黒夜行 2013年07月 (original) (raw)

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内容に入ろうと思います。
本書は、広くソーシャルデザイン・ソーシャルビジネス・社会起業家などをテーマに、「世の中をよくしよう」という企業や個人の活動などをテーマにライターを続けている著者による最新刊です。実際今行われているソーシャルデザインの50(以上)の実例を元に、自分に出来ることを模索させるような、そんな作品に仕上がっています。
「ソーシャルデザイン」と聞いて、パッと何か頭に浮かぶでしょうか?僕自身はこの「ソーシャルデザイン」に最近特に関心があるのですが(関心があるだけで、行動は伴わない)、まだまだ日本ではこの「ソーシャルデザイン」が「日常」にはなっていないという印象が強いです。ネットの辞書で拾うと、「どのような社会を築いていくかという計画。社会制度から生活基盤の整備に至るまで非常に幅が広い。」というような意味が出てきますが、僕なりに表現すると、「身近な問題に小さなアクションで解決策を模索すること」というのが、個人にとっての「ソーシャルデザイン」の意味かなと思います(企業や社会にとっての「ソーシャルデザイン」は、また違う意味を持つでしょうけど)。

『「弱者のガマン」と「他人の無関心」の共犯によって、問題は日に日に深く広く世の中に拡大していき、やがて誰もが手に負えない大きな社会問題に育ってしまう。(中略)社会問題には、1億2000万人超という人口から見れば、少数派になる人々の問題が数多く含まれている。それらを「小さい問題」だと片付ければ、「当事者のガマン」と「多数派の無関心」との相乗効果で誰の手にも負えない大問題に発展しかねない』

『この佐藤さんの言葉は、医療の分野だけでなく、多くの専門家が自分の職域にしか関心がないために消費者に不安や不満が少なからず生まれることを示唆している。
それに気づかず、「専門外」のことを「関心外」にしたまま消費者をただの「お金を払う人」としてしか認知できないからこそ、多くの人が「社会的弱者」になってしまうのだ。
社会的弱者を作り出しているのは、自分の職域外に対する無関心である』

このような問題提起を著者はしていきます。僕らの身近には、色んな問題がある。テレビでは取り上げないけど身近で暮らしに直結する問題、あるいはテレビで取り上げないほどのマイノリティな存在に関わる問題。そういう問題に対して、あなたはどんな態度を取っていますか?と、著者は問いかけるのだ。

『だから、どんな社会問題もやがて自分の身に降りかかる苦しみとなることを忘れずにいたい。そして、自分がイ過ごせない社会問題は、政治家に頼ることなく、自分たちの手で解決していけると信じてほしい。既に多くの人が自分が見過ごせないと思った社会問題の解決に動き出している。市民の力で社会をより良いものへ作り変える活動はソーシャルデザインと呼ばれ、町作り・環境保護・福祉・ビジネスなど、多くの分野で試みられている』

しかし、自分にはそんな大層なことは出来ない、と思う人も多いだろう。社会問題を解決する?環境保護を促進させる?福祉を充実させる?無理無理、そんなん自分の手に負えるような問題じゃないって、そういうのは、政治家がやるんでしょ、と思う人も多いだろう。しかし、「自分にはそんな大層なことは出来ない」という思い込みから抜け出すことがまず大事なのだ。

『しかし、自分が仕事で覚えた技術や経験に大きな価値があることに気づいていない人は少なくない。毎日同じような作業を繰り返し、同業者とだけ顔を付き合わせていれば、「自分は『できて当たり前』のことしかしていない。自分よりできる人はいっぱいいる。だから自分は世界を変えるような技術なんてもっていない」と思いがちだ』

『本業を通じて子どもたちに夢を与えるのは、マンガ家の特権ではない。どんな仕事でも、それぞれの仕事現場では日々培ってきた独自の技術で子どもたちを喜ばせることがdえきる。
山本さんがふだんの仕事の価値を被災地の子どもたちに教えられたように、ボランティア現場ではふだんの仕事が他の業界の人にどう映るのかを知らされる。
自分や同業者にとって当たり前の職業技術は、その業界を知らない大人や子どもたちにとっては魔法使いの杖と同じ。
つまり、働いている人の誰もが、自分が無理なくできることで弱りきった人たちを救える力をもっているのだ。
あなたの魔法は何?』

最近では、業務外の時間を活用し、毎日のしごとで蓄積したプロの技術や知識をNPOや社会起業家などの公益事業団体に提供し、彼らの社会貢献活動を支援するボランティア「プロボノ」という活動が浸透しつつあるらしい。「人生の充実」を求めて、「プロボノ」に参加するサラリーマンが増えているという。本書には、こんな描写もある

『若い世代では、まったく新しい社会問題に苦しんでいる。
「自分の勤務先では自社の利益が最優先で、自分のしごとが誰を幸せにしているのかわからず、やりがいも面白みも感じないので空しい」
そういう理由で退社する若者が続出している。先代からの資産もある世代にとっては、自尊心を満たせない仕事は空しいばかりなのだ』

『「みんなガマンしてるんだから安定した会社で働き続けろ」という声は、「仕事の社会的価値」という新しい価値観に目覚めた世代にとっては、不当なガマンを強いられているのと同じだ。そうした同調圧力が若くて優秀な人材を社内で孤立に追いつめ、うつ病や自殺へと導いている。これは立派な社会問題である』

著者は、被災地支援を例にとって、こんな風に動いたらいいよ、という具体的な行動指針を書いている。

『まずやるべきことは、解決してほしいニーズ(要望)を困っている当事者の被災者に訪ねること。これは、インターネットで被災地支援団体を検索したり、被災者に呼びかけるブログを書いて、twitterなどで拡散すれば、被災者と連絡を取ることは簡単にできる。
そして、自分たちが無理なくできそうなことは何かを具体的に考えること。
みんなと一緒に動けば割と簡単にできてしまうことは少なくない。
みんなが面白がって参加したくなる楽しいアイデアをどんどん書き出し、「ゲームを寄付して東北笑顔プロジェクト」とか、「同世代の被災者に手紙を贈ろうプロジェクト」など活動に名前をつけよう。
そのうえで、自分にはできないと思ったことでも、それができそうな人のリストを作り、初対面でも声をかけ、仲間に誘おう。最初に誘った一人が断っても、人材は世の中に無数にいる。そう信じれば、プロジェクトは必ず実現できるのだ』

本書に書かれている「具体的な解決策」に触れることはしない。本書では様々な問題とそれに対する実際に行われた解決策が提示されているのだが、本書を読む一番の目的が「解決策を知ること」であってはいけないのだ。そうでは無い。本書を読むことで、「何が問題であるのか意識する」という、自分の変化の方が大事なのだ。
重要なのは、「身近な問題に目を向けること」。被災地支援や、カンボジアに学校を建てるなど、大きな問題に目を向けてもいい。しかしそうではなくて、自分が普段生活している環境の中で、「どうしてこれはこうなんだろう?」「もしこれがこうなったらもっと良くなるんじゃないか?」という視点を持つことこそが一番大事だと僕は感じている。本書を読むことで、そういう視点を持つことが出来るようになるのではないかと思う。
僕自身、行動力のない人間なので、人にとやかく言えるような人間ではないのだけど、でもソーシャルデザインの方向に関心はある。生きていることがどうも楽しくない、という人はそれなりにいるのではないかと思う。何をやってても、「こんなことやってていいのかな?」なんて思ってしまう人は、それなりにいるのではないかと思う。何が出来るかは分からない。結果的に、何も出来ないかもしれない。それでも、とりあえず目を向けること、関心を持つこと、そういうところから始めて行くのがいいんじゃないかなと思う。ソーシャルデザイン系の本は、最近良く目にします。本書でなくても、どれか一冊読んでみて、新しい視点を手に入れてください。
ちなみに本書は、著者印税の10%(本体価格の1%)が、寄付に回るそうです。

今一生「ソーシャルデザイン50の方法 あなたが世界を変えるとき」

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内容に入ろうと思います。
本書は、2012年5月に、日本人として初めて「14座制覇」を成し遂げたプロ登山家が、生い立ちから12座達成までを語った作品です。
世界には、8000メートルを超える山が14座ある。そのすべての頂上に登るというのは、登山家にとって一つの到達点でもある。過去様々な形で歴史を刻んた日本の登山家もたくさんいるが、竹内洋岳は、日本人初の14座完全登頂という形で名を残した。

『山田昇さんは、当時、最強のクライマーといわれていましたし、私よりも何倍も強かったと思います。植村さんと同じマッキンリーで、1989年に亡くなられましたが、もし、あそこで死ななければとっくに14座登っていると思う方です。その山田昇さんが9座まで登ったときに篤さんに「9座を上ってわかったけど、14座というのがこれほど大変だとは思わなかった」といおっしゃったそうです。それはほんとによくわかりますね』

14座完全制覇というのは、凄い偉業なのである。

『靴下一枚にも拘るのは、私たちの登山というのは、100パーセントじゃないと登れないからです。99.99パーセントでは登れないんです。何かが一つでも欠けたら登れないと思うんです』

本当に、壮絶な世界だと思う。それほど辛くても、著者は山に対してこういう思いを抱く。

『山は、本来はただの地球のでっぱりだったのが、そこに人が行くことで、地質学的な歴史だけではなくて、全然違った意味の歴史をもって、どんどん魅力を増すんです』

高校・大学と山岳部に所属したが、その時の技術が今に活かされているわけではないと語る。登山の技術や常識は、時代と共に大きく変化し、大学山岳部で教わっているものが既に古いということもよくあったという。
とはいえ、立正大学の山岳部に所属していたことが、プロ登山家になる一つのきっかけだっただろう。大学でヒマラヤ登頂を掲げて一つの登山隊を出し、それに竹内洋岳も参加したことが大きなきっかけだったのではないかと思う。
著者が大学時代の日本の登山は、極地法と呼ばれるものが主流だった。これは、組織で山に入り、その中のごく一部の人間だけが頂上まで行けるという、分担制の登山だ。どうしてそれが主流だったのか。それは、日本からヒマラヤまでが、様々な意味で「遠かった」からだ

『いまの私の登山は、登れなければ、また来るだけの話なんですけど、日本の登山隊の登山では、クレバス一つ通れなかったからって帰るわけにはいかなかったわけですよ。それなら用心のために梯子を持って行こうって話になっちゃうんです。失敗が許されないわけです。次はもういつになるかわからないわけです。
いろいろな寄付をもらってしまったり、みんな仕事を辞めて参加していたわけですよ。後がないんです。また来るとかって引き返すのは無理なんですよ。
絶対失敗しないための方法だから、余計お金もかかるし、だから逆に失敗も許されなくなってくるという。絶対けが人も出せないし、死人も出せない。別に私たちもいまやっている登山でも、死んでもいいとか、けがしてもいいとか思っているわけではないんですけど、もうそれらの優先順位が違ってきちゃうんです』

だからこそ、極地法という、あらゆる準備を重ね、タクティクスを組み、そして全員は無理でも、確実に一人は頂上に辿り着ける。そういう登山が主流だったわけです。
竹内洋岳がやっている登山は、アルバインスタイルと呼ばれます。基本的に一人で登る、というスタイルです。竹内洋岳は、割と酸素ボンベを持たずに登っているようですが、酸素ボンベを持たないことがアルバインスタイルの条件なのかどうかはわかりません。

『それが、私がアルバインスタイルを取り入れた理由のひとつですし、コンパクトなチームで登るようになった大きな要因ですね。だってね、このやり方だと、登頂して下りてきても、嬉しさを表現できないです。
登らなかった人たちに、悪い、申し訳ないという気がしちゃうんです。
最初からC4で待機してチャンスを待つというわけにもいかないんです。そういう人たちは、そこまでも上がってこられないわけです。それで動ける、登れるのだけど登れなかった人たちが荷下げを始めるわけですね。
体調が悪いとか、全然、及ばない人は寝ているしかないんですけれども、動けて、本来登れるだけの実力はあるんだけど登頂者に選ばれなかった人たちは、登頂できないとわかっているのに、上に向かって行って、装備の荷下げを始めるわけです。これはどう考えても、私は不合理だと思いますね』

本書で著者は、なんというか、山を登るということを、淡々と語る。ここで語られているのは、日本の山とは比べ物にならないわけですよ。8000メートル級の山の話をしているわけです。もちろん、辛いとか大変という話もします。しますけど、でもそれは、全然深刻な香りがしない。8000メートル級の山の頂上付近なんて、割と普通の人は生きていられないと思うんです(酸素なしでは)。そういう極限の世界にあって、自らの経験を、さらさらと語っていく。

『リアリティのある想像は経験からしか生まれないんです。
シュミレーションというのは、ただコトバの上っ面だけとるち、すごく浅い感じがしますし、最初から最後までをなぞるようなイメージがありますけど、そうじゃないんです。いろんな方向から、いろんな段階のことを、いっぺんに想像できるか、選択肢を並べられるか、というのが想像力だと思います』

ほんの僅かな判断ミスが、重大な事故に繋がるかもしれない。そういう中で、あらゆる可能性を想定しながら、「どうにか登るんだ」という意志の強さと、「行けるだろうか」という冷静な判断力を併せて踏破していく。
著者は、10座目のガッシャブルムⅡ峰で雪崩に巻き込まれ、腰椎骨折という重傷を負う。「医学的には歩けません」と言われるほどの中、どうにか這い出し生還した。そしてそこから、驚異の回復力を見せ、14座登頂を達成したのだ。

『そうすると、自分が生きてることが非常に苦痛になってくるんです。
で、もしかしたら、助からない方がよかったのかと思うわけですよ。死んでしまったほうが良かったのかと思うんです。それと同時に、あれほどの人が助けてくれたのに、死ぬわけにもいかないよというのがあるんです。
そうすると、もうどこにも逃げ道がないような気持ちになってくるんです。
まあ、弱っていたんですね、それでもうだんだん自分の存在をこの世から消せる方法はないだろうかと考え始めるんです。死ぬこともできないし、生きていることもできないと思うわけですね。そんな中でもお客さんがどんどん来るわけです。』

本書を読む限り、竹内洋岳という人はとても強い人に思えるのだけ、そんな強い人間がこんな風に考えてしまうほど、それは絶望的な事故だったし、奇跡的な生還だったわけです。そういう様々なことを乗り越えて山を登り続けてきたわけです。
本書は、読み物としてなかなか面白いのだけど、欠点もある。
まず、文章が、「竹内洋岳が喋ったまんま」という感じの書き方なのだ。これは、良い評価も悪い評価もあるだろう。著者としても、竹内洋岳が喋った感じそのまんまを残したかったのかもしれない。とはいえ、もうちょっと手を入れてもいいんじゃないか、という気がした。全体の雰囲気は残しつつ、細部をもうちょっといじれば、全体としてもう少し良くなったような気がするのだよなぁ。なんとなく、喋ったそのまんまっていう感じの記述が、ちょっと残念な気はしました。
もう一つは、どんな読者を想定しているのか、ちょっとわかりづらいこと。というのは、本書は、文庫本で500ページを超えてて、値段も1100円を超えます。中身は、「竹内洋岳という人間像を描いた部分」と「ある程度登山を経験したことがある人向けの部分」とか混ざっている印象です。
基本的に、専門用語なんかが出てきてもあんまり説明がないし、登山をやったことがない人にはわかりづらい部分もある。8000メートル級の山に登る時に必要な道具の説明なんかされても、ほとんどの人には役に立たないと思うんですよね。とはいえ、そういう専門的な描写があるからこそ、登山をある程度やったことがある人向けになっている部分もある。
その一方で、子どもの頃からの生い立ちを語っている部分や、山の魅力を語っている部分など、「登山未経験者に登山の面白さを」みたいな部分もある。竹内洋岳という人物そのものや、あるいは彼が語る山の描写なんかを読んで、山に興味を持ってくれたら、というような部分もあります。
僕としては、どっちかに絞った方が好かったんじゃないかな、と思いました。正直僕も、飛ばし読みした部分もあります。道具の説明がずっとされているような場所は、ちょっと飛ばしたりしちゃいましたね。個人的には、全体的に、誰に読んでもらいたいのかという部分がはっきりしていないなという印象を持ちました。
その二点がちょっと残念でしたけど、基本的には面白い作品だと思いました。僕個人は、山登りとかほとんどしませんが、こういう、その世界の一級の人の話を読むのは好きだったりします。8000メートル級の山の頂上の感じとか、体験してみたい気もしますけど、さすがに無理でしょうね。
あと、これは純粋な疑問なんだけど、何故タイトルに「初代」とついているのかがよくわからない。本書にはそれに関する説明はまったくなかったと思うんだよなぁ。まあ確かに、「初代」だろうけど、でも「初代」ってつけるからには「二代目」がいることが前提のような気がしちゃうから、よくわからないですね。子どもはいるみたいですけど、登山家になるかどうかはわかりませんしね。
なかなか面白い作品でした。本書を読んで、まったくの初心者が、「よっしゃ、登山しよう!」ってなるかはちょっとわかりませんけど、ある程度登山経験のある人に、ヒマラヤはあんまり遠くはないんだ、と思わせる作品ではるかもしれません。読んでみて下さい。

塩野米松「初代 竹内洋岳に聞く」

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僕は、「考えている人」「ことばで語れる人」が好きだ。
日常の中でも、非日常の中でもいい。ほんの些細なことでも大きなことでもいい。特に意識することもなく、「考えている人」というのはいい。僕は、自分が割とそうだ。普段から、色々と何かを「考えている」。それは、重要な問題かもしれないし、どうでもいいくだらないことかもしれないけど、ふとした瞬間に色んなことを考えてしまう。
それは決して、「考えようと意気込んでいる」わけでは決してない。もちろん、そういう時もあるが、僕が「考えている人が好きだ」という時の「考える」は、そういう意気込みのないものだ。何も意識せずとも、ふと疑問が頭の中に忍び寄る。なんだろう?何故なんだろう?どういうことなんだろう?どうなっているんだろう?そういう疑問に「捕まってしまう」のだ。
堺雅人は、本書を読む限り、まさにそういう人のそうだ。日常の、あるいは非日常の様々な疑問に「捕まってしまう」。そしてそれは、堺雅人という人間の人生に、ゆるりと組み込まれている。「考える自分」も含めて、一つのまとまりなのだ。それが伝わってくるように思える。
また、堺雅人は、自分の頭の中のグルグルとした思考を「ことば」に変換することが出来る人だ。これも、凄く良い。
普通、人間が考えていることに対して、「それに見合うぴったりのことば」が用意されていることは少ない。人間は人それぞれ全然違うし、考えていることも違うし、価値観も違う。「ことば」というのは、そういう人間の差異をそぎ落として、出来るだけみなが同じ意味を描けるように作られたものだ。
だから、ただ普通に「ことば」を並べただけで、自分の内側にあるグルグルを表現できるはずがない。
だからこそ、色々考えて「ことば」をひねり出す。本書の元になっているのは、テレビ雑誌で月1で連載していたものだというが、堺雅人はそのエッセイを書くのに、二週間、遅い時は三週間も時間を掛けるという。「原稿料はもらってるが割に合わない」といいながらも、「すごくたのしい」とも言う堺雅人。それは、普段、自分の内側にあるグルグルを「ことば」にして外に出す機会がないからだろう。俳優という職業は、「決められたセリフを決められたように喋る」ものだ。自分の意志を絡ませることが出来る余地は少ないだろうし、自分の「ことば」が求められる機会も少ないはずだ。仕事以外の場でどういう生活を送っているのか、それは本書からはあまり立ち上がってこないが、しかしブログを書いたり日記を書いたりしているわけではないのだろうと思う。
そういう中で、日々自分が頭の中で考えていることを「ことば」に落としこんでいくというのは、堺雅人にとってとても楽しいことだったのだろう。その気持ちは、とてもよくわかる。「出来るだけみなが同じ意味を描けるように作られたことば」を使って、「今自分の内側にある、この、そこらにあることばでは描き出せない何か」を表現していくのは、とても楽しいことだっただろう。読んでいて、楽しみながら書いているんだろうなぁということが伝わってくるようにも思う。
堺雅人の文章は、とても穏やかで、本人に会ったこともないのに(というか僕は、堺雅人が出ているドラマや映画をたぶん見たことがない)こういうことを言うのはどうかと思うのだけど、本人の人柄が出ているなぁという気がする。

『正直にいえば「おもしろい」かどうか全然わからないのだ。連載中もいまひとつ自信がなかったし、こうして出版される段になってもよくわからない。出版にかかる費用、どのくらい売れれば採算がとれるのかなど、おカネのハナシになるともうだめだ。そこまでのおカネにみあう価値があるのかなんて、かんがえることさえこわい。この件に関するかぎり、どうやら僕はしらんぷりをきめこみたがっている。』

これは、本書の最後に書かれている「あとがきにかえて」の文章だ。どうだろうか。この文章だけ読めば、「ずるい」と感じる人もいるかもしれないけど、全編こんな感じのテンションで紡がれるエッセイを読んでいると、なるほどこういう感じの謙虚で穏やかな人なんだろうなという感じがする。
堺雅人は、俳優という職業柄、様々な環境に馴染むことを求められる。撮影現場であちこちに行きながら、その場その場で求められることをこなしていかなければいけないのだ。堺雅人は、どちらかというとそういうのが得意なのだろうなと思わされる。どこにでもするりと入り込んでいく。でも、やはり自分の日常と地続きではない世界へと常に足を踏み入れていくわけだから、「すんなり」とはいかない。そういう時に感じる「違和感」を、丁寧に丁寧にことばにして文章を書いているように思う。

『ふつう旅にでるときは、宿を手配したり、ガイドブックをひろげたりしているうちに、ココロはすこし目的地に飛んでいたりするものだ。僕の場合、そうした作業はスタッフのかたがすませておいてくれるので、ココロの準備ができないままに出発をむかえることになる。到着してはじめて「みしらぬ土地」だという実感がわいてきてジタバタするのだ。
シャーレにいれられた虫が、環境の変化にビックリして、触覚であちこちコツコツたたいてまわるようなものである。あわてて情報をあつめようとするので、ふだん口にしないヤギのスープなんかを注文してしまう(うまかった)。』

撮影であちこちに行くときの、自分の内側の「うきうき」を分析した文章だ。

『僕自身のことをいえば、十八で上京したときに自分の歴史がそこでプッツリ途切れてしまったような、そんな感覚をもっている。幼馴染やなまったコトバなど、それまでの自分にまとわりついていたものが綺麗さっぱりなくなってしまったかんじなのだ。当時の僕にはそのサッパリ感がここちよかったのだが、身ひとつで海外に移住したような、フワフワした感覚はいまでものこっている。
(中略)
僕のなかには東京コトバでうまくいいあらわせないなにかがあるのだが、僕のさびついた宮崎コトバではもうそれは表現できない』

関西出身の役者の「生活」に関する部分の違いへの驚きから始まった思考を描いた文章だ。

『ところが、幕末や明治にあこがれることはあっても、イラクやアフガンに感情移入することはあまりない。すくなくとも僕はそうだ。きっと彼らのかかえる矛盾や混乱が、あまりにも生々しく感じられるからだろう。僕が“明治”にあこがれるとき、明治人のもつ生々しさを都合よくわすれてしまうものなのかもしれない』

「新しさ」に満ちた明治時代に憧れる一方、現代では当時の矛盾や混乱の生々しさは捉えきれない、という思考を文章にしたものだ。

どの文章も、自分を一歩も二歩も後ろから引き下がって観察して、客観的に自分の思考を掬いだそうとしているようだ。自分のことは自分だってわかりゃしない、という前提に立ちながら、きっと自分はこんな風に考えているんだろうな、というようなスタンスがとても好ましいし、もちろん自分の考えを誰かに押し付けたりするような感じでもないので、読んでいて不安になるようなこともない。あくまでも、「自分の思考」というものを一つの研究対象と見立てて、あらゆる角度から精査しているような佇まいが、とても好ましく映るのである。
物事を見る「視点」だけでなく、文章の「表現」もなかなかに秀逸だと思う。本を日常的に読んでいるという部分もあるだろうけど、やはり普段から、「自分の気持ちにあったことば」を探しているのだろうと思う。無意識の内に。

『二十年ちかくたった今でも「1989年」の春のことをおもいだそうとすると、たかく舞い上がっていたものが落下する直前の、ふわりとした無重力感のような、そんなとりとめのない気持ちになってしまう』

『「そこにいて、なにもしない」
は、
「なにかする」
とおなじぐらい大切なことだ』

『ジョイスやスウィフトといったアイルランドの作家たちが、イギリスの言語で小説をかいたようなものだろうか。損をしているのか得をしているのかは、さっぱりわからないけれど。』

『春のやすみは、夏や冬のようにおなさけでもらっているような(あつくて大変だろうからやすんでおけ、といわれているみたいな)長期休暇とちがって、正真正銘のおやすみ、といったかんじがする。
なにしろむこうの準備がそろうのを待っているのだ。安心してノンビリできる』

『じつをいえば「ホンモノではないかもしれない」という不安はいまでもすこしのこっている。そんなときには、まわりにいる本物の俳優さんや、本物の劇場や、たのしんでくれている本物のお客さんを見て安心するのだ。
「これだけホンモノにかこまれているのだから僕もホンモノなのだろう」と、あくまでも帰納法的に。』

『タイトルに「品格」の文字がはいった本を読んでいても、そこで語られているのは品のほんの一部分だ、というおもいはきえない。なんというか、すでに滅びた国の法律書でもよんでいるような、とりとめにない気分になってしまうのである。』

演技や、俳優という仕事に関する文章も、とても面白い。

『いや、むしろ僕は自分の、
「人間観察のセンスのなさ」
には自信をもっている。現場に入るまえの思考はほとんど無駄、といってもいいくらいだ』

『正直にいうけれど、役のきもちなんてやってみないとわからない。もっと正直にいえば、わからないままやっていることも僕にはある。そのヒトがどんなヒトなのか、そう簡単にわかるわけがないのだ(と僕はおもう)。』

『ある程度キャリアを重ねていけば、別に言わなくてもまわりが俳優だと認めてくれるけれど、ただの大学生が俳優として見てもらうには、「僕は俳優です!」という幻想を、お客さんにも自分にも押し付ける必要があった。』

『もしかすると、俳優としてすごす時間のなかで一番しあわせなのは、出演がきまってから台本がとどくまでの、すこし「てもちぶさた」な時間かもしれない、などとおもうことがある』

『「あの演技よかったよ」といわれておこる役者はあまりいないだろうが、
「え、あの作品にでていたの?」
とビックリされるのも僕は嬉しい。(中略)
以前、六歳の女の子から、
「さかいさんは演技がうまいですね」というお手紙をいただいたことがある。ほめられたのはうれしかったが、演技だということが完全にばれているわけで、なんだか複雑だった』

文章を読んでみて伝わると思うのだけど、堺雅人の文章は漢字が少ない。どれぐらい意図してそうしているのかわからないけど、ひらがなの割合がとても多い文章は、全体的に柔らかさを醸し出すように思う。ことばの一つ一つが優しい気がするのだ。それに、漢字にしてしまうと「はっきりと意味が定着してしまう」感じが出るような気がするのだけど、それをひらがなのままにしておくと、「未分化のままの、これから何かになるかもしれないもの」という印象も受ける。「このことばでは自分の言いたいことは伝わらないのだけど、でもこれしか仕方ない」という、堺雅人なりの「諦め」が、この漢字の少なさに繋がっているのかもしれない、などと勝手なことを思う。
僕は、「俳優・堺雅人」のことはほとんど知りません。演技をしている場面を、恐らくみたことはないでしょう。どんな形であれ、堺雅人に触れるのは、本書が初なのではないかと思います。それでも非常に楽しめます。それは、「俳優・堺雅人」という部分に寄りかかった文章ではなく、「人間・堺雅人」としてことばと格闘した、その歴史の積み重ねだからなのかもしれない、と思います。読んでいると、何故かゆったりとした時間が流れるような錯覚になれる作品でもあります。是非読んでみて下さい。

堺雅人「文・堺雅人」

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内容に入ろうと思います。
本書は、東京医科歯科大学医学部を卒業し、現在東京医科歯科大学で最先端の遺伝子研究に携わっている現役研究者による小説です。
舞台は、奇妙なアジアの独裁国家だ。歴史的に、様々な国に蹂躙され、ようやく独立を果たしたばかりというこの小国に、タナカは好待遇で招かれることになった。
タナカは、外資系のゲノム研究のベンチャー企業に就職、年間20万ドルの棒給を得る、それなりに成功していた人間のはずだった。しかし、株式市場の混乱の煽りを受け、タナカの所属するベンチャー企業は日本支社の閉鎖を余儀なくされ、タナカは次の就職先が決まらぬまま放り出される形になってしまったのだ。
そんなタナカの元にやってきた一人の男。その男の言葉に乗って、ゲノム解析のプレゼンテーションに向かい、そうしてタナカは、奇妙な小国へと流れ着くことになったのだ。
タナカに課せられた使命は一つ。その小国のとあるクライアントと最適な遺伝子を持つ花嫁を、7人の候補者の中から選べ、というのだが…。
というような話です。
全体的に、物足りないような感じのする作品でした。筆力はあると思うし、舞台設定なんかは結構面白いと思うんで、ちょっともったいないなぁって思ってしまいました。
独裁国家に莫大な金を使って、タナカのための研究所が作られ、そこでタナカは7人の美女の遺伝子を調査し、お世継ぎを産むのに最適な遺伝子を選び出す、という設定は、なかなか魅力的だと思うんですね。スタート地点は、とても良いと思いました。これから何がどんな風に展開するのかワクワクさせてくれるし、独裁国家で遺伝子の研究という、チグハグな感じがするのに、現実的にどこかの国で行われててもおかしくないような不思議な設定は、凄くいいと思いました。
とはいえ、その設定があまり巧く活かされている風には思えませんでした。
本書は、タイトルにしても著者の経歴的にも、「遺伝子」の部分でもっと何らかの特徴を出していってほしいなと、読む前から僕はそんな期待をしていたように思います。現役の研究者である著者が、自らの研究フィールドを舞台にしてどんな魅力的な物語を生み出してくれるのだろうか、と。
でも、僕のその期待は、あまり満たされることはありませんでした。基本的に本書は、遺伝子とか遺伝学とかに関しては、とても当たり前のことしか書かれていません。当たり前のことが書かれていて悪い、というわけではないんです。ただ、物語の設定や、タイトルに含まれた「ゲノム」という単語なんかから、やっぱり「遺伝子」的な部分で何かあるはずだろう、と期待してしまうと思うんです。そこがちょっと残念でした。
この物語の不可思議さは基本的に、「遺伝子」ではなく、名も知らぬこの一風変わった独裁国家の有り様に依拠している。タナカが迷い込んだこの国は、そこかしこにおかしな点が散りばめられていて、それはそれで面白いのだけど、そうなるとなんとなく、「ゲノム」の部分が浮いて見える。もちろん、「独裁国家で、きちんとしたお世継ぎを埋める女性を選ぶためにゲノム研究をする」というのは、不自然ではない発想かもしれない。だから、「ゲノム」の部分が浮いているというのは若干語弊があるのかもしれないけど、でも浮いているように思うのだ。それはやはり、この独裁国家の不可思議さが「ゲノム」が霞むほどに際立っているからだと思う。
とはいえ、じゃあその独裁国家の不可思議さを楽しめばいいのかというと、そうでもないような気がするのだよなぁ。独裁国家の不可思議さ単体で取り出してみると、そこまで奇抜でもないのだ。ここが難しい。どうしても僕には、「ゲノム」と「独裁国家」がうまく融合していないように思える。設定としては不自然ではないはずなのに、両者がうまく融け合っていない。そこがちょっともったいないと思ってしまいました。
この著者が一番描きたかったことって、なんなんだろう?独裁国家の悲哀だろうか?あるいは、遺伝子の深遠さだろうか?その辺りも、うまく掴むことが出来なかった。いや、別に「描きたかったこと」がなくちゃダメだなんてことを言いたいわけではないんだけど、やっぱり本書は、どこか焦点がぼやけているような印象がある。もう少し、どこにレンズを向けているのかというのがはっきり伝わるようにしたら、もっと面白い作品になるんじゃないかなぁ、という気がするのだ。
本作中では、「何かの伏線なのかな?」と思わせるような描写がそれなりに出てくる。独裁国家で見かける、日本ではお目にかかれないような非日常だとか、あるいは、かつて大学院で一緒だったエンゾという男の不可思議な過去とか、断片的に、ちょっとした謎とか意味深な設定が出てくる。
ただそれらは正直、あまり回収されることがない。これは、昔本格ミステリを結構読んだ副作用みたいなものかもしれないけど、意味深な描写がただ意味深なだけで終わるのは、あまり気持ちいいものではない。正直エンゾは、もう少し物語に意味のある絡み方をするんだと思っていたし、だからこそところどころで、エンゾの謎めいた描写がされるのだと思っていたのだけど、全然そんなことはなかった。これは、小説というものに何を求めるのかという価値観の違いかもしれないから、一概に本書を悪く言うことは出来ないかもしれないけど、どうもそういう点も気になってしまった。
個人的にこの作家は、書ける人だと思う。他の作品は読んだことはないけど、本書を読んでそう思った。文章の雰囲気はいいし、不可思議な設定を真面目な感じで描くことで生み出されるおとぼけ感(とでも呼べばいいだろうか?)も、結構好きだなと思う。ただいかんせん、本書は、あまりストーリーがよろしくないように思えてしまう。自分のフィールドを出し過ぎない方が、もしかしたらいいのかもしれない。他の作品を読んだわけではないので、適当に書いてますけどね。

瀬川深「ゲノムの国の恋人」

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内容に入ろうと思います。
舞台は、西新宿・十二社の花街にずっと昔から存在していた洋館「鸚鵡楼」。初めは、「料亭」の名を騙った置屋だったが、バブル全盛期に超高級マンションに生まれ変わる。その後も幾度も姿を変えながら、「鸚鵡楼」の名前だけは引き継がれていく。当時飼われていた鸚鵡から取られた名は、長い寿命を誇る鸚鵡そのもののように、ずっと残り続ける。
1962年に発生した鸚鵡楼での殺人事件。鸚鵡楼で日常的に行われていた出来事を覗き見していた少年。1991年に、鸚鵡楼の跡地に建った超高級マンションに住んでいた、人気エッセイストの蜂塚沙保里。自分の息子は犯罪者になるのではないかと怯えながら、華やかな生活を維持するために心を売り渡していく。2006年、世間で「鸚鵡楼の惨劇」と呼ばれている事件をモチーフにした映画が制作されることになる。来歴の分からない謎の主演俳優と、彼が書いた自叙伝…。
というような話です。
なかなか面白い作品だったと思います。
本書の一番の特徴は、映画で言う「カットバック」のような、視点人物・場面の切り替えでしょうか。とにかく、めまぐるしいと言ってもいい程です。そして、この手法は人それぞれ感じ方は様々でしょうが、全体的にスピード感を生み出すことには成功しているのだろうなという感じはします。とにかく、テンポがいいです。視点人物や場面が頻繁に切り替わることで、読みにくさもあったり、ストーリーを追うのについていけなかったりする部分もあるでしょう。本書の場合、この切り替えの頻繁さをどう評価するかで、作品への感じ方が変わってくるような気がします。
ストーリーのメインは、1991年を舞台にした、人気エッセイスト・蜂塚沙保里の物語です。このパートが最も長いでしょう。蜂塚沙保里のパートでは、沙保里の妄想や過去の回想なども頻繁に挿入されることで、より切り替えが頻繁になります。
真梨幸子らしさが一番発揮されるのも、この沙保里のパートかなと思います。沙保里は、たまたま書いたエッセイが当たり、いくつもの連載をこなす人気エッセイストとなっていく。が、それに合わせて自分の生活を変えていったために、それまで趣味程度で書いてきたエッセイで、お金を稼がなくてはならなくなる。
そうして沙保里は、周囲にいる人間を、読者から反感を買わない程度に貶すエッセイを書いて人気を維持しようとしたり、あるいはお金をもらうタイアップ記事に手を染めるようになっていく。そういう、沙保里が余裕をなくしていく過程はなかなか面白い。また、沙保里が書いたエッセイが、結果的に周囲の人間関係をどう引っ掻き回していくのか、それも読みどころの一つだろう。
とにかく沙保里は、自分のことしか考えていない。自分がいかにこの生活を維持出来るのか、自分がいかに周囲から羨望の眼差しを集められるか、そういうことしか。だから、息子の存在も疎ましいのだ。息子の存在は沙保里にとって、足枷の一つになっていく。
息子の存在が疎ましい理由はもう一つある。そしてその理由こそが、「私の息子は、犯罪者になるに違いない」と沙保里に思わせる。過去のしがらみに囚われながら、現実に必死にしがみつこうとする醜さと、それを決して表に出すまいとする見栄にがんじがらめにされた残念な女性の姿は、痛々しくも面白い。
半世紀に渡る「鸚鵡楼」を舞台にしたゴタゴタは、ある男の執念によって一つの解決を見る。その解決自体も、なるほどという感じではあるのだけど、やはり真梨幸子は、人間の愚かさや醜さを書く部分の方が面白いと思う。そういう意味でやはり、沙保里のパートが一番読み応えがあったかな。
それなりに面白く読ませる作品だと思います。

真梨幸子「鸚鵡楼の惨劇」

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内容に入ろうと思います。
本書は、「宇宙と人間の関係性の変化の歴史」を丹念に炙りだした作品でもあり、かつ、「科学とは何か」という真剣な問いを突きつける作品でもあります。「人間原理」という、物理学の内側から出てきたとは思えない「胡散臭い」理論が、どのような変節を経て現在の立ち位置を獲得したのか、を追うのがメインの流れです。
まず皆さんは、「青木薫」という著者をご存知でしょうか?詳しくは知りませんが、僕の知っている限りでは、青木薫の著書というのは、本書が初なのではないかと思います(ちゃんと調べてないので正確には知りません)。ただこの青木薫は、「数学・物理学系の書籍の翻訳者」として、物凄く著名な方です。
本書には、著者略歴が書かれており、その中に、青木薫これまでに訳してきた本の中から一部(しかし、どれもかなり有名だし話題になったもの)が載っています。僕は、1作を除いてすべて読んだことがあるし、読んでない1作もいずれ読みたいと思っている作品です。
いつの頃から僕の中でそういうイメージを持つようになったのかはっきりとは覚えていませんが、僕の中で青木薫は「安心印」です。よく、海外文学を読む際に、訳者で選ぶ、という方がいるでしょう。この訳者が訳しているなら安心だ、というような判断基準を持っている方はいると思います。僕にとって青木薫というのはそういう方で、「青木薫が訳しているなら大丈夫だ」と思える「安心印」です。
例えば、かつて僕は、ジョアオ・マゲイジョという人の「光速より速い光」という作品を読んだことがありました。これは、タイトルを見れば分かる方はわかると思いますが、アインシュタインの「相対性理論」に真っ向から反論する本で、そういう意味で実に胡散臭い。タイトルだけだったら「トンデモ本」だと判断して、僕はきっと読まなかったことでしょう。しかし、訳者が青木薫となっていた。だったら大丈夫だろう、と読んでみました。結果はやはり大当たりで、まあとにかく面白い作品でした。
僕にとっては、青木薫というのはそういう存在です。だからこそ、青木薫の作品が出ると知って、これは絶対に読まねばと思ったのでした。
さて、本書は、やはりなかなかに難しい作品です。僕はこれまでにも宇宙論や物理の本をそれなりには読んできましたけど、とはいえ、スイスイ読めるような作品ではありません。一般向けに無理に易しく噛み砕いて説明しようとせず、ある一定以上の水準を持つ人に向けて書かれている、という印象があります。そもそも、扱っている「人間原理」という題材、あるいは最新の物理学や宇宙論の知見なども、基礎的な部分をさらっているだけとはいえ、やはり高度は話ではあります。そういう意味で、僕自身も、きちんと本書の内容を咀嚼して感想を書くことは出来ないでしょう。間違ったことを書くかもしれませんが、お許しいただけると嬉しいです。
さてまず、「人間原理」とは何なのか、という説明からです。これがまず、なんとも言えず説明しづらい。本書のまえがきにはこんな風に書いてある。

『宇宙がなぜこのような宇宙であるのかを理解するためには、われわれ人間が現に存在しているという事実を考慮に入れなければならない』

これが、人間原理の主張するところです。宗教家の言葉ではありません。物理学者の中に、そう主張している人がいる、という話です。どうでしょうか、理解できるでしょうか?
もっと噛み砕いて、正確ではないかもしれないけどわかりやすいかもしれない表現を僕なりに勝手にするとこうなります。

「宇宙は、人間が生まれるように調整されて出来ている」

これは正直、本書を読むまで僕が抱いていた人間原理に対するイメージでもあります。これは、あながち間違った言い方ではありません。人間原理というものが物理学の世界に登場した際は、まさにこのように受け止められ、批判されたのでした。そして僕は、そこから情報が更新されないまま、今日に至っていたわけです。
実際、ある時期の人間原理は、上記のように解釈され、多くの賛同を得られるような理論ではなかった。しかし現在、人間原理の立ち位置は変化しているという。何故そうなったのか。それをつぶさに追い、人間原理という不可思議な理論を無視できない現在の宇宙論の概況に迫っていきます。
話は大分以前、紀元前7世紀頃に存在した「カルデア人」にまでさかのぼりますが、その辺の話はすっ飛ばします。僕は、天体の動きを精緻に観測し、それまでなかった新しいモデルを提案したコペルニクスから話を始めようと思います。
宇宙と人間という関係で言うと、コペルニクスは「万物の製作者」の存在を想定していました。

『このようにルネサンスの精神をたっぷりと吸い込んでいたコペルニクスは、『天球の回転について』の中で、宇宙は、「最善にしてもっとも規則的な万物の製作者(=神)により、われわれ人間のために創造された」と宣言し、人間のために作られたその宇宙を理解しようとしたのだった』

しかし、ここが非常に面白いのだが、コペルニクスの自らの仕事への評価とは裏腹に、現在のコペルニクスに対する評価はまったく真逆となっている。コペルニクスは、「われわれ人間のために神が作った宇宙を、神が人間に与えた理性を使うことによって理解しようとし、自分はそれに成功したと考えたのである」と思っていたように、人間は特別な存在だと考えていた。しかし現在は、コペルニクスは、「宇宙の中心という地位から地球を(それゆえ人間を)追い出し、地球を惑星のひとつに格下げすることによって、人間中心的な思いあがりを打ち砕いた」と言われるのが普通なのだそうだ。
何故このようなことになったのか、それは是非本書を読んでほしいが、ともかくこの「コペルニクスの原理」と呼ばれる、「人間中心的な思いあがりを打ち砕いた」という考え方が、後々「人間原理」という考え方が出てくるのに一つの役割を果たすのである。
さてそこから著者は、古代から現在まで、「宇宙」というものがどのように捉えられてきたのか、その歴史を追っていくことになる。
古代地中海では、様々な宇宙像が語られたが、その中から著者は、現在とのつながりという意味で3つの宇宙像を取り上げる。様々な違いはあるが、「果てがあるのか否か」と言う点で区別され、宗教的な色味も加味されながら、それぞれが独自の宇宙像を思い描いていた。
やがて、ニュートンやアインシュタインといった巨人が、それまでの宇宙像を打ち壊す新たなパラダイムを引っさげて燦然と輝く理論を打ち立てる。ニュートンは、絶対空間と絶対時間という概念を導入し、その二つは神が作ったものではなく元々あったと考えた。アインシュタインは、有限だか果てはないという概念にたどり着き、定常的な宇宙像を描き出した。
そんな中、物理学者に拒絶反応を起こさせる衝撃的な理論が登場する。それが「ビッグバン理論」である。
こう聞いて、不思議に思う方もいるだろう。現在では、宇宙はビッグバンによって始まり膨張し今も宇宙は大きくなり続けている、というのは、割と常識に近いことではないかと思う。少なくとも、「ビッグバン」によって宇宙が始まった、という話を聞いたことがない人はあまりいないのではないか。
しかし、ビッグバン理論が登場した時には、その理論は恐ろしき忌み嫌われることとなった。何故か。

『宇宙が「誕生した」というからには、宇宙を誕生させた何者かが存在するにちがいなく、その何者かは「神」ということになりそうだった。そんなあからさまに宗教臭い説を、カトリックの司祭だというルメートルが唱えたとあって、ほとんどの物理学者が反発した。アインシュタインもルメートルに面と向かって、「あなたの数学は正しいかもしれないが、あなたの物理学は忌まわしい」と言ったというから、相当なものである。じっさい、その当時は多くの物理学者が、宇宙には始まりがあるというその説を、キリスト教の逆襲だと受け止めたのだった』

ちょっと話の流れを折るが、冒頭で僕は、本書を「「科学とは何か」という真剣な問いを突きつける作品でもあります」と書いた。ちょっとこの話をしようと思う。
本書には、こんな二つの文章がある。

『近代科学は、神という超自然的なものを持ち出さずにこの世界を理解しようと、長い道のりを歩んできたのではなかったのだろうか?かつて人びとは、「宇宙がこうなっているのは、神がこのようにお作りになったからだ」と、何かにつけて神を持ちだして納得するしかなかったが、科学はそういう論法から、一歩一歩脱却してきたのではなかったのだろうか?』

『かくして、カントのいう二つの道は別れた。
ひとつは科学の道である。科学は、人間の尊厳などとは関係なく、われわれの外側に広がる宇宙を明らかにするという目標に向かって突き進む。
そしてもうひとつは、人間の尊厳や価値、人間存在の意味などについて考える、哲学をはじめとする人文学の道である。
少なくとも科学者再度から言わせてもらえば、両者は完全に切り離され、別々の道を進んでいたのだった―二十世紀の半ばになって、「人間原理」という考え方が登場するまでは』

科学者というのは、「なぜそうなっているのか?」という問いを追求する存在だ。その歴史が積み重なり、これまで多くのことが明らかにされてきた。その経験から科学者はみな、「どんなことにも理由を求めることが出来るはずだ」という信念を持っている。
だからこそ、ビッグバン理論が登場した時、科学者はこれほどまでに拒絶反応を示したのだ。「神」という、「なぜ?」と問うことが出来ないものが含まれている理論など、科学として扱うことが出来るはずがない、と。そこから、本書でも描かれているように様々な変遷があり、ビッグバン理論は市民権を得、今では「宇宙論の標準モデル」と呼ばれるまでになっている。
しかし、「人間原理」の登場が、科学者のその信念を揺るがせ始めている。「もしかしたら、たまたまそうなったのだ、という結論を受け入れざるを得ない日が来るのかもしれない」。そんな風に考え始めている科学者も出始めているのだろう。本書はそういう、「科学のあり方」を突き詰める作品でもあるのだ。
さて、話を戻そう。ビッグバン理論が登場した、というところまでだ。著者はそのようにしてこれまで、「人間が宇宙をどのように捉えてきたのか」という歴史を丁寧にたどっていく。
さてその中で、宇宙論の世界に次第に、このような疑問が生まれてくることになる。

『宇宙はなぜこのような宇宙なのか?』

これはアインシュタインも、生涯を掛けて追求した問いだったようだ。この問いを、本書はこんな風に言い直している。

『このアインシュタインの含蓄ある問いかけを、現代物理学の言葉で身も蓋もなく言ってしまえば、次のようになるだろう。
「あれこれの物理定数は、なぜ今のような値になっているのだろうか?」』

詳細は是非本書を読んでほしいが、僕らが生きているこの宇宙には、様々な定数が存在する。どんな風に観測しても変化しない物理量だ(例えば「光速」は、いつどんな環境で観測しても変化しない定数だ)。そして、様々な研究から、いくつかある定数が、どれか一つでも現在と違った値になっていれば、人間が生まれるような宇宙にはなっていなかっただろう、ということが分かってきた。
だからこそ、科学者たちは「宇宙はなぜこのような宇宙なのか?」と問うことになる。定数が、これらの数字になっているのには、どんな理由があるのだろう?どういう理論の裏付けから、このような数字が現れるのだろう?と。
しかし、そういう発想を一変させたのが、「人間原理」と言えよう。
1974年、ブランドン・カーターという物理学者が、科学者が「コペルニクスの原理」を忌避しすぎている現状に危惧し、「人間原理」と呼ばれるようになる理論を提唱することになる。これは要するに、冒頭でも書いたように、恐ろしく噛み砕いて言えば、「人間に都合の良いように定数が調整されているんだ」というような理論である。これに対する科学者の反応は、やはり拒絶であった。

『コペルニクスは、神が与えてくれた理性を使えば、神が人間のために創造してくださったこの宇宙を理解することは可能だと考えていたのだった。しかし今日の科学者にとって、神や目的のようなものを持ち出すことは、説明の放棄にほかならない。カーターの「弱い人間原理」は、宇宙における人間の特権性を云々するというだけでも、多くの科学者にとっては、はなからアウトだったのである』

さて、この「人間原理」が受け入れられるようには、一つの大きなパラダイムシフトが必要だった。それは、「多宇宙ヴィジョン」と呼ばれるものだ。これは名前の通り、「僕らが生きているこの宇宙以外にもたくさんの宇宙が存在する」というものだ。何故この「多宇宙ヴィジョン」が登場することで、「人間原理」が受け入れられるようになるのか。それは、宇宙が膨大に存在するという前提を受け入れることで、「人間が生まれるように調整されて宇宙が作られた」と解釈するのではなく、「無限に存在する宇宙の中で、僕らはたまたま人間が生まれるような設定の宇宙に生まれただけだ」と解釈出来るようになるからである。
この「多宇宙ヴィジョン」は、「宇宙背景放射のゆらぎ観測」や「ビッグバン理論」、あるいは「ひも理論」などからも導かれつつあるものであり、「多宇宙ヴィジョン」は現在、広く科学者の間で認められるようになりつつある。「人間原理」を巡る物語は、現在このような状況に行き着いているのである。
しかし、「多宇宙ヴィジョン」によって「人間原理」の胡散臭さが消えたからと言って、問題がなくなったわけではない。何故なら今、「多宇宙ヴィジョンは科学といえるのか?」という議論が起こっているようだからだ。
「多宇宙ヴィジョン」の最大の欠点は、「僕らが生きているこの宇宙以外の宇宙のことについて、何か観測することが出来るとは思われない」という点だ。少なくとも物理学は、「観測」に重きを置いてこれまで発展してきた。どれだけ精密で見事な理論であろうとも、観測されなければその正しさは証明できない。そういう伝統の中で発展してきた。「原子」の存在にしても、古代からその存在が想定されていたものの、その実在するといえるようになったのは、ようやく二十世紀になってからのことだ。それまでは、「実在するはずだが、観測できていないからわからない」という立ち位置だった。慎重すぎると思われるかもしれない。しかしその慎重さこそが、科学を発展させてきたと言っていいだろう。
しかし、「多宇宙ヴィジョン」は、観測はほぼ期待できない。自分たちの住んでいる宇宙にしたって、わからないことだらけなのに、その「外」(「外」という表現が正しいかどうかわからないけど)にある「他の宇宙」のことなど、まず観測できるはずがないだろう。そんな観測出来ない「多宇宙」というものを土台に据えたものを「科学」と呼ぶことが出来るのだろうか?
と、科学者の間の議論は尽きない。しかし、それでこそ科学だな、という気もする。100年後に今の時代の科学を振り返った時にどう映るか、それはまったく分からない。が、あとがきで著者も書くように、「もしも百年後の人びとが振り返ってみたとすれば、われわれの生きるこの時代を、宇宙像に大きなパラダイムの転換が起こった時期と位置づけるにちがいない」ということになるだろう。今後宇宙像がどのように変化していくのか、楽しみで仕方がない。宇宙は、実に遠い。身近な生活に、まったく関係してこないと言っていいだろう。しかし古代から人びとは、天体や宇宙に魅せられてきた。そして、宇宙と人間の関係も、時代と共に変化してきた。これからも、宇宙像が激しく変転していくかもしれない。その科学者たちの奮闘ぶりを、これからも僕は追って行きたいと思う。是非読んでみて下さい

青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」

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最近「生き方」について考える機会が多い。
っていうか正直、そんなのもっと早くから考えとけよ、って感じではあるだろう。普通の人は、就活の時にでも嫌っていうほど考えるんだろうし、折々の人生の転機や節目で、そういうことについて思いを巡らすに違いない。
でも僕は正直、今までそういうことを考えたことが全然なかった。というか、意識して考えないようにしてきた。
うまく説明できないんだけど、どうしても、今の自分の「生き方」に違和感がある。それは、もっと良い生き方が出来るはずなのに、という方向の違和感ではない。そうではなくてむしろ、どうして必死こいて働かないといけないんだろうなぁ、という方向の違和感だ。いや、別に仕事が嫌いなわけではない。僕は、かなり奇跡的に、面白いしストレスもあまりない仕事をしている。そういう意味では、今の仕事に不満があるわけではない。ただ、「どうしてこんな風に働いているんだろう」と思うことはある。

『ひとは幸福を金であがなおうとする。金があれば幸福になれると信じている。だが金で買えるのは快楽であって、真の幸福ではない。快楽を幸福だとすれば、それを得られないと不幸になる。だから、いまの世の中は不幸な人間だらけだ』

作中である人物が、大学生からホームレスに転落した主人公にそう言う場面がある。
僕は、やりたことも欲しいことも極端に少ない。ほとんどないと言っていいと思う。これがなければ生きていけないというものはないし、何を食べたって不満はないし、こんな風に遊びたいという欲求も特にない。マイホームが欲しいわけでも、海外旅行をしたいわけでも、何か名を残したいわけでもない。本当に、「やりたいこと」なんていうのはほとんどない。ただ、もし自分にそこまで努力しないでも発揮できる能力があるとして、それを誰かのために使うことでその人の役に立つのであれば、まあそれは割といいかもしれない、と思う。でもホント、それぐらいなものだ。
基本的に、やる気も気力もない。自分でも、何やってるんだろうなぁ、というぐらいグデグデした人生なんだけど、グデグデしていることが不満なわけではない。なんというか、そこまで欲求がない人間が、「お金を稼ぐ」ことの虚しさみたいなものを感じているのだろうか。何か目標や欲しいものややりたいことがあるなら、それを実現するためにお金を稼げばいい。ただ僕には、特にそれはない。だったら、もっと違う生き方が模索出来るのではないか、というようなことを考え始めている。
ちょっと前に、福島に行ったことも、一つ大きなきっかけだっただろう。
「人生の豊かさ」ってなんだろう、と考えさせられた。僕は、お金を使わなければ実現できない欲求は、あまり持っていない。だから、生活が成り立ちさえすれば、お金はあまり要らないと言っていい。逆に、福島に行った時には、田植えもさせてもらったし(ずっとやるとなると大変だろうけど)、人との距離も近かったし(まあツアーだったわけで、お客さんだから当然かもしれないけど)、それになんと言っても、会う人会う人がみんな自分の人生に充足感を持っているように見えたのだ(錯覚かもしれないけど)。
福島は、未だに原発の影響で様々に厳しい環境にある。働く場所としても、住む場所としても、辛い現実が横たわっている。その上で、福島に住み続けている人がいる。それは、他に選択肢がなく仕方なくという人もきっと多くいるのだろう。しかし、「自分はここに生きるのだ」という強い意思で住み続けている人も多くいるはずだ。
つい先日、「ナガサレーテ イエタテール」という、津波で流された実家を建て直すコミックエッセイを読んだ。実家を建て直す直接的なきっかけになったのは、祖母の有り様だ。川崎に避難してきた祖母は、みるみる弱っていく。しかし、地元に戻ると人が変わったように元気になる。祖母の中で、そこに戻りたいという意思があまりにも強く、周りの人間が折れた形だ。
その思いの強さはきっと、どれだけお金を出しても手に入らないものだろうと思う。
僕は少しずつ、そういう生き方に気を取られ始めている。お金ではない何かを介すことで成立するコミュニティに目が向いている。もちろん、想像だけならどんな生活でも描ける。きっと、現実は厳しいだろう。そう簡単に行くはずがない。
しかし一方で、少しずつ今、若者が地方へと移住し始めている。そこには様々な要因があって、一つの理由だけで説明できるようなものではないだろうけど、いずれにしても若者たちはきっと、今の社会への違和感を敏感に感じ取って、それに取り込まれないようにと地方へと目を向けるのかもしれない。

『そう。新商品とか流行とかいえば聞こえはいいけど、あらたな不幸を生産してるんだ。幸せになるためには、それを手に入れるしかない。その結果、消費でしか幸せを感じられない人間ばかりになってしまった』

自分もモノを売っているから、「不幸を生産してる」人間の一人だ。実際に、自分の仕事とは関係のない部分でも、「こんなモノが売れちゃう社会って、おかしくないかなぁ」と思うことはある。今の社会は、「必要でない人に必要だと思わせてお金を使わせる」一方で、「必要な人間には必要なものが行き届きにくい」社会だと思う。こういう社会の一員として生きていていいのか。そういう違和感が、少しずつ降り積もっている。
状況はこれからどんどん悪化していくことだろう。今売れているものでもいずれ売れなくなるし、今売れていないものはこれからもっと売れなくなっていくだろう。それは、努力だけで太刀打ち出来るような現実ではないと思ってしまう。モノはサービスは増え続けている(だろう)のに、人口は減り続けるのだ。みんな、そういう現実に目を瞑って全力で駆け抜けるしかない、と思っているのだろう。まあ、その通りだ。この社会の一員として生きていくなら、そうする以外に方法はない。でも、自分がそういう生き方をしたいかと聞かれると、答えに窮する。
その時代を生きている人間には、その時代の特異さは気付けないだろう。高度経済成長期の日本の労働者の勤労時間は恐らく異常だったはずだが、しかしその当時それをおかしいと思っていた人間がどれだけいたか。少なくとも、それが大多数ではなかったからこそ、高度経済成長期という時代が成立したのだろう。今だって、僕のような違和感を抱いている人が大多数ではないからこそ、今という時代が成立しているのだろうと思う。でもいずれどこかで、パラダイムシフトが起こるだろうと思う。一気にとはいかないかもしれないけど、どこかで価値観が転換するきっかけがやってくるだろう。その時、それまで築いてきた足場はすぐに崩れるかもしれない。本書の主人公の修のように、あっさりと足元を掬われるかもしれない。
内容に入ろうと思います。
主人公の修は、漢字で名前が書ければ入学できると噂されるほどの私立大学の三年生。授業はサボリ気味で、自堕落な生活を続けてきた。
夏休み明け、友人から、クラス担任が連絡を取りたがっていると聞かされる。ケータイを変えたばかりで伝えていなかったのだ。どうせ課題の話だろうと避けていたが、ある日ばったり会ってしまう。そして修はそこで、衝撃の事実を聞かされることになるのだ。
学費未納で除籍。
もう学生ではないと告げられ絶句する修。一体何がどうなっているのか分からない。北九州の親は何をしているんだ?実家に電話を掛けても繋がらない。さらに、仕送りが入らず家賃を滞納し即座に追い出され、友人宅に身を寄せる修は、出来るだけ現金を早く手にしたくて日払いのアルバイトを転々とするが、あらゆるトラブルが起こり金は一向に貯まらない。そうこうしている内に修は、底なし沼に嵌るかのようにまったく抜け出せない現実に放り込まれ…。
というような話です。
自分の未来の人生を見せられているようで、なんとも言えない気分になりました(笑)。ここで描かれていることが「リアル」なのかどうかは、経験のない僕には分からないけど、ただ誰しもが修のようになりうると思わされる作品でした。非常に身につまされたし、面白い作品でした。
さっきも書いたけど、本当に修に降りかかった現実は、誰にでも起こりうることだと思う。都会に住んでいればいるほど、セーフティーネットがない。それは、人との繋がりの薄さという自由を求めたが故の代償だ。都会は、人と関わらなくて済む代わりに、困った時に助けになってくれる人もとても少ない。修は、そうなって初めてその状況に気付かされるのだ。
これはきっと、誰しもがそうだろう。人との繋がりの薄さという自由に甘えて、それがどんな代償をもたらすのか理解できていない。だからこそ、そうならなければその現実に気付けない。修もまさにその通りで、そうなってみて初めて、これまで自分が立っていた足場の不安定さに気付かされるのだ。
だからこそ、これは、都会に住むあらゆる人に関わる物語だろう。どれだけ立派な仕事についていようが、どれだけ素晴らしい家に住んでいようが、たぶん関係ない。修と同じ形で転落していくかは別として、都会には様々な罠があるし、一旦そこに捕まったら、這い上がるのは容易ではない。
敷金礼金ゼロ物件についても、本書を読んで初めて詳しく知ることができた。
普通家賃をひと月滞納したぐらいでは部屋を追い出すことはできない。法律でそうなっているようだ。しかし、敷金礼金ゼロ物件は、合法的に法律の穴をくぐり抜けて、すぐに追い出せる仕組みになっているのだ。だから修は、すぐに宿なしになってしまった。これも、知ってさえいればまだどうにかなったかもしれない。巧妙に隠された罠だなぁと思う。
宿を失った修は、一時友人宅に身を寄せるが、ちょっとしたプライドが邪魔をして飛び出すハメになる。そこからの転落っぷりは、目を覆いたくなるぐらいだ。

『いまの社会そのものがいけないんだよ。椅子そのものが足りないのに、努力しろといわれたって、どうにもならない。だから必要以上に自分を責めることはない。責められるべきなのは、こういう世の中を作りだした連中なんだ』

これを負け犬の遠吠えと呼ぶかどうかは同時代では判断できないだろうけど、僕も似たようなことを思う。仕事の数と人の数が釣り合っていない。働きたくても働けない現実がある。それは、つい先日読んだ、「助けてと言えない」というノンフィクションを読んでも思った。「助けてと言えない」は、激増する若者のホームレスの問題にメスを入れたNHKクローズアップ現代のドキュメンタリーを書籍化したもので、まさに本書は「助けてと言えない」を小説に落とし込んだような作品でした。自己責任という言葉に縛られ、他人を頼ることが出来ない。自分をホームレスだと認めることが出来ずに、助けの手を差し伸べられてもその手を掴むことが出来ない。修もまさにそういう人間であり、本書を読んだ若者の多くが、「もし自分がこんな風に転落したら、修みたいになってしまうかも」と思うことだろう。もっと早くに、誰かに助けを求めればよかったかもしれないし、差し伸べてくれた手を掴めばよかったかもしれない。でも、なかなかそれが出来ない。そういう現実の有り様を、うまく描き出しているように思いました。

『まじめにコツコツやれば、なんとかなるって時代じゃないんや。それなのにそう思いこんどる奴が多いから、おれたちが怠け者みたいにいわれる』

目の前の現実が厳しくなかった時代なんて、これまでなかったかもしれない。でもやっぱり、今を生きる僕らは、目の前の現実がこれまでのどの時代よりも厳しく見えてしまう。「普通の人生」というものが崩れ、目指すべきモデルケースが失われ、それでも前に進み続けなければならない時代に生きている僕たち。常に面積の小さくなっていくパイを奪い合いながら、自分が生き抜くために誰かを貶めたり不幸にしたりせざるを得なくなっていく僕たち。僕たちには、輝くような未来もないし、手触りのいい今もない。まずそこに立つしかない。そしてそこから、自分の進むべき道を探し出していく。本書の主人公の姿は、決して他人事ではない。普段はあらゆるものに隠されているだけで、実はすぐそこにぽっかりと空いている落とし穴。どこでどう生きるか。それを強く問われているように感じました。是非読んでみて下さい。

福澤徹三「東京難民」

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『ハリエット・アン・ジェイコブズという無名の著者が、アメリカの古典名作ベストセラー・ランキングで、ディッケンズ、ドストエフスキー、ジェイン・オースティン、マーク・トウェインなどの大作家と、いま熾烈な順位争いを日々繰り広げている、と知ったら、皆さんはどう思われるだろうか』

『現代でも広く読まれている女性作家による女性主人公の名作「ジェイン・エア」(1847年)、「若草物語」(1868年)、「小公女(セーラ)」(1888年)と、本書はほぼ同年代(1861年)の作品である。』

『本書は、本国アメリカでも、出版後一世紀以上、完全に忘れ去られていた。出版社の倒産により、結局は自費出版という形で世に出ることになった本書は、出版当時、関係者がまだ存命だったこと、習いに当時の時代背景から、「リンダ・ブレント」なるジェイコブズのペンネームで執筆された。』

本書は、ある一人の奴隷少女が執筆した、ノンフィクション・ノベルである。晩年に、かつての記憶を掘り起こしながら書いたこと、またリンダ(ジェイコブズ)の手記という形式で書かれているので、その中で悪く書かれた人間の主張を知ることも出来ない。という意味で本書は「ノンフィクション」ではなく、「ノンフィクション・ノベル」だと解説の佐藤優は語る。しかし、だからと言って本書が「ノンフィクションではないわけではない」とも書く。ジェイコブズは、できうる限り、当時の心象風景まで含めて、正確に記述した。ジェイコブズの記述は、その後の研究でほぼ事実だったと証明されている。

『読者よ、わたしが語るこの物語は小説ではないことを、はっきりと言明いたします。わたしの人生に起きた非凡な出来事の中には、信じられないと思われても仕方がないものが存在することは理解しています。それでも、すべての出来事は完全な真実なのです。奴隷制によって引き起こされた悪を、わたしは大げさに書いたわけではありません。むしろ、この描写は事実のほんの断片でしかないのです。』

『わたしは注目を求めて、自分の経験を書いたのではありません。それはむしろ逆で、自分の過去について沈黙していられたならば、そのほうが心情的には楽であったでしょう。また、苦労話に同情してもらう意図もありません。しかし、わたしと同様に、いまだ南部で囚われの身である200万人の女性が置かれている状況について、北部の女性にご認識いただきたいと思います。その女性たちは、今もわたしと同様に苦しみ、ほとんどの者がわたしよりずっと大きな苦しみを背負っているのです』

著者のジェイコブズは、まえがきでそう書く。
「わたしの人生に起きた非凡な出来事の中には、信じられないと思われても仕方がないものが存在することは理解しています」と著者が書くのは、分かるような気がする。ジェイコブズが経験した数々の出来事は、まるでフィクションのように壮絶で、奴隷制度に馴染みのない現代人には想像も及ばない世界と言っていいだろう。奴隷制度が存在した時代でさえ、ジェイコブズの告白はショッキングだったようで、本書が120年間も忘れられていた理由を訳者はこう書く。

『読み書きができないはずの奴隷が書いたとは思えない知的な文章、奴隷所有者による暴力、強姦の横行というショッキングな描写、七年間の屋根裏生活、そして現代日本の読者すらぎょっとする、不埒な医師ノーコム(ドクター・フリント)から逃れるために、15歳の奴隷少女が下した決断―別の白人紳士の子どもを妊娠する―は、当時の読者にはかなりセンセーショナルであり、奴隷制の実情すら知らない、北部の読者の理解を超えていたため、本書は実話ではなく、「実話の体裁と取る作り話(フィクション)」だと受け止められた。』

フィクションだと思われていた作品に光を当てたのは、J・F・イエリンという教授だそうだ。歴史学者である家倫教授は、奴隷解放運動家が遺した古い書簡を呼んでいたとき、その中にたまたまジェイコブズからの手紙が紛れ込んでおり、「著者不詳のフィクション」として本書を読んだことがあった教授は、両者が同じ文体だと見抜いたのだという。そこから研究が進み、本書は、ハリエット・アン・ジェイコブズという実在の女性が書いた実際の出来事だったことが1987年に証明され、そこからアメリカで再評価されることとなった。
壮絶、という言葉では覆い尽くせないほどの現実だ。僕は以前、「ソハの地下水道」という作品を読んだことがある。ドイツ軍の占領下にあったポーランドで、ユダヤ人が地下水道に14ヶ月も隠れて住み生き延びたという実際の出来事を元にした作品だ。その作品も、壮絶という言葉では言い表せないほどの現実だったが、ジェイコブズはもっと凄い。なにせジェイコブズはある時期、追ってから身を隠すために、光の差さない窮屈な屋根裏に7年間も隠れ続けたのだ。7年間!途方も無い年月だ。しかもジェイコブズの苦労は、その7年間だけに留まらない。6歳の時に、自分は奴隷なのだと知ったジェイコブズは、幸運だったほんの一時を除いて、人生の間中ほとんど苦労をし続けたのだ。強姦の強要、そこから逃れるための起死回生と思われた策、子どもたちの自由のために自らを犠牲にする人生、思い通りにいかない日々、追ってから逃げ続ける恐怖。ジェイコブズの人生は、ところどころ訪れる一瞬を除いては、休息とは無縁だった。安寧とも無縁だった。それでもジェイコブズは、挟持を失わなかった。奴隷としてどれだけ蔑まれても、人間としての誇りを見失うことがなかった。そのジェイコブズの強さが、やがてジェイコブズを自由にするための様々な道を開く原動力となったのだろう。

『あなたの心に正しいと思うものは、それが社会的にどうであれ、その代償がどうであれ、青春の最も楽しい時期の7年間、立つスペースもトイレすらない屋根裏に閉じ込められることになったとしても、つらぬく価値があると、奴隷少女のジェイコブズは証明してみせたのである』

訳者は、ジェイコブズの強さをそんな風に語る。そして、現代に「奴隷制度」は存在しないが、社会の歯車として、使い捨てのパーツとして、社会の中でボロボロになっている現代人たちに、ジェイコブズの強さに触れてほしい、と訳者は語る。誇り高き生き方を追い求めよ、と鼓舞する。
ジェイコブズは、奴隷としての生活の辛さや、奴隷制度の残酷さなどを、折々に触れて書き記す。

『だが、家畜として生まれたすべての人間に、いずれ必ず忍び寄る暗い影が、とうとうわたしに近づいてきたのだ』

『もしも、わたしの子どもが、アメリカでいちばん恵まれた奴隷に生まれるのならば、お腹を空かせたアイルランドの貧民に生まれるほうが、1万倍ましに違いない』

『わたしたちは、やっと奴隷制から逃げてきた。ここは、追手のいない、安全な地であろうこともわかっていた。でもこの世界で、わたしたちは孤独だった。愛するひとは、みんな故郷に置いてきた。悪魔のような奴隷制が、ひとの絆を、残酷に断ち切ってしまったのだ』

『ヨーロッパの貧民がいかに虐げられているかという話を、わたしはそれまでさんざん聞かされてきた。わたしがそこで出会った人々の大半が、その中でも最も貧しい人々であった。だが、茅葺きの彼らの家を訪ねてみて感じたことは、最もみすぼらしく、無知な者の状況も、アメリカで最も優遇された奴隷よりははるかに良い、ということだった』

奴隷制というのは、社会の授業で耳にしたことがあると思う。白人が黒人を奴隷として使っていた。本当に、その程度の知識しかない。白人と黒人が同じ店に入っても区別される、というような知識は、恐らく奴隷制度がなくなった後、それでも黒人への差別がなくならない、という時代の話だろう。奴隷制が存在していた時代に、奴隷がどんな風に扱われていたのか、どんな生活をしていたのか、白人がどんな振る舞いをしていたのか。そういうことを考えたこともなければ、漠然と想像してみたこともない。本書を読んで、そのあまりの酷さに、人間が発揮できる残酷さの深さに恐れを抱いた。
一方で、著者はこんな風にも語るのだ。

『わたしが経験し、この目で見たことから、わたしはこう証言できる。奴隷制は、黒人だけではなく、白人にとっても災いなのだ。それは白人の父親を残酷で好色にし、その息子を乱暴でみだらにそ、それは娘を汚染し、妻をみじめにする。黒人に関しては、彼らの極度の苦しみ、人格破壊の深さについて表現するには、わたしの筆の力は弱すぎる。』

訳者も、こんな風に書く。

『本書の登場人物はすべて、現実に存在した私のような普通の人々である。いわゆるアッパーミドルクラス出身の私が、もし当時のアメリカ南部州に生まれていたら、両親も友人も、よろこんで私を「お天気ばかりが続く気候や、鼻をつけた蔦が、家庭の幸せを守ってくれる」(第六章)と信じて奴隷所有者のもとに嫁がせただろう。そして私はすぐにそれに付随する失望に気づき、自尊心の欠如のあまり、奴隷が私をだましているのではないかと猜疑心の虜になり、鍋につばを吐いて回り、嫉妬に狂い、奴隷を鞭打つフリント夫人のようであったかもしれない、と真剣に思う』

これは正直、僕もそう思う。僕らは現代にいて、奴隷制がくだらなく醜悪でとんでもない制度だったという「常識」の中にいるからこそ、圧倒的な正しさをもってドクター・フリントやフリント夫人、あるいは本書に登場する様々な人間を批難することが出来る。しかし、自分がその時代奴隷所有者としてそこに存在していたら、どうなっていただろう?僕には、きちんとした人間らしい振る舞いが出来たかどうか、きちんとした自信は持てない。その時代では、奴隷をどんな風に扱うというのが「常識」だったのだ。それに、人間の良心はあっさりと屈してしまう。だからこそ、本書で登場する、奴隷に対して真摯で誠実な態度を取り続ける白人の存在には、ホッとさせられる。そういう人の存在があったからこそ、ジェイコブズは自由を手に出来たのだし、そしてそれは、とても奇跡的なことである。

『だからと言って、幸せな読者のお嬢さん方、憐れで孤独な奴隷少女を、どうぞあまりきびしく判断しないでください。あなたは子ども時代から、ずっと純血が庇護される環境に育ち、愛をむける対象を自由に選べ、「家庭」というものが法に守られているのですから。もしも奴隷制がとっくに廃止されていたなら、こんなわたしだって好きな男性と結婚できただろう。法に守られた家庭を持っていただろう。そして、これから物語るような、つらい告白をしなければならないこともなかっただろう』

『良識ある読者よ、わたしを憐れみ、許してください!あなたは奴隷がどんなものか、おわかりにならない。法律にも慣習にもまったく守られることがなく、法律はあなたを家財のひとつにおとしめ、他人の意思でのみ動かすのだ。あなたは、罠から逃れるため、憎い暴君の魔の手から逃げるために、苦心しきったことはない。主人の足音におびえ、その声に震えたこともない。わたしは間違ったことをした。そのことをわたし以上に理解しているひとはいない。つらく、恥ずかしい記憶は、死を迎えるその日まで、いつまでもわたしから離れないだろう。けれど、人生に起こった出来事を冷静にふりかえってみると、奴隷の女はほかの女と同じ基準で判断されるべきではないと、やはり思うのだ』

ジェイコブズの絶望が伝わってくる文章だ。ジェイコブズは、人間として誇りを持てる生き方をずっと目指してきた。黒人として奴隷という身分に貶められようが、人間としては正しくありたい、とずっと願ってきた。しかし、人間として生きていく上で当然といってもいいそのささやかな望みさえ、ジェイコブズには叶えることが困難だった。奴隷は人間ではなく、家畜や家財のように扱われていたのだ。奴隷制が、奴隷の人生をどう破壊し、人間としての尊厳をどう踏みにじられたのか。是非本書を読んでほしいと思う。
「奴隷制」といわれると、僕たちには遠い世界の話と思われるかもしれない。しかし日本にも、江戸時代の身分制度を現代まで引きずる「被差別部落」の問題が今も存在している。決して、大昔の別の国の物語ではない。現代にも通ずる、日本にも関わりのある事柄だ。人間は、様々な出来事を通じて、人間の愚かさを学ぶ。僕は歴史を学ぶことはあまり興味がないが、歴史を学ぶことは「人間の愚かさを学ぶこと」ではないかと思っている。過去を知ることで、同じ過ちを繰り返さないようにする。僕たちは今、それなりに「平等」という名の下に生きることが出来ている。しかし、この社会が、いつまで続くかは定かではない。繰り返す。人間は、愚かな生きものだ。僕たちは、まずそれを認識し、常に心のどこかに留めておかなくてはいけない。その愚かさが、新たな不幸を生み出すことがないよう、僕はきちんと知りたいと思った。人間の「愚かさ」の歴史を。

ハリエット・アン・ジェイコブズ「ある奴隷少女に起こった出来事」

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内容に入ろうと思います。
本書は、フリーのイラストレーターであり、最近はマンガ家としても活躍しているニコ・ニコルソン氏の家族に起こった実際の出来事をマンガにした作品です。
ニコ・ニコルソン氏は宮城県亘理郡山元町の出身。3.11の東日本大震災時、母親(本書では「母ル」として登場)と祖母(同じく「婆ル」)が山元町の自宅に住んでおり、二人はそこで被災した。
突然の津波。黒い水に飲み込まれながらも、奇跡の生還。自宅の二階で凍えながら朝を待つ。翌朝、知らない家がご近所に!
そんな九死に一生を得た母ルと婆ル。しかしそこからも苦難の道程を辿ることになるニコ・ニコルソン氏一家。地震・津波だけではない、ダブルパンチ、トリプルパンチのような現実と闘いながらも、彼女たちは無謀にも、かつてと同じ場所に家を建てようとしていた!
婆ルがどうしても、地元に帰りたいという。家もない、町の人口も減っている、原発の不安もある、その他様々な問題があるにも拘わらず、婆ルはどうしても地元に帰りたがる。

『婆ルがあの場所にこだわるのはなぜか
住み慣れた土地から川崎に避難して二ヶ月半
婆ルはずっと元気がなかった
山元町は婆ルが何十年も根付いていた場所
そこの土や水や空気
それがなくなればしおれてしまうのだ
植えかえたとたんに枯れてしまう草花のように』

様々な事情から、あらゆる決断の矢面に立つことになるニコ・ニコルソン氏は、ついに家を建てる決断をする!
というような、ノンフィクションです。
マンガって、やっぱり凄いな、と思った。
前にもまったく同じことを書いた。ひうらさとる氏が発起人となり、複数のマンガ家が東北を取材、現地の「個人の物語」をマンガにしたアンソロジー「ストーリー311」を読んだ時も、同じふうに思った。
マンガって、やっぱり凄いな、と。
僕は、震災や原発の本を、それなりに読んできた。基本的には、すべて「文字だけ」の本だ。それらは、事実を正確に伝え、起こったことを記録するのには適したメディアかもしれない。
あるいは、僕はあまり見なかったが、震災や原発を扱ったテレビ番組やドキュメンタリーも数多く放送されたことだろう。映像も、事実を正確に伝え、起こったことを記録するのには文字以上に最適かもしれない。
しかし、どちらのメディアにしても、絶対にマンガに敵わない部分がある。
それは、マンガは、「圧倒的なシリアスさを、“面白く描く”ことが出来る」という点だ。
ストーリー311」の中で僕がもっとも好きだった話は、うめ氏の描いたマンガだ。震災を描きつつ、完璧にエンターテイメントとして昇華されている作品で、それを読んで僕は衝撃を受けた。震災や原発を、こんな風に表現することが出来るんだ、と思った。
本書も同じだ。著者のニコ・ニコルソン氏(とその家族)が体験した出来事は、もしかしたら著者が初めの方で書くように、「いたってフツーの家族」のことなのかもしれない。被災地では、ニコ・ニコルソン氏の体験は、そこまで珍しいものではないのかもしれないし、もっと辛い現実と立ち向かっている人もきっと多くいるのだろう。
しかし、被災地から遠く、既に大分前からすっかりと日常を取り戻してしまった土地に住んでいる僕らのような人間には、ニコ・ニコルソン氏の体験はとても「フツー」といえるようなものではないだろう。ここでは書かないが、ニコ・ニコルソン氏に振りかかるのは、震災や原発だけではないのだ。まさかこんなタイミングで、こんなにたくさんのことが重なってやってこなくても、と言いたくなるほどの現実の中にいる。
そういう現実を走り抜けた著者。正直、自分の経験を面白おかしくマンガに出来るような心境ではなかっただろう。逃げたいと思ったことだって、何度もあったはずだ。
しかしニコ・ニコルソン氏は、このマンガを描いた。そして出来上がった作品は、シリアスな現実をアクロバティックに“笑い”に変える、凄まじい作品だった。
それは、「マンガ」というメディアが無意識の内に要請する強制力のようなものなのかもしれないと思う。他の多くのメディアは、大きくなりすぎた故に細分化され、映像であれば「報道」という枠組みが、文字であれば「ノンフィクション」という枠組みが用意される。そして、映像を選択するにせよ、文字を選択するにせよ、震災や原発を扱うと決めた時点で、それらは「報道」「ノンフィクション」という枠組みの中に自動的に放り込まれ、その枠からなかなか逃れることは難しい。
しかしマンガは、ここまで大きなメディアになりつつ、未だに「娯楽」というカテゴリーを手放していない。マンガは、それ全体で大きく「娯楽」という枠組みで括られ、その内側はそこまで細かく細分化されていないと僕は思う。
だからこそ、「マンガで書く」ということは、「ある程度の娯楽性を持たせる」ことを要請されるのではないかと思う。それが、「マンガ」という、日本人が育ててきた独特な表現方法の、非常に特殊な部分なのではないかと勝手に思っている。
だから本書は、誤解を恐れずに言うと、とてつもなく面白い。震災や原発を扱った作品に対して「面白い」という評価を与えることに、なんとなく抵抗感がある。あるのだが、しかしこの作品は「面白い」としか言いようがない。「面白い」のは当然、ニコ・ニコルソン氏らの「経験」ではない。「経験」は、恐ろしく、辛く、果てしないものだ。しかしその経験の「表現」が実に面白い。これこそがマンガの力だと僕は思う。「絵」という表現方法だから描き出せる、というのではない。「絵」で描き出せるのであれば、リアルな「映像」の方がより描き出せるという理屈になるはずだ。そうではない。「絵」だからではなく、「マンガという文化」そのものが、この「面白さ」を担保しているのだ。
もちろん、「マンガ特有の文化が担保する面白さ」を、文章で表現できるわけもない。だから本書が「どう面白いのか」をここで書くことは不可能だ。読んでもらうしかない。しかし本当に、よくもここまで面白いマンガに仕立て上げられたものだと思う。しかもそれは、現実の辛さを隠すことで生み出されるものではない。現実の辛さは、ふんだんに表現されている。しかし面白いのだ。
読んでいて、しみじみとさせられる場面がある。その多くが、母ルがポツリと呟く場面だ。

『私はさぁ…どうにかできると思ってたよ』

『なんだかどんどん、不幸な人扱いされてる気分になってきてさ~
毎日毎日ただ生きてるだけなんだけどなぁ』

母ルの素直な呟きには、胸を打たれることが多い。現実的に、母ルが一番苦労を背負い、現実と向き合っていかなくてはいけなくなる。現在も、未来も。そういう中で、母ルは出来る限り前を向こうとする。けれども、周囲を取り巻く状況の変化や、自分自身の心境の変化から、母ルは時々ガス抜きをするようにポツリと呟く。
母ルの言葉で一番印象深かったのは、これだろうか。

『神はいないので神棚はいりません』

この言葉の重さを、しみじみと感じた。
本書では、小さなエピソードも散りばめられていて面白い。東京で揺れを感じた時、ニコ・ニコルソン氏が落ち着きを取り戻したアホくさい一言とか、震災直後であっても大工が作業をしていた現実、あるいは実家とまったく連絡が取れないでいた時にニコ・ニコルソン氏が後悔したことなど、その時々の情景や感情をそうした小さなエピソードを通じて表現しているのがとてもうまいと思いました。
34ページには、実家の片付けをしに実家に戻った際に撮った写真も掲載されている。

『めちゃくちゃになった家。
実際、目にしてもどこか夢みたいな感覚で現実感がなかった。』

とニコ・ニコルソン氏は書くが、本当にそうだろう。
またコラムと称して、様々な知識も描かれていく。津波に耐えた食材の話、真面目な自衛隊員の話、被害判定がなんと目視で行われたことや、被災地の乱開発を防ぐために設けられた建築制限についてなど、役に立たない話や(笑)、知らなかった話など、様々な知識が得られて面白いと思いました。
「フツーの家族の話」と言いながら、その実壮絶な現実と立ち向かうことになった一人の漫画家の物語です。マンガという特殊な表現方法に担保されて、この作品は、震災や原発を扱いながら、物凄く面白い作品に仕上がっています。ハードなノンフィクションはちょっと…という方にもオススメできます。被害に遭っていない人間には、とても「フツー」とは思えない現実。しかし、程度の差はあるだろうけど、この現実を「フツー」と言い切るしかない実情。馬鹿馬鹿しく彩られた作品の向こうから、そんな現実が透けて見えるようにも思います。是非読んでみて下さい。

ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール」

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どんな分野にも、「聖杯」と呼ばれるものが存在するだろう。
数学の世界であれば、今なら恐らく「リーマン予想」だろう。難易度・知名度・そして証明された場合の数学界への影響度など、どれをとっても一級の「リーマン予想」はまさに数学者にとっての聖杯である。
物理学だと、「統一理論」だろうか。宇宙に存在する4つの力をすべて統合できるはずだという希望のもと、物理学者は「統一理論」という聖杯を目掛けて、あらゆる方面から突進していく。
ダイオウイカというのは、欧米人にとっては「聖杯」のようなものらしい。

『彼らにとってダイオウイカとは、たとえるなら聖杯伝説にも似た特別なもののようだ。現実として存在すると期待されながらも、伝説の生きものとして、大きな憧れと畏怖の念をかき立てられる存在であることを、岩崎は実感した』

これは、2004年、ダイオウイカの静止画の画像を撮った際に一層露わになった。

『「日本の窪寺がついにやりとげた!」
窪寺を称賛する数々の文字が躍った。
欧米の新聞社やテレビ局が窪寺からインタビューを取ろうと、こぞって国立科学博物館に電話をかけてきていた。フランス、イギリス、ドイツ、アメリカ…各国から記者が押し寄せてきた。はじめは新聞、テレビ、その後に雑誌という具合に、少しずつ時期をずらしながら1ヶ月あまりメディア取材に対応せざるを得なかった。
その騒ぎを見て、小山と河野は驚きを隠せなかった。
「静止画でこれほどの騒ぎになるのか」』

日本人にはあまり、ダイオウイカが「聖杯」というイメージがない。大昔から航海に長けてきた欧米人たちは、先祖代々海上で目撃したダイオウイカの伝説を受け継いできたのかもしれない。本書では、欧米人にとっての「ダイオウイカ」は、日本人にとっての「龍」のようなものかもしれない、と書いている。しかし、龍は実在しないが、ダイオウイカは実在する。

『これが、人類が初めて深海の生きたダイオウイカと対面した瞬間だ。
ダイオウイカが現れた時間は、わずか23分。誰も成し得なかったことを、やりとげてしまった23分間。この物語は、その23分間のために10年の歳月と情熱を捧げた人々を追ったものだ』

僕は、NHKスペシャルのダイオウイカの特集を見れなかった。見たいと思っていたのだけど、予定が合わなかった。ウチには録画機能がない。後日知人から、ダイオウイカの特集を録画したDVDをもらったのだが、何故か再生できず、未だに見ていない。だから僕は、ダイオウイカについてほとんど知らないまま本書を読んだ。
僕は漠然と、このプロジェクトはこういうものなんじゃないかと思っていた。どこかの国立科学博物館がダイオウイカの大規模な調査に乗り出すことにした。そこで、NHKに声を掛け、どうですか?撮影しませんか?と誘ったのではないか、と。つまり、元々の主導権はどこかの研究所や博物館が持っているものだとばかりずっと思っていた。
本書を読んで、その認識が誤りだったことを知る。なんとこのプロジェクトは、NHKが企画したものだったのだ。
10年!その途方も無い長さに驚かされるばかりだ。民間放送ではないとはいえ、ここまでの長期のプロジェクトはNHKといえどもそうはないだろう。そもそも、ダイオウイカの企画は、非常にリスキーなものだ。

『企画を採択する側から見ると、ダイオウイカという題材はリスクにあふれていた。欧米のテレビ局がこぞって狙っているというのに、撮影できていない。つまり、撮影できる可能性は限りなくゼロに近く、そこにかかる労力はただならぬものがあることが予想される。
幻の、文字通りとらようのないイカであること。この点は、自然番組を長年つくっている人々なら、みな知っていた。
さらに致命的だったのは、日本のなかでのダイオウイカの知名度の低さだった。欧米では、誰もがロマンをかきたてられる伝説の怪物だが、日本ではその魅力が伝わらず、リスクを冒してまで撮影しようという雰囲気ではなかったのだ』

企画がまだきちんと動き出す前、今から10年ほど前の状況そうだったのだ。そしてその環境は、深海プロジェクトがダイオウイカを実際に撮影するその時まで継続してそうだったはずだ。
何度かの危機を既に経ていたこのプロジェクトのプロデューサーである岩崎は、大胆な行動に出た。日本で企画が採用されないならと、世界の放送局を巻き込んだプロジェクトにすることを思いつく。そして実際に、ディスカバリーとの共同制作で進められることになったのだ。
しかしそうなっても、このプロジェクトは山ほどの暗礁に乗り上げ続ける。

『じつは2009年9月の時点で、岩崎は、上層部から引き返す地点をつくろうという話をもちかけられていた。それは、2009~10年で、ダイオウイカが全く撮影できなければ、企画そのものを白紙に戻すというものだった。何に一番費用がかかるかといえば、やはり潜水艇なのだ。その前に引き返すことができれば、痛手とはいえ、致命傷を避けることができる。』

『そして、2010年の春、岩崎は一つの決断をする。全く成果の出ないプロジェクトに危機感を抱いて、部長職を辞し、プロデューサーとして現場に戻る決意を固めたのだ』

『未曾有の震災の後も、番組を継続するのか。本当にできるのか。大震災、原発事故と震災の余波は収まることはない。優先されるべきは緊急報道だ。予定されていた番組編成は大幅に変更になり、緊急性の低いものは延期、休止されていった。』

『月日を重ねるごとに、小山と河野は追い込まれていった。3年という長期のプロジェクト期間をもらって撮影できなければ、2人のNHKでの立場は微妙になるかもしれない。深海以上の暗黒世界が、2人の背後に口を開けて待ち構えていた。焦燥感の募る、厳しい労働。それがイカ工船だ。』

それら山ほどの苦難を乗り越えて、岩崎・小山・河野という、このプロジェクトに当初から関わっていたNHKの三人は、ついにダイオウイカという聖杯を掴み取る。

『岩崎も、小山も、河野も口を揃えて言う。
世界で初めてのダイオウイカの撮影という偉業を成し得た理由は…奇跡だった、と。それは、仲間たちに支えられ、諦めずに挑戦し続けたからこそ成し得た奇跡だった、とも』

『このプロジェクトに参加したのは、ほんの少しの夢と情熱を持ち続けた普通の人々だ。地道に研究を重ねてきた科学者、休むことなく撮影に挑んできたカメラマン、苦労をいとわなかったディレクター、現場に戻り陣頭指揮を取ることを選んだプロデューサー…。
成功など、全く約束されていない。日々孤独感に苛まれ、苦しむことはわかっていても、誰も挑戦を辞めなかった。』

NHKスペシャル放映後、こんな反応があったという。

『ダイオウイカの映像が放送された後、「世界で初めてダイオウイカを撮影して何の意味があるのですか?」と誰かがテレビで話していた。その通りかもしれない。でも、10年の物語は―変わらぬ夢を持ち続け、逆境を跳ね返し、時にはばかばかしいほど熱くなる物語―そこに意味があるということを、きっと教えてくれる』

意味なんて、なくたっていいのだ。意味のあることだけ追い求めていたら、未だにロケットは飛んでいないし、未だにテレビは開発されていなかっただろう。同時代の判断基準だけであらゆる物事は判断されるとしたら、これほどつまらないことはない。このダイオウイカの撮影は、今は無意味かもしれない。未来永劫無意味な可能性だってゼロではないかもしれない。ただ、遠い将来恐ろしい価値を持つかもしれないし、何よりも、このプロジェクトに感銘を受けた人間が、海洋生物学者を目指すかもしれない。それでいい。それでいいと、僕は思う。
ダイオウイカ撮影に至るまでには、様々な発見と決断とブレイクスルーが存在した。漁師の協力の元、ダイオウイカが集まりやすい季節を判定すること、イカの視界を想像し赤色方向の光で撮影をすること、光量が少ない環境でも撮影可能なカメラをNHKが開発したこと、撮影クルーの反対を押し切ってカメラをもう一台設置する決断をしたこと。これらすべてが絶妙に絡まりあい、奇跡の23分間が生み出された。努力だけでは奇跡は起こせない。しかし、努力し続けなくては絶対に奇跡は起きない。そんなことを思わされた。
プロジェクトそのものに関わらない細部や脱線も色々と面白かったんだけど、個人的に、なるほどさすがテレビマン、と感じたエピソードがあるので、それを紹介して終わろうと思う。
ディレクターの小山は、ひたすら小笠原で、船酔いに耐えながら撮影を続けていた。縦縄と呼ばれる、深海まで届く非常に長い縄の先にカメラを備え付ける方法だ。陸に上がってから小山は、撮影したテープを回し続けるのだが、画面はひたすら黒いばかり、眠気を誘うものでしかなかった、という話が出てくる。
その時小山は、毎回必ず自分の後ろにカメラをセットし、映像チェックをしている自分を映し続けたという。何故か?それは、ダイオウイカが写ったテープに行き着いた時の自分の反応を、カメラで撮り漏らさないためだ、という。さすがテレビマン、という感じでした。
ダイオウイカを撮影できるかできないかは、本当に紙一重の差だったでしょう。正直、「こんだけ頑張ってるんだから、しゃーないな」という神様の粋な計らいだったのかも、と思うほど(別に神様を信じているわけではないんですけど)。日本の放送局が世界に発信する大快挙。その舞台裏を、是非堪能してみてください。

NHKスペシャル深海プロジェクト取材班+坂元志歩「ドキュメント 深海の超巨大イカを追え!」

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内容に入ろうと思います。
本書は、二人の女性の物語が交互に描かれるスタイルで展開されていく。
【手のひらの一輪】と題された方は、死んじゃった女の子が主人公だ。千穂は死後、横浜の観覧車のあるBOXの地縛霊となった。確かにここは、千穂の思い出の場所ではある。でも、どうして?千穂は、一日中乗り込んでくる様々な人間を観察しながら、時折孤独に苛まれる。とはいえ、生前からあまり人と関わっていなかった千穂には、そこまで辛い環境ではない。
千穂が注目している人が二人いる。『オッチャン』と『かぐや姫』である。何故かこの二人は、必ず千穂がいるBOXに必ず座る。
『オッチャン』は、驚異の能力を持つ占い師だ。一日一人だけ、しかも観覧車の中だけでしか見ないという特殊なやり方で商売を続けるオッチャンは、未来を見通せているとしか思えない凄腕だ。どう考えても予知しようのない事柄を言い当てては、様々な人々を様々な場所へと誘っていく。実に不思議な人物である。
『かぐや姫』もまた変わっている。1周15分の時間制限付きでお見合いをしているようなのだ。しかも毎回、男はこっぴどく振られる。かぐや姫はもの凄く攻撃的で、男を憎んでいるとしか思えないほどだ。なんのために日々観覧車に乗り込んではお見合いめいたことをしているのかはさっぱり分からないが、とにかく強烈なキャラクターである。
千穂は、いずれ銀杏がこの観覧車にやってくるはずだと願って、日々を過ごしている。そのためだけに、ここにお張り付いていると言ってもいいかもしれない。
さて、もう一方の主人公は、ちゃんとまだ生きている。【井の中のスイマー】と題されるパートで、中学時代、千穂と仲良くしていた、フリーターの銀杏だ。
ある日のこと。部屋中の下着がなくなり、下着ドロか!と思った瞬間に、元カレの顔が浮かぶ。叡智。「エッチ」と呼んでいた。ちょっと前まで一緒に住んでいたが、追い出した。そろそろ同居人を見つけるか、引っ越すかしなくては。
そんな折、母親から、千穂が亡くなったという連絡を受ける。中学時代の同窓会と化した通夜の場から、柴崎と一緒に抜け出した。成り行きで柴崎の家で飲み直すことになった銀杏は、そこで柴崎に恋に落ちるのだが…。
というような話です。
ホント、白河三兎はいい作品書くよなぁ、と思う。広く受け入れられる作家かどうかというと、それは正直分からないのだけど、僕は白河三兎が凄く好きだ。
白河三兎は、社会からあぶれている人間を描くのが、もの凄く巧い。
白河三兎の作品に出てくる登場人物は(なんていいながら、本書と「私を知らないで」ぐらいしか読んだことはないんだけど)、とにかく周囲と巧く交われない人間ばかりだ。環境がそうさせる場合もあれば、信念がそうさせる場合もあるのだけど、とにかく皆、「普通」じゃない。そして僕は、とにかく「普通じゃない」人間が大好きなのだ。
「普通じゃない」人間を描くのは、実は難しいと思う。そこに、リアルな実感を持たせることが難しいと思うのだ。いくらでも、奇抜なキャラクターを設定することは出来るだろう。しかし、それが「実在感」を持つかどうかはまた別だ。
白河三兎の作品は、奇抜なんだけど、皆実在感がある。これがとても凄い。よくもこれだけタイプの違う変人を描き分けられるものだと感心する。しかも、変人ばかりでよくもまあ物語を紡ぎ出せるものだと感心する。本書は、構成の妙や、先がどうなるかまったくわからないストーリー展開の妙など、面白い点は様々にあるのだけど、やはり白河三兎が描く変人の描写に、僕はどうしても一番惹かれてしまう。
中でも、柴崎には驚かされた。柴崎の価値観には、僕はとても共感できるのだ。たぶん、柴崎には、共感できないという人が多いのではないだろうか?(わからないけど) こんな男、いたら最悪だ。でも、そんな最悪な男に、僕は実に共感できてしまうのだ。
柴崎はある人物に、「あなたは人を信用していないのね」と言われ、こう答える。

『自分の目の前にいる人のことは信用している。でもそれって自分の独りよがりで信用してるってことだよね。だったら、向こうが僕の信用に応えなくても、悪いのは勝手に信用した僕だ』

メッチャわかる!そうなんだよなぁ。これを聞いた相手は、「それは信用していないことと同じよ」と反論する。まあそうかもしれない。世間一般の価値観からすればそうなるのかもしれないけど、でもそういうつもりじゃないんだよなぁ、と僕は言いたい。こいつになら本当に裏切られてもまあいいか、と思える人間を信用している、ということなのだ。そう思っている以上、実際に裏切られても、相手を責める気にはならない。そうなんだよ、柴崎!
またある人物は柴崎をこう責める。

『やっぱりあなたは自分のことも信用していないのね?』

そう。僕は、自分のことを一番信用していない。柴崎も、そうだろう。というか、自分のことを信用するっていうことの意味が、僕にはよくわからない。自分が間違っている可能性については常に考えているし、自分の行動や発言こそ、一番怪しいと思っている。というか、そう思っている方が楽なのだ。自分を信用するより、自分を疑う方が遥かに楽だ。少なくとも、僕にとっては。
そして柴崎は、続けてこんな風に言われるのだ。

『あなたは誰よりも弱い。宿命的に打たれ弱い。だからあなたは常に打たれないことを心がけている』

そう!まさに僕はそうだ。僕はメチャクチャ弱い。だから、打たれたくない。自分と正面から向き合いたくない。逃げている方が楽なのだ。ボクシングだって、自分のパンチが当たらなくたって、相手のパンチを喰らいさえしなければ、少なくとも負けはしない。そう、僕はそういう戦略を取った。柴崎の気持ちが、凄くよく分かる。
またある人物は、柴崎のことをこんな風に評する。

『確かに柴崎は薄情で自分勝手な男だ。自分や他人の幸せより、自分の心が淀まないことに重きを置いている哀れな男だ』

正直、これほどまでに僕の行動原理の核心を衝く文章に、これまで出会ったことがなかったと思う。そう、そうなのだよ。僕は、出来るだけ自分が「正しく」ありたい。そのために、周りを不幸にすることになっても。僕は、あまり嘘を吐きたくないと思っている。それは、嘘を吐くことが悪いとか、誰かに迷惑を掛けると思っているわけではなく、自分の「正しさ」が淀んでしまうのが嫌なのだ。だから僕は、なるべく嘘を吐かない。嘘を吐かずに済むような生き方を出来るだけ選択している。嘘を吐かなくてはいけない状況に陥った時点で、僕はどこかで失敗していると言っていいだろう。
正直、柴崎と僕とのドンピシャっぷりには驚かされた。もちろん、違う部分も多いだろう。というか、柴崎の良い点はあんまり似てない。似てるのは、柴崎の悪い点ばっかりだ。白河三兎は、柴崎のような男と現実で関わったことがあるんだろうか?こういう男は(僕も含めて)表面上にはあまりこういう部分を出さないから、そういう男とたとえ関わりがあったとしても、かなり深く関わっていないとそういう部分までは見えないだろう。僕は白河三兎を女性作家だと思っているのだけど、少なくとも柴崎のような人間の価値観は、女性の内側から想像で生み出せるようなものじゃないと思うんだよなぁ。まあとにかく、柴崎の描写には驚かされました。
また、柴崎とは違うある人物は(なんとなく名前は伏せます)、こんな風に自己分析する。

『俺の中には何もないんだ。空っぽだ。みんなは「自分らしく生きろ」って簡単に言う。でも俺にはその「自分」がない。「自分らしさ」ってなんなんだ?』

これも僕の感覚と凄く近い。そう、僕には、『自分』がない。僕は、やりたいことも、食べたいものも、将来の展望も、とにかくそういうものがない。自分の内側からそういうものが湧きでてこない。なんでもいい。どうでもいい。僕はよくそういう言葉を使ってしまうのだけど、本心なのだ。僕には、世界の広い範囲に渡って、特に自分の意見がない。自分の意見があるのは、極々狭い領域のことだけであって、それ以外のことについては、正直どうでもいい。その意見がある領域についても、「意見がある」程度のことであって、正直そこまでこだわりはない。割と色んなものを捨て去ることが出来る。
昔はそのことについて悩んでいたこともあったと思う。将来の夢を聞かれたり、希望の大学を聞かれたり、そういう自分の意志を問われる機会が増えるにつれて、自分には特に意志も意見もないということに気付かされていった。周囲の人間は、錯覚かもしれないけど、意志も意見も持っているように見えた。僕にはそれが羨ましく思えたものだった。
一方で、銀杏のこんな発言に共感したりもするのだ。

『負けず嫌いってわけじゃないよ。ただね、どうしても引きたくない種類のことがあたしの中にはあるのよ。それはあたしだけの絶対的なルールで、それを破ったらあたしがあたしではなくなっちゃうのよ』

「こだわり」はほとんどないくせに、領域的には極々狭い範囲の「こだわり」に、自分ルールを尊守したくなってしまうことがある。数学の知識がある方には伝わると思うのだけど、まるでデルタ関数みたいなものだ。ある箇所だけポーンと数値が跳ね上がる。そのポイントだけはどうしても自分を曲げられないのだけど、でもそれ以外の部分についてはどうでもいい。そういう極端な価値判断を日々しているように思う。
そんな人間だからこそ、銀杏がかつてテレビを見ながらガーナチョコレートを買ったというエピソードも、なんとなく理解できるような気がする。詳細は書かないけど、それはかなり奇矯な行動なのだ。でも、なんとなく分かる。なんとなく、銀杏がそうせざるを得なかった理由が、分かるような気がするのだ。
「どうしてそんなに人に優しくできるんですか?」と問われたある人物は、こう返答する。

『人の心はガラス細工のように脆いものなの。稀に防弾ガラスみたいにタフな人もいるけれど、大抵はソフトに扱わなくてはならないの。もし壊れたら、自分の手を傷つけることにもなるでしょう?だから自分が怪我しないことを第一に考えて慎重に優しく扱えばいいのよ。そうすれば自分も他人も傷付けないで済む』

僕は、割と「優しい」と言われることがある人間だと思うんだけど、自分ではそういう実感はない。まさにこの人物のように、「自分の手を傷付けない」ことだけを考えて行動しているだけだ。僕自身は、自分のことしか考えていない人間だと思っている。でも、そういう風に見られることは少ない。そう見られないように振舞っている、ということもあるのだけど。
とにかく、本書に出てくるあらゆる人物が「普通」から外れていて、そして部分部分でもの凄く共感できる部分がある。今回の感想では、そういう変人的な部分にしか触れていないのだけど、僕がとにかくそういう部分に惹かれてしまうのだから仕方ない。二つのパートがどんな風に折り重なっていくのかという構成も巧いし、正直大した内容なわけじゃない物語をここまで読ませる小説に仕立て上げている力量なんかも見事だと思います。相変わらず、いい作品書きますなぁ、白河三兎。これからも注目していきたいと思います。

白河三兎「君のために今は回る」

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僕も、全然いい子じゃなかった。
周りからはきっと、いい子に見えていたと思う。そう見えるように意識していたから。学校でも、家でも。どんな場所でも僕は、優等生だった。
でも、それは、嘘だった。

『自分がほんとはいい子なんかじゃないことを、わたしは知っていた。
いい子のふりをしていただけ』

何であの頃僕は怖がっていたんだろう。山本弥生は、自分が捨て子だったから、もう二度と捨てられたくないと思ったから、いい子のフリをしていた。

『そんなこと知っていた。一度だけ、ほんとの気持ちを言ってみただけだった。
その一度きりで、自分がいい子じゃなければ、受け入れてもらえないことを知った。
だからこわかった。
わたしがほんとはいい子じゃないとわかっても、おとうさんとおかあさんは、わたしを捨てないでいてくれるんだろうか。
いい子じゃなくても、わたしのことを捨てない?』

僕は、何を怖がっていたんだろう。
今の僕には、昔の僕が不思議に思える。今の僕は、周りからの評価を、ほとんど気にしなくなった。自分がどう見られようとも、特にどうとも思わなくなった。嫌われていようと、好かれていようと、別にそのままの自分でいられるようになった。
子どもの頃の僕は、何を恐れていたんだろう。
初めにちょっとだけ背伸びしたことが、すべての始まりだったのかもしれない。「いい子」と言われることが、誇らしく思えるような時期があったのかもしれない。

『准看だけど、しっかりしてる。
准看だけど、仕事ができる。
わたしを形容する言葉はいつも同じ。
弥生ちゃんは捨て子だけど、いい子ね。
弥生ちゃんは捨て子だけど、優しいね。
こどものころは、いつもそう言われていた。』

そこから外れることが怖かったのかもしれない。いつの間にか僕は、「いい子」という枠に押し込まれていた。そして、そこから出るのが怖くなった。

『ひとは慣れたことをすることに長けていく。
明日も明後日も同じことが続くと信じている。』

そうやって僕は徐々に、「いい子」の枠からはみ出せなくなっていった。

『結局、ひとなんてみんな同じ。
自分のことしか考えていない。』

僕は、誰かのことを考えるフリをして、自分のことを考えるのがうまかった。誰かのためと言いながら、自分のことに引き寄せるのがうまかった。もしかしたらそんなこと、あっさり見ぬかれていたかもしれないけど。
弥生も、同じだ。

『わたしは口にしなかっただけ。みんながささやく以上に、冷ややかに神田さんを見ていたのに。
わたしのどこを探したって、そんな優しい気持ちなんかない。』

自分のことしか見ていなかった。自分のことだけで、精一杯だった。自分のことを一番見ているのが自分だった。もう一人の自分の視線が、他のどの人の視線よりも怖かった。もう一人の自分に、うまく言い訳するので精一杯だった。もう一人の自分の視線をはねのけて、自分はちゃんとしていると思い込みたくて必死だった。誰かのことを考えている余裕なんて、どこにもなかった。それは、今でもあまり変わっていないかもしれない。

山本弥生。三月に生まれたから弥生なんじゃない。三月に捨てられたから弥生。本当の両親も、本当の名前も、本当の誕生日も、わたしにはない。それは、どんなに望んでも手に入らないものだった。
ずっと施設で育った。ずっといい子と言われて育った。それは嘘だったけど、でも、いい子でいるしかなかった。二度と捨てられないためには、いい子でいるしかなかった。
働きながら勉強し、准看の資格を取った。以来、ずっと同じ病院で働いている。権力を笠に来て改めようとしない医師、腰掛け程度の気持ちでしかない同僚の看護師、「看護師さんは泣かないのね」と言葉を突き刺してくる患者。
でもいい。わたしはここで生きていく。誰にも、捨て子だって知られたくない。誰にも、掛け算が出来ないって知られたくない。今は、ここにしか居場所がない。だからわたしは、ここで生きていく。
人と人はわかり合えない。生まれてきた背景も、生きてきた環境も、全然違う。違う生き物だと思った方がいいかもしれない。わかり合えなくて、当然だ。
でも、同じカタチをしているから、勘違いする。同じ言葉を話しているから、期待したくなる。わかってくれるかもしれないと思いたがる。
信じたくなる。
その“信じたい”という気持ちが鎖となって、自身を苦しめる。その鎖は、自分自身の希望の現れだ。信じたいという気持ちの強さが、鎖となる。その希望が、体に巻き付いていく。身動きが取れなくなっていく。そうやって、“信じたい”という気持ちが、心を縛り付けていく。

『愛されたい。
その思いが伝わらない。』

弥生にはそういう生き方しか出来なかった。それは仕方ない。誰だって生まれてくる境遇を選ぶことは出来ない。
弥生の不幸は、その生き方を肯定してくれる人に出会えなかったことかもしれない。まったくいなかったわけではない。施設には、弥生の気持ちをわかってくれる人もいた。でも、ほとんどそういう人に出会えなかった。みんな弥生のことを「いい子」というフィルターを通してしかみなかった。そういう生き方を選ばざるを得なかった弥生の境遇については、考えることはしなかった。
でも、それも仕方ないことなのかもしれない。弥生も、言っている。『結局、ひとなんてみんな同じ。自分のことしか考えていない』 みんな、自分のことで精一杯なのだ。「いい子」というレッテルが貼られている弥生について、思い巡らす余裕はなかったのかもしれない。それも、仕方ないことなのかもしれない。
本書には、菊池さんという初老の男性が登場する。物語は中盤以降、この菊池さんと弥生のやり取りを軸に進んでいくことになる。

『わたしはこの年まで、まだ病院の厄介になったことがないんだよ。きみたちの商売に貢献できなくて、わるいねぇ。』

初めて会った時弥生はそう言われた。菊池さんは、弥生とは正反対の人だった。自分の生きざまに自信が持てず、常に自分のことばかりしか見て来なかった弥生。対称的に菊池さんは、自分以外の誰かのことばかり考え続けて生きてきた人だった。
菊池さんに出会い、話をすることで、弥生は、それまでの人生で体中にびっしりとつっくけてきた氷が、少しずつ溶かされていくようだった。これまで誰にも、きちんと肯定してもらえなかった弥生。だからこそ、今日に至るまでずっと「いい子」という枠から出られないでいた弥生。その彼女が、菊池さんの人柄に触れ、言葉を聞き、「菊池さんに嘘はつきたくない」と思うことで、少しずつ変わっていく。「無償の愛」という言葉があるが、菊池さんは「無償の肯定」が出来る人だ。陳腐な表現だけど、まるで陽の光のように、燦々と降り注ぐ。誰の元にも、平等に。
そんな菊池さんは、もう一つ別の、誰の元にも平等に降り注ぐものに喩えて、弥生の不安を溶かしていく。

『きっと見なくていいものというものもあるんだよ。津軽の雪みたいにね。津軽の雪はすべての上に降る。平等にね。りんごの木にも、くずれかけた茅葺きの家にも、うちのとうちゃんとかあちゃんの眠る墓にも』

『みんな覆って隠したほうがいいことだってあるんだよ。見えないものは見なくていいんだよ。』

菊池さんのあり方は、素敵だ。とてもじゃないけど、こんな風には生きていけないと思う。僕は、弥生と同じだ。菊池さんに嘘をつきたくなくて、話題を用意してから病室に入る。そんな弥生と、僕は同じだ。
弥生の勤めている病院の看護師長が変わることになる。新しくやってきた藤堂師長も、弥生の生き様に影響を与えていくことになる。

『自覚してほしいの。看護師の仕事はなに?医師にしかできないことがあるとすれば、看護師にしかできないことがある。わたしたちはそれをするためにここにいる。わたしたちはここにいて、わたしたちにしかできない仕事をしなければいけないの。ここで、わたしたちにしかできないことを、一緒にやっていきましょう』

藤堂師長の印象は、なんて大きな人なんだろう、ということだった。それは、優しいとも、冷たいとも違う。怖いとも親切とも違う。とにかく「大きい」としか表現のしようのない存在感。
藤堂師長は、その小さな小さな体に、とんでもない大きさを秘めている。正しいものが何か、きちんと見失っていない。全力を尽くす場面がどこなのか、履き違えていない。そして、それを押し通すことで発生する周囲との軋轢に億しない強靭さがある。男女問わず誰もが、藤堂師長のようにありたいと願うのではないか。これほど嫌味なく、「正しいこと」が出来る人はいないかもしれない。「正しいこと」に飛び込む勇気を持つことが出来る人は、いないかもしれない。

『本当の自分はこうじゃないと思っていませんか?本当の自分はこうじゃないんです、と、よくひとは言います。じゃあ、どういう自分になりたいのか。本当の自分はどこかに転がっていたりはしません。なりたい自分の仮面をかぶらないと、永遠に本当の自分はこうじゃないと思いつづけるだけになります。』

藤堂師長が言うからこそ、この言葉はさらに重みを持つ。いつでも微笑み、正しさに向かって全力で走り続けるその姿は、仮面をかぶり続けたからこそ生み出されたものだ。弥生は、その事実に、救われたかもしれない。本当の自分を誰かに肯定してもらうことではなく、仮面を被った自分を誰かに肯定してもらえること。それだけで、凛とした生き方が出来る。そう、藤堂師長に教わったはずだから。
著者は、人間や情景をワンシーンで切り取るのが実にうまい。

『施設にはこういうものはない。花を飾ったり、絵を飾ったり、そういう実質的でないものは置かれていない。必要のあるものだけでまわりは埋められる。すべてのものには帰るところがあり、使っているとき以外は、すべてのものがしまわれている。
白い花瓶を見上げて、わたしはうれしくなった。この家で、この花瓶のように、大事にしてもらえると思った。冷たい水も入れられず、切られて腐って枯れていく花をおしこまれることもない』

『わたしは、これまで何万回言ったかわからない言葉を、上着を持って、診療室を出ていく患者さんの背中に投げかけた。
言った回数の分だけ、薄まった言葉。これまで、すべてのひとに、均等に、平等に分け与えてきたから』

鋭い一閃で、描写をブワンと切り取る。その切り取り方が素敵だと思う。武道の型や、将棋の定石にはないようなスタイルで、その一瞬を切り取っていく。それが、言葉を費やさずに、人物を、情景を、鮮やかに色付けていく。
カメラを切り替えるようにして短い断片・文章をつなぎ合わせていくスタイルも、作品の雰囲気をもり立てる。サスペンスのようなスリリングな物語なわけではないのだけど、カットバックのような切り替えの早い手法で物語を描くことで、作品に緊張感が生み出されていく。それはまるで、これまでずっと緊張感から解放されないまま生きてきた、弥生の生き様そのもののようだ。口から出ないたくさんの言葉が、口から出る直前で引き返し、一つところに降り積もっていく。
「きみはいい子」と同じ町で繰り広げられる日常。見えないどこかで、暴力が、悲鳴が、哀しみが折り重なっていく。誰かの目に留まるのは、ほんの一部でしかない。こちらの物語からは、「きみはいい子」で描かれた神田くんの姿がちらりと見えるだけだ。同じ町の出来事でも、ほんの欠片しか見ることが出来ない。考えすぎかもしれないけど、この二つの作品は、そんなことも訴えかけているようにも思う。
そんな風にしか生きることが出来なかった一人の女性の、心の奥底に降り積もり続けた言えない言葉。それが、偶然の出会いによって溶かされていく。じわりと染みこんでくる鋭い言葉と、緊張感を生み出す描写が、弥生という一人の女性の輪郭を鮮やかに立ち上げていく作品です。是非読んでみてください。

中脇初枝「わたしをみつけて」

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内容に入ろうと思います。
本書は、ビートたけしの雑誌連載の構成を長きに渡って務め、雑誌記者やライターとして生計を立てている著者の体験記です。電話で時々連絡を取るだけの関係だった母の元をある日訪れると、実家がゴミ屋敷のようになっていた。認知症を患い始めているのに自覚症状のない母親との熾烈な日々を描くノンフィクション。
介護の問題というのは、正直、難しいのですよね。今の僕には、全然イメージが出来ない。それは、年齢的なこともあるのだけど、「さすがに俺がどうこうしなきゃいけないってこともなかろう」という楽観があったりします。
僕は長男ですが、長男らしくなく兄弟の中ではダメ野郎でして、むしろ既に結婚し子供もいて、実家の近くに住んでいる弟の方がしっかりちゃんと生きています。僕は実家に帰ることはほとんどないぐらい不孝行息子なわけで、なんとなく、まあ弟がどうにかしてくれるっしょ、というダメ人間さ全開の甘えもあって、なかなか自分の問題として捉えにくいなぁ、という部分があったりします。
まず、そういう自分の意識的な部分があって、どうしても読みながら、切実さを感じ取れない、という部分がありました。
恐らく本書を執筆した著者が、本書を通じて最も訴えたい危機が、まさにその点でしょう。著者自身も、まさか自分がこれほど介護問題で苦労させられるとは思ってもみなかった、というスタンスで終始文章を書き続けます。まあ、自分は大丈夫なんじゃないか、という楽観が、確実に著者の内側にあったことでしょう。だからこそ、本書を書いて、覚悟や準備をしておくべきだぞ、ということを訴えたいのだろうと思います。なのだけど、まさにそういう風に感じなければいけない不孝行息子の僕には、その問題をリアルに自分の問題として捉えることが出来ないのですよね。
現実的に、親が要介護状態になるまでに、「親の介護」を覚悟出来る人は、そう多くはないだろうと思います。普段から一緒に生活をしていればまた別でしょうが、核家族や独居老人が増えているこの世の中、離れて暮らしていることをいいことにその部分に目を向けないで生きていくことが出来てしまう。
また著者は、実際に母親の現実を目のあたりにしても、その事実をなかなか受け入れることが出来ません。

『目の前の現状を見れば逼迫していることは一目瞭然なのだが、息子夫婦の手前、虚勢を張り体面を作ろうことに必死になる健気な母親を見ていると、こちらもどこか認知症の親を認めたくない気持が起きて、大げさにはしたくない思いも出てくる』

その一方で、長いこと直接会うのを避け、電話での近況報告だけにしていた著者は、長く会っていなかった母親の激変ぶりにたじろぎ、こんな風に表現もしています。

『母親はもはや、人間を通りすぎて、地の果ての見知らぬ生き物となってしまっているようだった。老いることの現実を目の前に突きつけられた感じになった。便りがないのは無事という言葉がうそに聞こえてくる』

著者にとっても青天の霹靂、これまで対処したことがない認知症という現実を前に、右往左往するばかり。本書ではそんな、著者自身の迷いや葛藤なども描かれていきます。

『ただ、この初期症状の認知症患者の扱いづらい点は、まだらのボケ症状が出ていても、当人に認知症の自覚や病識がないため、自分を認知症と認めようとしないところに家族としてもやりづらいところがあった』

著者とその奥さんは、母親のこんな部分に非常に振り回されることになる。とにかく著者の母親は、これまで病気一つしたことがなく、大の医者嫌い。しかも見栄っ張りで、自分のことを悪く見られないように平気でウソをつく。そんな母親を、ただ病院に連れて行く。それだけで著者らは、3年の月日を掛けることになったのだ。

『母親を病院に連れて行き、医者に診せることだけが私たちの唯一の使命のように感じていた三年間だった。ようやくここまでたどり着いたという感慨が二人にはあった。疲労感と充足感を同時に味わった』

介護の問題は、家族毎に様々だろう。本書で描かれているのは、ほんの一例に過ぎない。とはいえ、事前に覚悟も準備も持たずにいると、そして親とのコミュニケーションをサボりがちでいると、これほどまでに大変な状況に振り回されるのだ、ということが伝わってくる作品だ。
著者は、かなり正直に、母親との関係を、介護への面倒くささを、状況への苛立ちを文章にしていく。

『妻のユリは姑の介護を覚悟しているようだったが、私としては母親がくることで仕事中心の生活を乱されるのはゴメンで、母との同居には積極的になれなかった』

『「もうやめた。きょうは介護保険のことや、おふくろの金のことや、いろいろ話したいことがあったけど、ぜんぶやめにして俺は帰るわ。もう口出ししないから、おふくろはおふくろで勝手に独りで暮らしたらいいよ。俺はもうやってらんないから」』

『少なくとも私には母の存在は負担で、仕事に集中できるか不安だった。民間のヘルパーを頼んでもいいが、いますぐに手配できるわけもない』

一方で、老人の孤独死や介護に対して、こんな考えも持っている。

『介護を拒絶する母親に苦慮するたびに、ゴミ屋敷にいる母も私たち家族との関係を絶ちたがっているのではないかと思うときがある。心の底ではあのまま一人で死にたがっているのではないかと。
生まれ持った頑固な気性と気丈な意志をもって、覚悟の上で生活の放棄なのだし、母は「死出の旅への準備」をはじめているのだと考えようとした』

やはり息子として完全に突き放すのは難しく、かといってこれまでのコミュニケーション不足が祟って会えば喧嘩ばかりということにもなる。著者が特殊だということはないだろう。恐らくどんな家族であっても、ちょっとしたスレ違いときっかけで、本書で描かれているような状況に陥ってしまう可能性を持つのではないかと思う。僕は、ダメ人間なので、どうしても介護の問題を自分ごととして捉えられないのだけど、多くの人が逃れられない現実だという意味で、こういう作品は読んでおいてもいいのかもしれない。
ただ、個人的には、もっと掘り下げられたのではないか、という思うもある。具体的にどこをどうとは言えないのだけど、もっと「母親と息子」という部分に焦点を当てて掘り下げて書くことが出来たのではないか。本書は、現実の介護制度や役所での対応、老人ホームの選び方や介護保険の申請など、具体的で実用的な内容も含まれるのだけど、個人的にはもっと、「情報」以上に、「親子の関係」に焦点を絞った内容だったらよかったな、という感じがしました。震災の記述や、著者の息子の話にページを割くのではなくて、もっと深く描き出すべき部分があったのではないか、という印象はありました。
介護をどうしても自分の問題として捉えられないという事実が、本書を読んでも切実になりきれない理由だろうなと思います。とはいえ、まだまだ先の話だからと言って内もしないでいいわけでもないのだろうな、という感じはしました。難しい問題だなぁと、他人事のようにぼんやりと感じました。

井上雅義「介護はしないぞ 私と母の1000日戦争」

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『1993年の「ノーバヤガゼータ」の創刊以来、17年の間に、2人の記者が殺害され、同じく記者1人が不審死を遂げ、契約記者2人、さらに顧問弁護士までが殺されてしまった。歴史の浅い小規模のメディアで起きたこれだけの犠牲は、世界的に店も例がないだろう。
「理想に燃えてこの新聞を世に送り出した時、私たちは、こんな悲劇が繰り返し起こることなど想像すらできなかった」。創刊時からの記者、ゾーヤ・ヨロショクは嘆息する。』

この作品は、ロシアの独立系の新聞社「ノーバヤガゼータ」についてのノンフィクションである。今引用したように、この小さな新聞社は、創刊以来17年間で、6人もの仲間を失った。そして、その死には、確証こそないものの、情況証拠が、政治中枢トップの関与を疑わせる。
ロシアは、エリツィン大統領の登場によって、民主主義の道を歩み始めた。『多くの日本人は、「これで民主主義ロシアが誕生する」と思ったのではないだろうか』と、解説の池上彰氏も書く。しかし残念ながらそうはならなかった。
以前から、報道規制はあった。しかし、プーチン大統領の時代になり、その苛烈さは増した。現在ロシアでは、テレビメディアは壊滅、活字メディアも一部を除いてほぼ政府発表をそのまま流すだけの存在になっている。

『現在のロシアは建前上は、西側先進国と同様、民主主義国である。憲法は、思想と言論の自由、そしてメディアの報道の自由を保障し、検閲を禁止している。それにもかかわらず、今のロシアには報道の自由はほとんどない』

『冒頭に記した通り、彼の本職はあくまでテレビジャーナリストである。だが、彼が最も得意とする、犯罪を通してロシア社会の病巣をえぐり出す報道は、今のテレビ界ではほとんどできなくなっているのだ』

『現在では、政権に批判的なメディアは、新聞では同紙(「ノーバヤガゼータ」のこと)、雑誌では「ザ・ニュー・タイムス」、ラジオでは「エホ・モスクブイ」ぐらいになってしまった。その中で本格的な調査報道を行なっているメディアは、事実上「ノーバヤガゼータ」だけである』

こんな信じがたいデータがある。

『「グラスノスチ(情報公開)擁護財団」のアレクセイ・シモノフ所長によると、プーチンが大統領に就任した2000年から09年までに、120人のジャーナリストが不慮の死を遂げている。
「このうち約70%、つまり84人が殺害されたとみられるが、自身のジャーナリスト活動が原因で殺されたと推測できるのは、さらにそのうちの48人だ。48人の殺害のほとんどは嘱託殺人とおもわれるが、首謀者、実行犯ともに逮捕された例は数えるほどしかない」』

しかし一方で、ジャーナリストの暗殺というのはごく一部の世界での話でもあると言う。

『いや、ロシアの大部分のジャーナリストたちにとって、暗殺なんて別世界の話だ。なぜなら、政権にサービスするジャーナリストがほとんどだから。彼らには、高い報酬と安楽で快適な寝床が約束されている。それ以外の、権力批判を恐れない我々のようなほんの一握りの少数派だけが命を狙われているのだ』

本書を読んで、ロシアの現状に衝撃を受けた。もちろん日本にだって、国を挙げて報道規制が敷かれていたような時代もあっただろうし、世界中どこであっても、報道の自由が保証されているわけではないことも知っている。以前、ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する」という作品を読んだ。アラブ諸国の現実を自国オランダに伝えることの困難さを、そしてメディアというものがいかに作られ、現実をねじ曲げていくのかを描いた作品だ。この作品にも衝撃を受けたが、しかしまさか、ジャーナリストが白昼堂々殺され、しかもほとんど捜査らしき捜査もなされないなどという国があるとは思ってもみなかった。
そんな、いつ命を狙われてもおかしくはない仕事に、使命感を持って従事する記者たちの生き様は、ありきたりだが「凄い」としか言いようがない。記者には女性も多いのだが、彼ら彼女らは、市民の現状を出来るだけ伝えたいと願い、純粋に真実を追い求めたいと願い、それを人生の生きがいと考えている。

『その彼女が、ほとんど何気ない調子で、微笑みさえ浮かべながらこう言うのである。
「もし私が殺されても、「ノーバヤ」の同僚たちがそのあとを引き継ぐでしょう」
ロシアという国で、あらゆる圧力に屈せず、あくまでジャーナリストの良心を貫こうとすれば、これほどの勇気と覚悟を迫られるのだろうか』

『車内ではいろいろな衝突もありますが(苦笑)、「ノーバヤ」は私の命の糧であり生きる支えです。大げさかもしれませんが、「ノーバヤ」がなくなったら生きて行けないと思うほどの存在です』

『「ノーバヤ」の仲間たちは一人一人がヒーローです。その一員として働けることに私は大きな誇りを感じています』

『この新聞で働けることが言葉で言い表せないくらいうれしい。朝、起きた時に気分がすぐれなくても、今日も「ノーバヤ」に行って仕事ができるのだと思うとわくわくして、気分の悪さなど吹っ飛んでしまう』

ロシアで、政権に逆らわず、政権のPRをするジャーナリストでいれば、給料も将来も保障される。一方、「ノーバヤガゼータ」のような政権批判をする新聞でジャーナリストとして活動しても、給料は遅配されるし、そもそも給料もよくはない。当然のことではあるが、「ノーバヤガゼータ」の経営は常に火の車である。ロシアでは、言論統制が激しく行われているため、国民ももはやメディアには期待していない。そういう中で、これほどの使命感を持って政権批判を行うことが出来る人達がいる。その事実に、心を打たれるものがある。

『「ノーバヤガゼータ」の今後には、これまで以上の困難が待ち受けているかもしれない。しかし、この小さな新聞が閉鎖に追い込まれる日が来るとしたら、それは、ロシアが今、かろうじで灯っている言論の自由の火が消える時である』

「ノーバヤガゼータ」は、大手新聞の方針変更に反対した記者50名が立ち上げた。

『「ノーバヤガゼータ」の創刊は1993年4月である。
日本でいえば、朝日や読売などになぞらえられるロシアの大手紙「コムソモーリスカヤプラウダ」の記者50人余りが、同紙のタブロイド化に反対して社を去り、今までにない新しい理想的な新聞を作るという意気込みで、その名も「ノーバヤガゼータ(新しい新聞)」をスタートさせた。』

凄いのは、古巣を飛び出した全員が記者だったために、新聞経営のなんたるかを誰も知らなかったということだ。

『ともかくも創刊号は刷りあがった。ところが、真新しい新聞の束を前にしてみなは考え込んでしまった。これをどうやって打ったらいいのかだれいもわからなかったのだ。嘘のような本当の話である。』

『先ほども言ったように、私たちは、すばらしい内容の新聞を出せば、読者は自分からそれを買うために行列を作るだろうと、ほとんど空想小説のようなことを考えていた。だから、宣伝もしなかったのです。(中略)あとになってようやく、良い新聞を作ることも重要だが、むしろそれを読者に届けることの方がよっぽど大変なんだということを知ったのです』

ともかく同紙は、今もどうにか経営を続けている。国内では発行部数がそれほど多くはなく、影響力のあるメディアだとあまり見られていないようだが(それにしては記者が殺されすぎているのだが)、特にアメリカでは評価が高いようで、アメリカからの広告出稿があったりと、どうにか経営を続けることが出来ているという。
本書では、そうした「ノーバヤガゼータ」の新聞社としての挟持や経営、あるいは記者が殺されているという異様な事態など、「ノーバヤガゼータ」全体に関することも取り上げられるが、一方で、「ノーバヤガゼータ」がこれまで取り上げてきた事件についての詳細も詳しく描かれていく。チェチェン戦争やベスラン学校占拠事件など、その実情が国外はおろか国内にさえきちんと情報が伝わらない、政府が情報をひた隠しにするような重大事件の裏側を、執念というべき取材によって明らかにしていく。常に市民の側に寄り添い、市民の声を拾い、社会に問題提起をし続ける「ノーバヤガゼータ」。これほど気骨のある新聞が、遠いロシアの地にあり、今も奮闘しているのだということを知れただけでも価値があったし、ロシアという国の暗部を掘り下げていく内容は、ノンフィクションとしての醍醐味に溢れている。
池上彰は、ジャーナリストが殺されるなどというのは一握りの少数派にしか関わらない話だという作中の一文を抜き出して、こう続ける。

『これは、多かれ少なかれ、日本を含む世界のジャーナリズムの世界にも当てはまる話だ。当局の用意した場で、当局のサービスを受けながら、「取材」をしている気になっている記者は、どこの世界にも大勢いる。その点では、私も自己批判を免れないだろう。
でも、どんなに不利な状況になっても仕事を諦めない記者たちが世界にいる事実を知ることは、日本の同業者たちにも励みになるだろう』

そう、これは決して、遠い国だけの問題ではない。状況に差はあれど、どの国のマスコミも憂慮すべき問題だ。日本のマスコミはどうか。そして、マスコミの情報を受け取る僕ら一般人は、どうあるべきだろうか。

福田ますみ「暗殺国家ロシア 消されたジャーナリストを追う」

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内容に入ろうと思います。
本書は、戦略コンサルタントとして活躍し、と同時にクイズマニアでもあるらしい著者が、ビジネスの世界で実際にあった様々な出来事をクイズ仕立てにし、クイズを解くことで戦略思考トレーニングをしていこう、という趣旨の作品です。問題は全部で51問用意され、合間合間に著者によるコラムやまとめが挿入される、という構成になっています。
なかなか面白い作品でした。
僕は、「色んな実例を知りたい」と思って読むことにしたのでした。だから、それぞれの問題についてちゃんと考えずに、問題を見てすぐ答えを見るような読み方をしてもよかっただろうと思うんですけど、なんだかんだクイズとか頭を使うことは好きだったりするので、一問一問それなりに考えを巡らせてみました。
結果としては、ほぼ正解を当てたと言っていいのが大体1/4ぐらい、正解ではないんだけど、自分の判定的にはまあまあ悪くない線まで考えられたんじゃないかっていうのが1/3ぐらい、まったく歯が立たなかったのが残り、という感じでしょうか。自分としては、まあまあ悪くないかなという認識だったりします。
問題は、「非常識になる訓練」や「アメリカ企業の設け方」などいくつかのジャンルに分かれています。また、それぞれの問題にヒントがついているので、まず問題だけ見て考えて、それからヒントを見て考えて、ということが出来るようになっています。
問題は、うーん、と思うようなものから、なるほど!と思わされるものまで様々で、どの問題も良かったとは言いがたいのですけど、時々本当に、「これは凄い!」と思うようなものがあって、目が覚めるような思いがしました。ヒントを見ながらだとはいえ、時々そういう問題の答えを自力で解けたりすると、なんか凄くテンションが上がりました。
問題は、大体こんな感じです(答えは書きません)

【少子高齢化の日本では、いまや子育てする世帯よりもペットを育てている世帯の方が増加しています。実際2010年の国勢調査では12歳以下の子どもの人口は1450万人でしたが、ペットの数は年々増加していて同じ年に飼われている犬猫の数は2150万匹だったといいます。この世相を反映してスーパーでもベビー用品の棚が縮小する一方で、ペット用品売場の面積は年々広がっています。ところがペットフード会社の社長に聞くと「ドッグフードはここ数年、売上が下がって困っている」と言うのです。いったいなぜそんなことが起きているのでしょうか?】

これは、全然分からなかったですね。答えを見れば、なるほど!となる問題です。

【今では自動車の標準装備になっているエアバッグ。登場した当初は製造にとてもコストがかかる装備で高級車にしか搭載されていませんでした。エアバッグに必要な技術は①ふだんは絶対に作動しないこと、②あるきっかけで急速に膨張することのふたつです。自動車とは関係のないあるものを作っていたメーカーがこの条件を見て「わが社ならエアバッグをずっと安く作れる」ことを発見して自動車会社に売り込んだためエアバッグは大衆車にも普及するようになったのですが、このことに気づいたのは何を作っているメーカーだったのでしょうか?】

これは、僕が考えた答えはかなり惜しかったです。若干違ったんだけど、でも結構いい線の答えを導けたと思います。

【グルメのガイド本として有名なミシュランガイド。本場フランスのミシュランガイドを見ると南仏方面に三ツ星レストランが多いことが知られています。なぜ南フランスには評価の高いレストランが多いのでしょうか?】

これは、ヒントを見ながらですけど、自力で正解を導けたのですよね。しかもこれは、「なるほど!!!」と思うような答えで、正直びっくりしました。なるほどなぁ、ミシュランガイドって、そんなことを考えて作られてたのかぁ、と感心しました。

【スーパーの価格は298円とか399円というような価格設定になっています。値札が300円だと顧客はそのまま300円だと思うけれど、298円だと顧客は200円と勘違いして買っていくからだと一般的には言われています。実はこのような価格設定が広がったのは19世紀の終わりのアメリカで、最初の導入の理由はそれとは違う理由でした。この時代、小売店にはレジが導入され始めた時代だったのですが、アメリカで2ドル99セントといった価格設定が広がった最初の理由は何だったのでしょうか?】

これは正直、僕が想定してた答えと全然違いました。これは、正直あんまり「なるほど」と思えなかったのですけど、まあやはり時代背景が違うからでしょうなぁ。特に日本人には、この答えを想像出来る人は、多くないかもしれません(わからないけど)

こんな感じの問題がたくさん載っています。戦略思考トレーニングというと難しそうだけど、中身は本当にクイズみたいな感じなんで、手軽に挑戦できるし、頭のトレーニングをしたい人にはなかなか面白い一冊ではないかなと思います。クイズとかすぐ答えを見ちゃう僕ですが、本書は真面目に考えながら読めたと思います。

鈴木貴博「戦略思考トレーニング」

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内容に入ろうと思います。
港北ニュータウンに住む倉田は、銀行での出世コースからとっくに外れ、今はナカノ電子部品という会社に出向している。社内での立場は、総務部長である。過去何人もの出向者がナカノ電子部品から追い返されている。そんな難しい会社で倉田は、特に野心を持つでもなく、プライドを振りかざすでもなく、銀行員としてではなく、ナカノ電子部品の社員になろうと、日々努力をしていた。
ある日、ナカノ電子部品の経理関係一切を担う優秀な部下・西沢摂子が、倉田におかしなことを言ってくる。在庫が二千万円も合わないのだ、という。
ナカノ電子部品では、年に一回だった棚卸しを、毎月行うことにした。そこで発覚したのだ。すぐに営業部に確認に行くも、反りの合わない営業部長・真瀬にやり込められてしまう。
何かおかしい…。倉田はそう直感するが、ナカノ電子部品は営業部で回っているようなもので、また社長は真瀬を信頼している。なかなかどうすることも出来ない。
倉田にはもう一つ、どうすることも出来ないでいる事柄がある。
ストーカーだ。
代々木駅で、割り込みで車内に入り込もうとしてきた男を、温厚な倉田にしては珍しく注意した。その男が、倉田の住む港北ニュータウンの駅近くにおり、さらに同じバスに乗っているのだ。初めは、たまたま近くに住んでいるのか、と考えた倉田。しかし、そんなはずがないと思い直す。
こいつは、自分の後を尾けてきたのだ…。
どうにか男を撒き、自宅に戻った倉田。しかししばらくして、自宅に嫌がらせがされるようになり…。
というような話です。
まあ普通に読ませる作品、という感じでしょうか。
倉田家の騒動については、正直、そこまで面白いわけではないんですよね。家族それぞれのキャラクターは、それなりには描かれている。ただ、それなりなので、読んでいて惹き込まれるかというと、そうでもないんだよなぁ。妻も、息子も、娘も、まあよくある感じの家族というイメージ。家族の描かれ方も、割とみんな仲がいいし、家族間の軋轢みたいなものがあるわけではないし、みんなで一丸となってストーカーと戦おう!という前向きな部分しかないので、正直僕にはあんまり興味が持てなかった。もう少し家族内がゴタゴタしてたりとか、色んなところに軋轢があるとか、そういう家族の有り様だったら興味持てたかもしれないけど、なかなかそうはいかない感じで、そこが残念だったかな。
ストーカーの話は、本書の半分を占める、割とメインと言っていい話題なのだけど、正直、そこまで盛り上がるわけではない。色々やりはするのだけど、どうもインパクトというか、盛り上がりに欠けるかなぁ、という気がしてしまう。この家族の部分を一番に描きたかったのなら、その部分だけ抽出するような形で独立して書いた方が良かったと思う。正直、ナカノ電子部品内のゴタゴタと一緒に描かれるから、分量も多くなるし、あんまり家族の話が印象に残りにくいのではないかと思う。家族の話なら家族の話をメインで、ナカノ電子部品の話ならナカノ電子部品をメインに、という感じの方が良かったんじゃないかなぁ、という風に思いました。
ナカノ電子部品での話は一転、なるほどこれはなかなか面白いぞ、という感じの話です。
一番初めの発端は、二千万円の在庫が見当たらないこと。この、実に些細な出来事が、ナカノ電子部品の根幹を揺るがすような大きな問題に発展していくのだけど、この話はさすが池井戸潤という感じ、読ませます。
僕は池井戸潤の作品を凄くたくさん読んでいるわけではないのだけど、これまで読んだ感触では、「銀行員」というのはどちらかというと「敵」だったり「上から」だったりするような、そういう立ち位置の作品が多かったように思う。中小企業の社長が、都合のいい時ばっかり擦り寄ってくる銀行にイライラするとか、担保があれば融資するというような姿勢にイライラするとか、そういうどちらかというと「悪役」的な立ち位置で出てくる方が多いように思います。
ただ本書の場合、そのそも主人公が銀行員だし、さらに出世コースから外れているのにそれについて悔しいとか思うことはない、出向先の中小企業でもほどほどに巧くやれちゃうというような、僕がこれまで読んできた池井戸潤作品にしては、銀行の扱い方が非常に珍しいというような気がしました。
そんな、「立場の弱い銀行マン」っぷりは、あちこちで描かれ、部下の摂子に時折呆れられてしまう。ナカノ電子部品では営業部が強いため、明らかに倉田の言うことの方が筋が通っている事柄であっても、社長の一言で倉田の努力が報われなかったりする。そういう、小市民的銀行マンが主人公であり、それが池井戸潤らしくなくて面白いと思いました。
二千万円分の在庫が見当たらない、という問題は、少しずつ少しずつその穴を広げていき、その過程で倉田の中で警告ランプが点灯し続けることになる。立場の弱い銀行マンと、中小企業の中で絶大なる力を持つ営業部長。どんな結論に行き着くのか、そしてどんな過程を経てその結論に辿りつくのか。池井戸潤に経済小説的な作品を描かせたら天下一品だと思っているのだけど、本書でもそういう、銀行や中小企業に関わる部分は、非常に面白く読みました。
全体のバランスとしては、可もなく不可もなくという感じで、良い部分をあまり良くない部分で相殺しているような、そんな印象の作品でした。中小企業内部のゴタゴタはとても面白いのだけど、家族の部分はなかなか評価しにくい。これと言って突出した何かがあるわけではない家族のパートは、決して悪くはないんだけど、あまり良くもない。そういうわけで、全体としては、可もなく不可もなくという感じかなぁ、と思いました。

池井戸潤「ようこそ、わが家へ」

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内容に入ろうと思います。
本書は、有隣堂の創業者である松信大助(この「有隣堂」というのは、松信一族で様々な事業展開をしていたようなのだけど、松信大助氏は、現在の書籍を売る「有隣堂」の創業者である)の八男として生まれ、兄弟の多くが有隣堂と何らかの関わりを持ちながら生きてきたのに対し、東京大学の理学部へ進学し、慶応大学の教授となった、一族の中では異色の経歴を持つ人物が描く、両親兄弟の話を含んだ自分史、という感じの作品です。
基本的には、八十男氏が体験し、自らの目で見た出来事について語られていく。有隣堂を創業した当時の父母のあり方、父親の仕事にかけるバイタリティー、母親の教育熱、市電に乗って幼稚園に通っていた思い出や、どんな家に住みどんな生活をしていたのかということまで、とにかく八十男氏の思い出せる限りの体験を、いくつかの出来事や時代で区切って語っていく作品です。
自分史、という視点で読めばまた違った面白さで読めるのだろうけど、僕自身は本書を、「有隣堂の創業から現在に至るまでの来歴」がちょっとずつでも描かれないものかな、という期待で読んだので、その期待はあまり満たされないままだった。まあ仕方ない。本書はそういう類の本ではなかった、というわけで、内容について文句があるとかそういうわけでは全然ない。
有隣堂については、まえがきに一番まとまっているように思うので、そこを抜き出してみよう。

『そもそも、松信大助が横浜伊勢佐木町の地に有隣堂を創業したのが、明治42(909)年12月13日のことであった。だから、今年で創立90周年となる。父大助が母隆子と結婚したのがその5日後だから、創業と結婚が同時にスタートしたといってよい。創業当時の店舗は借家で、売り場面積はわずか3坪(約10平方メートル)であった。明治44年に惣領の長女節子が生まれ、その後つぎつぎと9人の男子が、そして、昭和5(1930)年、末子である孝子た生まれた。そして20年間に九男二女全員が揃い、その後いずれも立派に成人した。
他方、有隣堂の事業はそれとほぼ並行して拡大に拡大をかさねた。店舗の敷地面積でいうと、創業の土地を中心にしてつぎつぎと隣接地を買収し、昭和24(1949)年には約150坪に膨れ上がった。とはいっても、つねに追い風を受けて順調に事業が進展したわけではない。少なくとも三回、大助は猛烈な逆風をくらった。
第一の逆風である大正12(1923)年の関東大震災では伊勢佐木町の店舗や商品はもちろん郊外にあった居宅もすべて壊滅した。しかし、幸運にも家族全員がかすり傷ひとつ負わなかった。つぎの逆風は昭和初期に発生した金融大恐慌である。銀行や企業の倒産があいつぐなかで、昭和4(1929)年、大助は女学校を卒業したばかりの長女節子をアメリカに留学させるという離れ業をやってのけた。第三逆風は、太平洋戦争末期の昭和20年5月29日、米軍機による横浜大空襲で横浜の中心街が焼け野原になったときである。これは予想された災害で、大量の商品は郊外の倉庫に温存されて何を免れ、つぎの大きな飛躍に役立つことになった。しかし敗戦後、長期にわたる米軍の土地接収のため、創業の地である伊勢佐木町に近代的な本社ビルを建設したいという大助の夢は、昭和28年、大助の突然の死を迎えるまでついに果たされることはなかった。しかし、この夢は遺族に受け継がれ、大助の没後間もない昭和31年に実現されたもちろん、妻孝子の内からの協力な支えがあったし、子どもたちの分に応じた支えがあったことはいうまでもない。』

さていくつか、僕が気になったことについて触れようかなと思う。
まず一番面白いと思ったのが、「有隣堂」という屋号について。この屋号は、「論語」の中にある、

「子曰、徳不孤、必有鄰」

から取ったという。しかしこの屋号を、一体どこの誰が考えたのか、それはずっと分からなかったという。兄たちがかなり突っ込んで調べたらしいが、まったく手がかりがなかったという。
しかしある時著者が、春の彼岸の供養の時に菩提寺である久成寺に行き、そこの住職に「有隣堂という屋号の由来がわからない」と言ったところ、久成寺の初代住職だろうと返事が返ってきたという。
また、「有隣堂」という経営体の発祥についてもよくわからない、というのも面白い話だと思う。
元々「有隣堂」という名前で商売を始めたのは、大助の父だったようだ。その後「有隣堂」の事業は様々に拡大し、「第一有隣堂」から、一時は「第九有隣堂」まであったのだという。大助が興したのは「第四有隣堂」であり、これが現在の「株式会社有隣堂」になった。また現在まで残っているものとしては「第七有隣堂」だけらしいが、それは「株式会社有隣堂」とはまったく別の組織だという。
そして最後にもう一つ。P109に有隣堂の売り場風景の写真が一枚載っているのだけど、これがちょっと凄い。昭和18年12月の写真らしいが、何かイベントでもやってるのか?と思いたくなるほどの人人人なのである。通路ですれ違うことも不可能なのではないかと思わされるほどのお客さんである。しかも凄いのは、この売場は「自然科学専門書」コーナーなのである。そこにこれだけのお客さんが詰めかけて、皆が一心不乱に本を読み選んでいる。時代が違うとはいえ、かつてはこんな時代もあったのだなぁと思わされる一枚でした。

松信八十男「横浜有隣堂 九男二女の物語」

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内容に入ろうと思います。
事故で両親を亡くした小学生の太輔は、親戚の家での生活を経て、「青葉おひさまの家」という施設で生活をすることになった。不安でいっぱいの日々を和ませてくれたのは、同じ班の仲間たちだった。
ママの話ばかりするちょっとお高くとまった美保子、同じクラスの身体の大きな男子に怯える淳也と、淳也の妹で常に元気ハツラツな麻利。同じ小学生のこの三人と、もうひとりちょっとお姉さんな佐緒里。学校や日常生活の中で、辛いこと、考えたくないこと、逃げたいこと、悲しいこと、そういうことはたくさん起こる。太輔は、昔のことを思い出しながら、辛い気持ちを蘇らせたりもする。けど、みんなでいると、力が出てくる。一人じゃないって思える。太輔は少しずつ、施設での生活に馴染んでいく。
3年前、最後の「蛍祭り」が開かれたきり、中止になってしまった。この町の伝統行事であった「願いとばし」という、ランタンを飛ばすイベントも、一緒になくなってしまった。太輔たちは、高校卒業と共に施設からいなくなってしまう佐緒里のために、なんとか「蛍祭り」を復活させようと奮闘するが…。
というような話です。
さて、まずちょっと厳しいことを書こう。
本書は朝井リョウにとっては、一つの挑戦だっただろうと思う。何故そう思うのかというと、これまでの作品とは違い、小学生という子どもを主人公に据えているからだ。基本的に朝井リョウは、朝井リョウと同年代の人たちを描いてきた。これまでも、子どもは描いていたこともあったはずだ(「星やどりの声」で、小学生ぐらいの兄弟がいたように思う)。ただ、全編を通じて小学生を描くというのは、本書が初ではないかと思う。
で、その挑戦が成功しているかというと、ちょっと評価に迷うところではある。
本書を読んではっきりしたのだけど、僕は朝井リョウの「主人公たちの内面を主人公自身が見つめ、それを言葉に置き換えていく」という部分に惚れているのだと思う。これをやらせたら、朝井リョウは抜群に巧い。特に、朝井リョウと同世代の人々を描かせたら、天才的ではないかと思っている。
朝井リョウがこれまで描いてきた人物たちは、高校生や大学生など、やはりある程度「自分の言葉」を持っている人になる。自分自身を客観的に見て、それを自分の内側で言葉に置き換えることが出来る、そういう年代の人達を描いてきたと思う。
しかし、小学生にそこまでのことが出来るのか。本書を読みながら、どうしてもそんなことを考えてしまった。
もちろん小学生にだって、「感じること」は出来ると思うのだ。自分が生きている世界の中で、ありとあらゆることを感じていることだろう。そこは、大人と大差はないと思う。子どもだからといって、大人ほどには感じられないはずだ、なんて思っているわけではない。
でもそれを言葉に置き換えることになると、どうだろう。そこまでのことが、小学生に出来るものだろうか。
太輔視点の物語を読んでいると、こういう二つの感情が襲ってくる。
「子どもにしては自分の内面を表現出来過ぎているな」
「子どもらしい表現だから、朝井リョウの作品としては物足りないな」
場面に応じて、この二つの感情のどちらかが去来する。
この点が、本書を評価するのに非常に難しいと僕が感じる部分だ。元々朝井リョウという作家がどんな作品を書くのか知らなければ、あるいは、朝井リョウの「内面の表現力」という部分に惚れ込んでいるわけではないなら、僕のように感じることはないかもしれない。でも僕はどうしても、朝井リョウには、「内面の表現力」を期待してしまうし、かといって小学生にそこまでの表現が出来るのかとも思ってしまうので、読んでいてどうしてもその部分が落ち着かなかった。朝井リョウの文章は、子ども視点には馴染みにくいように思う。朝井リョウの文章は、小学生の「体感」には尖すぎるように思う。
例えばこの作品を、朝井リョウの作品というわけではなく、例えば著者名を伏せられて読んだとすれば、きっと僕はもっと良い評価をしただろう。そういう意味でこれは、作品が悪いという評価ではない。僕が朝井リョウという作家に期待しているもの、それが本書には足りなかったように思う、というだけの話だ。まあ、こういう評価は、作家側からしたら、非常に困るだろうなとは思うのだけど。ただ、それまでの自分のやり方ではなく、新しい挑戦をしているという点は、素晴らしいなと思っています。
描かれる小学生たちは、こう表現して許されるなら「無力」だ。なんの力も持たない。施設にいるという時点で外側からマイナスで見られ、親と一緒に暮らすことが出来ないという事実が様々な制約を生む。
そういう中では、選択肢は限られる。虚勢を張る、沈黙を貫く、強さを身にまとう。施設には、仲間はいるが、家族はいない。日常は、仲間がいるだけで力がもらえたような気になれる。けれど、非日常に置かれると、一人を自覚させられる。小学生には、たった一人で立ち向かえるだけの『何か』はない。だから、傷つき、言葉を失い、哀しみに襲われる。そういう日常を、彼らは生きていく。
そういう中で、麻利の存在は凄いと僕は思う。麻利は、優しさしか武器を持てない女の子だ。作中では、ほとんど元気な麻利しか見ることはない。どれだけ辛い場面にあっても、麻利は明るさも優しさも失わない。それが、麻利という小さな少女が持つ、圧倒的な力だ。
麻利は、どれほど傷ついているだろう。作中で、最も自分の傷を見せたがらない子だからこそ、麻利のことがとても気になる。元気さは、ありとあらゆる哀しみや傷を覆い隠してくれる。その事実を大人になった僕は痛いほど知っているから、だから、元気な人ほど、不安になることが多い。大丈夫か?その元気さは、何かを隠すための鎧だったりしないか?と。
不自由のない人生を歩んできた人間には、見えない世界がある。僕らの視線の届かない場所、僕らが見ようとしていない場所にも、様々な人生が続いている。

『逃げた先にも、同じだけの希望があるはずだもん』

ある人物がある場面で言う。その通りだ。人生は、色んな方向に伸びている。真っ直ぐしか歩けないわけでも、後退しか出来ないわけでもない。嫌なら、道を外れればいい。辛ければ、逃げればいい。それは、厳しい決断かもしれないけど、「逃げた先にも、同じだけの希望がある」と思うことが出来れば、一歩を踏み出せるかもしれない。
周りにいる人の存在だけが、世界のすべてだった時期が、僕にもある。外をふらふらとあるけば、たくさんの人に出会う。僕の視界に入らなくても、世の中には山ほどたくさんの人がいると実感できることもある。それでも、今自分の周りにいる人だけが、その人たちだけが、遠い将来まで自分の世界に深く関わっていくのだ。何故かそんな風に思っていた時期がある。
そんなわけはないんだ。僕らがそれまでに出会った可能性と同じだけの可能性が、まだ出会っていない人にも残されているんだ。そんな風に思えるようになったのは、いつ頃のことだろう。そうやって僕らは、「世界地図」を少しずつ広げていくんだ。鉛筆で描いた下書きを少しずつ消していきながら、まだ何も書き込まれていない余白のことを想像するのだ。
小学生たちはそれぞれ、それぞれの思いを抱きながら、困難な作戦に突入していく。やっぱりラストは、相当泣かされてしまった。「子どもを生きる」というのは、圧倒的な制約の中で毎日を過ごすということだ。その制約を意識しないで生きていける環境は、とても恵まれている。太輔たちには、普通以上の制約があった。それでも彼らは、誰かのために、自分たちだけの手で、あらゆる困難を乗り越えて行こうとする。その必死さ、真っ直ぐさ。子どもにしか発揮することが出来ないかもしれないパワーを折り重ねていきながら、太輔たちはエンドロールに向けて疾走していく。彼らが最後にたどり着く美しい光景を見て、なんだか羨ましいなと思った。その場にいる全員が、羨ましいと思った。
朝井リョウの作品と捉えてしまうと、どうしても物足りなさは残る。でも、自分の得意な武器を捨てて新しい挑戦をする姿勢は素晴らしいと思うし、朝井リョウの作品だと思わず純粋に作品を捉えれば、素敵な作品だと思う。特にラストは見事だ。力も武器もほとんど持たない無力な小学生が起こす奇跡、是非読んでみて下さい。

朝井リョウ「世界地図の下書き」

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内容に入ろうと思います。
本書は、七海学園という児童養護施設を舞台にした作品で、「七つの海を照らす星」の続編です。
主人公は前作と同じ、この施設で子どもたちの面倒を見ている保育士・北沢春菜。働き始めて3年が経ち、学園内でも頼りになる存在として認められつつある春菜は、また様々な事件や謎と関わることになる。

「春の章」
保護され、七海学園にやってきた界。問題行動が多く、手を焼かせる男の子の担当になった春菜。学園の希望者でピクニックに行き、そこで界は学園の他の子供達と争いごとになるのだが…。

「夏の章」
福祉施設ごとの対抗のサッカーの試合が行われることになった。七海学園は途中で負けてしまったが、城青学園と桜沢実践学校の試合が白熱し、会場を大いに沸かせた。しかしその試合の後、スタジアムは大混乱に陥り…。

「初秋の章」
何を考えているのかよく分からない瞭。春菜は瞭のことを知るべくあれこれ手を尽くすが、素気ない瞭に近づくのはなかなか難しい。ある時、だったらこの謎を解いてよと、一枚のCD-Rを渡される。パソコンとかオーディオに入れても、どうしても読み込まないんだ、という…。

「晩秋の章」
最近入所した望の父親が、もうすぐ出所するという。これまで刑務所の中から、学園での娘の扱いにあれこれと文句を言い続けてきた人物だけに、学園では警戒していたのだが…。

というような4つの物語に、「冬の章」という、全体を貫く物語が用意されている構成です。
自分でもどうしてなのか分からないのだけど、どうもこの作品には入り込めなかったのだよなぁ。
作品自体は、なかなか良くできていると思う。前作と同様、物語全体に仕掛けられた構成は巧いなと思うし、個々の物語も、謎が解き明かされることで救いが現れたり、あるいは子供たちの辛さがより強調されたりという展開が、なかなか巧く出来ていると思う。
もしかしたら、例えば、5年以上前、僕がまだミステリ的な作品に親しんでいた頃にこの作品を読めば、また違ったのかもしれない。最近なんとなく感覚として、ミステリ的な作品にのめり込めていない感覚がある。どうしてなのかちゃんとは分からないのだけど、なんとなく、ミステリ的な要素が「余計」に思えてしまうのかもしれないなぁ、という気もしている。ミステリ的に成立させようとして、ちょっと無理をしている感が、どうしてもミステリ作品には出てくる。そこをどうねじ伏せるかが腕の見せ所なんだろうけど、でもどうも最近は、巧くねじ伏せられても、ふーん、という感じになることが多いような気がする。もっと昔、ミステリばっかり読んでいる頃は、たぶんそんなことを思わなかったと思う。最近でも、別になんでもかんでもミステリを読んだらそうなる、というわけでもないはず。だからそれが原因なのかは分からないけど、どうものめり込めないのだった。
あるいは、こういうこともあるかもしれない。本書で描かれる謎は、前作「七つの海を照らす星」よりも、よりハードなものが多いように思う。「七つの海を照らす星」でも、児童養護施設を舞台にしている以上、辛い現実が描かれるわけなんだけど、本書に比べるとまだソフトだったように思う。本書では、個人の辛い現実に、より焦点を当てているような設定が多いような気がした。
そうなると僕は、その辛さを、謎解きをすることで描き出す必要はないのではないか、と思ってしまうのではないかと思う。もっとストレートに、彼ら彼女らの辛い現実と向き合って、正面から描いてくれたらいいのに、と思ってしまうのかもしれない。わからない。わからないけど、そう思っている可能性もある。だからこそ、本書を読んで、謎と設定の重さとのバランスが、どうにもちぐはぐに思えてしまうのかもしれない。いや、そうではないかもしれないのだけど。
個人的には、瞭や西野や莉央といった少女たちの存在には、かなり惹かれる。僕としては、もっと彼女たちの人生に、生活に、生き様に焦点を当てた物語を読みたい、と思ってしまう。少女特有の支離滅裂さと、彼女たちの境遇が与える背景が折り重なって、僕にはとても魅力的な少女たちに映る。しかし、ミステリとして描かれる以上、伏せなくてはいけない情報もあるし、彼女たちだけに焦点を当て続けるわけにもいかない。そういう部分が、なんか僕的にもったいないと思えたのかもしれない。恐らくもっと、瞭や西野や莉央と言ったような少女たちにスポットライトが当たり、彼女たちの生き様がくっきりと描かれるようなそんな物語だったら、僕の感じ方もまた違ったのかもしれないとも思う。でも、分からないけれど。
たぶん世間的には評価が高い作品だと思うし、ミステリ的な仕掛けもなかなか巧く嵌っていると思う。僕に合わなかっただけかもしれないし、たまたま僕がいつもより疲れてたとかそういう理由で馴染めなかったのかもしれない。作品としては、なかなかよく出来ていると思いました。

七河迦南「アルバトロスは羽ばたかない」

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僕は昔からどうも、周りの人が「正しい」「当然だ」「何でそうしないの?」と思っていることに、馴染めなかった。
別に、変人を気取りたいわけではない。確かに、変人には憧れるし、「変な人だね」と言われることもあって嬉しいのだけど、僕自身はやっぱり、変人にはなりきれていないなと思う。まあ、「普通」でもないとは思うけれど。
まあそれはともかく、周りの人が疑問に思っていないようなことばかり、疑問に思っていたような気がする。具体的には、思い出せないけど。
その中の一つに、「どうして働かなくてはいけないのか?」というのがあったと思う。
僕は、中学の頃から、とにかくサラリーマンになるのが苦痛で苦痛で仕方がなかった。その当時の自分に、「働く」ということがはっきり理解できていたとは思えない。色んな働き方があるのに、「働く」=「サラリーマン」だと思っていたのだろう。だから僕が抱いていた不安は、「働くこと」そのものに対する不安だったと思う。
何がどう不安だったのか、それはよくわからない。よくわからないけど、大人になった今、例えば大学時代に感じていた不安を思い返してみると、本書で書かれているこんな文章がまさにピッタリ当てはまると思った。

『なかには、人生につかれたのか、自殺してしまった人もいる。仕事が上手くいかなかったというわけでもない。ローンはあるけれど、お金に困っていたわけでもない。ただ、会社、家族、子供、ローン、両親、いろいろなものに少しずつ縛られて、身動きできなくなっていた。気づいたら、自分の自由なんてどこにもなかった。ただただ、働いて、毎日が過ぎて、酒を飲んで、疲れて眠るだけ、その連続に堪えられなくなくなるらしい。これは、どこで間違えたのだろうか?』

この気持ちは、とても分かる。いや、この表現は適切ではないか。僕は、そういう人生を早い段階で放棄したのだから、気持ちが分かるわけがない。そうではなくて、僕が子供の頃に、「こうなったら辛いだろうなぁ」と想像し、その道に進むことを諦めた、まさにその僕が諦めた人生の行き着く先が、この文章で表現されていると僕は感じた。
僕には、特別にやりたいことがあるわけではない。だから、お金がたくさん必要なわけではないし、お金がたくさんあっても使い道がなくて困る。いや、別に困りはしないのだけど、でもお金をたくさん得るために苦労しなくてはいけないならそうしたくはないし、お金をたくさん持つことで、例えば盗まれたりすることを気にしなくてはいけなかったり、損しないような運用をしないといけないと思わされたり、あるいはお金をたくさん持っているくせに使わないという陰口を気にしたりしなくてはいけなくなるかもしれない。
みんなが知っている大企業に入って自慢げに振る舞うことに関心はないし(そこに入らなければ自分のやりたいことが出来ないのなら話は別だけど)、色んな権威や地位で着飾って偉そうにしたいわけでもない。家族が欲しいわけでも、マイホームが欲しいわけでもないし、バングラデシュに学校を建てたいと思っているわけでもない。もちろん、何らかの幸運でお金がたくさん手に入れば、そういうことを考えてもいいけど、少なくとも今の状態でそんなことを望んでいるわけではない。長生きしたいという希望もないし、人に迷惑を掛けてしまう心配はあるが(しかしそれは、きちんと働いている人でも同じだろう)、晩年の生き様がどんな風になろうとあまり気にはしない。
だから僕にとって仕事とは、「生活のためのお金を得る手段」であり、かつ「やっていて楽しければラッキー」というぐらいのものでしかない。いや、正直後者の「やっていて楽しければラッキー」という部分は、個人的にはそこそこ重視していて、そこを優先するために給料には目を瞑ろうと考えている。
そんな風にして、僕はどうにかこうにか今日まで生きてきた。
もし僕が、「ちゃんとした仕事に就かなければ人間としてダメだ」「まともな人間なら結婚して子供を育てるべきだ」「名前の知られていない会社で働くのなんてみっともない」というような価値観を持っていたとしたら、もっと早い段階で僕の人生は壊滅していたことだろう。もしかしたら、死んでいたかもしれない(大げさではなく)。
僕は大学時代に、さっさと人生から降りる決断をした。周囲と競争をせず、世間の常識から離れ、自分が良いと思う価値観になるべく沿う形で生きていこうと努力してきた。傍目から見たら、僕の生き方は世間でも最底辺だろう。給料は安いし、正社員じゃないし、将来の展望もない。その通りだ。でも、僕自身としては、日々そこまでストレスもなく、あまりお金を使わない僕には十分な給料が手に入り、何かやりたいことがあればすぐに動ける自由度が確保されている今の生き方は、結構悪くない。他人からどう思われるかという判断基準を割と放棄するように生きてきたので、誰にどんな風に思われたところで、僕自身の人生にはさほど影響はない。

『現代人は、この「仮想他者」「仮想周囲」のようなものを自分の中に作ってしまっていて、それに対して神経質になっている。そのために金を使い、高いものを着たり、人に自慢できることを無理にしようとする。いつも周囲で話題にできるものを探している。その方法でしか、自分が楽しめなくなっている』

これは、非常にもったいないと思う。そういう生き方の窮屈さを、僕は学生時代に嫌というほど体感した。どうにかそこから抜けだそうと、僕にとって「大人になることの闘い」は、まさにそこにあったと言ってもいいかもしれない。

『人から褒められたのは、これまで自分が子供だったからだ。大人になったのだから、自分のことは自分で褒めよう。自分で褒めるためには、何が自分にとって価値のあることなのかを、まず考えなくてはならないだろう。それは、流されないための唯一の方法だ』

『人それぞれに生き方が違う。自分の道というものがあるはずだ。道というからには、その先に目的地がある。目標のようなものだ。まずは、それをよく考えて、自分にとっての目標を持つことだ。
「成功したい」と考えるまえに、「自分にとってどうなることが成功なのか」を見極める方が重要である』

そして、仕事というのは人生ではない。本書で森博嗣は、繰り返しそう書くのだ。

『僕の仕事に対する第一原理というのは、これまでに幾度も書いているが、つまり、「人は働くために生きているのではない」ということだ』

『仕事というものは、今どんな服を着ているのか、というのと同じくらい、人間の本質ではない』

『そもそも、就職しなければならない、というのも幻想だ。人は働くために生まれてきたのではない。どちらかというと、働かない方が良い状態だ。働かない方が楽しいし、疲れないし、健康的だ。あらゆる面において、働かない方が人間的だといえる。ただ、一点だけ、お金が稼げないという問題があるだけである。
したがって、もし一生食うに困らない金が既にあるならば、働く必要などない。もちろん、働いても良い。それは趣味と同じだ。働くことが楽しいと思う人は働けば良い。それだけの話である。こんなことは当たり前だろう。』

『多くの人は深く考えもせず、仕事というものは「人の価値を決めるものだ」と信じている。どんな職業かということで人の評価の大半を決めてしまっているのだ。だが、それははっきり言って間違いだし、これからはだんだん間違いは正されていくだろう』

『人生のいきがいを仕事の中に見つける必要はどこにもない。もちろん、仕事に見つけることもできるかもしれない。それと同じように、仕事以外にも見つけられる。好きなことをどこかで見つければ良い。どうして仕事の中でそれを探そうとするのか、自問してみよう』

本書では、あらゆる言い方で、あらゆる方向から、とにかくこの「働くために生きているのではない」という原則を繰り返し語っている本だといえるだろう。

『たまたま、僕はこんなふうに考えて、こんなふうに生きていけるけれど、しかし、それがあなたの人生にも適用できるという保障は全然ない。適用できるどころか、応用も難しいかもしれない。なにしろ、僕は、僕という人間に合わせて、僕の周囲の環境に合わせて、僕が生きてきた時代に合わせて、僕自身を修正しつつ今に至っている。あなたは、僕ではないし、僕の環境や時代と同じでもない。だから、「あなたの道を自分で歩くしかないでしょう」と正直に言ってしまうことになる。これもまた、身も蓋もないと受け取られるかもしれない』

この態度は、僕は誠実だと思う。僕自身はあまり読まないが、自己啓発本や健康本には、「こうすれば成功する」「こうすれば健康になる」という情報が山のようにある。でも、僕は基本的に、そんなのはおかしいと思っている。まったく違う人間に同じ方法を適用して、同じような結果が導かれるはずがない。科学の実験だって、基本的には失敗と誤差ばかりのはずだ。

『それはともかくとして、情報というのは真に受けない方が身のためである。なにしろ、情報を流しているのはほとんどがマスコミだし、またそれ以外の発信源のものも、結局は自分たちの立場を維持したいという力学に基づいて、情報を作るからだ。
したがって、今現在のニュースに注目していても、現実というものは掴めない。それよりも、ずっと遠くの世界のどこかに目を向けてみよう。日本から遠くはなれている国のものを調べてみよう。自分で発見するのである。おや、こんな面白いものがあるじゃないか、どうして日本にはないのか。そう考えると、日本の今の状態がかえって鮮明に見えてくるものだ』

情報が多すぎて、帰って迷い、悩むという側面もあるだろう。そして残念ながら、その情報は「正しくない」のだ。踊らされているだけだ。なんというもったいない人生か。僕自身もきっと、様々な情報に踊らされていることだろう。しかしそういう中で、本書のような、「私の言っていることが正しいかどうかは知らないし、一般化も出来ませんと」と断っている情報というのは、少なくとも、他の雑多な情報よりは、得る価値があると感じる。

『だから、この本では、そんな幻想を少しでも消してあげたい。気分の思ったとおりの就職ができなくても、全然悲観するようなことではない、ということを書きたいと思う。「これから就活をして、立派なビジネスマンになりたい!」と意気込んでいる人にはあまり適さないだろう。』

あなたは、どうだろうか?僕はこの本を、この本を読むことによって救われるかもしれない人の元へと、どうにか届けたい。人生に苦しんでいる人。結局自分を縛り付けているのは自分自身なのだ、ということに気づけるかもしれない。僕は、そうなりたくなくて、さっさと人生を降りた。その選択を、今のところ後悔したことはない。将来的には、分からないけれど。

森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想」

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