。

【兄はろう者で、ろう学校の仲間とは家族みたいな関係だ。私もその仲間に入りたいけど、入れない。私はどこにいてもはみ出し者だから。】

ろう者と同じ環境で育ってきた彼女だからこそ、「本質的な部分ではろう者のことを理解できない」と感じているのだし、そのことに非常にモヤモヤした想いを抱えていることが伝わってくる。続く場面で、彼女は「思わず」という感じで涙を流すのだが、彼女自身もその意味を的確に言葉にすることができないようだった。恐らく、ろう者と接することそのものに対するある種の「豊かさ」みたいなものを感じている一方で、自分がどうしてもその世界に「深入り」することができないもどかしさが彼女を苦しめているのだと思う。

だからきっと、彼女は心の底から「ろう者になりたい」と思っているのだろう。

【でも、そしたらまたゼロから始めるの?コーダとしてやっと、居場所を見つけられたのに?】

そんな葛藤を抱きながら。

ジェシカはまた、違った想いを抱えている。ジェシカの場合、コーダとしての彼女自身の葛藤はさほど見られないように思う。コーダであることで、彼女のアイデンティティを揺るがされることがあまりなかったということなのだろう。ナイラやMJと比べると、そういう点でまだマシな状況にいると言えるかもしれない。

彼女は、こんな風に語っている。

【成長するにつれて、手話を忘れてしまうかもしれない。それが怖い。ろう文化と繋がっていたいと思う】

これもコーダ特有の状況だが、コーダは進学などで親元を離れると、手話を使わなくなってしまうことが多い。自身は聴者なのであり、家族と離れて暮せば、手話を使う機会がなくなってしまうからだ。そしてそれ故に、手話を忘れてしまうこともある。

ジェシカも、恐らく進学だろうか、親元を離れる決意をしたようだ。そして、まだ家に残る妹に、今まで自分がやってきたような母親とのコミュニケーションを託す。妹についてはあまり具体的に触れられなかったが、ジェシカが家を離れることについて母が、

【この家は静かになる。今までと変わってしまう】

と言っていたので、妹とはジェシカのように関われない、と感じているのだろう。

ナイラ、MJ、ジェシカと、それぞれが抱える問題はまったく違うが、いずれにせよ、「コーダ」という特殊な立ち位置が、「聴者でもろう者でもない」という、ろう者以上に狭い世界が生み出されてしまうという現実にはちょっと驚かされてしまった。

さて、映画を観始めてすぐ、僕は1つの疑問に行き当たった。それが、「コーダは一体、どうやって手話ではない言葉を習得しているのか」ということだ。

誰だったか忘れたが、ある人物が、こんなエピソードを話していた。音楽の先生と旅行に行った際に手話を頼まれたから通訳をしたら、「どこで手話を覚えたの?」と驚かれた。そこで初めて親がろう者だと気づいた。それまで、手話はみんな出来るもんだと思っていたから、自分が特殊だということに気づかなかったのだ、と。

コーダはその環境特性上、手話で家族とコミュニケーションを取る。そして、ろう者しかいない家族であれば、家の中で「音声による会話」は存在しないのだから、コーダが言葉を覚える機会がないんじゃないか、と思ったのだ。

映画の中で、この点について説明はされなかった。そこで、上映後のトークショーで質問してみた。その答えは「なるほど」というものだった。

監督もこの点を疑問に感じ、取材対象のコーダに聞いてみたことがあるそうだ。そのコーダは、小学校に上がるぐらいまではまったく喋れなかった、と言っていた。じゃあどうするのか。アメリカの場合、「移民に英語を教えるクラス」が存在する。そしてコーダの子どもたちは、移民の子たちに混じって英語を学ぶのだそうだ。

監督は、だからこそ日本では余計コーダは厳しい環境に置かれている、と言っていた。日本には普通、「移民に日本語を教えるクラス」は存在しない。だから学校の先生も、「この子は耳が聴こえるのに、どうしてこんなに喋れないんだろう」という状態になってしまうのだそうだ。日本が移民を受け入れていない、という現実が、コーダの言語習得問題に繋がるとは、ちょっと驚いた。

トークショーではもう1つ、「何故アメリカの事例を取材したのか」と聞いてみた。監督は日本人であり、英語が話せるのかどうかは知らないが、手話を話せるわけではない聴者である。だからアメリカを取材先に選んだ理由が気になった。気になった理由の1つには、「日本ではそもそも『コーダ』という概念自体がほとんど存在していないからではないか?」という疑問もある。

監督は、最初にアシュリーというコーダの子と出会ったことがきっかけの1つだったと語っていたが、やはり「日本での『コーダ』の認知度」も関係していたようだ。映画の中で、アメリカでは1984年頃から「コーダ」という言葉が使われるようになった、という説明が出てきた。一方、トークショーで監督は、日本で「コーダ」という考え方が広まり始めたのはここ1~2年ではないかと言っていた。日本で同じ状況にいる子どもたちも、自分が「コーダ」であるという自覚を持てていない人が多いのではないか、と。

日本にも「J-CODA」という団体が存在すると監督が言っていたので調べてみた。1994年に設立されたようだが、「会員数 約40名」と書かれている。コーダの絶対数が少ないのだとしても、さすがに40名は少なすぎるのではないかと感じる。つまりこの会員数こそが、「日本で『コーダ』が知られていない現状」を示唆していると言っていいのかもしれない。

この映画の制作には7年も掛かったそうだ。資金難やトラブルなど色々問題もあったそうだが、監督の口から語られた中で一番大きな部分だったと感じるのは、「『コーダ』という存在をどのように取り上げるべきか?」だったのだと思う。

監督はコーダの1人から、「あなたにコーダのことは分からない」と言われたことがあるそうだ。それまでは、通常のドキュメンタリーの手法、つまり「監督が描きたいと考えるものを、ナイラたちを通じて切り取る」というやり方をしていたが、それでは「コーダとはこういうものだ」という説明の映画になってしまうと一度立ち止まったそうだ。

それから監督は、「コーダ自身にディレクションしてもらう」という案を提案したらしい。プロジェクトの中心をドラスティックに変えたのだ。これによって、映画の方向性が大きく変わったという。

正直、映画を観ながら、「よくこんな場面にカメラが入れたな」と感じる、とてもプライベートなシーンが多いと感じた。ドキュメンタリー映画とはそういうものだと分かっていても、コーダというただでさえ立ち位置が難しい存在の中によくこんな風に入っていけたものだ、と感じた。

ただトークショーの中で監督が、「この映画の多くの場面が、主人公たちのアイデアによるものがほとんど」と言っていて納得した。恐らくコーダたちも、「自分のことを分かってほしい」という気持ちを強く持っているのだろうし、監督から「ディレクションを任せたい」と言ってもらえたのだから、あとは「どうしたら自分たちのことが伝わるのか」を考えて、それが映し出せる場面にカメラを呼べばいい、ということになる。もちろん、実際の撮影の現場がそんな単純なものではないと理解しているつもりだが、「聴者がコーダを撮る」のではなく「コーダがコーダを撮る」という前提の元で作られているからこそのこの雰囲気なのかという点は非常に納得感があった。

本当に、この映画を観るまで、この映画で描かれている事柄のほぼ100%を知らずにいたので、驚きの連続だった。

世の中には様々な障害が存在すると理解しているつもりだが、「コーダ」は聴者として生まれているので、そういう点で言えば「障害を持っているわけではない」。しかし、だからこその難しさを抱えているのだということが理解できたつもりだし、「障害の有無」というシンプルな捉え方で世界を見ていてはダメだなと実感させられた。

ホントに、観て良かった。

「私だけ聴こえる」を観に行ってきました

内容に入ろうと思います。

息子の消息が分からない。友人と国境を越えると告げたきり、連絡がないのだ。メキシコでは、若者が国境を越えようとして命を失うことが多い。母マグダレーナは、警察に相談するが、まともな対応はしてもらえない。遺体が発見された場合の照合用に血液の検体を記録してもらい、また、息子のものと思われるバッグの写真を目にする。息子かもしれない焼死体を見せてもらったが、とても判別できる状態ではなかった。
死体安置所で偶然声を掛けられた女性がこんな話をしていた。4年前にいなくなった息子を、ずっと生きていると信じていたが、少し前に、ようやく世間と同じ結論に達した。息子は死んだのだ、と。しかしその矢先、息子の遺体が見つかったと連絡がきた。死後2週間だって。死後2週間。だから、何を言われたとしても、諦めちゃダメよ。
マグダレーナは、改めて息子を探すための道程へと踏み出すことになる。そして、どうにか手に入れた僅かな手がかりを元に、遠くの村まで向かうことになる……。
というような話です。

公式HPによると、「監督もキャストもほぼ無名ながら、公開されるや世界中で称賛された映画」であるようだ。僕はそもそもドキュメンタリー映画なのかと思って観に行ったので(映画を観る前に内容などを調べないようにしている)、フィクションだったことにも驚いた。

映像は、とても綺麗だった。風景の切り取り方や、人物を映し出すショットなどなどだけからも、「寂しさ」みたいなものが滲み出るように思う。正直、状況を説明するような描写がほとんどないので、あらゆる場面で「どうしてこのような状況になっているのか」「今誰が何をしているのか」ということが上手く掴めなかったのだが、それでも、映像を観ていれば、映画全体の寂しげなトーンが色濃く伝わってくる。

ただ、個人的には、物語的に「もう少し何かあってほしい」と感じてしまった。これがドキュメンタリーであるなあそうは思わないが、フィクションであるなら、もう少し何か起こってほしい気がする。もちろん、これが「メキシコの現実」のだろうし、それこそを描きたかったのだと思うが、「物語」という点で言えば、ちょっと弱さを感じてしまった。

とはいえ、ラストの展開には正直驚かされた。なるほど、そうなるのかと。ラストの展開が描き出す現実の背景も正しく理解できているわけではないが、なんというのか、そのあまりに「絶望」しかない状況には驚かされてしまう。

どうにかして、世界がもっと穏やかであってほしいと願うばかりだ。

「息子の面影」を観に行ってきました

僕は、「目で見て分かること」に”しか”反応できない世界を日々軽蔑している。

「目に映ること」で”しか”語れない人に対して日々苛立ちを覚えている。

だから、毎日イライラしている。

【なんだか生き返ったみたい】

更紗は、映画の中で2度この言葉を口にする。どちらも、文と出会ってすぐのことだ。

僕は、更紗のこの言葉を、割と日常的に感じている。「なんだか生き返ったみたい」と感じさせてくれる経験によって、どうにかこの世界で息をし続けられている。

少なくとも、僕の周りには、そういう人は結構いる。

最近印象的だったのは、3年ぶりに連絡を取り合い話をした相手から、「久々に人間と喋った」と言ってもらえたことだ。僕も似たような感覚を持った。「人間と喋った」という感覚によってしか、僕は「生き返る」ことができない。

更紗もきっとそうだっただろう。

【文が知っている私のままじゃ、生きてこれなかったなー】

更紗は、誰とも話が通じない世界で、どうにか生き延びてきたのだ。

更紗が誰とも話が通じなかった理由ははっきりしている。それは、どこに行っても「被害者」としか見られないからだ。彼女は付き合っている相手に、

【亮くんが思ってるほど可哀想な子じゃないと思うよ】

と冗談っぽく言う。しかし、亮にはその言葉は理解できない。「更紗は被害者なのだから可哀想に決まっている」という見方しかできない。

世の中は、残念ながらそんな風に回っている。

【自分を好きだと言ってくれる人と付き合ったら、私のことをちゃんと見てくれるんじゃないかって思ってた。でも、人は見たいようにしか見てくれないのかもね】

「目に見えるものをどう解釈するか」が障害となることもあるが、それよりも問題なのは「目に見えないものはどう解釈してもいい」という判断だ。「いつも独りでいる」というのは目に見える。しかし、その理由は目には見えない。本当は「孤独を愛する人物」なのかもしれないのに、「友だちが出来ないから独りでいるんだ」と解釈される。

その想像力の無さに、僕は絶望的な気分になる。

僕は、更紗と文の関係が羨ましく感じられる。なぜなら、「『目で見て分かること』を乗り越えなければ関わり続けられない関係」だからだ。

「大学生の男」と「10歳の少女」という「目で見て分かる情報」からは、この2人の間に関係が生まれるとは普通判断されない。これは、「この2人の間に関係が生まれるべきではない」という主張ではない。法律や社会通念のことを無視したとしても、「大学生の男」と「10歳の少女」の間に結びつきが生まれるとはなかなか想像しにくい、という話をしている。

しかしそれは、絶対に起こらないことではないはずだ。性別が違っても、年齢がかけ離れていても、共通の趣味や関心が存在しなかったとしても、そんなこととは関係なしに、誰かと誰かの間には、予想もし得ない深い結び付きが生まれる可能性がある。

【2人のことを知って、吐きそうになった】

そう断罪されることは、本当に正しいのだろうか?

もちろん、「被害が出てからでは遅い」なんてことは分かっているし、「深い結びつきが生まれにくいと思われている関係性では、被害が生まれやすい」ということも理解している。だから、文の行為が「法律の世界で『誘拐』と判断される」という事情は受け入れるつもりだ。

しかしこの物語は、描かれているポイントが違う。「被害者」であるとされている更紗が、大人になってから自らの判断で文と関わることを決めているのだ。

それなのに何故「吐きそう」と言われなければならないのか。僕にはイマイチ理解できない。

この映画は、本屋大賞受賞作である同名タイトルの小説が原作だ。僕は原作小説を読んでいないのだが、この作品のざっくりとした内容がテレビで紹介された時から、折に触れて考えてしまうことがある。

もし自分の元に、未成年の子どもが「匿ってほしい」と言ってやってきたら、自分はどうするだろうか、と。原作小説を読んだわけでもないのに、僕は定期的にこの問いを頭の中で考え続けている。

とても難しい問いだ。ただ、僕の答えは毎回変わらない。僕はきっと、その状況で、その未成年の子どもを匿うだろう。発覚したら「誘拐犯」のレッテルを貼られることを理解した上で、きっとそうしてしまうと思う。

そうしなければきっと、未来の自分が後悔すると思うからだ。

ただ、その想像の中で、助けを求める未成年の子どもに僕は毎回同じ質問をする。それが、「君を匿うことで、僕は誘拐犯として逮捕されるけど、そのことに君は耐えられるか?」だ。

映画で描かれる人物は、それぞれの理由で深く傷ついていく。しかしやはり、一番しんどいのは更紗だろうと思う。

【もし文に会うことがあったら土下座して謝らなきゃと思ってた。
死ねって言われたら死のうと思ってた。】

更紗にとっては「運が良かった」としか言いようがないが、結果的に彼女は「生き返ったみたい」と感じるような出会いを果たした。しかし、自分が自分のままでいられるような相手と一緒にいることを、社会が許さないのだ。それでも「一緒にいたい」という気持ちを捨てきれない更紗は、結果として文の人生をおかしくしてしまう。

それは、とても残酷な現実だと思う。

文は誰も傷つけたいと思ってないし、更紗も文からは傷つけられたと思っていない。しかし世間は、「文は更紗を傷つけたし、更紗は文に傷つけられた」と捉えて、批判と同情を無遠慮に繰り出してくる。

この場合、加害者・被害者は結局誰なのだろうか? 僕は、文も更紗も「世間」という加害者による被害者なのだと思う。

映画の描き方で興味深い点は、どちら側も過剰に描き出すことで一般的な倫理観が逆転している点だ。

文と更紗は、映画で濃密に描かれるような深い事情を知らなければ、安易に批判にさらされる対象だと言える。しかし、恐らく映画を観た人は、「文も更紗も報われてほしい、良い人生であってほしい」と願うだろう。

一方、更紗の恋人である亮は、基本的なスタンスは「世間一般」を代表する存在だと思う。文と更紗に対する世間の印象を代弁する立場だと言っていいだろう。しかし亮は、その常軌を逸した行動により、映画を観る観客からは基本的に共感されないはずだ。

つまり、僕らが生きている社会で批判されるはずの人物が映画では共感を集め、社会で共感されるはずの人物が批判される、という構成になっているのである。

そして、そのような構成になっているからこそ、映画で突きつけられる刃は、観客一人ひとりにも向けられることになる。

観客の多くは亮の言動を拒絶したいと感じるだろう。しかし一方で、実生活では、程度こそ違えど多くの人が亮側にいるはずだ。週刊誌やネットニュースを見て、事情もよく知らないくせにあーだこーだと適当なことを口にする。その延長線上に、亮がいるのだ。

亮に対して嫌悪すればするほど、その嫌悪は自身に跳ね返ってくる。あからさまにそのような構成になっているので、観終わって気分がざわつく感覚を味わう人も多いのではないかと思う。

人は、自分が信じる正義が崩れる瞬間を経験したくはないものだ。しかしこの映画は、「文と更紗の関係を受け入れたい」という感覚をもたらす。2人にはどうにか幸せになってほしいと願ってしまうはずだ。しかしそう感じれば感じるほど、大なり小なり亮側の振る舞いをしてきた自身のこれまでの振る舞いの整合性が取れなくなっていく。

自分の正義が整合性を保つためには、文と更紗を嫌いにならなければならない。「吐きそう」と言わなければならない。しかしそれは出来ない。そのような葛藤に観客を叩き込む、ある種「不愉快に感情を揺さぶる作品」だと言っていいだろう。

法律が、文を「誘拐犯」とみなすことは仕方ない。しかしそれと同時に、文と更紗のような関係がどうにか成立する余地はないものか。

そのためにはきっと、多くの人が「目に見えること」だけで判断するやり方を改めなければならないだろう。そう考えると、「たぶん無理なんだろう」と思わされてしまう。

メインの3役を演じる広瀬すず・松坂桃李・横浜流星の演技は素晴らしかった。特に広瀬すずは、ちょっとした表情の変化や目線の動かし方で言葉にし難い感情を存分に浮き上がらせていたと思う。松坂桃李も、ほぼ表情を動かさない役でありながら、そこに独特の暖かみを醸し出す演技が素晴らしいと思うし、横浜流星の、狂気的なんだけど現実にいそうな感じのするヤバい奴っぷりも見事だった。

ただこの3人以上に惹かれたのが、更紗の子ども時代を演じた白鳥玉季だ。素晴らしかった。なんと言ったらいいのか分からないが、とにかく彼女の演技のお陰で、「更紗は被害者ではない」という物語の説得力が成立していると感じる。

文と更紗という、「普通には成立しないと判断される関係性」がリアルなものに感じられたのも恐らく彼女の演技あってのものだろうし、とにかく素晴らしかった。

「流浪の月」を観に行ってきました

面白かった。「面白い」という表現は不適切かもだけど、シンプルに面白い映画だった。205分という上映時間にはちょっと躊躇したけど、観て良かったと思う。

「部落差別」とか「被差別部落」という言葉をいつ知ったのか知らないけど、たぶん学校の授業だろう。で、その存在を知ってから、「被差別部落」というのは僕にとってずっと謎の存在だった。

もちろん、通り一遍の知識は知っている。江戸時代の穢多非人の身分がそのまま引き継がれている。全国各地に「部落」と呼ばれる地域があって、そこに住む人たちが差別を受けている。屠殺や皮革業など、一般的に「好まれない仕事」に従事していた人たちであること。こういうことは知識として知っていた。

ただ、「だからなんなんだ?」と思ってた。

穢多非人の身分が廃止されたのは1871年(明治4年)のことだそうだ。それから既に240年も経っている。もちろん、時間経過だけで解決できると思っているわけではないが、にしても、240年間も、僕からしたら「わけわからん」差別がずっと続いていることが驚きでしかないのだ。

そして、この映画を観てなんとなく僕なりに解釈はできたと思う。今まで上手く捉えきれていなかった部分がなんとなく整理された気がする。

というわけで、この記事では、『私のはなし 部落のはなし』という映画を観て僕が解釈したことを書く。あくまでも僕の解釈であり、この記事を読んで、「『私のはなし 部落のはなし』ではこんな風に描いているのか」みたいな判断をしないでほしい。あくまで、文責はすべて僕にある。

さて、僕は何か考える際に問題を整理するところから始めたいと思っている。「被差別部落」についてはまず、「差別する側」をまず分類したい。

ちなみに、早速脱線するが、僕のスタンスを書いておこう。僕は「部落出身」だという理由で差別的な意識を持つことはない、と思っている。正直、「部落出身だから差別される」ことの意味がさっぱり分からないのだ。ただし、同時に、僕は「私は部落出身です」と言う人に出会ったこともない。もしかしたら自分がこれまで関わってきた人の中に部落出身の人がいたかもしれないが、少なくとも正確な情報としてそれを認識したことはない。僕の生まれ育った場所も、その後住んだいくつかの地域でも、「あそこは部落だよ」みたいな話を聞いたことはなく、正直なところ「まったく馴染みのない事柄」である。だから、「私は部落出身です」という人に実際に会った時に、自分がどういう反応をするのか、正確には分からない。

また、僕は基本的に「全般的に差別意識を持っていない」と思っているが、しかし同時に、「『差別意識を持っていない』という認識の怖さ」も自覚しているつもりだ。「差別」というのは、「差別を受ける側」の意識の方が当然高く、「差別をする側」の意識は圧倒的に低い場合が多い。だから、「差別意識はない」と思っていても、僕の言動から誰かが「差別的な思想」を読み取る可能性はゼロではない、とは認識している。

映画の中で、兵庫県の食肉センター長みたいな人が、

【差別意識を持っているという自覚を持つことが大事なんや】

みたいなことを言っていたが、まさにその通りだと思う。だから僕は、「『全般的にあらゆることにフラットな、差別意識のない人間だ』という風に思いつつ、同時に『差別意識がゼロなんてことはない』とも考えている」と書いておこうと思う。

これが僕の基本となるスタンスだ。

それでは「差別をする側」の分類からしていこう。僕はざっくりと、

①部落に限らず差別意識を持っている人
②「血の繋がり」を重視する人
③その他

の3つに分けたいと思う。そして、①②についてはこの記事では無視する、という話をしばらく展開していくつもりだ。「差別を無くす」という意味では①~③のすべてに対処すべきだが、この記事では「部落差別ってそもそも何なん?」という理解のために書いていくつもりなので、その参考にならない①②は除外する、というわけだ。

①については、部落がどうのということと関係なく、「基本的に『誰かを貶めること』でしか自分を肯定できない」「『誰かを貶めること』で自身の全能感を実感したい」というような人だ。こういう人は、別に対象はなんでも良くて、とにかく「叩く要素がある存在なら何でも差別的になる」のだと思う。こういう人のことはあまり考えても仕方ないのでこの記事では考えることを除外する。

また②については、「共感はまったくできないが、理解はできる」という意味で除外したい。僕は、「血の繋がり」をそもそもまったく重視しない。「血の繋がった家族」より「話が通じる他人」の方が関係としては遥かに大事だと思っているほどだ。また、「血が汚れている」「血筋が悪い」みたいな表現も、正直何を言っているのか理解できない。もちろん、医学の進歩により「遺伝する病気」の存在は知られているし、(実際には「遺伝子」だが)それを「血の悪さ」と比喩的に捉える感覚は否定しない。しかし「部落差別」というのは、「人間性が『血』によって決まる」みたいな話だろうし、それは全然科学的じゃないから受け入れられない。

ただ、血筋や血統で物事を判断する思考に囚われている人がいるという事実は理解している。そして、そういう人たちの考えを変えるのは不可能だ。あくまでも僕の印象だが、「血がどうのこうの」と言う人は、年配の人がほとんどだろう。若い人の中にもそういう考えを持つ人は一定数いるだろうが、そんなにいるとは思えない。映画の中でも、部落出身の若者たちが「結婚差別」について語る場面が結構出てくるが、親に反対されることはあっても、付き合っている相手から拒絶されたという話をしている人はいなかった(50代の女性が、昔の話として、部落出身だと告げたら1人だけ、「じゃあ止めるわ」と言って恋愛を解消されたことがある、と言っていたぐらいだ)。

そう考えた時、この「血が云々」言っている差別は、時間と共に消えていくと思う。今、「血があーだこーだ」と言っている世代が退場すれば、たぶんそれで「血による差別」も消えるのではないかと僕は考えている。だからこれも無視していい。

さて、僕が「部落差別」で理解できなかったのは、③のその他の人たちだ。元々差別意識が強いわけでもなく、血による差別をしているわけではない人たちが、一体「部落出身」の人たちの何を忌避しているのかが、僕には全然理解できなかったのだ。

この理解できなさを、もう少しきちんと説明しておこう。それは、「結局『部落出身』って何なん?」という疑問に集約される。映画に登場する80代ぐらいの男性が、かつて誰かにこんなことを言ったという話をしていた。

【俺の背中に「部落出身」って書いてあるか?ないじゃろ。だったらわからんじゃろ】

確かにその通りだ。

僕はこの映画を観るまで、「『部落差別』は、両親が部落出身かどうかで判断される」のだと思っていた。要するに、「血の繋がり」で規定されるのだとなんとなく考えていたのだ。

しかし、大阪府箕面市の北芝出身の若者3人が話している場面があり、その内の1人が、「生まれたのは箕面市だけど、その後北芝に引っ越してきた。北芝に住んでいたことがあるから、自分も差別されるのかな、と」みたいな言い方をしていたのだ。

彼は母親に、「どうして北芝に引っ越すことにしたん?」と聞いたそうだが、母親は「なんか便利だから」ぐらいの理由だったそうだ。それ以上詳しい話はされなかったが、この話から判断すると、この少年の一家は、元々北芝とは関係ないが、後から北芝に移り住んだ、ということになるだろう。

こうなると「血の繋がり」の問題ではなくなってくる。そして、よくよく考えてみればそうだよな、とも思った。「血の繋がり」は、外から見たって分からないのだから、何か外から分かるもので判断しなければならない。そうなると、「部落に住んでいるかどうか」が基準になるというわけだ。

このことは、映画に登場した京都市の元職員の発言からも理解できる。

後で詳しく触れるが、1969年に同和対策事業特別措置法が制定され、33年間で16兆円の公金が使われた。行政は、「部落」を「同和地区」と言い換えたのだが、要するにこの法律は、「部落出身の人たちの生活改善の手助けをしましょう」という政策である。

ただここで問題となるのが、「この法律が適用される『部落出身』の人は一体誰なのか?」である。京都市ではいわゆる「属地属人」を基本方針としていたという。これは要するに、「今同和地区に住んでいる人」と「かつて同和地区に住んでいた人」を「部落出身」と定めるということだ。具体的には、

◯世帯主の本籍が同和地区にある
◯親戚の本籍が同和地区にある
◯戦争以前から同和地区に住んでいる

みたいな条件だったそうだ。

「属地属人」というスタンスは京都市のものであり、全国で同じスタンスだったかは分からないが、ネットで「属地属人」を調べると、「部落解放同盟が、この『属地属人』主義に反対していた」みたいな記述が出てくるので、京都市に限らず広く採用された考え方なのだと思う。そして結局のところ、そういうやり方でしか「部落出身」を判定できなかったというわけだ。

その元職員は、

【どこまでいったら部落民なのか分からない。だから逆に言ったら、差別される印も根拠も何も無いんですよね】

という言い方をしていた。

そう、僕にはこの辺りのことがずっと理解できないでいた。外見から「部落出身」であると分かるようなサインはない。「誰が部落民か見た目では分からないから、部落に住んでいる人は部落民である可能性が高いから遠ざけておこう」という判断だったのかもしれないが、そんな考えだけで240年間もわけのわからん差別が続くものだろうか。この辺りが、「部落差別」に対する僕の理解できなさのポイントだった。

映画を観て、僕なりに理解したことが、「部落差別」は2段階に分かれているということだ。

1871年に穢多非人の制度が廃止されてからしばらくの間は、「血の繋がり」を忌避していたのだと思う。もちろん今もそういう感覚を抱いている人はいるだろうが、この記事ではその話は触れないことにしたので置いておこう。

映画に出てくる京都出身の郷土史家が、六条河原はかつて処刑場であり、穢多非人の身分の者が処刑を担当させられていた、と語っていた流れで、しかし彼らはきちんと社会参加をして発言権もあった、という発言をしていた。ずっと排除されていたわけではない、というのだ。同じく京都の崇仁という被差別部落は、戦後、厳しい生活環境ではあったけど、商売をやっているところがたくさんあって、経済活動には関わっていた、みたいなことも語られていた。もちろん昔から結婚差別などあったと思うし、村八分のような厳しい差別が行われていた部落もあったと思うが、「部落民だから排除」という雰囲気では必ずしもなかったのではないか、という印象を持った。

しかし、1922年に水平社宣言が出され、「部落解放運動」が始まったことで、「部落差別」に新たな要素が加わったのではないか、と思う。それが第2段階目というわけだ。

これについて明確に語っていたのが、示現舎という出版社の代表である宮部龍彦だ。

さて、話の流れから少し脱線するが、映画の中で宮部龍彦の名前が最初に出てくる場面について触れよう。それが「『全国部落地名総鑑』復刻版出版事件」である。

示現舎は、1936年に発行された「全国部落地名総鑑」の復刻版を出版した。これは、全国36都道府県の5367箇所に及ぶ部落について、住所・地名・人口・職業などを網羅した本だ。このような「全国部落地名総鑑」の出版はこれまでにも度々問題となっている。かつては、一流企業がその本を購入し、就職面接などでの採用に活用していたとして問題視されたこともある。

示現舎の宮部龍彦は、部落解放同盟と原告245名から訴えを起こされ、「出版の停止」「ウェブサイトの削除」「1人100万円の賠償金」を求められた。

このような形で、映画の中で始めて宮部龍彦の名前が出てくる。しかし、この裁判の話の場面では、本人は出て来ない。裁判に関わる人間が、宮部龍彦とその行為について語るというわけだ。

ある人物は、「この名簿で結婚が破談になる人物が出たら、あなたその責任が取れるんですか?」と宮部龍彦に問いかけたそうだが、宮部龍彦は、

【それは、差別した本人が悪いのであって、情報を載せた私が悪いわけではない】

と開き直りやがったんだ、みたいに憤慨していた。この辺りの場面では、基本的に宮部龍彦という人物には悪い印象を抱いていた。

さて、この裁判はどうなったのか。現在も上告中のようだが、とりあえず一審(だと思う)の判決は、原告側の勝訴となった。

しかし、僕はこの裁判の判決にちょっと驚かされた。映画の中ではさらっと通り過ぎてしまったが、「えっ!?」と思うような内容だったのだ。

そもそもだが、この裁判の原告になるのにはハードルがある。原告になるということは、「自身が『部落出身』であることを公にする」ことでもあるからだ。弁護士は、「原告として訴えを起こしたかったが、子どものことを考えて泣く泣く諦めた人もいる」みたいに語っていた。まあそうだろう。だから、原告になった245名は、大いなる勇気を持って提訴に踏み切ったというわけだ。

さてその結果、勝訴という判決になったわけだが、「地名が公表されている36都道府県すべての差し止め」とはならなかった。なんと、原告となった者が属する6県については差し止めの判断が下らなかったのだ。

詳しく説明されなかったが、理屈はこうだろう。その6県については、原告が名乗りを上げたことで、「そこが部落であることが公の事実になった」と判断されたはずだ。だから、示現舎が復刻版を公開しても問題はない。しかし、原告が存在しない他の都道府県については、差し止めをすることの意味があるので、その主張を認める、というわけだ。

なんじゃそら、と感じた。確かに理屈としてはそうなのかもしれないが、それじゃあ、勇気を出して原告となった者がただ損しただけ、みたいになる。そのような判決は、「訴えを起こす気力を無くさせる」という方向に誘導するものに思えてしまうし、非常に残念な決定だと感じた。

さて、裁判の話はこれで終了だ。宮部龍彦の話をしていこう。

映画の後半、宮部龍彦本人が登場する。そして、実際に彼が喋っている話を聞くと、「決して賛同はできないが、話が通じない人間ではない」と感じた。監督(なのかな?)が「もし娘が、結婚相手として部落出身の人を連れてきたらどうしますか?」と聞かれた際、

【どうもしませんよ。反対も賛成もしないと思います】

みたいなことを言うし、倫理的にグレーなゾーンに足を踏み入れている人ではあるが、そういうレベルの人は世の中にたくさんいる。復刻版の出版には賛同できないが、宮部龍彦という人間はそこまで常軌を逸しているとは感じなかった。

彼は、「部落差別って結局、貧困問題だと思うんです」と言った後で、さらに、

【差別が無くなったって貧乏な人は貧乏だと思いますよ。貧困の原因は階層化だから、差別が無くなっても、貧困は無くならない】

みたいなことを言っていて、確かにそれもその通りだろうな、と感じた。

そしてその彼が、「部落差別の問題は、昭和に行政が作ったんだ」みたいなことを言うのだ。要するにこれは、「1969年の同和対策事業特別措置法に問題がある」という主張である。また彼は、「つまり、部落解放運動に対する忌避感ですか?」と監督から聞かれて、「そうだ」というような返答をしている。

そして、映画を観て、僕もその辺りのことが「部落差別」の根本の問題として存在するのだろうと感じたのだ。

先述した通り、1922年に水平社宣言が出され、「全国の部落出身の者に対して共闘を呼びかける」ことになる。それによって「部落解放運動」が始まっていくわけだ。

そして、「部落解放運動」の従事する者の一部が、かなり過激なことをやっていたようなのだ。少しでも部落差別に繋がるようなことを口にすると、「徒党を組んで押しかけてくる」「大勢に吊るし上げられる」みたいなことが実際にあったらしい。

そして、そのような事実を元に、「被差別部落の人は怖い」という感覚が生まれ、親が子どもたちに、「部落の近くを通る時は気をつけなさい」みたいなことを言うようになったそうだ。そしてそのような「威圧的で暴力的な振る舞いをする部落民は怖い」という印象が、「部落差別」に繋がっているのではないか、というわけだ。

映画には、過去に出版された様々な書籍が朗読される場面も多々あるのだが、部落解放運動について書かれた本にこんな記述があった。

【部落解放同盟が語る要求は、誰も否定できない命題として機能する。それはトランプのジョーカーのようなもので、要求を受け入れざるを得ないのだ】

なるほど、この感覚も分からないではない。部落出身の人たちからすれば、「今まで自分たちはメチャクチャ苦労してきたんだ」という想いがあって、それが部落解放運動への熱量に転化される。しかし一方で、その熱量を受け取る側は、「『差別を無くすべきだ』という部落解放同盟の主張は当然のものだ。反論はできない。それに、部落解放同盟の人たちに反論するとメチャクチャに反論される。だから、もはや何を言われても受け入れざるを得ない」という感覚になってしまう。決してどちらが悪いというわけではないのかもしれないが(とはいえ、明らかに行き過ぎた行為をしていただろう部落解放同盟のメンバーは悪いと思うが)、「部落解放運動」によって、一般の人たちが「部落の人たちと関わりたくない」という感覚になってしまったことは、不幸な流れだったのだと思う。

そしてそういう流れの中で、1969年の同和対策事業特別措置法がある。この法律についてある人物が、

【世界に冠たる福祉事業で、恩恵を受けた人はたくさんいる。】

と評価していた(ただ、具体的には覚えていないが、そう口にした人物も、「恩恵を受けた人はたくさんいるんだけどね」と、濁すような言い方だった記憶がある)。

しかし宮部龍彦はこの同和事業について、「公金をかすめ取る」みたいな表現をしていたのだ。

確かに、そう受け取られても仕方ない事件があった。部落解放同盟が、同和事業を悪用して大金をせしめていた、というような新聞記事が映し出される場面があるのだ。

またこの同和事業に対しては、部落出身の人にとっても難しい問題を引き起こしたそうだ。

【部落の人はいいね。土地をもろて、家も建ててもろて】

こんな風に言われたことがある、と語っていた人物がいた。これは要するに、「同和事業のお陰で、土地も家もタダでもらえたんでしょう?」という理解なのだ。しかしそれは間違った認識だと言っていた。二重にも三重にも抵当を入れて、自分のお金で土地も家も手に入れたのだ、と。しかし同和事業に公金が流れたことで「部落だけが良くなっている」という「妬み」が生まれたのだそうだ。

宮部龍彦は、

【同和事業では住宅改善が多く行われたが、住宅については同和事業でやらなくてもなんとかなったはず】

という風に言っていた。というかむしろ、同和事業で住宅改善を行ったことが逆に問題を引き起こしてもいる、と言うのだ。

彼は示現舎のHP上で「部落探訪」というコーナーをやっており、様々な部落を巡っては写真を撮ったりしている。その際、彼が部落に建つ建物を「ニコイチ」と呼んでいた。たぶん、「1軒の家を2つに分けている」みたいな意味なのだと思う。実際に、そういう風に見える均一の住宅が並ぶ光景が映っていた。

どうして同和事業の住宅改善で「ニコイチ」の建物が建てられたのか分からないが(狭い地域にたくさんの戸数を確保するため、とかだろうけど)、逆に、「ニコイチの建物がある場所は部落」だということが分かりやすくもなってしまう。宮部龍彦は、「部落探訪」によって部落を晒し者にしたいわけではなく、そういう「ニコイチ」のような”カッコいい”風景に興味があるということのようだ。ともかく、彼が言う「ニコイチの住宅があるから部落だと分かってしまう」という点は問題だなと思う。

また、別の人物がこんなことも言っていた。

【この地域の市営住宅は、部落にルーツがある人の入居に限っている】

同和事業で行われているのだから、「部落出身の人に限る」という制約は仕方ない気もするが、しかしその人物は、その制約があるせいで外から人が入ってきにくくなっている、とも言っていた。確かにそれもその通りだ。空いているなら、部落出身じゃない人にでも貸せばいい、そうやって外から人が入ってくれば部落の問題も薄れていくだろうが、「部落出身の人に限る」という制約があるせいでそこに制限が掛かってしまっているというわけだ。確かにそれも問題である。

この人物はそもそも、「同和」という名前が悪いと口にしていた。「同和」というのは、結局のところ「部落」を言い換えただけに過ぎないが、世間の風潮として、

【「『同和地区』という言い方をすれば差別にならない」っていうことになっている】

と指摘していた。確かにそうだろう。「部落」という言い方はどことなく差別的な響きがあって抵抗がある。それは「部落差別」や「被差別部落」と言った言葉が存在するからだと思う。しかし「同和」と言えば、なんとなく差別的ではない感じもする。同じことを言い換えているだけなのに、「同和」と言えば許されるという感覚を生み出してしまっていることが、一番のガンだ、という風に言っていた。

また、これは水平社宣言が出された頃の話だが、部落差別の研究者が、「国は危機を乗り越えるために部落差別を利用する」と言っていた。

1918年に富山で米騒動が起こる。1917年にロシア革命が起こったこともあり、日本政府はロシアの二の舞いを恐れていた。だから、大衆運動を抑えなければならなかったのだ。しかし米騒動は、自然発生的に生まれたもので、沈静化は難しい。そこで国は、「米騒動に参加しているのは部落出身の野蛮な連中なのだから、部落外の人は関わってはいけない」みたいなことを公の場で口にしたという。また、部落の人も部落外の人も同じように共闘していたにも拘わらず、部落の人だけが断罪され、部落外の人はお咎めなしみたいなやり方もした。部落の人がいかに暴力的であるのかを喧伝することで、危機を乗り越えようとしたのだそうだ。「部落の人は怖い」という印象は、そもそも国が作り出したものでもあるのだ。

さて、ここまで書いてきた様々な事情から、「部落差別」は水平社宣言辺りからフェーズが変わったのだ、と僕は理解した。それまでは「血の繋がりが忌避されていた」ものが、「部落の人は怖い人たちだ」という印象が様々な理由から形成されるようになり、それによって、「血の繋がり云々とは関係ない形で、部落出身の人が忌避されるようになっていった」ということなのだろう。部落解放運動は、部落の人たちがまとまって行動するのだし、新聞等のメディアで「部落解放運動の人たちは怖い」という印象を持った人たちが、子どもに「近づくな」と注意するのも分からなくはないし、そういう印象があったからこそ、同和事業に対して「公金を掠め取っている」みたいな悪印象を持つようにもなったのだと思う。そしてそのまま現在に至っている、というわけだ。

このような理解が正しいかどうか分からないが、僕はこれでなんとなく納得感が生まれた。もちろん、部落ごとに事情は違うはずだし、宮部龍彦も言っていたが「一般論としては語れない」わけだが、それまでの「部落差別なんてものがどうして存在するのかまったく意味不明」という状態は抜け出せた気がする。

さてではここからは、映画で描かれる、もっと個人的な話に触れていこう。

映画には、若者たちが「部落出身」であることを語る場面、京都の被差別部落に住むお婆さんの話、被差別部落に住む部落出身というわけではない主婦たちなど、様々な人が映し出され、自身の経験を語っていく。

その中でもやはり、若者たちの話が興味深かった。というのは、「20代30代の人たちも、『部落差別』という問題に直面しているのだ」ということが改めて理解できたからだ。

元々、部落出身だと「結婚差別」が生まれてしまうということは理解していたし、映画の中ではその「結婚差別」も大きな話題の1つとして会話に出てくる。しかしそういうことではなく、「自分が『部落』と呼ばれる地域に生を受けたこと」について、やはり考えを向けざるを得ないのだなぁ、と理解できたことが発見だった。

北芝の若者3人の会話で印象的だったのは、「差別的な言動に直面したらどうすべきか」についての議論だった。

彼らは一様に、「日常生活の中で、部落であることで差別的な扱いを受けることはない」みたいなことを言っていたと思う。しかしその一方で、「そういう可能性は常にあるのだから、そうなった場合にどうすべきかは考えておかなければならない」とも考えている。もちろんこれは部落差別に限らずあらゆる差別に対して当事者はそのような心構えを持っているのだろうが、「見た目では分からず、住んでいる場所でしか判断しようがない部落差別」について、20代の若者が、その心構えを有しなければならないという現実が、やはり根深い問題なのだと感じさせられた。

彼らは「ドキュメンタリー映画に出演する」という決意をした人たちであり、もちろんそれは本人の勇敢さもあると思うが、その地域における差別意識が決して高くはないからとも考えられるだろう。実際に箕面市北芝は、同和事業に依存しないまちづくりを90年代から始め、「開かれた部落」とも呼ばれている土地なのだそうだ。若者が自分たちで考えて様々な施策を行い、今では地区外からの移住者の方が多い、と言っていた。この記事で部落の地名として「北芝」だけ名前を出しているのも、そのような土地であれば問題ないだろうという判断からである(映画では、他にも様々な部落の地名が出てくるが、僕の勝手な判断でこの記事ではその地名に触れていない)。

さて、そんな北芝の若者の1人は、

【相手を変えることは大事だけど、それよりも自分が変わった方が楽】
【何か言われてもスルーできるような体力をつけておくことは大事】

みたいに言っていた。しかし別の1人は、

【流すんじゃなくて、相手に理解してほしいし、そのために闘いたい】

みたいなことを言っていた。この人物は、同窓会を開こうという動きの中で、思いがけず「部落に対する差別意識を持っているのかもしれない同級生」の存在を認識してしまい、その時に「理解してもらう」という行動が取れなかったことを悔しがっていた。

被差別部落に住んでいる主婦の1人は、思いがけず「大親友が部落出身だったことを知る」という経験をした。まったく悪気のない言葉で相手を傷つけてしまったかもしれない、と口にしており、部落出身の人でなくても部落の問題は大きく関わってくるのだなと感じさせられた。

京都に住むお婆さんは、被差別部落に住んでいたが、長いこと自分がそういう地域に住んでいることに気づかなかったそうだ。確かに、道を挟んで反対側の住民との交流はまったくなかった。「交流したいと思わなかったんですか?」と監督から聞かれて、「どうしたらいいか分からん」と答えていた。外からの人が入ってこなかったから、その地域の住民はみなパンツ一丁の裸で外を歩いていたそうだ。当時住んでいた家には水道さえ引かれておらず、生活はかなり大変だったそうだが、でも「楽しかったよ」と言っていた。市営住宅に住む今も、「長屋時代の方が大変だったけど楽しかった」みたいに言うのだ。

そんな彼女が、自分が被差別部落に住んでいることを理解したきっかけが興味深い。それが、1951年の「オールロマンス事件」だ。オールロマンスという雑誌に、暴露小説として「特殊部落」という小説が掲載された。それが、彼女の住む地区が舞台だったのだ。この小説がきっかけで、彼女は男性に混じって部落解放運動に従事するようになったという。旦那から苦言を呈されても止めず、市役所に乗り込んだりしながら生活環境の改善を訴え、少しずつ色んなことを理解しながら権利を勝ち取っていったそうだ。

映画の中には、かつて撮影された白黒のフィルムの映像も流れる。京都のある地区を撮影した映画で、劣化したフィルムを専門の業者に復元を依頼して上映できる状態にしてもらっていた。その地区には、ゴミの回収車もトイレの汲み取りも来ず、不法に(だと思う)バラックを建てて多くの人が住んでいたのだが、その生活の様子がかなり鮮明に映し出されていた。貴重な記録だと思う。

映画の冒頭では、現在でも総人口の1.5%程度がいわゆる「部落民」と呼ばれる人たちだそうだ。150万人ぐらいいる、ということだろう。部落問題には「寝た子を起こすな」という言葉がある。それは、「問題として取り上げるよりも、注目を集めずに風化するのを待つほうが、結果として問題解決の近道なのではないか」という考え方だ。部落解放運動が積極的に問題解決のためにアクションを起こすとすれば、その対極の考え方だと言える。部落出身の人の中でも、このように考え方に違いがあるわけで、やはり一筋縄ではいかないだろう。

非常に残念ながら、状況がどう変化しようが「①部落に限らず差別意識を持っている人」の人はいなくならないし、こういう人たちがいる限り部落出身の人たちが苦労せざるを得ない現実は恐らく変わらないだろうと思う。ただ一方で、部落差別の問題が正しく理解されるようになれば、「①部落に限らず差別意識を持っている人」の方が卑劣であるという認識が世間のマジョリティとして立ち上がってくる気がするし、そうなれば状況が改善される可能性も出てくると思う。

「関西在住60代女性」として紹介された、顔を出さずにインタビューを受けた人は、

【日本人がいる限り(部落差別が無くなることを期待するのは)難しいと思う】

という風に口にしていた。この女性は、「普段は差別的な振る舞いはしてないんですよ」とも言っていたが、先の発言は、「部落民は日本人ではない」とも解釈できるわけで、正直、なかなかの差別意識の持ち主だなと僕は感じた。

非常に難しい問題だが、僕自身は、まったく理解できていなかったところから、この映画によって、非常に広範な知識・理解を得られた気になったので、観て良かったと感じた。

「私のはなし 部落のはなし」を観に行ってきました

あまり賛同してもらえないが、どんな場合でも僕は「ある程度制約がある状況」の方が好きだ。「便利さ」にあまり飛びつくことはない。考え方が古いから新しいものに手を出さない、というわけではないつもりだ。そうではなく、「多少の不自由さはある」という状況の方が全体としてプラスに働くと考えているのだ。

僕が思う「プラス」は、「『制約』を乗り越えようとする過程で『新しい何か』が生まれるはずだ」という期待にある。

もし、「作業時間を節約し、浮いた時間を使って別の『新しいもの』を生み出す」つもりでいるならば、制約を突破するための便利さに手を出すのもいいだろう。しかし、「単に便利だから」という理由で、制約のない状況に足を踏み出すことは、結局「新しいもの」を生み出すことを難しくしてしまうと考えている。

「目の前にあるこの障害をどう乗り越えるべきか」というスタート地点に立つからこそ、創造性が刺激されると考えているのだ。

書店員時代、よく考えていたことがある。「本」が持つ制約が、「売り方」のアイデアを引き出してくれる、と。

「本」は「電子書籍」と比べると、「受け渡しや保管の問題」などの制約がある。また日本の場合、「本の値段」は基本的に下げられない。法律でそう決まっているのだ。だから「値下げ」という手段も取れないことになる。

だからこそ、このような制約を突き破って本を読者に届けるためにはどうしたらいいかという発想になるし、そういう風に考えたことで、僕は割と面白いアイデアを考えられたと思っている。

値下げの制約がなければ、「そんなアイデアよりとりあえず値下げしよう」という短絡的な意見が強くなってしまいそうだし、「物質という制約」が無ければ思いつかなかったアイデアもある。

また、読者としても「電子書籍」に対する興味は薄い。これは、「選択肢」の制約が存在しないからだ。

書店に行けば、「その書店に在庫されている本」から何かを選ぶしかない。もちろん取り寄せなども出来るわけだが、探しているものをただ買うだけなら別に「電子書籍」でもいいだろう。

僕は、「在庫されている本しか買えない」という制約に価値があると考えている。何か本を探している場合、既にその本に関する情報や評価も知った状態のはずだ。「夢の中で本のタイトルだけがパッと浮かんだ」なんて人はなかなかいないだろう。ネットでレビューを読んだり、誰かからオススメされたりしているはずだ。

つまり、探している本を買うという行為は、まっさらな状態で本と出会うことを不可能にしているわけだ。

一方、書店に行くと、その存在知らなかった本が山ほど存在する。もちろん、書店にも様々な情報が存在するし、「完全にまっさらな状態で本と出会う」ことは不可能なわけだが、それでも、あらかじめ情報や評価を知った上で出会うのとは全然違う。

こんな風に僕は、「制約がある状況」の方にこそ価値を感じているのだ。

どうしてこんな話をしているのか。それは、「古くからの特撮技術」と「CG」のある種の「対立」が映画の後半で描かれることに関係している。

【アナログとデジタルは対立関係ではない】

映画の中でそう語る人物もいるし、実際、今でもすべてがCGに置き換わっているわけではない。しかしそれでも、アナログ技術はどんどん使われなくなっているし、スタジオを閉鎖する人も多くなったそうだ。

映画に登場する、アナログ技術のプロフェッショナルたちが口々に語っていたのは、「制約があるからこそリアルさが際立つ」という類の主張だった。その一例として語られていたのが、『スター・ウォーズ』のヨーダだ。

僕は『スター・ウォーズ』をちゃんと観たことがないので、言及されているのがどのシーンだったのか分からないが、ヨーダが素早い動きで身軽に動く場面があるという。『スター・ウォーズ』の最初の2作では、ヨーダは人形を制作し、人が動かして撮影が行われたが、素早い動きのヨーダはすべてCGになったそうだ。

そしてその素早い動きのヨーダは、非常に不自然に見えると皆が語っていた。実際にそのCG制作に携わった人も、内部では賛否両論が出たと語っていた。

ある人物は、

【人形の表情には限界があるからこそ、キャラクターとしてのリアルさが生まれる】

と言っていた。それが本当なのかどうか僕には判断できないが、なるほどと感じた意見である。CGの場合、どんな表情でも作れる。もちろん、ある程度は人間や動物の動きの制約は取り入れるのだろうが、実際には無数の選択肢が存在する。観ている側が「これはCGだ」と判断すれば、「CGなんだから何でもできる」と考えるだろうし、そうなればなるほど、「何が正解か」は観る人の数だけ存在し得ることになってしまうだろう。

しかし、CGではない場合、様々な制約から、選択肢の数は絞られる。観ている側が「これはCGではない」と判断するなら、前提として何らかの「制約」が存在することは感知するはずだし、その範囲内でリアルを追求すれば、存在感が際立つのではないか。

この映画を観るまでこのような視点を持ったことはなかったが、確かに「制約が存在する」という状況がプラスの効果をもたらしうる現場だと思う。

また、CG制作になったことで魅力的なキャラクターを生み出すことが困難になったという指摘もなされていた。その理由は、CGの方が「大勢の人間が関わる」からだと言っていた。

この点に関してはあまり詳しく触れられなかったが、恐らくこういうことではないかと思う。人形での撮影の場合、その人形の造型や動きを考えるのは、基本的に1人の人間だ。映画の中で、「◯◯の映画の人形制作は△△に頼んだ」みたいな言い方が結構出てくるが、このように、キャラクター造型は個人の創造力に託されていたのだ。今はどうか知らないが、かつては脚本には怪物などの具体的な造型は書かれておらず、造型を担当するものがその想像力をフル活用して、新たなキャラクターを生み出していたのだ。

しかしCG制作では、基本となるデザインは誰かが描くのだろうが、動きなどは様々な人間が分担して制作していくのだと思う。また映画では、「顔と身体は別々に制作される」とも語られていた。このように分業制が採られることで、「個性」が生まれにくくなっている、と指摘されていた。

そのような問題を解決するために、役者の顔などにセンサーをつけて演じてもらう「モーションキャプチャー」の技術が使われるようになっていったのだそうだ。

CGは、それまで不可能だったことをどんどん可能にしてしまうほど見事な技術だが、しかし「CGで創作を行うこと」による特殊な障害が生まれてしまうということでもある。映画の中で誰かが、

【最近の人はみんな何に対しても無感動だ。娘なんかも映画を観て「これはCGだ」などと言う】

と語っていた。しかし、娘がCGだと言っていた映画では、実際に人形が制作されたそうだ。CGが存在しない時代であれば、見たらぶったまげるほどの完成度だ。しかし、CGが存在する世の中であるが故に、その凄さが正しく評価されない。

【問題なのは時間やお金ではなく、尊敬だ】

と言っている人物もいた。CGが使われるようになったことで、映画制作に掛ける時間がどんどん削られ、また、以前からだがなかなか予算も人形の方には回ってこなかったという。しかしそういうことよりも、「アナログ技術の使い手」が尊敬されなくなっていると嘆くのだ。

『遊星からの物体X』で観客の度肝を抜く特撮技術を示した、業界の大スターであるボッティンが、今では特撮業界を去り、ただの謎の人物になってしまっている現状を、ボッティンの仕事に魅せられた人物は残念がっていた。時代の変遷は宿命ではあるが、僕はこの映画を観て、アナログ技術の凄まじさを改めて実感させられたので、どうにか廃れずに生き延びてほしいと願ってしまう。

驚かされたのは『ターミネーター2』の話。内容をちゃんと覚えているわけではないが、ほとんどCGでなければ不可能と思えるような凄い映像だった記憶がある。しかし『ターミネーター2』は、半分は実写なのだそうだ。

【T-1000が凍って砕け散る場面は、CGにしか見えないかもしれないが、CGは使っていない】

と言っていた。再生する場面はCGだが、砕けるのは実写なのだそうだ。

また、『ジュラシック・パーク』のエピソードも興味深かった。『ジュラシック・パーク』は、映画でCGが本格的に使われた最初の作品だそうだが、その使われ方が面白かった。今はパソコンの画面上ですべて完結するのだろうが、『ジュラシック・パーク』では、人形にセンサーをつけ、人形の動きに合わせてパソコン内のCGが連動して動くように設計されていたのだ。

どうしてそのようにしたのかというと、ティペットという人形作家のコマ撮りの技術を活かしたかったからだそうだ。恐らくだが、現在のようなCG制作環境がない時代だったからこそ、リアルなコマ撮りの動きをそのまま取り込むやり方の方が自然な描写になったのだろう。

ちなみに、『ジュラシック・パーク』は元々CGとアナログ技術(コマ撮り撮影)を両方使う予定であり、人形制作はティペットが依頼を受けていた。しかしCG制作のチームがこっそりと『ジュラシック・パーク』のCGを作り始めており、それを見た監督が絶賛、すべてをCGで行うことにしたという。この決定にティペットは酷く落ち込み、立ち直れないほどのショックを受けたという。しかしその後、妻の助言もあって制作チームと関係改善をし、コマ撮りをCGに落とし込むという手法の開発に至ったのである。

さて、『ジュラシック・パーク』は公開されるや否や、そのCG技術の高さが評判を呼んだ。そんな状況を忸怩たる思いで見ていたのがスタン・ウィンストンだ。彼は、アニマトロニクスという、機械制御されたリアルなロボットを作る人物として非常に有名であり、『ジュラシック・パーク』でも、全長11メートル、高さ5メートルという巨大なティラノサウルスのアニマトロニクスを制作した。

アニマトロニクスを制作した理由は、「役者がリアルな演技ができるように」である。CGの場合、役者は「何もいないのに驚いたり泣いたりする」ことが求められる。もちろんそれがダメなわけではないが、実物が存在すれば役者もよりリアルな演技ができるはずだ。ウィンストンは非常に高い完成度のアニマトロニクスを制作し、ある人物は、『ジュラシック・パーク』を高い水準の作品に引き上げた功労者はウィンストンだ、とさえ語っていた。

しかし公開後、称賛されるのはCG制作チームばかり。これをきっかけにウィンストンは、CG制作のために多額の資金を費やし、ジェームズ・キャメロンと組んでCG制作の会社を作ったそうだ。時代に従う決断をしたのだと、息子が語っていた。

映画では、ハリウッドの特撮技術の変遷が語られていく。最初は人間に特殊メイクを施し、それから着ぐるみとコマ撮りが生まれた。映画では、『ゴジラ』についても語られる。ゴジラは、明らかに人が入っていると分かるし、明らかに作り物だが、それでも実在を実感させる造型になっていたと絶賛されていた。「日本は着ぐるみの見せ方が上手い」とも語られる。

その後、アニマトロニクスが生まれる。アニマトロニクスを使った映画としては、『遊星からの物体X』と『グレムリン』が最高峰だそうで、誰もがそれら2作品を超える映画を作りたいと考えていると語っていた。

ジェームズ・キャメロン監督の『アビス』では、「あり得ないアニマトロニクス」の制作が依頼される。それは、「透明で、美しく、儚く優雅で、水中で発行し変色もする」というものだ。制作チームは様々な手段を試し、最終的に非常に見事なアニマトロニクスを完成させた。

そしてこの映画でジェームズ・キャメロンは、CGを使ったシーンを組み込んだ。透明な蛇のような生き物が出てくる場面だ。当初はアナログ技術で撮る案も検討されたが、最終的にはCGに決まった。しかし当時はやはりかなり難しい作業だったようで、18シーン、72秒の映像を作るのになんと1年もの歳月が掛かったそうだ。

この『アビス』の成功を受けて、『ターミネーター2』でもCGを組み込み、その後『ジュラシック・パーク』で本格的にCGが使われるようになっていったそうだ。

このような変遷が語られる中で、様々な人物が特撮技術の歴史や背景について語る映画である。

個人的には、もう少し実際の映画の映像が組み込まれるといいと思った。権利の関係で色々難しいのかもしれないが、着ぐるみ・コマ撮り・アニマトロニクスなどで撮影された実際の映画の場面があまり使用されない。僕は、『スター・ウォーズ』も観ていないほど作品そのものを知らないので、実際の映像がもっとあると良かったなと感じた。

映画の冒頭では、アナログ技術に携わる面々が、「この世に存在しない生き物をゼロから生み出すこと」の面白さを様々に語っていた。

【創作の楽しさは唯一無二だ】

【創作は子育てに似ている。作っていく過程で、自分でも予想もしなかったものになっていく】

【自分の作品に感動を覚えるのは、動いているのを見た時だ】

【男である自分が、命を吹き込めるのは、この瞬間だと感じている】

彼らは「生き物の誕生に携わっている」という感覚を持って仕事をしているのだ。それは、「感情」に関する様々な意見からも感じ取れる。

【人々の感情を掻き立てるキャラクターこそ理想だ】

【どんな感情を込めたいのかに合わせて動きを決める】

【怪物にも二面性が必要だ。単なる「恐ろしい生物」としては描かない】

【怪物を映画に当てはめるのではなく、その怪物に合った環境を作るんだ】

愛情溢れる職人たちによる、愛情の詰まった仕事ぶりが垣間見える作品だった。

「クリーチャー・デザイナーズ ハリウッド特殊効果の魔術師たち」を観に行ってきました

さて、なかなか評価の難しい作品だ。

僕の率直な感想は、「面白かったけど、人に勧めるのは躊躇するなぁ」という感じである。

まずは「躊躇する理由」から書いていこう。それはシンプルに、「そこはかとなくダサい」からだ。

映画は全体的に、「ダサさ」に溢れている。先に書いておくと、この「ダサさ」は恐らく、「ウルトラマンが好きな制作陣による『リスペクト』」なのだと思う。私はそもそも「ウルトラマン」という作品にほぼ触れたことがないので、作品としての「ウルトラマンらしさ」や、キャラクターとしての「ウルトラマンらしさ」のことはまったく分からない。ただ、昭和の作品であること、「人形の着ぐるみ」によって撮影されていたこと、CGの技術など当然なかった時代の作品であることなど、「ウルトラマンらしさ」を支える要素は必然的に、現代的な観点からすれば「ダサい」という感覚になってしまう。

現代作品として成立させるための工夫を様々にしつつ(後で触れるつもりだが、「アングルの面白さ」はそんな工夫の1つだろう)、「ウルトラマンらしさ」をギリギリまで詰め込んでいるわけだが、それでもやはり全体として「ダサい」という受け取り方はなかなか避けがたいと思う。

恐らくだが、ウルトラマン世代の人たちであれば、僕が「ダサさ」として受け取った様々な要素を「懐かしい」と肯定的に捉えるのだと思う。ただ、ウルトラマンを直接的に知らない世代には、どうしても「ダサさ」として受け取られてしまうのではないかという気がするのだ。

僕は『シン・ゴジラ』も観ているが、同じく昭和作品である「ゴジラ」を扱いながら、『シン・ゴジラ』では、「非常に現代的でリアリティのある設定」の中に「ゴジラ」が絶妙に溶け込んでいたと僕は感じた。「官僚の仕事の煩雑さや、政治の判断の遅さなど、非常にリアルな設定において政府が怪獣に立ち向かう世界」に「ゴジラ」という非リアルな存在がさほど違和感なく組み込まれていたと思うのだ。

しかし、『シン・ウルトラマン』では、同じように「政府がリアルな設定の中で禍威獣と立ち向かう」という世界を描きながら、その中に「ウルトラマン」の存在は馴染めていない。勝手ながらその理由を考えると、やはりそれは、ウルトラマンが「人型」だという点にあるのではないかと思う。「人型」という制約を絶対的に無視できない以上、造型・動きなどに極度に制約が掛かる。その制約の中で、「ウルトラマンらしさ」も残したいわけだから、余計に条件が厳しくなるだろう。

恐らくだが、『エヴァンゲリオン』のエヴァも、アニメだから成立するのであって、同じく人型であるが故に、実写となったら、やはりそのリアルな世界には馴染めないのではないかと思う。

そんなわけで、「『ウルトラマンらしさ』を残しながら、リアルな世界の中に違和感なく溶け込ませる」というのはどうしても不可能なことであり、否応なしに「ダサさ」として認識されてしまうのではないか、というのが僕の考えだ。

僕は映像作品を観る時に、さほど「映像」を重視しない。はっきり言って、「話が面白ければいい」というタイプなので、映像から「ダサさ」を感じてもさして問題はない。ただ、やはり世間的な意見としては、「映像作品であれば、『映像の良さ』が大事だ」という人は多いと思うし、周りの人からもそういう話を聞くことがある。そして、そう考えた時、果たしてこの作品を勧めるのが正解なんだろうか、と感じてしまったのだ。

だから、人には勧めにくい。

さてでは、面白かった話に移ろう。

僕は、『エヴァンゲリオン』や『TENET』みたいな、ゴリゴリに設定を詰め込みまくった頭使う系の作品が結構好きで、そういう意味でこの『シン・ウルトラマン』も楽しめた。

先程も書いた通り、本家本元のウルトラマンの設定をまったく知らない。なんとなく知っていることを書くと、「3分間しか活動できない」「人間がウルトラマンに変身する」「M78星雲と何か関係がある」ぐらいだろうか。あと、「スペシウム光線」など、聞いたことあるよな的な固有名詞もいくつかある、という感じ。

なので、『シン・ウルトラマン』で描かれる設定が、どこまでオリジナルを踏襲しているのかは不明だ。

とにかく『シン・ウルトラマン』では、「ウルトラマンがなぜ地球にいて、なぜ禍威獣と戦うのか」という背景が、物語の展開と共に少しずつ明らかにされていく。

正直に言うと、「ウルトラマンがなぜ地球にいるのか」という部分はちゃんとは理解できていないのだが、ただ、物語のラストで語られる話から、映画冒頭のあのシーンはそういう意味だったのか、ということがちゃんと繋がって、なるほどという感じだった。

『シン・ゴジラ』では、「ゴジラがやってくる理由は不明だが、とにかく倒さなければならない」という官僚側の物語が主だったが、『シン・ウルトラマン』では、「ウルトラマンは何のために戦っているのか」に焦点が当たっている。なかなかに壮大な設定で、正直「地球にいるちっぽけな人間」程度にはなかなかその「危機感」さえリアルには実感できないレベルの状況なのだが、もしも本当に「宇宙に130億ほどの知的生命の種が存在する」のであれば、こんな展開が起こってもおかしくはないだろう。

『エヴァンゲリオン』や『TENET』ほど設定が複雑なわけではなく、ややこしい用語が大量に出てきて幻惑されるものの、そこまで難しい話ではない。そして、「ウルトラマンは、自身が知っている『遠大な世界』のことよりも、理解しようとして間もない『ちっぽけな世界』を守るために命を懸ける」という構図がシンプルすぎるほどシンプルに提示されるので、全体的に「良かった」という感想になる。

個人的に、「あぁ、なるほど、よく出来てるなぁ」と感じたのが、「肉弾戦を行う必然性」が描かれる場面だ。

ウルトラマンは、スペシウム光線や、光る円盤みたいなやつを投げたりと、飛び道具的な攻撃ももちろんあるが、やはりそれよりは、プロレスのような肉弾戦をやっているイメージが強い。

しかし普通に考えて、飛び道具があるのに肉弾戦をやる必要はない。本家のウルトラマンでは、CGの技術や予算の関係で、飛び道具的な演出よりも、「着ぐるみを着た人間同士が戦う」という方が現実的だったのだろうし、たぶんそういう理由から肉弾戦を行っていたはずだ。だから、「ウルトラマンらしさ」を出そうとして、何の説明もなくただ「肉弾戦」をやっていたら、それはどうしても「違和感」として伝わってしまう。

ただ『シン・ウルトラマン』では、「体内に放射性物質が充満した禍威獣」が登場し、「どんな形であれ、身体が爆発すれば、周囲に放射性物質が拡散し大惨事となる」ことが示唆される。それを理解しているウルトラマンは、スペシウム光線など出さず、相手の攻撃も避けるのではなくすべて受け止め、その上で「肉弾戦」によって倒そうとするのだ。もちろん、このシーンだけで、ウルトラマンの「肉弾戦」すべての「違和感」がなくなるわけでもないのだが、「リスペクトとして描き出したい『ウルトラマンらしさ』」にいかにして理屈をつけるかという努力が恐らくあちこちでなされているのだろうし、こういう形で制作陣の「愛情」みたいなものが垣間見えるのは個人的には好きだ。

あと、やはり特徴的なのは、この映画の「カメラアングル」だろう。元々、「スマホも駆使して撮影した」「役者にもカメラを持ってもらい、その映像を使用した」などの情報は観る前から知っていたのだが、思っていた以上に斬新なアングルが多く、これも個人的には面白かった。

もちろん、「この特徴的なカメラアングルが『シン・ウルトラマン』に不可欠なのか」と聞かれれば、まあ決してそんなことはないだろう。こういうアングルでなくても全然成立するだろうし、そういう意味では「余分」な要素だと言える。しかし先程書いた通り、『シン・ウルトラマン』は「ウルトラマンらしさ」を可能な限り詰め込んでいるが故に「そこはかとないダサさ」が醸し出されてしまっている。だからこそ、この斬新なカメラアングルは、その「ダサさ」をある種中和させるような機能を持っていると僕は感じた。そう考えるなら、この斬新なカメラアングルは「必要だった」と言えるのではないかと思う。

あと、「なぜ人間が巨大化してウルトラマンになるのか」という仕組みそのものは映画では説明されないが(というか、さすがにこれに理屈をつけるのは相当難しいだろう)、「そういう技術が存在する」ということを前提にして、あんなシーンをぶっ込んでくるとはと驚かされた。仕組みそのものは説明できないにしても、「そういう技術がある」という設定を物語の新たな展開として組み込んでしまうことで、理屈が説明されないことに目がいかなくなる。そんな意図があっての物語展開では恐らくないとは思うが、個人的には「上手いなぁ」と思った。

あと、『エヴァンゲリオン』もそうだが、『シン・ウルトラマン』でも「プランクブレーン」みたいな、ありそうで無い絶妙な単語を散りばめてくる辺り、リアルっぽくて面白い。映画に出てくる「余剰次元」という言葉は物理の世界に実際に存在するし、「プランク時間」「プランク長さ」のような表現もある。「ブレーン」というのも、実在こそ証明されていないが、ひも理論からの帰結でその存在が仮定されているものだ。

「余剰次元」というのは、「僕らは空間を3次元だと思っているが、実際には『僕らには感知できない空間次元』がもっとたくさんある」という考えから生まれた発想で、現時点では、確か「重力だけは余剰次元に染み出すことができる」とされていたと思う。そういう設定をそれっぽく絶妙に組み込んでいる感じは、理系の僕には面白く感じられるが、映像的には「なんのこっちゃ」という感じになってしまうのが難しい。っていうか、その「プランクブレーン」が関わるラスト付近のあの場面、あの映像で「正解」なんだろうか。やはり僕はこういう部分に、「そこはかとないダサさ」を感じてしまうのだよなぁ。

そんな感じの映画だった。

「シン・ウルトラマン」を観に行ってきました

映画『死刑に至る病』の感想としては、本来は、「連続殺人鬼・榛村大和のサイコパスっぷりがヤバい」という感じであるべきなんだと思う。判明しているだけで24名もの高校生を残虐に殺害し、まったく反省の様子も見せずに死刑判決が下った異常者に恐怖するのが正解なのだろう。

ただどうしても僕は、そういう感覚にはならない。

それは、「榛村大和に共感できる」みたいな意味ではない。いや、広い意味ではそうなるのかもしれないが、別に僕は「連続殺人鬼としての榛村大和の行為」を正当化するような意見は持っていない。彼の行為は間違いなく「悪」だし、彼が死刑判決を受け、社会から抹殺されることは、当然のことだと思う。

僕が映画を観ながら感じていたことは、コロナ禍になってから改めて強く実感させられたことと重なる。それは、「『生きていくのに必要不可欠なもの』は人によって違う」ということだ。

コロナ禍になってから、「不要不急」という言葉で様々なモノ・コトが切り捨てられていった。「感染症から人類・社会を守る」という目的のために、それは仕方ない判断だと思うし、そのこと自体を否定したいわけではない。

ただ、一般的に「不要不急」とされたモノ・コトが、どこかの誰かにとっては「生きていくのに必要不可欠なもの」かもしれない、という想像力だけは忘れたくない、と感じている。

幸い、コロナ禍において、僕はそのような「生きていくのに必要不可欠なもの」が制約されたことはほとんどない。「人と会うこと」が制約されたことで、「興味深いと感じる人と話す機会」が減ってしまったことは残念だったが、ただ、コロナ前だってそこまで頻繁に人と会っていたわけではないのに、大したダメージではない。

コロナ禍では、「大人数の飲み会」「ライブそのものの開催や、ライブでの声出し」「旅行」など、様々なものが制限された。それらは確かに、「生物の機能を維持する」という意味では「不要」だと言える。しかし人間は、ただ単に身体が正常に動いてさえいれば「生きている」と言えるような生き物ではない。身体が生存のための機能を果たした上で、さらに「生きている実感」を得られるような「何か」がどうしても必要だ。

その「何か」が、「大人数の飲み会」「ライブそのものの開催や、ライブでの声出し」「旅行」であった人たちにとっては、コロナ禍は本当に「心の死」を意味するような時間でしかないだろう。「身体が正常なんだから随分マシだ。贅沢を言うな。コロナ禍では、身体をちゃんと生き延びさせるのも精一杯の人だっているんだ」という反論は当然想定されるし、実際にその通りだとも思う。ただだからといって、「生きている実感を得られるような『何か』」がない現実を嘆いたり、苦しみを表現することが制約されるべきではないと思う。

さて、ここで榛村大和の話に戻す。彼は裁判の中で、「もし逮捕されていないとしたら、今でも(殺人を)続けたいと思いますか?」と聞かれて、こう答えている。

【はい。僕にとっては必要なので】

同一視するなと怒られるかもしれないが、それでも僕は思う。「生きている実感を得られるような『何か』」が「殺人」なのだとすれば、榛村大和のように生きる以外に選択肢はないだろうな、と。

このような意味で僕は、榛村大和に「共感」できる。そして、「生きている実感を得られるような『何か』を求める気持ち」を持つすべての人が共感すべきではないかとも思う。

もちろん、「生きている実感を得られるような『何か』」が「殺人」だからといって、当然「殺人」が許容されるはずもない。「そういう気持ちを持つこと」と「実際に行うこと」はまったく別の話だ。実際の行為に移した点には、一切の「共感」はできないし、断罪は当然だと思う。ただし、「生きている実感を得られるような『何か』を求める気持ち」の部分については、むしろ「共感すべき」なのではないかと感じるのだ。

コロナ前の世界においては、ほとんどの人が「生きている実感を得られるような『何か』」を得ることに困難さを感じなかったはずだ。もちろん、その「生きている実感を得られるような『何か』」が「薬物」や「小児性愛」のような人もいるだろうし、そういう人はコロナ前でも「生きている実感を得られるような『何か』」を得ることに苦労していただろうが、大体の人はそんなことはなかったはずだと思う。

しかしコロナ禍になったことで、多くの人が「生きている実感を得られるような『何か』」を得ることを制約されたはずだ。そしてそれは、ある意味で、「榛村大和が感じていた困難さ」と相似形を成すはずである。

彼はとにかく、「彼なりのやり方で殺人を行うことでしか『生きている実感』を得られない」と感じていたのだろう。それが先天的なものか後天的なものか分からないし、どうでもいいが、その人生はなかなか想像しがたい。しかし、コロナ禍の今であれば、「毎月海外に旅行に行くことが唯一の生きがいだった人」が感じている困難さに近いものがある、と言えるのではないかと思うのだ。

繰り返すが、「そういう気持ちを持つこと」と「実際に行うこと」はまったく違うし、「殺人という行為」に及んだという事実に情状酌量の余地はない。ただ、「榛村大和はサイコパスだ」という捉え方は、僕は正しくないと感じているのである。

僕たちはたまたま、「生きている実感を得られるような『何か』」が「犯罪」ではなかっただけだ。そういう捉え方をしなければ、「榛村大和はサイコパスだから理解できない」と「自分には関係ないBOX」に仕分けして終わらせてしまうだけだ。

それは、想像力に欠けるのではないかと僕は感じる。

内容に入ろうと思います。

「これどうしたらいい?お母さん、決められないから」が口癖の母を持つ雅也は、父親の期待に添えず偏差値の低い大学に通っている。家では母親が「家政婦」のような扱いをされており、母もそんな立場に甘んじてしまっているように見える。強権的な父親の元で、暴力に怯えながら育った雅也も自己肯定感が低く、普段から小声でおどおどしたような振る舞いをしている。
そんなある日、榛村大和から手紙が届いた。一度拘置所まで会いに来てほしい、と。
榛村大和は、分かっているだけでも24件の殺人を犯し、その内の9件で起訴され死刑判決を受けた。真面目な高校生の男女と長い時間を掛けて信頼関係を築いてから、爪を剥ぐなど残虐な拷問を行い、殺した。”処刑部屋”から被害者の1人が逃げ出したことから事件が発覚し、逮捕されるに至った。
雅也は、榛村大和が経営していたパン屋の常連で、父親の暴力に怯える日々の中で唯一安らげる場所だった。そんな雅也のことを覚えていた榛村大和が、手紙を送ったのだ。
面会室で榛村大和が語った話は驚くべきものだった。彼は、起訴された事件の内、9件目の殺人事件だけは自分の犯行ではないと主張したのだ。裁判では榛村大和の犯行と認定されたのだが、その事件の被害者は唯一26歳と他と年齢が合わず、殺害の方法も他とまったく異なっていた。榛村大和は、自分が死刑になるのは当然だが、この1件が自分の犯行だとされている状況は納得がいかないと主張、雅也に調査してもらえないかと依頼してきたのだ。
雅也は、彼の話を信じたわけではないが、単なる興味から調べてみることにするのだが……。

というような話です。

僕は、この映画の原作を読んでいたのですが、基本的な設定以外はまったく何も覚えていませんでした。ストーリーが原作と同じなのかも判断できません。

映画はとにかく、阿部サダヲの存在感が圧倒的でした。完全に阿部サダヲで成立している映画です。ポスターの写真の「目に光がない感じ」が、榛村大和を演じる上で絶妙だと感じますが、全体的にも、「榛村大和という不可解な人物を、まさにそれ以外にはないという完璧さで演じている」と感じさせられるのです。

「こいつは連続殺人鬼だ」と理解した上で観ても、パン屋で働いているシーンの榛村大和は「とても優しい」人物に見えるし、一方で拘置所で雅也と話している場面では、「口にしている言葉は非常にまともなのに、そこはかとなく狂気を滲ませる感じ」が見事です。

拘置所のシーンでは、薄暗くて閉塞感のある環境もその印象を後押ししているとは思いますが、やはり阿部サダヲの演技が、「こいつは何をしでかすか分からない」という雰囲気を強く滲ませるのが凄いと思います。しかもそういう雰囲気を、「雅也を気遣ったり心配するような言動」から感じさせるわけです。かなり難しいはずですが、それをごく自然にやっているような感じがちょっと凄かったなと思いました。

ストーリー的に興味深かったのは、「雅也と榛村大和には思ってもみなかった関係があるかもしれない」と示唆されて以降の雅也の変化です。僕は、雅也に起こったような変化に対して共感できるわけではなく、というかむしろ「そんな変化が起こるんだ」と感じたが、雅也のそのような受け止め方は自分の中にはないものだったので非常に興味深いと感じました。これは、「自己肯定感が低い」という設定があるからこその面白さでもあって、なかなか上手くできているなと。

また、共感できた話で言えば、雅也がかつての榛村大和の家に入ろうとした時の場面です。そこで近隣住民に声を掛けられるのですが、その住民がこんなことを言っていました。

【ただ、もし彼が警察署から抜け出して「匿ってくれ」って言われたら、匿っちゃうかもしれねぇなぁ。俺、嫌いじゃないんだよなぁ、あの人のこと】

そしてこれに、雅也も「分かります」と返すのです。

この近隣住民は、当然「榛村大和が連続殺人鬼である」ことを知っているし、孫たちから「どうして隣に住んでたのに、あいつが殺人鬼だって気づかなかったんだ」と散々責められたと語っています。しかしそれでも、「隣に住んでたって人殺しだなんて気づかねーよ」と言うし、人殺しだと知った上で「匿う」と言っているわけです。

榛村大和の凄さはここにあって、相手が誰であっても「操ってしまう」「好きにさせてしまう」ような力があるわけです。

その理由の一端は、榛村大和の「自身がどう見られているかという感覚」の鋭さにあると感じました。榛村大和は言動の端々から、「相手から自分がどう見られているか」を的確に察知し、それに合わせて自らの「言動」を調整する能力がメチャクチャ高いのだということが伝わってくるのです。

そしてその雰囲気を、阿部サダヲが絶妙に醸し出すんですよね。ホントに上手い。榛村大和(阿部サダヲ)が口にすると、「口にしていることが全部本当であるように聞こえる」みたいな魔力があるのです。それはまさに、「相手との現状の関係性の把握」「その関係性において最も適切な言動のセレクト」が絶妙だからだと感じました。

阿部サダヲ、凄いなぁ。

あとはラストもぞっとさせる感じがあって見事だと思います。これは確か、原作のラストと同じだった気がします。榛村大和の狂気がいかに「伝染」していくのかを想像させる終わらせ方で、塀の内側にいながら、塀の外側にその「ヤバさ」を存分に染み出させる存在感が素晴らしいと思います。

あと、エンドロールに「岩田剛典」「赤ペン瀧川」って表示されて、「どこに出てきた?」と思って調べました。ってかマジで、岩田剛典、全然気づかなかった。映画見終わって、エンドロールに名前が表示されても、「あぁ、あの役が岩田剛典だったんだ」って気づかなかったんだから自分でもビックリでした。赤ペン瀧川も、「あれがそうか!」と調べて分かって、こちらもちょっとビックリですね。

榛村大和ほどではないでしょうが、彼のような「狂気」を内包した人物は世の中にそれなりにいると思います。気をつけようがありませんが、この映画のような可能性が僕らの日常にも存在し得るのだと知っておくことは大事だろうと思います。

「死刑にいたる病」を観に行ってきました

なんか凄い映画だったな。なんか凄い映画だった。

映画を観ながら、映画の内容にまったくそぐわないことを考えていた。その話を書こう。

僕は、自分が「小児性愛者」じゃなくて良かった、と考えていた。

「自分の切なる欲望に沿うことが、社会では『犯罪』と呼ばれてしまう」という状況はとてもしんどい。別に僕は小児性愛の犯罪者を擁護したいわけではないし、法律があろうがなかろうが、あるいは本人の同意があろうがなかろうが、「小児とセックス的なことをする」のは許されないと考えている。

ただ一旦、そのような「社会との結節点」のことは忘れて、シンプルに「小児性愛者」視点で物事を考えてみよう。

それは、絶望的にしんどいだろう、と思う。

私たちが「異性とセックスをしたい」と考えるのと同じ自然さで、彼らは「小児とセックスをしたい」と感じてしまうのだろう。きっと彼らにしても、それが道徳的・倫理的にダメだということは理解できているはずだ。そうではない人もいるかもしれないが、むしろその方が幸せだと言えるかもしれない。自分の理性は正常に保たれたまま、欲望だけが「小児」を欲してしまう、というのは、想像するだけで恐ろしい。

この映画と「小児性愛者」の話を重ねるのは色んな意味で正しくないと思うが、この映画で描かれるエリも、まさに「自分の切なる欲望に沿うことが、社会では『犯罪』と呼ばれてしまう」存在だと言っていい。

「犯罪」というところまで話を持っていくと、現実世界で対応するものがなかなか見つけにくくなってしまうが、「自分の切なる欲望に沿うと、どんどん孤立してしまう」ぐらいの感覚は誰にでもあるのではないかと思う。以前、アニメやマンガが好きな女性から、「好きな作品について誰かと語り合いたくはない」みたいなことを言っていたことを思い出す。アニメでもマンガでも、「好きなポイント」が重なる可能性はかなり低いし、喋っていると「そこじゃないんだよなぁ」という感覚が強くなってしまう。だから、自分が好きなアニメやマンガの話は、そのアニメやマンガのことを知らない人に熱弁したい、と言っていた。

本当であれば「同じ作品を好きな人同士で話すこと」がベストであるように感じられるが、その欲望を突き詰めようとすると結局孤立してしまう、というわけだ。

僕の場合は、「他人と話すこと」に対して似たようなことを感じる。

僕は「話が合う」と感じるタイプが非常に狭い。世の中の大体の人に対して「話が合う」という感覚を抱けない。僕が、「メチャクチャ話が合う人とだけ話したい」という欲望を突き詰めるとすれば、ほとんど喋る相手がいなくなってしまう(それでも、今はそれなりに「話が合う」と感じる人が周りにいるので、非常に僥倖だと感じているが)。「話が合う」とは感じられない人と喋っていても、なかなか自分のテンションが上がらず、「これなら1人でいる方がマシだな」と感じてしまうことさえある。

「食」「仕事」「婚活」など、対象となるものはまったく異なるかもしれないが、似たような感覚を抱いてしまうことはあるのではないだろうか。

僕らのそれは、幸いなことに「欲望の追及」が「犯罪」には繋がらない。単純に「つまらない」「不満だ」という感覚が募っていくだけで、「社会的に『悪』とみなされる」可能性は低いだろう。

しかしそれは、たまたま運良くそうだっただけだ。

【「君は何者?」
「あなたと同じ」
「ぼくは殺さない」
「でも、殺したいと思ってるでしょ?相手を殺したいと思ってでも生き延びたいと」
「うん」】

社会は、一定のルールの範囲内で運営されるべきだし、そのルールから外れる者は何らかの形で断罪なり更生の道なりを示唆するしかない。しかし、それは「社会との結節点」での帰結であって、「ルールから外れること」そのものが「悪」かどうかは分からない。

それが、「生き延びるための切実な行動」であるなら、なおさらだ。

内容に入ろうと思います。
映画の冒頭は、限りなく関連性が無さそうな断片的な情報が散漫に登場する。
オスカー少年は、学校でいじめられている。いじめっ子から言われた言葉を、夜、ナイフ片手に繰り返すことで、どうにかその鬱屈を紹介しようとしている。そして彼は、殺人事件の新聞記事をスクラップしている。

ある男が、人の意識を失わせるガスをバッグに入れ、人気のない夜道に立っている。通りかかった男性に時間を聞くフリをしながらそのガスを嗅がせ、木に掛けたロープで逆さ吊りにする。そして首元を切り、流れ出る鮮血をバケツに溜めていくのだ。しかしそこにどこかの飼い犬が近づき、見つかる危険を感じた男はその場を立ち去る。

レストランで談笑している、常連客らしい集団。新しく町に引っ越してきたらしい男性が1人で食事をしているのを見かけ、一緒に飲もうと声を掛けるが、すげなく断られる。散会となり、帰路につく面々だが、その内の1人がくらい夜道で「助けて」という少女の声を聞く。男は助けてあげようと少女に近づくが、その直後悲鳴を上げることになる。

オスカーは自宅アパートに併設する中庭で遊んでいる。すると、ジャングルジムに女の子がいる。見たことのない子だ。雪深い真冬なのに薄着で、また、オスカーは彼女に「君臭うよ」と声を掛ける。ルービックキューブを貸してあげて、別れた。どうやら部屋は、オスカーの隣だそうだ。

授業中。オスカーは恐らく図書館から借りてきたのだろう分厚い本から何かを書き写している。モールス信号だ。

というような話です。

エリという名の少女がヴァンパイアであることは、恐らくかなり知られた事実だと思うので、書いてしまっていいだろう。邦題の「200歳の少女」という副題からもそれが連想できるだろう。タイトルの話で言えば、英題が「Let the Right One In」だった。恐らく、フィンランド語のタイトルをそのまま英訳したのではないかと思う。グーグル翻訳に突っ込むと、「正しいものを入れましょう」と翻訳された。映画を観れば、何を指しているのか理解できるだろう。ってか、凄いタイトルだな。

と思ったんだけど、ちょっと違うようだ。僕は「正しいものを入れましょう」を、「人間が食べるものではなく、血を取り込みましょう」という意味で解釈したのだが、原題を正しく捉えると「正しき者を招き入れよ」となるそうだ。こう訳されると、映画のまた別の場面が浮かぶ。「入っていいって言って」とエリが口にする場面の描写が観ている時には理解できなかったが、調べてみると、元々の「吸血鬼」の設定として、「人間に許可されないと家屋に入れない」というのがあるそうだ。知らなかった。

映画全体は当然、オスカーとエリの関係がどう展開していくのかに焦点が当たるし、その物語は非常に興味深い。ただ僕は、エリがある場面で「パパ」と呼んでいた人物との関係がずっと気になっていた。

かなり早い段階から僕は、「この男はエリの幼なじみ、あるいは恋人的存在だろう」と考えていた。そもそも「親子のはずがない」と考えていたのだ。その確信が持てたのは、男が

【今夜はあの少年に会わないでくれ。頼む】

と口にしたシーン。その後の展開を踏まえると、彼は「何らかの予感を抱いており、自分の身の振り方に覚悟をしている」のだと伝わる場面だ。恐らく、「死」が避けられないものだと考えていたのだと思う。

そしてそんな場面で、「少年に会わないでくれ」と口にするのだ。これはシンプルに「嫉妬」だと考えるべきだと思う。そして嫉妬だとするなら、この男と少女は、年齢がまったく合わないが、元々は同い年だったと考えるべきなのだと思う。

しかし、そういうイメージを最初から持ってはいたのだが、「どんな理屈でそれが成立するのか」はちょっと分かっていなかった。しかしこの映画では、親切にそれを示唆する場面を用意してくれる。レストランで談笑していたメンバーの1人である女性の描写がそれだ。

また、エリが「12歳だよ、もうずっと昔から」と言っていたことを考え合わせると、恐らく、

<エリは12歳の頃にヴァンパイアに噛まれ、しかし一命を取り留めた。ただしそのせいでヴァンパイアになり、年を取らない身体になってしまった。そして、ヴァンパイアに噛まれた12歳の頃から親しくしていた男の子と、ずっと一緒に生きている>

という設定なのだろうと思う。この映画は原作となる小説があるらしいが、そちらではこの男の物語もきちんと描かれているのだろうか?オスカーとエリの物語ももちろん面白いのだが、個人的にはこの男とエリの物語がどうだったのか非常に気になってしまった。

と思ったのだが、そういえば副題に「200歳」とあるな。僕の仮説だと、男の年齢が70歳だとしても、エリがヴァンパイアになってから58年しか経っていないことになる。となるとエリは、「定期的に『人生を共に歩む人間』を取り替えている」ということになるのか。その新たな候補がオスカーというわけだ。なるほど。

【ここを去って生き延びるか。
留まって死を迎えるか。】

こう書かれた紙に、「ぼくのエリ」という表記がある。これもきっと、その男が書いたものだろう。

エリが生き延びるということは、その周辺で不審死が多発するということだから、1つところに長く留まることは難しい。流浪の人生を歩むしかないというわけだ。

「愛」という言葉で片付けていいのか分からない関係性ではあるが、弱さと中性的な魅力を兼ね備えた少年と、あらゆる意味で「異端」としか呼びようのない少女の邂逅は、展開の読めなさも含めてザワザワさせる強さがあった。

なんか凄い映画だったな。

「ぼくのエリ 200歳の少女」を観に行ってきました

やっぱりクソみたいな現実だと思う。日本という国の「ろくでもなさ」に驚かされるし、ホントに嫌な気持ちになる。

もちろんだが、難民に限らずどんな問題に対しても、「全員を適切に救う」ことは不可能だ。だから、どうしても「網からこぼれてしまう人」は出てきてしまう。それは仕方ないことだと僕も理解しているつもりだ。

しかし、難民の現実はそんなレベルの話ではない。日本における難民の現実は、「大多数は救われ、一部の人が網からこぼれてしまっている」なんてものではなく、「ほとんど全員が網からこぼれている」という常態なのだ。

だから、このような現状を生み出している日本という国には、ちょっと弁解の余地はないと感じる。

ロシアのウクライナ侵攻で、「ウクライナからの避難民を受け入れる」と打ち出している。しかし重要なのは、国が「避難民」という言葉を使っている点だ。「難民として受け入れる」とは言っていないのである。

UNHCRでは、国外に逃れた人を「難民」(英語では「refugee」)、国内で避難した人を「国内避難民」(英語では「Internally Displaced Persons: IDPs」)と使い分けているそうだ。普通に考えれば、ウクライナから日本にやってきた人は「難民」と呼ばれるべきだが、日本政府は「避難民」という呼称を使っている。間違いなく明確な意図があってのことだろう。そしてそれは、「難民として受け入れるつもりはない」という意思表示なのだと思う。

実際、ウクライナからの「避難民」についても、確かテレビのニュースで見た記憶では「期間限定の在留資格」は与えられるが、「難民認定」がなされるわけではないという話だったように思う。この点は現在進行形であり、状況は変わるかもしれないが、少なくとも現時点で「ウクライナからの『避難民』を『難民』として受け入れるつもりはない」ということだろう。

それぐらい、日本での「難民認定」はハードルが高い。2020年のデータだが、「ドイツ・カナダ・フランス・アメリカ・イギリス・日本」の6カ国について言えば、記載した順に難民認定数が多い。5位のイギリスと比較してもその差は圧倒的で、イギリスでは「認定数9108人、認定率47.6%」に対して、日本は「認定数47人、認定率0.5%」という少なさだ。
(データは以下のサイト参照
https://www.refugee.or.jp/refugee/japan_recog/

僕は、そのような日本の現実を、『東京クルド』『牛久』という2作の映画を観て理解した。これらの映画を観る前は、「日本の難民認定率が異常に低い」ぐらいの知識しかなく、『東京クルド』で「仮釈放」の説明がなされるまで、それがなんなのかも理解できなかった。

『マイスモールランド』を観た人の中には恐らく、「仮釈放」の意味や「父親が刑務所みたいな場所に収監されている理由」がさっぱり理解できないだろう。興味がある方は『東京クルド』『牛久』の記事に詳しく書いたのでそちらを読んでほしい。

『東京クルド』『牛久』というドキュメンタリー映画を観た僕には、『マイスモールランド』で描かれる世界がすべて「日本の現実」であると理解できている。『マイスモールランド』を観た人の中には、「これは『起こりうる可能性』を描いているだけで、こんな酷いことが実際に起こっているはずがない」と考えるかもしれないが、そんなことはない。「仮釈放中は働いてはいけない」のも、「理由もなく入管に拘束される」のも、すべて今の日本でずっと起こっていることなのである。

『マイスモールランド』のストーリーそのものは事実ではないかもしれないが、この映画で描かれているのは、「日本に住む難民の現実を集積させたもの」だ。だから気分的には「事実と呼んでいいもの」である。エンドロールでは、「この物語は、取材を基に構成されたフィクションです」というような表記があったが、同時に、「顔も名前も出せない、日本の住むすべてのクルド人へ」というような表記もあった。日本でクルド人が難民認定された例はほぼないという。

僕は、『東京クルド』『牛久』を観て、自分がなんて恥ずかしい国に住んでいるのかと絶望的な気分になった。そしてこの2つの映画から、「知識」と「現実」を知ったと思う。

そして『マイスモールランド』からは、「感情」を学んだ。ドキュメンタリー映画では、どうしても「感情」を出しきれない部分もあるだろう。『マイスモールランド』は、フィクションの形を借りて、「日本に生きる難民の『感情』」をリアルに描き出していると思う。

『東京クルド』『牛久』もオススメだが、ドキュメンタリー映画はちょっとハードルが高い、という方は、『マイスモールランド』を是非観て欲しい。「自分たちがこんなクソみたいな国に生きているんだ」と多くの人が正しく実感することが、現状の変更に少しでも役立つかもしれないと思いたいからだ。

彼女たちが、「たまたま網からこぼれてしまった人たち」であるなら、「仕方ない」で割り切る余地もある。しかし今の日本には、そもそも「網」がない。ほぼ誰も、「網」に引っかからないまま、苦しい現実を生きざるを得ないのだ。

そんな社会は、やっぱり「間違っている」と思う。

内容に入ろうと思います。
埼玉県川口市に住むクルド人のサーリャは、大学受験を控える高校3年生。反体制的な運動に参加していたとして祖国での立場が危うくなった父が、子どもたちを連れて日本にやってきたのだ。サーリャは小学生の頃に日本にやってきて、学校に馴染むのも苦労したが、努力して日本語を学び、今では日本語を上手く喋れないクルド人たちの手伝いを引き受けるまでになった。妹と弟は日本語しか喋れず、クルド語で会話するのは父とサーリャだけだ。母親は、祖国で既に亡くなっている。
大学も推薦が狙えるラインにいるし、仲の良い友人もいる。家では食事前にクルド語の祈りを捧げるが、サーリャ自身は「クルド人」としてのアイデンティティなどほとんど持っておらず、日本人のように過ごしている。
進学のためにと、父親に内緒でコンビニでアルバイトをしているサーリャは、そこで聡太と出会う。父親にバレないように自転車で東京のコンビニにバイトに来ているサーリャは、聡太とはバイト先でしか会わない関係だが、人生で初めて自分の生い立ちを話せるほど打ち解けることができ、お互いに惹かれていく。
このまますべてが当たり前のように続いていくと考えていた彼らに、「難民申請の不認定」という決定が通知される。与えられていた在留資格が無効となり、一家は「仮釈放」というかなり自由が制限される状況に置かれてしまう。それを機に、推薦の話も頓挫し、コンビニもクビになってしまう。
追い打ちをかけるように、父親が入管に収容されることが決まり……。
というような話です。

映画を観た誰もが、「えっ?じゃあどうすればいいの?」と感じるだろう。難民申請が不認定となり、在留資格を失った者は、働けないし、許可なく県外に出てもいけない。法律的な立場で言えば「不法滞在」に近い状態ということになる。

しかし、父親はまだしも、サーリャを始めとする子どもたちは、基本的に「生活の基盤が日本にしかない」。サーリャはまだクルド人で会話できるが、妹と弟は日本語しか喋れないのだ。

それでどうすればいいというのだろう?

日本国としては、「日本に勝手にやってきたのはあなた方です。どうするかは自分で決めてください」ということなのだろう。しかしそれは、あまりにも酷い通達ではないだろうか?

『マイスモールランド』でも、フィクションであるにも拘わらず、希望ある未来を描けない。日本の難民に対する対応を誠実に守った場合、日本国内で難民は幸せを描くことはできない。国は明確に、「難民は日本に来るな、日本にいる難民は出て行け」というスタンスなのだと思う。

ホントに、信じがたい。

映画の中で描かれる知識については、大体『東京クルド』『牛久』を観ていたので知っていたが、1つ知らなかった驚きの話があった。これは、作品の後半で登場する話で、しかも父親のある行動に直接的に関係する知識なので、触れるとネタバレになってしまう。だからぼやっと書くが、「家族が離れ離れにならなければ認められない状況」という実例が存在するようで、その異常な決定にはちょっと驚かされた。どういう理屈でそれを「良し」と考えたのかまったく理解できないが、あり得ない話すぎて怒りが湧いた。

映画全体としては、とにかくサーリャが様々な現実にぶち当たる苦悩が描かれる。在留資格がないというだけで、少し前まで当たり前にできていたあらゆることが制約される。そしてそのすべてに対して、サーリャが前に出てその現実を受け止めなければならないのだ。

サーリャの様々なセリフが胸に突き刺さるが、「行きたくなくなった」と「もう頑張ってます」は一番キツかった。特に「行きたくなくなった」の方は、そう言いたくはないがそう言うしかない、という限界点における感情という感じがして辛い。

クルド人役を演じた嵐莉菜は、たまたまテレビで番宣的なコーナーを見ている時に、「クルド語が話せないから苦労した」みたいなことを言っていたと思う。演技初出演で初主演だそうだが、「これまでもずっと我慢してきた。でももう限界」というような「抑えた悲しみ」みたいなものをとても上手く表現していたと思う。ちなみに、サーリャの家族として登場する3人は、嵐莉菜の実際の家族だそうだ。確かテレビで、「家族だから出演が決まったとかじゃなく、ちゃんとオーディションを受けて決まった」と言っていた。その事実を映画を観る前から知っていたから、ラーメンを食べるシーンなんかは「本物の家族感」が滲み出ていてとても良かった。

聡太役の奥平大兼は、どっかで見たことある顔だなぁと思いながら思い出せなかったのだが、『MOTHER マザー』に出てた役者だった。彼もまたとても上手いと思う。特に、「普通の女の子だと思っていたバイト先の子が、難民認定が通らず在留資格を失ってかなりキツイ状況にいると理解した男子高生」という感じをすごく上手く出している。他人との距離感がちゃんと今っぽい感じで、それでいて踏み込むべきところでは踏み込んでいくというそのバランスが、ホントに絶妙だったなぁ。正直、奥平大兼の受けの演技が上手かったお陰で、嵐莉菜も上手く見えたという部分はあるような気がする。

とても良い映画だった。そして『マイスモールランド』をきっかけに、『東京クルド』『牛久』も観られてほしいし、日本の「異常な現実」を知る人が一人でも増えて欲しいと思う。

「マイスモールランド」を観に行ってきました

僕は別に、やりたいことがあるわけでも、成し遂げたいことがあるわけでもない。昔からずっと「ダルいな」と思いながら毎日を過ごしているし、正直、「さっさと人生終わってくれてもいいんだけどなー」みたいに思っている。

ただ、なんだかんだ世の中の片隅にへばりつくように生きてはいるし、まあしょうがねぇなんとかやっていくしかないか、みたいに考えている。

そんな僕が、「どのみち生きてるんだしなぁ」という思いと共に捨てきれない感覚がある。それは、「せっかくなら、『誰かのためになる存在』でいたいなぁ」というものだ。

しかし、なかなかそれは難しい。

この映画では、「世界中から届く『サリンジャー宛のファンレター』に、『著者はファンレターを読みません』と定型文で返信する」という仕事を任されることになる女性が主人公として描かれる。この映画は、ジョアンナ・ラコフという作家の実体験を綴ったエッセイを基にした映画で、実際にジョアンナという名前で登場する主人公が行っているこの「サリンジャーのファンレターの返信」という仕事は、実際に行われていたものだ。

ただ、「実際にこういう仕事が存在した」ということ以上に、この「ファンレターへの返信」という仕事は、「世の中に存在する『クソ仕事(ブルシット・ジョブ)』」を暗喩しているようにも感じた。

ジョアンナは、「ファンレターへの返信」についてこんな風に指示される。

◯返信は、あらかじめ用意された返答リストの中から選ぶこと(それ以外の文章を書かないこと)
◯字間や空白なども、指定された通りに狂いなくタイプすること(手紙への返信はタイプライターだった)
◯ファンレターは”念のため”すべて目を通すこと

最後の”念のため”は、ジョン・レノンが殺害された「チャップマン事件」が背景にある。逮捕されたチャップマンは、警察が現場に到着するまでサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいた。彼がファンレターを出していたかどうかは分からないが、この事件を機に、「何があるか分からないから」と、ファンレターには必ず目を通すことになったという。

さて、どうだろうか?なかなかの「クソ仕事」ではないだろうか。ジョアンナには、選択の余地がほぼ存在しない。返信の文章は、単なるファンレターだけではなく、講演やチャリティの依頼の手紙など、ありとあらゆる状況に対応できるように選択肢が用意されている。ジョアンナはファンレターを読み、どの定型文を使うべきかを考え、それをひたすらタイプするだけだ。とにかく、徹底して「それだけをやるように」と厳命される。

もちろん、この仕事は「サリンジャーを守ること」の役には立っている。彼は1963年以降ファンレターへの返信を止め、それからはジョアンナが働くエージェントが代理で返信しているのだが、サリンジャーの担当であるマーガレットは、【ジュリーは称賛を聞きたくない】と言い切っている(ちなみにこの映画では、サリンジャーは「ジュリー」と呼ばれている)。

それがサリンジャーの希望に沿うものであるのなら、ジョアンナの仕事は意味がある。しかし、「サリンジャーにとっては意味がある」という感覚で、ジョアンナは割り切れない。そもそも、非常に面白い設定だが(恐らく実際にそうだったのだろうが)、ジョアンナはサリンジャー作品を1冊も読んだことがない。彼女は、会社にはおくびにも出していないが、仲間内には「作家志望」だと伝えている(出版社や出版エージェンシーで働く人間に、「作家志望」は嫌われるそうだ)。というか彼女がニューヨークの出版エージェンシーで働いているのは、「安アパートで生活し、カフェで執筆する」という憧れの生活をしたかったからだ。

そんな彼女がサリンジャーを読んでいない。そのことは、同じく作家志望である年上の彼氏にも驚かれる。

いずれにせよ、彼女は「サリンジャーのファンとしてその仕事に就いた」わけではないため、「サリンジャーの役に立っている」ことで自分のしごとを納得させることができない。

しかしそれ以上に、ジョアンナは、世界中の人々がサリンジャーに対して向ける熱い熱い想いに打たれてしまう。誰もがこれほどの熱量で手紙を書いているのに、それに「クソ文」で返信するなんて、そんなことが許されて良いはずがない、という思いを捨てきれないのだ。

僕もきっと、同じように考えてしまうだろう。仕事として、上司に言われた通りにしなければならないことは理解しながら、「本当にこんなことが許されるのだろうか?」という気持ちはたぶん捨てきれない。その仕事がどれほどキツくても、どれほど理不尽でも、「正しく誰かのためになっている」という実感を持てるのであれば我慢できるかもしれないが、僕もジョアンナと同じく、そういう実感は持てないだろう。だからと言って、ジョアンナのように、上司から「君は一線を超えた」と言われてしまうような行動はきっと取らないだろうと思うけど。

この物語の面白い点は、そんな「サリンジャー宛のファンレターを読んでクソ文で返信する」という仕事が、結果としてジョアンナの人生を変えたという点だ。

この映画は、「サリンジャーのファンレターを読んでいる場面」の演出がなかなか面白いのだが、そんな場面の1つに、ワシントンから帰るバスで恋人が書いた小説を読んでいる場面がある。彼女は、彼氏が書いた小説に言い知れない不満があるのだが、しかしその場面で「本当に嫌なのは?」と問われた彼女は、

【何も書かない私】

と答える。そう、彼女は「作家志望」であり、せっかく執筆のためにニューヨークに住み始めたのに、全然書いていないのだ。

サリンジャー宛のファンレターが、どのようにしてジョアンナを変えたのか、具体的に語られないのだが、それを示唆するかもしれない場面がある。ジョアンナが子どもの頃から好きだった児童文学作家が久々に新作を執筆し、マーガレットと打ち合わせをするのだが、その作家が怒って打ち合わせを途中で止めて帰ってしまった場面について、マーガレットがジョアンナに意見を求める場面だ。

ジョアンナはここで、

【たぶん、作品から何を感じ取ったのか教えてほしかったんだと思います。
彼女にとってそれはとても大事なことです。
私にとっても。】

と答えている。

そして、サリンジャー宛のファンレターはまさにその集積と言っていいだろうし、それらに触れたことで、「自分もこんな風に、人の感情に触れる存在でありたい」と考えたのだろうと思う。

マーガレットの助手として働くジョアンナは、サリンジャー本人からの電話を取り次ぐ機会もあった。サリンジャーは彼女の名前を「スザンナ」と間違えて覚えたままだが、それでも、「極度の人嫌い」「孤高の天才」という世間のイメージとはまったく違う気さくなやり取りを続ける。そして話の流れで「作家志望」だと伝えたジョアンナに対して、「毎日書きなさい」「電話番で1日を終えるな」と真摯にアドバイスをしてくれる。

そんな大作家本人の言葉もまた、彼女の心に火をつけたことだろう。

内容に入ろうと思います。
ちょっとした旅行のつもりでニューヨークを訪れたジョアンナは、作家になりたいという夢を持っていることもあり、恋人と離れ離れになってもニューヨークに住み着く決意をする。ニューヨークに住んでいる昔からの友人宅に居候させてもらい、書店で知り合った年上の作家志望の男性と付き合い始め、彼に連れられてニューヨークの出版人が集まるカフェの仲間入りをした。しばらくそんな生活を楽しんでいたが、やはり長く腰を落ち着けたいと、人材紹介会社へと出向き、出版エージェンシーの仕事を紹介してもらった。
老舗出版エージェンシーで働くことになった彼女は、アガサ・クリスティーやフィッツジェラルドなど名だたる文豪と関わりのある仕事に胸躍る。しかし与えられたのは、サリンジャーのファンレターに返信するクソ仕事だった。

【作家を夢見た自分を決して偽れない】

彼女はファンレターを読み淡々と返信する生活の中でもそういう思いを捨てきれずにいるが、しかし一方で、

【現実と向き合おう。私は助手だ】

と自分を納得させようともしていた。

そんなある日、会社がどうもざわついている。何があったのかと聞くと、サリンジャーが名も知れぬ小さな出版社から30年ぶりに本を出すという、どちらかと言えば喜ばしいとは言えないニュースにバタバタしていた。通常出版エージェンシーは「作家に対して道を開くこと」が仕事だが、サリンジャーに関してはまったく逆で、「いかにサリンジャーを外部から守るか」が問題となる。そんなサリンジャーが、自分の判断で出版社と話を進めているのだから、ややこしいことこの上ない。

一方、ジョアンナはプライベートでもバタバタしている。やんわりと居候先から追い出されたジョアンナは恋人と同棲を始めるが、細々した部分で違和感が募ってしまう。

「作家志望」と言いながらまったく執筆出来ていない自分に対する苛立ちも募っていくが……。

というような話です。

多少の脚色はあるだろうけど、物語の重要な設定は事実に基づいているんだろうし、「これが実話なのか」と思うとなんだか素敵な世界だと感じる。

ただその素敵さは、「ジョアンナを取り囲む『素敵ではない環境』」があるからこそ浮き上がると言ってもいいだろう。

ジョアンナを取り巻く環境を構成する重要な人物は、彼女の上司であるマーガレットと、彼氏のドンだ。そしてこの2人が、なんとも言えず苛立たしい存在なのである。

マーガレットは全体的に「旧来の人間」として描かれる。舞台は1995年であり、「Windows95」が発売された年だが、マーガレットは「コンピューターは導入しないことに決めている」「コンピューターはかえって仕事を増やす」と頑なだ。また、そういう時代だったのだろうが、オフィスの打ち合わせ中でもスパスパ煙草を吸っている。最初の内はジョアンナを「仕事の駒」ぐらいにしか見ておらず、挨拶をしても無視するような振る舞いをする。

また、決してマーガレットだけではないが、「老舗出版エージェンシー」ゆえの傲慢さみたいなものも随所に現れる。日本には出版エージェンシーみたいなものはあまり根付いていないが、もしあったとすれば、この映画で描かれる「老舗出版エージェンシー」は、「夏目漱石、太宰治、江戸川乱歩などを見出し、出版を後押しした存在」みたいなものだと思う。ある意味で「アメリカ文学」の礎を築いたような存在なのだろうし、傲慢さが染み付いているのも仕方ないかもしれないが、やはりなかなか受け入れがたい。

そんな世界にあってジョアンナは、出版の世界の理屈に染まらない。彼女の行動すべてが正当化されるわけではないが、「老舗出版エージェンシー」の理屈からはみ出すような行動こそが、ジョアンナ自身の良さであるように思うし、そういう行動の積み重ねによって新しい世界への道を切り開いていったようにも思う。

また、彼氏のドンは、「モテるのも分かるけど、嫌われるのも分かる」みたいな存在だ。どことなく「ヤバい」香りも漂わせる「魅力」もありつつ、「些細」という言葉では割り切れない「受け入れがたさ」も見え隠れする。そんな人と関わることで、「自分が本当に求めているもの」が何かに彼女は気づいただろうし、こちらもまた新たな一歩への後押しになったことだろう。

原題は『My Salinger Year』であり、やはり国民的作家であるサリンジャーの名前が入っていて欧米ではこのタイトルが相応しいだろう。そして、邦題を『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』と変えたのも良かったと思う。この映画は「サリンジャー好き」でなくても楽しめるし、「ニューヨーク・ダイアリー」というタイトルも映画全体の雰囲気に合っていると感じる。

なかなか良い映画だったと思う。

「マイ・ニューヨーク・ダイアリー」を観に行ってきました

「フランク・ザッパ」という固有名詞は知っていた。たぶん人名なんだろうな、とも。
映画を観る前に、「フランク・ザッパ」がミュージシャンなのだと知った。そんなことさえ知らなかった。
映画を観終えた今、「フランク・ザッパ」はミュージシャンじゃないのだと理解した。

彼は「作曲家」だ。

この映画は、フランク・ザッパの過去のインタビュー映像や周囲の人間の証言などを組み合わせて作られているが、フランク・ザッパが繰り返しこんなようなことを言っていたのが印象的だった。

【自分が作った曲を“聴く”にはバンドを組むしかなかった】

【(「マザーズ」という自身のバンドを解散したことについての証言)私がやりたいのは、発言することと、作った音楽を聴くことだ】

【俺の願いは単純だ。作った曲全てのいい演奏といい録音をする、そしてそれを家で聴く。聴きたい人がいたらすばらしい、簡単に聞こえるがすごく難しい】

【リハ2回でお願いしたいというオーケストラもある。リハ2回なんかじゃ、とても完璧な演奏など望めない。間違った演奏をするくらいなら、しない方がマシだ】

このような発言から、「フランク・ザッパが何を望んでいたのか」が理解できるだろう。彼は、音楽の世界で有名になることやお金を稼ぐこと、あるいは自身が最高の演奏を実現することや、自分の音楽で人を感動させることにさえ興味がなかった。何よりも、「自分の頭の中で鳴っている曲を、完璧な形で実際に聴きたい」という動機のみで邁進し続けたのだ。

そのことは周囲の人間も理解していたようだ。

【冷たい印象に感じられることもあったけど、何よりも「作品を作ることだけ」にすべてを懸けていたんだと思う】

【少なくとも8時間、時に12時間も練習した。クリスマスも感謝祭もお構いなしだ】

【主流の音楽でトップに立ちながら、「こんなのクソだ」って言うんだからね】

【(周囲の人間の)力不足と限界ゆえに、頭の中の再現ができずにいることに悩んでいた】

あるいは、こんな言い方をする者もいた。

【フランクは、ヒットするのを恐れていた。
ヒット曲なんかいくらでも作れたはずだ。でも、自分でダメにしている。僕にはまったく理解できないよ】

【ヒット曲を書くことにまったく興味はなかった】

僕はたぶん、フランク・ザッパの曲を聴いたことがない(あっても、それがフランク・ザッパの曲だとは認識していない)と思う。僕はそもそも音楽についてまったく詳しくないが、それでも、ビートルズやクイーンの曲は、聴けば分かる。おそらく、フランク・ザッパもそれぐらいのレベルの人だと思うのだが、それでも、「フランク・ザッパの曲」だとパッと思い浮かぶ曲はないし、きっと聴いても分からない。それは彼自身が、そういう方向性をまったく狙っていなかったからなのだ。それなのに、コアな層にだけでなく、大衆にも知られる存在になっていることには驚かされる。

そもそも彼は、家が貧乏だったこと、そして家族に音楽好きがいなかったこともあり、15歳くらいまで音楽に触れたことがなかったそうだ。13歳ぐらいまでは化学に興味があり、6歳の時に爆弾の作り方を覚え、父親の仕事の都合で家に置かれていたガスマスクをおもちゃにして遊んでいたらしい。

そんな彼が音楽の道を志したのは、あるレコード店の店主が書いた雑誌の記事だったという。その店主は、「どんなクソみたいなレコードでも売ることができると豪語していた」らしく、そこで紹介されていたのがヴァレーズの『イオニザシオン』だった。さっそくそのレコードを買って聴いてみると、

【瞬時に好きにならないのはどうかしている】

というほど打ちのめされ、作曲を始めたのだそうだ。『イオニザシオン』について映画ではそこまで詳しく触れられていなかったが、ネットで調べてみると、「騒音主義」と呼ばれるジャンルの頂点といえる作品だそうで、ある種「美しさ」の対極を行くような音楽らしい。

そんなきっかけで作曲を始めたので、音楽的な知識を誰かから学ぶことなく独学で作曲を行った。映画の中でフランク・ザッパを「作曲の天才」と評する人物が何人か出てくる。その内の1人は、後にフランク・ザッパが作曲したクラシック曲を演奏した人物だが、彼は「独学だとは驚異的だ」と言っていた。ちなみにフランク・ザッパは、作曲を始めた当初クラシック曲を書いていたそうで、ロックの作曲を始めたのは20代後半からだそうだ。フランク・ザッパが結成したバンド「マザーズ」は、ホーン奏者がいたり、クラシック曲を演奏したりと、当時の常識から大分外れていた(現代の常識とも外れていると思うが)。

もちろん、最初から音楽で食べていけたわけではなく、イラストカードを作る会社でイラストを描くなどしていた。そんな彼の「音楽で食べていくための心得」が非常に面白い。晩年、何かの講演会に登壇しているらしき映像の中で、対談相手から、

【あなたの考えでは、音楽学校の生徒たちは、「死んだ教授」から「死んだ音楽」を「死んだ言語」で学んでいる、ということなんですよね?】

と聞かれ「はい」と答えた上で、さらにこう続けている。

【音楽で食べていこうという人には、不動産免許を取るように勧めています。自分の作曲をしたいなら、他で稼ぐ必要がある】

この考え方もとても面白い。彼は【今やっている音楽では稼げない】と理解している。というか、「稼げない音楽であることに意味がある」みたいなニュアンスではないかと思う。公式HPのトップページには、「売れたものが優れている、という考え方はくだらない」と書かれている(たぶんこの言葉は、映画には出てこなかったと思う)。そして、その信念を逆説的な形で証明するために、「売れないが優れていると評価されるもの」を作ろうとしていたのではないかと思うのだ。だからこそ彼にとって「売れないこと」はとても重要だった。

こういう点も、「フランク・ザッパはミュージシャンではない」という感覚を後押しするだろう。ミュージシャンであれば、望む形は様々だが、やはり「多くの人に聴いてもらいたい」と思うだろうし、その分かりやすい手段が「売れること」だと考えるだろう。しかし作曲家である彼は、「誰かに聴いてもらうこと」よりも「自分が聴いて満足したい」という欲求の方が強い。だからこそ、普通ではない特異な存在としてあり続けたのだろうと思う。

詳しい経緯を理解できたわけではないが、彼は所属していたレコード会社と喧嘩別れするような形で独立し、自身のオリジナルレーベルを立ち上げた。現在でもアーティスト個人によるオリジナルレーベルはそんなに多くない気がするが(SNSやサブスクの登場でまた状況が変わったかもしれないが)、当時としてもかなり画期的だったそうだ。フランク・ザッパは、音楽的にもお金的にも、完全に独立した初めてのアーティストになった。

そして、恐らくそのことが背景にあるのだろう、多くのミュージシャンが沈黙を貫いたある問題に対して、フランク・ザッパは音楽業界でただ一人気炎を上げることとなった。

アメリカで、音楽の歌詞の中に教育に悪いものも多くあるので、映画のように格付け制度を導入すべきだという議論が持ち上がった。国の偉い人の奥さんも運動に参加していたこともあり、大手レコード会社に所属するようなアーティストは個人としての発言が出来なかったのではないか(と勝手に想像する)。しかし、そんなこととは無関係になんでも発言できるフランク・ザッパは、自身の「それは検閲の臭いがする」という違和感をベースに、たった1人闘いを挑んでいく。

フランク・ザッパが言うように、【誰にだって沈黙する権利はある】と分かっているが、それでも、フランク・ザッパ以外の人が誰も立ち上がらなかった、という状況になんとなく残念な気持ちになってしまった。そして、たった1人立ち上がったフランク・ザッパは見事だったと思う。

また、この映画の冒頭シーンは、ビロード革命を経て民主化したチェコスロバキアで3年ぶりにギターを弾いたライブ映像から始まるのだが、後半の方で彼が「チェコスロバキアの通商貿易担当に就任した」という話が出てきて、その幅の広さに驚かされた。なんとチェコスロバキアはアメリカから、「今後もアメリカからの支援を得たければ、フランク・ザッパを排除しろ」と言われたという。フランク・ザッパがどれだけ権威から毛嫌いされていたかが分かるエピソードだろう。

1993年に54歳で亡くなったフランク・ザッパは、生前に62枚のアルバムを発表したが、死後に53枚も発表しているという。彼の自宅には、自身が作曲した曲のあらゆる情報が保管された倉庫があり、恐らくそこからピックアップされたものなのだろう。フランク・ザッパを知る人物は、「彼は常に作曲していた」とその特異さを語っていた。恐らくまだ発表されていない曲が山ほどあるのだろう。

1995年にはロックの殿堂入り、1997年にはグラミー賞特別功労賞・生涯業績賞を受賞している。僕には音楽的なことは分からないが、その生き様・考え方・思想はとても好きだ。もし自分が何者かになれるのであれば、フランク・ザッパのようになりたいものだとも思わされた。誰かがフランク・ザッパについて、

【自分が生きたいように生きられないのであれば、生きていても仕方ないと考える人物だった】

というようなことを言っていたが、僕にもその感覚はある。フランク・ザッパほどその考えを強く貫くことはできないが、可能な限りそんなスタンスを持ち続けていたいものだと思う。

「ZAPPA」を観に行ってきました

うーむ、この映画は良いんだろうか?良いと感じる人がいるなら別にそれはいいんだけど、なんともなんともなんともよく分からなかったなぁ。

そもそも「ミュージカル映画」が不得意で、どうしても「なんでこの人たちは歌うのか?」と思ってしまう。この映画の場合、ほぼすべてのセリフが「歌」で表現されていて、「突然歌う」というか「ずっと歌ってる」という感じなのだけど、やっぱりどうしても「歌う必然性あるん?」と感じてしまった。

まあ、とにかく「ミュージカル映画」が向いてないのだろう。

ストーリーはほぼ存在しないと言っていい。動詞で表現するなら、「恋に落ちる」「結婚する」「子どもが生まれる」「亀裂が入る」と来て、後半はちょっとサスペンス的な要素も入る、という感じ。

ラスト、色々あった後、あの狭い空間での2人のやり取りはなかなか良かった。あの場面だけは、客観的に「かなり現実味に欠ける」と思うので、逆に「歌で表現すること」が自然に感じられた、という側面もある。他の場面では「歌うこと」が不自然に感じられるが、ラストの場面だけは「そもそもの状況」が不自然なので、「歌うこと」がその不自然さをある種紛らわしている感じもする。

元々「観ようかどうしようか」という当落線上の映画で、他に観る映画がなくなったタイミングだったから観たのだけど、やっぱり、観ないという選択もアリだったかなぁ、という気がする。

「アネット」を観に行ってきました

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